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矢嶋直武「源流」

「源流」というタイトルが気に入らないと作者にメールしたら、自分も気になっているが、いいタイトルを思いつかないと返ってきた。
 書いた本人は案外自分が何を書いたのかよくわからないものだ。書こうとしたものと出来上がったものとが違うということもある。何を書いたかがわかればタイトルは自然に浮かんでくる。
 一読者の立場から言わせてもらえば、この小説にふさわしいタイトルは「新米教師の一年」である。そういうのんびりしたムードがこの作品にはある。
 70年ころ、筑波の田園地帯の私立高校に赴任した東京出身の教師の一年間の物語である。
 特に理由があって行ったわけではない。東京での就職活動がうまくいかずに、たまたま受けたら受かった。その時に見た田園風景がなんとなく気に入って、そこに決めてしまった。
 ところがそこがとんでもない右翼学校である。陸士出の剣道師範がいて、新人教師を教練する。朝始業のサイレンが鳴ると、教師も生徒も全員がその場で直立不動し、日の丸の方向に向かって校歌を歌う。
 でもそういう校風になってしまった経過が少し間が抜けていて、目くじら立てる前に笑えてしまう。脱力右翼なのだ。
 ぼくは村上春樹の「ノルウェーの森」の学生寮を連想してしまった。
 六月、飲酒する生徒がいて、学校に来なくなり、かと思うと七月、舞い戻ってきて、思いを抱く女生徒を無理やり車に乗せて事故を起こす。
 九月には校庭の草刈り。
 十一月、左翼系の民族芸能団の公演問題から、話は一挙に政治化してくる。が、それ以上に展開するわけではない。
 十二月、一緒に入った新人女教師が県立の採用試験に受かって来年は去ることを告げる。
 例の問題児が例の女生徒に手紙をよこした。自衛隊に入って北海道へ行くのだと。女生徒は「私、返事を書きます」と告げる。「先生、学校をやめないでね」とも。
 つまり全体としては、まさに新人教師の一年間なのだ。それをいくつかのエピソードで要領よくまとめている。それぞれのエピソードのそれ以上の発展を望んでも無駄だ。そういう小説ではないのだ。

 過去をどう書くかと、先ごろの座談会でも提起されていた。書き手たちが思い悩んでいるのだとも。
 とうてらおは71年前をみごとに書いた。兄弟の食い違う記憶という形で、記憶というものの本質を浮かびあがらせるような形で描ききった。
 大石敏和は、(たぶん)自分の少年時代の記憶を、児童文学タッチにすることで、それなりの世界を創り出した。それは50年代末の中学生たちの世界である。

 矢嶋直武が描いたのは、問題の1970年、いま定年退職して小説を書き始めた団塊の世代が、一斉に取り上げている時代である。でなくてもすでに大勢が書いてきた時代だ。「ノルウェーの森」もそうだった。
 それは第二次大戦後の日本史でもかなり特異な時代で、その時代を生きた人にとって特別な時代で、そしてどうしても書きたい時代なのだ。だが、当然それは人によってさまざまに異なる姿をしている。
 その時代のいくつかの作品に対して、ぼくは過去に強く反発した。その反発の理由は、いま思うとかなり個人的なものだったかもしれない。ぼくにとってその時代が苦渋に満ちた時代だったので、その時代を無反省に語られると、いやな思いがしたのだ。
「民主文学」の書き手たちは闘ってきたので、闘いの青春を肯定的にとらえている。もちろんその闘いは無ではなかった。だが、ぼくの目から見ると、闘ったにもかかわらず、世の中ははたして良い方向へ進んでいるのか、という疑問がある。その闘いは本当に正しかったのか、どこかが抜けていたのではないか。なにかが間違っていたのではないか。半世紀経ったいまの地点で書く以上、そういう内省が必要なのではないか。当時は少なくとも組合運動らしきものがあった。いま組合らしい組合はすでに存在しない。資本はやりたい放題である。何故こうなってしまったのか。
 読んでいちばん安易に感じるのは、取って付けたようにして現代と結びつけるやり方だ。こういう作品が一番いやだ。時代は時代をして語らせねばならない。70年を書くなら70年を書かねばならない。その時代の特殊性がある。だが、そこに、その時代を見ている2018年の作者の冷徹な目がどこかに感じられなければ、作品は失敗である。
 そういう思いが常にあって、それはかなりぼくの個人的な思い入れなのかも知れないのだが、特にその時代を書く作品に対してぼくの目は厳しくなる傾向があった。
 草薙秀一もその時代を書いた。ぼくは読者として好感と反発と両方持ったわけだが、好感したのは、彼が、その時代を生きた青年の未熟さを、力まずにありのままに書いたからだ。反発したのは、最後に紋切り型になってしまったからだ。

