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まがねとおる

Author:まがねとおる
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三郎のふしぎな日々

 三郎は、空想することが好きな少年です。春が来たので、みんなは原っぱで野球をして、ボールを投げたり、大声で叫んだり、走ったり、笑ったりしています。でも、三郎は、ひとりぽつんと、すみっこのブロック塀にもたれて、うずくまっています。
 ときたま、ボールが近くまで転がってくると、三郎は立っていって、拾いあげ、放ってやります。そんなおりに、ひろしや、ほかの少年たちが、
 「三郎も、いっしょに、やらないか」
 と、誘います。すると、三郎は笑って、手をふりながら、
 「ううん、ぼくはいいよ」
 と、いうのです。
 三郎は、そのブロック塀の場所が好きで、いつもそこに、しゃがむことにしていました。
 そこは、お日さまが真正面からあたって、ぽかぽかと暖かく、そうやって塀にもたれて、草っぱらの上でゆらゆらとゆれている陽炎や、広い広い空を見ていると、夢を見ているような、とてもいい気持ちになって、いろんな空想がわいてくるのでした。
 三郎は、ときどき、お日さまとお話します。
 「あんたに触ったら、融けちゃうかい?」
 と、三郎はききます。
 すると、お日さまはこたえます。
 「もちろんさ。だから、わたしは、おまえたちに近づきすぎないように、こうして、空の高いところにいるのさ」
 そのうち、雲が、お日さまを隠してしまいます。すると急に寒くなってくるので、三郎はいくらか身をちぢめて、
 「雲の大将、ちょっとそこを、のいてみないか」
 と、いいます。すると雲は、
 「生意気なガキめ。もっと寒くしてやろうか」
 と、おどすのです。
 こうして、三郎の日々が流れていきます。

 それは、ある日の午後のことでした。
 そのとき、三郎はひとりでおうちにいました。お父さんはもちろんまだお勤めだし、お兄さんたちも学校から帰ってなくて、お母さんは用事で出かけていたのです。
 こんな時間が、三郎はわりあい好きでした。おうちが空っぽで、その中にひとりだけいると感じることが、なんとなく気持ちよかったのです。おうちをひとり占めできるからなのか、そこのところは、ちょっとわかりません。
 三郎は窓のそばの勉強机の前に腰かけていました。一郎兄さんには一人部屋があるので、三郎の机は二郎兄さんと並んだ、窓のそばのすみっこです。
 三郎たちの住まいは五階建てのアパートの二階で、窓からは、原っぱが、ちょっと斜めの方角に見えます。きょうも、ひろしたちが野球をしています。三郎は、ぼんやりとそれを眺めていました。窓は北向きなので、三郎の好きなブロック塀がよく見えます。
 それはいつもどおりのブロック塀で、いつものように陽があたり、いつも三郎がいるところは、きょうは空っぽでした。それに気づいたとき、三郎はちょっとどきっとしました。でもなぜなのかわかりません。
 三郎はいつものようにあそこへ行って、お日さまや雲の大将とお話しようと思い、お部屋をふりかえりました。お部屋は空っぽでした。それを見て、またどきっとしました。そんなことは初めからわかっていたことなのに、なぜどきっとしたのか、どうもわかりません。
 三郎は、窓のそばにすわったまま、つくづくお部屋を眺めました。南の部屋との境のふすまが閉まっているので、お部屋はいくぶん薄暗く、壁とふすまと、天井と畳で区切られた、四角い箱のようでした。箱の中は空っぽで、窓のそばに、三郎がぽつんといるのでした。
 三郎は立ちあがり、それから少し歩きました。するとさっき三郎のいなかったところに、いま三郎がいて、さっき三郎のいたところには、もう誰もいませんでした。三郎は、もう少し歩いてみました。すると三郎はやはりそこに来ていて、さっきまでいたところは、どこももう空っぽなのがわかりました。
 「こんなことは、あたりまえなんだ」
 と、三郎はつぶやきました。
 「それなのに、どうしてこんなに不思議なんだろう」
 三郎はお部屋の中をぐるぐるまわり、最後に窓のそばへ戻ってすわりました。すると、三郎がいまぐるぐる歩きまわった、どこもかしこもが空っぽで、三郎はやはり窓のそばにしかいないのでした。
 「どうして、ぼくはここにしか、いないんだろう」
 と、三郎はつぶやきました。
 「あそこにも、あそこにも、あそこにも、ぼくは確かにいた。でも、いまは空っぽだ」
 その日から、三郎は、そのことを忘れられなくなりました。

