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まがねとおる

Author:まがねとおる
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2020年07月のエントリー一覧

  • 中村文則など

     中村文則の朝日新聞連載は、コロナのど真ん中に来てしまった。進行中の出来事のなかでフィクションを展開するというのは、たいへんな冒険だ。どこへ転がっていくのだろう。ますます目が離せない。 もっとも、前の展開をどんどん忘れていくので、要するにどこまで来たのか、さっぱりわかっていないのだ。わかっていないのだが、その日その日の900字に満たない文章で引っ張られてしまう。今後の展開次第だが、興味が持続すれば、...

  • コメントの字数制限撤去

     コメントの字数制限をやめたつもりだったのに、まだ残っていた。字数制限は500文字で、ほかの選択肢はない。原稿用紙1枚と少しで、あまりにも短く、書ききれないというご意見がちらほら来ていた。撤去しました。今度こそ、たぶんちゃんとできていると思う。ただし、原稿用紙数枚程度に抑えてほしい。あまり長いとそれが邪魔して、他のコメントを探すときに不便です。それより長いものはメールフォームからメール添付でお願いしま...

  • 小説とエッセー

     小説には、かくあらねばならないという決まりはない。どう書くのも自由であり、だからこそ新しいスタイルが生まれてくる。 しかし、それも読者を納得させてのことだ。読者に不満が残るなら、やはりいったんは小説の基本に立ち返って考えてみる必要があるだろう。 小説とエッセーには境目がない。固定的な定義を考えることは難しい。それでもその違いを考えることは無益ではない。それはその作品がなぜ読者を納得させられないの...

  • スプーン一杯のふしあわせ

     いま見たら、「スプーン一杯」をブログに載せていない。これは4百字詰めで360枚、長いがミステリーだから、読んでもらえるかもしれない。あと、「コスモス」は古いバージョンのままだ。書き直したものは、「樹宴」の何号だかに書いたのだが、気に入らないので、増刷しなかった。手元に1冊あるだけ。これもブログ化してもよいが、戯曲なので、ほかの機器で開いたときにどういうふうになっているかが、全くわからないというのが問...

  • 近況など

    「駅」1、2にも拍手をもらっていた。そのあと「盗難」「ノロ鍋」にも来ている。2千字小説はブログで読むのに手ごろだろうが、あとの2作は雑誌で読んでさえたいへん。まがね復帰後の第1作と第2作で、どう見ても失敗作。現場の描写を失敗している。小説の書き方をすっかり見失っていたときのものだ。それをもし読んでくださったとすれば、深く感謝する。 あれから以後何も書いてない。すべてむかし書いたものを探し出しては発...

  • 拍手御礼

    「平井真」「石」「鐘」「雨」「朝」などに拍手をいただいた。 お読みいただけたとすれば嬉しい。 現状は、小説のアイディアのほんのかけらさえ、頭にないありさま。 2013年に書き始め、月末に出る「まがね」62号で完結する「タイムマシン」が最後である。 8月いっぱいは「カミュ論」に打ち込むが、「ふくやま文学」の11月締め切りに向けて、そろそろ小説のアイディアくらい浮かんでこないとやばい。 なぜ書けないかというと、...

  • 「民主文学読者」さんへ

     コメントをたくさんありがとう。賛否を問わず、反響があると、書いた甲斐があります。「民主文学」が、一部の評者からだけでなく、より広範な読者によって、活発に論じられる雑誌であってほしい。そういう場があまりないように思います。...

  • 「民主文学」20年8月号

     田島 一「閉ざされた日から」についてはすでに書いた。あとの3作について書く。どれもそれぞれに印象的な3作だったのだが、少しくたびれているので、なるべく簡単に済ませたい。高橋英男「もう一つの顔」 小さな診療所の65歳の女医の話。すぐれた医者で、地域に密着した親切な医療を心がけ、患者たちの信頼を勝ち得、とりわけ若いお母さんたちが子供を連れてくる。小児科的な存在となっている。 小児科というのは一番たいへ...

  • 中村文則

    「カード師」にペストが現れたのがいつ頃だったかと思って自ブログを検索したら、3月だったから、コロナを頭に置きつつ書いたのだろう。それをいつ発想したのかはわからないが。 中村文則名の検索には、4年前の朝日オピニオン欄での中村の文章への共感が出てきた。そのとき中村が何を書いていたのか、もはやまったく思い出せないが、1990年代後半以後の日本人の変質についてと書いている。中村はまだ40そこそこだから、10代から...

