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健康診断

 きょう健診へ行ってバリウムを飲み、下剤を飲んだので、集中してものを書けない。高森報告はまた後日。齢を取ったら、いい加減健診はやめるべきではなかろうか。いまさら悪いところが出てきてももう手遅れだし、かえって身体に負担をかけるだけだ。
 生きている間にしておきたいことは増える一方で、未練はあるのだが。
 むかしから読みたくて読めずにきた本が多いのに、読みたい本が新たに増える。無駄に過ぎた日々を悔いるばかり。

福岡市長選

 神谷貴行は落選した。だが善戦だろう。他の首長選ではどこも共産党は当選者の票の一割ほどしか取れないのに、福岡で神谷は3分の1は取った。善戦だ。
 ほかの都市でもせめてそのくらいの闘いをやりたいね。

周防高森

 周防高森というところで、民主文学中国地区の研究集会をやった。山口県は、30年前、最後に出た研究集会が光市だったし、数年前、最初に出たのが下松市だった。どちらも海岸沿いで、光のときは駅から会場まで海岸沿いを一人で歩いた。その日、瀬戸内海としては波の高い日だったが、その、ずっと続く海岸線が妙に心に残っている。文学への関心が薄れ始めていたときだった。
 いまも、若かったころのような情熱が戻ったわけではないのだが、かろうじて、関心だけは残っているようだ。
 周防高森をご存知だろうか。
 新幹線の新岩国駅からは足がない。したがって広島駅で山陽本線に乗り換える。エスカレーターを降りて山陽本線のホームへ出たところでぎょっとした。すごい行列である。狭いホームに人が溢れていて、何列もの行列ができている。快速があると調べてきているのに、ない。普通電車だ。とりあえず並ばねば乗り損ねるというので再後列を探して並んだ。電車が来て、行列が進んでいく。しかし、見るともう満員だ。でも乗らねばならない。押しまくって乗る。乗れば今度は押される。まるで大都会並みのラッシュだ。
 何とかわれわれ数人の面々は乗ることができてスタートした。広島駅を出ると、市中の駅に何度か停まる。数人が降りるが、また群衆が乗り込んでくる。もはや立錐の余地もなし、人々の間でつぶされてじっと耐えるのみ。
 そのころになって遅まきながらやっと気づいた。広島から山陽本線を岩国に向かえば、その中間に何があるか。なるほど、そういうことか。だが、そこまでが遠い。何度か停まり、何人かが降り、何人かが乗る。降りる人も死に物狂いだ。人を掻き分けて降りる。
 やっと、着いた。宮島だ。ほとんどの客がそこで降りて行った。
 岩国に近づいていくと、海岸は工業地帯である。工業都市のど真ん中で岩徳線に乗り換える。岩国、徳山(これも工業都市)を結ぶローカル線で、ここから、海岸を走る山陽本線と別れて山の中に向かう。何もない山のなかだ。列車は一両だけ。客もまばら。何度か停まる駅はすべて無人駅である。町なんかない。農家がぽつぽつとあるだけ。いったい、こんなところにホテルがあるのだろうかと不安になってくる。
 何度かトンネルに入る。トンネルを出ると樹と樹の隙間を縫って走る。いまにも接触しそうなところを走る。さすがに運転手も低速運転をしている。ところがいったんトンネルに入るやいなや、猛然と飛ばす。それも狭苦しいトンネルのなかを猛スピードで走るので、その摩擦で、空気がすごい音で叫んでいる。ずっと叫び続ける。最後のトンネルはとても長い。いつまで待っても出ない。地獄につれていかれるのかと思うほど長い。
 と思っていたらやっと出た。あとで聞くとこのトンネルは3キロ以上あるのだそうだ。1メートルの単位まで精確に教えてくれる人がいたが、当方は覚えられない。
 町がある。高森の町だ。山のなかにも町はあるのだ。駅前には広場があり、そこからまっすぐ街路樹のある通り、歩道もある。十字路には信号もある。その手前の牛肉食堂は満員で一時間待ちだ。右手のカレー屋に入った。

 高森から帰ってきても毎日忙しく、書く暇がない。とりあえず、カレー屋に入ったところで中断。続きはまた書く。

「送り火」追補

 書き忘れていた。15歳。女の子のことはわからないのだが、男の子なら、突き上げてくる性の欲望を扱いかねて、人それぞれではあろうが、多かれ少なかれ、頭の中の一角をそれに占められている年ごろだろう。
 ぼくはこの歩少年よりもずっと孤独な少年時代を過ごしたので、わからないのだが、歩少年のように日常的に同世代の少年たちとグループでいたら、歩は新参者とはいえ、ほかの少年たちは長い付き合いなのだから、そのグループのなかで、性の問題はそれなりに重要な位置を占めるのではなかろうか。まったく性の匂いがしない、しかも不良少年たちであるのに。このことに非現実感があった。
 結局、小学五六年生のいわゆるギャングエイジの話のように思えたのである。

高橋弘希「送り火」第159回芥川賞

 文章(とりわけ風景描写)の美しさ。若い作家なので、びっくりした。ありふれた風景をありふれた言葉で書いているだけである。それなのに、言葉がすっと頭に入ってきて、豊饒な世界が読む者の目の前に展開する。こんな文章が書けるか、と自問するが、とても書けそうもない。どこが違うのだろうと考えるがよくわからない。たぶん、書かれていることに過不足がないからだろう。じつに丁寧に、身辺の、目に触れるものをひとつひとつ書き込んでいくのだが、そこにしつこさがない。適度なのだ。風景ばかりではない。人間の書きかたもそうだ。しつこく書かない。簡単な一言ですっと描写する。その一言に何の特異なこともないのだが、にもかかわらず、個性が描き出され、そして……じつは、そこに謎が生まれる。
 気持ちよく読んでいきながら、でもなんとなく、これがこのまま終わるはずがない、という感覚を覚える。そういう感覚を生み出す仕掛けがどこかにあるのだ。それはつまり、あまりにも淡々と描写が進んでいきすぎるせいなのだろうか。書きすぎまいとする姿勢が見えるので、何かが隠されている、と感じてしまう。そして、それがぎりぎり最後になって突然堰を切る。
 やはりそうだったか、とは思うが、その堰の切り方が尋常ではない。予想をはるかに超えてしまう。正直言って読むのが嫌になるところまで行ってしまう。何故ここまで行くのか、せっかくの美しい情景がすべて無駄になったではないか、と思ってしまう。
 だが、もちろん、作者は最初からそこまで行くつもりだったのだ。そのためにそこまでの90パーセントを美しく美しく書き上げたのだ。結末をより際立たせるためである。
 小説だから読み方は人それぞれでよいのだが、ぼくには次のようなイメージを突き付けた。
 美しい描写のすべてが、即ち偽善の描写である。歩という中学三年生の都会からの転校生と、その両親の、おだやかな日常こそが虚偽の世界である。中学生としての最後の一年間をこの田舎の学校で過し、春が来たら去っていって二度と帰らない、思い出しもしない。その一年間を要領よく立ちまわって、仲間はずれにもされず、必要以上に仲間を傷つけもせず、さりとて手助けもせず、極力自己保全に努めて無難にやり過ごそうとしてきた歩少年が、最後にその化けの皮をはがされ、たぶん殺されてしまう、というショッキングな物語なのだ。
 見て見ぬふりを決め込んで、安全に快適にやり過ごそうとする我々一般の姿が、そこにさらされているだろう。
 もうひとつ感じさせられたのは、コミュニティというものの偽善だ。コミュニティという偽善の背後に隠されている悪意の存在だ。ここに描かれたような極端な形で表に出てくることは現実にはないが、そういう悪意の精神性は、しばしばコミュニティのどこかに隠れている。

 さて、それで、作品としての出来ばえはどうなのだろう。上に述べたようなことを感じさせてくれたのは作者の功績だが、それにしてもラストのもの凄さにはちょっと引かされてしまう。美しさはほんとうに偽善でしかありえないのか。かくも無残に打ち壊される必要があったのか。という疑問を捨てきれない。
 問題作ではあるが、愛読書となり得るかどうかはわからない。

