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「いのちをふるい立たせてくれ!」(「まがね」59号)

 <「『コックはウェイターを憎み、どちらもが客を憎む』」と灰田は言った。「アーノルド・ウェスカーの『調理場』という戯曲に出てくる言葉です。自由を奪われた人間は必ず誰かを憎むようになります。そう思いませんか? 僕はそういう生き方をしたくない」>
 村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(2013年)の86ページである。
 同じ2013年、「民主文学新人賞」を取った笹本敦史「ユニオン!」に、稲沢潤子が次のように書いた。
 <トラックから飛び下り、団地の階段を駆け上がり駆け下る場面や、手は仕事に集中しながらときに辛辣な言葉を投げつける場面など、ウェスカーの芝居の名場面を想起させる>これももちろん「調理場」のことだ。
 アーノルド・ウェスカー、1933年、ユダヤ系ハンガリー人を父としてロンドンの貧民街に生まれた。高等教育を受けることなく職を転々として、60年ころ、「調理場」を含む三部作でデビュー。68年には来日して、日本でもブームとなった。74年までに晶文社が作品集を四冊、演劇論を一冊出している。そのすべてから強い感銘を受けた。もっとも今では多少記憶が薄れてきているが……
 舞台はひとつだけ見た。「根っこ」だった。この劇は周囲の考えに振り回されがちな無知な娘ビーティが、最後に自分自身の意見を持つようになるというのがポイントなのだが、戯曲を読んだ限りでは、その意見というのがいかにも公式見解で少しも彼女らしい個性の感じられないのが不満だった。舞台ではどう処理するかと思ったが、素人劇団だったこともあって、かんばしくなかった。
 そういう不満な部分もあったが、作品は全体として当時のぼくをたいへん引きつけた。イギリス共産党員としてのたたかいと挫折の記録という感じで読んだのが、当時のぼくの心境にフィットしたのだろう。
 もちろん疑問もあった。たとえば、彼がイギリス共産党を離れた理由はいろいろあったようだが、イスラエルの建国に反対するモスクワの指示にイギリス共産党が従ったということも衝撃だったようだ。ウェスカーでさえこの問題ではそうなのかと複雑な思いがした。(カミュがアルジェリアの独立に不満を持っていたことも思い起こさせる)
 読み直していないので断言できないが、いまから思えば、少しセンチメンタルで、子供っぽいところがあったかもしれない。
 モームが、ウェスカーを指して「教育のないものに文学作品は書けない」と言ったのを読んで、その前からモームはあまり好きじゃなかったのが、当時ますます嫌いになった。(最近「雨」をふくむ三篇ほどを読み直して認識を改めたが)。
 デビュー作「調理場」はウェスカーの労働体験から生まれた作品で、かなり大きなレストランの、大勢が働く調理場の労働現場を描写するなかに、コックたち、ウェイターたちの人間模様を鮮やかに浮かび上がらせる。労働現場と労働そのものを舞台に載せたという画期的な作品であった。
「多崎つくる」は労働を描いたわけではないが、駅を設計する労働者が主人公である。「ユニオン!」はまさに生協労働者の労働描写に精彩のひとつがある。
 村上春樹と稲沢潤子が同じ年に「調理場」を話題にしたのは偶然ではあったが印象的だった。長年耳にすることのなかったウェスカーを、同時代人は忘れてはいなかったのだと知ることができたからだ。

