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京都旅行(5)

 貧しい年金生活者のぼくらが10日間も旅行できたのは、やさしい子供たちのおかげなのだ。三人の子供たちと、そのそれぞれのパートナーが、行っといでと言ってポンと封筒をくれた。開けてびっくり、一万円札が十枚も入っていた。
 どの家族も裕福ではない。それぞれの子供たちを抱えて、いまいちばん大変な時期を一生懸命生きている。そこから出してくれた金だ。感謝感激なのだ。
 というわけで、やっと二日目である。
 二日目なのだが、きょう朝から考えていて、どうも10日間の記憶がはっきりしない。早くも忘れかけている。下長者町に3泊、草津に合計5泊、大原に2泊というのはわかる。ところが足掛け11日なのだ。しかも草津から毎日京都に通ったので、京都市内がほとんどである。行った場所はわかる。しかし、いつ、どういう順序で行ったのかがもはや思い出せない。
 思いついてカメラを探した。ぼくはカメラを持たない。カメラは妻が持っている。カメラが見つかる前に現像済みの写真が見つかった。そこに日付がある。
 それで少し判明した。ところがカメラは途中で電池が切れて、そこから先がない。そればかりかそもそも写してない場所も多いから、すべてはとても分からない。それで、ここから先は少しあてずっぽうになる。行ったことは確かなのだが、違う日のことが違う日に紛れ込むかもしれない。
 旅行の前の数週間、ぼくは「樹宴」の原稿で一生懸命だった。不満な出来ながら一応書き上げて送ってからも、校正がうまくいかずに何度もやりとりした。戯曲は特殊なレイアウトを使う。「まがね」でも戯曲がひとつあったが、これはレイアウトが完成したら、PDF変換して「ちょ古っ都製本」に送るだけでよかった。プロの製本屋だから、レイアウトどおりに作ってくれた。「樹宴」は印刷製本を木沼さんが全部自分でやる。裏表印刷するわけだから、裏が1ページと4ページ、表は2ページと3ページというように印刷するのだ。裏と表を別々に編集する必要がある。いちいち手作業ではできないから、「パーソナル編集長」という市販のソフトを使う。ここに問題が生じる。WORDを「パーソナル編集長」に流し込むときに、レイアウトが完全に狂ってしまう。ふつうの小説なら問題ないのだ。戯曲の場合はうまくいかない。それで一度はあきらめかけたほどに大変だった。木沼さんが頑張ってくれて何とか出来上がると、旅行が迫っていた。
 というわけで(という口実で)、ぼくは旅行計画に一切タッチしていなかった。行く気があるのかと妻が疑っていたほどだ。妻はガイドブックを何冊か購入していたが、宿の予約はともかく、具体的なスケジュールはなかったようだ。
 それで初日はああいう形になった。もともと雨模様の日だった。
 二日目から天気がよくなった。宿で作戦を練った。
「今日はまっすぐ京都駅に戻って、国鉄で伏見稲荷と宇治平等院へ行こう」
 すぐに決まった。ほんとうは、桃山と六地蔵にも行きたかった。桃山は少し思い出があるし、六地蔵は京都アニメーションだ。ところが地図で見ると、伏見と宇治は隣り合っているが、その伏見がべらぼうに広い。この4カ所はばらばらな場所で、すべて行くとなると駆け足になってしまうだろう。そこで2カ所に絞ることにした。この2カ所はあまりにも有名なところだが、ぼくは行ったことがなかった。こんどの旅の目的は、かつて行き損ねた名所めぐりなのだから、初日は思い出探しになってしまったが、二日目は目的に戻ろう。
 行く方法はいくつもあるが、国鉄で行くのが単純なような気がした。ICOCAを使った。伏見稲荷はたった二駅だ。そんなに近いとは知らなかった。国鉄奈良線で行くが、急行に乗っていると伏見稲荷には停まらないという。あわてて各駅停車に乗り換える。出発までかなり待たされた。がらがらだったのが、どんどん乗ってきた。中国人が多い。マレー人も乗ってくる。出発までにすし詰めになった。二駅で着くと、小さな駅だ。おもちゃのような駅だ。そこがラッシュアワーである。ほとんどの客がそこで降りた。