 リアリティという点では、最初から問題があった。晃の父親は、1979年に中学校を卒業している。つまり15歳である。仮に晃が父親の25歳のとき生れたとすれば、晃は1989年の生まれである。晃が中学三年生になるのは15歳であるから、2004年である。この小説の舞台は2004年ということになる。作者は1979年の生まれであるから、自分より10年あとの子供たちを書いたことになる。
 それにしては、子供たちの遊びが古めかしい。いまどき、カード博打や、相撲で遊ぶ子はいない。だから子供たちの姿にはずっと違和感があった。
 だが、もちろんそんなことは作者は百も承知なのだ。作者自身、子ども時代は漫画とファミコンゲームだったと言っている。だから作者は時代的リアリティを犠牲にして、異世界の子供たちを作り上げたのだ。そうでなければこの世界を書けないと判断したのだろう。その当否はよくわからない。

 どうなのだろう。ぼくがこの作品から感じとったようなことを表現するのに、もっと現実的な方法はなかったのだろうか。
 というようなことを考えさせられるが、それにしても、この若い作者の文章力には脱帽である。このような文章には長いこと出合わなかった。

良い通俗性と悪い通俗性

 こういう考え方はいまふと思いついたのだが、その思いつきを書く。

 悪い通俗性。
 書かねば読者にはわからないだろうと思って書きすぎるのが悪い通俗性。書かなくても誰にでもわかることもあれば、小説を読み馴れていない読者にはわからないことというのも確かにある。それを書いてやるのが親切のように思うかもしれないが、分かる人はそこまで書かれると通俗的だなあと感じ、読みたくなくなる。
 誰に向けて書くのかということかもしれない。通俗的になってもよいから親切に書こう、という立場もあるかもしれない。
 そのときそれは文学としては評価されないことを覚悟すべきだろう。文学はある程度は読者を選ぶ。これはしかたのないことだ。

 良い通俗性
「カラマーゾフ」「悪霊」「罪と罰」いずれも豊かな通俗性の上に成り立っている。つまりストーリーが面白い。
 誰だったか、「民主文学」誌上で、通俗性の三要素という形で、その一つにストーリー性を上げていた。ストーリーがあってはならないというのではないが、ストーリーで読者を引っ張るのは通俗小説で、そういう小説は一度読んだら二度目は読まない、と書いていた。だが、そんなことはない。むしろ、ストーリーが面白ければ何度でも読みたくなるし、ストーリーの面白くない小説は二度と読みたくない。
 ドストエフスキーのすばらしさは、ストーリーと、人間観察と、その批評性の高さと、豊かな情緒と、そして含蓄深い哲学とが、見事に溶け合っているところだろう。
 一方でサルトルの戯曲はいずれも、わかりやすい通俗性の高いストーリーで構成されていて、その劇的構成の見事さで昔ははまったが、いまあまり読み直す気がしない。人間の書きかたが類型的だったかなという気がする。
 類型――これは悪い通俗性だ。これも某氏の通俗の三要素にあったかもしれない。
 だが、それも微妙な問題なのだ。個性は必要なのだが、個性が類型になると悪い通俗性になる。逆に写実を重んじると、人間が平板になる。つまり自然主義の作家たちだ。人間を現実的に書こうとして、じつは現実から離れてしまう。だって、書かれてしまうことの出来る人間というのは本当にはいないからだ。人間には必ず謎の部分がある。書けない部分がある。書き残さねばならない部分がある。

 ということで、どこへ転がっていくかが見えなくなってきたので、このへんでやめる。

「争議生活者」

 ネットに「いすゞ争議が全面解決」という記事があり、「よかったね」という感じで書かれていたので、負けたのに何がよかったのだろうと不思議に思っていたら、和解が成立していたのだ。しかしその和解内容については表に出さないという約束になっている。金額が表に出ると、企業にとっては面白くない。喋らないという約束で合意したのだ。
 そんなものかなと思うが、なんだか、人質事件に似てるね。身代金を払ったということも、その金額も喋るわけにはいかない。

「争議生活者」は「時の行路」の第三部だが、前二冊とはがらりと趣きが違う。和解が成立し、一応ケリがついたので、作者は自由に筆を揮えるようになったのだ。一部、二部では相当我慢していたのだろう。
 記憶を「思い起こして」語る場面が少なくなり、ジャストタイムの場面が増えた。そして登場人物たちが生き生きと肉声で語り始めた。
 書かれている内容は、主人公五味洋介の妻の病臥とその思いがけずあっけない死とである。それをめぐる人々の葛藤である。そうなのだ、葛藤が初めてジャストタイムで、読者の目の前で繰り広げられる。
 やはりこれがなければ小説ではない。オブラートの向こうの葛藤では駄目なのだ。一部二部で言えば、裁判闘争が読者の目の前でたたかわれるべきだった。誰かの記憶のなかではなくて。
 妹(夏美)を愛しているがゆえに、妹をつらい目に合わせた洋介を許せない姉の光江。同じく洋介に激しい怒りを持っている、妻(夏美)の母の弟(達吉叔父)。寡黙な態度で暗に洋介を責める光江と、怒りを直接にぶつけてくる達吉叔父と、この二人の登場場面はそれぞれ圧巻である。
 ひるがえって、洋介とともにたたかってきた佐伯が、たたかいの前途への不安をぶつけてくる場面(これが和解へとつながってくるわけだが)、このときの佐伯の率直な感情の表出には、初めて争議生活者の肉声を聞いた覚えがした。
 そして、娘綾香の登場。親族のなかで孤立している父親への愛情と思いやり、父親のために弁当を買ってくる場面。そのあと、彼女がメールで知らせてくる、母夏美の最期の言葉。
 これを読むのは二度目だが、この場面では不覚にも、またも泣かされてしまった。
 電話で父親の気づかなさを責める息子の言葉も生きている。そして洋介に冷たい目を向ける親族たちのなかで、夏美の両親が洋介に対しそれぞれ示す思いやりとおだやかな謝意。

 これらの生き生きと浮かび上がってくる人物像たちのなかで、だが、なぜか洋介の存在感は薄いのである。
 何故だろうと考えてみた。結局、一部二部の中で洋介の人物像はある程度固まってしまったので、三部に来ていきなり別の人物像を示すわけにはいかなかった、ということなのではないか。
 ほかの人物たちは、佐伯も含めて、一部二部ではほとんど出番がなかったので、三部で自由に作ることができた。洋介だけはそうはいかなかった。
 ほんとうはこの小説は三部を書き始めたその時点で、一部から書きはじめられるべきだったのかもしれない。すべてが終わって、なんの考慮も要らなくなってからなら、作者も自由に書けた。
 だがそれなら小説はたたかいに参加できなかった。同時進行でたたかいを側面支援する、そのことにこの作品の意義を見るべきなのだろう。

 そのほか全編通して、作中気になったこと。
1、「のだった」がたいへん多い。ページによっては見開き二ページに十箇所以上ある。記憶場面を書いているからそうなるのだろうが、作者の口癖でもあるかもしれない。小説を書くときの作者の構えから自然に出てくる言葉なのかも。読者としては気になる。
2、高橋源一郎が、詩は要らない言葉を削ぎ落すが、小説はほとんど要らない言葉ばかりであると言った。その意味はもちろんよくわかるのだが、でも、それでも限度がある。
 田島一の小説には要らない言葉が目立つのだ。
 一箇所しか例を上げないが、似たようなところはいたるところにある。
 17年5月号P14上段
「冷たい風が容赦なく洋介の身を打ちつけてきた。身震いするような冷気だった。
 ――これが世間の風か……。
 洋介はコートの襟を立て、思わずつぶやいていた。」
「ここで、つぶやかないで欲しい!」と思わず口に出てしまう。つぶやくところまではまだしも許しても、重ねて「つぶやいていた」と書かれると非常に通俗的なにおいがする。
 同下段
「吹き付ける風が身に入るのを防ごうとして、洋介はマフラーを巻きなおした」
 どういう理由で巻きなおしたかまで書いては、書きすぎである。読者の想像する余地を奪いとってしまう。

 むかし詩を書いていた人が小説を書いて、「小説は詩のように書いてはいけないのだな」と言った。それはそのとおりだが、その人の小説はそれでも詩的で、美しかった。本人は一生懸命詩的要素を削ぎ落したのだという。
 小説も、ある程度は詩のようであってほしいとぼくは思う。やはり無駄な言葉は出来るだけ省いてほしい。
 高橋源一郎が、小説は無駄な言葉で成り立っている、と言ったのはまた別の意味なのだ。場の雰囲気を作り出し、人物のイメージを描き出すために、本来ストーリーにとっては必要でないことを、たくさん書かねばならないのが小説であるということだ。
 必要な無駄とはそういうものであり、逆に読者になにかを押し付けて読者の想像の余地を奪うような無駄な言葉は要らない。それが小説の悪しき通俗性である。良い通俗性についてはここには書かない。それはまた別のテーマになってしまう。

