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みたびモース

 最近のぼくの記憶力減退ぶりを再確認してしまった。モースの「贈与論」への高原さんのコメントを読んで、ちょうど1年前にも、ほかならぬぼく自身がモースの「贈与論」について書いているのだと教えられる結果となった。ブログ内検索をしてみると、内田・白井対談から引用していた。そこに書いた内容には記憶があった。だが、それはそっくり高原さんの文章から読んだのだと勘違いしていた。
 こんな調子です。お許しあれ。

マルセル・モース「贈与論」

 最近この種の記事の断片を見かけたと思っていたら、昨日少しまとまった記事が朝日に載った。
 マルセル・モースが1924年に発表した「贈与論」である。高原さんがずっと話題にしていたのはこれだったのかと気が付いた
 マルクスは「資本論」を論じるにあたって「交換」から始めた。「交換」のメカニズムを明らかにせねば「資本」の構造が解明できないからだ。しかし彼は「交換」の「起源」には興味を持たなかった。それは彼の研究対象とは当面関係なかったからである。
 モースがこれに関心を示した。どこから、なぜ、「交換」が始まったのか。そこにこそ経済活動の根源があるのではないか。
 モースによれば「交換」は「贈与」から始まった。「贈与」と「お返し」こそが「交換」の「起源」であった。
「贈与」とは「無償の行為」である。人はなぜ「無償の行為」をなすのか。
 ところが本来「無償」である「贈与」に対して人は「お返し」しようとする。この「お返し」によって、「贈与」はその本来性を裏切って結果的に「有償」となり、ここに「交換」が生まれる。人はなぜ「無償の行為」に対して「お返し」をするのか。
 モースはアメリカ先住民や、太平洋諸島の人々の社会生活を研究して、その実態を克明に記録した(らしい)。しかし、人がなぜ「贈与」し、「お返し」するのかという根源的な問いには結局答えることができなかった。彼はマオリによる説明を回答として記した。
 いわく「贈与された物には精霊が宿っていて、受け取った者に返礼を強いるのだ」
 人間はまだ謎に満ちた生物である。
 高原さんもこの問題にずっとこだわっていたが、はたして何らかのヒントは得られたのだろうか。

高原さんのコメントに(文章を一部修正しました)

 高原さんの文章は長いのでまだ初めの部分だけしか読めていませんが、高原さんの文章のどこに違和感があるのかということが今回ふと分かったような気がするので、そのことを書きます。

「人類が生きるとは、事実を認識し続け、目的(価値)と手段の仮説を立て、手段の課題を解決すること、その仮説を検証すること、新しい目的(価値)と手段の仮説を作ること、それを続けることである」(高原文)

 高原さんの言おうとしていることへの反発ではないのです。きわめて単純に、文章表現への疑問なのです。

「人類が生きるとは」というフレーズで始まると、「人類にはこういう生き方しかない」というふうに聞こえてしまいます。さらに結末が「ことである」となっているので、そういう意味あいが強調されています。
 そこでぼくのような人間は、「人はもっとさまざまに生きているよ」と言いたくなってしまうのです。

 しかしよく読んでみると、高原さんが言いたいのは、人類の生き方を(あなたの文章が客観的に表現してしまっているような)狭い範囲に押し込めることではなくて、生きるということのひとつの側面を言っているに過ぎないのだということがわかります。人の生き方はさまざまとは言え、「事実の認識」「目的と手段の仮説」「その検証」という一連の作業を意識的であると無意識的であるとを問わず、繰り返しながら生きてきた、とは言えるでしょう。それは言ってみれば常識的なことで、それなのになぜ理解してくれないのかという高原さんのいらだちがあったようです。

 そこにぼくらのあいだの誤解があります。単純なことなのです。「人類が生きるとは」と「ことである」とを削除して言い換えれば済むことです。

「人類が生きるとは」→「人は」
「ことである」→「生きてきた」

 参考例

 人は現実のただなかにあってその現実を解釈し、価値判断し、それにそって仮説的な目的を立て、それを実現するためのこれも仮説的な手段を見出し(行動し)、その目的と手段とを現実によって検証し、修正しながら生きてきた。

 こういう文章ならば、生きるということの一側面の表現として理解しやすく、だれも反発しないでしょう。

 もっとも高原さんにとってそれは一側面ではなく、生きるということのすべてなのだと言いたいのなら(高原さんの文章はそうなってしまっているのです)、それに対してはいっぱい言いたいことがあります。

哀悼 劉暁波

 劉暁波が死んだ。冥福を祈る。言いたいことはいっぱいあるが、いまはただ悔しさだけが募る。

「民主文学」17年8月号

 前項に書いたことは、今後政治や政党についていっさい発言しないということではない。いままでどおり思いついたことを書いていく。ただ共産党に対して持っていた特別なこだわりがなくなった、日本社会が持つ政党のひとつとして客観的に見るようになった、という程度の意味である。批判しないということではない。ぼくの政治的関心の中心点が他の場所に移ってきたということだ。

 さて、文学である。小説についても、小説はさまざまなのだから、人の小説についてくだらない感想を書いている暇があったら自分の小説を書きなさい、と幾人もから言われた。おまえはトラブルメーカーだとも言われた。
 なるほど自分の小説を書きなさいという忠告はありがたく承るが、感想を書くことが罪になるとは思わない。
 ぼく自身は書き手としては感想を欲しがるほうである。反応のないのがいちばん虚しい。誉められればうれしいが、はたして本気かなと疑ってしまう。むしろ指摘をもらうとうれしい。そして小説に関係の深い人からよりも、一般読者からの指摘のほうが、ぼくを立ち止まらせる。
 感想なんかほしくないという書き手もいる。ほしくないのはその人の勝手、感想を書くのはぼくの勝手だ。

 ということで、「民主文学」8月号。

 倉園沙樹子「巨艦の幻影」
 何故この作品が良かったのかなと考えていた。ついでに書いておくと、タイトルはぴったり来ない。そこに注意を向けて読ませたかったのだとしたら、作家のねらいとぼくが受けとったものとは微妙にずれる。ぼくはもっぱら峰山家の人々に惹かれてこの作品を読んだ。タイトルもそれを象徴するもっとつつましいものであってほしかった。
 この作品の次に掲載されている青木氏の作品を読んでいたときに、倉園作品にぼくが惹かれた理由が自然に浮かび上がってきた。両作品は対照的だ。
 書かれているのは1942年の峰山家の人々である。造船所の職工の父がいて、戦艦大和(?)を造っている。父はそれが誇りだが、軍事機密であって洩らしてはならない。それを歯がゆくも思っている。母がいて、16歳の勇少年がいて、海軍に志願した兄と、14歳の妹がいる。ほかに故あって峰山家で育ったがいまは独立した21歳の原口君がいる。叔父一家も登場するが、主要な登場人物ではない。
 写実的な小説スタイルではない。当時を知る読者には違和感があるかもしれない。寓話的な作品のようにも感じる。だがまた、当時の現実というのは意外にこういうものでもあったかもしれぬとも思わせる。
 父の視点で書いていく。作者は説明しない。書かれているのは一家の会話と立ち居振る舞い、その時々の父の思いである。ひとり一人がどういう人間であるかという説明がないままに物語が進んでいき、進んでいくなかで登場人物たちの意外な面が表れてくる。読者にとっても意外なら、視点人物である父にとっても意外なのだ。そして父その人の思いも、読者にとって意外な面を顕わにする。
 類型的な人物がいない。人物が常に読者の予想を裏切る。だから人間たちが生きている。小説技法としてもすぐれているし、それはまた作者の人間観の確かさなのだ。
 一ヶ所だけ引用する。勇の留守に警察が来て、勇の本棚から「改造」と「赤と黒(!)」とを没収して帰った後の、母が勇を説教する場面、自分が説教するつもりだった父は妻に先手を取られて黙って聞いている。

 <「勇、何が正しいとか何が間違うとるとか、そんとなこと、世間様に逆ろうてまで見極めんでええの。そんとなこと、知らにゃあほうが、人間は幸せになれるけえ」
 おかしな説教をしよる、と清吉は思った。何が正しいことなのか見極めろ、と言うべきなのだ。だが、口出しできぬような厳粛な空気が、妻と次男を包んでいた。(中略)
「……何が正しい、何が間違うとる、そんとなことより、身の安全と毎日毎日の生活のほうが大事なことなの。余計な知識なぞ、生きていくのに邪魔なの。今、お父さん、お母さんの前できっぱりと約束しんさい」
 おいおい、違うぞ、妙子。心の中で清吉は叫んだ。こういう場合、何が正しいことなのかを教えなければならないのだ。(中略)
「勇、黙っとらんで、ちゃんと返事をしんさい」
 すると、勇はやっとくぐもるような声を発した。
「なして……」
 その一言を聞いた瞬間、妙子は勇の頬を平手で打った。
「『なして』はもうけっこう」
 妙子の鋭い一声が清吉の鼓膜をふるわせた。>

