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前項に(小熊英二)

 数日前の新聞記事をゆうべふと思い出して前項を書き、すぐアップして寝に着いてから、どうも気がかりだった。論理が明快でない、小熊英二を理解できていないと思えた。
 技術の進歩は、新たな欲望を産み出してきた。暑いとき、木陰で涼むか水に入るしかなかった人間に団扇が現れると、団扇を欲しいという欲望が生まれた。団扇の存在を思い付きもしなかったときにはありえなかった欲望である。ここに新たに使用価値が生まれたのだ。
 もしこの団扇のために労働時間が必要ならば、それは商品となり、市場が生まれ、交換価値が生まれる。つまり新たな経済が発生する。
 団扇は扇風機になり、エアコンになり、エアコンも日々改良されていく。それに伴って欲望が開発されていっているとも言える。欲望、つまり使用価値が、である。
 小熊英二が言いたかったのは、「この欲望は新しく見えても実際には、もとからある欲望の延長上のものに過ぎない」ということなのだろう(たぶん)。「まだ暑い。もっと涼しくなりたい」という欲望が、商品の開発に連れてエスカレートしていったのだ、と。そしてITの産みだすものも同じように、新しいものではなく、延長上のものなのだ、と。
 資本の側が主張するのは、商品を開発すれば開発された商品への欲望が生まれ、つまり新たな使用価値が生まれる。これが新たな需要となって経済が活性化するということだ。
 このとき彼らが忘れているのは、欲望=需要ではない、ということ。欲望が需要に転化するためには購買力を必要とする。金がなければものを買えない。つまり使用価値はあり、労働時間もあるのだが、金がなくて交換されないので、市場が生まれず、経済は活性化しない、ということだ。
 第二次大戦後の大景気と呼ばれた時代(日本では高度成長と呼ばれたが)、資本の側が主張してきたのは、技術の進歩が経済成長を産んだということだった。技術の進歩が、新しい使用価値を生み出し、技術の進歩によるコストダウンが、それを需要に結びつけたのだと。
 このとき彼らはやはり忘れている。80時間の労働で生産されていたものが40時間で生産できるようになれば、その商品の価値は半分に下がる。したがって資本家は5人を解雇せねばならない。あとの5人に払う給料の総額は今まで10人に払ってきた額の半分、即ち一人がもらう金額はいままでと同じである。
 技術の進歩は、需要の拡大に直結しない。需要が拡大するためには購買力が拡大せねばならない。即ち労働者の給料が上がらねばならない。第二次大戦後それが可能となったのは、労働者の力が強くなったからだ。
 資本と労働のがわとの取り分がうまく釣り合っていれば、資本主義はうまく回転する。ところがいまはその均衡が極端に崩れ、どんどん崩れていっている。
 つまりぼくは昔ながらのこういう考えのすじみちで、小熊英二があの日書いたのと同じ結論にいる。結論は同じなのだが、小熊英二の言っているのはもっと別のことのような気がして、それがはっきり把握できないもどかしさを感じているのだ。
(ちなみに、小熊英二が書いたのは朝日新聞の7月分の論壇時評である。これは毎月月末が近づくと載る。何日だったかは記憶にない。新聞はすでに廃品回収されてしまった)
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700:AI続き by 植田与志雄 on 2017/08/06 at 06:07:41 (コメント編集)