 矢嶋直武の今回の作品にぼくが好意を持った理由は、以上の点から明らかである。そこに70年の筑波の田園地帯のぱっとしない私立高校がそのままに描き出されたからである。
 この作品の作者はどんな価値判断もしていない。ただこういうことがあったと書いているだけだ。登場人物たちはそれぞれに主張するが、それがそのまま作者の主張なのではない。判断するのは読者なのだ。作者はただその材料を提供する。でももちろん提供する行為が作者の主張である。
 アメ横のヤミ商売で儲けた金で山奥に私立学校を開校した校長。その生徒の集め方、町への進出、町の側の思惑、兄である校長にいいように使われている弟の教頭は群馬に家族を置いての単身赴任で、学校に寝泊まりして、店屋物を食べている。この兄弟を手玉に取っているような剣道師範は、道具屋商売の金儲けとチンケな右翼思想とが同居している。
 こういうかなり滑稽な舞台装置の描き方に、すでに作者のガリガリしない、余裕のある目が感じられて好もしい。
 主な事件は少年の飲酒に始まる一本と、民族芸能にまつわるもう一本とだが、どちらを書くにも作者は主人公を一歩下がらせて、当の事件の主役たちのほうに演じさせている。この描き方によって、作者の主観が不必要に入り込むことを防いでいる。
 こういうことが読者としてのぼくには好ましかった。

 おそらくこの作品に対して批判が出るとしたら、どの問題も中途半端ではないかということだろう。そういう不満を持った読者はたぶんこの作品の読み方を間違えたのだと思う。この作品は新米教師の一年間をひとつの絵にしたのだ。そういうものとして味わうことができれば、それはすでに短編小説として成り立っている。
 少年少女の問題が発生した。それを書くのかと思ったら、学校生活はどんどん進んでいく。民族芸能団の問題が出てきた。すわ闘争か、と思ったら、県立に移る教師の話や、ふたたび少年少女の話になる。
 現実というものはこういうものだろう。日々は動いていく。いっときも立ち止まることがない。問題はうやむやのうちに押し流されていく。そのなかにも、喜び、悲しみ、さまざまな感情のやりとりがあり、人生がある。

 というふうにぼくは読んだのだが、諸兄はどうだっただろうか。
 ここまではこの作品への全体的な感想である。
 ここから、部分への疑問を述べる。つじつまの合わない個所がかなりある。

 45ページ下段~46ページ上段
 <最初はこの町から何キロも奥に入った山の中につくった>
 <全国紙に広告をうって集めた>
 <いつまでも山の中にいたのでは将来性がない>
 <町に進出する>
 <一年目は三クラス分の新入生が集まる>
 <全国紙で集めた悪ガキが新入生をいじめる>
 <二年目は二クラスを確保するのがやっと>

 ここでわからないのは、<山の中につくった>ときと<町に進出>したときとの時間的関係である。
 …………
 いま、何度か読み直して氷解した。
 ――山の中に作って全国紙で悪ガキどもを集めた。
 ――彼らを引き連れて町に進出した。
 ――新校舎完成予想図付きのパンフレットが功を奏して進出後一年目は三クラス分の生徒を集めた。
 ――だが先輩の悪ガキたちにいじめられて評判を落とし、二年目は二クラス分しか集められなかった。

