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「民主文学」18年12月号

  南城八郎「いっぽ」
 12月号は、ぼくと同世代の5名の作品で、いずれも共感した。とりわけ、南城八郎氏は同い年だ。「まがね」の例会で、その作品「いっぽ」と、ぼくの「夜」とをならべて取り上げてくれたが、「いっぽ」の迫力に圧倒されて、ぼくの青春記のほうはずいぶんとのんきだな、と我ながら感じてしまった。
 南城作品の職場は66年のことで、ぼくが、自作中で二年以上前のこととして設定したその年代とあまり変わらない。だがその職場環境はすさまじく異なる。南城作品では寮が川崎、工場が東京で、送迎バスで30分、公共交通機関を利用すると乗り換えなどで一時間半かかる、寮が少し不便な場所にあるのだろうか。
 ぼくが書いたのはどことも地名を書いていないが、モデルとしたのは京都の工場である。
 だが、たぶん地域事情というよりも、組合のあるなしの違いだろうか。ぼくの書いた工場の組合はれっきとした御用組合だったが、当時の御用組合は、いまほど名実ともに御用なのではなかった。一応組合民主主義の建前は残していた。ちゃんと代議員選挙をやり、職場代表を選び、分会長を選んで、職場討議もやれば、組合大会もやる。公然たる共産党員も選ばれた。反対意見もしゃべらせてくれるし、執行部案を否決することもできる(じじつ、組合大会でぼく自身が引っ繰り返した)。活動しにくいポジションへの配転や、それとなしの説得はあったが、それ以上ではない。
 ところが南城氏の「いっぽ」では公然と暴力をふるわれる。そういうなかで、中卒の19歳の旋盤工がひとりたたかう。それも決して強い人間ではない。体格も劣り、性格も弱い人間である。その少年ともいうべき若者がすさまじい暴力のなかをたたかいぬく。
 なぜたたかえたのか、は必ずしも読み取れない。それがたしかに欠点なのだが、おそらく作者の体験をそのまま書いたと思われるので、そのことに強い印象を受ける。
 選評にもあったが、ともにたたかった4人の女性たちを描けなかったのは残念だった。人のことを振り返る余裕はなかったのだろう。
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