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2014年10月のエントリー一覧

  • 高原論文「物々交換」

     高原さんが、福山大学での発表内容を、「物々交換、そしてエンゲルス」へのコメントの形で掲載してくださった。人類が物々交換を始めた根源に迫ろうとするものである。ユニークなので読んでみてください。 ぼく自身の感想は、広島から帰ってから書きます。 福山大学は山の中にあってバスでないと行かれないと思うのだが、福山大学なのだろうか、それとも最近できた市立福山大学だろうか。そのほかにも福山平成大学とか、いろい...

  • 「レーン最後の事件」

     広島集会の準備をするつもりだったが、結局力が入らず、「レーン最後の事件」を読んだ。上質な娯楽作品はいつでも読者を慰めてくれる。83年版になっているからそのころ読んだのだろう。「X」「Y」より20年近く後だ。ところが「X」「Y」の方が記憶が鮮明である。これは作品の良し悪しよりも、若いときに読んだもののほうがより記憶に残るということだろうか。そう言えば最近読む作品は次々忘れてしまう。中学高校時代に読んだ...

  • デボーリンの墓守さんへ

     コメントありがとう。昨日今日とパソコンを開かなかったので失礼しました。こういう具体的な反論は大歓迎です。ぼくの知識の貧弱なところを突かれていると思います。ぼくのほうにもいくらか再反論したいところもありますが、すぐには無理なので、とりあえず読者の判断に任せましょう。当面、松戸から弟が来るのと、その直後に広島行きが待っているので、若干準備中です。そのうち落ち着いたら、気になる点を書いてみたいと思いま...

  • 「三四郎」サマトラケのニケ

     サマトラケのニケさん、コメントありがとう。漱石の中では「三四郎」しかないとうかがって、ぼくもほっとしています。司馬遼太郎とサイデンステッカーがお互い「三四郎」が好きと知ってほっとしたという気持ちがよく分かります。「三四郎」が好きなどというと馬鹿にされるかもしれないという気持ちがありますもんね。でも好きなものは仕方がない。今回朝日で毎日読んで、記憶から飛んでいた部分が次々出てきて、ますます好きにな...

  • 投企

     これさえ押さえておけば人類のすべての問題が解明できるというような便利な公式など存在しない。それをあるかのように思い込むのが原理主義だろう。キリスト教原理主義や、イスラム教原理主義や、日本教原理主義や、マルクス主義原理主義がある。だがそんな便利な方程式などないのだ。(たしかマルクスがどこかでそんな発言をしていたような記憶があるが)。 高橋源一郎がいみじくも言ったように「世界はもっと複雑」なのだ。ど...

  • たなか もとじ

     広島集会の講師で来るたなかもとじの作品集を今回の主催者である呉支部が送ってきた。 岡山出身で、長く演劇畑にいた人だから、興味がある。もっとも文学では初心者だ。それも対等に話し合えてよいのではないか。 作品集には3作。処女作「片っ方の靴」はまだヨチヨチ歩きの感じ。作文の域を出ていない。ただ作者自身のことを書いていると思われるので、そういうゴシップ的興味で読ませる。 ところが11年度新人賞の「顔」にな...

  • ふくやま文学 瀬崎峰永

    「ふくやま文学」の瀬崎峰永さんが、ご自身のブログで「まがね56号」の宣伝をしてくださっています。「まがね」を読んでやろうという方は、このブログか、リンクの「まがね文学会」もしくは「笹本敦史のブログ」にご連絡ください。 瀬崎さんが「雨」の感想を書いてくださいました。ぼくの表現したかったことをズバリ指摘されて、じつは驚いています。なかなかそこまで読みとってくださる人はいないだろうと思っていたので。「瀬崎...

  • Yの悲劇 三四郎

     何もやる気がしないので、二三日、「Yの悲劇」に浸っていた。18か9のころ読んだきりだから半世紀ぶりだ。かなり鮮明に覚えているつもりだったが、じつは覚えていたのはほんのところどころで、大部分忘れていた。記憶に残っていたよりもずっと豊かな小説だった。 もちろん娯楽小説である。でも何もないかというとそうでもない。遺伝や環境に起因する犯罪をどう断罪できるのかという地点に立って、ドルリー・レーンが苦悩するか...

  • 実家について

     今朝新聞を読んでいて、何の脈絡もなく、きのうの井上作品評に「実家」について書かなかったなとふと思い出した(記憶というのはおかしなものだ)。 井上作品評については、「実家」のことから書き始めようと思っていたのに、いざ書き始めると、ころっと忘れていた。 で、いま書く。 作品冒頭に「実家」と出てくる。これに違和感があった。というのは「実家」とは妻の親元だと思っていたのに、この作品では男性主人公が自分の...