18年2月号座談会

 この座談会の存在を思い出させてくれる人がいて、一度読んでいるのだが、読み直した。
 以前読んだときには草薙秀一「ランドロワ・イデアル」の件だけが印象に残った。最後に「争議生活者」に触れている。
「同時進行で書くことを選択した困難もありました。良く知られている争議ですので、読者は事実としての物語を求める一面もあるわけです。もちろん虚構を構築しないと絶対あの世界は書けないのですけれど、そこをどうするのかという問題ですね。やはり事実に引きずられると小説は面白くなくなるわけです」
 何故ドキュメントで書けなかったのか、という問いには答えていないが、作者自身、困難を感じていたのがわかる。
 小説を面白くしようとすればフィクションは欠かせないし、人物はある程度キャラを立てねばならない。人間の魅力とは何か、と言った場合、往々にしてそれはその人の欠点なのだ。欠点が人を人間らしくする。しかし裁判闘争中であるから、その当事者にありもしない欠点を作ったりできない。もしありのままの欠点があるとしても、書くことを憚ってしまうだろう。
 いま「争議生活者」を読んでいる。この作品は「時の行路」とかなり雰囲気が違う。読み終えたら何か書く。

 話が違うが、この座談会を最初に読んだ時、「みんなでいっしょに肩をたたいて仲間内で励まし合いながら、手をつないで沈んでいく。それではいけないのではないか」というセリフが印象に残った。誰のセリフか忘れていたが、先輩の言葉として田島が言っている。民主文学の批評が、ストーリー紹介と誉め言葉に終わって率直な批判がない、という文脈での発言である。
 座談会自体は、丹羽郁生の赤旗連載小説と、ランドロワ・イデアルとにかなり率直な批判を加えている。丹羽作品は読んでいないので当否はわからないが、率直な批判は必要だ。批判を嫌がる人には書く資格がない。

文体の問題

 もうひとつ、「時の行路」が読みにくかった理由を挙げる。
 読点を打つ個所の問題なのだ。
 これについては「ふくやま文学」の中山茅集子がふくやま文学館での講演で語っていた。
 あるとき彼女は井伏鱒二の作品を筆写してみたのだそうだ。すると読点を打つ箇所が井伏と自分ではぜんぜん違うことに気づいた。そして彼女の言うには、これはその作家の息を継ぐ箇所なのだ。自分が息を継ぐ箇所に作家は読点を打つ。これは一人一人違う。それが、その作家の身体リズムであり、生命であり、そしてそれが、その作家の文体なのだ、と。
 なるほどと思うので、あまり人の読点の位置をとやかく言いたくないのだが、それが自分の位置と違うと、どうしても違和感はある。
 田島一の文章は、ひとつのセンテンスがやや長い。ひとつのセンテンスのなかに複数の動詞が入ってくる。名詞を修飾する語がやや長くなるので、修飾される単語の直前で、氏は読点を打つ。その読点の直前がいつも動詞である。
 きょう書いた「とりあえずのまとめ」のなかから例をあげよう。
「続」P50「変かもしれないけれど、みんなのために生を貫こうとしたから多喜二を殺した、支配者の」 
 同じく。「わたしが多喜二のノートに出合った余韻をまだ残している、昨日のことだった」
 上の文章では、「変かもしれないけれど、みんなのために生を貫こうとしたから多喜二を殺した」という文章が「支配者」を修飾している。「殺した支配者」なのだ。ところが田島氏は「殺した、支配者」と、あいだに読点を打つ。
 下の文章も同様である。「余韻を残している昨日」なのだが、「余韻を残している、昨日」とあいだに読点を打たねば気が済まない。こういうセンテンスが非常に多い。
 ところがぼくは読点があるとそこで息を継ぐので、そこで意味がいったん終了してしまう。というのは読点の前がいつも動詞だから、そこでいったん文章が完了したように錯覚してしまう。その動詞が次に出てくる名詞にすぐにつながらない。
 氏の文章は必ずこういう構文になっている。いたるところに出現する。
 文体なのだからとやかく言えないのだろうが。

「時の行路」とりあえずのまとめ

 正・続を読み終え、いま、「時の行路」第三部というべき「争議生活者」の読み直しにかかっている。この作品は、一年半前「民主文学」に発表されたときにすぐ読んだ。もともとの主人公「五味洋介」に立ち返り、彼と彼の家族を書いている比較的小説的な部分だった。だが、すでに記憶があいまいなので、これについては読み直してから語る。
 今回、今年3月号の、田島一と山口宏弥の対談を読んだ。山口宏弥は元日航パイロットで、解雇されて争議をたたかっている人である。この対談は面白かった。これも雑誌が出たときに読んだ記憶があるが、今回「時の行路」正・続を読み終えていたのでまた違う感慨があった。
 しかし、その前に、14年8月号の牛久保建男の文芸時評に触れておきたい。
 牛久保はガルシア・マルケスから語り始める。マルケスが1982年のノーベル賞受賞演説で述べた言葉。
「信じがたいわれわれの日々の生活を語るには従来の慣習化した手法では不十分なので、それをいかにして乗り越えるかがわれわれにとって最大の挑戦だからです」
 牛久保はマルケスのこの言葉を引用して、2008年に始まったいすゞのたたかいを描くことも「従来の慣習化した手法では不十分なので」作者のとった方法はあくまで裁判闘争を軸としたたたかいの事実経過を機軸におくということだった、と述べる。「それは作者の自由な手をしばることであるが……権力のふるまいは安易な創作を拒否するほどにひどいものだ」とすると……「それなら小説でなくともいいではないかという反論があるかもしれない。たしかにそうだ。しかし、この作品のようにいすゞの非正規社員を切り捨てる権力の乱暴狼藉の舞台を描いたルポルタージュがあるだろうか、報道があるだろうか。私たちは『時の行路』によってその実際を初めて知ることができるのである。そのことの意義をまず承知しておく必要があるだろう」
 牛久保がこう述べたのは正論だ。誰かが、何らかの方法で世に知らしめる必要があった。そのことの意義はまず承知しておくべきだろう。
 報道によると、いまこの作品の映画化の運動が沸き起こっている。赤旗連載のときの挿絵画家中西繁(かなり有名な画家らしい)がプロデューサーとして動き、脚本化が進む一方、一億円の目標で募金運動が起こっている。高知の女性がポンと百万円出して、「返却無用、映画が完成したらチケットを何枚か下さい」と言ってきたそうだ。
 何十万の読者を持つ日刊紙赤旗で半年ずつ二度にわたって連載され、やはりそれなりに読まれたのだ。そしてそれがこの問題への世論喚起に相応の役割を果たし、裁判に影響を与えた。
 だから百万をポンと出す人も現れる。
 まずその意義は承知しておかねばならない。
 結果的に裁判は負けた。だが、少なくとも初期においては世論は確かに大きく動いたのである。リーマンショック自体が大事件であった。膨大な解雇騒ぎがあり、日系ブラジル人たちが仕事を失い一斉に帰国する。「ハケンのお仕事」がもてはやされたのはその直前だったのだ。だからいっそう、派遣切りが目立った。その負の面がいっぺんに露わになったのだから。湯浅誠は年越し派遣村を開いた。
 こういうなかで裁判ははじめ有利に進展する。そのころのネット投稿を見れば、「この裁判に負けるようでは日本の労働者は奴隷だ」などと勝利を確信しているようなものがある。
 だがいつの代も世論は浮気っぽい。企業がメディアに影響力をふるったかどうか(広告料を通じて)は不明だが、いずれにせよ、世論はあてにならないということは常に肝に銘じておく必要があろう。次第に人々の関心は遠のいていき、2011年の大事件が決定的に派遣切りを過去のことにしてしまう。世論が関心を失えば裁判は終わりだ。
 我々はたたかいの実際を小説によって知るが、それはとても悲惨な生活である。そうまでして、たたかって負けた。いったい何の意味があったのかと問いたくなる。
 ところが、ネットに面白い記事がある。
 いすゞはいまも大量に派遣を使っているが、派遣に対する会社側の態度が奇妙なほどにやさしいというのだ。そのせいで、まともに働かない派遣がいる。おかげで真面目な派遣が迷惑するが、社員に言っても対応してくれないというのだ。つまり真面目な派遣労働者がネット投稿している記事なのだ。
 もちろんネットにはなりすましが多く、百パーセント信用することはできないが、いすゞのほうも裁判に懲り懲りして、派遣労働者に対して気を使っているというようにも受け取れる。
 だとすると、五味洋介たちは裁判に負けたが、成果は残した。無駄ではなかったかもしれない。そうだ、人のしたことは必ず何らかの影響は残す。無駄なことというものはない。

