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不破哲三「新・日本共産党綱領を読む」批判

 2008年の末からの2年間、ぼくは毎月のように県党に文書を手渡してきたが、いま読み返すとあまりにも散漫にさまざまなことを書きすぎていて、読者に供すべきものではない。最後に少しだけましと思えるものを書いているので、それを公表して終わりとする。
 この文書の中心は現代中国分析となっているが、経済の分析などはすでに時代に合わなくなっている。中国経済はぼくの思っていた以上の変化を遂げた。
 全体は不破哲三著「新・日本共産党綱領を読む」新日本出版社2004年への批判である。この種の文書は原著からの引用を明らかにしつつ書くのが本来であるが、それをはしょっているので、原著を読んでない読者にはわかりにくいだろう。その点は申し訳なく思う。
 また、内容に明らかなとおり、ぼくはマルクス主義関係の文献も、現代史関係もほとんど読んでいない。しかし一市民としてこれだけの疑問があるということを言いたかった。
 批判は歓迎します。
   
     不破哲三「新・日本共産党綱領を読む」  2010年7月
                                 石崎 徹

 1年半にわたって、日本共産党綱領を読む中で生じた疑問を文章化してきたが、回答らしい回答を与えられずにきた。このたび、不破氏の著作を読む中で、解決した疑問もあれば、未解決のままに終わったものもある。
 ここに、それらをまとめて提示してみたい。
 いま、取り掛かるにあたって、かなり大変な作業になりそうだな、という予感がある。問題が多岐にわたっているうえに、ぼくの知識が限られているからだ。ぼくはマルクス関連の書物もあまり読んでいないし、世界と日本の近現代史も勉強していない。国際共産主義運動に関してはまったく無知である。
 また、綱領を理解するうえでの基本的文書とされている「7中総提案報告」も「23大会報告結語」も今回読む時間がとれなかったし、不破氏がところどころであげている、氏自身の手になる参考文献(膨大な量)も、読んでいない。(たぶん今後も読めないだろう。こういうことにかかずらっていると、ぼくはいつまで経っても文学に戻れないのだ。あす死ぬかもしれないのに)。
 ただ、そういった事情が、逆にぼくの強みになりうるのではないかとも考えている。というのは、ぼくは一般大衆のものの見方を、ある意味代表できるのではないかと、思うからである。
 ぼくらの接する現実と不破氏の論考との矛盾、また不破氏の論考自体に見られる矛盾について、これから書いていこうと思う。

1、解決した疑問

①「綱領は内部文書ではない」「世間の人々はそれによって党を判断する」エンゲルス「ゴータ綱領批判」
 いちばん最初に不破氏はこの言葉を掲げる。ぼくにとっては力強い援軍であった。というのは、綱領があまりにも世間の関心とずれていると思われたので、もしかしたら、これは内部文書で、党外の人間には関係ないのかと思わざるを得なかったからである。
 したがって、綱領が、世間の関心に応え得ているかどうか、というぼくの疑問を全面的に展開する根拠を、ぼくは不破氏によって保障されたわけである。

②「社会主義をめざす国々」という規定を適用できるのは、「現実に社会主義への方向性を持っていると明確に判断できるときだけ」であり、「その国の指導部の見解を鵜呑みにしない」
 これも、不破氏による心強い援軍であった。その理由は今後の論考の中で明らかになるだろう。

③「それぞれの分野で、もっとも切実な、そして最も広範な人々を結集できる要求がどこにあるかを調査・研究すること、実践面でも、そういう運動の前進に協力し、また先頭に立つことが、私たちの政策活動の重要な内容となってきます」
 これもまさにぼくの言いたいことであったが、実際の党活動がそうなっているとは思えない。これは最後に、最も重要なポイントとなるであろう。

④「ソ連の誤った経験は、21世紀に社会主義・共産主義の事業を成功させるためにも、詳細な研究を必要とする」
 まったくそのとおり。それでこそ、ぼくも論じ甲斐がある。ただぼくはソ連をまったく研究していないので、詳細には論じられないが、それでもいくばくか言いたいことはあるし、いま喫緊のテーマとしては、中国を可能な限り詳細に論じたいのだ。
 以上が解決した疑問のおもなものである。ほかにもあると思うが、論じていく中で、おいおい触れることにしよう。
 それでは本文に入る。

2、綱領はなぜ戦前の歴史から始まるのか

 これはぼくが最初に提出した疑問であった。これについて不破氏は2点あげて答えている。①「戦前の歴史が、日本共産党の活動にとって原点」である。②それを知らないと「いまの問題を明確に深く理解できない」
 これはどうも共産党特有のこだわりであるようだが、一般人が知りたいのは共産党の過去ではない。いまの問題をどう捉え、どうするつもりなのか、ということである。党の歴史は党史に書けばいい。綱領が、まず、一般人があまり関心をもてない、党のいわば個人史から始まるのでは、手前味噌という感じで、それだけで読む気が失せるだろう。
 できる限り短い文章の中に、どう要領よく、正確に、分かりやすく、しかも人の心を捉えて、読む気にさせるものとしてまとめあげるか、ぼくもいますぐ例示することは不可能だが、やはり最初にいま、世界と日本で問題になっているのがなんであるか、ということを書くべきだし、そこにいたった原因としての近現代史を要領よくまとめることが必要であろう。
 この近現代史で、気になっているのが、日本史が最初にあって、世界史は後のほうにならねば出てこないということである。確かにごく一般の日本人にとっては世界史は縁遠いテーマかもしれないが、少なくとも政党の綱領を読んでみようとする人間にとっては、まずその党が世界をどう見ているのかということは気になるはずである。
 その日本史を見るとほとんど戦争史である(特に不破氏の解説は。綱領の記述もそれに近い)。明治維新以後の日本の政治、経済、社会の変化、特にその進歩的側面は無視されて、ただ矛盾点のみに触れている。一般に資本主義の発展は人類の進歩であるという観点がない。
 不破氏の解説は戦争の原因を天皇制のみに求めている。戦争の解説全体を通して伝わってくるのは、戦争をイデオロギーのみで捉えようとする姿勢である。
 確かに戦争は常にイデオロギーの仮面をかぶっている。戦争遂行者たち自身がみずからのイデオロギーを信じているという側面がある。だが、戦争がイデオロギーによって起こるということはほとんどありえないことだ。戦争はいつの時点でも、経済的欲求なのであって、たとえば領土的野心などというイデオロギーは、表面的なものに過ぎない。それが経済的に利益がなければ、このイデオロギーは現実の前に潰えさる。日本の資本が欲しかったのは、中国の石炭と鉄鉱石なのだ。そしてそのほかの経済利権だ。拉致した何万もの中国人労働者の奴隷労働によって、日本はただ同然で石炭と鉄鉱石とを手に入れ、これによって急速に近代化していった。日本は敗戦によって焼け野原となるが、近代的工業化が日本人に施した教育は残った。これが戦後の日本にとって決定的だったし、それは中国人の犠牲によって始めて可能となったものだったのである。
 もちろん、綱領にこんなことを具体的に書いていたのでは、長くなりすぎるだろう。だが、不破氏の解説には、戦争をイデオロギーでしか捉えていない弱点が明らかにある。そしてこれが現代日本社会の分析、日本の位置づけという後のほうのテーマに直結してくる。

3、占領政策

 占領政策についてはぼくの知らない事実がかなりあった。その点は勉強になった。
 だが、アメリカがその統治の初めに、なぜ一連の民主主義的改革を行ったのかという点に関して、不破氏の触れなかった重要な問題があると思う。
 アメリカは西ヨーロッパのほぼ全域も占領したが、アジアでも、アメリカが占領したのは日本だけではない。フィリピンや、太平洋の島々がそうであるし、朝鮮南部には、李承晩を据えた。中国国境でパルチザン闘争をしていた金日成でもなく、上海で臨時政府を作って活動していたグループでもなく、ハワイで遊んでいた、ほとんど韓国と縁のない人物をつれてきて、傀儡政権をでっち上げた。その施政は過酷な軍事独裁政権であった。フィリピンは、ほとんどアメリカの植民地として復活し、広大な土地をアメリカ農業資本に奪われ、バナナ農園化していくとともに、やがてマルコスの独裁下におかれる。台湾では蒋介石が現地住民を虐殺する。オランダから独立したスカルノ政権が倒れた後の、インドネシアのスハルト政権にしてもそうだし、フランス敗北後のベトナム南部にしてもそうである。
 要するに、アメリカ占領下、もしくは影響下におかれたアジアの国々は、例外なく軍事独裁政権となり、ひとり日本にのみ一定の民主主義が保障されたのである。何故か。
 もちろん不破氏の述べた要素も大きい。天皇制軍国主義の芽をつぶすことを急務とした占領軍とすれば、まず日本を民主化することが重要だと思えただろう。
 だが、現在のイラクを見ても分かるように、民主主義の土壌のないところでは民主主義は育たないのである。ブッシュは、戦後日本でやったように民主主義をイラクに、そして全アラブに根付かせるのだと言ったそうだが、独裁は押し付けられても、民主主義は押し付けられない。なぜなら押し付けたその時点で、それはもはや民主主義ではなくなってしまうからである。
 アメリカの占領政策にはたてつけないという条件下、そして、じきに占領政策自体が反動化し、民主主義抑圧の方向に向かってしまうという条件下で、それでも、日本の民主主義が花開いたのは、その条件が日本社会にすでにあったからである。それはもちろん、日本共産党が存在したということもそのひとつだ。これは日本共産党が誇っていいことだ。だが、それだけではなく、日本がすでにアジア的社会を抜け出して、一定の中間層をも含み、また大衆社会全体の状況も、すでにかなり近代的なものになっていたということ、天皇制軍国主義の下で抑圧されていたが、その重石が取れれば、一挙に民主主義が開花する条件が存在したということなのである。
 この近代化を可能にしたのは、皮肉なことではあるが、日本が植民地を持ち、ここから資源と労働力とを収奪したからである。ぼくはそのことを肯定しようというのではない。だが、事実は見ておかねばならないはずだ。
 近代化は物質的豊かさによって始まる。だがそれがすべて焼けてしまったからといって、人間は原始時代に戻るわけではない。物質的近代化が成し遂げた知的、精神的、社会的近代文明は焼け残る。それが戦後日本だったのだ。
 民主主義は決して与えることはできない。したがって、右翼の主張する、与えられた民主主義という表現は正しくない。

4、「上からの民主主義」

 ここで、不破氏は、フランスの戦前の統一戦線政府と、その下でなった、労働時間の短縮とバカンスの制度に触れ、これは政府が上からなしたのではなく、労働者が自ら闘いとったのである、と述べている。後のほうで不破氏はもう一度この問題に触れるが、いかに民主的な政府ができても、政府は社会に何かを強制することはできない、政府が提供するのは公正な機会、弾圧されないことの権利、といった政治的ことがらだけであって、労働問題も含めて、社会を変えていくのは、国民一人一人が結集した運動の力なのだ、といった意味のことを言っている。
 これはこの限りでは、わが意を得たりである。つまり、解決した疑問の③に挙げた項目であって、最後に論じることになるだろうテーマである。
 ただし、これに関連して、不破氏は、日本で8時間労働制が成立しても、結局現場では12時間働いている。これは日本の場合上からの民主主義であって、労働者が自ら闘いとったものではないからだ、と言っている。これに一理あるとしても、ここで「上からの民主主義」と断定してしまうのは疑問である。この言葉を不破氏が何回か繰り返しているのを見ても、これは不用意に出た言葉というものではない。そういう認識が不破氏にあるわけである。だがこれでは右翼の言っていることと同じになってしまうではないか。「上からの民主主義」「与えられた民主主義」「押し付けられた民主主義」「押し付けられた日本国憲法」「押し付けられた憲法九条」。
 そうではないということを不破氏はずっと言っていたはずなのである。だがここにきて、いままで言っていたことを180度ひっくり返すようなことを何故言うのか。日本の戦後民主主義が何故成立したか、という根本問題での認識に弱いところがあるように思える。

