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高原さんのコメントに(文章を一部修正しました)

 高原さんの文章は長いのでまだ初めの部分だけしか読めていませんが、高原さんの文章のどこに違和感があるのかということが今回ふと分かったような気がするので、そのことを書きます。

「人類が生きるとは、事実を認識し続け、目的(価値)と手段の仮説を立て、手段の課題を解決すること、その仮説を検証すること、新しい目的(価値)と手段の仮説を作ること、それを続けることである」(高原文)

 高原さんの言おうとしていることへの反発ではないのです。きわめて単純に、文章表現への疑問なのです。

「人類が生きるとは」というフレーズで始まると、「人類にはこういう生き方しかない」というふうに聞こえてしまいます。さらに結末が「ことである」となっているので、そういう意味あいが強調されています。
 そこでぼくのような人間は、「人はもっとさまざまに生きているよ」と言いたくなってしまうのです。

 しかしよく読んでみると、高原さんが言いたいのは、人類の生き方を(あなたの文章が客観的に表現してしまっているような)狭い範囲に押し込めることではなくて、生きるということのひとつの側面を言っているに過ぎないのだということがわかります。人の生き方はさまざまとは言え、「事実の認識」「目的と手段の仮説」「その検証」という一連の作業を意識的であると無意識的であるとを問わず、繰り返しながら生きてきた、とは言えるでしょう。それは言ってみれば常識的なことで、それなのになぜ理解してくれないのかという高原さんのいらだちがあったようです。

 そこにぼくらのあいだの誤解があります。単純なことなのです。「人類が生きるとは」と「ことである」とを削除して言い換えれば済むことです。

「人類が生きるとは」→「人は」
「ことである」→「生きてきた」

 参考例

 人は現実のただなかにあってその現実を解釈し、価値判断し、それにそって仮説的な目的を立て、それを実現するためのこれも仮説的な手段を見出し(行動し)、その目的と手段とを現実によって検証し、修正しながら生きてきた。

 こういう文章ならば、生きるということの一側面の表現として理解しやすく、だれも反発しないでしょう。

 もっとも高原さんにとってそれは一側面ではなく、生きるということのすべてなのだと言いたいのなら(高原さんの文章はそうなってしまっているのです)、それに対してはいっぱい言いたいことがあります。
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