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小熊英二 補論

 交換価値のあまりに高すぎた時代には、それは需要と結びつかず、従って価値でさえなかった。コストダウンし、誰でも買えるようになった時、即ち価値が下落したとき、初めて需要が生まれ、事実上このとき価値もまた初めて生まれた、とも言える。
 というところまでは、ぼくも異論はないのです。ただ技術の進歩=需要の拡大というふうにイコールで結び付けられると、それは違うと感じてしまう。これがイコールであるためにはやはり別の要素、購買力という要素が絡む。安くなったから購買力が生まれた、それでいいじゃないか、という声が聞こえてきますが、安くなっただけ資本家が賃金を下げれば、同じことです。購買力が拡大するためには、どうしても資本の側と労働の側との力関係が反映されてきます。
 定期的に需要を失い、循環的に不況に陥って、前世紀前半にはすでに危機にあった資本主義が、第二次大戦後奇跡的な経済拡大をとげたのはなぜか、という問いへの答えを技術の進歩に一元化することはできない、とぼくは考えています。
 技術の進歩は必要です。でもそれは車の片輪です。もう一方の輪は別のところにあります。
 小熊英二の論壇時評において、彼が引用した論者たちの結論と、ぼくの結論とが一致したのは、そういう昔なじみの考えによるもので、小熊英二はそれとは別にITそのものを論じているように思われ、それに関心を持たないわけではないが、ぼくの当面の主要関心事ではなかった。
 ぼくはただITを技術一般として取り扱っただけの話です。

 まったく別の話になりますが、多少の関連からここで確認しておきたいと思うので、ちょっと述べておきます。
 ぼくは生産現場の労働者だったことを誇りにしていますが(いま思うとあまり誇れるような労働者ではなかったけれど)、それはそういう労働を必要とする社会だからで、社会にとって不必要なことをしていたわけではないからです。誰も労働しなくてもすべての人の必要が満たされる社会が実現すれば、それはそれで歓迎すべきことで、別に労働が永久に価値あるものだなんて思っていません。
 コストダウンは商品やサービスの価値をどんどん下げていくし、価値がゼロになるときとは誰も働かなくてよくなったときで、即ち理想社会です。価値とは労働時間だが、それは交換価値=商品価値だというだけの話です。
 そして使用価値とは人間の欲望のことです。それが胃袋からのものであろうと精神からのものであろうと、です。それはそれのみでは商品を形成せず、経済を構成しません。経済学用語としての価値は、商品の値段のことであり、そこに道徳が入り込む隙間はありません。それは純粋に客観的科学ですから。
 つまり人々が「価値」という言葉に込めたがる何か神聖なものを、それはそれとして求めればよいけれど、それと経済学とを混同されては困ります。
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704:つづき by 植田与志雄 on 2017/08/17 at 08:05:09 (コメント編集)

*一つのモノ、コトに対して多くの方向からサーチライトを照射して影を減らして全体を浮かび上がらせる、それにはこのようなブログはとてもいいですね。

*自治会長を引き受けられたのですね、私は今年の4月で7年やった自治会長を退任しました。でもただでは退任できないので引き換えに民生委員を引き受けました。自治会からは見えてこない断面が見えてきます。

*自治会に限らずですが紙屋高雪さんの論考、とても勉強になりました。自治会に関するところは周辺の14自治会の会長に送りましたが、評判よくて紙屋さんの著書も何人かの自治会長が買っていました。
Chikirin日記http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/?of=1 2017.08.04
の「ボランティア頼みの社会制度」も考えさせられます。
昔は労働組合は民主主義の学校と言われたことがありましたが、今では自治会も民主主義の学校だなと思っています。でも自治会と市民運動とはあまり仲が良くないんです。考えるネタです。自治会長、ご健闘を祈ります。

703:植田さんへ by 石崎徹 on 2017/08/13 at 11:16:26 (コメント編集)