 ということはひとまず置いて。
 小説としてはどうなのか、それを問わずに終わらせるわけにはいくまい。
「それなら小説でなくともいいではないかという反論があるかもしれない。たしかにそうだ」と牛久保氏が言っている。
「それは作者の自由な手をしばることである」事実に制限されて空想力が羽ばたかない。
 そのことを作者本人が述懐している。作者と山口宏弥との対談に戻ろう。
 田島「作品は、ほぼ同時進行で書かせていただいたのですが、いすゞのたたかいというのは世間によく知られていますので、そこからの大きな逸脱は簡単にはできません。小説の本来のありかたからしますと、とにかくいすゞに限定しない形で大きく広げてどんどん虚構の世界をつくって書いていくという方法も考えられたのですけれども、ただ私は、いすゞ自動車の争議というはっきりした舞台をすえて、そこでたたかう人たちと一緒に歩みながら書いていくという選択をしました。ですから、これは作品の長所と言えるかもしれませんが、同時に短所にもなりまして、結局、取材に引きずられて自由に筆をふるえないという制約はやはりあったのです」

 ここがこの作品の一番のネックになっている。とりわけ係争中の事件であり、しかも作者はその一方の側に立っているので、あまり事実から逸脱するわけにはいかなかったのである。
 だから、五味洋介をはじめ、登場人物たちがいずれも存在感が薄い。抜きんでた個性がないからだ。そのような個性はふつう小説的フィクションによって作り上げるものだからだ。
 いっぽうで、由香里と高嶋の二人、特に由香里は生きている。小説的人物たり得ている。読みながら、この人はたぶんフィクションだろうとにらんでいたが、作者自ら暴露している。いすゞ以外の場所で出会った人をモデルに自由に創造したと。つまりここでは従来の方法が可能だった。
 だが、「従来の慣習化した手法では不十分なので、それをいかにして乗り越えるかがわれわれにとって最大の挑戦だからです」
 そうなのだ。文学は常に新しい手法を必要とする。しかし、それを乗り越えることができたかどうかが、問われることになる。

 すべての章が「……のだった」と始まり、「……しながら思い起こしていた」と書き継がれ、「思い起こしていたら……は終わっていた」で終わってしまうという間接話法は何のために必要だったのか。なぜジャストタイムで書くことができなかったのか。
「続」の第六章「虚言」P126「腕時計に目をやると、六時を過ぎたところだった」「カバンからノートを取り出し、福武は書きなぐったページを開いてみた」
 P136「公園のベンチで、今日一日の出来事を整理していた福武は、カバンを肩に掛けて立ち上がった。時刻は六時前であったが」
 六時を過ぎたころから10ページにわたって考え事をして終わると、六時前になっている。この人の時計は逆回りする。
 というくらいに現在時刻は無視されて、思い起こしたことばかりが書かれる。

 五味洋介が実在の人物であり、裁判闘争の中心的人物だから特に書きにくいというのはわかるが、もう少しどうにかならなかったか。
 彼は元営業マンであり、店長だった人物である。失敗はしたが自分で経営したこともある。たたかいが始まってからも、話すことが苦手な労働者たちに代わり、オルグにまわる。話すことが苦ではなかったと書いてある(「続」P22)。書いてあるだけだ。じっさいに話す場面がない。五味洋介の肉声が聴こえてこない。小説から受ける五味洋介の印象は、ぐだぐだと頭の中で考えごとばかりしている、いつも上の空のいたって無口で陰気な男である。説明と描写が食い違っている。説明ではそんな人物ではないはずだ。(「続」P232で洋介らしいセリフがやっとチラッと出てくる。こういうセリフがもっと欲しかった)

 日本語としておかしな文章が各所にある。
 一例。
「続」P50「変かもしれないけれど、みんなのために生を貫こうとしたから多喜二を殺した、支配者の」支配者がみんなのために多喜二を殺したと読めてしまう。どこが変なのかもわからないし、みんなのために生を貫くというのもなんのことかわからない。
 「人々のために生きようとした多喜二を、それが故に殺した支配者の」
 同じく。「わたしが多喜二のノートに出合った余韻をまだ残している、昨日のことだった」
 「多喜二のノートに出合った余韻がまだ残っていた昨日のことだった」

 こういうところがかなりたくさんある。

 とまれ、いろんな書きかたをする作家がいて、それを受け入れる読者がいる。読者のいるところに小説はある。だからどんな小説にせよ否定するつもりはない。小説はさまざまだ。
 ただ、自分はどういうものを読みたいかということはまたおのずから別問題だ。

 たたかいの小説で、具体的なたたかいの状況を書く必要はもちろんある。だがそれだけなら、それはむしろドキュメントの仕事ではないかという気がする。ぼくが小説に期待するのは、彼はなぜたたかうのか、ということだ。それはつまり主人公の精神の問題なのだ。人は状況だけでたたかうわけではない。心の中に何かが起こり、その結果たたかうのである。ぼくはこの心を作品のなかに見たい。
 いま「見たい」と書いた。それはまさに見たいのであって、解説を聞きたいのではないからだ。
 日本の伝統的自然主義私小説、あるいは心境小説と呼んでもたいして変わらないが、ぐだぐだと心のなかを書くやつ、あれはぼくの読みたい小説ではない。そういうものにはリアリティを感じることができない。人間の心はそういうふうには出来上がっていない。
 ぼくの見たいのは「シーン」なのだ。人の心が動く現場を目撃したいのだ。

 人間とは何か。
 心境小説は人間を作者の人形にしてしまう。現実にはそんなに理論立てて考えるはずのない人間の心を作者の意図通りに作り上げてしまう。作為が目立ち、リアリティがない。
 人間は外から見なければならない。外から見る人間だけが、現実にぼくらの前にいる人間なのである。その心は隠されている。ぐだぐだと見ることはできない。だが、その心が外に現れる瞬間がある。ぼくが見たいのはその「シーン」なのだ。

 どうなのだろう。ぼくらはもっとドキュメントを読まねばならないのじゃないか。ぼくらがドキュメントを読まないので、作家たちはドキュメントにすべき題材を小説仕立てにしてしまうのじゃないだろうか。

「時の行路」について

 まだ読書中だが、ほかの読者はどう読んだのだろうということが気になっている。
「民主文学」2014年8月号 牛久保建男「文芸時評」
「同」2014年10月号 馬場 徹 “「時の行路」の歴史イメージ”
 以上ふたつは読んだ。参考になった。
 ネットで検索するが、「時の行路」映画化(仮題「ハケン」)の話ばかり。派遣が大問題だという切実な声が多く寄せられているが、小説に関する感想がない。目にしたのはごく短いのが二件だけ。
 ほかに発表されているものをご存知の方、教えてください。
 あなたご自身の感想も歓迎です。
 コメント欄、もしくはメールフォームに。

スベトラーナ・アレクシェービッチ「チェルノブイリの祈り(未来の物語)」

 この本についてぼくの言えることは何もない。
 1986年4月26日、32年も前の出来事だ。なのにそれについて書いたものを初めて読んだ。恥ずべきことだろう。おそらく膨大な本がすでに出版されているはずだ。
 この本は事実関係にはほとんど触れていない。しかしそのわずかな記述にさえ、ぼくの知らなかったことがたくさんあった。
 89年が東欧市民革命、91年がソ連邦の崩壊だから、その直前の出来事、すでにゴルバチョフの時代である。
 ゴルバチョフは、ソ連邦解体を軟着陸させた偉大な男だとぼくは思っているが、その彼の下でさえ、チェルノブイリ対策はおよそ考えられないくらいにメチャクチャだった。共産党支配下の社会体制の無責任ぶりを見ると、日本社会がとても健全に見えるほどだ。
 だいいち放射能の何であるかを、かの地の国民はまったく知らない。そういう状態なのだ。
 だが、その日本でも、いまだに原発をやめようとしない。大陸でさえあの惨状なのに、逃げ場のない小さな島国でどうするつもりだろう。