5、「発達した資本主義国の中では最低レベル」

 この言葉を不破氏は何回か繰り返す。たしかにOECD諸国での比較が先ごろ朝日新聞に載ったが、それを見るまでもなく、日本の一般市民の経済的、社会的レベルは、OECD諸国の中ではどれも最低レベルである。
 だがこれは言葉のマジックである。たかが20国か30国しかないOECD、発達した資本主義国の中で最低レベルだとしても、世界190国の中では20位か30位なのである。
 上位20国だけを取り上げて20位だという。でも190国の中でもやはり20位なのだ。自分より上のものとだけ比べれば自分が最低になるのは当たり前のことだろう。この表現は何も意味しない。発達した資本主義国、OECDメンバーとは実はほとんどがヨーロッパ文明の上に築かれた国々だ。それ以外の地域からこのレベルに到達したのは、ほとんど日本一国だけである。(韓国、台湾、シンガポールなどが追いついてきてはいるが)。
 190人でマラソンして20位だったA君は20人の中ではどん尻だと嘆くべきなのか、それとも190人の中で20位なのを喜ぶべきなのか。
 これは単に嘆くか喜ぶかという問題ではない。現在の日本の経済的地位をどう評価するかという問題なのである。それは現在の日本の社会をどう見るかという問題につながってくる。日本の民主主義を世界の中でどう位置付けるかという問題でもある。
 ここにあるのは、実は世界の国々をいくつかに分類してみせる不破氏の粗雑な態度の表れなのである。そしてそれが実は日本共産党綱領の記述に反映している。
 共産党のやり方に特徴的なのはレッテル貼りである。いわく、発達した資本主義国、その支配下にある国々、資本主義を離脱した国、離脱していたのだが戻りつつある国。子供の言葉遊びじゃあるまいし、こんな粗雑な分類はやめて欲しい。一国一国をもっと丁寧に見ていく必要があるだろう。
 たとえば、帝国主義の定義だ。まず、「独占資本主義に特有の帝国主義的侵略性」とは何なのか。これはうっかり書いたのか。「特有の」とはほかの体制には見られないという意味ではないのか。だが「帝国主義的侵略性」はローマ時代からあったのである。ソ連の侵略性とは何だったのか。
 次に、現代では帝国主義はアメリカ一国であり、たとえばフランスはそうではないとか書いている。こういういい加減な分析はやめて欲しい。フランスはいまでも、コンゴなどで軍隊を維持している。この軍隊はときには人権問題で多少進歩的な役割も演じるが、基本的にフランスの利権を守るための軍隊である。だから、フランスは帝国主義なのだ、と言いたいわけではない。こういうレッテルを貼ったり貼らなかったりすること自体が意味がないと言っているのだ。ある国がときには帝国主義的に行動し、違う場合には別の行動をする。中国だって最近はかなり帝国主義的行動が目立つではないか。ドビルパンがどう言ったとかいうことをうれしそうに書いているが、フランスがイラク戦争に反対したのは、アメリカがイラクと対立している隙をぬって、ロシアとフランスとがイラクの石油利権を掌握していたからでもあるのだ。
 世界の国々を勝手に分類して、人口分布を示してみせる。こういうやり方を見ると、あいも変わらずおかしなことをやるなあという感じである。かつて日本共産党がソ連は社会主義であると信じていた時代に、社会主義の下で暮らす人口は世界の何割とか宣伝していたことがあった。ぼくは党員であったときもなかったときもずっと党員として扱われていたので、友人がこの率でぼくを責めた。こんなに人口率が高いのに社会主義はぱっとしないじゃないか、というわけだ。「馬鹿を言うな」とぼくは言った。「そんなことは共産党が勝手に言っているだけで、その人口はほとんどが中国の貧困人口なんだ。そんな数字には何の意味もない」

6、世界史

 話の勢いで若干順序があちこちしたようだが、次に進む。世界史である。
 不破氏はフルシチョフの平和共存から説き始める。その10数年の後、毛沢東がアメリカと和解したことも含め、こうして大国同士が手を結んだことで、民族解放運動、たとえばベトナムが、アメリカの各個撃破政策のもとで辛酸をなめさせられたとして批判する。
 では平和共存も、中国の国際社会復帰も、ありうべきではなかったのか。部分核停条約も駄目なのか。だとしたら、現在のNPTとは何なのか。
 ぼくは不勉強なので、当時の党が実際にどう考えていたのか知らない。ただ同志社の学生党員たちが語っていたことを思い出すだけである。
 部分核停とは、すでに地下で実験できる段階にきた米ソにのみ核を独占させるもので、中国の核実験を阻止するのが目的である、とぼくは聞いた。
 実際そうだったのだろう。すでに中ソ対立の時代に入っており、北と南から米ソの核兵器で包囲された形の中国にとって、核攻撃は現実の脅威であり、これをさせないためには自前の核がどうしても必要だった。まだ地下で実験する技術のない中国は、部分核停に賛成するわけにはいかなかった。
 だが公式の場でこういう見解が党員の口から語られることはなかった。
 部分核停は、一方の側からは、一歩前進と受取られ、他の側からは、全面核兵器禁止からの一歩後退と受取られた。したがって、意見の一致するところで運動するという原則から、部分核停に対する賛否は持ち込むべきではない、というのが、党の公式見解だった。具体的にどういうやりとりがあったか知らないが、結果として、原水禁運動は分裂した。これが将来にわたって日本の平和反戦の運動を分裂させるもととなった。
 後に、ゴルバチョフとレーガンのもとで核兵器削減交渉が始まるが、これにはもちろん核軍拡競争にソ連の経済がもたなくなったという要因はあったが、当時ヨーロッパ全土で、一般市民を巻き込んでまきおこった、空前の反核平和運動の後押しがなかったら、この交渉も始まらなかった。このとき肝心の日本の運動はどうだったか。ほとんど死に絶えていた。
 1+1は2ではないのだ。社会党と共産党が分裂するということは、10も100もの一般市民をこの運動から遠ざけることになる。党は原水禁運動に外国代表が広範に参加するといって喜んでいるが、その実それは市民運動としてヨーロッパに見られるような規模に発展することは一度もなく、単なる政党内部とその周辺のセレモニーと化してしまったのではないか。
 党はこの分裂を正当化する。相手の側が、賛否の分かれる問題を運動に持ち込んできた、という。だが部分核停に賛成していたのは、決して一部の勢力だけではなかったと思う。一般世論の強い支持があった。世論は中国の核実験にも明確に不快感を示していた。
 もちろんぼくは中国の当時の立場を理解する。アメリカは現実に日本に対して二度もこの爆弾を使ったのであり、朝鮮戦争のときも、ベトナム戦争のときも使用を検討した。中国に対してももちろん検討していた。だから、中国が自衛のために核実験に踏み切らざるを得なかったことを、ぼくは理解する。
 おそらく当時の党もぼくと同じ理解をしたに違いない。だが、世論は違った。世論は、中国の核実験を非難し、部分核停を支持していた。そういうもとで、公然と世論に挑戦することはできなかった。
 そこで、部分核停に反対するのは、それが全面禁止からの一歩後退だからであり、意見が分かれる以上運動では賛否を言わないことにしようじゃないか、という論法で部分核停への評価から逃げようとする。
 ある意味やむをえないことである。そこでその交渉の現場で現実にどういうやりとりがあったか、ぼくは知らない。向こう側が、出て行けといったのか、こちら側が出て行くといったのか、ともかく部分核停を持ち込まれるくらいなら、運動が分裂してもかまわないという判断が、党にあったのだろう。
 だが、この判断は間違っている。党と運動とは別のものである。党が賛成できないからといって、運動を分裂させてしまうのはまちがっている。
 たとえ気にいらないものを持ち込まれたにせよ、それが運動の統一に必要であるなら、党の見解とは別に、運動そのものはそれを留保的に飲み込んで継続すべきであったのだ。
 党は言う。正しい立場に立った側の運動はますます国際理解を得ている、それに対して社会党の側の運動はつぶれてしまった、と。そんなみみっちいところでネガティブな競争をしても始まらないのである。本質は、ヨーロッパの反戦平和運動が、たとえばイラクのときを見ても、いつも大きな盛り上がりをみせるのに、何故日本はそうでないのか、という点にある。何故党の運動は一般市民を巻き込めないのか、という点にあるのだ。
 部分核停がおかしな条約だった、ということはぼくも認める。そして現在の核実験禁止条約もおかしな条約だし、NPTも、おかしな条約だ。常に核兵器持ったもの勝ちの条約で、すでに持っている国は持ち続け、場合によれば使いなさい、でもいま持ってない国は持ってはいけませんという条約だ。人を殺さずに核を爆発させる(核実験)は禁止するが、人を殺すためならどうぞ自由に爆発させなさいという条約だ。人類史上前代未聞の滑稽きわまる条約と言っていい。
 でもそれが現に存在する以上、それをいかに有効なものにしていくかを考えるしかないだろう。

 部分核停と原水禁運動のほうに話がそれたが、フルシチョフの平和共存である。中国の対米交渉と、それを通じての国連代表権復帰、国際世界への登場を含めて考えるが、ぼくはこれは必要なことだったと思う。
 アメリカの空爆下にあるベトナムにしてみれば腹立たしいことだったに違いないが、かといって、ソ連や中国がいつまでも世界から隔離されて封じ込められていればいいわけではない。これは確かに各個撃破政策への転換だったわけだが、この転換そのものが、アメリカにとっては大きな譲歩である。もはやソ連を敵としては戦えないと認め、その10数年後に、中国も敵としては大きくなりすぎたと認めたのである。
 ジェームズ・ボンドの敵は初めソ連だったが、フルシチョフ以後は中国人になり、中国とも和解が進むと、まったくの架空の陰謀団になった。この変わり身の速さは笑えてしまうが、これが現実だったのである。
 それにソ連は平和共存でベトナム援助をやめたわけではなかった。むしろ口で勇ましいことを言うのはいつも中国で、実際に膨大な援助をつぎ込むのはソ連だった。キューバに対してもそうである。
 カストロは共産主義者ではなかったし、革命後まず援助を求めたのはアメリカに対してだった。だが、アメリカ資本の擁護者だったバチスタ独裁政権を打倒され、そのサトウキビ畑と製糖工場とを取り上げられたアメリカがカストロを援助するはずがない。当時ソ連は平和共存で、中南米の共産党に対しても、平和革命を押し付け、キューバ共産党もカストロのゲリラ活動を批判していた。カストロは政権獲得後、共産党を弾圧し、解散させてしまう。ところが勇ましいことを言う毛沢東は少しの援助もよこさない。そんな経済力は中国にはないのだ。代わって、平和共存のソ連から大量の援助が入り始める。ここにいたって、カストロもマルクス主義を勉強し、自分たちの共産党を新たに作った。カストロにとっては現実によってやむなくされた共産主義だったといえる。
 ソ連が善意でカストロを援助したなどとは思わない。アメリカの喉もとに核ミサイルを突きつけておきたかったのだ。これはケネディとの間で核戦争の一歩手前までいったが、結局はミサイルを撤去せざるを得なかった。だがソ連の意図が何であろうと、キューバが自国を維持できたのはソ連のおかげである。この歴史の事実は残る。
 この時期、民族解放戦争に悪影響を及ぼしたのは、むしろ中国である。ポルトガルがアンゴラから撤退すると、アパルトヘイト下の南アフリカとアメリカとが、ソ連の影響下にある解放戦線に対して干渉戦争を開始した。このとき、キューバは解放戦線に対する援助に入り、中国はアメリカと手を組んでこれをつぶしにかかった。この時期の中国外交は反ソ連で徹底していた。
 そもそもはフルシチョフのスターリン批判、そしてアメリカとの平和共存に始まる。もともとソ連流を押し付けるソ連のやり方を面白く思っていなかった中国との間に理論闘争が始まり、ソ連は技術者を引き上げる。これは革命初期の中国経済にとって大打撃であった。国境地帯では小競り合いが始まる。
 常に共産主義の親玉であるかのような振る舞いに終始したソ連のやり方は確かに問題だったし、日本共産党が彼らの干渉を受け、党内をかき回された教訓は痛いものだっただろう。
 だが、ここでも、文化大革命直前、日中決裂直前の同志社党の様子をぼくは思い出すのだが、ぼくらは、まず何よりも、スターリンの「弁証法的唯物論」と、毛沢東の「矛盾論実践論」とを読まされたのである。
 この直後に日本共産党は中国共産党と決裂するのだが、そして党中央にはその兆しがあったのかもしれないが、党の末端では、まだ毛沢東とスターリンが先生だった。
 フルシチョフは修正主義者と呼ばれ、ソ連派はみな修正主義者と呼ばれた。スターリン批判はまちがっている、スターリン批判をするトロッキストはまちがっていると教えられた。
 われわれは一般学生から中国派と呼ばれ、社会党はソ連派なのだと言われた。
 日本の平和運動が何故中国派とソ連派によって分裂してしまうのかと責められた。それが一般市民の感覚であり、みなこの分裂を悲しみ、統一を願っていたと思う。中国ともソ連とも関係がなく、社会党とも共産党とも関係のない一般市民が、平和運動の統一と発展を願っていたのだ。1+1は2じゃないのだ。それは10にも100にもなるのだ。
 こういった傾向ははたして、党の末端だけのものだったのだろうか。この時期、ソ連の干渉への反発から中国派へと傾き、フルシチョフへの反発から、スターリン賛美へと傾いた、この傾向は党中央には無縁のものだったのだろうか。
 ソ連の国内体制の吟味は後のことにしよう。またソ連の大国主義、覇権主義、親玉面、膨張主義についてもあとで考えよう。
 しかし、少なくとも、ここでフルシチョフが行ったスターリン批判の画期的意味については抜くことができない。ここで、少なくともソ連の国内体制は、それまでとは一歩違う進歩的段階にはいったのだと思う。もちろん対外的にはハンガリーを戦車で踏みにじったのはフルシチョフだったし、世界中の共産党に対して親玉面して、乱暴に干渉した。しかしフルシチョフのスターリン批判の意味を理解できなかったのは、むしろ当時の日本共産党だったのではないか。

