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在野の一社会主義者の遺稿から(その2)

「革命の原点にかえって理論を作り出そう」  1972年
(鉛筆書きの原文をワープロで復刻、かな使いなど出来るだけ忠実に再現した・・・・原稿提供者)

前書:「人民えの奉仕の為」の共産党員の姿勢
1.マルクシズムの不変のものと変化発展すべ可きもの
 A:不変のもの
 B:変化発展す可べきもの
  (イ)マルクス、レーニン、毛沢東時代
  (ロ)現在の時代(産業面)
  (ハ) 〃   (精神面)
2.新しい理論を作り出す主体に就いて
 (A)現在の党の指導部に就いて
 (B)党の経営体としての欠陥に就いて
3.も一度原点にかへらう
 (A)ソ連と中国の現状よりの反省
   「世界の共産党の歴史に何か重大な誤りはなかったか」
 (B)スターリン批判の徹底に就いて
  (イ)党内論争の権力的手法による圧殺と党内操縦。
  (ロ)党規約の蹂躙
  (ハ)革命に役立つものは全てが善と言ふドグマの無制限的拡大
    (革命テクニックの自己目的化)
 (C)トロッキーの再評価に就いて
4.日本共産党指導部えの要望
(以上は目次である。石崎)

前書:
 正しい理論にもとづいた、正しい戦略や戦術を党が打ち出す為には、党はいつも社会や時代に正しい姿勢で対処していなければならない。
 社会や時代及人民に対処する正しい姿勢の中の苦悩や喜の中よりこそ正しい理論や戦略、戦術が創造されるのであって、この姿勢を前提としないで正しい理論や行動を期待することは不可能である。
 この姿勢を抜きにしてマルクスやレーニンの古典をどんなにヒネッてその理論に準拠しようとしても、それはますます独善とドグマに陥り、本人が自信をもてばもつ程人民大衆と乖離してゆくであらう。
 時代の流れの中で、まづ正しい姿勢を堅持し、そうしてこれに対置する正しい理論の創造こそがマルクスレーニン主義の真髄である。
 私の論文は具体的な戦略や戦術には余りふれない。それは必要に応じて創り出せばよいのであって、その根本にある姿勢に就いて論じようと想うからである。
 或いはこの姿勢こそが革命の哲学そのものでありませう。
 そして「長期的観点よりみた人民の幸せえの限りない奉仕」こそがこの革命哲学の命題である。党のあらゆる戦略、戦術はこの命題によって厳しく点検されなければならないし、あるいはもっと大胆にこうも規定したい「党は人民に奉仕する為の道具の一つであって党自身が吾々党員の最終忠誠対象ではない」

 以上の命題と、党と人民との規定が正しくあってこそ党の戦略戦術は素直に正しく成長し党は又人民にとって必要不可欠の要素となるであろう。
 スターリン主義、毛沢東主義の逸脱は党を人民大衆の上に置き、党の絶対化と人民大衆の忠誠を要求した……党こそ人民大衆の忠誠に徹しなければならないのに……。
 党の絶対化と党の権力者の絶対化は紙一重の差であり、同一誤謬の半歩前進に過ぎない。

 以上の前提にたって、以下私の論文は展開する。

 私は学者ではありません。表現其の他に正確さを欠いていたり乱暴な集約があるかもしれませんが、私の切に言わんとする点を御了察頂ければ幸いです。
 終戦直後入党した同志の大半は党から離れた。私は党員としての最低の節操を守り乍ら大衆と共に歩いてきた。以下は私の28年の党員生活の中で自分で築いた哲学観であり、又この哲学観が私の最低の党員としての節操の保持を可能にした源泉である。
 幼稚ではあらうけれど実践の中より生み出した私自身の言葉である。

