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小説と謎

 たとえば、ストーリーの当事者の心理を日本的=自然主義的=私小説的に丁寧になぞっていく、というのでなしに、第三者の目でストーリーの外側から観察したものだけを書いていく、あるいは、当事者の視点で書いてはいるのだが、当事者自身がはっきり呑み込めないままに、そういうものとして(はっきりしないものとして)描き出す。
 こういう小説にはおそらく両面の評価がある。書かれていることがあいまいで痒いところに手が届かない、物事を追求しきれていないという評は当然あるだろう。しかし現実というものは言葉にできるものなのか。そんなに単純なのか。芥川の「藪の中」ではないが、所詮すべては「まなざし」だろう。書いた瞬間にそれは誰かが見たものとなって、現実そのものから離れてしまう。
 すっきりと分かる小説にはどうしても通俗性を感じる。現実ってそんなに単純じゃないよと言いたくなる。
 わからない小説がわからないなりにその雰囲気で読者を引き付けるのにはそういう事情があるのだ。現実の複雑さを見せてくれるように思えるからだ。
 ところが書きなれない作者は、せっかくいいムードで書き進めながら、最後でそのムードを自ら破ってしまう。理屈が入ってくる。理屈がスト-リーを単純にしてしまう。「なんだ、書きたかったことはそれだけのことなの?」という感じになってしまう。

 以前、当ブログへの匿名の投稿者が、「推理小説は謎を解決してしまうので面白くない。人生は永遠の謎だろう」と書いていた。推理小説が謎を解決できないでは困るのだが、文学としての小説は、たしかにこの投稿者の言うとおりだろう。
 そういえば安部公房の「燃え尽きた地図」は探偵が謎を解決できないままに終わっていたっけ。
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