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映画「情婦」

 BSで「情婦」を観た。タイトルのところで、アガサ・クリスティの名前が見えたので、クリスティで「情婦」とはあれかなとチラッと思った。じきに老弁護士が登場したので、これは間違いないと確信した。「検察側の証人」である。
「検察側の証人」は先日テレビドラマで観たのだがさっぱり面白くなかった。あまりにも原作のイメージと違いすぎた。原作はごく短い作品なのだが、騙すほうも騙されるほうもしゃれているのだ。テレビドラマは暗くてうっとうしいだけだった。
 今日の映画は最初からコミカルで思わず笑ってしまう。原作のイメージとは少しずれるのだが、こちらの方がずっといい。ただ、レナード・ヴォール役は、いかにも精悍な感じで、ぼくの持っていたイメージとかなりずれた。真面目でおとなしそうなハンサム青年というのがぼくのイメージで、そのほうが逆転劇に効果的だ。
 クリスチーネは、マレーネ・ディートリッヒ、これははまっている。
 小説はとても短くて映画にならないから、ずいぶんと膨らませている。そのどれもが作品を豊かにしそこすれ、少しも損なっていない。原作の弁護士はもっと謹厳で重々しい感じなのを、ぐっとコミカルにした。イギリス的な雰囲気がアメリカ的になったのは否めないが、これは許せる。陰気にするよりはずっといい。
 レナード・ヴォールと被害者との出会いの場面と、同じくクリスチーネとの出会いの場面はどちらも原作にはないものを新たに作り出しているのだが、充分原作を生かして映画らしくしている。
 無罪の評決が出るところまでは、原作に忠実で、大いに楽しんで観た。
 ところが、ミステリーの映画化には結末の変更がどうしても必要なのだろうか?「結末が小説と違います」と宣伝しなければ客が来ないのだろうか。
 無罪の直後に弁護士が浮かない顔をする。ここでぼくはよからぬ予感を持たされた。そして予感どおり、結末が違ってしまった。
 原作ではクリスチーネに手を握ったり開いたりする癖がある、この癖で弁護士ははたと気付いてクリスチーネを再訪する。そこですべての裏を知らされた弁護士に哀愁が漂って終わる。悪が勝利し、善良な弁護士は騙され、利用されたのだ。読者は、弁護士と同じようにうまく騙されたことに満足する。ミステリーの読者は下手に騙されればがっかりするが、うまく騙されれば満足するのだ。
 こういう、悪の勝利する結末が、一般観客には受けないと考えるのだろうか。テレビドラマの結末はうろ覚えだが、やはり最後は悪人が報いを受けたのだと思う。この映画でもそうなってしまう。
 それが原作のしゃれた完成度をぶち壊しにしてしまう。
 ミステリーの結末は変えてほしくない。原作に忠実であってほしい。原作がつまらない作品なら変えればいいが、名作の結末を変えてしまっては観るに値しない。真実が明らかになっていく過程のその論理展開や、その情景の雰囲気を味わいたくて再読したり、映画に期待したりするのに、それを変えられてしまったら、観たことが何にもならない。
 原作と違うものが観たいのではない。原作の雰囲気を味わいたいのだ。
 でも、法廷場面はよかった。コミカルなだけかと思った弁護士ががぜん能力を発揮する。そこは見ごたえがあった。しかし、そこがかっこよすぎたので、騙されたまま終わるわけにはいかなかったのかもしれない。
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79:ありがとう by 石崎徹 on 2019/10/14 at 09:42:44 (コメント編集)

 原作も(とても短いので)ぜひ読んでください。クリスティの代表作の一つです。

76:原作は知らないですが by 笹本敦史 on 2019/10/13 at 18:30:58

録画したままになっていたのを観ました。
原作を知らないですが、最後の殺人が原作にないところなのでしょうね。確かにあそこはいらないと感じました。
ビリー・ワイルダーらしいユーモアを含んだ展開に、不健全な結末は似つかわしくないと判断したのかも知れません。

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