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ノロ鍋始末記 第六章

 火曜日の朝、いつものミーティングが終わりかけていた。直木は立ち上がった。
「言いたいことがあります」声を張り上げた。
 みなの目がいっせいに直木に注目した。尻を浮かしかけていた何人かがもとどおり坐った。大江と安部も直木を見た。
「ここに池山課長名の命令書のコピーがあります」直木は書類を掲げた。「これによると、先週の月曜日の時点で、渋井さんはノロ鍋を引き払い、このハウスを職場とすることとなっています。しかし、もう一週間が経過したにもかかわらず、命令はいまだに実行されていません。会社はなぜこれを放置するのですか。この問題がここの事業所で解決できないのなら、ぼくはこれを北九州の本社に訴えます。すでに事実経過を記した書類を作成し、あとは郵送するだけとなっています。いますぐ明確な解答を要求します」
 安部が複雑な表情で、大江を見た。大江が一拍おいて、押えた口調でいった。
「直木、わかった。ここに残ってくれ。柴田さんも。……これでミーティングを終わる」
 みな立ち上がった。渋井がわめいた。
「なんで詰所を出なならんか。おれはあそこで仕事しとる。柴田さんにも詰所を使うてくれ言うとるのに、勝手に使わんだけや」
「おまえと一緒に使う気はない」と柴田さんがいった。
「柴田さん、いいからこっちへ来てくれ」と安部がいった。
 渋井がなおもぶつぶつ言っているのが聞こえていたが、四人はそれを無視して、ぞろぞろ出て行く人々をかきわけて、会議室へ入った。安部、大江、柴田さんに、直木である。
 席に着くなり、安部がいった。
「直木、おまえもめちゃくちゃだ」
「だったら、いつまで待ったらいいんですか。この一週間、柴田さんが、係長にも大江さんにも毎日のように、渋井追い出せと言って、誰も何もしてくれんじゃないですか。仕事がはかどって、もうじき最初の一基が終わる。それで会社は満足かもしれませんが、ぼくらはどうなるんです? 毎日二時間残業して、土日も出てきて、詰所もなしに、居候かと言われながら働いているんですよ」
「詰所は使ったらいい。渋井もそう言ったじゃないか」
「渋井が出ていくまでは使わんぞ」と柴田さんがいった。「直木の言うとおり、会社は無責任や。仕事さえはかどったら、あとは知らん顔やないか」
「柴田さん、わかった」と大江がいった。「わしが今日渋井と話して解決する。直木も、あんなことをいきなりみんなの前で言うことはなかろう」
「いきなりじゃないでしょう」
「いきなりやなか。わしが毎日言ってきたのにおまえらが聞いてくれんから、直木がぶちきれたんや。直木は悪いことないぞ」
「柴田さん、もういい、わかった」と安部がいった。「大江が解決すると言ってるんだから、もう少し待ってくれ」
 話しあいはそれで終わった。四人は事務室に戻った。安部と大江は本事務所のミーティングに行くために出ていった。柴田さんと直木も出て行こうとすると、ひとり残っていた氷川が呼びとめた。
 氷川は四十代半ば。氷川班を作業長として指揮している。大江作業長のもとにいる柴田班や他の二つの班とは別の指揮系統にあった。係も課も違うが、同じハウスを使うので、一緒にミーティングしている。もともと大江の下で働いていたが、大江が三十年間作業長から出世せずにいるうちに、追いついてしまった。それでも、じきに五十だ。係長から上を製鉄所からの出向者が占めるので、それ以上あがりようがないのだ。大江と似た負けん気の強い性格で、しかも、大江がときたま見せる気弱なところは、みじんもなかった。
 氷川が、皮肉な笑顔をうかべて、直木の顔をなめるように見まわした。
「安部さんも大江さんも青くなっとったじゃないか」
「そうですか。気がつかなかったけど」
「顔色がさっと変わりよった」柴田さんが、小気味よさそうに笑った。「本社の一言で顔色が変わった。あれは利いたぞ。まっさおになりよった。直木は知らん顔して、いきなり何するか分からんやつやなあ」
