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 なんだったのだろう、あれは? 共産党について誰も読まない長い文章を書き連ねた日々は?
 共産党外の人には何の意味もない文章だし、共産党にとっては、よけいなお世話でしかなかった。
 共産党はぼくではない。ぼくと共産党が食い違うのは当たり前のことだし、それはぼくとは関係ないことなのだ。ぼくは自分と関係ないことについて余計なお世話をしていた。
 たぶん、一度党活動を経験し、不完全燃焼のまま中途半端に離党した人間は、いつまでも党にこだわる。そこは母校のような存在で、自分は同窓生のような感覚なのだ。
 でも気付いてみると、それはもう終わっていた。いまのぼくは共産党に対してどんな特別の感情も持っていない。
 共産党が現状とはかけ離れたと言えるほどの支持を得る日はおそらく来ない。だがそれはもはや共産党の問題というよりも、党というもの自体の問題なのだ。従来的な感覚の政党というものの時代は終わった。
 社会は変化していき、人間も変わっていく。政治スタイルも変わる。従来的スタイルは歴史博物館に行く。別のものが生まれる。
 何が生まれるのか。ぼくにはまだわからない。おそらく誰もまだ知らない。でも言えることは、それを生みだすのは理論じゃない。試行錯誤なのだ。新しい人たちが生まれ、さまざまなことを試みていく。そしてそれがいつか形となる。
 何かを生み出すのは実践である。行動である。誰からの評価も期待しない行動を、信念を持ってこつこつと続けていく人たちがいて、彼らがやがて人々の心をつかむ日が来る。そのとき理論も新しく形成される。
 そして現状の政党は、共産党もほかの党も、欠陥と限界とを持ってはいても、現状では欠くべからざる役割を果たしているのであって、それはそれで必要なのだ。それぞれに果たすべき役割があり、それが自分の理想と違っていても、それはそれ、ぼくはぼくなのだから、つべこべ言っても始まらない。

 ま、おおざっぱに言うと、いま、こういう感じです。
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コメント
694:中国の利害調節のメカニズム by 石崎徹 on 2017/07/22 at 14:28:43 (コメント編集)

 一言触れておられるだけですが、示唆されるところがあります。それはソ連・東欧の共産党員が市民生活の場で果たしていたそれなりに市民の代弁者としての役割を、むかし感じたことがあったからです。デボーリンさんからもいろいろ言われていますが、知っていることよりも知らないことのほうがずっと多い。現実の豊かさを感じます。当たり前のことですが。

693:所感を読んで by 植田 与志雄 on 2017/07/21 at 22:05:21 (コメント編集)

備忘録なのではしょりすぎました!
おっしゃる通り、
DC:democratic centralism 民主集中制です。
民主と集中が併存しているのではなく、
あくまでも本質はcentralismであって、それがdemocraticであるに過ぎない、とよく言われていますよね。centralism自体が悪いのではなく、feed backが抜けているのが決定的だと言いたいのです。
もう一つ、中国の共産党はマルクスを読んでいないらしい⇒また聞きの噂話ではなく、中国のマルクス主義研究者の集まりで本人から直接報告されて驚きました。彼は中国共産党のなかにマルクス主義を広めなくては、と語っていました。
中国共産党はマルクス主義者の集団ではなく、国を統治するシステム、ということではないか。民主より統治重視、私の感覚から見ると、この程度がマルクス主義からはあまりにも離れている。でも統治システムとして見ると、日本より民主的な面がたくさんあるのも事実ですが、ここはあまり知られていません、、。思想の制限はあるけれど、利害調節のメカニズムはかなり民主的にできているのです。共産党といってもいろいろあるんだなということを実感したのです。

692:植田さん、ありがとう by 石崎徹 on 2017/07/21 at 21:05:14 (コメント編集)

 うれしいコメントでした。ところでDCてなんですか? 民主集中制かな?

691: by 植田 与志雄 on 2017/07/21 at 14:55:14

興味を引かれ、触発されたところもあったので、備忘録として、書きます。
石崎さんの所感、ほとんどすべてに「イエス」でもあり、すべてに「待てよ」のオマケが付く。
・今は特別でなくなった⇒なぜ共産党は特別だったか
 ⇒すべての興味関心の向かう通り道に共産党があった。
・例えば「党とは何か」⇒これも共産党の経験、実態などを通して考えた
・まるで追憶の恋人を語るようです⇒永遠に終わらない。
 われわれの多くを盲目にする力をもっっていた。
・だれも読まない文章ではなかった⇒なる程と共感し、
 自分(植田)自身を納得させるのに役立ったところも多かった。
・無数の「共産党はぼくではない」ぼくの幅広い集合体が共産党
 ⇒例えば中国共産党はマルクスを読んでいない、らしい。
・党内外の必要以上の峻別があった⇒階級の峻別と敵味方の峻別は同じである必要はない。
・党は改革の主体ではない⇒土台である生産力の先端を担う部分が改革の主体、担い手、党は主人公ではない。
・生み出すのは理論でなく実践⇒思考は試行によって修正され続ける。理論とは{思考+試行}のトータル過程。
あるいは、この過程の中で静的に切り取った仮説的思考が理論。
・誰からの評価を求めずコツコツ、やがて人々の心をつかむ、理論も新しく形成される。
⇒評価されない行動は客観的にもどこかが誤っている、さらには人間存在の本質とも不整合ではないか。
・他者の視線の中で生きるのが人間⇒社会性としての肯定+学を怠れば同じて和せずの誤り
聞きかじりの論語を援用する。
論語思想がウィーナーのfeed back概念(外界の流れへの参加こそ生命の本質)として2500年後に現実化
1.過ちて改めざるこれ過ちなり⇒改めれば過ちではない、普通のこと、だがFBなければ改められない。
2.学んで思わざれば罔し、思いて学ばざれば殆し⇒学んで取り込み、自分の内で思い修正、FBの循環。
3.君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず⇒開いて交流、同化しない動的な調和が和。FBによる交流。
FBを遮断する運営がDC、全世界の党に植え付けられ、長期にわたって党を誤らせ衰退させた病根。
FBなき運営は学が停止し動的調和ならず、権力による静的固定化によってしか組織を維持できない。

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