 青木資二「グラデーション」
 この作家の作品は過去にとりあげているはずだと思ってブログ内検索をしたら、2件出てきた。13年と14年である。
 13年の作品にはもろに「類型だ」と書いている。14年のものにも似たようなことを書いている。
 もちろんこの人の小説を好きな人もいるだろう。だが、ぼくには退屈だ。いつも人間がパターンを出ない。驚きがない。読者を裏切らない。わかりきったことしか書いていない。
 で、これを読みながら、倉園作品がなぜ良かったのかがありありとわかったというわけだ。
 しかし、評価すべき点はある。現代の高校生を書いている。挑んでいると言うべきか。おそらく中高年の誰が書いても失敗する確率の高い仕事だ。現役の高校生が書くものに勝てないだろう。庄司薫が「赤ずきんちゃん、気をつけて」を書いたのは30歳くらいのときだったか。その年齢ならまだ書ける。
 だが漱石が「三四郎」を書いたとき、彼はすでに40代だった。ドストエフスキーが「未成年」を書いたのは晩年に近くなってからだ。そのときドストは「試みて過つしかないのだ」と言った。挑まねばならない。しかし困難な課題なのだと覚悟せねばならない。
 吉岡淳という少年の視点から書いているのだが、淳自身のセリフがほとんど出てこない。家庭の会話で書かれるのは両親のセリフだけである。淳は黙っているのか? そうではない、淳もしゃべるのだが、<淳は毛頭、座を取り持つつもりではなかったが、ホームルームの様子を掻い摘んで伝えてみた> ぼくは淳がどのような言葉でどういうふうに伝えるのか知りたいと思った。掻い摘んでみても、多少複雑な内容である。それをどうしゃべるかに淳の人となりが現れるはずだ。淳の肉声が聞きたいと思った。だが、肉声を響かせるのは大人たちばかりなのだ。
 淳が無言で大人たちを観察しているのならいい。だがそうではない。しゃべっているのに作者はその声を聞かせない。
 <白井先生は詳しく語らなかったが、職員会議で生徒に揚げさせることは憲法や子供の権利条約に反するから止めてほしい、と訴えたようだ>
 <訴えたようだ>は客観的な用語ではなく、主観による推測だから、誰が推測したのかが必要である。この場合、視点人物である淳だろう。<白井先生>が<詳しく語らなかった>ことを淳がどのように推測したのか。あとの文章からのつながりで言うと理沙から聞いたと解釈できるが、文章からは主観と客観とがちぐはぐしているように感じる。
 全体に作者がどこに立地点を置いているのかがはっきりしない。淳の姿が浮かび上がってこない。飛び交うセリフは大人たちの没個性なセリフ、誰が言ってもかまわないような、何の匂いもしないセリフばかりである。
 繰り返すがそれを淳が黙って観察しているのならそれでいいのだ。その無意味なセリフのなかからそれを黙って聞いている淳の姿が浮かび上がってくるならそれでもいいのだ。だが、この作品ではそうではない。作者はむしろ大人たちのセリフを書きたいのだ。淳のことはあまり頭にない。
 子供には子供の世界、若者には若者の世界がある。若者を書こうとしたらそれを書かねば駄目だろう。大人たちを出しゃばらせたらおしまいだ。「赤ずきんちゃん」のどこに大人がいるか。作家たちは自分の少年時代を書くときに、こんなにも大人を出しゃばらせるか。子供にとって、大人は常に背景でしかないはずだ。

 草川八重子「第二室戸台風」
 ほとんど作者の経験をそのまま書いている(と思われる)。34年生まれの私(たぶん作者自身)が61年に経験した台風の話である。台風は室戸岬に上陸して京阪神地方を襲った。同じコースが二度目だから第二だ。
 <私>一家は寝屋川の長屋に住んでいた。風呂もない、洗濯機もない、冷蔵庫もない。なんにもない。4歳と6か月の男の子二人を抱え、もちろん紙おむつなんかない。台所からホースを引っ張って道路べりで盥でおむつを洗濯し、側溝に流す。夫は電話局の労組の専従で、現役の給料に見合う額を労組からもらっているが、そもそもが安い。まだ安かった時代だ。<私>も電話局勤めで、育児休暇中だが、無給である。貧乏の話がいっぱい出てくるが、明るい。貧乏を楽しんでいる。いまだからそういうふうに書けるのか、もともとなんでも楽しめる性格なのか。読んでいる方も楽しくなる。
 そこへ台風が襲い掛かる。夫は電話局の仕事で何日も帰宅できない。玄関の窓ガラスに瓦が飛び込んで割れ、そこへ畳を一枚立てて必死で風の侵入を防ぐ。4歳の息子が幼いなりに手伝う。そういうなかにかつて組合の若者たちが赤旗を立てインターナショナルを歌いながらボランティアに行った和歌山かどこかの被災地の思い出話が入る。
 短い作品だが、楽しく読んだ。作らない作品(たぶん)の面白さだ。

所感

 なんだったのだろう、あれは? 共産党について誰も読まない長い文章を書き連ねた日々は?
 共産党外の人には何の意味もない文章だし、共産党にとっては、よけいなお世話でしかなかった。
 共産党はぼくではない。ぼくと共産党が食い違うのは当たり前のことだし、それはぼくとは関係ないことなのだ。ぼくは自分と関係ないことについて余計なお世話をしていた。
 たぶん、一度党活動を経験し、不完全燃焼のまま中途半端に離党した人間は、いつまでも党にこだわる。そこは母校のような存在で、自分は同窓生のような感覚なのだ。
 でも気付いてみると、それはもう終わっていた。いまのぼくは共産党に対してどんな特別の感情も持っていない。
 共産党が現状とはかけ離れたと言えるほどの支持を得る日はおそらく来ない。だがそれはもはや共産党の問題というよりも、党というもの自体の問題なのだ。従来的な感覚の政党というものの時代は終わった。
 社会は変化していき、人間も変わっていく。政治スタイルも変わる。従来的スタイルは歴史博物館に行く。別のものが生まれる。
 何が生まれるのか。ぼくにはまだわからない。おそらく誰もまだ知らない。でも言えることは、それを生みだすのは理論じゃない。試行錯誤なのだ。新しい人たちが生まれ、さまざまなことを試みていく。そしてそれがいつか形となる。
 何かを生み出すのは実践である。行動である。誰からの評価も期待しない行動を、信念を持ってこつこつと続けていく人たちがいて、彼らがやがて人々の心をつかむ日が来る。そのとき理論も新しく形成される。
 そして現状の政党は、共産党もほかの党も、欠陥と限界とを持ってはいても、現状では欠くべからざる役割を果たしているのであって、それはそれで必要なのだ。それぞれに果たすべき役割があり、それが自分の理想と違っていても、それはそれ、ぼくはぼくなのだから、つべこべ言っても始まらない。

 ま、おおざっぱに言うと、いま、こういう感じです。

「私は天皇主義者になった」

 かなり日数が経ってしまったが、内田樹がついに「私は天皇主義者になった」と右翼雑誌に書いたそうだ。雑誌を読まずに朝日の紹介記事だけだが、以下のようなことを語っていた。この間の退位問題をめぐる諸氏の発言のなかで、右翼の一部が次のように言ったことが内田氏を驚かせた。
「天皇はうろちょろせずに、宮中の奥深くでじっと祈りを捧げていればよい。余分なことをするからくたびれるのだ」
 じつはぼくもこの発言を新聞で読んだとき驚いた。右翼は天皇を尊敬しているのだとばかり思っていた。そうではなかったのだ。右翼が好きなのは天皇制という制度だけである。そこに座っているのがどんな人間だろうが、彼らには関心がない。それどころかたぶんいまの明仁美智子夫妻を嫌っている。
 もちろん右翼のすべてがそうだというわけではないが、どうも多かれ少なかれそういう傾向が右翼にありそうだということが、ぼくにとっても、内田氏にとっても驚きの発見だったのだ。
 一方で、明仁美智子夫妻が、広く国民から愛されているという事実がある。彼らは必ずしも天皇制を愛しているわけではない。夫妻を人間として愛しているのだ。その人々は決して右翼的な体質の人々ではない。夫妻はむしろ左翼的な人々から敬愛されていると言ってもよい。
 政権が右翼的世論の支持を得て右翼的方向へ走ろうとしているなかで、ある意味天皇夫妻がブレーキになっているようなところがある。
 内田樹はそれを大胆に支持したのだ。
 もちろん朝日記者は疑問を呈した。「それは天皇の政治利用にならないか。危ういことではないのか」
 内田氏にとって、そういうことは当然思慮のうちである。しかし現実にいま天皇制をめぐるこういう世論の状況がある、これをないことにしてうやむやにしてしまうことの方が危険だろう、と彼は考えた。現実から出発しよう、そこから考えようというわけだ。
 ぼくにも朝日記者が表明したような危惧はある。だが理解はできる。天皇夫妻も人間だ。人間に対しては当然払うべき敬意がある。右翼は最低限それさえ払っていないように見える。
 ずいぶん昔のことになるが、NHK日曜日の将棋番組の米長邦雄のユーモアあふれる解説をぼくは好きだった。ところが石原慎太郎が彼を東京都の教育委員に任命すると、天皇と会ったおりに、「君が代日の丸を徹底していきたい」と発言した。ぼくはこの発言でいっぺんに米長を嫌いになったが、このときの天皇の回答は、「それは強制的な方法ではないほうがよいと思います」というものだった。この回答はぼくの記憶に残った。

倉園沙樹子「巨艦の幻影」(民主文学8月号)

 百枚をしっかり堪能させてもらった。1940年の話で、変に現代につなげようとせずにその時代だけを描いているのに、しかも現代に迫ってくる。癖のない文章で始まり、癖がないということは逆に個性に欠けて面白みがないなと感じたのは最初のうちだけだった。じきにぐいぐい引き付けられていく。表現方法は十分個性的で、退屈させない。初めて目にした名前だが、才能のある人だ。
 満足した作品に関してはあまり書くことがない。ぜひ読んでみてほしい。
 一ヶ所だけ。32ページ下段終わりから4行目。清吉と原口の場面に、いきなり勇が登場する。ここは面食らった。少し文章を付け足すべきだった。

社会党

 名前をメモしておかなかったのでわからないのだが、国労組合員の解雇撤回闘争を主導してきた人だったと思うが、次のようなことを朝日のインタビューで答えていた。
(中曽根がのちに何かで語った内容として)「国鉄を分割民営化すれば、国労がつぶれる。国労がつぶれれば、総評がつぶれる。総評がつぶれれば社会党がつぶれる。社会党がつぶれれば憲法を改訂できる。国鉄分割民営化の目的はその一点にある」(と言ったらしい)。この人はそれを何かで読んで、「自分たちは生活のことに必死で、そこまで考えることはできなかった。そのような大きな構想に対してはとても太刀打ちできなくて当然だった」という感慨を持ったという。(一部引用が不正確かもしれないが、およそそういう趣旨として読んだ)。
「風が吹けば桶屋が儲かる」式の展開だが、まさにそれが自民党の側の目的だったのだろうし、それは当時から指摘されていたことではある。しかし、中曽根自身がはっきりそう言ったという話だったので、(ぼく自身が確認したわけではないが)ずいぶん正直に言ったものだなと感じるとともに、一方で、戦後政治に社会党が果たしてきた役割についても、改めて感じるところがあった。
 かつて社会党が果たしていた役割をいまどの党も果たせていない。有権者からすれば共産党は左すぎるし、民進党は自民党との違いが見えない。社民党は力がなさすぎる。そこで、そのときどきで、みんなの党に行ったり、橋下維新に行ったり、小池ファーストに行ったりする。かつて社会党に投票していた層の受け皿がないのだ。