「ぶちきれたんですよ」直木はこたえた。
「渋井がここで仕事するんかい」と氷川。
「そういうことになってます」
 直木は命令書を氷川に渡した。氷川はさっと眼を通して、返してよこした。
「それは困るぞよ。ここで何をするんか」
「動作標準の見直しだそうです」
「渋井にわかるんかい。したことのない仕事ばかりじゃろ」
「本人もそう言ってます」
「あほなことを勝手に決められてもなあ。ここは製鉄所の人間が出入りする。変な人間は置いとけんぞ」
「池山課長が変な人間は本事務所には置けんと言いました」
「ここもいっしょじゃ。大江さんが以前渋井をおまえのとこで使ってくれんかと言ってきたことがあったが、わしは断った。あいつが来たら、現場が壊れる」
「誰の見る目もいっしょですねえ」
「クビにするしかなかたい」と柴田さんがいった。「池山も安部も出向者やから知らん顔しおって、なんもかも大江まかせや。大江が一人で悩んだかて、らちあかんぞ」
 氷川がうなずいて、
「作業長には首切る権限がないけんなあ」
 直木が口をはさんだ。
「人事権、持たん人間は法令上、監督者じゃないですよ」
 氷川が眉をひそめて直木を見た。
「おまえ、変なことに詳しいな」
 直木は二人を交互に見て、
「いまフード店の名ばかり店長が問題になってるじゃないですか」
 それを聞いて、柴田さんがにやっと笑った。
「直木は意外と馬鹿やないぞ」
「意外ですか」直木は口をとがらせた。
「それで」と氷川がいった。「本社あての書類を作ったいうんは本当か」
「パソコンで作りましたよ。いつでも郵送できます」
 氷川は直木の顔に視線をおいたまま、しばらく何か考えているようにみえた。やがて、視線をそらしながらいった。
「まあ、当分、手もとに置いとくことじゃな」
 
 だが、一件はあっけなく片付いたのである。数日後、渋井は大江作業長の説得におとなしく従って、ノロ鍋の詰所を明け渡し、製鋼ハウスの事務室で仕事をするようになった。北九州の本社に書類を送るといったとき、直木はしゃべるのに夢中で安部や大江の表情には気づかなかったのだが、どうやら氷川と柴田さんがいったとおり、直木の発言はかれらに切迫感を与えたようだ。まるで水戸黄門の印籠だな、と直木は思った。
 問題は解決したように思えた。
 柴田さんと直木は晴れて詰所を我が物とし、心おきなく作業に専念できるようになった。もとの柴田班は吉川がぶつぶつ言いながら、なんとかこなしている。年度が変わると高卒が入ってきて、人員も補充した。それでもこなしきれないところは大江作業長が現場に出て補っている。 
 ノロ鍋は予定通り着々と完成していき、製鋼課の信頼も取り戻した。直木はほとんど溶接に専念して、地金切りは柴田さんがやっているが、直木もときどき指導してもらいながら、見習っている。これから暑い季節になると地金切りはしんどい仕事になってくるので、それまでにはマスターしようと直木は思っている。鍋の段取替えのつど発生するクレーン作業も、大江作業長に教わって、直木がこなせるようになってきた。
 ただ、氷川作業長が不平を言う。
「柴田さんとおまえは満足だろうが、こっちは変な人間を押しつけられた。うちの作業員はここを拠点に現場に向かうのに、変な人間が悪い影響を及ぼすので、困っている。直木、なんとかせえ」
「池山課長に言ってください。ぼくは知りませんよ」
 だが、それもじきに解決した。動作標準見直しの仕事は、内容のさっぱりわからない渋井が、もはや内容を読もうともせずに、「改訂個所なし。見直し完了」ですべて終わらせてしまい、終わってしまうと大江作業長も次の仕事を探し出すことが出来なかったので、渋井はただ、朝、ミーティングに参加するだけで、それが終わるとどこかに雲隠れし、終業時間にまたちょっと顔を見せるだけになったからである。そのうちには終業時間にも現れなくなった。ときどき森や木村が不平をいう。
