FC2ブログ

 ・平井真 ・文字間隔 ・パソコン物語 ・「まがね」編集中 ・「シジフォスの神話」 ・ラノベについて ・コロナについて ・気狂いの植木屋 ・一人称小説 ・オセロゲーム ・「『異邦人』の読み方」補遺について ・「ペスト」を読み始めた ・コロナウィルス ・ペスト ・読書再開 ・「樹宴」発送 ・「『異邦人』の読み方」の感想が来た ・「タイムマシン」完結編 ・加藤典洋と上野地上ホーム ・中村文則と「ペスト」 ・「氏(うじ)」と「氏(し)」 ・ウィルス ・姓、氏、苗字 ・「まがね」原稿開始 ・「執権」に追加、そして保守について ・「異邦人論」あとの祭り ・「異邦人論」完了 ・「異邦人」132刷――売れているじゃないか ・「異邦人論」にもらったコメントに ・「異邦人論」の日々 ▼もっと見る

プロフィール

まがねとおる

Author:まがねとおる
無名人
新潟の同姓同名はまったくの他人
以上

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

FC2カウンター

カテゴリ

リンク

RSS

カテゴリ:雑文のエントリー一覧

  • 平井真

     先日から、「平井真」に拍手が付く。6年前にアップした短編だ。「まがね」にも載せた。新作が書けなかったので、間に合わせで出した。実際に書いたのがいつなのか、いまとなってはまったくわからない。20年前か、30年前か、40年前かもわからない。 しかも中断したものである。退職してから、古い原稿をかきまわしていて見つけた。 拍手が付くので、読み返してみた。いまとなっては、赤面するような幼稚な表現が多い。けれども...

  • 文字間隔

    「まがね」の編集作業が、去年は比較的楽にできたという記憶があるのだが(記憶違いかもしれない)、今年はどうもうまくいかなくて手こずっている。 原因は3つ考えられる。1、一年経つ間に、もともと悪いぼくの頭がますます悪くなった。2、WORD機能の限界である。もしくは自動更新のせいで劣化した。(Windowsが更新のたびに悪くなるというのはいまやユーザーの常識である)3、ぼくのパソコンの機能劣化。 考えうる原因が3...

  • パソコン物語

     久しぶりに本屋へ行ったら、「ペスト」が入荷していた。カミュとデフォーが並んでいる。二冊とも買った。やはり新しい本がいい。「まがね」の編集にかかっているので、「シジフォス」が途中やめになっている。ともかく読書スピードが、昔から遅かったが、ますます遅くなった。寿命との競争にとても勝てそうにない。 ずっと時間を無駄にしてきたが、とりわけ40歳から60歳までがひどかった。いちばん仕事のできる年代を空費した。...

  • 「まがね」編集中

    「まがね」の編集も一昨年、昨年と、もう三度目で、自分なりのメモも残していたので、楽にできるつもりだったのが、当てが外れた。老齢化で記憶力が全然ダメ。そのうえ最近ずっとパソコンの調子が悪いので、自分が間違えているのをパソコンのせいだと思ってしまったりして、ここ数日大変苦労した。 A5で編集するのだが、A5ではペーパーにできないので、A4で2ページ分1枚に作る。それを印刷して校正用にする。だいたい終わ...

  • 「シジフォスの神話」

    「シジフォスの神話」を読んでいる。これを読むと、もう「異邦人」論なんか全然書く必要がないじゃないかという感じになってしまう。カミュ自身が手を取り足をとるようにして「異邦人」を解剖している。例えば、マリイがムルソーに「わたしを愛してる?」ときいて、ムルソーが「いや、たぶん愛していない」と答える場面、読者はどういう意味だろうと考えこむが、「シジフォスの神話」(「シーシュポスの神話」清水徹訳 新潮文庫 20...

  • ラノベについて

    「民主文学」6月号に、中村恵美がライトノベル論を書いている。かなり多角的に論じていて感心したが、結局、ラノベの周辺からの論で、ラノベそのものの内実に立ち入っての論ではないように感じた。たぶん、この著者も、ぼくと同じで、ラノベにあまり食欲がわかないのだろうと同情した。 普通の小説を読んできた人間にとって、ラノベを読むことはかなり苦痛である。2ページも読むと、もうその先を読み進むことはできない。だから...