小熊英二と建国72年

 たぶんすでに1か月ほどになろうが、小熊英二が朝日で次のように書いていた。
「今年は戦後72年なのだという。どこの国でも、戦後と言ったら戦後数年のことである。日本はいつまで戦後何年と言い続けるのか。答えは<永久に>である。何故なら、1945年を境に日本という国が根本的に変化したという意識が人々の頭に潜在的にあり、でありながらそれを表現する言葉がほかにないからである。1945年に大日本帝国が戦争に敗れて崩壊消滅し、新たに日本国が生まれたのだ。今年は日本国建国72年なのである。だが右翼はもちろんそれを認めたくないし、そのほかの人々はそこまで思いつかなかったというだけだ。ところでこの日本国に対する反体制派は、じつは日本政府を構成する与党なのである。彼らは日本国を疎ましく思ってこれを覆そうと72年間画策してきたが、政権を保持しながらできずに来た。云々」
 そこから先の論理展開は忘れた。ここまでのところが特に面白いと思った。

「暦の上では」 「梅雨入りしたのに」 「安全であるはずの」

「立春」について書いたのは、新聞、テレビや日常会話のなかに妙にひっかかる言葉がいくつかあって気になっていたからだ。
1、「きょうから暦の上では春なのに、まだ寒い」
2、「梅雨入りしたのに雨が降らない」
3、「安全なはずの学校」「安全なはずの通学路」
1についてはすでに書いた。

2、「梅雨入り」とは何か。「梅雨入り」と「入梅」とは違う。「入梅」は24節気には含まれない「雑節」と呼ばれるもので、諸説あるようだが、ほぼ新暦6月11日ころを言う。季語でもある。
「梅雨入り」はその年の気圧配置や前線の位置、雨の降り方などを見て、気象庁が宣言する。しかし、気象庁が宣言するから梅雨入りするわけではない。梅雨入りを決めるのは自然であって、人間ではない。梅雨入りしたと気象庁が思ったから宣言しただけで、宣言したら梅雨入りするわけではない。宣言しても梅雨入りしていないときも当然ある。
 だからこの言葉は次のように言うべきだ。
「気象庁が梅雨入り宣言したが、梅雨入りしていなかった」

3、「はず」という言葉は用例を見るとかなりいろんな意味で使われている。だからたぶんここでは「安全であってほしい学校(通学路)」、「安全であるべき学校(通学路)」という意味あいで使われているものと思われる。そういう用例もあるのだから間違いではないのだろう。
 引っかかるのはぼくだけなのかもしれないが、「べき」と「はず」とは語感が異なる。
 じつは日本語を習う外国人にとって「べき」と「はず」の違いは難しいらしく、そういう質問がネット上にある。
 ネット上の日本語教師は、日本人にとってこの違いは明確なのに、なぜ外国人に理解できないのかと自問し、どちらも英語ではShouldだからなのだと納得している。
 別の回答者が次の用例で説明している。
「約束は守るべきです。そうしないと信用を失いますよ」
 前のセンテンスだけなら「はず」でも可能だが、この場合、あとに続く言葉からの意味あいで言えば、「はず」を使うことはできない。
 つまり「はず」は客観的で、「べき」は主観的である。
「はず」→(相手の)様子や条件から判断して、そうなる可能性が非常に高いとき。
「べき」→そうする必要があると自分(発言者)が考えたとき。(ネットの引用による分類)
 また他の回答者は次のように区別して英訳している。
「はず」→He will come here.(I`m sure he will come here.)
「べき」→He should come here.

「安全であるはずの学校」という言い方に疑問を呈しているネットもあった。
「学校は安全であってほしいし、安全であるべきだろうが、現実には安全であるはずがない。むしろ危険であるはずだ。だって自由に出入りできるし、身を隠す物陰も多い。子供が大勢いるのに、大人の人数は少なく、子供を守る訓練も受けておらず、装備も持っていない」
 つまりこの人は、ネット上の日本語教師たちが区別したのと同じように「はず」と「べき」とを区別したのだ。
 そしてぼく自身も、彼同様「安全であるはず」という言い回しに対して違和感がある。彼やぼくの語感が狭くて誤解しているのか。「はず」と「べき」とは区別するときもあるが、区別しないときもあり、この場合、「べき」の意味で使っているのだと理解するべき(はず)なのか。誤解を生じやすい使い方だと思えるのだが、誤解しているのは、この人とぼくだけなのだろうか。

立春

 立春て何だろうと思って調べていたら意外なことがわかった(ぼくにとってだけ意外だったのかもしれないが)。立春を旧暦だと思っている人が多い。だが違うのだ。旧暦は太陰暦であり、月齢に基づいている。だから旧暦では、満月は毎月15日か少なくともその周辺である。だが立春は旧暦では毎年日が違う。むしろ新暦でこそ毎年2月4日か、その周辺なのだ。
 立春は24節気で、これは太陽暦なのである。中国では春夏秋冬の区切り方が西洋とは異なる。春分、夏至、秋分、冬至を、春夏秋冬の中心としてとらえる。したがって、冬至(冬の中心)と春分(春の中心)の中間日が立春(春の始まる日)である。同様にして、春分と夏至の中間日が立夏、夏至と秋分の中間日が立秋、秋分と冬至の中間日が立冬である。
 これは太陽暦だから、新暦では毎年ほぼ同じ日になる。旧暦では毎年違う日である。旧年のうちに立春したり、新年が始まってしばらくして立春したりする。立春が一度もない年もあれば、年に2度(年初と年末に)立春があることもある。30年に一度くらい旧暦の1月1日が立春と重なるそうで、それはたいへんおめでたい年なのだという。(近年では1992年、次は2038年)
 春が立つとは「いまからだんだん春になりますよ」ということであって、「春が来た」ということとは少し語感が異なる。それでも大陸では立春から気温が上がり始めるそうだ。海洋国日本では一番寒いころが立春なので、違和感がある。
 気象庁が「きょうから暦の上では春です」などと言うので、「たぶん、旧暦の2月4日が立春で、新暦では3月なのだ」と思ったら大間違い、もともと立春は新暦の2月4日なのである。8月にやるべき七夕を新暦の7月7日にやってしまうのとはわけが違う。
「きょうから暦の上では春です」という言い方は「立春」という言葉の本来の意味から少しずれているように思える。だいたい、「暦の上」の「暦」とはどの「暦」のことを言っているのか、誤解が生じる。もちろん旧暦ではない。では新暦なのか。新暦なのだが、季節の区分方法が現代とは異なる。現代の「暦の上」ではない。大陸人がむかし日本に伝えた「暦の上」(24節気)である。しかも、その意味は、「春が来た」なのではなくて、「春に向かって立った」なのである。

竹内七奈「或る家族の瓦解」(民主文学17年7月号)

「或る家族の肖像」というタイトルの作品を最近読んだばかりだと思っていたら、勘違いしていた。「ある作家の肖像」だった。そういうフランス映画がつい最近(2013年)にあって、吉開那津子が同じタイトルで書いたのが記憶に残ったのだ。
 でも「ある家族の肖像」も、映画にもあれば、レンブラントの絵画にもある。レンブラントの絵画の英語名はFamily Portrait、直訳すれば「家族の肖像」だが、日本語で「家族の」と書くと自分の家族のことのような語感がある。Family Portraitは「どこかの家族の」という意味だから、「ある」を付けるのが妥当だろう。
 ところで言いたいことは、「ある作家の肖像」も「ある家族の肖像」もぴったりしたタイトルなのに、「ある家族の瓦解」と聞くとどこかぎこちない、ということ。何故なのか、(ぼくの思い違いかもしれないのだが)たとえば次のようなことを考えた。
「肖像」は静的だが、「瓦解」は動的である。「肖像」が一人の作家なり、ひとつの家族なりの在りようを描き出すのに対して、「瓦解」はむしろストーリーに比重を置いているような語感がある。
「肖像」の場合の「ある」は、「どこかの作家」「どこかの家族」である。作家はそれを静的に観察しており、距離がある。
「瓦解」と聞くと、たとえば「アッシャー家の崩壊」のように観察者の目の前で荒々しい出来事が起こっており、あるいは観察者も巻き込まれている。それなのに「ある」というなんとなく他人事のような接頭語は似つかわしくない、とそのように感じるのだ。
 これが観察者とまったく無縁な「どこかの」家族の話だったら、違和感がなかったのかもしれない。そういう問題なのかもしれない。よくわからないのだ。

 内容に入る。と言ってもまずは言葉の問題だが、難漢字の多用はあいかわらずである。だが読者のほうで馴染んできたようなところがあって、前ほど引っかからなくなった。明らかな誤用が目につかなかったからかもしれない。もっとも、当方が漢字に詳しくないので、正誤の判断が必ずしもできない。

 さて、書かれているのはまさに「家族の瓦解」である。その意味ではタイトルは当たっている。ただし、87歳と89歳のおばあさんが書いた前二作(高沢英子、杉岡澄子)のような家族ものとはかなり違う。あれらの作品では作者は対象とほどよい距離をとって、まさに「ある家族」を描写するなかに、時代の空気や、その中で呼吸する人間の普遍性を感じとらせる。
 竹内七奈の場合は、主観が強く入り込む。ただどこまでが事実でどこからがフィクションなのかを作者は判断させない。ひょっとしたらすべてが作り上げた物語なのかもしれないのだ。(そうだとしたらかなりすごい)。
 <私>の祖父母は海の近くで釣具屋をやっていた。よく釣れていたころで客も多く繁盛していた。ところが長男も次男もあとを継がずに出て行って、三男が残った。これが<私>の父だ。この父は無口で人づきあいができず、商売に向かない。それで漁師をやっている。それもまともに働かずに、稼いだ金を遊興に使ってしまう。
 <私>の母は、父と正反対で社交的でおしゃべりである。この二人がなぜ夫婦になったのか<私>にはわからない。母が祖父母を手伝って釣具屋をやり、祖父母なきあとは一人でやっている。客あしらいがうまく、釣りの知識も身に着けたので、変わらず繁盛している。
 父は家を空けがちで、母は客に人気があり、必然の結果として、母は客とできてしまった。ついに家を出て客の一人と別のところに釣具屋を作った。
 <私>は父の性質を受け継いでしゃべることが苦手で、口で自分を表現できない。人と付き合えない。で、中学卒業後は進学も就職もしなかった。
 母が別の男と店を構えてからは、店番に行くようになった。でも客ともしゃべれず、釣りの知識もないので、満足な店番はできない。母のくれる金もわずかである。海の環境が変わり、魚も釣れなくなって、店も前ほど繁盛していない。
 しゃべれない<私>だが、書いてみると書けた。短編小説が賞を取り、ほそぼそと書いている。

