プロフィール

まがねとおる

Author:まがねとおる
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

FC2カウンター

カテゴリ

リンク

RSS

「民主文学」17年9月号

 稲沢潤子「生きる」

 上関原発への祝島反対運動を書いている。かつて山口の野村邦子がいいルポを書いていた。彼女の消息を聞かなくなって久しい。お元気だろうか。
 稲沢潤子は取材者(作者)を表に出さずに現地の人々の声を直接小説形式で書いている。30年間にわたり建設を阻止してきた。福島の事故で、もう闘わなくてよいだろうと思ったら、またぞろ蒸し返されつつある。
 そういった30年間の経過を報告形式で書くのではなく、一人一人の島民に寄り添い、島民の声を拾い集めて書いている。
 ノーベル賞を取ったスベトラーナ・アレクシェービッチの「チェルノブイリの祈り」に似た形式なのだろうか。(じつはまだ読めていないのだが、漏れ聞いたところで)
 経過もわかりやすく、人間性も伝わってくる。いい作品だ。
 ただし疑問が二つ。
1、上関や祝島の実名を出せない理由は何なのだろう。
2、冒頭に大内登喜男を登場させる必要があったのか。6ページから7ページの上段へと続く風景描写を、大内登喜男が見ている風景とすることには少し違和感がある。ここは取材者(作者)による客観描写として、大内登喜男はそのあとから登場させればよいだろう。

 高橋英男「八月のサツキ」

 1978年、およそ40年前の話である。あえて昔の話にしなくても今でも通じる話だろうと思うが、おそらく作者の経験を書いているので、その時代において書かねば細かいところのリアリティを描ききれないと思ったのだろう。
 視点人物は診療所の事務長である。寝たきり老女への定期的往診を、同居する義理の娘(死んだ息子の未亡人)から頼まれた。良心的な診療所で、手を尽くして、老女が床から起き上がって歩けるところまで回復させた。すると義理の娘が「もう来ないでください」と言い出した。自分が働かねば生活は成り立たない。いままでは義母が寝たきりなのでなんとかなった。動けるようになって、家じゅうにウンコをまき散らす。毎日その後始末がたいへんである。もう限界だ。もとどおり寝たきりのほうがよい。
 深刻な話で、40年経ってもまだありそうな話である。身につまされる。
 書く価値のある話なのだが、文章が読みにくくて閉口した。最初の数行から読みにくく、だんだん慣れてはいくのだが、すらすらと読めないのは、内容が深刻なせいだけではないだろうと思う。文章のどこかに問題があると思うのだが、それがどこなのかよくわからない。
 ひとつ気になったのが「小山婦人」という書き方である。義理の母が「小山サトさん」であるのに対して、義理の娘のほうは「小山婦人」として書かれる。一般には「小山夫人」であろう。「○○婦人」という書き方をいままで目にしたことがない。作者は意図的に「婦人」と書いている。夫がすでに死んでいるという事情や、「夫人」が夫に隷属している感じを与えるということを考慮したのだろうか。
 ぼくの語感では「婦人」はより普通名詞的で、「夫人」は固有名詞的である。時代的には「夫人」を嫌って「○○婦人」と書いたころもあったそうだが、どうもぴんと来ない。
 日本語には「さん」という便利な言葉があるではないか。「さん」は誰に付けてもおかしくない。誰にでも付けられる。「○○さん」でよいではないか。
 この「小山婦人」が一度や二度ならよいが、後半しきりに出てくるので、そこで引っかかってよけいに読みにくかった。

 梅崎萌子「夏の木陰は」

 読みづらい作品を読んだ直後に読んで、冒頭の数行で、「なぜこんなに読み心地が違うのだろう」と思ってしまった。この作品は最後まで読みやすかった。
 ところが自ブログの内部検索をしてみてびっくりした。13年と14年に、この人の作品は論の対象とならないとして頭から切って捨てている。
 その二作品を読み直していないので、わからないのだが、たまたまその二作品の出来が悪かったのか、それともぼくの好みがこの数年ですっかり変わってしまったのか。ともかく今回作はおすすめなのである。
 たいしたことは書いてない。内容的重要度から言えば、高橋作品のほうがずっと上かもしれない。
 絵を画くことに夢中で夫に逃げられ、子供二人抱えて絵画教室で何とか食べてきた。それだけでせいいっぱいで、自分の作品が売れてもそれで食べていけることにはならない。すでに70歳。子供たちはとっくに独立した。自営業の悲しさで、年金は5万円しかない。だから絵画教室はやめられない。
 詐欺にあって3万円を盗られた。ぎりぎりの生活の中で3万円盗られたことも痛いが、詐欺の対象になる金がそれだけしかなくて詐欺師にばかにされたことがもっと悔しい。
 という話で、明るい話でもないし、ユーモラスに描いているわけでもない。ところが気持ちよく読める。何故なのかと考えていくところに、文学の秘密のカギがありそうにも思うのだが……

