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日本共産党について(緑の党)

9、休稿に入る前に
 結局また政治にかかわってしまった。いまさら後悔しても遅い。始めた以上、多少ともけりのつくところまでは進めねばならない(とは思うのだけれど)。
 経済についてはほとんど何も語れなかった。ぼくのなかに体系化されたものがないのだ。現実を見る中で出てきたきれぎれの疑問だけである。だがいま人が立脚せねばならないのは、現実であって理論ではない。その現実はやたら複雑で急速に変化していく現実である。これを体系的に語るということ自体がいまとてつもなく困難なのだ。百年以上も前の資本論では役に立たない。現代の資本論が必要だが、おそらく体系的なものとして書かれることは不可能だろう。
 経済についての手稿が不満足に終わったせいもあって、ちょっと精神的にくたびれた。たぶんいったん休稿してしばらく文学に戻る。読書はぼくの精神の栄養補給なのだ。だが、その前に、書く中で改めて感じた点をいくつか記しておきたい。
 公式見解しか述べず、本音を決して吐かないのが党員だとしたら、党員と話すことに虚しさを感じてしまう。人は何のために対話しようとするのだろう。公式見解と対話したって虚しいだけだ。ぼくは自分の発言に自分で責任をとれる人とだけ話したい。「あのときはああ言ったが、あのときにはそれが党の見解だった。いま党の見解が変わったので自分の意見も変わった」などと言うような人と対話する意味などあるだろうか。それはつまり紙切れを相手に独り言をしゃべるようなものではないか。
 去年亡くなった元党員は、亡くなる前、「まだ党を相手にしているのか。もういい加減あきらめたら」と言い遺した。ぼくがいまだにこういう文章を書くのは、党をあきらめきれないからなのだろう。「日本をあきらめない」とどこかの党が言ったが……
 右の意見もあれば左の意見もある。その中でせいいっぱい危ういバランスをとって踏ん張っているのが共産党なのかもしれない。いわばそこは核であり、徐々には変わっていくとしても、いきなり開放してしまったら、バラバラになってしまうのかもしれない。
 しかしいずれにしろ、共産党が日本社会の中でひとつの権威だった時代は終わった。かつて共産党の悪口を書いた小説家たちはベストセラーになった。いま見向きもされない。誰も共産党に興味を持たないからである。
 だがそれを右傾化と決めつけるには疑問がある。左派は存在する。その左派が共産党に対する興味を失ったのだ。そこに考えてみなければならないことがある。
 右から左まで多様に異なる批判を持ちながらも党をあきらめていない、だが日本社会のなかではいまや圧倒的にちっぽけなコップの中で、何を言いあっていてもこれまた虚しいのかもしれない。
 党のことは党にまかせて、協力しあえることは協力し、批判すべきは批判するとしても、それ以上には立ち入らずに、自分の道を進んでいくのが正しいのかもしれない。
 以上を書き終えたあと、古本屋通信のおかげで「緑の党」の見解に接し、感心させられた。見た目は共産党ビラがやるような政策の列挙なのだが、(そしてぼくはそれを批判したばかりだったのだが)、何故か、うなずけるのだ。共産党ビラとどこかが違う。内容はほとんど同じである。でも違うのだ。その感じを説明するのはちょっと難しい。
 注目したい動きだが、将来を見るしかないだろう。創めることよりも維持することはずっと難しい。活動を継続していくための人と金とは集まるのか。そのとき組織はうまく機能するのか。現在の政策を維持していけるのか。
 ぼくはちょっと悲観的だが、でも注目し、期待したい。
 同時に、この動きを見ても分かるように、左派はもはや共産党に関心を持っていないのである。政策はほとんど同じであるのに、共産党ではもう無理だと思っている。共産党は歴史が永すぎ、歴史に培われたしがらみから抜け出せず、古い組織論、運動論から抜け出せない。この党には未来がないと見切りをつけたから結党したのだろう。
 だが、逆に共産党にはその古さの強みがある。伝統的支持者が、いまや少数になったとはいえ、決して新党にはまねのできない力を維持している。それは侮れないだろう。
 おたがいが助けあえる関係になれればよいのにと思う。
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20:管理人のみ閲覧できます by on 2013/04/11 at 21:16:56

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