 学校でも、授業中はなんとか先生のお話を聞いていますが、休み時間になると、みんながいろんなことをおしゃべりしているのに、三郎は、ぼんやりみんなを眺めたり、窓の外で、雲がゆっくり動いていくのを見つめていたりするのでした。
 「三郎も行かないか」
 と、ひろしがいいました。
 「どこに」
 と、三郎はききました。
 学校がひけたら、自転車で神社まで行ってみようと、みんなで話していたのに、三郎は聞いていなかったのです。
 「ううん、ぼくはいいよ」
 と、三郎はいいました。
 「そう」
 と、ひろしはいい、今度は恵子にむかって、
 「おまえも行かないか」
 と、いいました。
 三郎はちょっと気になったので、恵子を見ました。すると、恵子も三郎を見ていました。恵子は、
 「ううん、わたし、行かない」
 と、いいました。恵子がそういったとき、三郎を見たままだったので、三郎はちょっとどぎまぎし、なぜだか、ほっとしました。
 
 学校がひけると、三郎はいつものブロック塀のところにすわっていました。いつものように陽があたって、ぽかぽかと暖かく、草っぱらからは陽炎がゆらゆらと揺れながら、たちのぼっていました。でも、きょうは、ひろしたちが自転車で神社へ行ってしまったので、原っぱは空っぽでした。三郎は、少しさびしいような気がしました。
 「それにしても、どうして、原っぱは空っぽなんだろう」
 と、三郎はつぶやきました。
 「いつも、ここでみんなが野球をして、ボールを投げたり、打ったり、走ったり、叫んだりしているのに、きょうはどうして誰もいないんだろう」
 それは、みんなが自転車で神社へ行ったからでした。そんなことは三郎にもわかっていました。
 「でも、いつも、ここにはみんながいるのに、どうして、空っぽになったりできるんだろう」
 三郎は、立ち上がり、原っぱをまっすぐに歩いていき、そこに誰もいなくて、誰にもぶつからないことを確かめました。ふりかえってみると、ブロック塀から、ここまで、三郎の歩いてきたどこにも、もう三郎はいなくて、どこもかしこも空っぽで、原っぱのまんなかにだけ、ぽつんと三郎がいました。
 「ぼくはいま歩いてきた。それなのに、もう空っぽだ」
 と、三郎はつぶやきました。
 三郎は原っぱをぐるぐるまわり、どこかに自分を残せないだろうかと、乾燥した土の上に、苦心してズックの跡をつけてみたり、草のうえにしばらく寝転がっていたりして、やっとブロック塀に戻ってきてすわりました。
 三郎は陽炎のゆらゆら揺れる原っぱを見わたしました。とりわけ、ズックの跡をつけた場所や、草の上に寝転がった場所を、瞳をこらして見つめました。でも、すべては無駄だったのです。三郎はどこにもいなくて、原っぱは空っぽでした。三郎はブロック塀の前に、相変わらずただひとりしかいないのでした。
 ふと、どきっとしました。三郎のおうちの窓が見えたのです。それは、いつぞや、おうちに誰もいなくて、三郎ひとりきりだったとき、その窓から、この原っぱでみんなが野球をしているのを眺め、いつも三郎のいるブロック塀の前が、きょうは空っぽなのに気づいて、なぜだかどきっとした、あのときのあの窓です。あのときは、あの窓に三郎がいて、このブロック塀のところには、誰もいなかったのでした。いま、三郎はここにいます。すると、あの窓の内側には誰がいるのでしょうか。窓は暗くて、内側が見えません。あそこに誰かがいるとしたら、それは三郎でしょう。でも、三郎はほんとうにあそこにいるのでしょうか。
 「ぼくはあそこに、あの窓の内側にいるにちがいない」
 と、三郎はつぶやきました。
 「ぼくはあそこにいて、きょうは、ブロック塀のところにもぼくがいて、窓のほうを見ているので、びっくりしているにちがいないんだ」
 三郎は、くらくらと、めまいがするような気がしました。お日さまは熱いくらいの光を、白いブロック塀と、三郎めがけて投げかけています。原っぱも、空も、ブロック塀も、まぶしさに満ちみち、陽炎がゆらゆらゆれています。
 