 というところまで書いて忙しくなって中断してしまった。何を書こうとしていたか忘れてしまったので、手っ取り早くまとめる。
 作中の<私>は自分を発達障害であるといい、しかるべき生育環境を与えられなかったために、障害を重くしてしまったのだとして、自分をかまってくれなかった両親への恨みつらみを書き連ねる。
 これを<私>という人物の書いている手記という体裁をとった客観的な症例レポートであるとして読めば、かなり興味深い内容である。
 自分の人生に負の影響を与えた両親なり、だれかれなりに対する恨みつらみ、こういう思いを多少とも持っている人はどこにでもいるはずだ。自分の人生を肯定できないでいる若者にはありがちのことだ。
 問題はそれをどう描いたら文学として成立するのかだろう。さまざまなアプローチがあり得るとは思うが、問われるのは作者がどれだけ客観的な目を持っているかだ。
 この客観的な目というのも、取り扱いの難しいものである。それがあからさまに作品に出てしまえば、もはや文学ではなくなって解説書になってしまう。それは秘されていなければならない。作品そのものは葛藤する精神世界の表現でなければならない。でありながら、どこかにそれを見つめる作者の客観的な目を感じさせる、そういうときそこに芸術世界が生まれる。

 この作品で気になるのは、たとえば「発達障害」という言葉があまり安易に使われていないかということだ。脳機能に関することはまだわからないことが多く、「発達障害」もほとんどわかっていない症例である。先天的なもの、後天的なもの、物理的損傷によるもの、生育環境によるもの、どこまでが障害と呼ぶべきもので、どこからはそうではないのか、そういう不分明なものに対して、具体的に書いていくところまではいい、しかしそれを一つの名前にしてしまえば、そこから作品は文学を離れていくのではないか。

 作品の終わりのほうでは和解らしきものに向かおうとする人の心も描かれていたように記憶する。そこに主人公の成長と、作者の視る目の広がりが垣間見えていたようでもあった。

旭爪あかね「シンパシー」について (15年10月) 再掲

 ある人との手紙のやりとりで、「私小説」に関する私見を書き始めたが、いま複雑な気持ちがあってまとまらない。その複雑な気持ちを書いた文章がここにあるのを思い出したので、再掲して現在の気持ちの表現とする。

 ベタな私小説。太宰治や宮本百合子のような……。こういう小説でいつも一番気になるのはなぜ「私」でなく三人称で、しかも作者と違う名前なのか、ということだ。
 それはたぶん、まるっきりほんとのことじゃなくて、嘘が入っていますよ、という弁解や言い逃れと、あるいは嘘が入っていることを前提に読んでください、という読者への注文であろうか。それでいて自分自身や身辺の誰彼がモデルであることをあからさまに、これ見よがしに提示し、そういうことを類推して読んでくれるよう、読者にたいして要求もしているのだ。
 太宰治に入れこむことから文学的経歴を始めたぼくだが、私小説を評価できなくなって久しい。
 それは自分のことを書いているかいないかということとはまた違うのだ。ヘミングウェイの初期短篇は自分の子供のころの話だ。彼はむしろ話を作ってはいけないと言った。渥美二郎は自分の身辺しか書かない。だが、ヘミングウェイや渥美二郎の作品を私小説だとはぼくは感じない。
 それはスタイルの問題なのだ。日本の伝統的自然主義私小説には、共通のスタイルがある。まるっきり嘘八百を書いていてさえ私小説のジャンルに入ってしまうような、特有のスタイルがある。このスタイルに長く違和感を持ち続けてきた。
 のだが、今回この作品を読みながら、私小説もけっこう面白いじゃないかという気持ちになったのである。
 それがなぜなのか、よくわからない。とりあえず以下のようなことは考えられる。
 まるっきり知らない作家じゃない。「稲の旋律」を読んだので、少し親近感がある。だから、多少ゴシップ趣味で惹かれるところがある。私小説が日本で長く支持を保ってきたのはそういうことではあるだろう。太宰治や宮本百合子のプライバシーに興味を持ちつつ人々は彼らの作品を読むのだ。
 ただ、結論から言うと、どんなスタイルの作品であろうと、私小説であろうと、そのことだけで偏見を持つのはやめよう、という考えに今回落着いた。
 それはともかくとして、ストーリーに入っていくことにしよう。
「民主文学」の(ここは下手な偽名を使わず、ずばりそのまま「民主文学」で登場する)、合評会から話が始まる。その年の新人賞の受賞者たちを集めて、合評している。参加者の一人ちづるは、彼らを選んだときの審査員でもあった。このちづるが何故ちづるであるのかはよく分からない。彼女が「私」であっても作品はまったく同じように書けただろうと思う。
 いま取り上げているのは、長谷部美代子の「リバティー」である。これはつまり、長谷川美智子の「リバティーに愛をこめて」なのだ。これを、そうとはっきり分かるように偽名にする意図も、全く不明である。不明であるが、これが日本伝統の私小説のスタイルなのだ。
 ちづるは審査員ではあったのだが、この作品に一部疑問を持っていた。それをこの合評会の場で披露する。と、反論に出合った。それを聴いてちづるは自分の想像力が衰えているのだろうかと自己懐疑を持ち始める。これが全編を貫く縦糸である。
 ちづるの過去も描かれる。引きこもりから、20年近いまえ、「民主文学」の新人賞をとって以来、少しずつ種々の運動の責任を分担するようになった。いま「民主文学」から派遣されて、原水禁世界大会の運営委員をしている。この世界大会の分科会の責任者の一人としての活動が物語の全体を占める。
 人間関係に不器用なちづるは、完璧でない自分を許せないことで引きこもりになったが、それを逆手にとって小説化することで立ち直りのきっかけをつかんだ。だが、そこから、なんとか人間関係を再構築しようと一生懸命なちづるの姿を、読者の眼から見ると、またしても完璧主義者の危ない罠に近付いているようにも見える。
 読んでいて、なんてセンシティブな存在なのだろうと、はらはらしてくる。この作者を月末の中国地区研究集会の講師として呼んでいるのだが、なんだか呼んだことが気の毒に思えてくるほどだ。(でも、そう思わせるところがこの小説の狙いかも知れない。小説家というのは基本的に嘘つきだから)。
 興味を持たされたのは、原水禁世界大会に向けての運営委員たちの活動内容である。この作品は、その活動のレポートとして読める。文学にはそういう機能もあるのだ。もっともルポ的にではなく小説的に書いている。
 この作家は66年生まれだが、ぼくが東京での世界大会に参加したのは65年だ。だが、代々木公園近くのどこかで催された大会の内容をぼくはまったく覚えていない。京都からの貸し切り夜行バスに乗りこんで、英文科の女の子たちの見送りを受けたのを覚えているだけである。彼女たちは、入学当初からバリバリの活動家で、自治会選挙に勝って英文科代表の委員になっていた。ぼくの方は、運動の端の方でうろうろしていて、どこへ行くかも定かではなかった。だから、そういうぼくを運動の雰囲気に浸らせようという策略のもとに、彼女たちはぼくを東京へと送り出したのだ。(結局、最後まで彼女たちの思うような人間にはならなかったが)。
 以上はぼく個人の思い出話として、ともかくもそれは原水禁運動の分裂直後の話であり、「いかなる国」論争の真只中だった。そして以後50年間日本の反核平和運動は分裂を克服できずに来た。
 いま、なるほど運動は生き残っているらしい。運動の全体像は描かれていないが、運営委員会の様子や、分科会の様子を読んで、それが活動家たちの交流の場として、また新たな活動家を生みだしていく場として、なんらかの役に立っているらしい様子は分かる。そのために一生懸命な人たちのご苦労ぶりも分かる。
 ただ、日本の平和運動をいかにして再統一していくかという方向への問題意識はまったくないようで、もちろんそういうことはもっと上の方で論議しているのだろうが、ほんとうは一人一人の活動家たちの最前線で、そういう問題意識が起こってほしいという残念な気持ちはあった。
 すでにまったく作品評ではなくなってしまったが、そういうもろもろをつつみながら、ストーリーの底流には絶えず、想像力の問題が流れ続ける。その問題を自分のなかからも、外からも、いろんな角度から扱ってみた、という小説であろうか。
 それなりに面白く読んだが、また複雑な気持ちを残させられもした小説であった。(この稿では想像力という作品のテーマ自体に入れずに終わってしまった)。

「譲葉の顔」再読

 杉山まさし「譲葉の顔」の作者からコメントをいただいたので、読み直した。二度目に読んでも、いい作品である。最初のうち文章がちょっとぎこちないが、進むにつれて滑らかになってくる。ところどころ引っかかる言葉使いもあるが、全体がよいのでさして気にならない。被爆後の広島に向かい、母から帰らされる場面、その母の表情、あるいは画家が見た敗戦直後の上野の場面、絵を画き上げていくところ、こういう描写に引き込まれた。
 しかし冒頭は要らないというぼくの意見は変わらない。67ページはまるまる要らない。68ページの上段から始めるべきである。
 ぼくは理屈で考えずに感覚でものを言うので、理由を説明せよと言われるとちょっと考え込む。次のようなことを考えた。
 この作品は77歳の老画家の一人称で書かれている。赤旗祭りの会場で似顔絵を画いている場面で始まり、最後まで小説の現地はそこである。そこに客の回想と、画家本人の回想とが挟まる。
 冒頭の場面は、今年の赤旗祭りは客が多く、<どこか、期する気概のようなモノの存在が見受けられ>ることから、その原因であると<私はそう確信していた>内容について、老画家が心のうちを読者に向かって吐露する個所である。
 これがもし、老画家がその場に居合わせた誰かに向かって、口に出した言葉なら、ああ、この老人はそういうふうに思ったのだな、ということで納得できたかもしれない。
 ところがこれが地の文であることで、老画家と作者との距離感が、この冒頭の場面であいまいになってしまったように感じた。
 この67ページ一頁に書かれているのは、さんざん耳にしてきた言葉である。この言葉はただの言葉だ。この言葉には老人の匂いがない。個性がない。小説としてはこれはまずいのではないか。赤旗祭りの似顔絵画きの席上での、老人の感慨として語られるなら、老人の息遣いが感じられねば駄目である。ここは表現ではなく、理屈になっているのだ。
 読者の半分くらいはこの部分で読む気が失せるかもしれない。作品全体が素晴らしいのに、これではもったいないのである。68ページから始めて、失うものは何もない。読者は一気に作品世界に引き込まれる。

