FC2ブログ

プロフィール

まがねとおる

Author:まがねとおる
無名人
新潟の同姓同名はまったくの他人
以上

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

FC2カウンター

カテゴリ

リンク

RSS

4月1日

 月曜日のこと、ぼくはめったにテレビのスイッチに触ることがないが、老化現象著しく、大阪の選挙が終わったと思い込んで、結果を知ろうとスイッチを入れた。
 とたんに、お祭り騒ぎが飛び込んできてびっくりした。きょうこの問題に無関心なのは日本中でおまえだけだ、と思わせるような騒ぎである。もちろんそんなことはない。話題作りがメディアの飯の種だから、騒いでいる人だけを写しているので、無関心な人は写さない。のだが、それでも平成のときと違ってかなり盛り上がっているのは事実だろう。
 ぼくだってイベントは大好きだから、人々が喜んで騒ぎ立てるのに異議を申し立てるつもりはない。酒飲みがなんにでもこじつけて酒を飲むのと一緒で、イベントというのは意味のないことに意味をこじつけてでも楽しむ。そもそも文化とはそういうもので、それが人間生活を豊かにしているのだから、それでいいのだ。
 節分と巻きずし、バレンタインとチョコレート、ハロウィーンのバカ騒ぎ、金儲けの仕掛けづくりに忙しい商売人たちと、話題が欲しいメディアと、楽しみたい我々と、合意の下でイベントを作り上げてきたのだ。
 ただ、今回のイベントは少し違う。国家権力が背後にいる。商売人とメディアと一般人と、三者だけの騒ぎなら目くじら立てない。だがそこに国家権力が加わると、やはり嫌な感じがする。こんなにもやすやすと人々は国家の宣伝に乗ってしまうということを見せつけられている。

 万葉集はぼくも好きだ。たいして読んでいないが、岩波新書の北山茂夫「万葉の時代」は愛読書だった。中西進先生も好きだ。いつも楽しみに読んでいる。だからケチをつけるつもりはない。令は命令の令で、命令に従う人々の姿形の整っている様から、「よい」という意味に転化したという経過があっても、漢字とはさまざまな経過から生まれて、さまざまに使われてきたのだから、それはそれでよい。
 もとは中国古典だ、といわれても、そもそも漢字は中国語だから仕方がない。元号も中国の真似だし、一世一元の制も真似だ。すべて中国に何百年も何千年も遅れて真似ている。でも明治に入ってヨーロッパ語から漢字への翻訳は日本人がやり、それを中国人も使っていると安倍君が言ったのもほんとうだ。文化はおたがいに影響しあう。なんの問題もない。
 中国をいやだと言うなら、漢字を使うのをやめたらいいだろう。ひらがなで元号を作ればいい。ひらがなももとは漢字だが、漢字には意味があるが、ひらがなにはない。これは日本人が自由に使える文字だ。たとえば「あきらか元年」だとか「きよらか元年」だとかする。
 ここまで徹底すれば、ほめてやる。

 秘密の保持に徹することで、人々の関心を盛り上げた。うまい作戦だった。意味のないものに意味を与えた。
 だが、問題がある。それは元号が単に文化ではないということだ。つまり元号法というものがある。法律なのだ。法律が秘密裏に運用されるということは問題だ。これが法律ではなく、国家と関係ないところで作られるなら、それは純粋に文化だ。だがいまの元号はそうではない。
 元号が国会を経ずに内閣で決定されたことを問題視する投書が新聞に載った。当然だろう。法に関する権限は国会が持っている。たしかに法の運用は内閣の権限だが、どこまでが国会で、どこからが内閣かは、微妙な問題だ。それを判断するのは司法の役割だが、日本の司法はあまりそういう役には立っていない。

 しかし、よりによってエイプリルフールにやるかねえ、まあ、エイプリルフールもイベントに過ぎないが。
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
▼このエントリーにコメントを残す