 ということなのだと、いまわかった。しかし最初に読んだ時にはここに何が書かれているのか、さっぱりわからなかった。
 これと、次の個所との整合性はどうなのだろう。

 41ページ下段
 <生徒が三学年を合わせて七クラス……しかも、卒業生はまだ一回しか出していない>
 つじつまを合わせようとすれば、卒業していったのは全国紙で集めて山のなかから連れてきた悪ガキどもで、3+2+2=7の最初の(3)は町に進出して一年目の三クラスが、悪ガキのいじめに耐えて、いま三年生で残っている、という理解でよいのだろうか。評判を落としたので二年生と一年生とは二クラス分しかいない。(註 異なる解釈を別タイトル「追加」で書いた)
 …………
 ということで、いまようやく理解できた。しかし理解するまでに相当悩んだということは言っておきたい。
 ちなみに、<新聞の全国紙>はおかしい。単に<全国紙>だろう。

 44ページ上段
 <二人の先生はこの学校で一番古い。歴史の浅い学校ではあったが、それでも創立の頃からの事情をすべて知っているのはこの二人の先生をおいてほかになかった>
 <歴史の浅い学校ではあったが>と断っているのだが、たとえ断っても、<一番古い>だとか、<創立の頃からの>だとか言われると違和感がある。創立からまだ4年だろう。昨日きょう出来たばかりの学校じゃないかという気がする。(註 別タイトルの「追加」参照)
 ただ、たぶんそう表現する必然性もあるので、それは読んでいくとわかるが教師の定着率がたいへん悪くて、新任してきても次の年には県立に受かったとか言ってやめていくような人気のない学校なのだ。入れ替わりが激しいので、<創立の頃からの>とか<一番古い>とかいう表現が当てはまってしまう。でもそれでも違和感があるので、そこは冗談口で語られるべきところだろう。

 55ページ下段~ 民族芸能の部分である。ここがまたわかりにくい。
1、<町の中心に向かって歩いていた。大太鼓の演奏を聞きに行くためである>
2、<迫力のある演奏だった……あの師範も……大きな拍手を送っていた>
3、<会場に共産党の町会議員がきていた>
4、<鑑賞を予定していた小、中学校も一斉にそれを取り消した。そうしたなかにあって、唯一、鑑賞を行ったのは石和田高校だけだった>

 ここは時間的整合性がとれるとはとうてい思えない。それともここもぼくの読み方の問題で、解決法があるのだろうか。
 4の文章から言うと、石和田高校が鑑賞を行ったのは、<そうしたなかにあって> つまり、小、中学校が一斉にそれを取り消した後のことだ。何故取り消したかというと、<会場に共産党の町会議員がきていた>からである。では<共産党の町会議員がきていた>その会場とはどの会場なのか。鑑賞したのは石和田高校だけだったのだから、石和田高校が鑑賞したときの会場である。すると石和田高校は問題になる前にも鑑賞したことになる。もちろんそうだからこそ、<あの師範も><大きな拍手を送った>のだ。
 問題になる前に鑑賞し、問題になってからまた鑑賞した?
 なんだか蛇がしっぽを呑み込んで、ぐるぐるまわっているように思えてしまう。
 石和田高校は、<小、中学校も一斉にそれを取り消した。そうしたなかにあって、唯一、鑑賞を行った>わけではない。問題が起こったときにはすでに鑑賞を終えていたのだ。
 …………
 なるほど4の文章を繰り返し読むと、そういう意味にもとれないことはない。後先を読み違えたのはぼくの誤読だったのかもしれない。
 でもまだひっかかる。以下のように書いてほしかった。

 <鑑賞を予定していた小、中学校も一斉にそれを取り消した。その結果、鑑賞を行ったのは石和田高校だけということになってしまった>

 文章上で大きくひっかかったのはこの二箇所である。

 それ以外では、「チョンガ―村」の在り方にもっと説明が欲しかった。書かれている限りでは、そこは長屋で、部屋は別々だが、食事は三人一緒にする。誰かが作ってくれるというわけではなくて三人で自炊しているらしい。どういう当番制で作るのか、洗いものはどうするのか、買物は? 冬になると鍋ばかりで白菜は長屋のまわりにいくらでもある、というが、つまり畑に生えているものを採ってきて食べるのか、鍋といっても肉も必要だろう。三人の金勘定はどうやるのか。家主はどういう人か。
 こういうことをちゃんと書いてほしかった。こういうことをしなければ人間は生きていけないはずだ。こういうことが抜けてしまうと現実感がなくなってしまう。村上春樹はそういう生活のこまごまを丁寧に書いている。
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