 というように感じたので、思ったままを書きました。「断定口調」「上から目線」はそう感じられたのならお許しください。批評というものはそうなってしまうものじゃないですか。あくまで個人的感想です。他の人には他の意見があって当然です。
 ぼくもいまはあまり書かないが、過去に書いていたので、さまざまな批評を受けてきました。腹が立つこともあるし、どうして読みとってくれないのだろうと感じるときもあります。明らかな誤読と思ったときには反論もしてきました。
 でも一度だって、発言者を責めようと思ったことはありません。公表された作品には誰だって自論を述べる権利があるからです。

「民主文学」17年6月7月号

 遅ればせながら取り急ぎひととおり目を通した。
 乙部宗徳による東峰夫インタビューが面白かった。乙部はそれに先立って東の全著作を読んだ上に、沖縄に関して膨大な書物を読み込んでいる。
 じつはぼくも「オキナワの少年」は読んだ。芥川賞はほとんど読んだことがなくて、最近になってやっと読み始めたが、70年前後、京都で浪人生たちと同人雑誌をやっていたころに、いくつか読んでいる。「されどわれらが日々」「なんとなくクリスタル」「限りなく透明に近いブルー」「三匹の蟹」「赤頭巾ちゃん気を付けて」などだ。その中に「オキナワの少年」もあった。
 直木賞作家は、取る前から売れていて、取るとますます売れるが、芥川賞作家のほうは騒がれるのはそのときだけでじきにどこかへ消えてしまう人が多い。東峰夫もどこへ行ったのかなと思っていたが、インタビューを読むと、やはり苦労している。東の書きたいことと編集の求めるものとの食い違いなどや、たぶん高度成長期だったから可能だった、一日働いて二日図書館に籠るといった生活、そういうなかでも読みかつ書き続け、いまや80歳。しみじみと感じるものがある。
 掲載作「ダチョウは駄鳥?」は、さりげない筆使いがやはりプロを感じさせ、ユングの引用もなかなか読ませる。ユングの邦訳を引用した後に東峰夫訳を並べる。原意から相当離れているのだが、東調の軽さが面白い。ところがだんだん調子に乗りすぎて、終わりの方になると東哲学の体系化が始まってしまう。ここまでくると、ちょっとなあという感じになってしまった。自閉症を母親のせいと言いかねないような表現はまずい。

 この号は新人賞の号だったが、該当作はなく、佳作が3篇。岩田素夫「亡国の冬」はちょっといい話と思って読んだのだが、この作品だけかなり前に読んで、内容を忘れてしまった。申し訳ない。最近は記憶力が続かない。
 野川環「銀のエンゼル」が大変読みにくくて、そこで躓いて結局一か月経ってしまった。無理に読んでみると、後半は読みやすかった。三題噺で、民主文学の編者が喜びそうな題材を3つ並べましたという感じで、どの材料にもオリジナリティが感じられないのが難点だが、まあ小説の作り方は心得ているなとは思った。ただ前半は日本語の使い方がとても変だった。この人はたしか「サクラサクサク」の作者で、あれを読んだ時には感じなかったのだが、今回作は冒頭から日本語がなっていない。力が入りすぎたなという感じ。後半素直な文章になった。
 たとえば、
 <そんな可能性を抱くことは欠片もなかった>
     ↓
 <そんな疑いを抱く>もしくは<そんな可能性を思ってみる>

 <深い絶望に蝕まれていた
     ↓
 <苛まれていた>

 <引き裂かれそうなほどの悲しみ>→おおげさ

 <なんとか前言を翻させようと>
     ↓
 いま医師が口にした診断を受け入れられないという気持ちの表現になっていない。

 <医師が語る言葉は、ざるに注ぐ水のように、彼の中にはとどまらず>
     ↓
 違和感がある。使い方が違う。

 <自宅から徒歩二十分の駅から>→<から>が重複。

 <聞いたこともない地方大学>→誰が聞いたこともないのか。主語述語の問題。

 <すべてのデスクの上には何もない>→<どのデスクの上にも何もない>

 <ため息が口をついた>→<ため息がもれた>

 冒頭からたった3ページの間にこれである。これでは読む気が失せる。たぶん力が入りすぎたのだ。面白いものが書けそうな作家だとは思う。

 杉山まさし「譲葉の顔」
 これが一番印象的だった。美術系の人らしく、専門用語の飛び交うところはわからないなりになんかそれらしい気がした(わかっている人がどう読んだかは知らない)。ただ似た話を二つ並べて(そうしなければ話が展開しないのだが)、そこが紛らわしくて印象を薄めた。そこに工夫が必要だった。冒頭の理屈っぽい部分はすべて要らない。全部切り捨てて似顔絵を書くところから始めるべきだ。

 風見梢太郎「崖の上の家」
 概ね読みやすく読み心地もよいのだが、「私」が多すぎる。翻訳小説を読んできた人はどうしても主語を書いてしまうのだが、日本文では省略できる主語はできるだけ省略すべきだろう。
 共産党員といっても普通の人間で特別な人ではないのだから、これでいいのだが、あえて共産党員と書いてあるので、読む側としては複雑な思いもある。差別と闘っても来たのだろうが、身に付けた専門知識と持ち前の能力もあいまって、資本主義経済の下でともかくもそれなりの経済生活を送ってきた。で、そのような人生行路といまの世界のありようとを、どのように位置づけるのか。もちろんこの作家はすぐれた原発小説を書き続けている作家なのだが、そして共産党員のさまざまな人生を描くことはそれはそれでよいのだが、小説を離れたところでふと疑問がわくのは、トランプの主張したエスタブリッシュメント批判、現代社会では、経済的に比較的恵まれた層が左で、貧困層は右傾化しているという現実、そういうことをどう考えていくのかということを思ってしまうのだ。

 高沢英子「鬼が棲む家」
 杉岡澄子「うんまいなあ」
 87歳と89歳である。脱帽せざるを得ない。どちらも母親を書いている。もっともどちらも生みの母ではない。前者は夫の母であり、後者は育ての母である。
 前者は義母がいまの自分くらいの年齢だったころのことを書いている。おそらく40年くらい前、1970年代のことだろう。視点人物の年齢を書いていないが、子供たちも未成年だし、40代だろう。
 後者は日中戦争時代の話である。作者とおぼしき娘はまだ小学生である。
 どちらの作品も、おそらくかなりの部分が事実に基づいている。後者は子供の眼からだけでは書けないから具体的な描写はフィクションだろうが、大まかなところは事実なのだろうと思う。
 どうってことのない平凡な市民の物語である。それを淡々と書いているだけだ。若い人には退屈かもしれない。しかしここには読み心地の良さがある。時間が経てば内容を忘れてしまうだろうけれど、読後感はたいへんよい。事実のもつ具体性、事実のもつ豊かさがある。フィクションでは作りにくいものがある。

 竹内七奈「或る家族の瓦解」
 これについては稿を改めよう。いま時間的余裕がない。

天皇退位問題 主語述語

 昨日の記事を一部修正。前皇后は上后ではなく、上皇后と言うのだそうだ。二人並べて呼ぶときにはどうするんだろうな。上皇皇后だろうか、それとも上皇上皇后だろうか。舌を噛みそうだ。
 天皇退位問題に関する政府の説明を読むと、「天皇がもうくたびれちゃったと言い、国民が同情し、それを(それって何? 国民? 天皇?)政府が忖度した」と言っている。つまり誰が発意したとも、何をもとに決めたとも言わないように用心し、すべて遠回しにして、霧がかかったようにして、わけがわからないように一生懸命努めている。同様のことが、かつて日本を愚かな戦争に突き進ませ、多大な犠牲を生じさせ、しかも誰にもその責任を取らせず、未解決のまま現在に至らしめたのではないか。
「明仁さんが天皇を辞めさせてくれと言った。国民が同情したので、政府が認めた」ということでよいではないか。これならすべての主語がはっきりしている。「明仁が発意し、国民が賛成し、政府が(もしくは国会が)認めた」のだ。すべての主語述語関係が明確であり、だれも責任逃れできない。天皇が天皇を辞めることは政治行為ではない。政治に関する権能を有しないものが、政治に関する権能を有しない地位から降りることが政治行為であるはずがない。それは基本的人権である。ところが照屋寛徳議員の質問に、菅氏は天皇には基本的人権はないと(同様の)答えを返した。
 基本的人権に例外を作り始めれば、それはどこまで行くかわからない。天皇だけの問題ではないだろう。

