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「民主文学」17年12月号(支部誌・同人誌推薦作品特集)

 久しぶりに「民主文学」を読んだ。草薙秀一「ランドロワ・イデアルから遠く離れて」を読んだ後、町内会その他諸用が重なり、「民主文学」を手に取るどころじゃなかった。
 だから草薙作品以外の10月号と11月号とは全く読めていない。
 草薙作品については、これは作者も高野悦子の実話を前提に書いているし、読者もそういうものとして読むと思うので、いま直ちに独立した小説として論じることができない。「二十歳の原点」一冊は遅まきながら読んだが、個人的に関心を持たされる話なので、もう少し資料を読み込んでから語りたい。
 1969年4月から6月まで、彼女が立命館で苦しんでいた時、ぼくもまた、同志社を退学して働きながら立命館に通い始めた、ちょうど同じときの同じ広小路校舎だった。そういう意味からも他人事とは思えない。
 そういう地点に立ち戻らせてくれた草薙秀一氏に感謝する。

 さて本年度の推薦作品である。
 小説4篇、評論1篇、すべて女性、優秀作が31歳、そして評論が81歳である。ちょうど半世紀隔てている。残りの3人はそろって70ちょっと。
 たまたま31歳と81歳という年齢に出会って、今回とりわけ感慨深かった。それはつまり、これだけ大勢の素人作家が書き続け発表し続ける国がほかにあるのだろうかという思いがしたからだ。
「民主文学」とその関連だけでこうである。日本中には何百もの同人雑誌がある。書き手は数千人いるだろう。ネットで書いている人も含めれば、万を超すかもしれない。
 外国の事情を知っているわけではないが、日本の特殊文化ではないかという気がする。それについてはまたの機会に語りたい。

 評論はまだ読めていない。
 小説の中では、横田玲子「落穂拾い」が群を抜いていた。物語自体は特に際立っているわけではないのだが、文学性が格段に豊かである。読んでいて心が豊かになる感じ。あとでもう少し詳しく見ることにする。

 荒川昤子「午後のひととき」
 強く考えさせられたという点ではこの作品だ。70歳の作者が50歳の女性の視点から、81歳の母親を書いている。ずっと家族のために生きてきた母親が、その年になってやっと自分のために生きることができるようになった。近所の75歳の男性と付き合い始めた。まわりがみっともないと言って止めてしまう。
 <「年寄りが、二人でいたりすると、そんなにみっともないのかねえ」ぽつんと漏らし、サチは音もなくお茶を口に含んだ。湯飲みを両手で抱え一点を見つめたまま、口をつぐんだサチの内面を窺うことはできなかった>
 作者はすでに、50歳の女性よりも81歳の母親に近い年齢である。でも文章に無理がない。50歳の女性が書いているような感じで読むことができる。これは作者が完全に50歳になりきって書いているからで、81歳の母親を客観的に、外部から書くことに成功しているからだ。

 これに対して失敗してしまったのが、田中恭子「こむニャンコ」である。74歳のこの作者は、美容師になりそこなっていまは無職の20歳そこそこの孫娘の視点で、作者と同年齢の祖母を描いている。あるいは祖母を描いたつもりではなく孫娘を描いたつもりかもしれないが、結果として祖母が出しゃばりすぎている。もっとも、最初のうちはちゃんと孫娘の眼から見た風景が書けていたのだ。そのまま通していたらいい作品になったと思うが、途中から祖母の視点が紛れ込み始めた。視点を移してはいけないというのではない。意識して意図があってはっきり移すのならいい。この作品の場合、作者の書きたいことが孫娘の視点では書ききれずに、あいまいな形でそこからはみ出している。作者は自分が何を書きたいかをちゃんとつかめていない。
 おそらく最初から祖母の視点だけで書けば、もっと簡単に書けただろう。孫娘の姿もその方が浮かび上がったはずだ。だが、作者はちょっと冒険してみたかったのだろう。しかしそれが簡単な冒険ではないことは理解せねばならない。

 宮波そら「ホコリの塊」(優秀作)31歳
 この作品が優秀作となったのは若さのせいだろう。今後に期待すれば年寄りよりも若者を優遇するのは当然で、間違った選択ではない。
 文章はまだまだという感じだが、読みにくいわけではない。内容がある程度面白いので読ませる。司書志望の29歳独身女性。試験を受け続けているが受からない。司書資格は持っているのだが、就職できないのだ。本屋でアルバイトしている。そのアルバイト先の描写が、芥川賞の「コンビニ人間」を思わせた。なかなかしゃれた描写である。また、図書館と司書の現代事情も分かりやすく書いていて、その蘊蓄も読ませどころだ。社会批判でもある。
 欠点を言うと、主人公とその女友達との会話の部分が二箇所とも、どちらがどちらのセリフか分からなかった。しっかり読めば分かるのかもしれないが、読者はそんなに忍耐強くない。一目でわかるようにしてほしい。

 横田玲子「落穂拾い」
 <霧雨が降っている。朝からの霞がかった空が灰色になり、線のような雨を落としている>
 文章がとても良いのだ。自然描写が豊かである。やはり文学はこうでなくちゃとは思うが、熟達者だからできることで、書きなれないぼくらが真似をするととんでもないことになる。それぞれ自分の流儀があるだろう。
 75歳の作者は等身大の70歳を視点人物に据えている。孫娘15歳。高校受験である。だが県立に入れる成績ではない。私立に行くには家庭の経済と相談せねばならない。だが三者面談に母親は行けない。祖母が行くことになるが、祖母では経済的決断が出来ないのである。

 ここまで書いて、めっぽう忙しくなって中断してしまった。いちばん触れたかった作品なのだが、記憶力の減退で、読直後の印象をきちんと書けない。再読の時間もないので、簡単に済ませる。

 孫娘の描き方が素晴らしいのだ。15歳らしく反発し、ふてくされ、暴れまわる。人間が生きている。
 70歳の祖母の生い立ちまで書いてあるのだが、祖母の視点だから、不自然じゃない。祖母の視点に徹して、自分を書き、娘を書き、孫娘を書いている。三人の女がそれぞれ独立していて、いわば、作者の手を離れている。

 今回たまたま、70余歳の三人の女性作者が、それぞれ三通りの書き方をして見せた。一人は70歳の視点で、二人目は50歳の視点で、そして三人目は20歳の視点で。
 いちばん無理がなかったのはやはり、70歳の視点で書いた人である。でも、50歳の視点で書いた人も成功していた。一番難しかったのは、やはり20歳の視点で書いた人だ。書いてはならないというのではない。むしろ書かねばならない。すぐれた作家たちは高齢になっても若い人たちを主人公にいい作品をいっぱい書いている。
 しかし自分で書いてみると、それがいかに困難な仕事かということがわかる。

 柏木和子「小説『舞姫』を読む」81歳
 前半は「舞姫」論。後半は鴎外の評伝である。参考文献が二つ付いている。鴎外の評伝は読んだことがないので、独自性の有無まではわからないが、面白く読んだ。「舞姫」論の部分は、論というよりも感想に終わっている。テキスト自身に語らせるのではなくて、テキストに対する自分の思いを述べたという感じ。
 もちろん、それもありだ。ぼく自身がここでいま書いているのも、まさにそうなのだから。
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