FC2ブログ

プロフィール

まがねとおる

Author:まがねとおる
無名人
新潟の同姓同名はまったくの他人
以上

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

FC2カウンター

カテゴリ

リンク

RSS

山形暁子「軍艦島へ」(「民主文学」19年5月号)

 前項(「難文問題」5月5日)を書いてしまったので、責任上も、しまいまで読んだ。
 結果としては、納得した。興味深い作品だ。
【広島・長崎の被爆者総数が約七十万人で、そのうち朝鮮人が七万人、つまり十人に一人が朝鮮人であり、爆死者は六人に一人、四万人もの朝鮮人の命が奪われていたこと、しかも、生存した被爆者約三万人のうち約二万三千人が、戦後になって帰郷したが、海外での居住を理由に、日本の被爆者援護法の適用はおろか、まともな治療さえ受けられずにきている】(86ページ)
 少しわかりにくい文章だが、たぶん被爆者全体のうちの爆死者が六人に一人、即ち約十二万人であるのに対して、朝鮮人は七万人のうち四万人もが死んでしまい、生き残ったのは三万人だけであった、という意味なのだろう。つまり爆死者十二万人の三分の一が朝鮮人だったことになる。
 にわかには信じ難い数字で、文章の解釈を間違えているのかもしれないのだが、このとおりだとすると驚くべきことだ。
 いま、事実確認する時間的余裕がぼくにはない。だが、これは近いうち確認してみる必要性を感じさせる。
 ここが一番ショックな部分。

 あと、実際に訪れた軍艦島の様子。
 および世界遺産になった経過。
【軍艦島と言えば、誰もが高層建築の廃墟を連想されると思います。ですが、ユネスコへ提出する推薦書には一九一〇年までのものという下限があるそうですので、大正、昭和に建てられた建物がほとんどの廃墟は登録対象にはなっていないのです】(83ページ)
【そうよ。認めたくはないのよ。だってね、日本が軍艦島などを最初に登録申請しようとしていたのは、「九州・山口の近代化産業遺産群」だったのを、岩手県と静岡県を加えて、「明治日本の産業革命遺産」と変えたのも、強制労働を隠微するためだった、と言われているくらいだからね】
【一九一〇年という下限が付けられていたこともね】
【それでさっきね、一九一〇年が元号でいうとどうなるのかアイパッドで調べてみたら、何と明治四十三年だと分かったの。明治って四十五年まであるのに何でと思って、さらに「朝鮮の歴史」で検索してみたのね。そうしたら、何と出て来たと思う?】
【一九一〇年は、日本が朝鮮を植民地化した年だったってこと?】
【そう正解よ】
【これならば、韓国から強制労働の責任を追及されても、「時代が違う」の一言で躱せる】(88~89ページ)
 ここだけを読んでもピンと来ないかもしれないが、小説の流れの中で読むと、とても納得のできる会話である。
 もちろん軍艦島でも大勢の朝鮮人が死んでおり、それが広島・長崎とつながる。
(用語で一箇所疑問。「隠微する」と動詞で使われている。ふつう「隠微な」というふうに形容詞として使われ、「隠れている微細なもの」という意味合いだが、ここでは、「隠す」という他動詞的な用法で使われている。こういう用法があるのだろうか)

 この小説は民主文学の支部長である主人公(三人称高齢女性)と、少し若い男性事務局長との心理的もつれから書き始める。軍艦島に到着するまでが長いのだ。その部分が「のだった小説」で、「のだった」「のだった」とどこまでも続いていく。過去に読者を連れていかない。作者だけが回想する。しかしいったん軍艦島に向けて動き出すと、アットタイムになり、やはり小説が生き生きしてくる。
 すると逆に、冒頭部分は何のためにあるのか、いきなり軍艦島上陸から書けばいいだろう、と思ってしまう。
 ところが、さにあらず、最後に始めと終わりとがぴったり重なる仕掛けになっている。それは読んでのお楽しみ。
 疑問箇所はいくつもあるが、全体としては読ませる作品。

 だが、前項であげた「難文問題」や「のだった」の連続や、こういうところがはじめにあると、読者が挫折するのではないかと心配する。
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
▼このエントリーにコメントを残す