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Author:まがねとおる
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2020年05月のエントリー一覧

  • 「シジフォスの神話」

    「シジフォスの神話」を読んでいる。これを読むと、もう「異邦人」論なんか全然書く必要がないじゃないかという感じになってしまう。カミュ自身が手を取り足をとるようにして「異邦人」を解剖している。例えば、マリイがムルソーに「わたしを愛してる?」ときいて、ムルソーが「いや、たぶん愛していない」と答える場面、読者はどういう意味だろうと考えこむが、「シジフォスの神話」(「シーシュポスの神話」清水徹訳 新潮文庫 20...

  • ラノベについて

    「民主文学」6月号に、中村恵美がライトノベル論を書いている。かなり多角的に論じていて感心したが、結局、ラノベの周辺からの論で、ラノベそのものの内実に立ち入っての論ではないように感じた。たぶん、この著者も、ぼくと同じで、ラノベにあまり食欲がわかないのだろうと同情した。 普通の小説を読んできた人間にとって、ラノベを読むことはかなり苦痛である。2ページも読むと、もうその先を読み進むことはできない。だから...

  • コロナについて

     コロナについて何も書かずに来たが、知らないことなので、書きようがないのだ。全体的に言って、日本は奇跡的に頑張っていると思う。だからあまり安倍政権を責める気にならない。 だが、ぼくらは運よく年金生活者だが、現役の人たちはたいへんだ。仕事と収入を失った人たち、反対に、感染の恐怖におびえながら過酷な労働に従事している人たち、この両極端の人々を先頭に、そのはざまで不安ななかで頑張っている人々、みんなに感...

  • 気狂いの植木屋

     むかし、司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んだとき、こんな言葉に出会った。「気狂いの植木屋がいて、この枝も気に入らない、これも気に入らないと言って、結局全部切ってしまった。土方歳三のやったことはそれに似ている」 ということを、たぶん誰かから聞いた話として、うがった話と言えなくもないという趣旨で書いていたのだと思う。(すでにうろ覚えだが) 昨日ふとそれを思い出して、ひょっとしたら、司馬遼太郎は、小説の推...

  • 一人称小説

     62枚ほどの自作をなんとか50枚につづめられないか試そうとして、のっけからつまずいた。意外なほど下手な文章で、読み進めることができない。 それでも、誉めてくれた人もいるのだと思って、読み進めようとするのだが、あれは全部お世辞だったのだ、みんな腹のなかで笑っていたのだ、という気がしてきて、かなり落ち込んだ。全部破り捨てようかと思った。 そのうちだんだん落ち着いてきて、いいさ、過去の自作の下手さがわかる...

  • 20年度民主文学新人賞

    [受賞作] 宮腰信久「孤高の人」[佳 作] 中 寛信「病院で掃除のアルバイトをするということ」 読者はもちろんそれぞれだが、ぼくは、佳作のほうに強く惹かれた。 文体の魅力というものを、存分に感じさせてくれる作品である。独白体なのだが、饒舌調というのとも違う。途中で一カ所「このレポート」と書いているが、たしかに報告文という趣きを持っている。つまり、饒舌調にありがちな自己心理へのこだわりというのではな...

  • オセロゲーム

     時間が足りない足りないと言いながら、詰めオセロで二日つぶした。それで、まだ解けない。諦めた。 オセロがどれだけ複雑なゲームか、どのくらいの方がご存じだろうか。詰将棋、詰碁どころではない。基本的に違う。どこが違うのか。オセロは64マス、しかも詰めオセロはゲームの最終面だから、ほとんどのマスはすでに埋まっている。10マスほど残すだけ。白黒5回ずつ打てば終わる。将棋で言えば10手詰めという感じだろうか。とこ...

  • 「『異邦人』の読み方」補遺について

    「『異邦人』の読み方」補遺を書きかけて行き詰まり、中断している。 この小論では三つの方向から書きたかった。1、筆者の誤読部分について 2、死と宗教、無神論について 3、読者と「異邦人」について 1の誤読部分についてはじきに書き終わった。2に来て筆が止まった。この問題は当然この小説の一番大事なテーマなのだが、カミュはそれを理屈っぽく語ることを避けている。それは作品全体を通じて、ムルソーの生きるうえで...

  • 「党生活者」のこと

    「流木通信」の記事に触発されて、「民主文学」3月号の評論を読んでみた。 久野通広「手塚英孝と小林多喜二」である。「民主文学」の評論はほとんどプロレタリア作家が対象で、ぼくはプロレタリア小説を読んでないから、論を読んでもわからないから読まないのだが、多喜二だけは多少読んでいる。 評論は多喜二全集を編むことにほとんど全生涯を賭けた手塚英孝の功績を書いている。多喜二の作品は発表されたものも検閲による伏字...

  • 北原耕也「陸のカモメ」(「民主文学」20年5月)

     最後に当たり籤が残っていた。これは名作だ。よい作品については何も言いたくないという気持ちになる。言葉にすると感動が逃げていくような気がする。じっと味わいたい作品である。 でも、それだけで済ますわけにはいかないので、少しだけ書く。 単純に字数を400で割ると50枚くらいの作品であろうか。年代設定は東北の津波から8年、2019年、現在である。主人公秋芳は「大学に進んだおかげでバブル崩壊に遭遇し定職から見放さ...

  • 読者としての感想

     ここ二三日、ぼくの作品論は極端にきつくなっているように思える。久しぶりに名作を二つ再読したせいで、小説を見る目が厳しくなっているのだろう。人の小説だけではない。自分の小説にも、最近ちょっと嫌気がさしている。おれはこんなに下手なものを書いていたのか、という感じ。 誉め殺しという言葉がある。誉められて進歩する人もあれば、誉められて満足してしまい、それで終わってしまう人もある。 だから、誉める人あれば...

  • 高橋篤子「ガレ場の蝶」(「民主文学」20年5月)

     これは文章巧者の作品である。民主文学はだいたい高齢の女性に文章の達者な人が多い。男はどちらかというとぎこちない。 流れるような文章で、つまずくようなところがない。長年書き込んで身についているのだろう。 その人が少し突飛な構想で書いた。主人公は33歳の女性なのだが、それを高齢男性の視点で書いている。 なぜそういう視点でなければならないのか、その理由がわからない。 というのは、この視点がかなり揺らいで...

  • 満吉栄吉「三日月」(「民主文学」20年5月)

     小説というものは奇妙なものだ。上手な作品が面白いとは限らない。下手な作品が面白くないとも限らないのだ。 あまりの下手さに、何度も読むのをやめようと思った。それでも我慢して読んでいると、だんだん面白くなってきた。 めちゃくちゃな文章である。書いていることが支離滅裂で、筋が通っていない。職人技としては失格である。だが、芸術というものは必ずしも職人仕事ではない。 熱と勢いがあるのだ。めちゃくちゃなのだ...

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