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復讐劇としてのミステリー

 誰だったか「朝日」で、日韓の比較に触れて、<曽我兄弟だの、忠臣蔵だの、日本人は復讐物語が好きだ、だが、韓国にはそういうものはほとんどない、あの国では正義が好まれる>と書いていた。
 どこまで確かな話なのかは知らない。ただ、いま漫画「金田一少年の事件簿」を読み返していて、そういえばこのシリーズにはたくさんの殺人が出てくるが、まず例外なしに復讐劇だな、と気付いた。
 ぼくは、この漫画以外の日本ミステリーでは、横溝正史と東野圭吾しか読んでいないので、(しかも二人の作品を読んでから日も経って記憶が薄れているので)日本ミステリーに占める復讐劇の割合がどの程度か、ちょっとわからない。ただ「金田一少年」だけを見れば確かに復讐ものばかりだ。
 クリスティ作品は、資産家の遺産相続をめぐる殺人が多い。あとは男女間の問題だ。舞台になるのはだいたいにおいて金持ちの社会で、主人公が貧乏な場合でもその舞台は金持ち社会である。
 クリスティ自身の発言を読んだことがあるが、「私はただ読者の読みたがるものを知っていただけだ」と言っている。たしかに金持ち社会は絵になる。読ませるものがある。そこに紛れ込んだ貧乏人が、決して金持ちに負けていないのもよい。
 クリスティ自身は特に裕福だったわけではないが、中流階級の人間としてそういう社会に出入りできた。だから書けた。金持ちの社会を我々貧乏人が書こうとしてもうまくいかない。どこか不自然な描写になる。
 ミステリーで、あと読んだと言えばホームズものとエラリー・クイーンだが、これも読んで何十年にもなるので、殺人動機までは思い出せない。
「金田一少年」がすべて復讐殺人になってしまうのは、それがミステリーに都合がよいからだ。
 ミステリーの条件として、1、犯人は意外な人物でなければならない、2、殺人には奇想天外なトリックを用いねばならない、ということになっているようなのだが、ぼく自身は2の項目には疑問を持っている。
 だが、とりあえずこういう条件で書かれるとすると、とても犯罪を起こしそうもない人が、綿密な計画殺人を実行する、のでなければならず、それを読者に納得させるには納得させるに足る殺人動機が必要になる。
 こうして一番手軽な方法として復讐劇が仕組まれる。
 トリックは大掛かりになるほど現実離れする。とても成功しそうもない殺人計画だ。探偵役の謎解き過程も、穴だらけである。ただ(金田一少年の場合)、一応の筋は通してある。「こういうことはありえない、だが、もしありえたとすれば、こういうことだろう」と納得させる水準にはある。
 そして何よりも謎解きが終わった後に必ず付属している動機ストーリーが(現実離れはしているのだが)よくできているのだ。「そんなひどい目に遭ったのか。じゃあ、復讐しても当然だな」とまでは思わないまでも、殺人犯の心になんとなく寄り添ってしまう。うっかりすると涙が出てくるほどだ。
「金田一少年」が読まれるのは、半分はこの動機ストーリーのおかげである。
 これもまた「私は読者が何を読みたがっているかを知っている」ということになるのだろう。この作者もまた読者の要求にこたえたのだ。

 と、つまりそういうことなのだが、何を書きたかったかというと、そういうことにぼくは不満なのだ。読者の同情を買うような動機ストーリーをぼくは書きたくない。そういうストーリーのうちには読者の共感を招ぶだけの人間性の真実が含まれていることも認めはするが、それでもそれはぼくの書きたいことではない。それはミステリーにとっての邪道だという感じがする。安直だという感じもする。早く言えば、パターンだということなのだ。
 アメリカ映画にいっとき復讐ものが流行った。妻子を殺されたのだから犯人を殺して当然だというふうに主人公のアクションを動機づける。見せたいのはアクションなのだが、そのアクションを正当化する道具にストーリーをでっちあげる。
 そういえばマカロニウエスタンはほとんど復讐ものだった。香港のカンフー映画はちょっと違ったかな。
 というように見てくると、復讐ものを好むのは日本人とは限らないようでもある。
 要するに暴力を見せたいのだが、その暴力の正当性がほしいのである。そのためにでっち上げたに過ぎないストーリーを、(つまり制作の順序から言えば暴力のために、暴力のあとで考え出したものを)、まるで先にストーリーがあってその結果暴力が発生したかのように錯覚させようとする、この、認識の逆転への強要が、ぼくを納得させない。
 ということを書いてきて、きのう「朝日」を読むと、これも誰だったか(確認の手間を惜しんで申し訳ないが)、次のように書いていた。
 <「ハムレット」に長い間不満だった、父親を殺されながら、なぜすぐに仇討ちせずに、いつまでも悩み続けるのか分からなかった、ところがある評者が、キリスト教の社会では、人を罰するのは人間ではなく神なのだ、だからハムレットは悩むのだ、と書いているのを読んでようやく納得できた>
 それに続けて最近の日本の風潮として、「殺人犯をいますぐ自分の手で殺してやりたい」という被害者の気持ちへの一般社会における共感の広がりに触れている。執筆者は結論を出していない。ただ一考をうながしている。ハムレットのように悩み続けるべきではないかと言っている。
 こういう記事を読むと、なるほど日本には仇討を好む伝統があって、これは多少特殊なことなのかもしれないという気もしてくるのだ。
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676:管理人のみ閲覧できます by on 2017/05/22 at 21:13:31

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