1.マルクシズムの不変のものと、変化す可きもの
 A.不変のもの
 人民の解放へどのような姿勢で参加するか、吾々自身の立場をしっかりし、その上に立って人民の歴史的位置づけの正しい認識とその解放の為の戦略の組み立てに弁証法的方法論を適用する。立場と方法論こそマルクス哲学の真髄であり、人類の歴史の中で永久に変わらざる真理でありませう。そしてこれは、政治、経済、科学、技術、芸術の人間のあらゆる分野に適用して吾々を誤りなく導いて呉れる成功の源泉でありませう。
 B.変化発展す可きもの
(イ)マルクス、レーニン、中国革命の時代的背景
 西ヨーロッパで始まった産業革命は資本主義の興隆をもたらし、これが民族内では甚だしい富の偏在をもたらし、異民族間にあっては帝国主義時代を現出した。
 以上三つの時代は要約すれば第一次産業革命(エネルギー革命とも言う)が人類に与えた衝撃に対する人類のこれえの克服の過程である。
(ロ)現在の時代(産業面で)
 現在人類は第二次産業革命の渦中にある。エネルギー解放は不必要なまでに高まり限界に近づきつつあり、そうして現在は情報化社会に入りつつある。第二次産業革命は或は情報産業革命とも言えるでありませう。
 マルクス生存時代は地球は無限であり、人類の自然えの働きかけに限界があろうとは考えられなかった。人類の叡智の前進と共に人類には限りない未来が約束され、長期的にみれば極端な楽観主義に貫かれていた。産業の発展と共に地球が有限であると肌身に感じ始めたのはここ10年来の歴史である。
 其の他……マルクスレーニン時代とは時代背景は甚だしく変化している。
 更に又、情報産業は人間の精神の直接荒廃をもたらしつつある。
 要は第二次産業革命が人類に与えつつあるインパクトに対して、これを克服する革命の理論を生み出して欲しいと言ふのが私の念願である。
(ハ)現在の時代(精神面に於いて)
 レーニンの時代に革命エネルギーの担い手(推進力を言ふのではない)となったのは、比較的無学な農民出身のプロレタリア大衆であり、そのバーバリスティックな情感……
支配層への憎悪……が中心であった。
 現在日本等の先進資本主義国家の革命の担い手であるプロレタリアートは相当程度の教育をうけており
 階級意識=憎悪
 と言ふような粗野な感情に訴えるだけではより多くの大衆を革命の側にひきつける事は不可能でありませう。
 革命陣営は地方政権(?)を手に入れ新しい時代の主人公として出現しつつある。
 単なる抵抗集団として粗野な憎悪で階級意識をあほるのではなく、時代の主人公として妥協のない憎悪の対象は極めて限定し不正に対しては怒りを堅持し多くの諸階層には寛容と善意を中心とする、要するに主人公としての風格を持ち、人民解放のビジョンと理論を打ち出して欲しいのである。

 マルクスを革命の科学者であるとすればレーニン、毛沢東(初期)は偉大な革命の技術者であり、時代の必要に応じた革命技術理論を展開し且実践した。現在の時代を背景とした偉大な革命技術論を展開して欲しいと言ふのが日本共産党指導部えの私の熱烈な希望であり、勿論人民大衆の要望でありませう。
 革命の技術論に於いて100年50年前のマルクスやレーニンの片言隻句を引用しているようでは地下のマルクスやレーニンが泣きませう。
(尤もこれは現在の党指導部でなく、党の左右の脱落者に多い姿勢であるが)