  • コロナについて

     コロナについて何も書かずに来たが、知らないことなので、書きようがないのだ。全体的に言って、日本は奇跡的に頑張っていると思う。だからあまり安倍政権を責める気にならない。 だが、ぼくらは運よく年金生活者だが、現役の人たちはたいへんだ。仕事と収入を失った人たち、反対に、感染の恐怖におびえながら過酷な労働に従事している人たち、この両極端の人々を先頭に、そのはざまで不安ななかで頑張っている人々、みんなに感...

  • 気狂いの植木屋

     むかし、司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んだとき、こんな言葉に出会った。「気狂いの植木屋がいて、この枝も気に入らない、これも気に入らないと言って、結局全部切ってしまった。土方歳三のやったことはそれに似ている」 ということを、たぶん誰かから聞いた話として、うがった話と言えなくもないという趣旨で書いていたのだと思う。(すでにうろ覚えだが) 昨日ふとそれを思い出して、ひょっとしたら、司馬遼太郎は、小説の推...

  • 一人称小説

     62枚ほどの自作をなんとか50枚につづめられないか試そうとして、のっけからつまずいた。意外なほど下手な文章で、読み進めることができない。 それでも、誉めてくれた人もいるのだと思って、読み進めようとするのだが、あれは全部お世辞だったのだ、みんな腹のなかで笑っていたのだ、という気がしてきて、かなり落ち込んだ。全部破り捨てようかと思った。 そのうちだんだん落ち着いてきて、いいさ、過去の自作の下手さがわかる...

  • オセロゲーム

     時間が足りない足りないと言いながら、詰めオセロで二日つぶした。それで、まだ解けない。諦めた。 オセロがどれだけ複雑なゲームか、どのくらいの方がご存じだろうか。詰将棋、詰碁どころではない。基本的に違う。どこが違うのか。オセロは64マス、しかも詰めオセロはゲームの最終面だから、ほとんどのマスはすでに埋まっている。10マスほど残すだけ。白黒5回ずつ打てば終わる。将棋で言えば10手詰めという感じだろうか。とこ...

  • 「『異邦人』の読み方」補遺について

    「『異邦人』の読み方」補遺を書きかけて行き詰まり、中断している。 この小論では三つの方向から書きたかった。1、筆者の誤読部分について 2、死と宗教、無神論について 3、読者と「異邦人」について 1の誤読部分についてはじきに書き終わった。2に来て筆が止まった。この問題は当然この小説の一番大事なテーマなのだが、カミュはそれを理屈っぽく語ることを避けている。それは作品全体を通じて、ムルソーの生きるうえで...

  • 「ペスト」を読み始めた

     ようやく「ペスト」にとりかかった。昼間、窓際に椅子を持っていって読めば、読める。夜、天井灯の明かりで読もうとしたのが間違いだった。生きるということは残酷なものだ。時間は容赦なく確実に過ぎていき、人は必ず年をとる。文庫本が読めなくなる日が来ようとは夢にも思わなかった。だが、現実だ。「異邦人」は何度も読み返したが、「ペスト」は50年前に一度読んだきりだ。いや、2冊あるところを見ると、二度読んだのかもし...

  • コロナウィルス

     コロナウィルスが、その感染力を、どういう環境で、どの程度の時間維持するのか、ということがやっとわかった。先日の朝日の記事。 ステンレスとプラスチックで3日間、ボール紙で24時間だそうだ。新聞紙で何時間かは書いてない。それがちょっとやばい感じもするが、同じ紙だから、たぶん24時間なんだろう。外部の人間が最後に新聞紙に触るのは、朝の配達員だから、それから24時間、つまり毎日きのうの新聞を読むことにすればい...

  • ペスト

     いただいた本をすべて読み終わったわけではないが、取り急ぎ読みたかった本を終えたので、そろそろ「ペスト」を読もうと思って手に取った。ところが読めない。2冊あるのだが、1冊は66年版で、もうひとつも70年代初めの版だ。活字が小さいうえに黄ばんでいて、老いた目には厳しすぎる。それで買いに行った。だが、大きめの店ばかり4店まわったが、どこにもない。「異邦人」はすべての店にあった。「ペスト」も、今年の初めに「...

