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ケヴィン・ベーコンと太上天皇

 1990年にケヴィン・ベーコンの「トレマーズ」が公開された。シリーズの第1作である。
 竜のように巨大化したミミズが、土の中を新幹線並みのスピードで移動して人間に襲い掛かり、丸吞みにする。グラボイズと名付けられたその動物は目が見えず、振動を感知して生き物に襲い掛かる。わずかな振動も逃さない。トレマー(tremor)とは小さな揺れを意味する。
 地上を移動すればすぐに感知されて襲われるので、岩場から岩場へと、10メートルもあるような長い棒を使って棒高跳びの要領で怪物から逃れていく。三人の若い男女が次々と空から空を飛んでいく、そのシーンがユーモラスでもあれば、絵として美しくもあり印象的だった。
 この動物をグラボイズと名付けたのは雑貨屋のチャンという中国人だ。どういう意味だったかは記憶にない。
 ぼくの記憶に刻まれたのは、その命名のシーンである。怪物のためにいまにも全滅させられようかという瀬戸際にありながら、チャンを中心とする中国人たちは、この動物を何と名付けるべきかという論争を長々とやっている。アメリカ人たちはあきれ返る。名前なんかどうだっていい、どうやって助かるかを考えるべきときなのだ。
 もちろん映画だから監督が勝手に作ったのだが、「中国人は名前にこだわる」という印象をアメリカ人たちが抱いていたことがわかる。
 それがぼくの記憶に残ったのは、日本人にもそういう傾向があるような気がしたからだ。
 3.11のときに、それを思い出した。この震災を「東北・関東大震災」と名付けるべきか、それとも「東日本大震災」と名付けるべきかなどというのが聴こえたからだ。「名前なんかどうだっていいだろ?」と思ってしまった。
 そしてさらに去年から、とうとう名前に関する大論争が起こってしまった。退位した天皇をどう呼ぶかという問題である。首相を辞めれば前首相または元首相だから、天皇を辞めれば前天皇または元天皇でいいだろ? と考えるのが普通の感覚だろう。そういう投書も「朝日」には載った。ところがナントカ審議会では太上天皇か、それとも上皇かと論議され、太上天皇ではあまりに仰々しいから上皇にしようということになったようだ。上皇はもちろん太上天皇の略語であるが、それが正語となった。
 さらに元皇后をどう呼ぶか。歴史的には前天皇の皇后にして現天皇の母である女性は皇太后である。ところが明治以後の近代天皇制において皇太后と呼ばれた人は常に未亡人であったから、夫が生きているのに皇太后はおかしいということになったらしく、これは上后と呼ぶことになった。ジョウコウとジョウコウである。二人ともジョウコウである。ジョウコウコウ両陛下と呼ぶらしい。
 皇太子はどうか。皇室典範では天皇の長子が皇太子であるとされているので、天皇の弟を皇太子にはできない。もちろん歴史的には弟であろうが従兄弟であろうが何であろうが、次期天皇に決まればだれでも皇太子であったわけだが、皇室典範の欠陥によってそれが不可能になった。そこで皇嗣と呼ぶのだそうだ。だが英語ではⅭrown Princeだという。つまり英語で呼ぶ分にはどう呼んだってかまわないが、漢字で書くときには厳密さが要求されるということらしいのである。
 そして女性宮家問題である。これも結局は名前(呼称)の問題だ。
 英語ではprince princessは法律に書かねばならないような特殊な言葉ではない。それはごく一般的な普通名詞であり、王家の血をひくものを意味するのみである。既婚だろうが未婚だろうが関係ない。ところが日本人は親王・内親王・王・女王という地位を設けてこれを皇室典範に事細かに規定せねば気が済まない。
 そこからさらに、少し違う問題だが、元号問題が出てくる。いままでは常に中国人の書いた本から取ってきた。日本人の本から取ろうじゃないかという話が出てきた。
 元来日本人は、くだけた場ではやまと言葉を使うが、公式の場では漢語を使うのを旨としてきた。日本語でしゃべったのでは偉そうにない、中国語のほうが偉そうだ、というわけだ。
 いま新しい世代のナショナリズムがそれに反発し始めたのだろう。中国語はやめよう、日本語を使おうということになってきた。ぼくはイヤサカ問題を思い出した。万歳は中国語だから、イヤサカと言うことにしようじゃないかと、戦争中にそういう運動が起こったらしい。母の叔父だとかが一生懸命運動していたと母から聞いた。
 それはそれでかまわないのだが、すべてが思い付きのやっつけ仕事だから、中途半端でつじつまが合わないのだ。
 もともと元号自体が中国の真似である。しかも日本が一世一元の制を取り入れたのは19世紀になってからだが、中国では明初からだから、これは14世紀の話である。500年も遅れて中国の真似をしている。
 中国の真似だから、中国人の本から取り込んだ中国語でもって元号としている。これを日本流にするとすればどういうことになるのか、たとえば「たいらか元年」だとか「なごやか元年」だとかになるのか。まあ、そこまで徹底するなら認めてもいいけれど。中途半端はやめましょう。そもそもいいかげん元号をやめてくれねば面倒くさくてたまらない。
 漢字というものには、人間の精神に対する独特の影響力があるようにも思える。
 日本人が中国人同様、ものの名前に変に執着するのは、はたして単に中国文化の影響なのか、それとも、直接的な影響というよりも、漢字を導入したことによって、漢字というものが人間精神に対して持つなんらかの影響力を蒙ることになったのか。そういう疑問が生じるのだが、漢字と中国文化とは一体のものなので、そういう問題提起には意味がないのかもしれない。
 漢字は人間が作り出したが、人間の歴史の中で、人間から独立し、一種の神となっているようにも見える。そうして人間の精神作用を支配している。
 そのことの功罪はまた別の問題だろうけれど。
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