 この本に書かれているのは、あの災害に巻き込まれたさまざまな立場の人たちの、語る言葉である。老若男女、お年寄りから子供たちまで、何十人もの人々が自分の体験を語っている。抽象的な話ではない。具体的な体験である。だが、単に外的体験のみではない。その精神に受けた体験をこめて語っている。
 彼らは観察者ではないのだ。当事者なのだ。自分たちの命に関することなのだ。そこで人生が終わってしまうという問題なのだ。
 語っているのはいずれも普通の人々だが、当事者たちの語る言葉は、いつか哲学的な深みを持ってこざるを得ない。
 そういう意味でこれはすぐれて文学なのである。

 ぼくらはすでに「渚にて」を持っている。あれも万人が読むべき本だが、これもそうだ。
 あれは小説で、これはドキュメントだが、どちらも必読の書である。

「訪れては、語り合い、記録しました。この人々は最初に体験したのです。私たちがうすうす気づきはじめたばかりのことを、みんなにとってはまだまだ謎であることを、でも、このことは彼ら自身が語ってくれます。
 何度もこんな気がしました。私は未来のことを書き記している……」

高野川

 賀茂川と高野川が出町で合流して鴨川となる。この合流地点にあるのが下鴨神社と糺の森で、糺の森を出外れたところに家庭裁判所のあるのが、なんだか符合していた。
 上賀茂神社はずっと上流になる。
 合流した後の鴨川も、合流前の賀茂川も、広い川幅で、ゆったりと流れているが、合流地点から高野川をさかのぼると、川幅は狭く急流で、音を立てて流れ落ちている。どのあたりだったか。ある夜、下鴨から東へ一人歩いていて、高野川にぶつかった。
 川岸に座って、しばらく耳を傾けながら、薄明かりで川の流れを見ていた。
 このとき不意に、鴨長明てすごいことに気づいていたんだなと思った。流れていく水は瞬間瞬間別の水なのに、流れの形は変わらないのだ。その夜ぼくはかなりつらい気持ちでいたのだが、ふと浮かんだそんな考えになにか慰められるような気がした。
「失われた夜のために」のなかでは、嵐山の渡月橋(桂川)の堰を思い浮かべながら書いたが、実際にぼくが体験したのは、高野川で、それも夜の一人歩きのときだった。

紙屋川

 紙屋高雪の名を初めて見たのは、浅尾大輔が責任編集をしてかもがわ出版から出していた「ロスジェネ」誌上だった。それはぼくが退職して文学に戻り始めていたころだ。赤木智弘や雨宮処凛が登場した刺激的な時代だった。渥美二郎もその誌上で初めて読んだ。あの雑誌には面白い人間がそろっていた。
 いかにもペンネームぽい紙屋高雪という名から、この人は京都に違いないと思った。紙屋川の高い雪なら京都だ。案の定、京大だった。しかし本名が神谷貴行だというのは意外だった。でもないか、ペンネームを使いたくなったわけが呑み込めるような(堅苦しい)本名だ。
 で、きょう書きたかったのは、紙屋高雪のことではない
 紙屋川のことだ。
 それは都市の、民家の密集しているあたり、少し広い道路の地下へと潜り込んでいく、コンクリートの深い谷間の、はるか底の方を流れている川だった。
 そのいかにもアンバランスなありようが印象に残った。つまり、都市空間に峡谷を持ち込んだような。あるいは秘密基地のような雰囲気。
 それがどこの通りだったのかが思い出せない。そんなに何度も通った道ではない。だからよけい記憶に刻まれた。北大路通か、いや待てよ、もっと狭い道だったような気がするぞ。
 地図で調べてみると、北大路のようだ。北大路が西大路へと南に90度曲がる少し手前のところで、紙屋川が道路の下へもぐりこんでいるようだ。ぼくはたぶんその通りの北側の歩道を西に向かって歩いた。川はコンクリートの深い峡谷となって北の方角から流れてきて、道路の地下へと潜り込んでいた。
 川の名前が印象に残ったのは、たぶんそのあたりに表示があったのだろう。強く印象付けられながら、どういうわけかぼくはその川のことをそのポイント以外には何も知らなかった。二三日前まで知らなかったのだ。
 今回初めて地図をあたってみる気を起こした。すると、それは光悦寺を通って鷹峯を流れ落ちてくる川なのだ。ぼくは北大路から坂をてくてく登った鷹峯にいっとき下宿していた。光悦寺よりはかなり下だったが。
 その下宿のすぐ裏に開けた河原があって、ときどき散歩した。それが紙屋川だったのだ。そのいかにも山のなかののんびりした感じの川が、北大路まで下るとコンクリートの深い峡谷となり、やがて道路の地下に潜り込む……
 ぼくはそのことを知らなかっただろうか。わからない。紙屋川として覚えているのは、コンクリートの峡谷だけだ。知っていたのかもしれないが、記憶として残ったのは、別々の川としてだ。
 その上今回初めて知ったのだが、この川はやがて北野天神に流れ込んで天神川と呼ばれることになる。ぼくは北野天神も何度か参ったが、そこに川があったという記憶がない。

紙屋高雪と福岡市長選

 驚いた。きょう久しぶりに浅尾大輔のブログを開いたら(最近の彼のブログはお弁当シリーズになっていてなんだか開きにくいのだ)、神谷貴行が福岡市長選に立候補すると書いてある。しかも浅尾大輔の友人と書いてあるから、これはてっきり紙屋高雪に違いない。ネットで確認するとそのとおりだった。
 この人にどれだけ助けられたかわからない。この人の書いた町内会の本を二冊も読んだ。それですっかり楽になった。町内会で悩んでいる人はみんな読めばいいと思う。
 会長をやれと言われたとき、この町に越してきてまだ6,7年だった。しかも最初の一年半はいわば単身赴任状態で、妻はまだ来て5,6年というところ。しかもそもそも、町内会というものが存在するところに住んだ経験がない。ここへきて回覧板が生き残っているのにびっくりした。そんなものせいぜい第二次大戦前か、負けて以後の十年くらいの間だと思っていた。ところがここにはあるのだ。回覧板も、町内会も。
 福山は子供時代に住んでいた土地だが、離れて半世紀、しかも越して来たところは、これもそもそも福山じゃない。昔は福山じゃなかった。郡部だった。右も左もわからない場所で会長をやれと言われて、たまたまネットで知り合った人に紙屋高雪の町内会本を勧められて読んだ。これが正解だった。すごく楽になった。
 ぼくの上の娘と変わらない年ごろのまだごく若い人だが、頭がよくて、物事をわきまえ、行動家でもある。ぜひ当選して欲しい。
 がんばれ、神谷貴行、紙屋高雪。

「樹宴」15号発行

大丘 忍「山村の秋」(32ページ)
 教授選挙に負けたがわに付いて大学を追い出された相模は、いっとき自暴自棄になるが、四国の無医村で医者としてのやりがいに目覚めていく。息子が家出して訪ねて来、それを追って田舎嫌いの妻もやってくる。勝手の違う田舎の人々だが、妻はいつしか馴染んでいく。
 素晴らしい出来栄えである。感動必至、ぜひ一読願いたい。

守屋陀舟「綿毛」(15ページ)
 作者には珍しい現代都会物。しゃれた描写のそこここに、何やらいろんな謎が隠れていそうだ。例によって油断できない守屋ワールドである。次回に続く。

池田忠昌「サンフランシスコに暮らして」(7ページ)
 今回人種問題を扱っている。実際に暮らしている人ならではの実感のこもった連載である。

木沼駿一郎「流山」(後編)(28ページ)
 前編と無関係に読める。都会の片隅に生きる男女の生活描写である。

石崎 徹「失われた夜のために」(54ページ)
 読みにくいところを大幅カットするつもりだったが、迷いがあって、できなかった。飛ばして読んでください。孤独な青春の物語。共感できるところを見つけてくだされば嬉しいです。

 注文先
125-0032東京都葛飾区水元3-1-14-204深井方
樹宴文学同人会
TEL03-3600-2162
mail;kofu65y@yahoo.co.jp
定価の記入がないのでお問い合わせください。

 手元に5冊あるが、「まがね」メンバー用である。たぶんいずれ増刷するつもりだが、いまのところ余分がない。

「時の行路」の条件

 あいかわらず毎日、町内会関係でふりまわされ、それでも、まだ現役で働いている人たちに比べれば当然時間はある筈なのだが、不器用なたちなので、なかなか文学に戻れない。
「続・時の行路」もまだ来ていないのだが、「チェルノブイリ」もまだ読み終えていない。

