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「民主文学」17年9月号 後半

 後半の3作品は、いずれもどちらかというとエンタメ的で、読みやすく、面白かった。これらを巻頭に持ってきた方が若い読者には受けたかもしれない。もっとも、若い読者はいないのだろうけれど、今後開拓していかねば雑誌が成り立たなくなる。

 川本幹子「千晶のさがしもの」

 読み終わってみるとなんだかよくわからない作品なのだが、読ませることは読ませる。
 短大を卒業して得意の英語を生かす仕事をしたいと思いつつ、どことも決めかねて、結局国際交流でニュージーランドに行く。ここでの経験がけっこう面白い。さまざまな経験から、日本で当たり前でも外国ではそうではないことがたくさんある、と知らされていく。
 一年いて帰ってきたが、中途半端で、満足な職に就けない。誘われて<女性の就業を応援するNPOの立ち上げ>にスタッフとして参加しようとする。冒頭が<設立へ今、大車輪>から始まり、過去をいろいろ書いた後、最後が、<考えさせてください><私のさがしものはきっとみつける>となっていて、最初と最後の整合性がとれていない。
 起業への意欲は大事なことだろう。だが、90%の起業が失敗しているのも事実である。まして非営利NPOだとするとどうやって成り立つのか、ここに書かれただけではわからない。
 <女性の持ち味生かす仕事>――もちろん戦略としてはそうだろう。でもそれは戦略であって、女性差別を批判している文脈からは、妥協でもあろう。それを理解して書いているのかもあやふやだ。
 ということで、面白いのだが、よくわからない作品なのである。

 北嶋節子「菫の蕾」

 共働き家庭の(いまどこもそうだが)一人娘が高校受験を目の前にして、いじめから不登校になり、独り住まいの祖母宅に預けられる。そこの図書館でやはりいじめられてきた女の子と友達になり、その出会いを通じて立ち直る話。爽やかな読後感の作品である。

 馬場雅史「廃坑のカナリアよ」

 59名を坑内に残したまま注水した、81年の北炭夕張事故を背景に、そのとき父を亡くした少年を軸にして、北海道全体で延べ50万人の朝鮮人が半ば強制的に働かされ、大勢の死者を出した歴史が語られる。
 その少年奥田君が高校時代の恩師山本に15年ぶりに掛けてきた電話から小説は15年前に遡って、奥田君と山本とがその廃坑を訪ねていく行程での、二人や、その他関係者との語らいが小説の内容となっている。
 15年前の山本と生徒たちとのやり取り、奥田君の家出の顛末など、軽快な会話でアップテンポに始まって読ませる。
 ところが山本と奥田少年が廃坑に向かうあたりから、なんだか芝居の台本を読まされているような感じになってくる。読み終わってみると結局奥田君のイメージがはっきりしない。作者は奥田君を書くことを忘れて炭鉱の歴史を書いてしまったようだ。
 小説は最後の章で15年後に戻ってくる。いま30過ぎの奥田君が<ながなが話して>と電話のなかで謝って終わるのだが、しかし第1章で<ぼくが人の親になるなんて、奇跡ですよね>と語り始めた奥田君は、最後の章でもやはり<本当に、親になるなんて、奇跡ですよね>と語るだけである。いったい<ながながと>何を語っていたのだろう。<ながながと>二人の過去を語っていたのは、山本先生が読者に対して語っただけなのである。奥田君が何を<ながながと>語っていたのかは書かれていない。作者は勘違いしてはいないか。
 この作家は若い人を生き生きと描く才能は持っているのだが、上滑りする傾向があるようだ。

 乙部宗徳「文学・思想から考える教育勅語」

 日本近代史に馴染んでいる人には常識的な内容なのかもしれないが、ぼくは日本史を鎌倉幕府の成立で止めた人間なので、なかなか参考になった。
 教育勅語の成立過程から、そのたどった歴史、人々に与えた影響を一次資料をひもときながら要領よくまとめている。
 特に印象に残ったのは内村鑑三と教育勅語との関係である。
 内村鑑三は、勅語の内容は良しとしながら、最敬礼を拒み、「ちょっと頭を下げただけ」でその場を離れる。それが「不敬だ」と世論を湧き立たせ、一高の辞職に追い込まれた。
「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに返しなさい」という聖書の教えに彼は従ったのだ。地上の支配者が天皇であることは認める、しかし天上の支配者は神であり、したがって単に地上の文書に過ぎない教育勅語に対して、聖書に対するかのように最敬礼することはできない。
 きわめて穏当な立ち位置であり、何ら反逆するものではない。しかし天皇を神格化する側にとってみれば許すことのできないことなのである。

 森友問題に関し、国有地が総理大臣の友達に格安で払い下げられたという疑惑のほうに関心が集中してしまい、もちろんそれも追及すべきことではあるが、日本の国家権力をいま握る人たちが、教育勅語に対して反省していないというきわめて深刻な問題がなおざりにされてしまっている。
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