ケヴィン・ベーコンと太上天皇

 1990年にケヴィン・ベーコンの「トレマーズ」が公開された。シリーズの第1作である。
 竜のように巨大化したミミズが、土の中を新幹線並みのスピードで移動して人間に襲い掛かり、丸吞みにする。グラボイズと名付けられたその動物は目が見えず、振動を感知して生き物に襲い掛かる。わずかな振動も逃さない。トレマー(tremor)とは小さな揺れを意味する。
 地上を移動すればすぐに感知されて襲われるので、岩場から岩場へと、10メートルもあるような長い棒を使って棒高跳びの要領で怪物から逃れていく。三人の若い男女が次々と空から空を飛んでいく、そのシーンがユーモラスでもあれば、絵として美しくもあり印象的だった。
 この動物をグラボイズと名付けたのは雑貨屋のチャンという中国人だ。どういう意味だったかは記憶にない。
 ぼくの記憶に刻まれたのは、その命名のシーンである。怪物のためにいまにも全滅させられようかという瀬戸際にありながら、チャンを中心とする中国人たちは、この動物を何と名付けるべきかという論争を長々とやっている。アメリカ人たちはあきれ返る。名前なんかどうだっていい、どうやって助かるかを考えるべきときなのだ。
 もちろん映画だから監督が勝手に作ったのだが、「中国人は名前にこだわる」という印象をアメリカ人たちが抱いていたことがわかる。
 それがぼくの記憶に残ったのは、日本人にもそういう傾向があるような気がしたからだ。
 3.11のときに、それを思い出した。この震災を「東北・関東大震災」と名付けるべきか、それとも「東日本大震災」と名付けるべきかなどというのが聴こえたからだ。「名前なんかどうだっていいだろ?」と思ってしまった。
 そしてさらに去年から、とうとう名前に関する大論争が起こってしまった。退位した天皇をどう呼ぶかという問題である。首相を辞めれば前首相または元首相だから、天皇を辞めれば前天皇または元天皇でいいだろ? と考えるのが普通の感覚だろう。そういう投書も「朝日」には載った。ところがナントカ審議会では太上天皇か、それとも上皇かと論議され、太上天皇ではあまりに仰々しいから上皇にしようということになったようだ。上皇はもちろん太上天皇の略語であるが、それが正語となった。
 さらに元皇后をどう呼ぶか。歴史的には前天皇の皇后にして現天皇の母である女性は皇太后である。ところが明治以後の近代天皇制において皇太后と呼ばれた人は常に未亡人であったから、夫が生きているのに皇太后はおかしいということになったらしく、これは上后と呼ぶことになった。ジョウコウとジョウコウである。二人ともジョウコウである。ジョウコウコウ両陛下と呼ぶらしい。
 皇太子はどうか。皇室典範では天皇の長子が皇太子であるとされているので、天皇の弟を皇太子にはできない。もちろん歴史的には弟であろうが従兄弟であろうが何であろうが、次期天皇に決まればだれでも皇太子であったわけだが、皇室典範の欠陥によってそれが不可能になった。そこで皇嗣と呼ぶのだそうだ。だが英語ではⅭrown Princeだという。つまり英語で呼ぶ分にはどう呼んだってかまわないが、漢字で書くときには厳密さが要求されるということらしいのである。
 そして女性宮家問題である。これも結局は名前(呼称)の問題だ。
 英語ではprince princessは法律に書かねばならないような特殊な言葉ではない。それはごく一般的な普通名詞であり、王家の血をひくものを意味するのみである。既婚だろうが未婚だろうが関係ない。ところが日本人は親王・内親王・王・女王という地位を設けてこれを皇室典範に事細かに規定せねば気が済まない。
 そこからさらに、少し違う問題だが、元号問題が出てくる。いままでは常に中国人の書いた本から取ってきた。日本人の本から取ろうじゃないかという話が出てきた。
 元来日本人は、くだけた場ではやまと言葉を使うが、公式の場では漢語を使うのを旨としてきた。日本語でしゃべったのでは偉そうにない、中国語のほうが偉そうだ、というわけだ。
 いま新しい世代のナショナリズムがそれに反発し始めたのだろう。中国語はやめよう、日本語を使おうということになってきた。ぼくはイヤサカ問題を思い出した。万歳は中国語だから、イヤサカと言うことにしようじゃないかと、戦争中にそういう運動が起こったらしい。母の叔父だとかが一生懸命運動していたと母から聞いた。
 それはそれでかまわないのだが、すべてが思い付きのやっつけ仕事だから、中途半端でつじつまが合わないのだ。
 もともと元号自体が中国の真似である。しかも日本が一世一元の制を取り入れたのは19世紀になってからだが、中国では明初からだから、これは14世紀の話である。500年も遅れて中国の真似をしている。
 中国の真似だから、中国人の本から取り込んだ中国語でもって元号としている。これを日本流にするとすればどういうことになるのか、たとえば「たいらか元年」だとか「なごやか元年」だとかになるのか。まあ、そこまで徹底するなら認めてもいいけれど。中途半端はやめましょう。そもそもいいかげん元号をやめてくれねば面倒くさくてたまらない。
 漢字というものには、人間の精神に対する独特の影響力があるようにも思える。
 日本人が中国人同様、ものの名前に変に執着するのは、はたして単に中国文化の影響なのか、それとも、直接的な影響というよりも、漢字を導入したことによって、漢字というものが人間精神に対して持つなんらかの影響力を蒙ることになったのか。そういう疑問が生じるのだが、漢字と中国文化とは一体のものなので、そういう問題提起には意味がないのかもしれない。
 漢字は人間が作り出したが、人間の歴史の中で、人間から独立し、一種の神となっているようにも見える。そうして人間の精神作用を支配している。
 そのことの功罪はまた別の問題だろうけれど。

籠池とプラトン

 30数年前に、プラトンの「国家」を、分厚い岩波文庫の上下2冊でたしかに読んだという記憶があるのだが、覚えているのはプラトン観念論の骨格だけで、洞窟の比喩が鮮明に残っているだけである。
 いま目次を開いてみると、なるほど国家についていろいろ書いてあるらしい。ぼくはたぶんその論理展開にのみ注目して読み、具体的な中身に重きを置かなかったようだ。
 いまさらこんなことを書くのは、朝日紙上で「国家」をとりあげた学者がいるからだ。
 5月27日付で、豊永郁子という早稲田の教授が森友問題から次のように書いた。
 <若い頃は、政治にとって最も重要なのは教育だと言われてもピンとこない。気の長い迂遠な話だと思う。ところが、世の中の風潮がガラリと変わるのを何度か体験すると、変化の駆動力が世代の交代にあるらしいこと、新しい世代があっという間に育つことに気づかされる>
 つまり籠池が子供たちに「教育勅語」を暗唱させた問題なのだ。
 それに続けて豊永さんは「国家」から、理想国家に関する部分を略述する。略述と言ってもかなり長いのだが、それをさらに縮めると、<民主主義は独裁を生みだす(危険をはらんでいる)>ということなのだ。
 歴史を振り返れば、近代における独裁を生みだしたのは必ずしも支配階級ではない。虐げられた人たちの不満を巧みに掬い取った個人や集団が支配階級をも支配して独裁した。
 いまわれわれは「民主主義の社会がそう簡単に独裁になる筈がない」とたかをくくっている。だが油断は禁物だと豊永さんは言う。そういうことを紀元前数百年にプラトンがすでに書いているのだ。

大丘作品評

 大丘忍氏が、「サマルカンド」に載った自作評に関して、「樹宴」のブログにひとこと書いています。ただし「ポルノ云々」は「サマルカンド」ではなく、このブログにぼくが書いた女性読者の声です。
 作品評を歓迎します。ぼくのミステリーはまだ始まったばかりですが、「ここがおかしい」「こうすればもっと面白かったのに」という指摘をいただきたい。もう歳なので次作を書くかどうかわかりませんが、書くとしたら参考にしたい。
 ぼくへの批評は非公開にする必要はない、公開でどうぞ。

たんめん老人の「虞美人草」

「たんめん老人」が再び「虞美人草」について書き始めている。ぼくの作品論はだいたいにおいてかなりおおざっぱだが、「たんめん老人」は学者的な几帳面さで、細部にわたる検討を加える。読んでから年数も経ってほとんど忘れてしまった細部を思い出させてくれる。まだ読んでいない人には作品紹介の用も足してくれている。

「虞美人草」討論会

 中学生のときからテレビ嫌いで、(見ても退屈なので)ほとんど見ずに来た。だから新聞のテレビラジオ欄など見たことがない。最近「ポアロ」を録画して暇なときに見るようになったので新聞でチェックする。水曜日の4時からというのは知っているのだが、一応確かめて11時少し前にBS3を点けると「虞美人草」という言葉が飛び込んできた。
 見ると10年前にやった「虞美人草討論会」の再放送だ。新聞で確認すると9時から延々とやっていてもうじき終わるところである。じつは10年前にも何かの都合でごく一部しか見ることができず、悔しい思いをした。そのごく一部がぼくの問題意識と似ているように思えたからだ。
 今回はほんの数分しか見れなかったが、「虞美人草は偉大な失敗作である」というあたりに参加者のほぼ共通の理解があるように思えた。「失敗作のなかにこそ、その作家のほんとうに言いたいことがある」という発言も印象に残った。
 5名を超える人が参加しているようだったが、番組案内で見ても知らない名前ばかり。まして顔は知らない顔ばかりだ。ひとりだけ島田雅彦がいた。ただどの顔がそうなのかはわからない。
 2時間もの番組だが、事前に知っていれば見ただろう。テレビ欄というものもたまにはチェックすべきかと思ったりしている。番組中で「赤と黒」に触れた人がいなかっただろうかということが気になっている。
「虞美人草」と「赤と黒」とを結びつけるのは、ぼくだけなのだろうか。

