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2016年05月のエントリー一覧

  • 木曽ひかる「暖簾」 竹内七奈「大切な宝を守れ」(「民主文学」16年6月号)

     2年に1回だった新人賞を毎年やるようになったが、今年は佳作がなかった。百作近い応募があって、制限ぎりぎりの百枚近いものも多かったということだが、定年を迎えた団塊世代の昔語りが多かった一方で、テレビドラマのような通俗的なものも多かったということである。 そういう選考経過を目にすれば、岩崎明日香が選ばれたのは、単に若いという理由からだけではないだろう。昔語りとか通俗的とか言っているのは、それだから悪...

  • 「広い感情」と「新しい感情」

     ぼくの「角煮とマルクス」評に対して高原さんからコメントをいただいた(コメント欄参照)。「広い感情」「新しい感情」というのは、(違うかもしれないが)ぼく流の言葉でいえば、「普遍的な感情」と「それに対する違和感」ではないかと思う。 強く印象に残る世界の名作というのは、日常生活の中の人類普遍の感情を、深い愛おしみと現実感を持って描き出しながら、なおかつそれに対するきわめて個人的な違和の思いを、鋭く表出...

  • 岩崎明日香「角煮とマルクス」(「民主文学」新人賞)

     29才。民主文学に有望な若手が現れた。この人は何年か前、民青東京都委員長として「民主文学」の若手座談会に出席し、それをぼくもこのブログで取り上げた。そのあとプロレタリア文学の評論を発表したりしていた。今回初めての小説を引っ提げての登場である。 書き出しに文章の硬さが目立ったが、読み始めるとなかなか読ませる。長崎の家族の物語である。駄目な父親と、健気な母親、女三人男三人の六人兄弟姉妹。それにキリスト...

  • 福山ばら祭とヨーヨーのNaoto(その1)

     今年はNaotoのショーを二回見てしまった。 福山ばら祭である。毎年5月の連休の次の週の土日に開催される。バラの満開に合わせるのでそうなる。観光資源の乏しい福山にとっては最大のお祭りである。今年は2日間で延べ80万人が来た。 祭りの範囲が広い。福山駅から天満屋前、元町通り、宮通り、久松通り、国道2号線を渡って、霞町から中央公園へ、そこから少し歩いてバラ公園、農協、緑町公園へと続く。もちろんその間を臨時...

  • 福山ばら祭とヨーヨーのNaoto(その2)

     スケジュールを見ると、13時15分からくす田くす博がトライアングル広場でやる。この芸人はぼくも興味があったが、妻も覚えていて関心を示したので、急遽行く気になった。すでに13時10分だ。地図を印刷してこなかったので、トライアングル広場というのが分からない。案内所で聞いても子供のボランティアでぽかんとしているだけ。とりあえず眼についたパンフをつかみとって、ここと思う地点に急ぐ。霞町を抜け、国道2号を渡って、...

  • 付け足し

     前記受賞作評の冒頭で、北村氏は保坂和志を取材したときの話を書いている。保坂和志は滝口悠生が強い影響を受けた作家らしい。保坂は、「汽車旅行も小説も一緒で、どこへ行くかよりも途中の景色が大事だ」と言ったそうだ。これに対して北村は自分にはそんな人間的余裕がないので遠くに行くには飛行機に乗るし、新幹線の中でも本ばかり読んでいると言っている。作家と評論家の違いを象徴的に表しているような気がする。作家は人生...

  • 芥川賞16年度上期

     今期受賞二作を読んだ娘が、芥川賞というのは奇抜な作品に与える賞なのかと訊いた。ぼくも最近そんな気がしてきた。 もっとも、受賞作をあまり読んでいないので、確かなことは言えない。なんとなく実験作が多いような気がするのだ。「民主文学」5月号で、北村隆志がそのへんをうまいこと説明している。 <現代では、新聞、雑誌、テレビからインターネットまで、情報という名の大量の「意味」に人々は食傷している。そのなかで...

  • みたび「社会主義リアリズム」

    「社会主義リアリズム」に興味を持つ人などもういないだろうし、そんな言葉を聞いたことのある人すら、すでにほとんどいないだろう。もはや死語なのだ。ぼくにしてもたいして関心を持ったわけではなかった。 ただ民主文学という団体の近くで読み書きしていれば、若いころ具体的な歴史的経過も知らずに耳にした「批判的リアリズムから社会主義リアリズムへ」という言葉がたまに頭をよぎったりした。民主文学にときおり現れる批評の...

  • ふたたび「社会主義リアリズム」について

    「民主文学」5月号に載った谷本論氏の「『社会主義リアリズム』とは何だったのか」の結論部分だけを記して賛意を表明したぼくのブログ記事に、高原さんがコメントで異論を述べられた。 ぼくが結論しか書かなかったのが間違いだったのだろう。どんな論考にせよ、意味のあるのは論の筋道であって結論ではない。「民主文学」は誰の眼にもふれる雑誌ではないから、よけいに結論だけでは何もわからない。 釈明文を書こうとしてなかなか...

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