  • 読書再開

    「タイムマシン」後編終了。読み直すたびに直すところが出てくるが、きりがないのでやめる。読むべき本が山をなしている。いまからは読書に切り替える。 そろそろ「ふくやま文学」の感想も来始めた。ところが当方はまだ一作も読めてないのだ。ほかにも、いただいた本がたくさん。どれも読めてない。たいへん、たいへん。 ちなみに、後編は「まがね用」の25×20上下2段で19ページ、400字詰めに直すと、44枚だった。...

  • 「樹宴」発送

    「ふくやま文学」のメンバー宛に封筒に詰め始めたら、あの人もこの人もとなって、あっという間に本がなくなってしまった。ちょっとうかつだったかな。考えてみれば毎年合評会には20人来るのだ。その顔を思い浮かべながらあて名を書いていったら、20冊がなくなるに決まっている。30冊では足らなかった。40冊注文すればよかった。ところが30冊は8千円でできたが、10冊だと4千円かかる。待てよ。版が残っているわけだから、案外安く...

  • 「『異邦人』の読み方」の感想が来た

    「樹宴」の大阪在の読者から編集者に感想が届いて、「『異邦人』の読み方」を面白く読んだと書いてくれているそうだ。感激である。これが仲間と集まって書くことの効果なのだろう。一人で出版しても、届ける先は限定されている。一緒に書けば、未知の人に届く。 正直のところ「樹宴」に何人くらいの読者がいるのだろうと気になっていたが、「樹宴」には「樹宴」の読者層があったのだ。 編集者から受け取ったのは5部だけだったの...

  • 「タイムマシン」完結編

    「タイムマシン」を、誤魔化しだが、なんとかラストまでいった。誤魔化しというのは本当にそうだ。最初の計画ではアクションシーンを作って、そこに疑似恋愛場面を書くつもりだったが、結局できなかった。前編、中編にうまくつながらない。 前、中、後とつないで読んでみた。一昨年のというか、2013年に書いて一昨年載せた前編は、まあ、なんとか読めないことはないと思う。ところが、去年書いた中編に来て、がっかりした。とんで...

  • 加藤典洋と上野地上ホーム

     7歳になる直前、十日町から福山に引っ越したときの記憶で、立ち寄った東京駅のホームで線路が行きどまりになっているのが記憶に残ったと、いつかこのブログに書いた。 今朝の朝日新聞で、原武史の記事を読んで、じつは東京駅ではなく上野駅だったのだと知った。東京駅にはそういうホームはない。上野駅には高架ホームと地上ホームがあって、高架ホームは通過式だが、地上ホームの13番線から17番線が頭端式になっているのだそう...

  • 中村文則と「ペスト」

     妻が「異邦人」を再読し、さらに「ペスト」を読み始めた。「ペスト」もうちに二冊あるので、妻も読んだはずだと思うのだが、読んでないと言い張って読んでいる。コロナ騒動と偶然重なったので、怖い怖いと言いながら読んでいる。ぼくも「ペスト」と「シジフォスの神話」は読み直したいと思っているのだが、「まがね」の原稿に集中したいので、読書は控えている。頭のなかに、いくつもの世界を同時に持つことができない。 だから...

  • 「氏(うじ)」と「氏(し)」

     コメントにいただいた氏(うじ)と氏(し)との違いという意味が今朝起きがけにやっとひらめいた。余談だが、ぼくは朝の目覚めるか目覚めないかのゆめうつつのときにアイディアがひらめくことが多い。今回も突然やってきた。思えばうかつなことだった。 ファミリーネームとしての「氏」と、敬称としての「氏」の違いだ。「姓」「氏」「苗字」「家」というのは、その言葉の発祥の経過や歴史的変遷は別にして、現代ではすべてファ...

  • ウィルス

     ウィルスが厄介なことになった。ウィルスが厄介なのは、目に見えないからだ。そのうえこちらに知識がないので、よけいにどうしてよいのかわからない。 電車のつり革に触るなとか、手を洗えとかいうが、だいたいウイルスというものはどういう環境でどの程度生きるものなのか。生きるという言い方もおかしいのかもしれない。ウイルスには遺伝子だけがあって、細胞膜を持たないというから、生命ではないのかもしれない。それが他人...