復讐劇としてのミステリー

 誰だったか「朝日」で、日韓の比較に触れて、<曽我兄弟だの、忠臣蔵だの、日本人は復讐物語が好きだ、だが、韓国にはそういうものはほとんどない、あの国では正義が好まれる>と書いていた。
 どこまで確かな話なのかは知らない。ただ、いま漫画「金田一少年の事件簿」を読み返していて、そういえばこのシリーズにはたくさんの殺人が出てくるが、まず例外なしに復讐劇だな、と気付いた。
 ぼくは、この漫画以外の日本ミステリーでは、横溝正史と東野圭吾しか読んでいないので、(しかも二人の作品を読んでから日も経って記憶が薄れているので)日本ミステリーに占める復讐劇の割合がどの程度か、ちょっとわからない。ただ「金田一少年」だけを見れば確かに復讐ものばかりだ。
 クリスティ作品は、資産家の遺産相続をめぐる殺人が多い。あとは男女間の問題だ。舞台になるのはだいたいにおいて金持ちの社会で、主人公が貧乏な場合でもその舞台は金持ち社会である。
 クリスティ自身の発言を読んだことがあるが、「私はただ読者の読みたがるものを知っていただけだ」と言っている。たしかに金持ち社会は絵になる。読ませるものがある。そこに紛れ込んだ貧乏人が、決して金持ちに負けていないのもよい。
 クリスティ自身は特に裕福だったわけではないが、中流階級の人間としてそういう社会に出入りできた。だから書けた。金持ちの社会を我々貧乏人が書こうとしてもうまくいかない。どこか不自然な描写になる。
 ミステリーで、あと読んだと言えばホームズものとエラリー・クイーンだが、これも読んで何十年にもなるので、殺人動機までは思い出せない。
「金田一少年」がすべて復讐殺人になってしまうのは、それがミステリーに都合がよいからだ。
 ミステリーの条件として、1、犯人は意外な人物でなければならない、2、殺人には奇想天外なトリックを用いねばならない、ということになっているようなのだが、ぼく自身は2の項目には疑問を持っている。
 だが、とりあえずこういう条件で書かれるとすると、とても犯罪を起こしそうもない人が、綿密な計画殺人を実行する、のでなければならず、それを読者に納得させるには納得させるに足る殺人動機が必要になる。
 こうして一番手軽な方法として復讐劇が仕組まれる。
 トリックは大掛かりになるほど現実離れする。とても成功しそうもない殺人計画だ。探偵役の謎解き過程も、穴だらけである。ただ(金田一少年の場合)、一応の筋は通してある。「こういうことはありえない、だが、もしありえたとすれば、こういうことだろう」と納得させる水準にはある。
 そして何よりも謎解きが終わった後に必ず付属している動機ストーリーが(現実離れはしているのだが)よくできているのだ。「そんなひどい目に遭ったのか。じゃあ、復讐しても当然だな」とまでは思わないまでも、殺人犯の心になんとなく寄り添ってしまう。うっかりすると涙が出てくるほどだ。
「金田一少年」が読まれるのは、半分はこの動機ストーリーのおかげである。
 これもまた「私は読者が何を読みたがっているかを知っている」ということになるのだろう。この作者もまた読者の要求にこたえたのだ。

 と、つまりそういうことなのだが、何を書きたかったかというと、そういうことにぼくは不満なのだ。読者の同情を買うような動機ストーリーをぼくは書きたくない。そういうストーリーのうちには読者の共感を招ぶだけの人間性の真実が含まれていることも認めはするが、それでもそれはぼくの書きたいことではない。それはミステリーにとっての邪道だという感じがする。安直だという感じもする。早く言えば、パターンだということなのだ。
 アメリカ映画にいっとき復讐ものが流行った。妻子を殺されたのだから犯人を殺して当然だというふうに主人公のアクションを動機づける。見せたいのはアクションなのだが、そのアクションを正当化する道具にストーリーをでっちあげる。
 そういえばマカロニウエスタンはほとんど復讐ものだった。香港のカンフー映画はちょっと違ったかな。
 というように見てくると、復讐ものを好むのは日本人とは限らないようでもある。
 要するに暴力を見せたいのだが、その暴力の正当性がほしいのである。そのためにでっち上げたに過ぎないストーリーを、(つまり制作の順序から言えば暴力のために、暴力のあとで考え出したものを)、まるで先にストーリーがあってその結果暴力が発生したかのように錯覚させようとする、この、認識の逆転への強要が、ぼくを納得させない。
 ということを書いてきて、きのう「朝日」を読むと、これも誰だったか(確認の手間を惜しんで申し訳ないが)、次のように書いていた。
 <「ハムレット」に長い間不満だった、父親を殺されながら、なぜすぐに仇討ちせずに、いつまでも悩み続けるのか分からなかった、ところがある評者が、キリスト教の社会では、人を罰するのは人間ではなく神なのだ、だからハムレットは悩むのだ、と書いているのを読んでようやく納得できた>
 それに続けて最近の日本の風潮として、「殺人犯をいますぐ自分の手で殺してやりたい」という被害者の気持ちへの一般社会における共感の広がりに触れている。執筆者は結論を出していない。ただ一考をうながしている。ハムレットのように悩み続けるべきではないかと言っている。
 こういう記事を読むと、なるほど日本には仇討を好む伝統があって、これは多少特殊なことなのかもしれないという気もしてくるのだ。

「虞美人草」のこと

「たんめん老人のたんたん日記」というブログの著者が、漱石の「虞美人草」を再読していろいろ感想を書いている。
 ぼくがときどき開けてみるブログの著者たちは、猛烈な読書家ばかりである。その読むスピードの速さ、一か月の読書量の多さに舌を巻くが、この人もそうだ。「神曲」と「太平記」とを並行読みして、そのあらすじと感想とをずっと書いているが、その合間にアメリカの推理小説やら、何やかや読んで、そして若いころ読んだ本の再読をしている。
「虞美人草」の感想も詳しい。サッカレーの「虚栄の市」と比較したり、登場人物の食べるものに注目してそこから当時の雰囲気をつかもうとしたりする。
 ぼくはと言えば「虚栄の市」は印象的なタイトルで子供のときから頭にはあるのだが、半世紀読まないままできてしまった。
「虞美人草」も、細かいところはもはや記憶にないので、いろんな読み方ができるものだなと感心して読ませてもらっている。
 ぼくの感想を言うと、「虞美人草」は(職業作家としての第一作だから)気負いばかりが先だって、小説としては失敗している。だが、非常に興味深い作品である。
 前にもブログに書いたが、「虞美人草」は「赤と黒」に着想を得たに違いないとぼくは思っている。誰かそういう研究をしている学者はいないのだろうか。
 地方から出てきた貧しい秀才の小野は、ジュリアン・ソレルである。資産家の高慢で美しい令嬢、藤尾はマチルドである。小野の恩師の娘小夜子は、レーナル夫人である。
 ジュリアン・ソレルがマチルドとの結婚を果たし、出世の階段を上がり始めようとした矢先にレーナル夫人との過去が暴かれ、傷害事件を起こして投獄され、結局ギロチンで世を去る。マチルドがその切り落とされた首を抱きしめるという衝撃的なラスト。時代はナポレオン敗北後の王政復古の反動期であり、体制を脅かすものの存在が許されなくなっていた。
 小野も学問で身を立て、藤尾と結ばれて、上流階級への道が開かれようかと思われた矢先に、小夜子が現れて、貧しい生い立ちに引き戻されてしまう。
 ストーリーはまったく同じだ。ラストも同じである。何が違うのかというと、主人公たちの受け止め方が違う。ジュリアンは自分の運命を誇りたかく受け入れる。小野は、小夜子を捨てて藤尾に走ったことを後悔する。(ジュリアンも牢獄の中では、マチルドよりもレーナル夫人を求めるのだが、外形的には同じでも、その心情はまったく違う)。そしてマチルドは、切り落とされたジュリアンの首を抱きしめて、永遠の愛をささげるが、藤尾は気が狂って死んでしまう。
 スタンダールの作品の中では、ジュリアンはヒーローであり、マチルドはヒロインだ。漱石にとってはそうではない。小野はまったくパッとしない。金持ちの道楽息子が二人出てきて、小説はこの二人によりそって書かれる。にもかかわらず読み終わってみれば、この二人は不要な人物である。ストーリーは明らかに小野と藤尾を軸に展開しており、そこに小夜子が噛んでくる。そして漱石は、小野を貧相にしか描かないが、藤尾については実に印象的なキャラクターに仕立てあげる。だが、そうしておいてこの女を切り捨ててしまう。
 ここに漱石という人物自身の矛盾がある。漱石は藤尾のキャラクターに惹かれるものがあったはずだ。のちの里見美祢子につながっていく女性像だ。美祢子はずっと控えめな女性になっているが、基本的には藤尾である。藤尾の毒気を抜いて、教養と上品さを備えさせれば、美祢子になる。芯のところに女性のもつ魔性的なものがある。
 ところが漱石は結局藤尾を否定してしまった。彼の明治人としての道徳観が小説を貧しいものにしてしまった。
 ぼくが漱石に興味を持つのは、彼が日本人の矛盾を体現した人物だからだ。
 だが、もちろん読書は人さまざまで、「たんたん日記」の、作品に対する関心の持ちようの深さと幅広さとは、また別の興味へと読む者を導いてくれる。

休止通知

 町内会で振りまわされて、記事を書く余裕がない。当分ブログを休止します。あしからず。

サマルカンドの大丘評

「サマルカンド」に載った「樹宴」11号大丘忍「鏡の中の女」への批評は、読み返してみると必ずしも悪評というわけでもない。後半でかなり誉めている。ただ、ストーリーに走って場面場面の描写が不十分であったという点の指摘のようだ。
 今回「樹宴」は25冊もらって一冊を手元に残し、24名の方に送った。感想はまだほとんど返ってきていない。ぼくの作品が連載全4回のうちの第1回ということもあってまだ感想は言えないということもあるだろう。
 大丘さんの作品が巻頭だったこともあり、ぼくが大丘作品がおすすめですと書いたせいもあったのか、大丘作品だけ読んだ、石崎の作品はまだ読んでいないという読者もいた。
 そのなかで特に女性の読者から、「鏡の中の女」はポルノすぎるという反応が返ってきた。
 振り返ってみると、確かに今回の大丘作品はかなりポルノチックだ。ただ、ぼくはすでに何作も大丘作品を読んできて、いつも軽快で心温まる作品に接してきたので、今回の作品もそういう眼で読んだ。女性を見る作者の眼はどこまでも優しいと見えた。
 この作品が気に入ったという読者もいた。サマルカンドの評者も、読みとるべきところは確かに読みとっているようだ。
 以上、「樹宴」への最初の反応である。

「樹宴」11号への感想

 リンク欄から「サマルカンド」をクリックしてください。「樹宴」11号大丘作品への感想が出ました。かなり批判的ですが、読者はさまざまですから、特に気にする必要はないと思います。後半で誉めています。
 公開した作品への批判は自由です。反論があれば、このブログなら必ず掲載します。

「スプーン一杯」の感想来る。

 非公開コメントで、「スプーン一杯のふしあわせ」に感想を寄せてくださった。要点は以下である。「せっかく語り手に疑いを向ける要素を作り出しながら、なぜ簡単にそこからずらしてしまったのか。主人公が自らに向けられた嫌疑を晴らすために奔走するのならもっとスリルがあっただろう」
 的を射た指摘です。さすがです。大いに参考になります。公開してよかった。ありがとう。

