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浅尾大輔の「中本たか子論」

 浅尾大輔の「中本たか子論」は、ぼくには面白かったが、ぼくが中本たか子を知らないからでもあった。知っている人にはいろいろ異論があるのだろう。浅尾大輔が自らのブログで、いささかバッシング(?)を受けているらしい事情を書いている。
 批評というものには、その人の属す範疇によってかなりくっきりした特徴がある。そのことをぼくは亀山郁夫の「罪と罰論」を読んだ時に感じた。
 つまり、学者(=研究者)、批評家(=文芸評論家)、作家と分けてみると、面白いほどに特徴が出てくる。
 学者はやることが徹底している。ひとつの作品を論じるにも、その作品に関するすべてを調べ上げる。すでに発表されている批評は当然すべて読む。読んで検討を加える。外国の作家の作品なら、もちろん言語に達者でなければ成り立たない。
 で、学会で報告するような研究論文は、素人はあまり読む気になれない。ので、学者も素人向けに新書で書いたりする。厳密な検証経過を省いて、誰でも読めるスタイルにする。だが、そうやっても学者らしい臭いは必ず残る。
 これに対して、批評家(文芸評論家)の書くものは一味違う。そこまでは徹底しない。むしろ評論家は自分のテーマを持っており、それに沿って書く。学者がテーマを持たないという意味ではないが、学者の場合はあくまで学術的テーマである。評論家はもう少し一般社会的テーマになる。
 これが作家となると、もうぜんぜん違う。批評が本職ではないから、そこまで徹底して研究することに時間を割く気はない。作家は自分の小説論を持っており、そこにこだわりがある。彼が書くのはあくまでその小説論と関わってくる部分なのだ。それを書かねば自分の小説が書けないから書く。読者のためよりもより多く自分自身のために書くのである。

 読む側から言うと、それぞれに別々の味わいがある。だから、浅尾大輔、負けるな。書きたいように書け。
 少なくとも中本たか子に関心を持たされた。いずれ読むかもしれない。
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