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タイムマシンが書けない

 そろそろ「タイムマシン」の後編にかからねばと思い、どう書いたか思い出すために、前編を読み直した。そこで躓いた。前編と同じ文体を再現できそうにない。
「ふくやま文学」のメンバーに送ったときに、一人から、「いままでと作風が違う」と言われたが、そのときは「そうかな」という感じだった。しかし、いま、彼女の言がつくづく思い当たる。たしかに、これはぼくの文体ではない。いま、同じ文体が書けそうにない。
 これはつまり、内容以前の問題だ。内容も、じつはどう書くかさっぱりわかっていない。書き始めたらペン先から物語が生まれてくるのがぼくの方法なので、書き始めさえしたら、なんとかなるかもしれないと思っていた。
 ところが前編の文体を取り戻せないとなると、書き始めることもできない。前編と後編とで文体がガラッと変わったのではぶちこわしだ。だいたいそれでは話が進まない。別の物語になってしまう。というか、そもそも物語が成り立たない。
 あれを書いたころ何を読んでいただろう、と思い返している。そのとき読んでいる本の影響をどうしても受けるからだ。それがわかれば、それをもう一度読んでみるという手があるかもしれない。
 書いたのは2013年である。それは分かっている。作中に「2013年から来た」と書いてある。ジャストタイムのその年にしたと覚えている。
 2009年の9月いっぱいで退職し、その暮れに単身福山に来た。リーマンショックの直後だった。そのころ人に出した手紙の草稿がパソコンに残っていて、「湯浅誠、雨宮処凛、ドストエフスキーを読んでいる」と書いてある。
 一年後の2010年の秋から、「民主文学」に復帰した。数年は雑誌の隅々まで読んでいた。「盗難」と「ノロ鍋始末記」とを書いた。
 2011年に津波と原発の崩壊が来た。原子に関する本を何冊か読んだ。
「まがね」の掲載料が負担になり始め、「民主文学」にも載せてくれそうにないので、人に読んでもらう方法として、ブログを始めた。ところがじきに気づいた。ブログで人が読むのはブログ向きの話だけだ。
 その頃からすでに書けなくなっていて、30年前に書いたものばかり再発表してごまかした。「タイムマシン前編」は例外的に書けた。「盗難」「ノロ鍋始末記」「タイムマシン」だけが新作で、あとはすべて30年前の作品だ。「三郎」も「平井真」も「スプーン」も「失われた夜」もほぼそんなところだ。あっと「コスモス」は新作だった。だが、これは駄作だ。これも書き直したいが、できるかどうかわからない。
 それで、結局何を読んでいただろう。13年のころというのは、シールズのころだろうか。高橋源一郎を読んでいたころか。あとは雑誌を読むのが忙しくて、まともな本が読めなかったかもしれない。「福ミス」の入賞作品を片端から読んだのはいつだったか。どうも思い出せない。

「タイムマシン」はもちろんウエルズだが、文体が誰の影響なのか、わからない。ウエルズを読み直してみるか。いずれにせよ、少し文学的なものを読み直す必要がある。
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コメント
32:小説の神様 by 石崎 徹 on 2019/05/05 at 22:52:53 (コメント編集)

 小説の神様が降りて来るような気配、やりましたね。そう感じたときがチャンスです。
「民主文学」でいろいろ読んできましたが、最近は、あまり書きなれていないようなお年寄りが、むかしの自分たちの身のまわりに起こったようなことを素直に書いているものをわりと好ましく思うようになりました。とうていプロにはなれそうもない文章力ですが、読ませるものがあります。プロには書けないようなことを書いています。ノンフィクションの強みを感じます。
 もっとも、そういうものはぼくには書けません。ぼくはやはりフィクションを書いていくだろうと思います。でも、体験を下敷きにしたフィクションです。まったく体験していないことは書けません。
 まだ小説の神様が降りてこないので、もう少しかかります。

31:私の分が宇 by 木沼駿一郎 on 2019/05/05 at 18:47:18

 追記なのですが、「日本民主文学会」に加入していますが、多分私が求めている文学とは違うような気がします。それでは、何かと言われると困るのですが、模索中です。80歳を前にして、迷うのの面倒なことです。工業高校を卒業して初めて勤めて会社の同年齢の人間が死んでいます。酒を飲み、健康にもあまり気にしないで生きてきた自分が長生きして不思議な気がします。自分の目指す文学とは何か未だにわからない状態です。

30:毎日書き続ける by 木沼駿一郎 on 2019/05/05 at 18:38:56

 今年、芥川賞をもらった作家は、毎日仕事に行く前の早朝1、2時間を創作に当てているみたいです。
よく言われるのは、ピアニストやスポーツマン」・ウーマンが一日でも練習を止めると、元に戻ってしまうということです。小説書きも同じです。毎日買い続けるということが大事なのでしょう。石崎さんは、多分そんなことはないと思うのですが、私の場合はアル中気味です。酒に溺れています。この間、読んだものに野間広は酒を飲みながら創作をしていたそうです。プロになるなら、女と酒を絶つくらいのことをしないと駄目なのかもしれない。なんだか小説の神様が降りてくるような気配を感じます。少し前までは、民主文学に小説が載って会員になることも夢想しましたが、現在は無名に徹するという心境です。「樹宴」には、力を入れた小説を書いていきます。

29:人生楽しんだもん勝ち by 石崎 徹 on 2019/05/05 at 09:38:40 (コメント編集)

 樹宴同人としては少し寂しいですが、創作に意欲がわかなくなることはよくあること。ほかに楽しみがあるなら、それでいいじゃないですか。映画はぼくも好きです。テレビはまったく見ないが、洋画はときどき録画しておいてみます。日本の映画はセリフを聞きとれないので、字幕のある洋画の方がいいのです。映画を観ると、ストーリーよりもシーンのほうが大事だ、ということが実感できる。小説を書くときの参考になります。
 木沼さんは音楽も楽しんでいる。うらやましいです。音楽はぼくには遠い世界です。

28:文学やる気を失った by 木沼駿一郎 on 2019/05/05 at 06:55:45

<「民主文学」にも載せてくれそうにない>とありますが、準会員なら投稿ということができるらしいです。新人賞に応募しては、どうでしょうか。石崎さんの筆力なら、入選間違いないと思うのですが((^_^)
 私の場合は、老人性鬱病でやる気が失っています。井上光晴も途中で断念。では、何をしているかと言えば、スパイやSF映画をぼんやりと見たり、安いアンプやスピーカーを落札しては、図書館から借りてきたジャズなどを聴いて、音の違いなどを楽しんでいます。ピアノの音がきれいに出る装置が欲しいと思っています。

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