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田本真啓「さくらが鳴いた」(「民主文学」18年11月号)

 どういうことだろう。
 18年度新人賞受賞「バードウォッチング」の田本真啓である。受賞作がたいへん面白かったので、期待して読んだ。
 ところが文章がいかにもぎこちない、とても同じ作者とは思えない。小学生の作文を読むようだ。
 主人公は、大工の父親に殴られて育ったせいで、すでに精神的欠陥を抱えており、高卒後建設会社に就職するが、22歳で辞めた。6年間無職で過して28歳で自殺する。
 視点を定めずに書いている。主人公の視点でもなく、父親の視点でもない。作者による客観描写かというと、またそれらしくもない。「さくら」と名付けた猫がときおり出てくるが、タイトルに使うほどは登場していない。いっそ、猫の視点で書けばよかったのにと思う。
 どこにも視点を置かずに書いた結果、描写らしい描写がどこにもなくなった。すべてが説明である。しかもその説明の主体さえ定まらない。作者が作者の立場から説明するのなら、作者という主体がそこに存在してなければならない。それも感じさせない。
 投げ出したい衝動を我慢して我慢して読んだ。最後まで来て、主人公が自殺したあとになって、やっと、小説らしい文体が現れた。父親が主人公になってからの3ページほどは読ませる文体になっている。

 どういうことなのだろう、と考えている。
 書けない作家ではないのだ。慣れた書きかたをやめて、違う書きかたに挑戦してみたのだろう。視点のない小説というものに。
 試みて失敗したのである。若い作家だから、そういう意欲的な実験は必要かもしれない。
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コメント
20:わりと好意的な評が多いようですが by 笹本敦史 on 2018/12/09 at 19:08:45

この作品にはわりと好意的な評が多いのが意外です。
新しいことを試そうという意図は感じましたが、成功してはいないと僕も思います。

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