小熊さんが引用している二人の論者の論に当たってみました。
・「AIは何でもすぐに出来るようになるだろう」が一般的風潮になっているが、それは違う、それを正したいというのが引用元の週刊東洋経済の特集(以後、特集)の狙いらしい。なので特集は「AIは今のところここまでしか出来ない、近い将来も何でもできるようになる見込みはない」が基調となっている。そういう意味で小熊氏は二人の論者の言うことを正しく理解して使っている。
・丁寧に読めば特集はAIの現状を解説しているので、それは「今のところの限界」と「近い将来に限れば何でもできる、にはならない」、つまり時代限定でのリアルなという意味での正しい論と思う。特集は技術的な面ではそれ以上は何も言っていない。むしろ社会的なインパクトの有るなしについての言及がメインです。しかし小熊氏はこの前提、時代制約のあるリアリティということ軽視して、まさにそのまま延長して誤った論を展開してしまったと思う。
・AIの限界を論じる例の使い方も問題があります。小熊氏は「AIは過去の延長での未来予測。だから馬車をいくら分析しても鉄道の発明には至らない」と言う。延長というコトバをまさに「機械的な延長」として使っているけれど、人間だって過去の延長でしか思考出来ないのかもしれない、ただし人間は機械的な延長ではなく学習を含んでの過去の延長ですが。とすれば過去の延長は人間と比べた時のAIの限界を決める特徴とは言えない。AIのメインテーマが学習ということらしい。人間だって蒸気機関の発明とそれの小型化を目の前にして初めて蒸気機関車という鉄道を発明したのではなかったか、蒸気機関の延長上に鉄道は生まれたのではなかったかと言いたい。
・機械とは競争ではなく共存を、が小熊氏の結論として語られている。これもちょっと待ってといいたくなる。これの例として、自動車は人間より早い、人間は早さにおいて負けている、けれど自動車とは競争でなく共存、便利な所は競争でなく共存を、機械に使われるのでなく機械を使いこなす共存できるように社会を変えるべき、という。機械を使いこなす、は現代社会では機械に使われる、人間が不幸になっていることへのアンチとしては理解できますが、自動車の例を使って競争ではなく共存をと言うのは納得できない、筆が滑ったか。
自動車が競争でなく共存しているのは移動という目的に対して人間と自動車が補完的だからで、置き換える対象にはならないからでしょう。でもリヤカーや馬車はトラックや乗用車との競争に敗れて共存はなかった。けれどこれを否定する人はいない。
人間労働を機械(昔は動物も)に置き換えるのは機械と人間との比較、競争、選択によるだろうし、人類の生産活動の歴史でもある。どこでなにを競争、選択するのかは具体的な問題に直面したときに判断することになるだろうけれど、機械との競争は望むと望まないとにかかわらず起こるだろうし、共存とは限らない。
・「つまり問題はこうだ、AIそのものは新しい価値や成長を生み出さない」、これは特集での論調でしたし、小熊氏の主張も同じです。
コンピュータの歴史は量から質への転換の典型的な進化の例だった。1000万円のコンピュータが100万円になって、100万円のコンピュータが5万円になって、5万円のコンピュータが切手サイズで100円になって通販で売られるようになって、その都度社会に対して産業革命的な変化をもたらしました。すでに1台の自動車には1000個近いコンピュータがチップとなって使われています。新しい価値も需要も生み出さないと言えるでしょうか。
・AIが絶対にできないこと、これは朝日の論壇の編者がつけた題かもしれないけれど、社会主義は絶対に来ない、や絶対に来るとする、絶対論と似ていて気持ち悪い、個の尊重は絶対になどと言うなら気持ちいいんですが。でも個の尊重も時代制約下にあることかもしれないともチラッと思うのです。

きりがないのでこの辺で。

699:AIの限界 by 植田 与志雄 on 2017/07/31 at 16:34:23 (コメント編集)

私の小熊さんへの異論、反論はどれも平凡で、AIに対する深い理解なしに誰でもすぐに思いつくものです。小熊さんの「AIが絶対できないこと」論はそんなに底が浅いものとは到底思えません。過去データから推測するに過ぎないAI、だから過去を持たないことに対してはかなり無力、というのがその根拠らしいのですが、、。私が今理解できるのはこの程度です。どなたか私の異論の間違えを教えてください。

698:IT by 石崎徹 on 2017/07/31 at 11:26:12 (コメント編集)

 やはり植田さんから来ましたね。このテーマは植田さんだろうと思ったのです。小熊英二は二人の論者から引用していますが、はたしてその二人の論の内容とどこまで一致しているのか、食い違っているのか、それを直接読まないと確認できないと感じたのです。植田さんの指摘にかなり納得できます。あの記事だけでは小熊説は説明不足ですね。よく理解できません。

697:AIやITの行く末 by 植田 与志雄 on 2017/07/30 at 21:34:46 (コメント編集)

