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オウム事件から

 恥ずかしながら歴史の知識に欠けていて、日本古代史だけは何冊か読んだことがあったが、それも半世紀も前のことだ。現代史も、ベトナム戦争以前のことはほとんど知らない。第二次大戦以前の日本など、ぼくにとっては江戸時代のようなものだ。
 そんな状態だが、最近なんとなく気にかかることがあった。
 第二次大戦敗北前に少年少女だった人たちが、ほとんど例外なく、自分は軍国少年、軍国少女だった、と告白することだ。
 ぼく自身は辛うじて敗戦後の生まれで、ここに決定的な断絶があるように感じた。あまりにも例外なく軍国少年、軍国少女なので、「そうなのか。子供をだますということはそんなにも簡単なことだったんだ」と、にわかに納得してしまった。
 考えてみればそうかもしれない。人間が持って生まれた本能は、ただ動物として生きるのに必要なことだけで、それ以上のことは全部生れてから学ぶのだ。嘘を教えられても判断する方法がない。信じこんで当たり前なのだ。
 大人はどうだったのだろう。軍国少年少女たちの口から聞くのは、敗戦後大人たちがコロッと反対のことを言い始めた、大人は信用できないと思い軽蔑した、ということなのだ。
 だが、軽蔑するには当たらない。大人は子供たちのように心の底から嘘を信じてなどいなかった。ただ長いものに逆らうとやばいので、賢くふるまって嘘を信じているふりをしただけだ。というか、そもそもそれが嘘かほんとうかなど、彼らの人生には何の関係もなかった。そんなことは生きていく上で、考慮に値することではなかった。それが正しいと言われればそうですかと言えばいいし、じつは反対のことが正しかったのだと言われればそれもそうですかと言えばいい。
 大人は何も信じない。信じる必要がない。生きていければいいのだ。
 だが、子供は違う。生きていく上で必要なことをまだ何も知らないから、教えられたことを信じるしかない。これは決定的な違いだ。
 だから敗戦後の変わり身は大人たちの方が早かった(らしい)。
 とはいえ、大人たちも大戦前の教育から完全に自由だったわけではない。子供たちのように無邪気に神国日本を信じることはできなかっただろうが、信じているようにふるまわねばならなかったのだから、ふるまっているうちには自分で自分をだますようにもなる。どこまで信じていたか、どこまで疑っていたかは微妙な問題だ。
 そして信じていたにせよ、疑っていたにせよ、多くの大人が子供たちに嘘を教え、嘘を信じ込ませ、人を殺させ、また自殺させた。それが現実であった。
 こういうことが気になっていたときに、オウムの元幹部たちの死刑執行があった。
 オウム事件はぼくの子供たちから少しだけ上の世代が引き起こした事件だ。下手をすれば子供たちが巻き込まれていたかもしれない事件である。だから無論関心はあったが、知識はほとんどない。麻原本人に対してはまったく興味がなく、麻原に騙された人たちに関心があった。なぜ騙されるんだろう、と考えていた。
 それが今回、軍国少年、軍国少女たちとぴったり符合した。ちょうどそういうことを考えていたときだったので、これはまったく同じ構図じゃないかと、つくづく得心したのだ。
 なぜ騙されるのか。なぜあんなくだらない嘘を信じることができたのか。――だが、70年以前には、日本中が嘘を信じていたではないか。子供たちは本気で信じていたし、大人たちはどこまで本気か知らないが、少なくとも信じているようにふるまっていた。それもオウムに劣らない、下らない嘘だ。あんな嘘をなぜ信じることができたのかと首をひねるような嘘だ。70年以前には日本中がオウム信者だったのだ。
 オウムは少しも不思議な事件ではない。たしかにオウムに騙されたのは子供たちではない。もう少し上の世代だ。しかしいずれ未熟な若者たちだ。人生経験の少なすぎる年代だ。インテリの卵ばかりだったから、社会的により未成熟だったかもしれない。
 だが、誰が彼らを馬鹿に出来るのか。70年以前天皇制政府の馬鹿々々しい嘘を信じ、もしくは信じるふりをして、それを子どもたちに教え込んだのも、我々の祖先なのだ。
 同じ構図じゃないか。
 そんなことを考え、文章化したいと思っていたら、高橋源一郎に先を越された。今日の朝日新聞に、ぼくがここに書いたのと同じことを書いている。
 だからぼくは書く必要がなかったのだが、後出しジャンケンみたいだが、まあ、書いてみた。朝日新聞をご覧ください。
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