・こうの史代「この世界の片隅に」 ・ジョージ・オーウェル「1984年」 ・「樹宴」12号感想 ・ジョージ・オーウェル ・「民主文学」17年9月号 後半 ・「民主文学」17年9月号 ・「民主文学」17年8月号 ・倉園沙樹子「巨艦の幻影」(民主文学8月号) ・竹内七奈「或る家族の瓦解」(民主文学17年7月号) ・旭爪あかね「シンパシー」について (15年10月) 再掲 ・「譲葉の顔」再読 ・「民主文学」17年6月7月号 ・「虞美人草」のこと ・「ふくやま文学」29号 ・豆塚エリ「いつだって溺れるのは」(太宰治賞候補 234枚 23歳) ・広井公司「トランス・ペアレント」(268枚 太宰治賞候補 39歳) ・サクラ・ヒロ「星と飴玉」(310枚 2016年太宰治賞候補作)37歳 ・「楽園」追加 ・夜釣十六「楽園」137枚(「太宰治賞2016」筑摩書房) ・「民主文学」17年3月号 ・野川 環「サクラサクサク」(「民主文学」16年12月号) ・菊池明「初冬の風に」 紀田祥「郷に入りても…」(「民主文学」16年12月号) ・「民主文学16年11月号」 ・「クレーン38号」2017年 前橋文学伝習所 ・もろ ひろし「空中楼閣(4)」(「クレーン38号」2017年 前橋文学伝習所) ・「こころ」など ・「失われた夜のために」について――矢嶋直武氏に答える(その1) ・「失われた夜のために」について――矢嶋直武氏に答える(その2) ・「失われた夜のために」について――矢嶋直武氏に答える(その3) ・「失われた夜のために」について――矢嶋直武氏に答える(その4) ▼もっと見る

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カテゴリ:批評のエントリー一覧

  • こうの史代「この世界の片隅に」

     これも、記憶を書いた作品である。と同時に今回、小説とは(これは小説ではないが、小説とも共通することとして)生活を書くものなのだ、といまさらではあるが気づかされた。そうしてたとえば身のまわりのアマチュア同人の書くものを振り返ってみても、女性作家には丹念に生活を書き込んだものが多い。男のほうは、どちらかというと観念に傾いてしまう。特にぼくはそうだ。しかし読者の立場に立てば、小説で理屈を聞かされたって...

  • ジョージ・オーウェル「1984年」

    「1984年」をようやく読み終えた。1カ月かかってしまった。日本字の字数で400字詰め800枚くらいの作品である。 30年前の文庫本であるから、字は小さいし、紙は黄ばんでいて読みにくいことこの上ない。新訳が新しい文庫で出ているのだから、それを買えばよさそうなものだが、なぜか意地を張ってしまう。 驚くべき本だ。天才的な作品である。 書き上げたのが1948年だから、36年後のことを書いた近未来小説である。だからと言って...

  • 「樹宴」12号感想

    「樹宴」も「まがね」もまだほとんど誰にも送付できていないが、「樹宴」追加入手の見込みがついたので、そのうち送ります。「まがね」はどうせエッセーだけだし、今回10数部しか受け取っていないので、あまり方々へは送りません。 ということで、まだ送付できていないけれど、一応感想を。「樹宴」12号 守屋陀舟「遺書」 今回の「樹宴」ではこの人の作品が際立っている。いつも良いものを書く作家だが、前号、前々号の戦争もの...

  • ジョージ・オーウェル

     ジョージ・オーウェルの「1984年」を読み返したいと思ったのは、村上春樹の「1Q84」を読んだときだった。でも結局、延び延びになっていたのを、最近になって、また読みたくなってきた。それは、長らく手元を離れていた浦沢直樹の「20世紀少年」が戻ってきて、立て続けに、二度も読み通してしまったせいなのだ。コミック本で24冊ある大作だが、小説は文庫本一冊がなかなか読めないのに、漫画本は24冊がすぐ読めてしまう。「20世紀...

  • 「民主文学」17年9月号 後半

     後半の3作品は、いずれもどちらかというとエンタメ的で、読みやすく、面白かった。これらを巻頭に持ってきた方が若い読者には受けたかもしれない。もっとも、若い読者はいないのだろうけれど、今後開拓していかねば雑誌が成り立たなくなる。 川本幹子「千晶のさがしもの」 読み終わってみるとなんだかよくわからない作品なのだが、読ませることは読ませる。 短大を卒業して得意の英語を生かす仕事をしたいと思いつつ、どこと...