 ふと、三郎は原っぱの向こうの道路を見ました。恵子が歩いてくるのです。短いスカートから、膝小僧をのぞかせて、恵子は道路から原っぱに踏み入れました。その脚がすんなりしていることに、三郎は気づきました。
 「どうしてあんなにかわいいんだろう」
 と、三郎は思いました。でもそのときには、恵子はもう目の前に立っていました。立って、三郎を見おろしていました。でも、何もいいません。三郎も黙って、ただ恵子を見あげていました。
 じきに、恵子は三郎の横に腰を下ろし、ブロック塀にもたれました。そうして二人とも、しばらく黙っていました。草っぱらに投げ出した恵子の脚が、三郎のズボンをはいた脚とならんで、すぐそばにありました。三郎は、ちょっと、どきどきしました。
 突然、恵子が首をひねって、三郎を見ました。三郎も見かえしました。恵子の顔がすぐ目の前にありました。恵子はまぶしいのか、少し眉をひそめていました。
 「三郎、あなた、ほんとに、そこにいるの」
 と、恵子がいいました。その唇が、とてもかわいらしく動くことに、三郎はびっくりしました。
 「よく、わからないんだ」
 と三郎がいいました。
 「でも、たぶん、いないのかもしれない」
 しばらく、三郎は考えました。恵子は眉をひそめたまま、黙って待っていました。三郎は、顔を向けなおして、斜めむこうのアパートのほうを見やりました。それから、考え、考え、いいました。
 「ぼくは、きっと、あそこにいるんだ。あそこに、ぼくんちの窓のむこうに。あそこから、ぼくらを見ているにちがいないんだ」
 「そうだと思った」
 恵子がいいました。
 「三郎は、ここにいないと思ったのよ」
 三郎は、恵子が横をむいて、唇を動かしているのを見ていました。でも、声は聞こえません。だって、ずいぶん遠いし、窓も閉まっているのですから。
 「どうして、誰もいないのに、恵子はしゃべっているんだろう」
 三郎は不思議でした。
 「恵子は、あそこに誰がいると思っているんだろう」
 それでも恵子はしゃべっていました。三郎の北向きの部屋は薄暗くて、ひんやりしていましたが、原っぱにはお日さまが照りつけて、ブロック塀と、恵子を明るく輝かしていました。
 「誰にしゃべっているの」
 と、三郎はいいました。
 「三郎によ」
 と、恵子がいいました。
 「ひとがしゃべっているのに、どうして三郎は知らん顔するの」
 「ごめん、いま聞こえてなかった」
 と、三郎はいいました。
 「いま、ぼく、ここにいた?」
 「いないよ、三郎は」
 恵子がそういった声が、聞こえたような気がしました。でも、そんなはずはありません。だって、恵子の唇がいまも動いているのが見えますが、声は全然聞こえないのですから。
 ひろしたちが野球しているときの声は、何をいってるのかは分からないけど、ここからでも聞こえるんだ、でも、恵子はいまあまり大きな声じゃないので、全然聞こえない、誰もいないのに、誰としゃべっているつもりなんだろう。
 「ぼくにいってるの?」
 と、三郎はいいました。
 すると、そこには誰もいませんでした。草っぱらと、むこうの樹と、そのむこうの家とが陽炎にゆれているだけです。三郎はふりかえって、アパートのほうへ眼をやりました。でも、窓の中に誰かいるのか、いないのか、見えませんでした。

 翌日、学校の帰りに、三郎は、たまたま、恵子と一緒になりました。いつも一緒に帰るひろしたちは、もう帰ったあとでした。恵子も、いつもは、みどりたちと一緒なのに、きょうは一人でした。
 「恵子、きのうはどこにいたの」
 と、三郎はききました。
 「神社よ」
 と、恵子がこたえました。
 「ひろしたちと行ったの?」
 「そうよ」
 「自転車で行ったの?」
 「そうよ」
 「行かないっていってたじゃないか」
 と、三郎がいいました。
 「行ってほしくなかったの?」
 恵子は歩きながら、三郎の顔をのぞき見るようにして、笑っていました。
 「そんなこといってないよ」
 三郎は少しむきになりました。
 それから、でも、変だな、と思いました。じゃ、きのう、ブロック塀のところにいたのは誰だったんだろう。恵子を見ると、恵子はもう前をむいて歩いていましたが、その横顔はまだ笑っていました。
 「嘘だ」
 と、三郎はいおうとしましたが、思いなおして、口をつむぎました。何が嘘で、何がほんとなのか、三郎にはよくわからなかったのです。
 そうするうちに、いつもの原っぱまで帰ってきました。恵子のうちはここからもう少し歩くのです。でも、恵子はそこで立ちどまりました。三郎も立ちどまりました。
 恵子は原っぱの向こうのブロック塀の方を指さしました。
 「きのう、三郎はあそこにいたでしょ」
 「ぼくはおうちにいたんだ」
 と、三郎はいいました。
 「そうなの?」
 と、恵子がいいました。ちょっと怒ったような顔でした。
 「三郎は、いつも、どこにもいないのね」
 お日さまがうしろからさしていて、まぶしくないのに、恵子はやっぱり眉をひそめていました。三郎は何をいったらよいのかわかりませんでした。
 「さよなら」
 そういって、恵子は帰っていきました。
 「うん、さよなら」
 三郎もいって、恵子が帰っていくのをぼんやりと見ていました。