7、ソ連の位置づけ

(ソ連が、すでに社会主義が完成したとか、共産主義の段階にはいるとか言っていたときに、日本共産党は、ソ連はまだ社会主義の生成期にあると表現した。これはすでに画期的な見方であったが、それでもまだソ連が社会主義をめざしているものと誤解していた。レーニン死後のソ連が社会主義とは似ても似つかないものであることを理解したのは、ソ連崩壊後であった。しかしこれは、世界の共産党の中では先進的なことであった。)
 不破氏のこの論法はすでにおなじみになったものである。「高度に発達した資本主義国の中では最低レベルである日本」という表現と一緒である。
 確かに日本共産党は、ソ連問題に関するかぎり、世界の共産党のトップを走っていただろう。だが、共産党の外を見ればどうか。共産党というのは国際的にも小さな組織である。その外の人々はみなソ連がどういう国であるかを知っており、これに批判的なまなざしを注いでいた。ひとり共産党のみが、この事実に対して目を瞑っていたのである。
 のみならず、これをもって社会主義、もしくは社会主義をめざす体制と言っていたのである。必然的に諸国民は思う。「ああ、あの独裁国家が社会主義なのだな。共産党がめざしているのはああいう体制なのだな」
 いまさらあれは社会主義ではなかったと言っても、もう遅いのである。社会主義という名前はソ連の体制に定着してしまったのだ。そしてそれがどういう体制であるかということはみんな知っていたのである。
「世界の共産党の中ではトップだった」しかしそんなことは自慢できることではない。100人でマラソンして、最下位の10名の中ではトップだったと言っていばっているのだ。
 正直言って、ぼくもソ連の体制のひどさは知っていたが、この国でもう一度革命を起こせば、ほんとうの社会主義が生まれるのではないかという望みは持っていた。ただしそれにはいまのソ連共産党では駄目で、第二の共産党が生まれて、いまの共産党を打倒せねばならないと思っていた。与党はどうしても保守的になる。野党が生まれてこれを打倒せねば社会は変わらないというのがぼくの考えだった。ソ連における自由と民主主義の欠如、多元性のなさ、一元的な経済・社会・政治のありようというのはどうしても打倒の対象でしかなかった。しかし一方、スターリンの強権時代から、フルシチョフのスターリン批判を経て、ブレジネフの安定期にはいってからのソ連は、労働者の権利という点では見るべきものがあると思えた。
 それがぼくの錯覚だったかどうかは、ソ連をこれ以上研究していないので、よくわからない。ただぼくが日本共産党の生成期論と近い位置にいたのは事実だ。ソ連社会に対する認識はそうだったが、ソ連共産党に対してはいかなる幻想も持っていなかった。これは日本の自民党と同じソ連の保守党なのだというのがぼくの認識だった。ただ、日本社会はある程度多元化しているのに対し、ソ連は独裁である。にもかかわらず、労働者はある権利を持っている、というのがぼくの認識だったのである。
 だから、ゴルバチョフが上からの改革に着手したとき、ぼくは驚いた。ソ連共産党は捨てたものじゃなかったのか、と思ったわけだ。だが、結局その緩やかな改革でさえ、既得権益層の激しい抵抗にあって、事態を前に進めるにはインテリのゴルバチョフのやり方では駄目で、ガキ大将のエリツィンが大砲をぶっ放すことによって、一挙にすべてをぶっ潰してしまうしかなかったのである。
 結局この革命から、社会主義は生まれなかった。資本主義が生まれた。無駄な70年、空白の70年を費やして、歴史が元に戻ったのだといわれた。だが、そうではあるまい。ロシアは帝政ロマノフ王朝に戻ったわけではない。ロマノフ王朝からスターリン王朝を経て、よく分からない封建的官僚体制から、いま始めて、資本主義革命に成功したのである。これは人類史の偉大な一歩である。
 もちろんエリツィン資本主義は問題だらけの体制だったし、プーチンを経てメドベージェフになってもいわゆる西側資本主義と比べて、非常に後進的な体制であることに変わりはない。しかし、行き詰っていた国家が、一歩を踏み出したのは事実である。
 日本共産党はソ連の崩壊に大喜びをしているが、では、このロシア・東欧の革命自体をどう評価するのか。当時フィリピンでは黄色い革命によってマルコスが倒れコラソン・アキノが登場した。ブルジョワジーと、アメリカの新しい利益とを代表した、この革命とアキノとを日本共産党は高く評価したが、当時の「赤旗」の論調を見ても、ゴルバチョフとエリツィンとを評価しているようには見えなかった。かえってチェルネンコを評価したりしていた。アキノを評価できて、ゴルバチョフを評価できない理由は何なのか。
 ソ連の覇権主義と、ロシア・東欧の「似非社会主義」との崩壊が、「世界の社会主義運動に肯定的意味を持った」というだけでなく、この革命がロシア・東欧の社会にとってどういう意味を持ったのか、きちんとした見解を党に聞きたい。それはそれらの国の内政だと言って逃げるのだろうか。世界各国の内政とその歴史を分析することなしに日本の内政を語ることができるのか。

8、二つの体制

 日本共産党の「二つの体制論」ほど分かりにくいものはない。
「1917年のロシア革命によって、世界が資本主義というただひとつの体制によって支配される時代は終わり、資本主義体制と、社会主義をめざす体制との二つの体制が並び立つ時代に突入した。だが、1924年、レーニンの死によって、この二つ目の体制は社会主義をめざす体制ではなくなり、封建的官僚専制国家となった。では二つの体制の時代は終わったのか、というとそうではない。なぜなら、中国・ベトナム・キューバが、ロシア・東欧に代わって二つ目の体制を代表しているからである。」
 疑問① 中国の成立は1949年である。では24年から49年までは相変わらず、ひとつの体制だったのか。確かにこの間はたった25年間しかない。だが、ロシア革命で二つの体制になってからレーニンの死まではたった7年である。この7年間が光り輝いているので、25年間は無視していいということなのか。
 さらに、東欧「社会主義」の成立はレーニンの死の20余年後である。これは二つの体制に含まれるのか、含まれないのか。つまり、これは「社会主義をめざす体制」なのか、そうでないのか。
 疑問② この「体制」とはどういう意味なのか。世界を支配しているという意味での「体制」なのか。それとも、国内の「体制」のことを言っているのか。
 不破氏が、「社会主義をめざす」体制という点を強調しているところを読むと、「社会主義をめざしている」という国内体制を重視していると思わざるをえない。だがその体制はたった7年間で終わりを告げ、もし東欧が「社会主義をめざしていなかった」とすれば、その復活は49年の中国成立まで待たねばならなかったことになる。
 しかし、綱領の記述も、不破氏の説明も、この25年間をまったく無視している。資本主義を唯一の体制とする時代は1917年で終わりをつげた。そしてその終わりをつげた状態が(中断することなく)現在まで続いている、と主張するのが、綱領であり、不破氏なのである。
 とするならば、二つの体制とは「社会主義をめざしている」かどうかとは無関係なのだ、ということになる。それは資本主義とは異質な何らかの体制がそこに存在しているかどうかを問題にしているのであって、その国内体制は問わないという意味になる。
 だが、ほんとうに問うていないのかといえば、そうではない。問うているのである。「社会主義をめざしているかどうか」ということを問題にしているのである。
 綱領も不破氏も、この自己矛盾を解決しようがない。これは事実との矛盾を問う前に、記述、論理展開、自体の矛盾なのである。
 何故このような矛盾が生じるか。それは綱領も、不破氏も、世界史を正しく認識できていないからなのだ。
 1917年、ロシアに「社会主義をめざす」と主張し、世界中にもそう思わせた政権が成立した。これはじきにそれとは似ても似つかぬ体制になったが、その要因は、今後の研究を必要とするであろうが、現段階では、ロシア社会にまだその条件がなかった、ということと、世界中の帝国主義国がこの革命をつぶしにかかり、封鎖してしまった、という二点に帰結するだろうと思っている。もちろんその中で、社会主義の権力理論というものが、きわめて貧弱で非現実的なものであった、ということが、この社会の後進性の現われとしてあった。
「歴史にもしもは許されない」というが、レーニンが死ななければどうだったのかと問うことにあまり意味があるとは思えない。もしも、社会主義革命をやらずに、資本主義革命をやっていれば、成功したのか。レーニンのネップを見れば、そうであったのかもしれないと思わせる。だが、あの後進社会には、おそらくその可能性もなかった。現実として、スターリン体制が成立した。これはある意味歴史の必然だったろうと思う。
 現実に、「社会主義をめざさない」体制が成立した。だがその体制は外に対して、「社会主義をめざしている」と思わせたことで、世界中を震撼させた。そして、ある意味、確かに異質な体制が出現したのである。この体制が「社会主義をめざしているかどうか」に関係なく、世界は対応を迫られた。
 スターリンは国民を奴隷労働に駆り立てることで、その剰余価値を利用して、ロシアの工業化を成し遂げた。一国で世界全体を敵にまわさざるを得なかった以上、これもまた現実であった。
 第二次大戦後、その存在は巨大なものとなり、資本主義は対応を迫られる。まず資本主義国は団結し、それ以前のようにお互いに戦いあうということが、少なくとも表面上はなくなった。これは日本と、ヨーロッパ全体が受けた甚大な被害に比し、アメリカ一国の力がぬきんでた結果でもあった。この時期アメリカは一国で全世界のGDPの半分を占めていた。
 植民地の解放闘争は激化し、結局は手放さざるを得なくなった。資本主義国における労働運動も高揚し、こうして得られた労働者の待遇改善は、消費を促し、戦後の資本主義の大発展にとって、欠くべからざる基礎を与えたのである。
 ここで付け加えておくと、資本主義の発展には競争も大事だが、規制も大事なのだ、という最近日本共産党が主張している内容は真理なのであって、戦後資本主義の大景気時代を、技術革新や、あれこれの資本の側の論理だけで説明することはできない。まさに東西冷戦が、資本の側に加えた無言の圧力こそが、資本にとって欠くべからざる需要を、無限に生み出す力となったのである。
 つまり、「社会主義をめざしているかどうか」に関係なく、「二つの体制」というものはあったのだ。
 これは西側世界に外から無言の圧力を加えることによって、西側世界を自己規制させ、かくて、西側資本主義の発展、労働者の生活向上、民主主義の深化に、欠くべからざる力となったのである。
 ここでの結論は、「二つの体制」の存在と、その体制の一方の側が「社会主義をめざしているかどうか」ということは関係なかった、ということなのである。ところが、日本共産党綱領と不破氏は、これを何が何でも強引に結び付けようとし、結果、論理の破綻を招いているのである。
 つまり「二つの体制」が存在したことが、17年以後、戦後の一定の時期まで世界に与えた意義を認めながら、これを「社会主義をめざす」体制の功績としたい、という主観的願望が生み出したフィクションなのである。
 冷戦は、軍拡競争を生み、生産力を軍事費に無駄に消費した。もちろんそういう面はあった。しかし、あのおかしな体制が北方に存在していなかったとしたら、(これも歴史のもしもにならざるをえないが)西側資本主義の世界は、いまの栄華を獲得できていなかったのではなかろうか。
「二つの体制」は西側の自由競争に規制を加え、この規制こそが資本主義の発展にとって欠くべからざるものだったのである。これも、言うならば、歴史の皮肉というものであろう。