「働かんで給料もらってる者がおんのに、なんでおれらはこんなにこき使われないけんのじゃ」
「宿命じゃ」と柴田さんがこたえる。「なお、あれをクビにする算段ついたか」
「もう勘弁してください。眼の前にいないのだから、我慢できますよ」
 
 ところが問題は解決していなかったのかもしれない、と直木はやがて思い知らされることになった。
 半年後、新たな事態が持ち上がった。北九州の本社に匿名の密告が舞い込んだのである。密告は事業所名を明記して、「労災隠しが行われている、至急調査を要望する」と記してあった。本社は、これを放置した場合、密告者が次の手段に出ることを恐れた。すなわち労基署への密告である。そこで本社はすぐに動いた。事業所に人員が派遣され、調査が始まった。全従業員からアンケートを集めた。労災隠しの事実がぼろぼろ出てきた。本社はこれらすべてを直ちに親会社と労基署に届け出るよう命令した。事態は発展し、新聞沙汰となり、検察庁送りになった。事業所の所長と池山課長は更迭され、本社から後任が送り込まれた。現場は労災問題の教育に明け暮れ、いっさいの怪我はたとえかすり傷であろうとも自己判断せずに直ちに救急車を呼び、届け出ることと指示された。安全対策がすべてに優先し、パトロールが強化され、小さなルール違反も厳しく追及された。作業はとてつもなく煩雑になった。その一方納期は守らねばならず、生産は落とせないので、現場の負担は重くなった。作業着、防具、安全靴の類いもチェックされ、従来始末して我慢していた小さなほころびも許されず、新品との交換が進んだ。永年在庫を置かずにきたが、注文がきてからでは間に合わないというので、サイズごとの膨大な在庫を余儀なくされた。この費用だけでも馬鹿にならなかった。  
 本社から来た担当者の一人は、まだ若い男だったが、直木の前でこぼした。
「徹夜続きでもう何日も寝てない。いつまで続くのか」
 会議に明け暮れ、書類を作っては、親会社と労基署の間を飛びまわり、突っ返されては作り直しの繰り返しで、寝る間もないのだ。
 直木のほうも一緒だった。テレコンのスイッチを切らずに吊荷に手出ししたのを見咎められて、始末書を書く、職場が乱雑だと言われて始末書を書く、柴田さんが書類に手を出さないので、直木が持ち帰って、パソコンで仕上げた。
 年末には、追い討ちをかけるようにリーマンショックが襲いかかった。年度が変わり、高卒組が入社してくると、労災対策にかかった膨大な費用を穴埋めするためにも、本社は経費の節減にとりかかり、残業規制され、六割支給の臨時休業がそれぞれ月二日割り当てられた。違法の疑いのある自社設立の派遣会社は解散し、不要とみなされた人員は切られた。柴田さんはタチバナの嘱託として残ったが、安部係長は退職した。業者からの派遣はのきなみ切られた。仕事は確かに減少傾向にあったが、急速な人員の入れ替わりは現場に混乱と困難とをもたらすものだった。
 安全対策はいよいよ厳しかった。作業前に面倒な書類を何枚も書き、すべての対策を完了せねば作業にかかれない。かかってからも、手順の省略がいっさい許されない。ちょっとした段取替えでも動工具の仮置きなどは許されず、そのつど出し入れせねばならない。
 とうとう、柴田さんがこぼした。
「仕事してりゃ、けがくらいするわい。安全、安全で仕事がやりにくくなっただけやなかと。連中のは頭で考える安全や。余分な仕事ばかり増やして、しんどくなる一方やないか」
 
 ある日、氷川作業長が直木にいった。就業時間のとっくに過ぎた製鋼ハウスの事務室には、もう誰もいなかった。
「あの密告書を出したの、おまえじゃなかろうな」
「どういう意味ですか」
「いや、なに、おまえは本社に手紙を出すと言ってたからな」