 「三郎、どうして返事しないの」
 と、お母さんがいいました。
 「三郎は耳がないんだよ」
 と、中学生の二郎兄さんがいいました。
 「三郎は考えることが多いもんな」
 と、高校生の一郎兄さんがいいました。
 「それはすばらしい」
 と、お父さんがいいました。
 「どこがすばらしいの」
 と、お母さんがいいました。
 「何かいった?」
 と、三郎は、お茶碗の上からお母さんを見て、ききました。二郎兄さんは、コロッケをかじりかけたまま、「ふふふ」と笑いました。
 「ほら、やっぱり、耳がないんだ」
 「三郎は哲学者だ」
 と、お父さんがいいました。
 「女の子のことを考えてるのかも知れないよ」
 と、一郎兄さんがいいました。
 三郎は、顔がほてってきたような感じがしました。
 「ずぼしだ。赤くなってる」
 と、二郎兄さんがいいました。いよいよ、ほっぺたが熱くなりました。
 「一郎も二郎もいいかげんにしなさい」
 と、お母さんがいいました。
 「あんまり心配かけないでね」
 「三郎は詩人だ」
 と、お父さんがいいました。

 ひろしが、恵子とならんで歩きながら、何かいっているのが聞こえていました。ひろしは楽しそうに笑っていました。恵子もやはりうれしそうに笑ってこたえている横顔が見えました。でも、何をいっているのか分かりません。恵子たちと三郎の間には、五、六人も仲間たちがいて、みな大声で、しゃべったり、笑ったり、ふざけあったりしていたからです。三郎のとなりには、みどりがいました。みどりが三郎を見て、にやにやしました。
 「なんだよ」
 と、三郎はいいました。
 「恵子とひろしは仲がいいね」
 みどりはやはり笑いながら、ちょっと探るような目になって、三郎を見ました。
 「だったら、なんだよ」
 と、三郎は、顔をそむけてこたえました。
 すると、目の前に、ひろしが立ちどまっていました。
 「行くぞ」
 と、ひろしが、元気な声でいいました。
 「どこに」
 と、三郎はこたえました。
 「お城だ」
 と、ひろしがいいました。
 「お城の石垣の抜け穴を調べるんだ、今度の日曜日。三郎も行くだろ?」
 「ぼくも行くぞ」
 と、たつやがいいました。
 「ぼくも行くぞ」
 と、みんながいいました。
 「わたしも行く」
 と、みどりもいいました。
 みんなと離れたところで、恵子が笑いながら、三郎のほうを見ていました。
 「三郎も行こうよ」
 と、みどりがいいました。
 そのとき、荷馬車が追いついてきて、通りがかりました。大きな茶色の馬でした。たてがみと尻尾だけが、くろぐろとしていました。丸太をたくさん積んだ長い荷台の、いちばん前におじさんがすわって、手綱をとっています。馬はかっぽかっぽとひづめを鳴らして、ゆっくりゆっくり歩いていました。ぎしぎしと音を立てて、大きな車輪がまわっていました。いちばんうしろが、ちょっと空いていました。
 荷馬車が通りすぎようとしたとき、ひろしがかけだしました。かけながら、ランドセルを背中からおろして、荷台に放り上げ、それから荷台に手をついて飛び乗り、こちら向きになって、足をたらしてすわりました。そうして三郎たちに手をふって、にこにこと笑いました。
 「いまにきっと、しかられるんだ」
 と、三郎のとなりで、みどりがいいました。恵子は離れたところに立って、そっぽをむいていました。