9、世界史のその他の項目

 テキストにそって進むと、ここで「資本主義の全般的危機」の問題がでてくる。これを日本共産党は否定した。そのことはよろしい。では昨今かまびすしい「資本主義の限界」とは何なのか。党綱領は少なくともいま資本主義の廃棄をテーマに掲げていない。掲げているのは資本主義の改良である。そして最近の論調はこの改良こそが資本主義の発展に役立つのだと述べている。その限りではぼくも賛成である。しかしそれなら何故「資本主義の限界」という言葉が出てくるのか。いま「限界」を迎えているので、この「限界」を取り除き、ますます資本主義を発展させる処方箋を日本共産党が提示しようというのか。そうなら、大いに結構である。だが、そういう文脈には読めないのである。資本主義が行き詰まり、何か別の経済体制が始まるかのような響きがこの主張にはある。掲げるスローガンは微妙な言いまわしをしている。いわく「ルールなき資本主義から、ルールある経済社会へ」。これは非常に微妙な言い回しである。「ルールなき資本主義」から「ルールある資本主義」に変えようと言っているのか。それとも資本主義というものにはルールがないので、もっと違う経済体制に変えようと言っているのか。それをごまかしているところにこの主張の面目躍如たるところがあるのかもしれない。

 植民地の崩壊、それはよろしい。だが、「国民主権」が世界の圧倒的多数になったとはどういう意味か。君主制が崩壊し、ブルジョワジーの時代が来たという意味なのか。少なくとも、世界の圧倒的地域において、国民の大部分はいまもほとんど無権利状態にある。ただ植民地時代に比べれば、もちろんはるかに向上した。そういう意味に理解すればうなずけないことはないが、その場合、この言いまわしは、ここでも不破氏はおかしなレッテル貼りで、世界を奇妙に分類しているというべきだろう。
 君主制から、君主制でない体制(君主制でないなら共和制なのかと言うと、そうとも言い切れない、これは微妙な問題であると不破氏は言っている。その見解には一理ある)が大部分になったという大雑把な分類をしてみせただけなのか。だが、君主制でないなら、共和制とも言いきれないと同様、国民主権であるとも言い切れないのである。君主制のイギリスよりずっと非民主的な君主制でない国がいくらでもある。君主制のタイは、確かにそれが民主主義に進む上での癌にもなっているが、君主制でないビルマよりは、ずっと民主的な国である。

 冷戦の崩壊で、世界が多極化、無極化し、資本主義国の団結が崩れて、アメリカがリーダーの地位を失い、これが世界の平和にも貢献し、経済秩序の面でも新しい可能性がでてきた、という記述がある。そういう面もあるし、他方、ソ連の重石がとれて、アメリカが勝手放題やり始めたという面もある。イラク・アフガンでの戦争、イランに対する理不尽な圧力、パレスチナ問題への無関心、そしてグローバル金融のやりたい放題。
 冷戦は崩壊すべきであったし、そうでなければ歴史は前に進めなかったとは思うが、その影響は決して一様ではないはずである。

 ここで中国問題が出てくるが、もっとも重要なテーマであるので、あとにまわし、コミンテルンその他の問題を駆け足で済ませてしまおう。

10、コミンテルンその他

 コミンテルンのごちゃごちゃした問題については、あまりぼくら一般人とは関係ないので、よしとしよう。ただ、わかることは、ソ連が共産主義・社会主義と無縁な国内政治をおこないながら、国際共産主義の舞台では、共産主義の親玉であるかのようにふるまい続け、ヨーロッパの共産党がこれにたいして無批判だったという事実である。ヨーロッパ共産党についてはあとでちょっと述べるが、ここでは、ソ連の歴史についての、ぼくなりの感想を述べよう。
 スターリン体制は非常に非人道的な体制だった。それは誰しも認めるしかない。だが、ある意味これをフランス革命におけるロベスピエール体制と対比せざるを得ないのではあるまいか。暴力によってひとつの強固な体制(ロマノフ帝政)をひっくり返す、しかも国際帝国主義の干渉戦争のただなかで、孤立無援の状態でこれをおこなう、それが理想主義者たちを蒼白にせざるを得ない凄惨な出来事だったとしても、これも人間の現実なのであろう。
 フルシチョフのスターリン批判を、ぼくは高く評価する。工業化を成し遂げ、ドイツとの戦争にも打ち勝って、国民生活に余裕が出てきたので、こういうことも可能だったのだろう。もちろんそれで国民生活が完全な自由と民主主義とを勝ちとったわけでもなかったし、対外覇権主義はその後も続いた。だが、この時点でソ連社会はスターリン時代の暗黒から多少とも抜け出たし、このある程度自由と民主主義の雰囲気の中で、ゴルバチョフたちが学生生活を送ったということが、後の改革に決定的な役割を果たすのである。
 ブレジネフ体制の初期は、まだブレジネフの権力が明らかになっていなかったので、トロイカ体制と呼ばれ、当時日本共産党は一時これを評価したのではないか。つまり、平和共存とスターリン批判のフルシチョフが失脚したので、スターリン時代に戻るのではないかと評価したわけだ。
 だが、もちろん暗黒時代には戻らなかった。しかし、この政権はいくぶん反動的な性格を持っていたように思われる。
 つまり、社会は共産党体制によって、がんじがらめになっていった。他方、経済的には、この時期以後、剰余価値を利用しての設備の更新や新たな投資という思想が失われていったのではないかというような情況を呈する。スターリンの独裁下で成し遂げられた工業化を、それで良しとして、あとは消費することしか考えなかったのではないか。
 この政権は確かにわれわれが考える社会主義とはかけ離れていたが、当事者たちは社会主義のつもりでいたのであり、社会主義の理想を求めて組織された共産党を決定的に裏切ることはできなかった。というのは彼らの権力基盤はあくまでも共産党にあったからだ。
「社会主義のよいところは働かなくてもよいことだ」と当時のソ連の労働者が語ったという記事を読んだ記憶がある。年金や労働条件という社会的制度は、ブレジネフ政権のうちに整備されていったように思われる。商店員も労働者であるから、彼らは資本主義の商店員のように「お客様は王様だ」などとは考えない。労働者こそ王様なのだ。「資本主義社会では人々は奴隷のように働き王様のように消費する」と彼らは資本主義社会を揶揄していた。商店は一般の事業所と同じように夕方5時に店じまいする。共働きが普通であるから、これでは買い物できない。そこでみな労働時間を勝手に抜けて買い物する。それがまかり通る社会だったのである。
 労働者が働かなくていい社会。競争のない、非効率な社会。剰余価値はほとんど軍事費にのみまわされ、技術・システム・設備が更新されていかない社会、ある意味で、かつて社会主義の理想とされたようなことが実現し、そしてそれが次第にこの国の消費生活を窮屈に貧しくしていき、そして、自壊したのである。
 この国には政治的な自由と民主主義はなかった。だが国民は決して奴隷であったわけではない。もはやスターリン時代ではないのである。そしてこの点ではかつての社会主義経済理論にかなりおかしな点があったことを認めざるをえないと思われる。
 政治面で見た場合、これは確かに封建的官僚政治だが、スターリン批判と、その後の安定期にはいりながら、何故それを克服できなかったのか、と考えた場合、やはり共産党の支配力の強力さが、社会の癌であったと考えざるをえない。この政党が労働者の権利と社会の理想を振り回すだけに、余計に厄介なのである。まじめな人間ほど、共産党を信じてしまう。この網の目のように張り巡らされた組織は、社会の抵抗力を奪ってしまう。そしてその組織はつまり「民主集中制」の組織である。この制度はその原理上絶対に民主主義を保障できない制度であり、そして歴史的にも常に独裁の最良の道具となってきたのである。

 次にヨーロッパ共産党について少し感想を述べる。ヨーロッパ諸党は、いずれもソ連の影響力を克服できなかったがゆえに、かつて2割3割の支持を持ち、与党の一角を構成したりもしながら、ソ連崩壊後、ことごとく壊滅し、2、3パーセントにまで落ち込んでしまった。これは事実である。しかし、① 日本の共産党の支持率もこれとたいして違わないではないか。② 不破氏はヨーロッパ資本主義をたいへん評価し、これぞ日本が手本とすべき「ルールある経済社会」である、かのごとく語る。実際はヨーロッパの高い社会保障も、資本主義競争の必然から、どんどん低下していっているし、失業の高どまりから、世論が右傾化し、移民排斥などを通じて右翼政党が台頭してきているのだが、依然として、日本がとりあえずの目標とすべき社会ではある。(それが帝国主義時代に築き上げたものを基礎としており、いまなおそれを払拭しきってはいないことも考慮すべきだが)。ただ、このルールある社会を築き上げるのに果たしただろうヨーロッパ共産諸党の力を、不破氏はどう評価するのか。
 共産主義の理論については、日本共産党の方が進んでいただろう。だが、社会で実際に有効に活動を展開できたのは、むしろ彼らだったのではないか。

11、ソ連社会の研究

 少し議論を戻して付け加える。ソ連社会の研究が何故必要かという点である。
「ソ連の誤った経験は、21世紀に社会主義・共産主義の事業を成功させるためにも、詳細な研究を必要とする」
 最初に掲げたように、不破氏自身こう述べている。ソ連が社会主義・共産主義とまったく無縁な存在であったなら、それは特に重要な研究対象とはならないはずである。だがそうではないのである。ソ連の政治・社会・経済の研究は、社会主義者・共産主義者にとって、特に重要なテーマである。何故か。
① スターリン時代は別にして、ブレジネフ時代のソ連には、かつてこれぞ社会主義と思われていたものと類似の経済・社会の制度がある。
 スターリン時代の凄惨な強制労働の犠牲をとおして、それでも何とか一国による近代工業化に成功し、ある程度の生産力を確保して、なんとか社会が安定期に入る中で、思想や政治の自由は決して認めないが、労働者には、何らかの権利が保障されたように思える。
 働かなくていい社会、競争のない社会、それはマルクス主義とは無縁であったかもしれないが、社会主義者たちがなんとなく思い描く社会を、極端化したものであったようにも思える。
 もちろん勉強不足であるので、これはたんにぼくの錯覚であるかもしれない。社会のごく一部の現象であったかもしれない。
 ただはっきりしていると思われるのは、正常な競争は実際おこなわれなかったし、剰余価値が、技術・システム・設備の更新、あるいは社会の変化していく需要を発掘し、あるいはこれを促し、それへと対応していくことなどに使われた形跡がほとんどないということだ。
 ぼくが言いたいのは、こういったことに内在して社会主義思想の影響といったものが見られるのではないか、必ずしも社会主義と完全に無縁であったとは言えないのじゃないか、ということである。それゆえ、ソ連の経済・社会制度の研究には、今後の社会主義にとって、かなり豊富な教訓を発見できるのではないか。
 不破氏が、市場経済を繰り返し重視しているのを見ると、この点での認識では、不破氏とぼくとの間に近似性があるように思われる。
② 政治面は、経済面に劣らず重要である。そして、ここで不破氏とぼくとはおそらく正面きって対決せざるをえない。
 スターリン時代が終わり、スターリン批判もなされた。しかも政権の座にいるソ連共産党は、共産主義者によって組織されている。にもかかわらず、何故独裁が続き、自由も民主主義も花開くことがなかったのか。個々の党員はそれなりに共産主義の思想を持っていたはずである。その思想がまちがっていたのか。そう言ってしまえば簡単だ。確かにかなり幼稚でおかしな思想に毒されていたのだろう。しかし、問題は、何故それが矯正されることがなかったのか、である。
 ここにぼくは共産党というシステムの問題を見る。一言でいえば民主集中制というシステムである。
 日本共産党は、この問題をしごくあっさりと片付ける。スターリンも、その後の指導者も、民主集中制を蹂躙した。それゆえ独裁になったのであり、民主集中制というシステムの問題ではない、のだと。
 しかし、このシステムそのものは、ソ連共産党も、中国共産党も、日本共産党も、みな同じである。同じシステムであって、一方が簡単に蹂躙され、60年間蹂躙され続けたのに、他方は蹂躙されない、あるいはされていないと何故断言できるのか。
 この組織の欠陥は、一般党員と幹部との間に、何段階もの中間段階があり、この何段階もの、代議員大会、あるいは党機関を通すことによって、異論がきれいに濾過されてしまうということである。異論を持った幹部が生まれない。生まれても、上部機関の内部で処理されてしまい、異論を党内で広め、支持者を作って少数者が多数者になるという道が閉ざされている。
 党内選挙はただの通過儀礼である。選挙運動というものがないからだ。選挙の形式で党員をだましているだけであり、実際は任命制なのである。
「民主集中制」というシステムは、きわめて封建的なシステムを表面上の形式で民主的であるかのごとく装っているだけなのだ。
 したがって、この組織は必ず「蹂躙」され、封建システムとなる。
 たとえばこういうふうに言いうるであろうか。「どういうシステムを採用するかは、その党の自由だ。ソ連や中国では他の党を認めなかったので、問題となったが、日本共産党は多党制、選挙による政権交代を認めているのだから、いいじゃないか」
 もちろん、それでいいのだ。党には党の自由がある。そのかわりこの党は民主社会において政権に近づくことは決してないであろうことを断言する。なぜなら、内部異論によって鍛えられていかない党が、真に有効に国民をひきつけることは決してないだろうからである。そしてまた、そのようなシステムを持っている党を国民は必然的に恐れるからである。
 これが、ソ連の政治システムを研究する必要性である。ここにも無尽蔵の教訓が発見できるはずだ。