 伏見稲荷は、つまり鳥居である。鳥居がずっと続いている。それは知っていたが、どこまで行ってもまだ先がある。そこをラッシュアワー状態で登っていく。西洋人、中国人、マレー人たちと一緒に登っていく。上からも降りてくる。登りと下りと擦れ合いながら登っていく。まだまだ終わらない。どこまででも続いている。きりがない。とてもじゃない。とうとう諦めて降りることにした。
 どの鳥居もそんなに古いわけではない。木の鳥居だから腐る。腐ったら新しいものと換える。すべて企業の寄進だ。関西の企業が多いが、全国の企業のものがある。何千本あるか、数知れない。
 駅に戻り、宇治まで直行した。はじめ少し山地を通ったが、じきに住宅地になる。ベッドタウン化している。六地蔵を通る。京都地下鉄東西線が、山科から醍醐を経由してここまで南下しているのには驚いた。
 桃山は方角が違う、と思っていたが、いま地図を見ると、国鉄は桃山を経由してそこから六地蔵方面に曲がっている。いまは地下鉄南北線の南の終点になっている竹田は少し離れたところだ。たぶんむかし市電がそこまで行っていた。国鉄と地下鉄のほかに近鉄と京阪がこの界隈を走っている。
 同志社へ入ってすぐ伏見へ来た。それがたぶん桃山だったと思うのが、桃山城に登った記憶があるからだ。母の従兄弟がそこに住んでいた。同志社女子高の音楽教師で、京都の市歌などの作曲者だ。その母親がぼくの祖母の姉で、下鴨でお琴を教えていた。その中庭のプレハブにぼくは下宿したのだ。伏見の家にはクラシック音楽が流れていた。その家に同志社女子大に通う笑顔のかわいい、よくしゃべる娘がいて、一つ年上だった。このとき伏見で会ったのが初対面で、50年後に二度目に会った。すでに東京に転居して、ピアノと声楽を教えていた。それから断続的に付き合いが続いている。
 宇治に着いて、駅前の看板を見ながらどう行くべきか検討していると、若い男が寄ってきて親切にいろいろ説明を始めた。よくわかったので、ありがとうと言って別れようとすると、「よかったらどうですか」と言う。人力車夫なのだ。妻は最初から気づいていたらしいが、ぼくはまったく知らなかった。妻がその気になったので、人力車初体験をする。妻に言わせるとその気になったのはぼくのほうらしい。出町館で「この世界の片隅に」を観ましたと言ったのはこの青年だ。熊本の出身で、どことは言わなかったが京都の大学を出て堀川今出川に住んでいるのだという。宇治川を渡って、宇治神社まで連れて行った。走りながらいろいろ説明する。応神天皇の皇子兎道稚郎子(うじのわきいらっこ)の話。カナ文字の発明者だったが、方向音痴でウサギに案内された。ウサギが振り返りながら案内したというわけで見返りウサギのお土産を売っている。
「そう言えば兎道郎子のウはウサギという字だ」とぼくが記憶を呼び覚ますと、車夫君は感心している。ウサギの道でウジ、そのくらいはぼくでも知っている。
 車夫君に金を払って別れ、宇治川を戻る。宇治川合戦の話が車夫君から出なかったが、ここではないのかと思いつつ橋を渡ると、宇治川合戦の碑があった。ここで源三位頼政が死んだのだ。
 ここは宇治十帖の舞台でもあるが、宇治十帖も筋書きを知っているだけで具体的な場所とかを知らないので、それ以上の感慨はなかった。なお源氏物語ミュージアムとかにも心惹かれたのだが、名所が先なので無視した。
 平等院だ。十円玉だ。観た。
 それで伏見・宇治の旅は終えた。
 旅行のあいだじゅう引っ掛かっていたことがある。京都アニメーションだ。最初はそこに行く気だった。駆け足になると思ってやめたが、それでもどうしても行こうとはしなかったのは、野次馬みたいな気がしたからだ。アニメファンというわけではない。火事場見物で行くのかという嫌な気がして、躊躇した。でも行きたかったのは本当だ。なぜ行きたかったのだろうとずっと考えていた。その現場に立ちたいという気持ちがあった。犯人がガソリンを載せた台車を押しながら歩いたコースもたどってみたかった。なぜなんだろうとずっと考えた。福山に帰ってきてからも考えた。ある日ふと分かったような気がした。悲劇の現場に立って悲劇を実感したかった。また、犯人の足跡をたどって、彼の目に映った風景も噛みしめてみたかった。そういうことだったのだ。
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