  • 「民主文学」17年9月号

     稲沢潤子「生きる」 上関原発への祝島反対運動を書いている。かつて山口の野村邦子がいいルポを書いていた。彼女の消息を聞かなくなって久しい。お元気だろうか。 稲沢潤子は取材者(作者)を表に出さずに現地の人々の声を直接小説形式で書いている。30年間にわたり建設を阻止してきた。福島の事故で、もう闘わなくてよいだろうと思ったら、またぞろ蒸し返されつつある。 そういった30年間の経過を報告形式で書くのではなく、...

  • 「民主文学」17年8月号

     前項に書いたことは、今後政治や政党についていっさい発言しないということではない。いままでどおり思いついたことを書いていく。ただ共産党に対して持っていた特別なこだわりがなくなった、日本社会が持つ政党のひとつとして客観的に見るようになった、という程度の意味である。批判しないということではない。ぼくの政治的関心の中心点が他の場所に移ってきたということだ。 さて、文学である。小説についても、小説はさまざ...

  • 倉園沙樹子「巨艦の幻影」(民主文学8月号)

     百枚をしっかり堪能させてもらった。1940年の話で、変に現代につなげようとせずにその時代だけを描いているのに、しかも現代に迫ってくる。癖のない文章で始まり、癖がないということは逆に個性に欠けて面白みがないなと感じたのは最初のうちだけだった。じきにぐいぐい引き付けられていく。表現方法は十分個性的で、退屈させない。初めて目にした名前だが、才能のある人だ。 満足した作品に関してはあまり書くことがない。ぜひ...

  • 竹内七奈「或る家族の瓦解」(民主文学17年7月号)

    「或る家族の肖像」というタイトルの作品を最近読んだばかりだと思っていたら、勘違いしていた。「ある作家の肖像」だった。そういうフランス映画がつい最近(2013年)にあって、吉開那津子が同じタイトルで書いたのが記憶に残ったのだ。 でも「ある家族の肖像」も、映画にもあれば、レンブラントの絵画にもある。レンブラントの絵画の英語名はFamily Portrait、直訳すれば「家族の肖像」だが、日本語で「家族の」と書くと自分の...

  • 旭爪あかね「シンパシー」について (15年10月) 再掲

     ある人との手紙のやりとりで、「私小説」に関する私見を書き始めたが、いま複雑な気持ちがあってまとまらない。その複雑な気持ちを書いた文章がここにあるのを思い出したので、再掲して現在の気持ちの表現とする。 ベタな私小説。太宰治や宮本百合子のような……。こういう小説でいつも一番気になるのはなぜ「私」でなく三人称で、しかも作者と違う名前なのか、ということだ。 それはたぶん、まるっきりほんとのことじゃなくて、...

  • 「譲葉の顔」再読

     杉山まさし「譲葉の顔」の作者からコメントをいただいたので、読み直した。二度目に読んでも、いい作品である。最初のうち文章がちょっとぎこちないが、進むにつれて滑らかになってくる。ところどころ引っかかる言葉使いもあるが、全体がよいのでさして気にならない。被爆後の広島に向かい、母から帰らされる場面、その母の表情、あるいは画家が見た敗戦直後の上野の場面、絵を画き上げていくところ、こういう描写に引き込まれた...

  • 「民主文学」17年6月7月号

     遅ればせながら取り急ぎひととおり目を通した。 乙部宗徳による東峰夫インタビューが面白かった。乙部はそれに先立って東の全著作を読んだ上に、沖縄に関して膨大な書物を読み込んでいる。 じつはぼくも「オキナワの少年」は読んだ。芥川賞はほとんど読んだことがなくて、最近になってやっと読み始めたが、70年前後、京都で浪人生たちと同人雑誌をやっていたころに、いくつか読んでいる。「されどわれらが日々」「なんとなくク...

  • 「虞美人草」のこと

    「たんめん老人のたんたん日記」というブログの著者が、漱石の「虞美人草」を再読していろいろ感想を書いている。 ぼくがときどき開けてみるブログの著者たちは、猛烈な読書家ばかりである。その読むスピードの速さ、一か月の読書量の多さに舌を巻くが、この人もそうだ。「神曲」と「太平記」とを並行読みして、そのあらすじと感想とをずっと書いているが、その合間にアメリカの推理小説やら、何やかや読んで、そして若いころ読ん...

  • 「ふくやま文学」29号

     3月というのは文学をやるにはふさわしくない季節だ。各種総会準備、各種役員の引継ぎ等がたびかさなって、読みかけていた「ふくやま文学」が意識のどこかに埋もれてしまった。4月から、より重い世俗の仕事を抱えることになって、文学へと頭が戻っていかない。でも、合評会にむけて記憶を新たにするために、少し書こう。 総234ページ、読み応えがあった。一番の出来は前号に続いて瀬崎峰永だ。27号の「ボクサー」、28号の「11...