12、「巨大に発達した生産力」

 順序があちこちするが、ここでひとつ補充する。資本主義の生産力の問題である。不破氏は、「資本主義は、その巨大に発達した生産力をもはや制御できない」と言う。
 確かに、資本主義のこの200年の進歩は素晴らしいものであった。この生産力をもし理想的に運営できれば、世界の飢餓も、ホームレスも、過労死も、老後の不安も、戦争も、あらゆる犯罪も、すべて解決できるのではないかとさえ思われる。即ちすべての生産力が、もし人々の幸福のためにだけ使用されれば、である。
 だが実はそうではないのだ。この生産力は資本主義が生み出したものであり、いまのところ、資本主義のシステムが保障している限りでの生産力なのである。これは人間の自然な要求に基づいて、自然に形成されてきた生産力である。もちろん今のところ、非常に無駄の多い生産力だ。これを人類にとって、真に有用なものに変えていきたいというのは、すべての社会主義者の願いである。だが、それは人類の、おそらくは永遠の願いであるかもしれない。
 マルクスは150年前に、不破氏と同じことを言った。「資本主義は自ら生み出した生産力を制御できなくなるであろう」と言った。確かに、上手には制御できていない。しかし、ともかく150年続いてきたのである。そしてその生産力たるや、マルクスの時代の人間がとうてい想像もできなかったほどに巨大になったが、まだなんとか制御しているのである。
 だから、この言葉をまるで資本主義に引導を渡すような口調で口に出すことはできないのだ。われわれにできるのは、よりよい制御にむかって努力することであり、「資本主義の限界」などという呪文を唱えることではないであろう。
 資本主義は多くの犠牲を要求してきたが、もちろん人類の歴史はいつもそうだった。それを肯定するわけではないが、結果として、「高度に発達した資本主義国の最後尾」にいるわれわれは、その恩恵を受けている。それは物質的豊かさだけではないはずである。われわれは60億の人類の中で、例外的にかなりの自由と民主主義の保障された社会で生きているのである。もちろん、それはまだ満足できる水準ではないし、満足しようとは思わない。われわれは危うい崖っぷちで、かろうじて滑り台の上部にとどまっているだけかもしれない。それにしても、人類がここまで進歩してきたことに対する何らかの気持ちはあっていいはずだ。
 つまり、ぼくが言いたいのはこういうことだ。ロシア革命以後の90年について語るのなら、その間の資本主義の進歩について、経済・社会・政治・文化のあらゆる面での評価を欠くことができないだろう。綱領は何故マイナス面だけを取り上げるのか、片手落ちではないか。

 ひとつひとつの言葉をとりあげていけばキリがないことになるので、中国問題に入る。

13、中国

 中国問題が重要だと思うのは、ソ連について不破氏が、「社会主義でもなければ、それをめざしてもいなかった。かつての生成期論は間違いだった」と述べているのに対し、中国については綱領も不破氏も、「社会主義をめざしている13億人の国である」とかなり得意そうに書いているからである。(そしてあと何年かすると、あれも間違いだったと書かねばならない日が来るであろう、とぼくは思うが)。
「社会主義をめざしている」からどうだと言うのか。ただ何の意味もなく綱領に書き、不破氏が言ったのか。もちろんそうではない。何の意味もなければ、書く必要もないし、言う必要もないのである。書き、言っている以上、綱領も、不破氏も、それを肯定的に評価し、その評価を世界情勢の分析に使おうとしているのである。そして、日本共産党がやはり「社会主義をめざし」、中国と同じ「社会主義」という言葉を使おうとしている以上、どういう点で同じで、どういう点が違うのか、ということをはっきりさせねば、この綱領は理解できないことになる。
 ソ連の分析は「二つの体制」というわけの分からない言葉の意味を問うために必要だったが、中国の分析は、日本の社会主義と絡み合って来ざるを得ない。なぜなら、それが「社会主義をめざす」体制であることを、綱領が認めているからである。
 さて、ここで不破氏は力強く説明する。
「社会主義をめざす国」であると認定するのは、「現実に社会主義への方向性を持っていると明確に判断できるときだけである」「その国の指導部の見解を鵜呑みにしない」
「社会主義が完成した」とうそぶいていたブレジネフの見解が鵜呑みにできなかったのだから、当然の判断だろう。
「中国がどういう方向に向かっている国か。この国の指導部はどういう性格の指導部か。この国の体制はどんな性格、特徴を持っているか」
 素晴らしい。ついに不破氏の見解を聞けるのである。
 しかし。
 党が外国の政治について語るのは、「国際的な性格を持った問題、あるいは世界への有害な影響が放置できない問題に限る」
 語れないと言うのである。語れば内政干渉になるから語れない、語れないが、「中国がどういう方向に向かっている国か、この国の指導部はどういう性格の指導部か、この国の体制はどんな性格、特徴を持っているか」について党幹部はちゃんと検討し、「現実に社会主義への方向性を持っていると明確な判断」を下したので、党員諸君、ならびに日本国民諸君(綱領である以上、日本国民全体に向かって言っているのだ)、党幹部の判断を信用してくれ、というわけである。
 ぼくは不破氏の本をひっくり返して読んでみたが、「中国がどういう方向に向かっている国か、この国の指導部はどういう性格の指導部か、この国の体制はどんな性格、特徴を持っているか」については、ついに一言も書いてなかった。中国の(のみならず世界中のどの国の)内政についても語らないと言っているのであるから、語らないのだ。語らないが、党幹部が検討して判断したから信用してくれと言うのだ。
 党は党員と国民に対して、判断を放棄せよと言っているのである。判断するのは党幹部である、党員と国民とは黙ってついてこいと言っているのだ。まるで大本営発表ではないか。
 世界中がソ連は社会主義であると信じたのは、ソ連がそう言ったからだけではなく、世界中の共産党が(日本の共産党も)、「ソ連は社会主義である」と言ったからである。世界中がそれを信じ、あの独裁政治のことを社会主義というのかと理解していたのに、70年も経ってから、「あれは社会主義ではありませんでした。嘘を言ってごめんなさい」と謝ったのは、(謝ったかどうか知らないが)、いったいどこの国の共産党だったと言うのか。
 何故、同じ過ちを繰り返すのか。何故、幹部だけでものごとを判断しようとするのか、何故党員に問うてみないのか、何故、国民に問うてみないのか。
 中国の内政を批判せよと要求しているわけではない。ただ中国が「社会主義をめざしている」と判断する根拠を教えてくれと言っているだけである。そしてこの件に関しては、多くの中国研究者も、多くの国民も疑問に思っており、大本営発表を鵜呑みにするわけにはいかないのである。この国の「指導部の見解を鵜呑みにする」わけにはいかないのだ。
 不破氏があげるのは、日中両党の和解会談において、中国側が実に誠実に対応したという件についての長々とした話である。であるから、この指導部は誠実なのだと信じてくれと言うのだ。われわれは中国指導部が誠実かどうかときいているわけではない。中国が「社会主義をめざして」いるかどうかときいているのだ。
 この件に関しての党の説明はいつも一緒である。つまり「日本は日本の社会主義をやる、中国は中国の社会主義をやる、これは別のものだから、中国の社会主義を気にする必要はない」
 気にする必要がないなら、何故それを綱領に書くのか。しかも綱領のこの記述は、日本共産党の世界認識の基礎としての「二つの世界論」を裏付けるためのものである。それは日本共産党にとって、最も重要な認識である。日本共産党は中国の社会主義を肯定的に評価し、それに基づいて世界戦略を構想しているのである。ところが何故肯定的に評価するのかについて答えることはできないと言う。ただ信用してくれと言う。党員も国民も過去に一回大きくだまされたわけであるから、信用するわけにはいかないのだ。「ソ連の誤った経験」が「詳細な研究を必要とする」ならば、「中国の誤ったかどうか分からない経験は」もっと「詳細な研究を必要とする」のだ。なぜなら、それがすでに終わったことではなく、いま現在のことだからだ。

14、中国論

(1)中国の基本的権力構造

 中国の権力構造を理解するポイントは中国共産党にあり、そのほかのなにものにもない。まずその理由を述べる。
① 中国はその国家の憲法に、中国共産党がこれを指導すると書いており、その地位は神聖にして侵すべからず(という意味のことを)書いている。したがって、中国共産党に反対する論陣、もしくはこれを貶めるような言論は、国家反逆罪である。
② 中国は現実にすべての部門を党が指導する構造になっている。
 まず政府であるが、中国で政府といえば、中央政府だけではない。中国の地方単位は、省または自治区、または直轄市、その下に、市、県、郷、鎮、そして一番下に村がある。市は日本でいう市よりも範囲が広く、その下に、街区と県とがあり、県の下に、郷、鎮、そして村という構造になっている。重慶市は、これは省から独立した直轄市であるが、人口3000万である。
 このそれぞれに政府がある。省政府、自治区政府、市政府、県政府、郷、鎮政府、村政府といった具合である。もっともこの政府という言葉には、日本語のような意味合いはない。省庁、自治区庁、市庁、県役場、郷、鎮役場、村役場という意味だと思っていい。しかし、単純にそうかというと、そうとも言いきれない。というのは、これらの役所は、住民サービスの機関と言うよりも、むしろ地域の権力機関だからである。
 さて、これらの機関のトップは形式的にはその長である。すなわち中央政府にあっては首相(国務院総理)、省では省長、以下、自治区長、市長、県長、郷、鎮長、村長と続く。だが、党がこれを指導するのであるから、そのそれぞれに党委員会があり、書記がいる。中央にあっては総書記、以下、省党委員会書記、市党委員会書記から村党委員会書記まで続く。そして、各機関の長は党員であるから、党委員会書記の命令には服従せねばならない。のみならず、憲法の定めによって、たとえ党員でないとしても、党の指導には従わねばならないのである。
 したがって、各機関の実質的なトップは党書記であり、各長は、その指導によって実務に当たるだけである。
 党書記と各長とは任命制であり、省や自治区の場合、中央が任命する。しばしば人事異動する。
 見れば分かるように、中国には地方自治というものはない。すべて中央、もしくは各段階の任命制である。のみならず、どの機関のトップも党書記であり、これは公的な地位であって、動かすことはできない。
国務院(内閣)には、党の中央国家機関工作委員会があり、その下に国務院行政主管部門党組がある。省以下の各地方政府にも、各級政府部門党組がある。
 この構造は政府だけのものではない。会社のことを中国では公司といい、社長は総経理であるが、実は総経理はトップではなく、ナンバー2なのである。なぜかというと、各企業にも党委員会があり、その書記が総経理を指導するからだ。大学であろうと、各種学校、研究所、各団体、すべて同じ、そこの党委員会書記に全権があり、学長も研究所長も、ナンバー2に過ぎない。
 軍隊はどうか。中国の軍隊、人民解放軍は、中国共産党の軍隊であって、中国国家の軍隊ではないから、初めから一元的に党によってのみ支配されている。国家軍事委員会というものはあるが、党軍事委員会と同一メンバーであり、その主席は、党の最高権力者である。かつては鄧小平が勤め、江沢民に譲り、いまは胡錦濤が握っている。
 これが中国の権力構造である。中国共産党が権力を独占しており、これに逆らうことは、形式的には憲法に抵触し、実質的には構造上不可能である。
 したがって、中国政治の研究とは、中国共産党の研究になるしかない。

