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「民主文学」19年9月号

 台風が来て今年の盆が終わった。思い起こしてみると、ぼくは盆という言葉を20歳くらいまで知らなかった。正月は学校が休みになるし、餅を食べるので、わかる。盆の時期というのは夏休みのそろそろ終わりごろで、何の変わりもなく、やらずに来た宿題の期限が迫って焦り始めるころ、という以外に何の感慨もない。働き始めて初めて、盆というものがあるらしいと知った。
 ともかく終わった。今年も泳がなかった。残念だが、さりとて泳ぐだけの体力があるとも言えない。孫たちと遊べたのでよしとする。
 切れ切れに、「民主文学」9月号を読んだ。切れ切れに読んだので、少し記憶が遠のき始めている。最後に読んだ一番記憶の新しいものから書く。いちおう全部読んだけど、ほとんど思い出せなくなったものはジャンプするが、あしからず、請御容赦。

宍戸ひろゆき「放課後に」
 面白かった。小学校の放課後の三時間ほどの間に、事件が次々と起こる。目まぐるしいほどの凝縮ぶりだが、作者はうまくさばいていて、わかりやすく書いている。「平成生まれの最初の新入生」と書いているから20数年前に時代をとっているが、別に現代でも構わないような気もする。時代の変化が激しいので作者としては用心したのかもしれない。
 子供たちを取り巻く環境は現代でも通用しそうだ。幾人もの子供たちをめぐって、さまざまな環境からの影響を丁寧に書いている。この作品が気持ちよく読めるのは、作者が自分の考えを表に出さないからだ。環境という現実を客観的に書くことに徹している。それに対する作者の意見は述べない。事実を事実として提示することで、判断を読者に委ねている。だから、読者はそれぞれ自分で判断できる。作者は自分の考えを押し付けない。見習うべき態度だろう。これが小説というものだ。

福嶋活水「木曽川のほとりで」
 これもよかった。この作品のよさは、なんといっても文章力だ。別に独特の文体というのではない。癖のない文章で、洗練された日本語である。ともかく読みやすい。読みにくい小説が悪いとは言わない。あえてそう書かねば表現できない場合というのはある。しかし、ごく普通の小説にあっては、読みやすいということは最初の条件になるだろう。
 木曽の山の中の、農家の若い息子が町議選に立たざるを得ない立場になる。しかも、何年か地元を離れていて、結婚とともに、親を援ける必要もあって帰ってきて間なしだ。勝算なしに、ともかく情けない票数にはしたくないとして夫婦で頑張り、見事当選を果たす物語。もちろん50年前の話だが、いつの時代でもその「時代」が描かれていれば価値がある。
 作者紹介が付いている。「民主文学」で作者紹介があるのは、本誌初出という意味だ。82歳、本誌初出と言っても、相当書きなれた人なのだろう。見事な出来栄えである。

