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夜釣十六「楽園」137枚(「太宰治賞2016」筑摩書房)

 一気に読んだ。読ませる作品である。適度の軽さと適度の濃さが混ざり合った文体。適度の通俗性と適度の文学性を兼ね備えた語り。そして現代と過去とが響き合った物語。
 主人公、橘圭太、30歳。身長180センチのラグビー少年だったが、監督の指導方法についていけずに退部。女子率7割の福祉系大学で大いに楽しんだが、老人ホームでの実習が始まるや脱落、卒業だけはしたが、資格は取れなかった。警備員として働きつつ、その稼ぎをパチンコにつぎ込み、借金まみれ。親元からも追い出された。
 そこへ祖父からハガキが届く。母の父親らしいが会ったことはない。何やらを受け継いでくれという。少しでも金になるならと訪ねていく。
 ところがその場所たるや、安部公房の「砂の女」の舞台のようなところである。絶壁に囲まれた盆地、方々に廃坑があるが、どれも行き止まり。来るときに通ったトンネルがあるのだが、戻ろうとしたら戻れない。
 閉じ込められてしまった。老人が一人、祖父と名乗るが、祖父にしては若すぎるような気がする。受け継いでほしいのは、ここで育てている月下美人なのだという。金にもならないものなど欲しくもないので逃げ帰ろうとするのだが、逃げ道がない。
 やがて老人は東南アジアの某植民地での憲兵としての経験を語り始める。
 一度は脱出に成功するが、なぜか老人の話に惹かれる圭太は舞い戻る。最後に明らかになるのは、老人は圭太の祖父ではなく、戦後生まれの団塊世代で、その閉鎖された盆地に昔あった炭鉱町の生まれで、戦後7年経って南方からやはりその盆地に戻ってきた圭太の祖父と、子供時代に面識があった。老人は炭鉱町の貧困から抜け出し、企業戦士として世界中を飛びまわっていたが、52歳で妻に先立たれてから虚しくなって盆地に帰ってきた。そこで圭太の祖父と再会し、十数年を自給自足でともに暮らし、彼の南方での経験を受け継いだ。そして、本人が死んでしまったいま、それを圭太に受け継がせようとしている。
 月下美人は圭太の祖父が南方から持ち帰った苗なのだ。

 話の最も肝心なところは圭太の祖父が植民地で日本軍憲兵としてやってきた内容なのだが、それを語るのになぜこのような複雑な手続きを必要とするか。それはそういう方法でしか語れないからなのだ。作者は28歳のお嬢さんである。だから彼女は知ったかぶりをすることをやめた。伝聞の伝聞として語ることにしたのである。
 ある日祖父は原住民の影絵芝居に惹かれ、その平たい人形を売ってくれと頼む。
 <どうぞ差しあげます。お代は結構。そのかわり、あんた方が死なせた島の人をひとり残らず生き返らせたうえ、お仲間をつれてこの島から出てってちょうだいよ>
 祖父はその女を殴りつけた。その女はのちに他人と間違われて処刑されたという。
 実際に語られているのは、南国の生き生きとした情景を含めても、わずかなことである。それを語るのが小説の役割ではないからだ。いまどきネットを検索すれば、どんな知識でも手に入れることはできる。経験していない人間が伝聞で書くことには意味がない。だから作者はわざと伝聞の伝聞にした。作者が表現しようとしたのは、伝えるべき内容であるよりも、むしろ伝えるという行為そのことの意味である。そしてそこにひとつの豊饒な物語世界を紡ぎ出したのだ。

 圭太という人物を必要以上に描こうとしない作者は、このいいかげんな生き方をしている青年が老人の語りに惹かれていく心の動きに、いまいち説得力を持たすことができていない。そこは少し気になるのだが、しかしわれわれ読者自身がその話に引き込まれていく以上、それはあまり問題にしなくてもいいような気がする。
 気になると言えば、老人が圭太の祖父の経験を受け継ごうとした動機も、充分に書けているとは言い難い。
 それもこれも作品として不十分な点なのだろうが、この短い作品の中でこれだけの世界を描き上げたのは、やはりまれな才能であろう。
 最後はその盆地近くの村で開業しているシングルマザーの女医(老人の娘で40歳くらいなのだが)に対する圭太の恋心をほのめかしつつ、人生をやり直そうとする圭太の決意を描き出して終わる。なかなか心憎いのである。
 月下美人が開く場面。
 <抱擁から放たれたつぼみの先が、ほう、と吐息をもらしてほどける音を、圭太は聞いた。グロテスクな生き物を思わせるつぼみは、冷たい月の光を浴びながら大輪の白い花へと変貌をとげた。一輪の花から溢れる芳香で夜が濡れる>
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