 前田 新「ある老避難者の死」

「ある」を付けるのが流行り始めたかな、という感じなのだが、このタイトルもふさわしいかどうかわからない。
 書いていることは途中まで高橋作品によく似ている。(最後にサプライズがあるのだが)。でもこれは、梅崎作品のようなうまさはないのだが、高橋作品よりはずっと読みやすかった。やはり文章のどこかに違いがあるのだろう。はっきりわかる違いは「神山さん」である。「神山婦人」ではなく、「神山さん」で通している。このほうがずっと読みやすい。
 視点人物は、高齢になってそれまでの職を解雇され、老人施設の運転手となった上村。会津である。「神山さん」は福島原発事故で会津の仮設に避難し、そこで骨折して施設入りとなった。1923年生まれ。作品の大部分は上村が本人から聞き取った「神山さん」の人生記である。彼女が早く亡くなった上村の母と同じ年ごろなので、気になったのだ。
 岩手の貧しい農家から裕福な農家に奉公に出され、満州にわたって結婚、その夫は軍にとられ、シベリアに抑留されたが、やがて帰国し、夫婦で福島の開拓地に入植する。乳牛を飼って息子を育てたが、息子はバイク事故で死んだ。夫も死んで乳牛は手放した。年金は安いが食べるものを自分で作るので暮らせる。ところが原発事故で人生の最後になってすべてを再び失った。でも「神山さん」の口調に必要以上の暗さはない。
 やがて「神山さん」は亡くなり、上村はその遺品の中に「神山さん」の手記を見つける。雑然と書かれた手記だが、その内容は、満州の地で敗戦を迎え、女たちは子供を殺して死のうということになって、「神山さん」も二歳の長男を殺した、という事実と、そのことへの忘れることのできない悔いであった。
 このラストが少し唐突なのだが、衝撃的ではある。

 内田美子「赤いほっぺ」

 一と二に別れていて、短編を二つに割るのかよ、と思ったが、読んでみて納得した。一は表題にふさわしくどこかほのぼのとしたムードのなかにかすかに不穏な予感を忍ばせているのだが、二に入って一変する。赤いほっぺどころではなくなる。
 25年前養護教諭として勤めた中学校で先輩教師に養護教師としての在り方を全否定されて、うつを発症した女性の記録である。
 半年の入院と二年間の休職(結局復職はしなかったのだが)を経て治癒したが、25年経っても傷が完全に癒えたわけではない。
 <周囲のすべてがモノクロで、スローモーションビデオを見るようにゆっくりと動いていて、そしてゆがんで見えた。風船が割れるように麻衣子の中で何かがはじけて飛んで、自身が壊れてくのを感じていた。感覚がばらばらになり、涙が枯れるほど泣いた後の顔は、仮面のようだった>
 すさまじい描写がおよそ2ページにわたって続き、医師と夫の努力でやがて快方へと向かう。ほとんど命の危険と隣り合わせだった。
 どこまで経験を書いているのか、創作なのかわからないのだが、リアリティがある。
「心の病」と言うが、心のありかは脳細胞のひだの中であり、脳細胞が肉体である以上、心に負った傷は脳細胞という肉体の機能を傷つける。以前にも心を病んで風景がモノクロに見えたという描写を読んだことがあるが、現実に脳が色彩を感知できなくなるのだろう。
 それは我々の経験を超える世界であり、生き物というものの不思議、存在というものの不思議を思い知らせてくれる状況である。
 外からの観察としてではなく、本人の体験として書く、それがほんとうに体験なのか、それとも創作なのかはわからないのだが、そういう詮索を超えて読ませる力を持った作品である。
 この事件のあと、その中学校のありかたは改善されていった。いまそのことを聞かされて女性はようやく自分を納得できる。自分をいじめた教師もまた事の成り行きに衝撃を受けて自ら僻地を希望して転勤していったという。
 自分もまた幼かったのだと女性は振り返る。

 ここまで書いたところで町内会がめちゃに忙しくなって中断した。あと三人の作品と、乙部宗徳の文章も読んだのだが、少し日にちが経ってしまったので、記憶を取り戻すのに時間がかかる。次回ということにしたい。
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
▼このエントリーにコメントを残す