  • 姓、氏、苗字

     姓、氏、苗字は「たんめん老人」もいま書いているし、コメントでも疑問が来たが、時代変遷が大きい。姓は元は八色の姓で、じつは八色になる前もあって、臣、連で始まっていた。その臣、連の頭に、真人、朝臣、宿祢などが乗っかったので、臣、連などが下のほうになってしまい、やがて消えた。真人は天皇家から派生した氏族、その下が朝臣、宿祢だったが、平安時代に入るころには、真人も宿祢も消えて、みんな朝臣になった。事実上...

  • 「まがね」原稿開始

     茨木のり子は自分のやっていることを吹聴しない人だったようで、朝鮮語を勉強していることを誰も知らないうちに、韓国の詩人の詩を翻訳、出版するところまでいっていたという話だ。 けれども、ぼくは彼女と違って怠け者なので、宣言しないと何もしないので、ここに表明しておく。「まがね」62号の原稿にやっととりかかった。「タイムマシン」の完結編30枚を、3月じゅうに書き上げる予定。なんだ、一日一枚じゃないかというが、...

  • 「執権」に追加、そして保守について

     もうひとつだけ「執権」に追加。 姓(かばね)、氏(うじ)、苗字の件。 細川氏が「基本知識」として書いたことはぼくにとって全部常識であったと書いたが、姓、氏、苗字については以前このブログで間違ったことを書いていた。 源平藤橘は四姓であるというのが頭にあって、でも一方に八色の姓(真人、朝臣、宿祢等々)があるので変だなとは思ったのだが、源平藤橘は姓であると書いた。これは間違い。姓はあくまでも八色の姓。...

  • 「異邦人論」あとの祭り

     書いたものが本になってから読み直すと、だいたい不満がいっぱい出てくる。本にする前に気づけばよいのだが、なかなかそうはいかない。「異邦人論」を編集者に送って、校正の段階だが、早くも不満が出てきた。でも、あとの祭りだ。手を入れるとなると、大幅に書き直すことになり、校正どころじゃなくなる。 この小説は、要するに読者がムルソーに共感できるかどうかがポイントだ、ということに今更気づいたのだ。ムルソーに共感...

  • 「異邦人論」完了

    「異邦人論」完了。樹宴スタイルで70枚、35ページ、400字詰めに直すと、90枚を超えた。もっと整理できるのだろうが、本音では書きたいことはまだまだある。でも個人的な思い入れで書きすぎると、論がストーリーを失い、人が読むに堪えないものになる。10年くらい経って読みなおせば、不要な部分がいっぱい目に付くだろうが、これが今の自分である。...

  • 「異邦人」132刷――売れているじゃないか

    「異邦人」が家に何冊もあると思っていたので、正月に来た娘に比較的新しい一冊を押し付けた。もう一人の娘が、むかし読んで、「ペスト」はよかったけど「異邦人」は感動がなかったと言ったので、、読んでないほうの娘の感想を知りたいと思ったのだ。今とてつもなく忙しい年代らしいので、いつ読めるかはわからないが。 そのあと66年版を引用に使っていたが、字が小さいうえに黄ばんでいて読みにくい。もっと新しいのをと思って探...

  • 「異邦人論」にもらったコメントに

     瀬崎さん、ありがとう。 カミュが時代遅れになったわけではないと教えてもらって、とても救われた気持ちです。あまりの落差なので、ぼくはもう引退すべきときなのかとさえ思っていたのです。でも、たぶん、たまたま、今回「異邦人」を読んでもらった人々とのあいだで文学的感性が合わなかったということなのでしょうね。ただ、ほかの人にもあたってみて、「ペスト」は感動したが、「異邦人」には感動がなかったという回答もあり...

  • 「異邦人論」の日々

    「異邦人論」にてこずっている。考えてみれば、ぼくが評論らしきものを書いたのは「浜野博論」が最初で最後だった。40年前の話だ。当時から「異邦人論」はたくさんあった。たくさん読んだが、みな忘れた。40年経っていまではうなるほどあるだろう。そこへ付け足してみても意味がないのかもしれないが、(それにフランス語を知らずに日本語訳でやるのだし、ほかの人の論を読まずにやるのだし)、学問的に意味がないのはわかっている...

≪前のページ≪   1ページ/18ページ   ≫次のページ≫