2.新しい理論を創り出す主体に就いて
 以上に於いて、新しい理論を生み出す姿勢と、その必要性に就いてふれたが、それを生み出す母体は勿論日本共産党であり、党に対する希望を少しく申し述べる。
(イ)現在の党指導部は日本共産党の歴史上最高のものである。
 現在の指導部の宮本同志、袴田同志……等々は獄中18年毅然としてその節操をかえず、戦後昭和25年、国際干渉の中にあって党が分裂したとえ少数派として孤立するも所信をかえず又党が統一と団結を恢復するや誠心誠意その中心となり、又フルシチョフや毛沢東の左右の大国主義的干渉の中にあっても事大主義的に時流におもねずその安定した指導の許に強大な世界に誇る可き日本共産党を建設する中心的役割を果たして呉れた。(現在党は個人崇拝を否定しているので生きている同志の功績が余り語られないのであえてふれました)
 但し最高であっても100点かどうかは指導部自らが判定すべきではなく、又科学的にみて100点とは政治の社会ではありえないでせう。そしてどんな場合も指導部は100点に近づけるよう謙虚に大衆や下部党員の発言に耳を傾けられよ。
(ロ)党の経営体(目的をもって組織を運営すると言ふ、広義の意味に於いて)の欠陥に就いて
 立派な指導部によって運営される党にも成長発展するものとしての、当然の欠陥はありはしないか。例えば党はトップ層と日常大衆に接する下部党員に於いて立派であるが、中間各級機関に於いて未成熟さがありはしないか。この状態は急速に発展する組織体がもつ欠陥の一般的パターンであって、党も又残念ながら例外ではあり得ないでせう。勿論、中間各級機関の同志達が生活の苦しさにもめげず、党を守り抜いた功績は高く評価される可きであるが、機関内の生活が人生の総てとなりいつのまにかその生活を守ることが目的となり、これが官僚主義の保身と無責任の源泉となりはしないか。党はその決定に下部党員大衆が服すると言ふ現実からみれば、明らかに一つの権力機構である。この権力の座にいる人たちは下部党員大衆に対する深い責任感をもたねばならない。下部党員大衆の誤りも自らの指導のあやまりとして自覚し自らのケガを覚悟で下部党員大衆を守らねばならない。下部党員大衆に検察官として望むのはたとえ言っていることが正しくとも全体としマイナスでありケガと責任を恐れて行動しないよりケガと責任覚悟で下部党員大衆と行動を共にしてこそ党は正しく成長するでありませう。これは党が単なる抵抗集団から主人公の集団に脱皮するに必要な作風の前進でありませう。
 党の組織原則の考え方も検討を要しないか。(これえのスターリン主義との関連は後ほどふれる)何か事をしようとする時、困難や失敗はつきものだ。この時現在の作風(或は組織原則からくるのか)では余りにも組織原則と防衛の名の許に、中間機関の無能をインペイし、機関自身の保身につながっていないか。あらゆる経営体(広義の)は上から下迄、組織構成員の責任が明らかになり、殊に各級の長はその出所進退があきらかでなくてはならない。
 以上は又ブルジョア権力の小康期を前提としており少なくとも茲数年は続く状態を前提として申し上げているが、敵の権力がゆらぎ自信を失って凶暴となった時はどうか、寛容ばかりも言ってはおられまいが、その時の防衛も頭に置き乍尚且つ党組織のあり方に就いて弾力的考慮が必要と考える。そうして革命の迫った時がくれば中間党機関員はその誇りを堅持し乍も下部より人材を吸収する必要がありませう。同時に私共下部党員は地区委員会に対してこそ忠誠でなくてはならない。我々の第一忠誠対象である人民に真に奉仕するものが共産党であると確信するならば当然我々は党に忠誠でなくてはならず、その忠誠は真っ先に党の基本組織である地区委員会に対してなされなくてはならない。末端の機関を無視して上部機関と結びつくのは下部よりみても上級機関よりみても正しい姿勢ではない。たとえ未成熟であっても地区委員と悩みと苦しみを分かち合い共に成長してこそ党の真実の発展でありませう。
 私事で恐縮ですが、上部機関の特定の人脈と結びつかずどんな場合も地区委員会の指導を真っ先に仰ぐ姿勢を貫いたのが私の28年の党歴を可能にしたのかもしれない。

