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「赤い風」その他

 チャンドラーを再読したいと思って探したとき、「かわいい女」はすぐ見つかったが、「長いお別れ」がなかなか見つからず、その前にもう一冊、別のチャンドラーが出て来た。

「赤い風」 創元推理文庫 63年初版 84年33版
      チャンドラー短編全集全4巻のうち1巻 稲葉明雄訳 
 収録作品 「脅迫者は射たない」「赤い風」「金魚」「山には犯罪なし」

 この本のことは全然記憶になかった。今回全部読んでみた。「かわいい女」や「長いお別れ」ほどの切れ味はない。
 付属の年表によると、チャンドラーは1888年生まれ、1933年「脅迫者は射たない」でデビュー(45歳)、1949年「かわいい女」(61歳)、1954年「長いお別れ」(66歳)、1959年、死去(71歳)。
 それ以前にも多少のものは発表していたようだが、実質的なデビューは45歳である。ずいぶん遅い。そして文学史に残る名作2編を書いたのは、61歳と66歳。その5年後には死んでしまった。

 この第1巻には、チャンドラー自身による短い「序」がついている。この「序」が含蓄深い。

「よい場面を生みだすのがよいプロット」(プロットのために場面があるのではない。場面のためにプロットがあるのだ)「場面がプロットに優先する」
「理想的な推理小説とは結末の部分がちぎれていても読みたくなるようなもの」(場面の描写が優れていれば、プロットとは無関係に読みたくなる)
「推理狂は……平面図を欲しがり……」(ここはさすがに耳が痛い。パズルを解くことだけに関心があって、文学を楽しもうとしない)
「私の作品のなかにも、改変するか、すっかり削除してしまいたい部分がある。これは一見やさしいことのようだが、やってみれば、まったく不可能であることがわかる。よい部分を台なしにして、悪い部分にはほとんど何の効果ももたらさないのが関の山だ。そのときの気分、無垢の精神状態、ましてや他のなにものも持たなかったときの動物的な激情などは、二度と取りもどせないものである。小説の技術とか方法とかについて作家が習得するものは、すべて、わずかながら、彼の書かねばならぬという要請や書きたいという欲求を矯めていく。こうして最後には、ありとあらゆる技巧をきわめながら、なにも言いたいことがなくなってしまうのである」

 娯楽小説だからと言って、馬鹿に出来ないことがわかるだろう。ここには文学一般に通用する問題が語られている。

 いまになって英語を勉強しておかなかったことを後悔しているのだが、とりわけ文体というのは語学の問題である。気になっているのは、「かわいい女」と「長いお別れ」の文体の魅力がどこまで翻訳に依拠しているのかということだ。その二作は清水俊二の訳である。知ってのとおり、清水俊二は洋画の字幕を書いていた人だ。字幕というのは特にテクニックがいる。鑑賞者は画面を見ながら瞬時に字幕から意味を読みとらねばならないわけで、いかに要点をつかんで短い日本語にするかという勝負だ。清水俊二の体得したそのテクニックが、ぼくら英語のわからない読者にチャンドラーをより魅力的にしたという側面もあるのではないか。

 ところで、高村 薫の最近の発言が気になっている。
 彼女の作品は「マークスの山」を何十年か前に読んだだけだ。それは推理小説というよりも警察小説で、推理の部分は穴だらけだった記憶がある。注目したところがふたつ。かなりリアリズムに徹しているので、登場する警察関係者の人数が半端じゃない。名前を書いたって読者は覚えきれない。AとBとを区別できない。それでほとんどすべての警官にあだ名をつけたのだ。たとえば、背の低い童顔の上司は「ペコちゃん」である(これが一番印象的でいまも覚えている)。
 もうひとつは、主人公の独身警官が、毎日帰宅するとスニーカーを洗う、という場面である。なるほど一日スニーカーで戸外を歩きまわるのだから、洗わねばならないだろう。なんでもない描写だがこれが強く印象に残った。
 というのは余談だが、高村 薫はミステリー部門から、いわゆる純文学に移った人であるらしい(読んでいないのでわからない)。その最近の発言というのは以下である。
「大衆小説と、純文学との垣根はぐっと低くなった。いまは純文学が大衆小説に近づいている。だが、その区別をどうつけるのかという問いへの答えはなかなかない。あえてひとつあげれば、純文学は文体にこだわる」
 なるほどと思って読んだのだが、レイモンド・チャンドラーの「序」を読めば、文体にこだわるのはあながちいわゆる純文学だけではないぞ、大衆小説でも上質なものはやはり文体にこだわっている、と思わされた。
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