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高原さんへの質問 言葉の定義について

 <事実を、あるものの全て、すなわち客観的世界と人の観念に、ある 存在、関係(運動)の全体とする>

 とても全体を読める段階にないので、部分的な指摘になって、たいへん申し訳ないのですが、指摘というよりも、質問であると捉えてください。
 部分的に質問しますので、部分的にお答えください。

 上記の言葉を読ませていただいて、高原さんの書くものがなぜ理解できないのかが分かったように思いました。高原さんは言葉の定義から始まるのです。AはBであるというのが高原さんの論理の出発点です。なぜAはBなのかと質問すると、「わたしがAはBであるとするからだ」という答えが返ってきます。あるいは別の場所で、AがBである理由を説明しているのかもしれませんが、順序としては、AがBであるということの説明から始まるべきでしょう。あるいは、この仮定の前にすでに説明を終えているのかもしれませんね。だとしたら、ぼくの読みが不十分なだけなのかもしれません。
 ぼくが言っているのは単に<事実>についてだけではありません。すべての単語を高原さんはまず定義します。定義のその場に定義の理由が書いてあるようには思えません。
 言葉とは何ですか。言葉はもちろん本来厳密に定義づけできるものではありません。それは習慣的に使われ、社会環境のなかで変化し、ひとつの言語社会にひとつの言語文明として存在しています。
 一定の時代における一定の社会のなかで、ある程度共通の認識を与えられています。それはもちろんあいまいなものですが、あいまいでありながら、なおかつ何かなのです。
 これをある個人が勝手に自分流に定義してしまったら、「わたしはこう定義する」と断った上であっても、もはや読者の理解を得るためにはたいへんな困難を読者に強いなければならないでしょう。
 マルクスの「価値」が人々に誤解を与えたのは、それがあくまでも「商品価値」という経済用語としてのみ使用されていることが明白であるにもかかわらず、読者が勝手に「道徳的価値」と誤読してしまったことによりました。「資本論」の価値に関する部分はそんなにわかりにくいものではありません。この誤読は読者に責任があります。
 しかし例えば、不破哲三は、30年程前に自分勝手にいろんな言葉を作り出しましたね。「暴力」は「強力」である。「独裁」は「ディクタツーラ」もしくは「執権」である。「ディクタツーラ」は原語らしいので、それでもかまいませんが、「強力」だとか「執権」だとかいったい何ですか。あるいは「社会主義を目指している国」だとか、この人は勝手に言葉を作るのが好きな人だ、そんなおかしな言葉を他人に強制しないでくれと、ぼくは当時から主張していました。
 言葉を作りたがる傾向の人々がいるのです。
 そういう言葉はそういう仲間内でしか通用しません。
 断定できないものを断定したいとき、あるいは説明の難しいものの説明を省略しようとするとき、人は勝手に言葉を作り出し、あるいは勝手に定義します。
 現実というものはそんなに簡単に説明できるものでもなければ、断定できるものでもなく、定義づけられるものでもなく、名付けられるものでもない。というのがぼくの主張です。
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65:管理人のみ閲覧できます by on 2019/10/11 at 19:11:14

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58:「言葉の定義についてのコメント」3 by 高原利生 on 2019/10/04 at 06:10:41 (コメント編集)

言われていることを全部「理解」してからコメントを書くべきでした。実は今回、石崎さんの最初の部分と最後の部分が理解できなかった。それでも大事なことが理解されていないことが分かったのでコメントを二つ書いてしまいました。
「高原さんへの質問 言葉の定義について」の頭で、石崎さんは、
「AはBであるというのが高原さんの論理の出発点です。なぜAはBなのかと質問すると、「わたしがAはBであるとするからだ」という答えが返ってきます」というのが分からなかった。これはひょっとして、「高原氏への若干の疑問」の1の「つまり」以下の文を引いて批判されているのに対し「つまり」の前の文を見てくれと言ったことを直接は指しているでしょうか。上の石崎文は相手の言を間違って一般化した間違いに見えます。
最後の「現実というものはそんなに簡単に説明できるものでもなければ、断定できるものでもなく、定義づけられるものでもなく、名付けられるものでもない」には反対です。
事実も現実も仮説:仮の定義作り続け、仮の説明をし続けなければならない。特に、今回のような論理学や常識を変える場合には、というのが高原の主張です。

57:「言葉の定義についてのコメント」2 by 高原利生 on 2019/10/03 at 13:45:28 (コメント編集)

前、コメントを急いで書きました。
偉そうに「相手の言っていることを理解しないと批判なりコメントはするべきでないと思っている」のです。今回、石崎さんの言われたことがまだよく分からないままに、ひょっとこういうことではないかと思い、最初のコメントをお送りしました。
懲りずに、もう一回、こういうことかなと気づいた内容を送ってみます。
現在、多様な意味で使われている用語を、意味を限定して使っているのは、限定と言っても、用語を「今までの意味を含み、かつ今までの意味の拡張になっているようにする」ことです。
それは今までの努力の歴史を見たうえでの「網羅」の結果で、今までの歴史の総括、一般化になっているつもりです。本人としては。今までの思想、哲学批判の何割かはこの作業だったかもしれないという気もします。「事実」について様々な誤解や論争を繰り返さず、前に進むために必須の作業でした。
意味を「限定」しているので分かりにくく、特に今の文は「概要」という結論をまとめて書いたものなので、言葉の意味を一方的に決めつけて書かざるを得なかったところもありました。今回も難しいですね。お詫びします。

56:「言葉の定義についてのコメント」 by 高原利生 on 2019/10/02 at 11:09:08 (コメント編集)

石崎さんの「すべての単語を高原さんはまず定義します。定義のその場に定義の理由が書いてあるようには思えません。」
という文は誠にもっともなことです。
前書き四版p18で述べた「弁明」は、
「現在、多様な意味で使われている用語を、特定の意味に限定して使っていることがある。なるべく今までの意味を含むように意味を拡張している」
ということです。「矛盾」だろうといわれるかもしれません。
石崎さんはが言われる「言葉は一定の時代における一定の社会のなかで、ある程度共通の認識を与えられています。それはもちろんあいまいなものですが、あいまいでありながら、なおかつ何かなのです。」
ということは、「今、流通しているあいまいなまま単語を使え」ということになります。
意味の普遍化した限定は「たいへんな困難を読者に強いなければならないでしょう。」(石崎)というのは、残念ながらやむを得ないことなのではないでしょうか。
その都度定義を書くと長くなるのですが、それも最小限行っています。
事実については、今回のあいまいな「事実」をこうとらえておくと、石崎さんの「高原氏への若干の疑問」の1と2のような議論が整理されます。

55:不破造語 by 植田与志雄 on 2019/10/02 at 09:08:05 (コメント編集)

暴力gewaltを含む権力machtを日本語で言うと「強力」がぴったりと不破さんは感じたのでしょうね。不破さんの感性でろ過されて生まれた日本語だったと思います。これを共産党内で権力的に広めてしまった、暴力は使わなかったけれど。必要なら党内の言論によって変更すべきだったのに、、、。この多様性を縮めて生命力を奪うのが民主集中制の最大のダークサイドと思う。

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