  • 豆塚エリ「いつだって溺れるのは」(太宰治賞候補 234枚 23歳)

     今日の新聞で16歳の少年がすばる新人賞を取ったと報道されていた。文章力、表現力、構想力といったものは十代で十分身に着けることはできる。あとはたぶん人生経験だけだ。それも若い人は若いなりにあって、齢をとると失われてしまう感性があるから、十代でなければ書けないものもある。 ぼくが十代の終わりで早くも行き詰まってしまったのは、あまりに孤独な少年時代で、人間関係に乏しすぎたのが一因だ。人間を書けなかった。...

  • 広井公司「トランス・ペアレント」(268枚 太宰治賞候補 39歳)

     作者は説明もなく、いきなり淡々と書き連ねる。読者はしばらく設定がつかめない。この調子で268枚も読んでいけるだろうかとふと不安になる。だが小刻みに区切られた3の章に入って、筑摩書房版の191ページの終わりごろから、その文章の与えてくれるイメージの美しさに思わず引き寄せられてしまう。 男に去られた女が娘を連れてドライブに出る。どこかの駐車場に車を止めて外に出てタバコを吸う。母親がタバコを吸うのを娘は初め...

  • サクラ・ヒロ「星と飴玉」(310枚 2016年太宰治賞候補作)37歳

     300枚の小説に第一部と第二部とがある。少し大げさな感じだ。一章、二章でいいだろう。ただ読んでみると、一部と二部とで内容が大きく変わっているので、納得できないでもない。 一部を読んでいるあいだじゅう、かなり苦痛だった。面白くないのだ。登場人物がいずれもありきたりでオリジナリティに欠ける。行動もセリフも陳腐で凡庸だ。どこが良くて最終候補まで残ったのか。こんなものを読まされるのはかなわない。と思っても...

  • 「楽園」追加

     小説は嘘である。小説とは嘘を書くものだ。だが、嘘を書いてはならないものもあるだろう。嘘を書くことになじまないもの、事実が重すぎるもののことだ。 第二次大戦の敗戦以前の日本帝国主義の諸外国でのふるまいもそういうことのひとつだろう。そういう重すぎる事実について嘘を書くことはできない。だが事実を書くとしたら、それは小説ではない、ドキュメントである。もちろんドキュメントの文学的価値も大きい。 だが、それ...

  • 夜釣十六「楽園」137枚(「太宰治賞2016」筑摩書房)

     一気に読んだ。読ませる作品である。適度の軽さと適度の濃さが混ざり合った文体。適度の通俗性と適度の文学性を兼ね備えた語り。そして現代と過去とが響き合った物語。 主人公、橘圭太、30歳。身長180センチのラグビー少年だったが、監督の指導方法についていけずに退部。女子率7割の福祉系大学で大いに楽しんだが、老人ホームでの実習が始まるや脱落、卒業だけはしたが、資格は取れなかった。警備員として働きつつ、その稼ぎ...

  • 「民主文学」17年3月号

     青木陽子「北横岳にて」 せつない作品である。癌を切除して、抗がん剤と放射線治療を一年続け、一段落したと思ったら転移が見つかった。あと何年生きられるのだろうか。誰しもそこでいったん立ちどまる。しかしそこで終わってしまわないのが、青木陽子である。 <自分の命が後いくらも残されていないのかもしれないと、そう思う瞬間が来れば、誰だって、どうしたって、そのことを見つめてしまう> <私はどうする、と思った時...

  • 野川 環「サクラサクサク」(「民主文学」16年12月号)

     これは新しい才能の誕生である。読んでない人はぜひ読んでほしい。 ただし、書き出しはちょっと引っかかる。それで損をしている。ところが読んでいくと引き込まれる。書き出しの軽い文体は最後まで貫かれているが、書かれている内容がだんだん真に迫ってくる。 出会い系サイトなのだが、ペテンサイトだ。ビルの一室にずらりとパソコンを並べて、バイトたちがずっとメールを打っている。妙齢の独身女性を装って、引っかかってき...

  • 菊池明「初冬の風に」 紀田祥「郷に入りても…」(「民主文学」16年12月号)

    「民主文学」の12月号を「ネギ」だけしか読んでなかったなと思って開いたら、そうではなかった。感想を書いたのは「ネギ」だけだが、菊池明と紀田祥は読んでいた。 菊池明はまがね例会で取り上げたのだ。その感想はまがねブログに短くまとめてある。ぼくの感想もあまり変わらない。ただ戦後生まれの作者が、戦争加害の問題を迫真の文章で綴っている最後の部分は迫力があった。 紀田祥は難民受け入れ問題。まさにタイムリーなテー...

