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大浦ふみ子「こん畜生」(「民主文学」19年4月号)

 ぼくの小説観が変わったのか、それとも作者の書きかたが変わったのか。
 好きな作家なのに、今回作はとても読みにくかった。
 この作家の作品評をこのブログに3回書いている。
 11年8月「佐世保へ」
 17年3月「谷間にて」
 18年3月「燠火」
 最初と二回目の間が空いているが、たまたまぼくが読んでなかっただけで、たぶんその間も発表しているだろう。
 いずれも好評している。ストーリーはすでに忘れているが、よい作品だったという印象は残っている。
 だのに、今回作は何度も引っかかって、すらすらと読めなかった。
 以前の作品を読み直していないので、今回作とどこが違うのか、あるいは違わないのかというのはわからない。
 今回作の読みにくかった理由を書く。

 最初に言っておくが、ともかく最後まで読んだ結果、その内容には興味を引かれた。三菱長崎造船の労働者の半世紀にわたる労働と闘いの記録である。
 それを女性作家が書いている。登場人物たちはほとんど男ばかりだ。女性作家がここまで書けたということは評価したい。

 だが、そのせいかもしれない、あるいはそう思って読むからなのかもしれないのだが、現場の臨場感が感じられない。男臭さが欠けている。
 回想文なのだ。現在と過去とを行きつ戻りつしつつ書いていく。田島一の「時の行路」によく似ている。そしてぼくが感じる読みにくさも、その点なのだ。
 回想が必ずしも悪いわけではない。だが、「いまから過去に帰るぞ」と最初に宣言してどっぷり過去を書いてくれたら、いっそすっきりしただろうと思う。つまり過去を過去形ではなく、現在形で書く。読者を過去に連れていく。直接話法で過去を書く。読者と過去とを対面させる。ぼくが欲しいのはそういうものなのだ。ぼくの目の前でドラマが展開してほしいのだ。
 だが、作者が使っているのは、「時の行路」でおなじみになったあの方法、主人公が何かしながら過去を思い出し、しばらく経つと現在に戻る。戻ったかと思うとまた過去に帰る。
 <がくんと船が揺れ我に返ると>
 我に返ってもかまわないが、2行もせずにまた過去にもどる。せわしなくて、目の前に絵を描けない。ぼくは絵を描きながら小説を読むので、こういうことはたいへん困るのだ。
 もちろんそういうやり方で効果を上げる小説もある。わざと読者をめまいさせていくような、めくるめく物語だ。これは高等テクニックである。特殊な技法であって、ふつうの小説に使うような方法ではない。簡単に成功するような方法ではないのだ。
 ぼくの眼から見ると、この作品の場合極めて安易にとられているように見えるこの手法は、アマチュア作家によく見受けるような気もするが、ひょっとすると日本の小説の歴史のなかに、もともとある手法なのだろうか。ぼくは日本の小説をほとんど読んでいないので、これは誰かに教わりたい。
 物語は1965年から始まる。三菱長崎造船の労働組合を会社が分裂させて御用組合を作る。ほとんどの労働者がそちらに流れていくなかで、第一組合で戦い抜いた人々の物語である。人々と書いたが、じつはここで書かれているのは二人だけだ。この二人がどちらも主人公なのだが、その片方の視点で書く。視点人物から見られているほうの人物はかなりよく書けている。こちらが主人公としてもよい。そのわりに、視点人物のほうがあまり書けていない。
 中途半端になった。この短い作品で半世紀を書こうとしたら、主人公は一人にすべきだった。二人を書くのなら、時代を絞るべきだった。長い時間帯の中で二人の人物を書こうとするので、結局文章が説明口調になってしまい、描写が存在しない。シーンがないのだ。読者が立ちどまってつくづく感じとれるようなシーンがない。
 通俗的なセリフが目立つ。<あんないい人が><泣いている場合か>
 もちろん労働者だから、通俗的なセリフしかしゃべれないが、それが生のまま小説に出てきては困るのだ。いや、いっそ生らしく書いてくれればそれも一興なのだが、なんとなく小説的に書かれては困るのだ。そこに現場の血と汗とが感じられるような形でしゃべらせてほしい。
 南城氏の「いっぽ」は文章は下手だったが、現場の雰囲気には間違いがなかった。労働者の肉体が感じとれた。大浦さんの文章は整っているが、実在感がない。
 長い闘いなのに、二人だけだ。他の人の顏が見えない。いや、二人を書くにさえ不足する枚数なのだからそれ以上書けないが、なんだか二人だけで闘っているように見える。やはり二人を書こうとしたことが無理だったのだろう。どちらか一人に絞れば、かえってその周りの人も登場しやすかったのではないか。
 二人を書いているので、<彼>と出てきても、とっさにはどちらの彼か判断しかねる。視点人物が視点人物になりきれていないのだろう。
 時間の経過がほとんどわからない。50年間がどういうふうに流れていったのか、そこがいちばん大切なところだと思うのだが、時間がごちゃごちゃになっている。
 組合分裂問題、不当労働行為、差別、労働者の対応、御用組合員への働きかけ、合唱団、演劇グループ、腰痛による病休、そしてじん肺、最後に軍艦問題と、あまりにも問題が山積みすぎて、これでは無理だ。千枚くらい書かねば書けない内容だ。短編はもっと問題を絞らねば。
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