  • 中村文則「カード師」

     朝日新聞は日刊で中村文則「カード師」、土曜版で桜庭一樹「火の鳥」をすでに1年近く連載している。「火の鳥」は辛抱強く読んでいたが、かなり前にとうとう投げ出した。絵のない漫画はやはり読めない。漫画には絵が必要だ。漫画は文章で読ませるものではない。「カード師」は欠かさず読んできた。欠かさず読んでも、記憶力が相当減退しているので、全体像は頭に残らない。もともとあまり脈絡のない小説だ。トランプ賭博や、タロ...

  • 田島 一「閉ざされた日から」(「民主文学」20年8月号)

     本とパソコンを前にして、うなっている。どこから書き始めるべきか。 ともかくぼくは日本文学をほとんど読んでいない。だから、(この小説とは関係ないが)「日本文学の伝統がどうこう」などと言われると困ってしまう。そんなもの、ぼくにはないのだ。 ぼくは古典もまったく読めていないが、源氏物語のあらすじくらいは知っているし、それが世界最初の小説と言ってもよいほどのものだということもわかる。しかし、それは結局そ...

  • 中村泰行「ル・クレジオ」 渥美二郎「ジョゼ・サラマーゴ」          (「民主文学」20年8月号)

     昨日の乙部宗徳の「ペスト」と3つ並べて「パンデミック小説特集」である。 ル・クレジオの名前を久しぶりに目にした。乙部氏が高校時代に読んだというヌーボーロマンの代表的な作家、ぼくも2冊買ったと思うのだが、結局1冊目の途中で挫折した。挫折なのかな、面白いと思って読んでいたのだが、忙しくなって中断したきり、そのままになって50年経った。本棚に残っているかどうか探してみなければわからない。 今回中村氏が取...

  • 乙部宗徳「カミュ『ペスト』再読」(「民主文学」20年8月号)

     きょう届いた「民主文学」8月号で、乙部宗徳が「ペスト」を中心に、カミュと「ペスト」の全体像を、見事に要約している。ごく短い文章だが、的確である。 著者は高校時代にサルトル、カミュ、ヌーボーロマンを読み、サルトル―カミュ論争も把握、カミュの私生活と、フランスのレジスタンスについても押さえたうえで論じており、短くても目配りが利き、要所をとらえている。一読を薦める。 ぼくのほうはと言えば、いまやっと「...

  • たなかもとじ「乳房」(「民主文学」20年7月号)

     いい話なのだが、少し詰め込みすぎていないか。つぎつぎと話が動いていくので、読者は駆け足でついていくような感じにさせられる。もう少し余裕を持たせて、ひとつひとつのシーンをじっくりと味わわせてもらうわけにいかないか。 小説は文学であり、文学は芸術であるとするなら、絵画や音楽と同じように、味わわせるべきものだろう。急ぎ足では味わえない。たくさんのことを書きすぎた。 なぜそうなったかと言うと、ほんとうの...

  • 井辺一平「闇の刻」(「民主文学」20年7月号)

     驚いた。「民主文学」侮るべからず。 多少、おかしな言葉遣いもあるが、全体(かなり長い)が、そのまま一編の詩である。詩情が漂っている。読み始めたらやめられない。心に沁みこんでくるものがある。 描かれたものは老夫婦の悲惨ともいうべき現実なのだが、そこに豊かな抒情が流れていて、驚かされる。 深夜2時、認知症の上に足を骨折した妻は、ベッドに横たわっている。同じ80代の夫は、その横に布団を敷いて付き添ってい...

  • 朝鮮人

    「朝鮮人」という言葉を避けて、「朝鮮の人」と呼んでいたというコメントをもらった。たしかに、覚えがある。れっきとした国名や民族名が、一時的な歴史の経過によって、差別語とされてしまう。「言葉」というのは怖いものだ。もともとは単なる空気の振動に過ぎないものが、人々の間で交わされる間に意味を持ち始める。その意味がゆがまされていく。 草薙氏、新船氏、それぞれにそう扱わざるを得ない必然があるのだろう。結論の出し...

  • 拍手ありがとう

     ここのところ、ぼくのむかしの短編や掌編を読んで、長年ほとんど拍手のなかったそれらに拍手してくださる方、どうもありがとう。いずれもいま読むと気恥ずかしくなるような作品だけど、愛着のある作品でもある。いまでは絶対書けない作品だ。これから何を書けばいいのか。戸惑っているところへ、励ましをいただいた気分である。いましばし、生きているあいだは、何かしていこう。 きょうは風が強い。...

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