3.も一度原点にかへらう
(イ)ソ連と中国の現状よりの反省
 ロシア革命や中国革命に私共は若いときにどれ程尊敬と親愛の情をもって眺めた、且弁護した事か!!もう数年待っていてください、どんな立派な国になっていや応ない形で日本人民に生きた実例を見てもらえると……。
 このように考えたのは私ばかりではあるまい。終戦直後の同志達は皆んなこのように考えていたに違いない。現実はどうか……吾々は幻滅を味わう方が多かった。
 然し乍らソ連や中国の社会主義の歴史は絶対逆戻りはしないでせう。いろいろの紆余曲折はあっても立派で明るい共産主義国家を最終的には必ず実現するでせうし、又世界の帝国主義の打倒に決定的に重大な役割は必ず果たして呉れるでありませう。
 だけど両国がもっと立派にやっていて呉れたらと嘆息するのは日本の真面目な同志の共通の感慨でありませう。ベトナムのあのような悲劇もありますまい。又ソ連や中国の党と日本共産党との不自然な関係もありますまい。これは明瞭にソ連や中国の党にあやまりがあるのであって、両党に対する姿勢で吾が党に間違いは絶対ありません。然らば両党を罵倒して吾党は違うと言っても人民大衆は真に納得して呉れるか……。
 残念乍ら目糞鼻糞を笑うとしかとって呉れないでありませう。両党のあやまりを吾が事の苦痛としてとらえるのが世界の又日本共産党の人民大衆えの責務の第一歩でありませう。
 ソ連や中国の革命史に何か偶然のアキシデントがあって路線が少しく曲がった……等々では説明がつかないでせう。10億以上の人々が偶然の出来事であんなに曲がるとは考えられません。何か深い重大な誤謬が存在していないかと考える方が自然でありませう。
「世界の共産党の歴史に深い重大な誤りがあった」と言ふ仮設の上にたって私なりに少しく追求してみたいと考へえます。
 このような仮定にたたない人には私の論文は無用のオシャベリに聞こえるでせうが、先人の作った歴史に深い尊敬を捧げながら、その間違いを点検するのこそ、人類の正
しい歴史の継承の仕方であり、私共の義務であり、この姿勢こそ生きた弁証法でありませう。
 そうして私なりの間違いの指摘に私は100%自信をもっているわけではないが、間違いはなかったと言ふ開き直りには私は断然100%抵抗します。
 この仮定をご承認頂いた上で上部機関の理論家は、それなりの解明をして頂きたいと考へます。そうして私の申し上げる指摘はあく迄仮説の一つであるに過ぎません。
(ロ)スターリン批判の徹底に就いて
 レーニン時代の党の中央の委員の実に70%以上がスターリンによって殺された……革命の成った後、革命を守ると言ふ名の許に……
 スターリン主義の惨害は党員に対してのみならず、人民大衆自身の生命を傷つけ、又現在のソ連の上下を覆う無気力、官僚主義等の諸悪の根源となり、社会主義国家にある可き筈の溌溂とした人民の創意を圧殺した。私がここであえてスターリンの犯罪行為を指摘するのはスターリン的党運営手法と組織原則(レーニン的ではない)が色濃く世界各国の共産党の中に残り、これこそが「世界の共産党の歴史の中の深い重大誤り」そのものであると考えるからである。
 レーニン指導下のソ同盟共産党は世界資本主義の包囲の中でロシア革命を完遂し、永らく世界共産党の只一つの輝ける指導部であった。ソ同盟の共産党より共産党及その運営はかくあるものと各国の共産党は虚心に学んだ。
 その輝けるソ同盟共産党の中にスターリン主義の邪悪な種が内包されていたのである。或は又このようにもいへる、学んだ時には既にレーニン主義は消えてスターリン主義そのものになっていたと……。
 スターリン主義の邪悪の根源は
 A.党内論争の権力的手法による圧殺と卑劣な党内操縦。
 B.党規約の蹂躙
 C.革命の為になるものは総てが善だと言ふドグマの無制限的拡大解釈(革命テクニックの自己目的化)
 等々でありませう。以上の点検えの党員の自覚の欠如とこれに対するもろさがスターリンの乱暴な野心の跋扈を可能としたのであり、現在又中国共産党に毛沢東主義の混乱を持ち込ませたものである。吾々はスターリン、毛沢東の卑劣な犯罪的行為を深く糾弾すると共に、このような犯罪を生み出し、又許した党の一員として深く自戒し、二度とこの誤りを許さない堅い決意がなくてはならない。
 A,B,Cの内C、も案外重大と思ふ。
 レーニンは革命の実践的指導者であり単なる理論家ではない。従って革命の場面々々で適格な言葉を生み出しており、後世の吾々がレーニンの言葉を引用する場合、レーニンの発言した局面を無視して引用すると正逆いづれの決定も弁護出来ると言ふ矛盾に陥る例が多い。
「革命に役立つものは総て善」と言ふレーニンの発言は恐らく革命戦の一刻の躊躇も許されない決戦の山場の発言でありませう。
 革命の準備期や決戦後の建設期では「人民の幸にたつものこそ真の革命」であり革命自身を自己目的化してはならない。この戦術的表現と戦略的命題の主客テントウの把握がスターリンのヒ劣な党の操縦を可能として革命を守る為に止むを得ないとして古参党員のアキラメを強要したのではないか。
 連合赤軍事件も以上の極めて幼稚な把握がもたらした惨害の一つである。