 日曜日です。いいお天気でした。兄さんたちは、朝からもう、どこかへ出かけていました。隣の部屋では、お父さんとお母さんが、ラジオをききながら、新聞を読んでいます。三郎が窓からのぞいてみると、いつもの原っぱに、ひろしたちがいました。たつやも、まことも、のぶおも、みどりも、まちこも、恵子もいます。そばに自転車がならんでいました。
 ブロック塀のところには、誰もいませんでした。
ふと、三郎は、これはほんとだろうか、と思いました。
 「ひろしたちは、ほんとにあそこにいるんだろうか。みんな、あそこにいるんだろうか。こないだは、誰もいなかったのに、きょうは、いきなり、どうしてあそこにいるんだろう」
 「ぼくがあそこに行ったら、それでも、みんないるんだろうか。みんな、消えてしまやしないだろうか」
 三郎はひきだしから、自転車の鍵をとりだしました。ドアを開けるとき、
 「行ってきます」
 と、いいました。
 「どこに行くの」
 と、お母さんがいいました。
 「おそと」
 三郎は一言こたえて、階段をかけおりました。
 「やっと来たか」
 と、のぶおがいいました。
 「行かないのかと思ったよ」
 と、まことがいいました。
 「よし、出発」
 と、ひろしがいいました。
 
 溜池から川へ落ちる水門の橋を渡ると、最近できた広い道へ出ました。こないだ、ひろしが馬車に飛び乗ったところです。片側は、工場の塀がずっと続いています。道路を横切って、反対側の大きな酒屋さんの角をはいると、まもなく、学校の前に出ました。校門の前の桶屋のおじさんは、きょうも木槌で桶をたたいています。桶屋の前の川沿いに植わった柳が芽を吹き、風に揺れています。
 「風が吹くと」
 と、となりを走っていたひろしがいいました。
 「桶屋がもうかる」
 と、前を走っていたたつやが、背中越しにどなりました。
 「全部いえるか」
 と、ひろしが、どなりかえしました。
 たつやがいい始めましたが、すぐにつっかえたので、三郎とひろしが声をあわせて続けました。終わると、顔を見あわせて笑いました。
 自転車は、風を切って、気持ちよく走って行きます。
 じきに街なかに入りました。歩いている人や、自転車も増えてきました。バスや、オート三輪や、ハイヤーが通るので、注意して走りました。
 アーケードのある商店街を抜けていくことにしました。ここは車が入ってこないので安全です。でも人が大勢歩いているので、ぶつからないようにしなければなりません。洋品店、呉服屋さん、お茶屋さん、駄菓子屋さん、本屋さんの前を通り過ぎました。
いつのまにか、恵子が横を走っていました。恵子はにやにや笑っていました。
 「なんだい」
 「きょうは三郎はどこにいるの」
 どこにいるんだろう。突然、三郎はわからなくなりました。おかしいな、でも、ここを走っているのに、そうじゃないんだろうか。三郎は恵子を見つめました。アーケードからの光が、恵子の顔をまだらに染めています。恵子はもう笑っていませんでした。また眉をひそめています。じゃ、恵子はここにいるんだろうか、ここにいないとしたら、どこにいるんだろう。
 でも、そうするうちに、アーケードを抜けて踏切をわたり、ちょっと行くと、お城の石垣に出ました。反対側は小溝に沿って、こじんまりした庭を構えた古い家なみが続いています。そこから左に曲がると、ゆるやかな上り坂で、両側とも樹におおわれ、ちょっとした林になっているところを通り抜けます。
 長い急な坂道に来ました。これを上がるとお城です。みな、ペダルの上で立ち上がって、思いきりこぎました。ひろしが先頭を走っています。三郎も負けずについて行きました。一挙に坂を駆け上がると、ちょっと息が切れました。             
 女の子たちが遅れたので、鹿の柵のところで待ちました。鹿たちが寄ってきました。でも三郎たちは誰も何も持ってこなかったので、やるものがありません。柵の反対側に、石垣がそびえています。真下に立って見あげました。
 「いいかい」
 と、ひろしがいいました。
 「お城というものは必ず抜け穴があるんだ。敵が攻め込んだら、お殿様がそこから脱出するんだ。あれがそうだ」
 ひろしが石垣のちょっと上のほうを指差しました。そこは一か所石がなくて、ぽっかり穴が開いていました。
 「あそこまで登って、もぐる。中はせまいから、這っていかねばならない。ずっと行くと、天守閣の跡に出る」
 「よし、行こうぜ」
 と、たつやがいいました。
 ひろしはポケットに手を入れて、ろうそくとマッチを取り出しました。
 「中は酸素がないかもしれない。酸素がないとみんな死んでしまう。それで先頭がろうそくを灯していく。ろうそくが消えたら酸素が無くなったのだから、みんな出てくる。わかったかい?」
 「わかった」
 と、みんながいいました。