(2)中国共産党は誰を代表しているか。

 中国共産党は誰を代表しているか、どの勢力を背景として成立しているか。
 中国国民であろうか、あるいは中国の労働者であろうか、農民であろうか、企業家であろうか。
 実はどの勢力も代表していない。党はそれ自体独立した一個の勢力なのであり、マフィアなのであると言っていい。それは閉鎖した利益集団であり、一種の互助組織なのである。この組織に入るには試験があり、マルクス主義やその他を学ばねばならない。学んだとて何になろう、入ってしまえば利益集団の一員として動くだけだ。
 現在三つの派閥がある。上海グループ、団派、太子党の三つである。上海グループは江沢民とそれに連なる上海を中心とした新興利益集団のグループである。このグループは天安門事件で趙紫陽が失脚した後、鄧小平によって上海市党書記から総書記に抜擢され、北京に乗り込んできた江沢民が、自己の権力基盤を安定させるために、腹心の者を取り立て、北京市党書記を追放してその後釜にすえたりする中で、形成されてきたグループである。最も露骨に汚職にまみれたグループである。黄菊、賈慶林、曾慶紅らをトップとしてそれに連なっている。
 団派は、共産主義青年団(共青)元幹部のグループであって、胡錦濤がそうであったことから、やはりその権力基盤の維持のために胡錦濤によって取り立てられた。厳しい試験を通ってきており、比較的清潔であるが、理論に走りがちで、現実を知らないという欠点がある。李克強を代表とする。
 太子党は、党長老の二世である。そもそも毛沢東も鄧小平も、世襲には反対していたので、党長老の子は中央委員にはなれないという決まりがあった。それゆえ彼らは親の権勢と人脈とを利用して、実業の世界で金儲けに精を出すのを通例とした。ところが江沢民が自分の息子を党幹部にしたいと思って、この規則を取っ払った。結果的にそうならなかったのだが、幾人もの長老二世が政界に出てきた。これは上海グループよりも厚い基盤を持った利益集団といえる。薄煕来、習近平らがそうである。
 中国共産党の最高権力は、政治局常務委員会であって、現在9名いる。胡錦濤は総書記として、また軍事委員会主席として、そのトップであるが、その地位は常務委員会の多数決による。ここで多数を失えば失脚する。では常務委員会だけですべてを決定できるかと言えばそうではない。長老というのがいるのである。彼らはすでに引退して地位はないが、権威と人脈とを持っている。中国のような広大な土地では人脈がほとんどすべてを決する。常務委員の背後にはそれぞれ長老がおり、長老の思惑によって意見を変える。長老の支持を失えば彼らは失脚する。こうしてさまざまな利益集団のバランスを取りつつ進んでいくのが、中国の政治なのである。
 それは一言で言えば汚職集団である。誰しも汚職にまみれている。だが建前としては汚職は法に反するので、失脚させたい相手に対しては検察を動員して汚職を摘発する。だが慎重にやる必要がある。長老間の力のバランスを考え、常務委員の誰を味方につけるかを考え、やるときには一挙にやる。失敗すれば自分が地位を失う。各勢力間で取引し、妥協が成立した時点で、一挙にやるのである。こうして胡錦濤は江沢民と上海グループとを徐々に追いつめ、団派を増やしていった。同時に、太子党と妥協し、彼らの台頭を許した。
 中国共産党の内部はすさまじい権力闘争の現場である。食うか食われるかの闘いがおこなわれている。しかし彼らはある一点で一致する。それは中国共産党の権力を手放してはならないという点である。そこに彼らの利害がかかっているのだ。それゆえ、もちろん人民の要求をまったく無視するわけにはいかない。これはどんな政権にしてもそうだ。中国共産党の権威が地に堕ちては権力を維持できないので、それなりの努力はする。しかし、これを批判する言論は徹底的に取り締まり、刑務所に放り込む。
 地方政治の現場はどうか。これはそれこそ修羅場である。ここでうごめいているのは、利益の確保に懸命な者たちと、出世に懸命な者たちである。
 一例を挙げよう。土地をめぐる騒乱である。

(3) 地方政治

 地方の騒乱にも環境をめぐる騒乱とかいろいろあるが、最も普遍的なのは、土地をめぐる騒乱である。
 中国には土地の私有はない。都市部は国有であり、地方は共同所有ということになっているが、実質的には地方政府が握っている。
 都市部の土地の私有制限は、ヨーロッパでもおこなわれており、これがヨーロッパの都市の景観保全に役立つとともに、住民が安い家賃で都市中央部に居住するのを助けている。日本の都市の無計画な乱脈さ、都市中央部の不動産の値上がりによって、固定資産税を払えなくなった庶民が土地を手放さざるを得なくなる状況、都心が昼間人口だけになってしまい、そこに居住する人口がゼロに近づく、過疎化して、小商店も、学校も成り立たなくなるという状況を見ると、この私有制限には合理性が感じられる。
 だが、中国では同じ制度が逆方向に作用している。
 土地の所有権はないが、使用権というものがある。これは人民公社が解体され、耕作請負制度が一般的になる中で、確立していった。(ちなみに、この制度を最初に導入したのは、四川省党書記を勤めていた趙紫陽であった。この制度によって四川省の農業生産が一挙に増産に転じ、後に鄧小平によって首相の座につけられる原因となった。しかし他方、これが全国に広がることによって、土地が細分化され、大規模農業が不可能になり、農産品のコスト高を招くという後遺症が生まれてきている)。
 この使用権は売買されるが、売買の権利を握っているのは、地方政府である。地方政府は農民から勝手に使用権を取りあげ、企業家や、不動産業者に売りとばしてしまう。農民に支払う補償金はわずかなものであり、その何倍もの利益が地方政府や不動産業者に入る。ここには汚職構造があって、共産党官僚たちが、業者と儲けを山分けすることになる。彼らにとって、土地使用権は金のなる木なのだ。売買が成立すると警察が来て住民を追い払い、家を解体し、穫り入れまぢかの農地をブルドーザーでならしてしまう。党官僚にとってこれはまた当地のGDPの名目的向上にも役立ち、成績をあげて、出世の契機ともすることができるのだ。
 耕作地を取り上げられ、家を壊されて生活できなくなった農民は、上部党委員会に訴え出る。党委員会は当地の党委員会に対して解決を命じ、命じられた側はさっそく警察力でもって農民を逮捕し、留置し、ある場合には拷問して殺してしまうことによって、無事解決するのである。
 被害にあった農民は、地方では解決できないと知ると中央に訴えるために北京にやってくる。北京南駅には陳情者が何万人も集まって、陳情村というスラムを作り、食うや食わずで何十年間も訴えが認められるのを待ち続ける。
 2003年7月1日から8月20日までの二ヶ月間、北京市党委員会を訪れた陳情者は1万9000人、中央規律検査委員会には、延べ1万人が来た。全人代常務委員会弁公庁信訪局は、2003年1月1日から11月26日までに、5万2852通の陳情書簡を受理した。
 この膨大な数を処理することなど不可能である。そこで大部分がたとい受理されても放置される。そこで陳情者たちは何十年も北京に居座って陳情し続ける。陳情業者がいて、法律と形式にのっとって陳情書の製作を代行する。たまに何がしかの補償金を手に入れる場合がある。それをめざしているわけである。
 外国のメディアで取り上げられると成功する確率が高い。そこで、党大会や、全人代が開催され、外国ジャーナリストが集まるチャンスには、わっと殺到する。そこへ地方警察が乗り込んでくる。彼らは北京警察を買収し、自分の村の陳情者を見つけ出して逮捕し、連れ帰り、刑務所にぶち込み、あるいは拷問して殺してしまう。
 陳情が認められでもすれば、彼らは利益を失い、出世を逃し、下手をすれば自分が罪に問われ、地位を失いかねないからだ。
 いったん陳情を始めると、途中でやめることができない。陳情者はマークされ、地方官憲に付けねらわれるからだ。そこで万に一つのチャンスを待って何年間でも陳情を続けることになる。
 この不動産問題は、農村部だけの問題ではない。都市部でも、再開発にともなって地上げが横行している。ヨーロッパの見事な都市計画と相反して、中国都市でおこなわれているのは、実にアジア的で乱脈な乱開発である。
 これを支えているのは、実は中国の為替政策なのだ。外国企業の大規模な参入によって、輸出超過、輸入過少の状態が続く中国は、放任すると元高ドル安に振ってしまう。これは輸出産業に打撃を与え、失業を生み出す。また中国人民銀行が持つ膨大な米国債の価値を減少してしまう。そこで人民銀行が元売り、ドル買いの介入をすることによって、ドルを支えている。その結果市中に過剰な元があふれる。この行き場のない元が不動産に殺到しているのである。
 また現地党幹部にすれば、自分の支配下の都市が高層ビルであふれれば見栄えがよく、出世に有利なのだ。
 中国は高級マンションブームであるが、そこに住むために購入している人ばかりではない。値上がりを見越して投資目的で購入しているのだ。この不動産バブルを警戒して、中国政府は引き締めに向かおうとしている。バブルがはじければ、われわれにとってすでになじみとなった現象がやってくる。
 陳情問題でも政府は頭を悩まし、とりわけ北京オリンピックにとって見苦しいというので、北京南駅は全面改築されるとともに、周辺は再開発され、陳情村も撤去されたそうである。中央政府は地方のことは地方で解決するように命令を出している。地方はもちろん警察権力を使って解決しようとするが、解決しきれないので、相変わらず陳情者はやってくることになるだろう。

(4) 何故こうなるのか

 中国の不動産をめぐる構造はだいたい分かってもらえたと思うが、では何故このような前近代的な封建的な政治がまかり通っているのか。それは次の理由による。
①共産党の独裁である。
 憲法上も、事実上も、国民主権になってない。主権は共産党が握っている。
②その共産党は中央集権のピラミッド型の組織である。
 形式上は日本共産党とまったく同じ、下からの何段階もの間接選挙によって積み上げられていく組織になっているのだが、こういうピラミッド型の間接選挙による組織では、民主主義は形式だけのものになってしまい、実質はきわめて封建的な組織になる。
③三権の分立がない。
 国務院(行政)も全人代(立法)も人民法院(司法)も、すべて共産党の指導下にある。
 全人代の選挙方法は共産党とまったく同じである。地方の人民代表大会から、何段階もの間接選挙を通して中央の全人代にのぼってくる仕組みである。下部の人民代表大会には、共産党の推薦枠以外に一般の推薦枠も設けられるようになったが、その一般の中にも多数の共産党員が共産党のわく以外で入っており、共産党が必ず多数を占めるようになっている。そして共産党員は中央に反する言動はできない。
 全人代の代議員は何千人もおり、年に一回、何週間か北京に集まるだけであり、ただ幹部の報告を聞いて拍手するだけの役割である。そこで全人代の中の常務委員会が、事実上立法の役割をおこなう。その人事は共産党が決める。
 司法関係は、公安、検察、法院となっている。形式上は全人代に所属して、全人代で活動報告をおこなう。つまり形式的にも司法は立法の下にあり、独立していない。実質は、すべて共産党の指導下にあり、しかも、権力関係はこの順序である。公安(警察)が一番上であり、それに検察が続き、裁判所は一番下である。
 しかも、この公安、検察、法院の上に、党委員会所属の規律検査委員会がある。これは各級党委員会にあって、党委員会の指導の下に、党員に関する司法をおこなう。党員に問題が起これば、まず規律検査委員会が調査し、そこで結論を得て検察にまわすことになる。
 つまり裁判を共産党が支配している以上、裁判に訴えても駄目なのだ。
④言論、出版、集会、結社の自由がない。
すべてを党宣伝部と、公安が決める。 

(5)共産党の構造

 中国共産党の党員は7000万人、人口13億として、18人に一人が党員である。
 党員はこの国のエリート階級であり、党員でなければ出世できない。いわば出世のための互助組織であると見ればよい。そこへ集まってくるのは野心家たちである。党員はもちろん能力も要求される。それぞれの部門で成果を挙げなければ、出世できない。しかしその成果を測るのは常に上部機関である。選出方法がそうなっているからだ。つまり形式的には選挙であっても、常に上部の推薦で決せられる事実上の任命制なのである。それゆえ世渡りがうまく、上部の機嫌と利益を図らねば、出世できない。そこで必然的に党内利益集団の派閥が生まれ、人脈によって、ことが動き、党内闘争が激化する。
 党中央は、この集団を力の背景として権力を握っている。彼らの権力基盤は労働者でも、農民でも、企業家でも、国民全体でもなく、この集団、このマフィアにある。この集団の利益にそむけば、彼らは存立し得ない。しかし他方、この集団が全体として国民から見放されれば、すべては瓦解する。国民、労働者、農民その他の利益は、明らかにこの集団の利益とは食い違っている。しかし、権力を握っているのはこの集団なのであって、従って、党中央には、国民の利益と集団の特殊利益とのバランスをとる能力が要求されるのである。
 これは資本主義国ではちょっと想像できない組織である。資本主義国の政権党はまず第一に彼らの資金的バックになっている大企業あるいは資産家を何より力の源泉とし、そしてそれぞれの選挙事情によって、地域ボスや、業界と結びつく。その上で、選挙制度がある以上、有権者の思惑を無視できない。
 中国にあっては、共産党そのものが、彼らの力の源泉なのだ。この組織は何者も代表せず、ただ彼ら自身を代表しているのである。いわば自己完結した組織なのだ。だが、もちろん、個々の党員にはさまざまな人脈、利害関係があり、これが派閥を形成して中央、地方の政治を動かしているのである。