 それでも頭の中ではあれこれと考えている。
「時の行路」にはいくつかの条件があったと思う。
1、新聞連載である。
 このことは作品に対してかなり大きな制約となるのではないか。ぼくは連載を読んでなくて本だけなので、どこでどう切れていたのか、どうつないだのか、また本にする際に手を入れたのかどうか、ということはまったくわからない。
 新聞連載というのは、たいへん少ない字数でともかく毎回形にせねばならない。思っただけでも難しそうだ。
 漱石作品はどれも新聞連載なのだが、ぼくらは本で読む。ところがこの数年、朝日新聞が一連の漱石作品を昔のとおりに連載した。
 その時に「おや」と思ったのは、「門」だ。本で二回は読んでいるが、どうにもぴんと来ない作品だった。それを新聞連載で毎日少しずつ読むと、それなりに面白いのだ。
 つまり新聞連載用に書いた作品には、それ特有のスタイルがあって、ものによっては本では読みにくくなるということもあるだろう。

2、現在進行中の事件を、そのさなかに、事件の進行につれて書いている。
 これもまた、たいへん大きな制約だろう。
 制約というはおろか、ちょっと考えてみれば、まるで不可能な冒険に思える。どう進んでいくかわからない事件を追いながら、しかもドキュメントとして書くのではない。フィクションを創り上げるのだ。だがまるきりフィクションになってしまうわけにはいかない。あくまでも事実に沿わねばならない。
 スベトラーナ・アレクシェービッチは「チェルノブイリ」を書くのに10年かかった。
 彼女は事件後すぐ現地入りして取材したが、そのときには書けなかった。その間にチェルノブイリに関したくさんの本が出た。彼女は10年経ってやっと書いた。
 田島一には、おそらく10年待てないという気持ちがあったのだろう。労働者たちが徒手空拳で大企業相手にたたかっている。これを側面援助したいという気持ちが彼に筆を執らせたのだろう。

3、そういう意図があるから、これは単に文学的完成度だけを求めるわけにはいかない小説なのだ。
 ある意味では事実報告である。さまざまなケースを出来るだけ忠実に報告せねばならない。
 実際あのときさまざまなケースが起こった。田島一はそれを一つ一つ掬い上げていく。
 だから「ノーマ・レイ」のようには書けないのだ。たった一人の人物に絞るわけにはいかないのだ。

4、なぜ小説なのか。
 この疑問がどこまでもつきまとうが、いまの日本ではドキュメントがほとんど読まれないと言われている。その事情が関係しているだろうか。ぼくにしても、新聞雑誌の取材記事は読むが、本としてのドキュメントを読んだ記憶がない。「チェルノブイリ」が初めてのようなものだ。
 読まれるためにドキュメントをやめて小説にする、というようなことがあるだろうか。だが、小説にしたら読まれるのだろうか。
 歴史に関しては、ぼくはあまり小説を読まない。むしろ岩波新書を好む。作家が作ったものよりも、学者の研究成果の方が面白い。もちろん学術論文ではなく、素人向けの解説書だが。
 小説によって知識を得ようとは思わない。小説にはもっと違う役割があるだろう。
 でも、小説のほうが読みやすい、とっつきやすいという読者がたぶん大勢いるのかもしれない。その人たちに向けて小説で書くということも求められているのかもしれない。

「時の行路」と「ノーマ・レイ」

「時の行路」を読み始めて最初に浮かんだのは、アメリカ映画「スタンドアップ」と「ノーマ・レイ」だった。ところが「ノーマ・レイ」のタイトル名が思い出せず、「スタンドアップ」と混同していた。「スタンドアップ」も女性労働者の話で似たところがあるが、労働組合を扱っているのは「ノーマ・レイ」だった。もう一度観たい映画だ。1979年、わりと古い映画だ。
 ノーマが、たしか工場の作業台の上に立って、「UNION」と書いた紙を両手でかざすシーンが忘れられない。このシーンの故に「スタンドアップ」と混同したようだ。
 映画にとってシーンの重要性は決定的だ。シーンが印象に残ると、その映画をもう一度観たくなる。

「時の行路」最初の感想

 田島 一の「時の行路」を3分の2くらい読んだところで、町内会にふりまわされて一切の読書が不可能になり、中断していた。
 なんとかケリをつけて「時の行路」に戻ったが、記憶力の減退で、そこまでの話が思い出せない。あちこちページを繰って、記憶を取り戻すところから再出発した。
 登場人物が膨大なのだ。高校時代に読んだ「戦争と平和」もやはり膨大な登場人物だったが、人物を忘れるということはなかった。10代と70代との記憶力の差だろう。
 そこで提案。「戦争と平和」には人物一覧があった。また、ミステリーの場合はそんなに長くなくても必ず人物一覧がある。
「時の行路」にもそれを付けてほしかった。
 反省としては、読みながら登場人物のメモを作っていけばよかった。

 一応一冊めは読了した。「続」がある。いま本屋に注文している。さらにその続きもあるのだが、これは「民主文学」誌上で読んだ。

「続」を読まねばまだなんとも言えないが、いろいろ考えさせられている。
 ドキュメントタッチである。
 2008年のリーマンショックを契機としてあらわになった非正規雇用の一斉解雇、年越し派遣村をも出現させた一大事件、それをめぐって、派遣、請負、偽装請負、期間社員など、さまざまな形態による労働問題を、さまざまに取り上げている。ケース・スタディという感じ。そういう問題への知見を広げてくれる作品である。
 のだが、疑問も多い。
 ドキュメントタッチだが小説だ。似ている作品はないかと考えてみた。最初に思い付いたのは、ドストエフスキーの「死の家の記録」である。小説風に書いているが、ドキュメントだというところ。
 シベリア流刑地の囚人たちの描写である。膨大な人物が出てきて、話は行ったりきたり、ぴょんと飛んだり、舞い戻ったり、繰り返したり、誰が誰やらわからなくなり、正直読みやすくはなかった。
 だが、読んだ後、重量感のある印象が残った。トルストイが激賞し、誰やらが「ミケランジェロの絵だ」と言ったそうだが、まさにそういう印象が残る。
 形式的には「時の行路」もそんな感じである。だが、印象はまた別だ。

 一冊目の印象だけで書くが、第一に、「人物」が平板だ。ケースは書けているが、人物が必ずしも書けていない。
「死の家の記録」の人物たちは、どうしようもないような人生を送ってきた殺人者たちだ。一部に独立運動で捕まったポーランド貴族たちもいるが、ドストエフスキーが力をこめて書くのは、ロシアの荒くれ者たちである。アクの強い人物たちだ。そもそも、そういういかにも小説的な人物たちと比較することには無理もあるだろうが、小説だったら、そういう造形は必要なのではないか。現実社会では、誰しもが個性を見せびらかして生きているわけではない。だが、個性のない人間というのはいない。個性は隠れているだけだ。それを見つけ出すのが作家の仕事だろう。

 第二に、「絵」が浮かばない。
 すべてが「間接話法」なのである。「シーン」が直接描かれることがない。すべての「シーン」が誰かの記憶なのだ。
「誰か」というと主人公である。各章ごとの主人公だ。この作品では各章ごとに主人公が違う。その主人公が、<思い浮かべるシーン>が<思い浮かべる>につれて書きこまれる。「描写」ではなく、「記録」なのだ。

 たとえば、第四章では、由香里が主人公である。彼女は登場するなり、マイカーの窓を拭き始める。いまからそれに乗って出かけるためである。

 第四章 岐路 
P104下段 <このところ暖かい日が続いていたのに、今朝はめっきり冷え込んだ>
P105下段 <赤い軽乗用車の後部座席に紙袋を置いて、由香里はビニール袋の中の布を取り出  
      すと、フロントガラスをふきはじめた>
P107上段 <由香里は車をふきながら、早くも一ヵ月が過ぎた、あのころのいきさつを思い起
       こしていた>

 そしてそこから、延々10ページにわたって、由香里は<あのころのいきさつを思い起こす>のである。400字詰めに換算すれば20枚以上だ。

P116上段 <これまでの経緯を思い起こしながらボンネットをふいていると、いつの間にか車
      はきれいになっていた。わたしは布を片づけると運転席に座った>

 いったい、いつから車を拭いていたのだろうと思ってページを繰ってみた。章のはじめからなのだ。そりゃ、10ページもふき続ければ、<いつの間にか車はきれいに>もなるだろう。