  • 「民主文学16年11月号」

    岩崎明日香「十九時の夜明け」 主人公の咲は居酒屋の深夜アルバイトをしている(だから19時が夜明けなのだ)。ある日、酔っ払いの客にエレベーターに引っ張り込まれてキスを強要される。 民主文学誌上ではあまり見かけない衝撃的な書き出しである。 ラストは、原発反対官邸前集会に初めて参加する場面(だから、これも19時の夜明けである)。 日常的な意味と精神的な意味とふたつの夜明け、しかもそれが朝ではなく19時である。...

  • 「クレーン38号」2017年 前橋文学伝習所

    荻野 央「ハイヌーン」 さっぱりわからないのだが、それでも読まされてしまうのは、文章がリズムよく、雰囲気に独特なものがあるからだろうか。 時間のバラバラなのが気になるが、作者はあえてそれを無視しているようだ。カフカは奇想天外のことを書きながらディテールのリアリズムにこだわったが、この作品はそれも無視する。読者はどんな種類のリアリティもこの作品に期待することはできない。作者がそれを拒んでいるのだ。 ...

  • もろ ひろし「空中楼閣(4)」(「クレーン38号」2017年 前橋文学伝習所)

     連載の4回目で、まだ続く。この回だけで120枚はある。1~3を入手していないので以前の枚数はわからないが、たぶんすでに400枚くらいあるのだろう。 うつ病患者の話である。作者の亡夫人がそうであったようなので、彼女と、彼女との夫婦生活がモデルになっていると思われる。 かなり特殊な手法を用いている。とはいえ、一見普通の大衆小説の手法である。すなわち、「視点」という考え方を採らない。基本的に客観描写である。...

  • 「こころ」など

     ある同人誌が「私の漱石・鴎外体験」として特集を組んでいる。漱石・鴎外と自分とのかかわりを述べるエッセイ集なのだが、9名の同人がさまざまな角度から書いていて興味深い。 冒頭の一人は、「こころ」を徹底的にやっつけている。だが、罵るわりに、具体的な欠点は指摘しない。さらに小森陽一から、「こころ」は「先生」と「K」、「先生」と「私」の同性愛を書いた小説だ、という説を紹介して、スリリングな解釈だと評価して...

  • 「失われた夜のために」について――矢嶋直武氏に答える(その1)

     はじめに 作家は自作を語ってはならない。語れば読者をがっかりさせる。それは譬えるなら手品の種明かしだ。 作家は書いたら終わり。そこから何を読みとるのも読者の自由である。 それゆえ、矢嶋氏がぼくのために書いてくれた長文の批評が提起したいくつもの疑問に対して、回答すべきかどうか長く迷っていた。 ぼくが作家なら黙っているべきだろう。だがぼくは作家ではない。素人の物書きだ。わけてもこの作品は(ブログ以外...

  • 「失われた夜のために」について――矢嶋直武氏に答える(その2)

     共産党 数名の方に読んでもらって、寄せられた疑問は共通している。「帝国史の意味が分からない」ということと、「共産党を辞めた理由がわからない」ということである。 だが、党とは全く無縁に生きてきた人からは後者の疑問は出なかった。しかし、いずれにせよ少数の方にしか読んでもらえていないので、読者の反応を提示するというほどのことができるわけではない。だから推察なのだが、おそらく党と関係ない一般の人は、読ん...

  • 「失われた夜のために」について――矢嶋直武氏に答える(その3)

     「失われた夜のために」についての手紙 記憶力の減退したぼくの脳細胞の隅から見つけた記憶のかけらにもとづいてパソコンの中を探しまわり、以下の文章も見つけた。尊敬する先輩作家にあてた手紙である。本作について書いているが、いま読み直すと恥ずかしくなる内容だ。5年前に書いた手紙だが、当時に比べるといまは多少自分のことが自覚できてきた感じがする。当時は永い眠りから覚めて文学に舞い戻ったばかりで、自分の書く...

  • 「失われた夜のために」について――矢嶋直武氏に答える(その4)

    (付録1) 太政官制について 大宝律令による太政官制については、ぼくが書かなくてもいまどきネットでいくらでも調べられるだろうが、ぼくなりの理解で少し書いてみたい。「奉行」と「大臣」と、いまの我々の感覚では大臣の方が新しく、奉行はいかにも古臭く感じられる。だがじつは奉行のほうがずっと新しい言葉で、大臣の方が古いのだ。もし徳川体制下のままで日本の近代化がなしとげられていたら、奉行という言葉が残ったはず...

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