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誤読の続き、および目取真俊について

 意図せずして、読者に深い感興を与える作品ができてしまう、ということもあるのだろう。そういう場合、作者が自作を語るとがっかりしてしまったりする。なんだ、それだけ? という感じ。とはいえ、もちろん、作者が語りきれなかったということも当然ある。いずれにせよ、作者が何を言おうと言うまいと、出来上がった作品は作者の功績だ。読者に与えた感興に釣り合うだけのものを作者は内包している。思想的にも、技術的にも。無意識にでもね。
 でも、作者はできるだけ自作を語らないほうがいい。そう思っても、結局、語ってしまうんだけれど。

 誤読問題をいろいろ考えさせられている。
 少し違う問題だが、目取真俊の「オキナワン・ブック・レビュー」について。
 ぼくはこの作家の名前も知らず、「水滴」で初めて読んだのだが、併載されていた「オキナワン・ブック・レビュー」がまったくのフィクションで、天皇教をからかった作品なのだ、ということは読んですぐ分かった。読んだのはかなり以前なので、なぜわかったのかということは、いますぐには指摘できないけれど、ともかく分かった。
 そして、わからない読者もいるだろうということも推測できる。でも、誤読されたら、はたして害があるだろうか。天皇教信者がますます確信を持ったり、反対派が考えを変えたり、ということがあるだろうか。ないだろう。この作品にそういう影響力はない。では逆に、この作品によって、天皇教信者が反対派に寝返ったり、反対派が励まされたりするだろうか、ということも、おそらくない。そういう影響力のある作品でもない。ではいったい何なのか、と問われねばならないのだろうか。作品というものはなにかの効果がなければならないのか。
 推測するに、目取真俊はこれを憂さ晴らしで書いた。天皇教信者をからかってみたかった。遊び半分で書いている。それでよいではないか。誤読する読者にはさせておけばよい。そう思って書いている。
 目取真俊がどういう思想の持主であるか、ぼくは知らない。だが作品は作品だ。思想を確認しなければ感想を言えないわけでもなかろう。
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