 これが何箇所かだけだというのなら、かまわない。だが、全部で15章あるすべての章がこうなのである。主人公が同一人物なら、そういうタイプの人間だと納得もできよう。しかし、主人公は数人おり、各章ごとに異なる。その数名の人物がすべてこの調子なのである。
 自転車で走りながらであったり、電車の座席に座っていたり、そういうケースはまだわかる。ところが、会議の発言を聞きながらであったり、講演を聞きながらであったりする。主人公は常に何かを<思い浮かべる>。そして気付くと<講演は終わっていた>。
 この人なにをしに会議に行ったり、講演を聞きに行ったりしたのか。会議も聞いていなければ、講演も聞いていない。ひたすら<思い浮かべる>。

 小説のなかで、それぞれの主人公がいま立っているその地点(その場所とその時間、そこで起こっていること、そこにいる人々)はほとんど重視されない。どの主人公も、どこへ行っても、必ず何かを思い起こす。書かれているのはそれらの主人公たちが思い起こした内容である。主人公がいまいる時間と場所と人々のことではない。頭の中に思い浮かべていることなのだ。それが間接話法で書かれる。間接話法なので、臨場感がない。「絵」が思い浮かばない。「シーン」として成立していない。
「死の家の記録」とは少し違うようだ。

 そこで、もっと似ているものは何だろうと考えた。次に思いついたのは、新聞記事である。
 たとえば朝日新聞がもう何年間も連載を続けている「てんでんこ」だ。最近はときどきしか読まなくなったが、以前はほとんど毎日読んでいた。読んでも例によってすぐ忘れてしまうのだが、なにかは残る。
 書物として出版されたドキュメントは読んだ記憶がないのだが、新聞雑誌でこういう取材記事を読むのは好きだ。
 そして、「時の行路」にもそういう要素はある。
「非正規労働」に関して起こってきたあらゆる問題を作品は取り上げる。ケース・スタディとしての存在感がたしかにある。そういう、記録としての価値は持っている。

 にもかかわらず、どこかに異物感があるのは何故だろう。
 ひとつには、まとまった書物と、毎日少しずつ読む新聞記事との違いだろうか。そういえば、この小説は新聞連載だったらしいから、毎日少しずつ読むぶんには違和感もなかったのかもしれない。
 だが、たとえば、こういうことは言えないか。
「てんでんこ」に書かれるのは、取材で得た人々の声である。体験者たちの声を記者は記録する。そして読者に提供する。もちろん、語り―聴き―書くという過程で体験が脚色される部分はあるだろう。しかし、ともかくそれは小説として提供されるわけではない。そこには小説臭さがない。そういう臭いを決して漂わせない。
 そのことがかえってそれを受け入れやすくしているのじゃないか。
 逆に、「時の行路」には、ドキュメントではないということの異物感がつきまとうように思われる。

 何故それは小説で書かれねばならなかったのか。小説で書くことの意味はどこにあるのか。小説とは何なのか。それは読者に何を与えようとしたのか。読者はそれを受けとることができたのか。

 まだ「続」を読む前なので、それ以上のことは言えない。

 つなぎに、「チェルノブイリの祈り」を読んでいる。ドキュメントということで共通性があるのかないのかを探りたいと思ったのだ。けれども読み始めてみると、これはすごい作品だ。参考までに読むというようなものではない。引き込まれて読んでいる。この本については読み終わってから書く。

 ということで、この続きは「チェルノブイリ」と「続・時の行路」を読んでからにしよう。

「サイレントテロリスト」への評

「民主文学」のサークル誌評で、橘あおいが「まがね」井上淳の「サイレントテロリスト」を取り上げてくれた。作品が描こうとしたものを的確に読みとってくれている。どういうふうに読まれるか多少心配していたが、さすがである。感謝する。同時に物足りない点も指摘している。それは合評会でも出たが、どこがどう足らないかという点で、さまざまな考えの違いが出てきそうな気がする。来月の山口が楽しみだ。

忙中閑なし

 日々の過ぎ去っていくスピードに乗り切れずに置いてけぼりを食っている。町内会の次の行事まで少し間があると油断していたら、とんでもない。目の前に迫っていた。大急ぎで準備にかかっている。そのうえ、町内敬老会と、町内子供みこしが同じ日にぶつかってしまった。対象が違うので、(行事の場所も、辛うじて行き違うので)、このまま進めるしかない。ケセラ・セラだ。
 3月いっぱいまではこんな調子だろう。
 小説にかからねばならない。待っていても暇は来ない。ともかく始めるしかない。

つれづれ

 夏まつりと学区の敬老会を乗り切り、目の前に座談会と町内敬老会が待っているのだが、そればかりやっていたのでは嫌気がさしてしまう。合間に樹宴15号の校正をやった。力作ぞろいだ。終わったので、そろそろ「時の行路」に立ち返る。

「時の行路」雑感

 小説にはこう書かねばならないというような決まりはない。どう書くのも自由だ。どんな小説もあり得る。
 だが読者には馴染んだ小説への親近感があって、それを外れるものを読まされると、あっちこっちで引っかかって読書が進まなくなってしまう。
 先入観を捨てるべきだ。頭を白紙にして、まず素直に受け入れること。あれこれ考え始めるのは終わりまで読んでからでいい。小説は終わりまで読まねばわからない。
 少なくとも、この小説は労働問題の諸相への知識を拡げてくれる。そういうつもりで読むと素直に読める。

田島 一「時の行路」

「マルクス」はお休みにして、田島一を読んでいる。11月の中国研究集会の講師なので注文していた代表作、「時の行路」上巻がアマゾンから届いた。
 上巻だけで400字詰めにして千枚近い。はじめのうちたいへん読みにくかった。どうしてだろうと思ったら、ぼくのなじんできた小説とかなり違う。だから、小説だと思って読むと違和感がある。小説だと思わずに読むことにしたら、すらすらと読めるようになってきた。
 小説観は人それぞれだから。

「ネップ」聴涛 弘

 社会主義理論学会の「マルクスと21世紀社会」をずっと読んでいる。
 ただし、全部で10章あるなかの1章、2章を保留にして、3章からいま8章まで来た。
 2章がこの本をくださった人の論文なので、最後に落ち着いてじっくり読むつもりだ。
 各章のタイトルを略述すると、3、民族問題、4、成熟社会論、5、インターネット(はるかぜちゃん)、6、原発、7、経済システムのトリアーデ、8、ネップとなっている。
 このうちの8、ネップについて語りたい。

 第八章 ネップ(NEP)、ノップ(NOP)、ネオネップ(NEONEP)
     ――中国のマルクス主義学者・余斌氏の講演を聞いて――
                              聴涛 弘

 話は社会主義理論学会が慶応大学で企画した余斌氏の講演の後、会場から「レーニンのネップをどう思うか」という質問が出て、余斌氏が、「いまの中国はレーニンのネップをはるかに超えて資本主義化している」と答えたというところから始まる。この余斌なる人物が中国の政策にどの程度影響力を持っているのか、いないのかも不明である。聴涛氏の論述も中国問題とは無関係で、ただ話のきっかけとして語ったに過ぎない。(もっとも最後にまた中国の未来を問うところで終わるのだが)。
 この最初の部分でおもしろいのが、中国人はマルクスなど読まなかったが、最近になって資本論が読まれている、それは中国がやっと資本主義の段階に到達したからだ(という趣旨のこと)が余斌氏によって語られたと述べていることだ。余斌氏の著書は「さあ、資本論を読んでみよう」というタイトルで、それを日本語に翻訳した女性が当日通訳したが、「自分もマルクスを初めて読んで、これはいまの中国にとって必読の書だと思った」と述べたという。
 しかし、その話は単なるきっかけで、すぐに百年前に遡る。レーニン、ブハーリン、トロッキー、ジノーヴィエフ、カーメネフ、プレオブラジェンスキー、スターリン等のネップをめぐる争論の経過を述べるが、著者は誰の論が正しいとも言わない。時代の困難さに思いを馳せるのみである。だが、最後にグラムシのスターリン批判を出すことで、現代中国に対してとるべき態度に、何らかの示唆を与えている。
 ぼくは国際共産主義運動も、ロシア革命史も知らないので、たいへん興味深く読んだ。この本で読んできた論述のなかで一番面白かった。
 けれどもぼくがいまここで語りたいのは、彼の論述の内容ではない。なぜ彼の話が面白いのかという、そういう脇道の話なのだ。

