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美について

 ぼくは哲学をほとんど読んでなくて、プラトンは岩波文庫で「ソクラテスの弁明」と「国家」上下を読んだだけである。「ソクラテスの弁明」を読んだのは比較的若いころだったので、その印象は強烈に残っている。ところが「国家」の方は、長いものを苦労して読んだのに、少し齢とってから読んだせいもあるのか、内容をまるで思い出せないのだ。「国家」というタイトルなのに、はたして国家について何か書いてあっただろうかと首をひねるようなていである。
 ただぼくはイデア論をこの本で知ったのだ。(と記憶しているのだが、以下に書くことについて、それはこの本ではないと思われたら指摘してほしい。確信がないのだ)。
 たぶんこの本で読んだイデア論を、ヘーゲルについても(一冊も読んでいないのに)、エンゲルスなどが間接的に批判している内容と、プラトンから類推してこうなのだろうと思っているだけである。
 プラトンは洞窟の比喩を用いていた。洞窟の中にいる人には洞窟の外がまるで中のように逆転して見える、というようなことを書いて、現象とイデア、実在、本質について述べていたと思う。
 例として取り上げたのは「美」である。美しいものはさまざまある。花も美しいし、服も美しい。まったく異なるものになぜ共通して「美」があるのか。それは美しいものの背後に「美」のイデアがあるからだ。このイデアこそ実在であり、本質なのだ。我々が目に見ているものはイデアの現象に過ぎない。
 もちろんいまの我々からすると奇妙な考え方である。どこからそんな突飛な考えが浮かんでくるのかと思ってしまうが、しかし「美はイデアである」というところに注目したのは、やはりひとつの画期的な発見なのだ。
 ただイデアが実在であり、本質なのだと思い込んでしまったところに間違いがあった。
 第一に、「美」は存在しない。存在するのは「美しいもの」である。しかしじつはこれも間違っている。「美しいもの」も存在しない。存在するのは「ものや人やことがら」と、それと出合ったとき我々の心に生じるある種の反応である。人は出会いによっていろんな感情を心に描く。この感情を共通点でくくって分類すると、その中に「美」も現れる。
 犬は花を美しいとは思わない。あたりまえだ。花は犬にとって「美」ではない。犬は大切な判断は鼻で行っている。目では行わない。人間の何千倍もの能力を持つ嗅覚で、その匂いと自分との関係を判断する。
 だが、鳥は目で判断する。鳥は空が世界なので、匂いに頼ることができない。目で見て、果実の色を区別し、それが食べられるかどうかを判断する。
 ヒトもネズミからサルに進化したとき、地上から空に、生きる場所を移した。このときに目を発達させ、鼻を衰えさせた。木から降りて来てもいったんその方向へと進みだした進化の向きは簡単には変わらない。
 ヒトは目で判断する。このとき「美」のイデアが生まれる。そしてそれは目では見えないものに対しても類推されていく。
「もの」がなぜ美しいのかと問うたときに、「もの」だけを独立して考えても答えは出てこない。まったく別の様々なものに共通して「美」があることから、「美」のイデアを考えたのは正しい理解への大きな一歩だったのであって、決して回り道ではない。だが、プラトンはもう一方進まねばならなかったのだ。
「美」はものと人間との関係性の中にある。
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