「ふくやま文学」29号

 3月というのは文学をやるにはふさわしくない季節だ。各種総会準備、各種役員の引継ぎ等がたびかさなって、読みかけていた「ふくやま文学」が意識のどこかに埋もれてしまった。4月から、より重い世俗の仕事を抱えることになって、文学へと頭が戻っていかない。でも、合評会にむけて記憶を新たにするために、少し書こう。
 総234ページ、読み応えがあった。一番の出来は前号に続いて瀬崎峰永だ。27号の「ボクサー」、28号の「11月のひまわり」もよかったが、今回の「祝福」はもはやプロの出来ばえと言ってよい。

 瀬崎峰永「祝福」
 違法な堕胎手術を商売にしているおばあちゃん、高校生の孫がそこへ居候している。この惣太君は鰹節からいかにうまい出汁をとるかということに熱中していて、おばあちゃんに毎日うどんを食わせている。おばあちゃんはうどんに飽き飽きしているのだが、商売のとき以外はテレビ漬けで、食事は孫に作らせている。鰹節と出汁についての蘊蓄ぶりと、おばあちゃんと孫とのやり取りとその双方のユーモラスなのが、ストーリーの悲劇性と奇妙にも響きあう。
 26週の子を堕胎に来た女は、若く美しく聡明そうだ。経済的な問題ではない。不倫の結果なのだ。ストーリーの主役は女だが、小説の主役は高校生だ。悲劇を外側からしか見ることができず、悲劇に対して無力であるしかない高校生。これがこの祖母と孫との日常だから、必要以上に深刻ぶってみせることもなく、彼女のためにもおいしいうどんを作ってやろうとするところで終わる。
 30枚ほどの作品である。現代の若者の貧困に結びつけているわけでもない。時代との接点という意味では物足りなさがないでもない。だが、逆にいたずらに現代を紛れ込ませようとしなかったところに、作品の普遍性があるようにもとれる。短編で表現することのできるものをギリギリ表現しえたと言えるのではないか。
 おいしい出汁を作ろうとして一生懸命な惣太君には、いい作品を書こうとする作者自身が投影されているように感じた。
 また、いままで読ませてもらったなかで今回初めて作者のクリスチャンとしての位置が暗示されていて、興味を引いた。

 中山茅集子「鼻」
 ゴーゴリと芥川を連想させるタイトル。現代と切り結ぶという点では、この作品が随一だ。彼女よりずっと若い我々は少し反省してみる必要があるかもしれない。
 いつものように何気ない老人の日常から始まる。そしていつものように70年前にさかのぼる。しかし今回の若い女主人公はいつもと少し違う。いままでに読んだ作品のヒロインはきっと軍国少女で、その敗戦経験はまさに敗戦経験だった。それはいつも、限りなく悲痛な体験だった。
 だが、今回のヒロインは次のように描かれる。
 <その日まで押し込められていたあらゆる我慢を脱ぎ捨てた直子の夢は、いち早く狼煙をあげたファッションの世界だった> <振袖を着て堂々と歩けるようになったんだ、と無性にうれしかった>
 敗戦の感じ方がこれまでと違う。それは、戦争中の直子の次のような体験と対比させて描かれるからだ。
 風邪をこじらせてその日の耐寒行軍を免除された直子は、図書室から小説を借りてきて読んでいた。行軍から帰ってきた教師がこれを咎め、朝4時に八幡さんに謝りに行き、その足で教師宅に報告に来いと命ずる。雪の夜である。このとき図書室行きを提案し一緒に読んでいた田代陽子は、教師の目を逃れ、名乗り出もしなかった。直子は陽子への恨みを募らせながら八幡さんに到着すると、そこに陽子がいた。一晩中いたのだという。
 この恨み募る軍国教師もやがて徴兵されたが、生きて帰り、新制高校の教師となって、生徒と心中事件を起こして生徒だけ死なせて自分はまたも生き残ったのだという。直子と陽子は、「自分が死ねばいいのに」と怒りを募らせる。ある日その教師と偶然出会う。教師はまるで魂が抜けたような状態だった。戦争は教師の心も傷つけていたのだ。
 体験者が体験のなかから作り上げるフィクションには、重みがある。非体験者が伝聞で書いたのでは到達できないものがそこにはある。きな臭い雰囲気が再び漂う今、戦争の実相は繰り返し書かれる必要があるだろう。
 中山茅集子は決して「終戦」とは書かない、常に「敗戦」と書く。そこにあの戦争に対する彼女の立ち位置がある。
「鼻」は美人の陽子の美しい鼻なのだが、鼻と敗戦の縁で、もうひとつ別人の話が出てくる。だが、これは別の小説にすべきではなかったか。

 わだしんいちろう「インク汚れ」
 なぜか不思議と印象的な作品である。ストーリーはない。際立った人物もいない。主人公も目立たない。主人公は「かれ」である。「彼」ではなくて「かれ」。この「かれ」をカッコ付きでもなく、そのまま固有名詞的に用いている。それは作者の工夫なのだろうが、ときどき直前に出てきた人物と混同した。傍点を付けておいてくれたらよかった。だが、もちろん意図的に目立たなくしている。主人公とも言い切れない。作者はむしろまわりの人物のほうを描いている。ただ、そこには「かれ」のまなざしがあり、そのまなざしが「かれ」を照り返す仕掛けとなっている。
 描いているのは労働現場と労働と労働者である。「労働者を書きさえしたらプロレタリア文学なのではない」という民主文学の批評家の言をいつか眼にしたが、プロレタリア文学の後継をもって自任する民主文学が、作家の高齢化もあって労働を書かなくなってしまった今日、「これぞまさしくプロレタリア文学」と呼びたいような、さわやかさがある。
 舞台となっているのは、作者が「クレーン」の38号でも書いていた食品用の小物カップ(たとえばヨーグルト容器)にネームを自動印刷する工場のラインだ。ここは24時間三交代(たぶん)で動いている。カップの段取り、検査、収納などの過程で人手がいる。それはすべて派遣やアルバイトだ。正規社員はオペレーターと呼ばれ、ラインの背後にいるようだ。インク汚れがひとつ見つかればそのロットの、場合によっては何千個ものカップがすべて廃棄となる。最終判断を下すのはオペレーターだが、検査を担当するライン作業者は見つけ次第速やかに報告せねばならない。判断に迷っている間もラインは動いて廃棄数を増やしてしまう。
 労働現場と労働を描きながら、労働者群像を点描していく。たとえばフィリピン人のマリヤ、43歳、その来し方や人となりがさりげなく、だが印象的に描かれる。
 交代で食べる夜食のために食堂へ行くと、社員が二人コーヒーを飲んでいる。その会話を漏れ聞く。<組合作ろうとしたら辞めさせられるよ……これまでも辞めさせられたらしいからね> その彼が儲け話を口にし始めたが、相手は気がなさそうにしている。
 ここにはたたかう労働者はいない。だが、もちろんそれは、我々が生きているこの現代日本社会の、ありのままの現実である。文学はここがスタートであろう。まず現実を描き出さねばならない。この作者はそういう描写に徹することによって、いっそすがすがしい作品を作り上げた。

 今回取り上げるのはこの三作にとどめるが、ほかにも面白い小説が満載である。読んでやろうという気を起こされたら、ぜひ事務局に申し込んでほしい。当ブログの「同人誌広告」のカテゴリーに連絡先がある。すでに一人の方から申し込みがあって送付された。

天皇退位私論

 政治学者、原武史が天皇退位にまつわる動きを批判している。憲法第4条で「国政に関する権能を有しない」とされているのに、明仁天皇がひとこと言うと政治が動いた。これはあきらかに憲法に違反している、と。きょうの朝日新聞である。
 原氏が言っているのは明仁は退位してはならないということではない。明仁の言葉で政治が動くのはおかしいということである。退位に関する法整備が必要なら、それは国会が自主的に行うべきであった。権能を有しないはずの人によって政治が動かされるのは危険であるということなのだ。
 <もし国民の誰かが「陛下ももうお年なのだから、そろそろ皇位を皇太子にお譲りになって引退されたら」などと言おうものなら、それこそ「身のほどをわきまえない無礼者」とのそしりを受けた><ところが、いったん天皇からその意思が示されるや、圧倒的多数の国民が受け入れました。これが天皇と国民との関係です。この点で、45年8月と現在は変わっていません>
 原氏の危惧はよくわかる。日本人の精神がいまだに天皇神話に縛られており、天皇の一言で政治が動きかねない(現に動いた)ことを危ぶんでいる。
 しかし、ぼくはこの問題では違う意見を持っている。
 この問題では、ぼくはしりあがり寿氏の見解を支持している。この問題が出たときしりあがり寿はただちに、「そうか、天皇には人権はなかったのか」と書いた。それがすべてだとぼくは思う。
 憲法14条は、「すべて国民は、法の下に平等であって……門地により……差別されない」と書いてある。22条には、「何人も……職業選択の自由を有する」。18条には、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない……その意に反する苦役に服させられない」と書いてある。
 つまり、天皇をいつ辞めようとその人の勝手であって、これを強制する権利はいかなる権力も持っていない。
 もちろん憲法2条が「皇位は、世襲のものであって」と書いた時点で、14条と矛盾してしまっているのだが、だが、皇室典範に書いてあるのは皇位継承の順序だけであって、皇位を拒否することができないとも、天皇は辞めることができないとも書いてない。
 つまりいまさら、天皇退位法など作る必要はない。誰にでも職業を辞める権利はいつなんときでもある。そして天皇も実質上ひとつの職業であって、それ以上のなにものでもない。
 そしてこれを否定するとしたら、天皇は日本国民ではないのだ、だから憲法は適用されないし、人権は存在しないのだ、という結論に導かれる。
 しかし、人権とは単なる法律上のものではないだろう。それは法律以前に自然法として、すべての人間に与えられているものだ。この自然法に反する法律が存在するとしたら、その法律が間違っているのである。
 その点、「皇位は世襲のものであって」という条項は限りなく怪しいが、だが、天皇の退位を否定する条項がどこにもない以上、明仁は自らの意思で天皇を辞めることができる。それはいささかも国政に関することではない。何故なら天皇は国政に関与しないのだから、国政に関与しない人間が国政に関与しない地位から降りることが国政に関与するはずがないのである。
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