 だいたい異議ないです。たぶんどこに強い関心を持つかだけの違いです。町内会長で振り回されています。紙屋高雪は面白いですね。

702:価値にコメント by 植田与志雄 on 2017/08/12 at 07:31:40 (コメント編集)

◆小熊氏はIT、AIそのものを論じて行って結局はそれは社会構造の問題だと言っている。小熊氏に対して私は前半、特に「AIでは絶対出来ないこと」というコトバに強く反応し後半は無視、石崎さんは前半には関心薄いけれど後半、特に労働と価値の問題に反応し、結論では小熊氏と一致した。だから石崎⇔小熊と石崎⇔植田のあいだには少しづつすれ違いがあったと思う。
ここでは前半に関しては止めて価値をめぐることについて思うところを少し書きます。

・マルクスのいう価値(交換)は労働時間ですから、役立ちとしての一般的な意味での価値、価値が有る無い、大きい小さい、という時の価値(使用)とは反対で、価値が大きい方が有り難くない、そういうものですよね。定義がそうだからと言われても誰でもここには引っかかる、素直に理解できないところ。同じ価値というコトバを使用価値と交換価値として、独立する二つの側面に器用に分解して使っています。役立ち度と労働時間、この二つの側面は大きい小さいを論じる時には真逆になるのでやりにくいのですよね。同じモノをつくるのに短い時間で出来る方が社会(人間)にとっては、うれしい、価値があることですよね。つまり有難さ=1/交換価値。価値というコトバは一般には、これくらいの役に立つモノがどれくらいの労働で作られるのか、この相対的な関係を含んでいるはずで、商品交換の理論のためとは言いながら二つの側面を独立に(使用価値をさておいて)論じるところに無理があると思う。二つの価値を統合する概念が必要と思うのですが、、すでにあるんでしょうね、私が知らないだけかも。

・マルクスが価値を論じる大元は、10日で消費(生存に要する)するモノを何日で生産できるか、もちろん10日で消費するモノを10日以上かかって生産していたら生存できないから、1日なのか5日なのかが問題で、消費に対する生産時間を価値と呼んでいると思います。この比率、消費/生産時間が生産力でしょう。史的唯物論の大元もここを最重要で基底的な要素と見ることにあると思います。この生産力は超歴史的に増加の一途をたどる。
石崎さんが書かれた「コストダウンは価値をどんどん下げていく、価値がゼロになるとき、、」
はこれで、経済発展とはこの消費に対する生産時間の減少のことでしょう。

・「技術の進歩は片輪、もう一方の輪は別のところに」確かに両輪かもしれませんが、それは同等に並ぶ輪ではなく、技術進歩は駆動力でもう一方の輪の社会構造、例えば資本主義システムは駆動力に対する制約条件、技術進歩が土台とすれば、土台に適合的な社会構造として存在している、それでいて土台に対してはこれの限界を決める働きを為す、今更ですがこれは史的唯物論での説明ですが、私は今もこれには同意しています。

・「価値がゼロになるとき、とは誰も働かなくてよくなったとき、すなわち理想社会」
ジェレミーリフキンの近刊「限界費用ゼロ社会」はこれですよね。でもここはもう少し丁寧に言いたい。生産に要する労働時間がゼロに近づく、これは生産=原型創造1回+複製生産多数回から言えることで、複製生産費用がゼロに近いから、原型オリジナル創造で要した費用が多数回に分散して個々の商品ではゼロに近づくのです。オリジナルに100憶円かかっても1億個売れば1個100円。ただし、複製費用がゼロの生産物とは情報の場合だけです。情報は分けても使っても減らない、複製もワンクリックでオリジナルは減らないからです。つまりオリジナル作りの労働、創造的労働は必ず存在する、けれどそれは見えなくなっている。そして将来、労働が残るのはこの創造的労働だけになる、これがマルクスの未来社会論でいうところの人類の本史と思います。そのときはじめて労働そのものが価値と関連付けて呼ばれることに抵抗が少なくなるのかもしれない。

以上

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