  • 高原さんへ

    「すずめ」へのご批評ありがとうございました。(いまならコメント欄からたどれる。「エッセイ」のカテゴリーから「すずめ」に行くこともできる)。「まがね」掲載時に削除した部分の問題。理屈っぽいと思ったことがひとつ。冒頭とのだぶりも気になった。そして掲載時にページをはみ出してしまうことも気になりました。この7作はあいだにタイトルが6か所入るので、編集上の見栄えから、かなりあちこちいじりました。 しかし、必...

  • 井上通泰「村の墓」(民主文学14年7月号)

     いろいろな意味で興味深かった。はじめのうち、例によって身辺雑記かと思って気の進まぬままに読みはじめた。ところが冒頭で主人公の妻の歯切れの良い言葉で、あれ? と思わせられ、そのあと80才の継母ハルと主人公との、何気ない買い物風景なのだが、その会話の素っ気なさぶりになんとなく惹かれて読まされてしまう。 複雑な家族構成なのだ。それをここに書いても仕方ないので書かない。 ここで作者が提起するのは共同体の問...

  • 朝日誤報問題

     今回朝日誤報問題がなぜこんな大騒ぎになったのか。 もちろんひとつには右翼がこの際いいチャンスだと思って左翼に総攻撃をかけてきたのだ。朝日は左翼の代表だとみなされたのである。 朝日が資本主義の新聞であることは昔からはっきりしているのだが、いつのころからか、右翼の目の敵にされてきた。朝日がそんな扱いをされていることをぼくは知らなかった。ぼくが知ったのは、10年ほど前、拉致が大きな時事問題となったとき、...

  • 「民主文学」14年11月号

     風見梢太郎「破界」 ずっとさまざまな角度から原発に迫り続けている。今回は、人が住めなくなった村や、入れなくなった山のせいで、イノシシが頻繁に人里を侵しはじめた、このうえ、猿が来はじめたら大変なことになるという話である。 毎回違う題材を扱いながら、取材が行き届いている。それをさりげなく書いて、取材したと思わせない。そこにリアリティがある。 それと人物の造形がうまい。次々と短篇を書きながら、そのつど...

  • 青木資二「拳」(民主文学11月号)

     小説と読者とのあいだにはもちろん相性というものもあるのだろう。一年半前、この人の作品にどうしても入り込めなかったと書いたが、残念ながら今回もそうだ。 作中、作者は主人公に以下のように語らせる。「エンデが言っているんだけど、舞台で道徳的なことをやると、ほとんどの観客は白けちゃうんだって」 ぼくにはこのセリフがこの小説にぴったり当てはまるように思えた。この作者の作品自体が、まるで道徳の教科書のようで...

  • 植田さんのこと

     植田さんのコメント379読ませてもらいました。生い立ちと現状に短く触れられていたのも親しみを持ちました。社会主義への三つの関心点、その方向性はぼくとほぼ同じだと思います。ただ植田さんは社会主義関係の書物をかなり系統的に読んでおられる。ぼくにはそういう知識はまったくなくて、古本屋さんがよく言うとおり、全くぼくの感覚の問題なのです。違うアプローチから似た場所に立つことができるというのも面白いですね。...

  • 「まがね」最新号 広島研究集会

    「まがね」の最新号が出たので、住所を把握している方にはいずれクロネコヤマトで送ります。そのほかにもし読んでやろうという方がおられたら、非公開コメントででも住所氏名、もしくはメールアドレスでもお教え下さい。情報漏れのないようにします。いっぱい余るので、お代はいただきません。 もっとも30年前の青年がいまだに書いているので、小説誌というよりも随想誌のようになってきました。あまり期待されると困ります。でも...

  • 須藤みゆき「六年間の希」(民主文学11月号)

     ひさしぶりに須藤みゆきの小説を読んだ。この人の小説を読むといつも泣いてしまう。書いていることはいつも同じである。自己肯定感を持てないままに生きている一人の女性のつらい内面の告白だ。 女性を巡る周辺事情は作品ごとに微妙に違っており、どこまでが事実で、どこからがフィクションなのか分からない。それはどうでもよいことだ。これは小説なのだから、事実がどうであるかは関係ない。 綿々とつらねられるつらさの告白...

