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「労働価値説について」 植田与志雄

 植田氏から頂いた文章を許可を得て公開します。

   「労働価値説について」 植田与志雄

 石崎文は労働価値説と剰余価値の分配に関するテーマがメインと思いますが、主に前者についてだけ書きます。
1.労働価値説、この価値という言葉、私も石崎さんと似たような疑問を持っています。また多くの誤解があるので、それは誤解と言うには無理があると思います。
 石崎さんの解答はこうですよね。
・労働価値説での価値には道徳の色彩はない。
・価値は本質ではない、便利な補助線に過ぎない。
 植田⇒マルクスが価値という言葉を使っているのは使用価値に対する対照を意識したからと思う。使用価値は計量できないけれど価値という言い方に説得力がある。商品として交換されるのは異質な使用価値で、分析するには計量されていないと困る、だから労働時間で計量できる量に翻訳した価値を補助線として、仮想的に導入した。計量しえないものを労働時間という生産の原点に戻って考えるか、使用価値、効用という結果に着目するか、で労働価値説と効用価値説に分かれると思います。どちらの理論も純化すると互いの仮説を排除しあい現実に適応できないと思うのです。
・労働時間は生産と消費を社会全体でみるときは最も基本的な問題を示している。1日で消費する財は1日以下で生産されねばならない。財の品目を措いて平均的にみれば当然ですよね。社会全体では労働価値説的捉え方に絶対的正しさがあると思えるのです。
・でも現実の商品交換は使用価値ですから、労働時間はどうでもいいのです。1秒で閃いたアイディアでも1000時間かけて生み出されたアイディア以上の使用価値があるのはよくあることで、労働価値説は適応できない。原因より結果がすべてなのが効用価値説で個々の交換現場ではこれが価格決定に支配的です。特に生産物が物質的財から非物質的財へシフトしつつある現代ではこれがメインになりつつある。
・でも社会全体では労働価値説の支配下にある。個々と全体では支配するルールが異なるのではないでしょうか。マルクスの時代、生産力が物質的財の内に留まっていたときは個と全体を同じルールで説明できていたけれど…… 今は「マルクスを一つの材料にはするけれど」のアプローチ、マルクスへの50%の敬意と50%の否定、ちょっと大げさですが、これで行きたい。

2.剰余価値の配分に関して奴隷労働による生産物の場合について
・奴隷主に雇われた芸術家は奴隷生産の剰余価値の分け前に与かっているのか
 芸術活動に対してマルクスはモノ生産で生まれた価値を消費するマイナス労働と見て「一方での剰余労働の創造、他方でのマイナス労働の創造が対応する」と言ったことがあります。(マルクス経済学批判要綱:第一篇資本の生産過程の最終部分の脚)

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