「あれとこれとは別ですよ。密告の犯人探しをすべきだとは思いません。確かにあれから会社もぼくらも苦しくなりましたけどね。でも、悪いのは会社で、密告は正当な行為ですからね。いきなり労基署に送らず、本社に送っただけ、かわいいじゃないですか。届け出る余裕を与えてくれたんですからね。そうでなかったら、もっと大変なことになってますよ。ただね、ぼくがやるなら、こういうふうにはしませんよ」
「どういうふうにやるんだ」
「ぼくは書類を事業所に明示して、いまからこれを本社に送ります、と通告しますよ。そして匿名ではやりません。堂々と名乗ります」
「おまえはまだ若くてやり直しがきくと思うから、そう言えるんだろう」
「そうかも知れないけど、あれはぼくのやり方じゃないですね。ぼくは自分が正義だなんて思わないけど、自分の流儀は持ってますよ」
「誰が犯人かはわからないが、渋井がどこかで噛んでいそうだな」
 氷川作業長がぼそっとつぶやいた。
 直木ははっとした。何かいやな感じがした。だが氷川の言葉の意味を理解するのにしばらくかかった。やがて、いやな感じが頭全体に広がってきた。直木は氷川を見つめた。
「渋井さんが……?」
「渋井がやったとは言ってない。しかし、誰かに知恵をつけたかもしれないし、そそのかしたかもしれない。もちろん、そうだと言ってるわけじゃないぜ」
 直木は混乱した。犯人探しはすべきじゃない。たしかにおれたちは会社と一緒に迷惑をこうむったが、それでも密告者の行為は正当な行為だ。労働者の権利が侵害されてきたのであり、それは回復されるべきだった。いつかはすべてが明るみに出ねばならなかった。
 だが、そういうふうには考えていなかったのだ。ノロ鍋問題と今度の事件とを結びつけて考えたことはなかった。けれども、もし、これが渋井の報復だとしたら……出るところへ出る、覚えとけよ、といった言葉が、こういう形でなされたのだとしたら……池山課長たちが恐れていたことが、実現してしまったということだろうか。
 すべてはおれの行為から始まったのか? すべての発端はおれだったのか? 渋井がノロ鍋に居座り続けるかぎり、柴田さんは決してノロ鍋に行こうとはしないし、ノロ鍋の仕事はできず、会社は追いつめられる。誰も解決しようとしないので、おれはふとひらめいたことを口にした。それは瞬間的に頭に浮かんだのだが、巧妙な策略だったし、おれは明らかにそれを意識していたのだ。退去せよという書類を作らせ、そのコピーを握っておく。そうすれば、それをふりかざすことで、会社は否が応でも、渋井を追い出さざるを得なくなるだろう。ある意味では池山をペテンにかけたのだ。それも意識してそうしたのだ。万事うまくいくはずだ、とおれは思った。
 たしかにうまくいった。うまく渋井を追い出した。だが渋井の恨みを買い、池山課長たちがなんとか丸くおさめようとしていたことを、おれがご破算にしてしまった。
 その結果がこの混乱だ。がちがちの安全対策、柴田さんのいうとおり、事務所が頭で考える安全対策なので、どの程度ほんとうに安全になったのか、かえって疲労が増すばかりの安全対策。会社の使った膨大な安全対策費用の穴埋めを労働強化と賃下げでおれたちが返さねばならない。ベテランが予期せぬ解雇にあい、新人ばかりの中でますますこちらの負担は重くなる。そして、所長と池山課長とは更迭されて、検察送りだ。いや、もちろん、すべてを見て見ぬふりして、自分の退職の日までなんとか無事に過ごせたらいい、くらいにしか考えていなかった連中がしっぺ返しを食ったって、それはおれの知ったことじゃない。知ったことじゃないが、それでも、おれはこんな結果を予想していなかった。
 梅雨どきに入ろうとしていたが、まだ雨は降らず、二階にある事務室の窓からは、転炉の高い煙突の間に、いっこうに暮れようとしない青空と白い雲が見えた。
 氷川は、言うだけ言って、机の上の書類に何か書き込み始めた。直木は机を隔てて氷川の前に坐り、混乱した頭で、空と雲とを見た。
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