  • 「民主文学」14年10月号

     ネットの世界にご無沙汰がちだ。いつ死んでもおかしくない齢なのだから、せいぜい人生を楽しまなくちゃと思っている。土日ごとに孫たちの運動会やら発表会やらで、水島と玉野を駈けまわった。そのほかに、津和野、萩、尾道、そして今日は庄原にコスモスを見に行った。 禁煙でイライラするので、気分転換でもある。「民文」の感想を忘れないうちに書く。7月8月がまだ読めていないが、9月号は感想を書いた。すでに11月号が来てい...

  • 「Xの悲劇」エラリー・クイーン

     半世紀ぶりに読んだ。先日読み直した「Zの悲劇」が読みやすく、文学的でさえあったのに、今回それが感じられなかったので驚いている。 ニコチン禁断症状のせいもあるだろう。何を読んでもなんだかバラバラな感じがして、きっちり総合されたものとして感じとることができない。いまの自分の読解力に自信が持てないので、いま感想を書くべきではないのだろうが、書いておかないと忘れるので書く。割り引いて読んでほしい。 訳者...

  • デボーリンの墓守さんへ

     nationalとstateについてのご指摘ありがとうございました。ぼくの知識のいい加減なところがたちまち露見しましたね。こういうところが古本屋さんになかなかまともに相手にしてもらえないところなのでしょうが、具体的に指摘されるとたいへん助かります。昔の長いばかりでいい加減なものを読んでくださったようで、感謝します。知識はでたらめですが、ぼくとしては一生懸命な本音なのです。今後もよろしくお願いします。...

  • 浪人さんへ モーム「雨」

     2000字小説へのコメントありがとうございました。おかげでこのブログが小説ブログであることを思い出しました。もともとそういう感想を書いていただき、それによって書き直していこうというのがブログの目的だったのです。 自分では書いたつもりのないことを読みとったと言われるのも、新鮮な経験です。またこれこそ読みとってほしいと思っていたことをズバリ読みとっていただけるととてもうれしい。 最初に発表した時点で笹本...

  • 「レイコの沈黙」瀬崎峰永

     瀬崎氏の作品を読ませてもらった。「ふくやま文学」10号からずっと書いてこられたそうだが、手元にないものが多いので(大河内さんが数冊しかくれなかった)、読んだのは4つだけである。「冬の蛾」10号(98年) 「有刺鉄線のむこう側」14号(02年) 「金曜日のカツ丼」25号(13年) 「レイコの沈黙」別冊8号(04年) 素人作家に多い私小説風のものは一作もなく、すべてフィクション性の強い作品ばかり。それもひとつひとつ...

  • サービス労働と剰余価値

     拙ブログ「植田・高原論争への疑問」に植田氏が寄せられたコメント351・352によって、サービスに関するぼくの考えがはっきりしてきた感じがするので、書いてみる。 その前にひとつの懸念を提示するが、これは当たっているかどうかわからない。 学者たちはマルクスをもちろんドイツ語で読むが、我々は翻訳で読む。学問的な著述を翻訳するとき、彼らはやまと言葉よりも漢語的表現を多用する。漢語的表現が我々日本人読者に与える...

  • 植田さんと高原さん

     昨日は古本屋さんについて書いたので、今日は植田さんと高原さんについて書く。 植田さんとぼくとは似たような場所に立っているように感じる。共産党より少し右寄りというのがぼくの立場だが、植田さんの位置も似ているのではないか。この人の書かれることのほとんどに共感できる。 マルクスを相当読みこまれている。マルクス後の論争史もある程度カバーされているように見える。 特徴的なのは、エンジニアとしての立場から、...

  • 瀬崎峰永さんへ

     コメントありがとうございます。小説を書く人とネットとはどうも相性が悪いらしく、「まがね」やその関連の「民文」中国地区の人たち、あるいは「ふくやま文学」の人たちにも、ネットをやる人はほとんどいません。そういう関連でぼくのブログに来ていただいたのは、瀬崎さんがほとんど初めてです。 もっともぼくのブログも小説ブログと銘打ちながら、雑文で埋まっており、文学から少し離れてしまっています。「ふくやま文学」は...

  • マルクス雑感

     煙草のない人生を表現できる言葉に、たどり着けないでいる。どう言ってみても実感とは食い違う。このイライラ感。ぼうっとした感じ。つかみどころのない日々。生活のなかの失われてしまったアクセント。いましも爆発の予感。 さまざまに矛盾した気分に引き裂かれている。 昨日、小説にとりかかろうとかなりの時間試してみたが、結局、駄目だった。小説の頭脳にはどうしてもなれない。 で、この機会に読書しようと本を開く。す...

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