 ひろしはろうそくとマッチをもう一度ポケットにしまって、いちばんに登り始めました。たつやが続きました。洞穴の入り口のところで、ひろしはろうそくを取り出し、火をつけました。穴に差し入れると、消えてしまいました。ひろしはもう一回つけました。今度は消えませんでした。ひろしはふりかえって、
 「よし、行くぞ」
 といって、はいっていきました。ズックの裏が見えなくなると、たつやもはいり始めました。まことが登り、のぶおも登っていきました。三郎も石垣に手足をかけました。
 「わたし、行かない」
 と、みどりがいいました。
 「服よごしたら、しかられるもん」
 「わたしも行かない」
 と、まちこもいいました。
 三郎が石垣に手足をかけたまま振り返ると、恵子が三郎のすぐうしろに立って、黙って三郎を見ていました。恵子もスカートだったので、登ってこないだろうと、三郎は思いました。
 洞穴の入り口に着くと、みんなの背中越しに、ときたま、かすかな明かりが見えました。ひろしはもうだいぶ先へ行ったようです。三郎ははいる前に足もとを見下ろしました。恵子がついてきていました。
 「行くの?」
 と、三郎がいいました。
 「行くよ」
 と、恵子がいいました。
 三郎は穴にもぐりました。なんとか、よつんばいで歩けます。横幅も思ったよりありました。でも、少し行くと、もう真っ暗です。
 「なんにも見えないよ」
 と、三郎はいいました。
 「じきに眼がなれる」
 といったのは、ふたつ前のまことのようですが、声がわああんと反響して、ちょっと、ぞっとしました。そりゃ、前のほうはろうそくがあるんだから、と三郎は思いましたが、しばらくすると、ろうそくの明かりに照らされた洞穴の壁がぼんやりと見えてきました。その辺はもう石ではなくて、かたい土でした。
 「恵子、いるの?」
 と、三郎は前を向いたまま、ききました。その声も、うわん、と反響しました。
 「いるよ」
 と、恵子がうしろから、こたえました。
 「恵子もきたのかい?」
 と、のぶおがいいました。その声がみんな反響しました。
 いくらも行かないうちに、行列は止まってしまいました。前のほうで何かいっていますが、反響するので、聞きとれません。口々に何かいっています。
 明かりがゆらめき、前のほうで大きく動く気配がして、やがて、せまくるしい中を、からだをこすり合わせるようにして、ひろしが戻ってきました。ろうそくは持っていません。
 「行き止まりだよ。順番に奥を見といで」
 ひろしは三郎とからだをくっつけながら、それでも上手に行き違って、後退していきました。三郎は前に進みました。そして、今度はたつやと行き違いました。行き違いながら、
 「のぼるが来なくてよかったよ。あいつが穴にはいったら、ひとりでいっぱいだ」
 と、いいました。
 次はまことです。
 「穴がふさがってるんだ。誰が、天守閣までつながってるなんていったんだ」
 と、まことはいいました。
 最後に、のぶおがろうそくを手渡しました。
 「そっちへむけて、上手に持っててくれよ。ぼくの足を焼かんでくれよ」
 ろうそくはもう短くなっていました。おまけに垂れてくるので、熱いのです。それでも苦労して、なんとか行き違いました。
 洞穴の最終地点が明るく照らし出されています。壁土が、半分崩れたようになっていました。でも、もう、これ以上ろうそくを持っていることはできません。三郎はふっと息をかけて、ろうそくを消しました。穴の中は真っ暗になりました。何も見えず、何の物音も聞こえません。
 ふと三郎は、暗やみにひとり取り残され、閉じ込められてしまったような心細さを覚えました。
 「ここはどこだろう。みんなどこへ行ったんだろう。どうしてぼくはひとりぽっちなんだろう」
 と、三郎は考えました。急に疑いがもたげてきました。
 「恵子、いるの?」
 と、三郎はいってみました。
 でも、返事は聞こえてきませんでした。
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