 Aの党内論争のあり方こそがレーニンとスターリンの決定的な差である。
 レーニンはあの激しい階級決戦の最中でも党の論争を重視し、或は党外えの見解の発表の自由もある程度許容したのである。スターリンはこの党内論争に答える能力がなく国内線が終わってから一枚岩の団結と言ふ美名の許に総ゆる論争を(自分を美化するもの以外)党内操作により圧殺した。例えば書記局を握って党大会の構成員を勝手に増減し、又反対論争の発表の自由を物理的に不可能にしたり……等々。
 現在の日本共産党の指導部は党内論争を批判的に答えるだけの充分の能力をもっており、活発に党内論争を引き起こし積極的に少数意見の発表を保証されたい。極端な場合「赤旗」其の他の党機関紙そのものが党内論争の場となっても差し支えないではないか。そうして最終的に指導部がその論争を集約すればよいのではないか……これこそがレーニン的手法でありませう。いつも結論ばかり説教的に聞かされるのでは機関紙も魅力ないものになりませう。
 党規約の蹂躙に至っては論外である。
 これは党の指導部こそが下部大衆に対して命がけで守らねばならない問題である。このような当然の問題がソ連で中国で東ヨーロッパで又日本の徳球時代にいかに軽々しく権力者の都合によって無視されて来た事か!!
(ハ)トロッキーの再評価に就いて
 スターリン主義と徹底的に闘ったのはトロッキーでありスターリン主義批判を徹底すれば必ずトロッキーの再評価が浮上して参りませう。極左冒険主義者の事をトロッキストと呼んで非難しているが極左が悪である事は解るがトロッキーとどう言ふ関係にあるのか。トロッキーの何処が悪かったかとの問いに対しては大して反論の根拠をもって居らず、強いて言ふ場合はトロッキーの片言隻句を不都合に改竄し、発言した歴史的時期を無理にスリかえてその罵倒を合理化している。トロッキー批判にはスターリンの下劣な手法と論法をそっくり利用しているのが世界共産党の現状である。
 例えば世界同時革命論なぞはロシア革命直前のレーニン始め殆どの重要な党員が考えていた事であり、これをトロッキーのみの誤りとしているのは正しくない。或は革命後ドイツと中国の革命ならずソ同盟の一国社会主義を守って工業立国を最初に説いたのはトロッキーその人であり、スターリンがその手法をまねたのが歴史の真実である。或は中国革命の初期、国共合作を批判したのはトロッキーでありこれなかりせば中国の同志の流した血はもっと少なく且つ中国ソビエトはもっと早く完成したかもしれない。又ヒトラーの出現に対して早期対決を主張したのもトロッキーであった。トロッキーの指摘はその後の世界史の動きの中で教訓として汲みとらねばならない事も多くある。
 ドイッチャー作のトロッキー伝、松田道雄氏のトロッキー紹介等が日本の良心的インテリゲンチアの中で静かな衝撃をもってむかえられつつある。若し党がトロッキーえの従来の評価をかえないならばこれ等の著作に書かれた歴史的事実に対し赤旗、前衛等の公式機関紙上で正式の反論を加へる可きと考える。トロッキー問題を正式にとりあげると現在の党が混乱するから等の権謀的配慮は党の永い将来の歴史からみて正しい姿勢とは考へえられない。
 連合赤軍事件は党が正しく批判している如く毛沢東主義の理論的帰結であり、更にさかのぼればスターリン主義の誤謬に当然帰着する。スターリンは革命の功績ある同志を70%も虐殺した事実があるのだ!!
 これはトロッキー主義の帰結ではない。
 大体トロッキーはレーニン主義理論の忠実な実践者であってトロッキズム等と言ふような理論体系を残していないのである。強いてトロッキーの特徴を言へばトロッキーは革命を人類のソウ大なロマンとポエムとしてとらえた。
 これも又党員の必要な素質ではないだらうか。
 革命家にとっては革命のなる迄は現象的には失敗の連続である(現象の成功を積み上げて世の中が良くなると言ふのは改良主義者の言ふ事だ)
 この一見みじめな失敗の時期をたえ忍び尚且つこの失敗より将来必要な理論を作り出し、革命えの情熱を失わずにいるのはロマンチストでなくては出来ない事だ。
 科学的であると言ふ名の許に人間性をソウ失した戦術がどれ程党と大衆を傷つけた事か。科学や技法は吾々のロマンやポエム等人間性追及過程の手法の一つであって吾々の真の奉仕の対象ではないのだ!!
 又現在トロッキストと自称している極左冒険主義者どもはトロッキーの技法にのみ酔い、真にトロッキーを理解する事なく結果的にはトロッキーを傷つけているのだ。
 私はトロッキーをレーニンに比肩する革命家と言っているのでもなければトロッキーが無誤謬だと言っているわけではない。トロッキーのロシア革命えの功績は甚大でありロシア革命は文字通りレーニン、トロッキー革命と称される時期すらある。トロッキーに歴史上の正しい評価を与えるのは党こそが出来る任務であり、良心的インテリや若者を更に広く党に吸収出来、又現在の間違いを犯している迷える学生の多くを指導する事が可能となり、又世界の党の大きな間違いの訂正の重要なモーメントになるでありませう。

4、日本共産党指導部えの要請
 現在の党は家父長的指導と絶縁し、党内民主主義を保障し世界の友党間にあってもその見識は重きをなし極めて柔軟で溌溂とした大衆の創意を吸収して居り具体的政策や方針には私は異議なくその指導に全面的に忠誠を誓うものでありますが、スターリン批判を徹底しトロッキーの再評価をして呉れるならば、更にガ龍が点睛を得たものになるでありませう。世界の共産党の歴史に一時期の混乱はあっても重大な転機をもたらすものとなりませう。そうして又マルクシズムの不変のものをシッカリ身につけ現在の第二次産業革命に対応する格調の高い革命理論を生み出して頂きたい。

以上
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