(6) 中国経済

 中国は巨大な農業国家である。労働人口の半数が農業に従事している。しかし労働単位あたりの耕作地がせまく、機械化も進んでいないので、べらぼうに安い労賃にもかかわらずコスト高になっており、競争力がない。すでに輸入が輸出を上まわっている。
 工業部門では国有企業の存在はまだ大きい。総生産額の3割を保っている。銀行融資の7割を占め、納税額の4割(私営企業は5パーセント)、都市部での雇用は私営の2倍、生産額も私営の3倍である。
 だが外国企業の存在はもっと大きい。軽工業、化学工業、医薬、機械、電子の3分の1は外資が占めている。大型小売業はほぼ外資の独占下にある。GDPの4割、工業生産額の31パーセント、輸出の54,8パーセント、輸入の56,2パーセントを外資が占めている。
 そのほかに、各政府機関(中央の各部門から、郷、鎮まで)、人民解放軍の各部隊、学校などが経営する企業がある。これは各公的機関に充分な予算が下りず、いわば独立採算を要求されるので、勝手に金儲けに走って公的機関の人件費に当てているのである。もちろんそこでは役職を利用した企業の特権と汚職がはびこり、彼らの私腹をも肥やしている。
 太子党(党長老の二世)は、親の金に物を言わせて、アメリカに留学し、経営学など学んで帰国すると、親の権威と人脈を利用して、私営企業を立ち上げ、台湾資本と合弁したり、あるいは国有企業の株を安値で手に入れて、リストラしたのちに高値で転売したりして儲けている。
 全体的に言って、外資が活発であり、国有企業は、過剰雇用を抱えて、退職年金や、医療費の保障等もあって、コスト高で非効率ではあるが、銀行融資を優先的に受けるなど、私営企業を圧迫する形で生き残り、税制度の未整備から、政府が徴税しやすい部門として役割を果たしている。
 私営企業は苦戦している。一方では外資に押され、他方では国有、あるいは半公営の企業に差別され、圧迫されている。その中で、コネを持った太子党などが、利益を独り占めしている。
 要するに外資をのぞく国内企業は、人脈や、政治的力関係、また政治上の都合によって、左右されており、経済法則に則った競争がおこなわれていない。競争力のある国内企業が育っていない。次第に外資の植民地化しつつある。民族資本というものが生まれてこないので、外資によって労働力を搾取されているだけという状況がある。
 中国人労働者が安い賃金で働き、儲けは外国資本が持ち帰り、製品は外国消費者が享受するという仕組みになっている。
 この構造自体は、後発資本主義国の宿命である。安い労賃以外の武器がないので、それで勝負をかけるしかないのだ。だが、たとえば日本はそれを国内資本がおこなったので、国内資本が育ち、何とか一流国の仲間入りをすることができた。中国の場合、それがないので、国内企業というものが育たないのである。

(7) 金融

 金融はめちゃくちゃである。金融の独立というものがない。政治が融資を決定してしまう。返済可能であるかどうかなんて関係ない。各地方の党書記が勝手に銀行を私物化して融資を引き出し、無意味な投資に当てたり、横領したりしている。巨額の不良債権を抱えている。とても金融の自由化に耐えられる状況ではない。

(8) 社会保障

 かつて国有企業は、人口のわずかな部分でしかない国有企業従業員に、それなりの社会主義的な生活保障をおこなっていた。これは人口の他の部分、とりわけ農民の犠牲の下に可能だったのだが、外資との競争下で、この保障も崩れてきている。競争の、悪い部分だけが蔓延し、よい部分が育っていないのである。

(9) 国民経済と政治

 もちろん中国経済は成長を続けている。大資産家が生まれ、中間層も厚くなってきている。だが、格差は拡大している。この格差は共産党の権力にとって危険であるから、解決したいという気持ちは持っている。それなりの努力もしている。だが共産党の1党独裁体制にもかかわらず、また地方自治がなく地方幹部を中央が任命するにもかかわらず、さらに党が中央集権的、上意下達体質であるにもかかわらず、地方は必ずしも中央に従わない。地方は地方住民を代表することはない。その視線は常に任命権者である中央を向いている。しかし、この中央は国民によって、あるいは一般党員によって選ばれた中央ではなく、党の派閥力学の下に成り立っている中央であり、この派閥の力関係を利用して、地方は好き勝手なことをするのである。この力関係を見誤った地方幹部が汚職罪に問われる。汚職は一般的なのだが、中央権力はこれを派閥闘争の手段として利用するのである。
 地方幹部は地方を転々としていくので、その地方の利益は考えない。その地方から絞れるだけ絞り、これを有力者に貢ぐことで出世しようとする。
 革命前は各地方に、中国3000年の歴史の中で培われた有力者がいた。彼らは地方ボスだが、その土地に依拠しているので、そこの住民と決定的な対立はできない。だが、革命は彼らを一掃してしまった。新たなボスは上から任命され、地方を転々としていく一時的なボスである。彼らは自分の利益しか考えない。
 中間層は、本来、自由、民主主義、人権にもっとも敏感な層であるが、革命以来の大躍進、百家争鳴、反右派闘争、文化大革命、天安門事件の教訓が身にしみている。政治はこわい、政治には近づかないほうがいい、自分の暮らしが豊かになればそれでいい、という姿勢である。
 そして資産家の富は、バブルには役立っても、国内企業の活性化にはあまり役立ってない。
 もちろん、有力な企業や、ファンドも生まれてきてはいる。外国企業を買収し、ブランドや技術を手に入れようともしている。しかし、それはまだ主流にはなりえていない。
 西部大開発、三農重視(農業、農村、農民)、輸出から内需へ、という掛け声の下に、内陸部のインフラ整備が急がれ、企業も、沿海部の賃金上昇を避けて、内陸部に移っていこうとしている。鉄道、道路の建設が進んでいる。それは結構なことではあるのだが、日本でのかつての列島改造と一緒で、それもまた党官僚たちの儲けの種なのである。

15、中国の何が問題か

 見てきたように、中国の現代史は、ある意味日本の歴史をなぞっている。人民公社解体以後の中国農業は、戦後の土地改革、地主制度の解体、小作人の自作農化とそれが新たにもたらした問題とを見るかのようである。
 農民の出稼ぎと労働者化とは近代化の一般的過程ではあるが、中国では農民に都市戸籍を与えないことによって、これを差別し、市民としてのあらゆる権利を奪っているという深刻な問題がある。
 低賃金を利用した輸出産業によって経済成長する、これはまさに日本の歩んできた道であるが、外資に占領されて、また非効率で特権的な国有、公営企業に妨害されて、民族産業が育っていかないという問題がある。
 いま、内陸部に力を入れようとしている。これは田中角栄の列島改造であろうし、また自民党の地方代議士と地方政治家が、ずっと力を入れてきたことである。この点では、自民党の支持基盤が一貫して農村部であったこと、農村票なしには議席を得ることができなかったことが、地方経済に幸いしてきたと言えよう。それはもちろん利権がらみでもあり、深刻な公害も生んだ。共産党の強い都市部から企業を避難させたいという思惑もあった。農民の働く場は作り出したが、農業そのものは衰退させてしまったという問題もある。
 中国はそれらの問題をすべて含んだ上で、日本よりなお深刻なのは、地方を代表する権力が存在しないことである。
 中国を中央集権と言ってよいのか、地方割拠と言うべきなのか、複雑な問題なのであるが、中国の地方権力は、その地方に依拠せず、その地方の利益を代表しないで、その地位はもっぱら中央に依拠しているにもかかわらず、地方でかなり勝手放題しているのである。
 わかりやすい例を挙げると、日本の古代社会である。大宝律令制定以来、奈良、平安の時代を通じて、日本の地方政治は国司を通じておこなわれた。国司の任期は2年から4年、任命されるのは中央貴族であり、これが地方に赴いて政務に当たり、租税を徴収する。後には日本中の土地が中央貴族と寺社の荘園と化し、国司の治めるのは国衙領と呼ばれる狭い地域だけになった。中央の政治は政府の手を離れて、藤原摂関家の家令によっておこなわれるようになり、その費用は貴族たちの荘園からの上がりに依拠した。国衙領の上がりはもはや国家を支える規模ではなくなり、国司の個人収入となる。彼らは受領と呼ばれ、その任期中にいかに搾り取るかしか考えない。搾り取った中から中央の有力者に貢ぎ、次の有利な国司の口にありつこうとする。
 こうして記してみると、この制度は現代中国といかにもそっくりである。政府が形骸化し、共産党が政治を行っているというところまで、似ているではないか。中国共産党を、平安時代の貴族集団と対比することができよう。
 この支配体制は、藤原純友、平将門の反乱を経て後、源頼朝をかしらに担いだ関東武士集団の決起によって瓦解するが、それは地方経済の発展を京都の政治体制が制御できなくなったからである。
 地方は地方が治める、という合理的な歴史の選択がおこなわれたわけである。
 この国司=受領のありかたが、現代中国の地方幹部だと思ってよい。中央に任命されるので、地方の利益を考えない。だが、地方でやりたいようにやる。
 戦国から江戸期にかけての日本の封建時代は、これとはまったく違うことは理解されよう。江戸時代の大名は、土地の私有権を持っていたわけではない。この点ヨーロッパの貴族=地主とは趣を異にし、ヨーロッパに根強い私有権の概念はそもそも日本にはなかったのである。大名の領地は徳川からの預かり物で、徳川の意向次第では取り上げられる。だがしばしばそうなるわけではなく、一応は安定して同じ土地を支配した。事実上地主である。したがって、いかに搾取すると言っても、「百姓は生かさぬように、殺さぬように」であり、土地の収益を上げていくために、彼らはやはり農地経営者としてそれなりの努力をしている。地方の繁栄が彼ら自身の繁栄となるのである。
 古代社会になかったのはこのことである。そして現代中国にないのもこれである。現代中国は、まるで封建時代から、古代社会へと後戻りしたごとくである。
 先に趙紫陽が四川省で農業改革を行った事例を挙げた。これは例外である。趙紫陽の個人的資質によるものである。一般に人は自分の利益とならないことをしようとはしない。個人の善意に期待する政治は成り立たない。自分の利益を自分で守ることのできる政治体制を作らねば、意味がないのである。
 そのために必要なのは権力の多元性であって、一元的な権力は必ず腐敗する。三権分立。地方自治。言論、出版、集会、結社の自由。これを法制上確保することはもちろん重要であるが、たんに法が整備されればいいわけではない。それが侵されない社会の仕組み、社会の力関係が作られねばならない。

16、「中国がどういう方向に向かっている国か。この国の指導部はどういう性格の指導部か。この国の体制はどんな性格、特徴を持っているか」
 
問い「この国の指導部はどういう性格の指導部か」
答え「それは中国共産党という特殊利益集団を力の源泉とし、その内部の利益関係および力関係と、その集団が全体として国民から見放される危険との間で、重層的なバランスを取っているという性格の指導部である」

問い「この国の体制はどんな性格、特徴を持っているか」
答え「中国共産党の独裁体制という性格を持っており、古代的な支配体制であるという特徴を持っている」

問い「中国がどういう方向に向かっている国か」
答え「不明」

 最後の問いに対しては、不明としか答えようがない。中国問題は非常に複雑な問題であり、さまざまな要素が絡み合っているので、いま明確な解答を示し得るのはおそらく不破氏と日本共産党綱領のみであろう。しかし、彼らの解答は根拠なき解答である。
 これを書くのに、7冊の中国関連本を読んだ。いま書き終わって、非常に大雑把にしか書けなかったことを感じている。いちいち原典にあたる時間がなかったので、引用が不正確になっているところもあるだろう。何名もの学者、研究者、ジャーナリスト、ルポライターが、膨大な資料を読み込み、また実地に取材してまとめあげたものを、短い文章に要約しきることはできない。また今回読めなかった本も無数と言っていいくらいにある。ぼくの認識がどこまで中国の真実に迫りえているか、ぼくにも確言できるわけではない。だが、これだけの疑問がある以上、不破氏と党には、この疑問を解く義務がある。これを解かねば、「二つの体制論」を説明できないし、日本共産党の求めているのがどのような社会主義かということも説明できない。中国が「社会主義をめざしている」と認める以上、この問題に沈黙を守るわけにはいかないはずである。沈黙すれば、いらぬ誤解も生じようし、それにどれが誤解でどれが正解かさえ分からないのである。

