FC2ブログ

プロフィール

まがねとおる

Author:まがねとおる
FC2ブログへようこそ!

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

FC2カウンター

カテゴリ

リンク

RSS

「零地帯」第2号(民主文学東京東部支部) その1

木村陽治「堀田善衛のまなざし」

 これについてはすでに書いた。「広場の孤独」の適切な紹介に誘引されて、ぼく自身再読することになり、その小説のすごさを再認識した。中央公論版の「日本の文学」で読んだのだが、解説を担当した村松剛が、この小説の登場はほとんど事件であったと書いている。日本のマルクス主義文学者もこういう作品を書かなきゃならないのではないかと本多秋五が言ったとか。一方で、宇野浩二は、「うまい工合いに、いまの時世にむくような事を書き、それにふさわしい理屈も述べているが、ウスッペラで、作り事が、作り事になって、真実の感じがしない、読者の心にせまるものがほとんどない」と酷評したとも紹介している。村松自身、たしかにストーリーや人物設定にあいまいなところがある、と書いている。
 この、村松、本多、宇野の名前くらいは記憶にあるが、どういう傾向の人なのか、文学事情に疎いぼくはまったく知らないわけだが、まあ、小説というものは読む人次第ということなのだろう。
 ぼくに言わせると、作り事を書くのが小説だから、作り事だと言われてもどうしようもない。正宗白鳥は夏目漱石を文章のうまい通俗小説と言ったそうだから、明治以来の日本の伝統的自然主義文学の立場から言えば、ストーリーのあるのは通俗小説というくくりになるのかもしれない。
 主人公木垣は、通信社の記者ハワード・ハントと、新聞社が退けてから、羽田、川崎、横浜と移動することになるのだが、作者としては朝鮮戦争の最前線の中に主人公を置きたくて、そういう設定をしたのだろうが、小説の中では読者を納得させるだけの理由づけをちゃんとやっている。その理由づけに必要だったのが、ハントであり、あるいは張国寿だった。横浜に着いてしまうと彼らはもはや必要なく、ティルビッツ男爵が登場する。これは木垣にとっては偶然の再会だったのだが、男爵のほうではそう思っていない。木垣の妻京子はアルゼンチンへと出国する工作のためにすでに男爵と会っており、必要な経費の相談もしている。そういうことを木垣も知らず、読者も知らないままに話は進んでいく。男爵は木垣をタクシーに押し込んだ際に、木垣の胸ポケットに何かを入れた。それは百ドル札13枚、千三百ドル、50年当時の交換レートで、52万円、同じく50年当時の貨幣価値で言えば、たぶん平均的勤め人の年収くらいに相当するのではないか。
 小説の後半は、この金は何なのかというもやもやを抱いたまま展開する。新聞社に帰っての徹夜の明けた朝、妻と幼子の待つ貧しい貸間に戻ってきて、妻の話に謎が解ける。と同時に木垣はこの大金を火にくべてしまう。木垣と妻とが札束を火から出したり入れたりする過程で二人とも手に火傷を負う。
 そしてそこから物語は半日飛ぶのである。夜になって、夫婦がセックスを終わった後、御国と立川が窓をたたく。彼らはレッド・パージで新聞社を追われたのだ。木垣は二人を部屋へ招じ入れる。京子が高級ウイスキーを饗ずる。二人が帰った後、京子は男爵と会って顛末を話してきたと打ち明ける。男爵は売春をほのめかすが、京子はそれを断り、千三百ドルの代りに、ウイスキー1本をもらって帰ってきたのである。
 つまり、男爵と京子の関係は木垣も読者も知らないままに物語の背後で進んでおり、詳細は不明なままに、読者の想像力に任されていて、ただその結果としての木垣や妻の行動だけが叙述される。
 ストーリーが通俗的だと言われてしまえばそれまでだ。その通俗性をオブラートに包んで、なんだか聞いたふうな議論を散らばしてごまかしている、と宇野浩二は受け取ったのだろう。
 だが、全国の若い知性がこの小説に沸き立った。アメリカの支配下にある敗戦国日本の知識青年たちの、やりきれないもやもやをこの小説が表現していたからだろう。

 木村さんによる紹介文から話が離れてしまった。「広場の孤独」を紹介した後、木村さんはいくつか個人的な感想を述べていて、それも興味深い。
 氏がこの小説を読んだ20歳の時とは1956年で、その年、氏は共産党に入党し、10月には砂川闘争に赴いた。ところがその直後、ソ連はハンガリーに侵攻し、ナジ首相を連れ帰って処刑してしまう。共産党はこれは反革命への鎮圧だ、CIAの陰謀だったのだと宣伝するが、氏にはどうしてもそうだとは思えない。「しまった、共産党に入るのじゃなかった」と思ったそうだ。
 このとき氏は堀田善衛の「砂川からブダペストまで」という評論を読み、砂川の闘いもハンガリーの闘いも同じことだという指摘にうなずいたのだという。のちに共産党はハンガリー事件への判断の誤りを認めた。また68年のプラハの春に際しては、最初からソ連を批判する立場をとった。
 共産党の東京都議会議員を勤めたバリバリの党員の木村さんにもそういう若い時代があったと正直に語ってもらうとなんだかうれしい。
 私事だが、ハンガリーのときはぼくはまだ子供で何も知らなかったが、プラハのときはすでに学問に見切りをつけ、アルバイト先で知り合った年下の浪人生たちと、同人雑誌を始めていた。彼らと銭湯に入り裸で交わした会話が忘れられない。
 一人が、アカハタは何故プラハのことを書かないのかと息巻いた。ぼくはどう答えてよいか少し戸惑った。そのときもう一人が、アカハタは一般紙じゃなくて政党の機関紙だから党内の意見をまとめなければ書けないだろう、と言ったのだ。正解だった。ソ連を批判する見解はまもなく発表された。
 ぼくは党員じゃなかったし、誰も党員ではなく、むしろ口を開けば党の悪口を言いあっていたが、それでもアカハタがどう書くかということはみんな気にしていた。

 この「堀田善衛のまなざし」については数行書いて終わるつもりでいたら、書き始めたら止まらなくなった。「零地帯」2号はほかにも面白い作品が多いので、いったん切って続きとする。
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
▼このエントリーにコメントを残す