私も朝日7/27論壇時評「AIが絶対できないこと」を読んでちょっと驚きました。
この題は論壇の編者の作かもしれませんが。
「人間が絶対できないこと」を論じるのと同じで乱暴だなと思ったのです。人間の思考の構造が解明されてはいないから人間の限界は分かっていない、構造も原理もしたがって限界も分かっていない相手に「絶対出来ないこと」なんて考えることがそもそも「絶対に出来ないんじゃないの?」と思ったのです。人間の思考の全ては解明できなくても、今まで創造と見なしていた能力のある部分に関して解明されるかもしれない、そしてそこは機械(AI)で代替できることが実証されるかもしれない。未知な領域に「絶対」などというコトバを使うことに大きな違和感を持ちます。
いくつか疑問を書きます。
*「AIは生産性を挙げることはできるけれど新しい価値や需要を生み出しません」
「ITとは価値を下げるものであって上げるものではない」
30年前の携帯電話は100万円以上でしたが今では数万円です。
「価値」は交換する場ではパフォーマンス/コスト、つまり使用価値/労働時間で決まる相対的な量でしょう。つまり値ごろ感です。価値は新しい/古いではなく100万円では必要とされなかったけれど3万円なら必要とされた、需要が生まれた、市場が生まれたのです。マルクス経済学で言えば(交換)価値が低下し、その結果新しい需要が生まれたのです。
小熊さんの「新しい価値」などの言い方は「新しい」を付けると無から有のような印象を与えますが、今までの人間の創造過程は「無から有」ではなくて、すでにあるいくつかの有の新しい結合の発見です。そういう意味では過去の集積です。
*「今までのAIが一定の枠内で収集された過去のデータを学習するだけだから」
医者は過去の症状と病因の関係を医学情報として持っていて、患者の症状を観察して過去の医学情報を参照して「これは何々の病気です」と診断するのです。過去の情報を参照して症状から病因を推定する、これが「診断」の定義です。診断はAIの最も近い現実的な目標とも言われています。余談ですが人間に限らず機械の診断にも同じ概念が使われます。SF映画「2001年宇宙の旅」に宇宙船が近い将来に故障に到る可能性を診断する場面がありました。
*「一定の枠内(つまり人間の文化、文明)で収集された過去のデータを学習するだけ」は人間でも同じかもしれません。どんなにヒラメキに見えても、実は過去データの新しい組み合わせに過ぎないかも、です。
ただ「学習する能力」これはDNAによって人間にだけ与えられているのかもしれない。
人間は生まれながらにコトバを持ってはいないけれど言語を学習する能力があらかじめ内蔵されている、サルはコトバを学習する能力はない、そこがサルとは違う。人間だけ与えられているらしい学習とはなにか、ここにAIが迫りつつあるのではないか。
*「AIは『馬車から鉄道』を生み出せない。馬車のビッグデータをAIに学習させても」
それは人間でも同じでしょう。人間が鉄道を作れたのは、蒸気機関の発明、それの小型化、などが先行していて、それら先行技術の上に鉄道が発想され発明されたのでしょう。つまり過去の技術の集積の上に、過去の学習から生まれたのでしょう。
*「イノベーションを起こすには新しい価値や社会制度の変革が必要、それは人間にしかできない」「必要なのはITではなく社会構造の変換なのだ」いいたい気持ちは理解できますがこれは少し逆ではないかと思います。史的唯物論では生産力の発展がそれに適合的な生産様式を、その上部に社会制度や文化を作り上げるとあります。新しい価値や社会制度はむしろ生産力の発展に応じて、その結果として合理的に作り上げられる。AIは新しい生産力を規定する基底的な要素、不断に発展する生産力の象徴であり、新しい生産力が求める新しい生産様式、資本主義がそれに適合的でない場合にはじめて次の社会の具体像が、アソシエーションなどとして鮮明になるではないでしょうか。アソシエーションをつくるのが先、とするのが今の未来社会論の主流かもしれませんが、それは史的唯物論への反逆ではないでしょうか。もちろん反逆ありでいいのですが。
ITの核心は情報です。情報は分けても減らない、所有に物理的根拠を持たない財、この財の生産に適合的な生産様式は資本主義ではない、この流れの先に非権力的、非集中的、なアソシエ―ション文化も構想できるのではないか。未来社会論をしっかりした土台の分析の上に築きたい、そこにはまだ史的唯物論は有効と思うのです。最後のところはちょっと急いだので乱暴でした!!

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