 以上は少し長くなったがいわば前置きのようなもので、じつはウェスカーの戯曲中のセリフを一箇所紹介したいと思っている。彼の描き出したいろんな場面が(戯曲を読んだだけで舞台は観ていないのに)いまでも頭をよぎるが、最近しばしば鮮明によみがえってくるセリフがある。
「かれら自身の黄金の都市」(64年執筆 65年フランス語版をベルギーで上演、66年イギリス初演、68年、劇団六月劇場、津野海太郎演出により日本で上演)のなかのセリフである。
 この劇は、若く貧しい建築設計労働者アンディが、家の設計から都市の設計へと対象を拡大して理想の都市を作り上げたいという夢を持ち、若い仲間たちとそういう運動を起こし、その過程ではそれなりに実社会との妥協も重ね、やがて成功を収めるのだが、それにつれて、本人は齢とった俗物に成り果ててしまうという話である。この黄金の都市とは、実は理想社会を象徴しているわけだが、一方で、劇作家として成功するなかで自分自身がある意味俗化せざるを得なかったことと照らし合わせているのだろう。劇は最後に若かった頃の希望に燃えた主人公とその仲間たちをフラッシュバックさせる。その終わり方がよかった。
 引用するセリフは晶文社版の63ページ、アンディたちがまだ若く貧しいころである。アンディがケートに語る。このケートはブルジョワの娘で、そこにちょっといわくがあるのだが、それは読んでもらうとして、アンディのセリフである。
 <ぼくはね、この前メーデーのデモに参加した――街角から街角へ、うらぶれた行進だった。例によって、熱意のこもらないプラカード、歩道に立つひとにぎりの人たちからの寂しい拍手。そして、行進の先頭に立つのは、まぎれもない、左翼の政治的指導者の第一人者、それが人影のない沿道と、とまどったような子供たちにむかって、あいまいな微笑を浮かべてうなずいて見せるのだ。目的地に着いて、その左翼の第一人者は立ち上がって演説をはじめた。養老年金、住宅問題、貿易収支について。突然、聴衆の中から、ひとりの若者が叫んだ、「われわれのいのちをふるい立たせてくれ!」どう思う、ケート。ああ、われわれのいのちをふるい立たせてくれ>(小田島雄志訳)。
「われわれのいのちをふるい立たせてくれ!」
 このセリフを書きたくて長々とウェスカーを引いた。
 いかに正しい言葉も、聞く者の心に届かねば意味がない。

 ここでウェスカーから離れる。
 ぼくは高校時代にシラーの「群盗」を読んだ後、「オルレアンの少女」に手を出しかけて結局読まずにしまった。
 リュック・ベッソンとミラ・ジョボヴィッチの「ジャンヌ・ダルク」はビデオで何回も見た。
 最後、敗北して捕縛され、その獄中で神と対話する。この対話場面が、闘いに至る経過や戦闘場面、また裁判や、当時のヨーロッパにおける権力関係等々と同じ比重で長々と描かれているのを面白く思ったが、のちに57年の英米合作のジャンヌ・ダルクをテレビで見たら、似た構成で、原作がバーナード・ショウであるのを知った。
 それはともかく、ベッソンの映画で、歴戦の将軍たちが作戦会議をしているうちに、田舎娘のジャンヌが「フォロー・ミー」と叫んで(フランス語ではないのが残念だが)ただ一騎駆け出し、それを兵たちが追い、将軍たちが苦笑いしながら会議をほっぽり出してあわてて追っていく、この場面は何度見ても痛快だった。まさしく兵たちの「いのちをふるい立たせ」たのだ。
 人々を動かすのは理屈ではなく、「いのちをふるい立たせる」かどうかだ。

 とはいえもちろん、そこには危うさがある。
 つまり、それこそいまさかんに取りざたされるポピュリズムそのものなのだ。
 グローバル資本主義がナショナリズムと軋みあって混乱に投げ込まれているこの時代にあって、ポピュリズムが人々を引き付けている。我々は過去にもそういうことを経験してきた。わかりやすい言葉、いのちをふるい立たせる言葉にそそのかされて、若者たちはあるいは虐殺に走り、あるいは無駄に自身の命を落とした。
 魅惑的な言葉には用心深くあらねばなるまい。
 しかし、はたしてそれだけでよいのだろうか。人々の耳に響かない、力も魅力もない言葉をただぼそぼそとつぶやいていたとしても、いったい何の役に立つのだろう。
 政治は所詮パフォーマンスである。ポピュリズムを避けて通ることはできない。
 そして日本の政治状況を見るならば、左翼は言葉の使い方において右翼に負けている。ずっと負け続けている。右翼の側からはとっかえひっかえ優秀なポピュリスト、パフォーマーたちが輩出するのに、左翼の側はそういう人材に欠けている。欠け続けている。
 SEALDsが提起したことのひとつはそういうことでもあるだろう。
 彼らは我々の知らなかった運動形態を産み出した。そして長いあいだ年寄りしか集まらなかった左翼の運動に若い人々を結集させたのである。
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