川澄 円「SOS研究会」
 こちらは36歳。前作者の半分か、へたをすると3分の1くらいの年齢だ。しかし、これも面白い。読ませる。
 LINEによるいじめという、まさに現代の問題そのものを扱っている。
 むかし、パソコンが出始めのころに、宮部みゆきがNET空間の仮想家族から、たしか殺人事件へと発展する小説を書いたりしていた。仮想家族の父親、母親、息子、娘というのが実際にはぜんぜん年齢も性別も異なっていて、それがOFF会であからさまになる、というものだったと記憶している。
 最新の社会現象を素早く取り込んでミステリーを作り上げているのに感心した。
 これも、そういう点で評価できる。軽い文体で読ませる力がある。
 ただし、惜しいなと思うところがたくさんある。
 高校1年生の幼なじみの男女が、物語のけん引役で、ふたりの軽妙なやりとりから始まる。じつは、これを最後まで引っ張ってほしかった。なのに、物語に入ってしまうと、二人のやりとりがなくなってしまう。これをたいへん惜しいと感じた。幼なじみの男女というのは、恋愛感情があるような、ないような微妙なフィーリングがあるわけで、着かず離れずというそういうコンビを持続させつつ話を展開できたら、もうひとつ面白い小説になったはず。
 あと、ひきこもりになったくるみさんに接触してから、くるみさんがLINEといじめの過程をしゃべりはじめるところがとんとん拍子に行き過ぎている。いきなり初対面のしかも下級生にべらべらしゃべる筈がない。ここはもっとしっかり書き込んでほしかった。ストーリーの展開を急ぎすぎているのだ。
 そのあと、SAWなる存在を突き止めていくところ、これは若い人には常識的なことなのかもしれないが、ここもずいぶんあっさり犯人が見つかってしまう。こんなに簡単ではSOS研究会の名が泣くのではないか。じっさい簡単なことなのだとしたら、どうしようもないが、物語の一番大事なところだから、捜査過程をしっかり書いてほしいのだ。我々年寄りにはここがよくわからないということもある。
 なつきさんの白状も早すぎる。ここはもっと劇的でなければなるまい。
 説明で済ましてしまっている個所をちゃんと生で見せねばならない。
 物語を面白くするための、小説的な仕掛けをしっかり作りこんでほしいということである。ストーリーだけを書くのならだれにでもできる。NET小説が書いているのはそういう小説だ。でもほんとうに苦労するのはその先なのだ。この作品は、せっかくそれをやりかけながら、途中で妥協してしまっている。
 あと単純ミス、2件。
「おしゃれな住宅が並ぶ一軒家」
 並んでいたら、一軒家とは言わない。一軒家とは野中の一軒家である。ここは「一戸建て」もしくは「戸建て」と言うべきだろう。
「朝陽たちをぼんやり見ていた」→「わたしたち」
 もっとも現代っ子は自分のことを「わたし」と言わずに名前で言ったりするので、現代的表現なのかもしれない。
 最後の「月子ちゃん云々」は要らなかった。これはせっかくの物語を壊している。SAWの一件だけに集中するべきだった。

野里征彦「蛍火」
 これは力作だ。この人はやはりほんとうの作家だ。
 フィリピンに送られて、飢えに苦しみながら米軍の砲撃から逃げ惑う日々。
 柳田たちは脱走する。
「わだしは思うんでがんす。戦というのは、背後さ兵站を確保しながら進軍するものでながんすべか。それなのに輸送船が片っ端から沈められでしまうような、補給もままならないような、こったな南の島のあっちこっちさ、何してこったに戦線を広げだんだべってなっす。敵にとっては補給を断って各個撃破する、もってこいの陣形でがんすべや。見だ通り、戦闘もなにもあったもんじゃながんす。このままみんな、餓死で死んでしまうのは眼に見えでおりあんす。まるで、小学生にも分がるような……」
「確かに、かしこい人間の考える作戦やない。だいたいこんなアホな戦争を始める人間に、かしこい奴が居るわけがない」
 まったくのところ、日本の軍隊というのは軍隊と名乗るのも恥ずかしいようなお粗末な組織だったのだとしか思えない。だが、それならかしこい軍隊ならいいのか、と聞かれても、そうとも言えないわけではあるのだが、実際のところ、あの戦争のばかばかしさだけは度を越していた。それは何度でも書かれる必要があるだろう。
 この脱走三人組「どうせ殺されるなら、敵に殺されるも味方に殺されるも一緒だ」の一人は横居君で、これはたくましくジャングルで生き残りそうな存在(つまり横井さん)。あとの二人は米軍に降伏しようとするのだが、一人は弾もない鉄砲を持っていたばかりに撃たれてしまう。柳田君は白旗掲げて立ち上がるか、殺されたか生き残ったかは不明である。小説はそこで終わる。

 さて終わりにエッセイの紹介
窪島誠一郎「無言館の庭から」
 これは小説よりも面白いです。ぜひ読んでください。水上勉の行方不明になっていた息子です。20歳そこそこで無一文からスナック経営で成功し、私費で美術館を作った男。その心のなかはとても複雑です。人生が小説であるような人物。
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コメント
44: by 矢嶋直武 on 2019/08/18 at 19:27:28

お久しぶりです。ブログはいつも読んでいます。窪島さんのエッセー、ぼくも感動しました。あの魅力、あの力は何でしょう。石崎さんに、同感! の気持ちを伝えたくてコメントしました。

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