参考文献

「趙紫陽極秘回想録」 趙紫陽  光文社   2010年
「現代中国の経済」  小島麗逸 岩波新書  1997年
「中国激流」     興梠一郎 岩波新書  2005年
「中国問題の内幕」  清水美和 ちくま新書 2008年
「中国問題の核心」  清水美和 ちくま新書 2009年
「中国に人民元はない」田代秀敏 文春新書  2007年
「北京陳情村」    田中奈美 小学館   2009年

17、レーニン「国家と革命」をめぐる問題

 不破氏の本の後のほうは理論問題になっている。ここでは主としてレーニンの「国家と革命」が批判されている。レーニンの「暴力革命唯一論」と、「社会主義・共産主義二段階論」とを批判する中で、後者のテーマでは、エンゲルスの「ゴータ綱領批判」を引用したりしている。
 ぼくはマルクスもエンゲルスもレーニンもほとんど読んでいないが、さいわい「国家と革命」は20歳のころに読んだ。40年前であり、その後一度も読み返してないので、記憶はあいまいである。
 これを読んだとき、正直言ってぼくは感動した。もっとも、マルクスをあまり読んでないにもかかわらず、マルクスとだいぶ違うなというのはそのときすでに感じていた。
 マルクスが平和革命を否定しているかのごとく読者をリードしていこうとする論法はかなり強引で、ぼくは笑ってしまった。でもレーニンを批判しようとは思わなかった。マルクスとレーニンの立場の違いというものを、ぼくはそのときはっきり感じた。マルクスがヨーロッパの社会主義運動に何がしかの関係を持っていたとしても、基本的にマルクスは理論家であり、これにたいして、レーニンはロシア革命の現実の真っ只中にいる政治家である。マルクスは純粋に理論を唱えていればよかった。レーニンはそうはいかない。現実政治の中で政治的敵対者を論破していかねばならない。
 現実にあのときのロシアには暴力が不可欠だったのだろうと思う。そういう状況で、彼らの間ですでに権威だったマルクス理論を楯にとってレーニンのやり方を批判する者に対して、彼はたとえマルクスを強引に捻じ曲げてでも、これを論破していかねばならなかった。学説を述べているわけではなく、政治的スローガンを叫んでいるわけであるから、マルクスがどう言ったなどということは重要なことではないのだ。ロシアでいま何をやらねばならないかについて彼は述べているのだ。
 ぼくはあれを読んだとき、理論的著作にも文学的インスピレーションというものは必要なのだと、初めて感じた。天才的文章だと感じ感動したのである。それを、文学的にごまかすという意味にとられると、ちょっと違う。文章の展開していくさまに、インスピレーションなしでは書けないものを感じたのである。
 だからぼくは最初から、マルクスにしろ、レーニンにしろ絶対化したことなどなかったし、不破氏の文章を読んでも、何をいまさらこんなことをといった感じである。
 ここで感じたこと二点。ひとつは「強力」という訳語である。この言葉がはじめて日本共産党の文献に出てきたときの解説を読んだ記憶があるが(その内容はもう忘れたが)、そのとき、こんな、こなれてない日本語に、特殊な意味を勝手につけて使うと、将来にっちもさっちもいかなくなるぞと感じた。不破氏の文章を読みながら、その思いを新たにした。
 何故「暴力」ではいけないのか。「暴力」という言葉が誤解を与えるということだろうが、それを「強力」という耳慣れない言葉に変えたからといって誤解がなくなるわけではあるまい。日本共産党の内部でしか通用しない特殊な造語の使用は、それをもはや使い慣れた党員にとっては違和感もないのだろうが、一般市民をますます党から遠ざけるだけである。
 「暴力」という言葉は結構幅広い意味で使われているし、必ずしもむきだしの暴力のみを意味するわけではない。しかも現実生活の根底にあるのは、ある意味での暴力性なのだ、という認識は避けることができないのである。
 
 第二点。現実の政党が現実の政治を論じようとするさいに、何故わざわざマルクスを引用する必要があるのか。マルクスがどう言おうと、エンゲルスがどう言おうと、レーニンがどう言おうと、正しいことは正しいし、まちがっていることは間違っているのだ。それは現実によって検証されることで、マルクスの理論に照らしてどうか等ということはどうでもよいことだ。それは学者がやればいいことで、政治とは関係ない。いちいちマルクス解釈に正当性を求めようとする姿勢には疑問を感じる。(それはレーニンの時代のやり方だ)。

 さて二段階論である。ぼくは中学生のときに社会科のレポート提出で図書館でこの問題を調べた記憶がある。当時ルーズベルトのニューディール政策も何かの課題で図書館で調べた。同じ頃だった。
 これは当時ソ連が主張し、また世界の社会主義者の間で一般的だった理論で、社会主義社会には二段階ある、その初期の段階では、「労働者は能力に応じて働き、働きに応じて受けとる」、発展した段階では、「能力に応じて働き、必要に応じて受取る」、初期の段階を社会主義社会と呼び、発展した段階を共産主義社会と呼ぶ、というものである。そしてフルシチョフによると、ソ連はすでに社会主義社会を実現し、今後共産主義社会に向かう、とされた。
 この社会主義、共産主義という言葉の使い分けは、もうずっと以前に共産党が否定し、マルクスはそんな使い分けをしていない、この言葉は同じ意味だ、と解説しているのを読んだ記憶がある。そのときには社会主義の低次の段階、高次の段階という使い分けをまだしていたと思うが、今回はそれも否定した。その理由は、未来のことについて、いまから具体的なことを言うことはできないという点にある。そして、「ゴータ綱領批判」にそう書いてあるというわけだ。
 わざわざ「ゴータ綱領」を引き合いに出さなくても、と思うが、マルクスを読み違えている党内外の頑迷なマルクス主義者たちを論破し、またマルクスの正当性を主張するためにも必要なことだと不破氏は思うのだろう。
 だが分配の問題で二段階に分けるのは正しくない、と何故わざわざ強調するのか。ここで問題になっているのは分配云々でもなければ、二段階論でもなく、むしろ将来社会そのものだろう。将来社会など、我々にわかるはずがないのだ。そんなものを夢想するのは空想的社会主義だ。マルクスだって100年後の世界がこうなっているのを知ればびっくりするだろう。必要なのはいまの社会がどうなっており、いま何をなさねばならないかだ。もちろん近い将来のことは考えねばならないが、その先の社会に権利を持っているのはその時代の人々であって、われわれではない。
 資本主義をどの方向に進めるべきかについて、意見の違いがある。そこには社会的階層による利害の違いがある。そして社会的な、あるいは政治的な、もしくは思想的な闘いがある。この闘いはおそらく人類永劫に続いていく。資本主義がどのようなものになっていくか、確としたことは誰にも分からない。わかっているのは、変化しないものなどこの世に存在しないということと、それをどう変化させるのかが一人一人にかかっていること、しかしその変化には合理性が必要であって、勝手に思い描いたようにはなりませんよ、ということだけだ。しかも今日の合理性は明日の合理性ではない。合理性そのものが時代による変化をこうむるので、遠い将来を論じることは無意味なのだ。(注参照)

 社会主義、共産主義という言葉を区別することが現代においてまったく意味がないかといえば、そうでもないだろう。歴史的には、ロシア革命を経てソ連共産党がボルシェビキから改名し、社会主義世界での権威となる中で、またソビエト体制に対する賛否が社会主義者の間に生まれてくる中で、ロシア革命擁護派を共産主義者と呼び、非擁護派を社会主義者と呼ぶことが一般化したように思う。擁護派は、自分たちこそ社会主義者であって、非擁護派は社会民主主義者なのだといい、非擁護派のほうでは、これも自分たちこそ社会主義者であって、擁護派は共産主義者なのだといって、立場の違いによって言葉の定義を変えたことが、問題を複雑にした。
 一般的には、空想的社会主義をも含めた、社会改良型の政党を社会主義と呼び、権力奪取型のマルクス主義政党を共産主義と呼ぶ習わしができたと思う。
 そして、社会的慣習が作り上げてきたこのイメージは、あながちまったく的外れでもない。もちろん現代では権力理論はマルクス時代の、あるいはレーニン時代の幼稚な理論であってはならないが、それでも権力理論の考察を重んじることが、共産主義者を特徴づけるだろう。誰のために政治を行うのか、だけでなく、誰の力に依拠して政治を行うのか、この依拠することが結局その利害を代表することになるというリアリズムこそが共産主義者を決定づける。
 これは大事なことだが、逆にこの考え方が、社会の一元的支配、自称(もしくは思いこみ)共産主義者たちの独裁を生んできたのも事実である。
 だからこそ、ソ連や中国の研究が大事になる。資本主義が作り出してきた多元的な社会、高度の民主主義をより発展させていく形で、もっとも民主主義的で、有機的な権力理論を考察していくことが必要になる。

18、民主集中制について

 いままで書いてきたなかで明らかにしてきたように、ぼくは民主集中制について批判を持っている。これは決定的な批判であり、このシステムを捨てなければ日本共産党は生き残れないだろうと思っている。ただ、今回目的としたのが綱領批判であって、民主集中制は規約上の問題であるから、ここでは十全に展開することができなかった。
 民主集中制が民主主義を保障したことは、歴史上一度もなかった、という事実に目覚めて欲しいのである。それは民主主義を偽装した封建的システムである。このシステムが、ソ連、中国を独裁に導いたのである。
 これについてぼくは「日本共産党への質問状」の最初の文書の中でひととおり説明したつもりであるが、それが分かりにくかったとすれば、再度解明を試みることになるかもしれない。ここではただその点に注意を促すにとどめておく。

19、「それぞれの分野で、もっとも切実な、そして最も広範な人々を結集できる要求がどこにあるかを調査・研究すること、実践面でも、そういう運動の前進に協力し、また先頭に立つことが、私たちの政策活動の重要な内容となってきます」

 最初の約束に従えば、このテーマを展開せねばならないのだが、少々疲れたし、いままで書いてきた内容にそぐわないテーマのような気がするので、ここで止めることにする。
 ただ、不破氏のこの表明にぼくは全面的に賛成であり、いま求められている運動を、いまの社会感情に適合した形で展開することに党活動の最大の重点をおくべきだということを、いままでの文書の中でも繰り返し述べてきた。そして何故党活動がそうならないのかという原因究明と解決策も述べてきたつもりである。
 不破氏が運動の重要性に気づいていることを知ってぼくは少し安心したが、残念なことにそこには具体的な提起がない。また、問題意識があいまいであり、危機感がない。ぼくの目から見ると、共産党はすでに存亡の縁に立っている。小選挙区制は少数政党を一掃してしまうだろう。共産党は議席のない政党になり、やがてすべての影響力を失って、消滅してしまうだろう。そうなるしかないのか、それとも力を取り戻す手立てがあるのか、いま、全党が、党外の人々も含めて、真剣に議論せねばならないときだろうと思う。

 注(17章)

 この部分は筆がすべって誤解を与える書き方になっている。「未来社会に権利を持っているのは未来の人々である」ということは不破氏自身主張しているのであって、その点で不破氏とぼくとの間に意見の相違があるわけではない。ただ、不破氏はそう言いながら、「社会主義社会の指標は、分配問題ではなく、生産手段の所有問題である」ということを強調したいがために、分配問題を親の仇のごとく攻撃している。そのことにぼくは違和感を持ったのだ。
 現在、世界の人々が不満を持っているのは、労働結果の分配の余りもの不公平さに対してである。人類の1%が99%の富を独占している。その結果経済がまわらなくなっている。分配問題はきわめて今日的問題なのだ。それをさておいて、来るかどうかわからない未来の社会主義の所有問題を語っても意味がないではないか。結局不破氏が関心を持っているのが理論問題だけで、現実はどうでもよいのだ、と思わざるを得なかったのである。

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