プロフィール

まがねとおる

Author:まがねとおる
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

FC2カウンター

カテゴリ

リンク

RSS

広井公司「トランス・ペアレント」(268枚 太宰治賞候補 39歳)

 作者は説明もなく、いきなり淡々と書き連ねる。読者はしばらく設定がつかめない。この調子で268枚も読んでいけるだろうかとふと不安になる。だが小刻みに区切られた3の章に入って、筑摩書房版の191ページの終わりごろから、その文章の与えてくれるイメージの美しさに思わず引き寄せられてしまう。
 男に去られた女が娘を連れてドライブに出る。どこかの駐車場に車を止めて外に出てタバコを吸う。母親がタバコを吸うのを娘は初めて見た。吸い終わると戻ってきてぼんやりとまわりを見やっている。やがて娘の髪やからだにさわり、帰途につく。その情景を小学三年生の娘が見ている。三人称で書いているが、すべて娘の眼に映るものだけを書いている。
 ストーリーらしきものはほとんどない。登場人物は平凡な人々だけである。何もない。何ごとも起こらない。ただその散文の美しさが読者をとらえる。
 ぼくが日本文学をほとんど読んだことがなくて、翻訳ばかり読んできたせいだろうか、文章の美しさで読まされる小説に初めて出会ったような気がする。それは着飾った美しさというのではない。ごく日常的な文章で、ごくあたりまえの風景を、少しの気負いもなく淡々と書いているだけである。だが、それが読者の心にえも言えぬ美しいイメージを呼び起こす。これは奇跡的な作品だ。受賞作よりもこちらの方が圧倒的によい。
 男がいて、本をたくさん読んでいる。ある日妻と娘を置いて出ていく。残された女はホームセンターで働き、最初は気持ちの整理がつかないが、一年経った頃から、気持ちが落ち着いてくる。早朝の仕事を掛け持ち、さらに資格を取るための勉強を始めたりする。娘は母親には内緒で定期的に父親と会っている。父親は後悔しており、帰りたいのだが、帰れない。やがて妻と会った男は彼女の方にもうその気がないことを知って離婚を承諾し、娘の前からも去っていく。娘が母親に内緒で父親と会っていたことを知った母親は逆上し、娘に暴力をふるう。
 そういうストーリーは一応あるのだが、それはいわば背景のようなもので、書かれるのは娘の日常生活である。学校に行き、友達としゃべったり歩いたりする。じつによく歩く女の子で、その歩く道すがらを作者は淡々と書いていく。「淡々と」としか言いようがないのだ。それも物珍しい風景ではない。ありふれた街のありふれた情景を描く。すべてが娘の眼に映る景色である。作者が書くのは風景であって娘の心ではない。だが読者が読みとるのは娘の心なのだ。そして母親の心であり、父親の心でもある。
 何も起こらない小説を268枚も読めるだろうかと危惧する必要はない。引き込まれ、手放せなくなるのは必定である。個性を書き分けられた何人かの女の子たち、男の子とのちょっとしたやり取り、そういう描写もじつにうまい。
 時間が行きつ戻りつする。読者はちょっと戸惑うが、時間経過で語らないのは娘の心の動きに合わせて語っているからなのだ。
 ただ正直に言うと、まだ少し時間的経過が読みとれきれていない。
 二年生の時には父親はまだいた。小説の最後のほうでは四年生で、その夏休み前に、<私もね、一年以上あんたと二人で暮らしてきて>(232ページ)、いつから父親と会っていたのか、<うん、去年の、三学期のはじめくらい、一月かな>(同ページ)
 というところがよくわからないのだ。去年の三学期なら二年生の時のことになる。それが父親と会うようになった最初なら、<二人で暮らしてき>たのが<一年以上>ではすまないだろう。この<去年の、>は娘が記憶をたどっているところということなのだろうか。
 さて表題の「トランス」なのだが、tranceと綴るかtransと綴るかによって意味が違ってくる。たぶん前の意味ではないか。トランス状態などいう使い方をする頭のぼんやりした状態。これはラストで、子供の自分には何もわからないけれど、大人にも何もわからないのだと娘が悟る、そういうことを指しているのだろう。
 太宰治賞は落選作品もレベルが高い。この作品は読んで得した。
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
▼このエントリーにコメントを残す