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「民主文学」19年1月号~

「民主文学」の評をずっと書いてない。読めてないこともあるが、少しは読んでいる。書く暇がないのだ。
 1月号は例会で取り上げたこともあって全部読んだ。能島、仙洞田はそのときに確か書いた。
 櫂悦子も面白く読んだ。「謝辞」と全然違う作風で、こんなものも書くのだと興味深かった。
 散髪屋の老婦人と、その亡夫の幼馴染である鍛冶屋のおやじ、そのそれぞれの労働と会話がうまく調和していた。ただ話が最後に息子のことに収束していくのに、相手の女性がうまく書けているわりに、息子の存在感が乏しいのが気になった。
 それと「日本人離れした」というと普通、脚が長くて彫りの深い西洋人ぽさを誉める形容として使うが、ここはコンプレックスとして使っていて、違和感があった。
 横田昌則も面白く読んだはずなのに内容が思い出せず、いまめくってみて、多少思い出した。部下の怠慢を責めていた筈なのに、責められるべきは自分だったのだと気づく、その逆転劇がなかなか小説的だった。そういう小説的仕組みでもって、介護現場だかの深刻な人手不足を訴えている。
 出来のいい作品なのになぜ記憶に残らなかったのだろう、と思案している。(単にぼくの老化現象かもしれない)。
 同様のことは、かなれ佳織にも言える。この人の作品もいまめくってみてけっこうおもしろく読んだはずだと、思い出した。なのにすでに内容を忘れていた。読み手のがわに、老化現象もあれば、身辺にもいろんなことがありすぎて、読書の記憶がすぐに吹っ飛んでいく。
 桐野 遼「ときどき、不可解」
 これも内容の細かいところは忘れたけれど、ただ印象は強かった。女性の視点で夫を書いている。再婚どうしだ。民商の活動家だ。中高年再婚して20年経ったが、夫は過去を語らない。あなたの過去を知りたいと妻のほうから言いだして、夫が捨ててきた北海道へ二人で訪ねる。そこで夫の過去に少し触れる。それ以上立ち入ったことは書かない。そして夫の意味不明の言動に触れるつど、妻は「ときどき、不可解」とつぶやく。それは不可解なものを許している言葉なのだ。
 2月号の鶴岡征雄、50年前の青春記だが、小説としての面白さが十分にあった。青春はどの時代でもいい。変に理屈っぽくせず、型にもはめず、ひとつの個別の青春として書いているから、それがかえって時代を浮かびあがらせる。
 秋月礼子「樹々のそよぎ」
 これがたいへん印象的だった。内容はほとんど忘れても、強い印象を受けた作品はその印象は残る。
 精神を病んでいる人たちの話で、登場人物たちはすでにそんなに若くない。だが若さを感じさせる。爽やかさがある。語り口が独特なのだ。短い作品だが、さらに短い幾つものシーンをつなぎ合わせたような感じ。その行間から人生への愛おしさが立ち昇ってくる。
 なかむらみのるは書き出しの文章に問題があり、終わりまで読んだはずだが、印象が残っていない。
 3月号。
 巻頭作で躓いた。
 いま、いろんな仕事を抱えていて、すっと心に入ってこないものはなかなか読む気になれない、というこちらがわの都合もあるのだが、2、3ページで挫折した。
 ぼくに言わせるとこれは小説の文章ではない。説明文だ。視点のないのがよろしくない。視点というものが常に必要だとはぼくは思わないが、作品によっては視点が欲しいと思わせてしまうものもある。
 事実とは何だろう。事実は平板なものだ。事実には何もない。これを意味づけるのは人間である。熱いと言い、冷たいと言っても、そう感じるのは人間であって、人間がいなければ熱いも冷たいもない。事実は主観を要求する。誰のまなざしのもとにとらえられた世界なのか。誰が見ても同じ世界、同じ事実というものは存在しないのだ。
 ぼくは文体とはそういうものだと思う。
 それがなければ小説ではない。
 というわけで3月号は読む気がしなかったのだが、(巻頭にどれを持ってくるかは重要だ。巻頭が悪いとその先を読む気がしない)、ふと、野里征彦の名前を見つけて食指が動いた。とやかく言ってみても、ファンというのはそういうものなのだろう。
 野里征彦「静かなる酔っ払い」
 書き出しからすっと読者を入らせる。うまい書き出しだ。アマチュアは書き出しで肩肘張る。慣れた人は何気なく書き出す。ように見えるが、その何気ない書き出しを生み出すのが才能なのだ。
 途中何度か躓いた。
 車のなかで兄弟が亡父を語る場面。最初のうちはいいのだが、露骨に安倍内閣批判が始まると、これが父親の語る場面の同時中継ならいいが、兄の口から思い出として語られると、安っぽくなってしまう。
 その後、偲ぶ会でさまざまな人が父を語る。これはどうもちょっとという感じがしたが、どれも短く、繰り返しにはなっていないので、まあ、読ませた。最後の一行でうまく締めた。
「おれたちは親父の意思を少しは受け継いでいると言えるのだろうか」
「……」
 この兄の沈黙がいい。
 「こつなぎ物語」以来の野里ファンなので、点が甘くなったかもしれない。
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