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荻野 央[「それから」――愛するということ](「群系」39号)をめぐって

 書きたいことは溜まっているのだが、忙しくてなかなか書けない。少しずつ、なるべく短く書く。
「民主文学」12月号の推薦作、横田玲子「落穂拾い」を、文学的な文章である、群を抜いていると誉めそやしたら、「とんでもない。つじつまの合わない文章が多すぎる」と軒並み欠陥を指摘された。読み直していないので結論は控えるが、そう言えば、おかしなところもあったような気もする。少し誉めすぎたかなと思った。
 荻野 央氏から「群系」39号をもらった。1,500円もする本である。氏の「それから」論だけを読んで、今度は逆のことを感じさせられたのである。
 半世紀前から、「それから」は何度読んだかわからないくらい何度も読んでいる。でも、それだけ読んでも、ぼくにとってはやはり印象の薄い作品なのだ。あの作品の中で強く印象に残るのは、代助が嫂からこっぴどく批判される個所と、最後、半分気がふれたようになって街々をあてどなく移動していく個所の二箇所だ。いつも偉そうに世の中の人を上から見下ろしている代助の実態が暴露されるわけで、非常に興味深い箇所である。だが、それが作品全体の代助のイメージとどうしてもしっくりこない。ひとつのまとった世界を構成しない。だから全体としてぼくの心に残らない。
 もうひとつは恋愛小説であるにもかかわらず、ヒロインが書けていない。三千代のイメージが湧かない。どうしてこんなぱっとしない女のために代助はすべてを投げ捨てるのか。代助に感情移入できないのだ。
 ということで、興味深い作品ではあるが、小説としては失敗しているとずっと思っていた。
 それが今回荻野氏の論考を読ませてもらって、これはもう一度「それから」を読み直してみなければならない、という気持ちにさせられてしまった。
 ここに詳しい紹介はできないが、要するに目の付け所が違うのだ。何度も読みながらぼくの記憶に残っていないディテールを、荻野氏はひとつひとつ取り上げて吟味する。いろんな小道具、ちょっとした仕草、たとえば百合の匂いだとか、何気ない会話や表情、こういうものを読み込んで代助と三千代の心の動きに迫っていく。
 テキストに向かい合う姿勢が真摯である。
 ただし、ひとつだけ疑問を感じたのは、映画のイメージまで取り込んで論じてしまっていることだ。映画はまた別物だから、それはそれとして論じなければならないわけで、小説と映画を比較して論じるのはかまわないが、小説論のなかに映画からのイメージを取り込んでしまってはだめだろう。
 そこは少しまずいと思ったが、全体としてはたいへん刺激を受けた。
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