1、未来の話ではなく過去の話である。
 未来の話というのはSFとしてしかありえないとぼくは思っている。ぼんやりとした方向性を思い描いたとしても、それはつまり願望や危惧としてである。細かなデザインを描いてしまえば、それはもはやSFである。
 われわれに迫られているのは、いま直面している諸々の問題に対してどういう態度をとるのかということであって、そのとき我々が参考にできるのは過去である。
 ぼくが過去を知らなさすぎるからそう思うのかもしれないが、誰しも過去を充分に知っているわけでもないだろう。過去に関する情報も日進月歩なのだ。

2、誤字、脱字、日本語になっていない言いまわし、がない。
 こんなことは文章を書く上での初歩にしか過ぎないのだが、聴涛弘氏の文章はまともな日本語である。たいへん読みやすい。言い換えれば、この本の他の著者はかなりいい加減な綴り方をしている。揚げ足取りのようだが、出版する以上、こういう基本はおさえるべきだろう。
 ぼくの見たところ、聴涛氏の文章には脱字が2箇所あっただけである。ほかの人はだいたい1ページに何箇所もある。
 その上に意味の取れない言いまわし、日本語になっていない言いまわしが随所にある。聴涛氏には一箇所もない。非常にきれいな日本語だ。

3、話の進め方がうまい。
 話がテンポよく進む。言いすぎてもなく、言い足りなくもない。読者の興味と理解がうまくつながっていく。諸人物の論文の引用が的確で、しつこさがない。

4、性急に結論を出さない。
 時代の困難さをよく理解し、その時代のなかで問題を考える。いまの立場から論断することを避ける。そういう歴史のアンサンブルを踏まえたうえで、いまを考えようとする。

 総じて彼は頭がよい。読んでいて一番感じたのはそのことだ。

 聴涛 弘 83歳。4.17問題の責任を取らされて辞職した聴涛克巳の次男である。

はるかぜちゃん

「社会主義理論学会」という学会がある。ときどき報告会をし、報告集を発行する。去年、本の泉社から「マルクスと21世紀社会」という報告集を出した。立派な装丁の255ページにもおよぶ本で、2000円する。
 執筆者の一人がくださったのだが、歯ごたえのある内容で、なかなか読めない。とりわけ、くださった方がITの専門家で、ITが社会をどう変えるかということを資本論と照らし合わせながら、つまり「価値」論から展開していくという、門外漢のぼくにとってはかなりきつい内容である。
 それでも「まがね」を読んで感想をくださる方なので、義理でも読まねばならないのだが、読みかけて挫折し、ちょっと気分転換に、他の論文をあたってみた。すると、読みやすいのがあった。

 第五章 子どもが安心してインターネットを使える社会としての民権型社会主義
  ――インターネット上の少女タレント・春名風花とその周辺の観察から――
                                  平岡 厚

 春名風花(はるかぜちゃん)という十代の少女タレントが、小学生時分からブログをつづっていて、人気もあるのだが、攻撃もものすごくされている。
 論の前半は、攻撃する人間たちの、いわば心理分析というか、その社会的背景などの分析である。
 特に変わったことは書いていない。日ごろから目にする内容だ。ただ、この論のなかではないが、攻撃されている内容について、それが誹謗中傷に過ぎないということを、先行発表した著述につまびらかにしたと述べている。それを前提にして書いているということが学者らしい。
 専門はまるで違う。杏林大学の生化学者である。理学博士だ。健康に良いという水を分析実験して、根拠がないという報告を出したりしている。超常現象を批判する学会にも籍を置いている。ぼくとほぼ同じ年ごろで、つまり学生運動の経験者だ。
 はるかぜちゃんについてはつい最近朝日新聞でも読んだので興味を引かれたのと、読みやすい内容なので読んだ。書かれていることに異議はない。でも、少し気になった点はある。
 著者が、ネット上の口汚い攻撃者たちを、「変節」した人たちと呼び、この「変節」という単語をしつこく繰り返した点だ。「誰に対しても常に相応の敬意を持って臨むべきだ」という精神を失った人たち、という意味で使っている。
 その言葉がまるで固有名詞のように繰り返されると、違和感が生じてくる。普通名詞(というか動詞だが)を固有名詞のように使用されると、ぼくは常に違和を覚える。

 それが論の後半に来ると、まるで内容が変わってしまう。「子どもが(口汚い攻撃にさらされずに)安心してインターネットを使える社会」とは社会主義社会だ、ということで、その社会の話になってしまう。
 なるほどタイトルを読めばまさにそのために書いているのだ。だが、ぼくはそこから急に読む気が失せてしまった。

 そこに著者が書いているのは、未来社会と、そこに至る経過の設計図である。いささか細かいデザインなのだ。
 そんなものはマルクスだって書かなかった。マルクスがやったのは資本主義の分析だ。そこにいかなる矛盾があり、その解決の担い手がどこに見出されるか、ということだった。未来社会を決定するのは未来の人々である。として、それについては触れなかった。
 わかる筈がないのである。未来社会は空想物語としてしかありえない。必要なのは、いまどういう問題があり、それをどうやってよりよくしていくかということだろう。話が現実を離れて設計図になってしまうと、ぼくは関心を失う。
 空想的社会主義を否定するわけではないのだ。だが、それはもっと現実的なモデルとして、実験的に実践されるところに価値がある。そこから何かを見出せるかもしれないからだ。
 頭のなかだけの空想的社会主義には興味を持てない。

 けれども、論の最後で、著者が、半ばはるかぜちゃんに舞い戻るような形で、学生運動時代の自分自身への反省をも込めて、「敵・味方」に分けてしまいがちのあらゆる思考方法に対して否定している部分は胸に落ちた。
 実際、はるかぜちゃんのブログを読んでみれば、十代とは思えぬ包容力に驚いてしまう。著者もそれに対して素直に脱帽している。

縦書“――”問題

「まがね」60号の編集作業中、今年のたぶん5月か6月頃だったと思うが、Windowsのいつもより長い自動更新があった。そのあと、WORDの変換機能がめちゃくちゃになった。
 もともと徐々に悪くなっていたのだが、このときの自動更新はひどかった。変換候補が極端に限定されてしまった。
 縦書原稿に“――”と打っても(いわゆるダブルダッシュ)、“―”と“―”とが離れたままでつながらない。
 ネットで見ると、MS明朝はつながると書いてあるが、すでに情報が古い。更新される前までは確かにつながっていたが、更新後つながらなくなった。
 Windows10をやめて元に戻す人が大変多い。Windows10はスマホ向けのソフトになってしまい、パソコンでは非常に使い勝手が悪い。それでも戻せないのは、10以前のWindowsはセキュリティサービスを停止するというからだ。
 セキュリティサービスを停止されてはどうなるか不安なので、戻せない。だが本音を言えば、Windowsは更新して欲しくない。使い勝手の良いものをどんどん悪くしていっている。
 Microsoftの技術者はよっぽど意地が悪いのか、それとも頭が悪いのか。

「樹宴」次号予告

 原稿は送ったが、現在、編集者に苦労を掛けている。パソコン間の送信で、かなり異同が出た。長い原稿なので、最初気付かなかったが、印刷してみたら、いっぱい出て来た。甘くない。
 理解しにくい、読みにくい内容の原稿なので、煩雑な部分をズバッと削るつもりだったのだが、結局少ししか削れなかった(未練かな)。
 はたして読んでもらえるだろうか、と今から懸念している。400字詰め換算で、142枚である。若気の至りの小説である。

民主文学の変換ミス。

 今日書いた米騒動「民主文学8月号」の128ページ中村光夫氏の文中、「米どころ富山は米価高騰(不作や騰貴が原因)に何度も苦しめられていた」のところ、この箇所の「騰貴」は「投機」の間違いであろう。

米騒動百年

「民主文学9月号」は6篇の短編を掲載していて、8月号を読んだ直後にすべて読んだ。読んだ時にはいずれもよい読後感があった。ところがいま思い出そうとしても思い出せない。町内会のことなど、頭を占める問題が多いことも一因だが、老化による記憶力の減退が進んでいるのは確かだろう。
 しかしまた、短編というのはそういうものかもしれない。プロの小説だって、短編はそんなに記憶に残るものではない。やはり、最低百枚は欲しい。
 で、なんでこんなことを書いているかというと、9月号の感想を書けない言いわけである。
 そのあいだに、後回しになっていた8月号の「米騒動百年」三記事を読んだ。これは印象に残った。「米騒動」のことを初めて読んだからだ。やはり現代日本史を読まねばならない。ぼくは何も知らなさすぎる。
 井本三夫という学者へのインタビューと、馬場徹という人によるところの、堀田善衛「夜の森」を通した米騒動、最後が、定年退職した巷の「米騒動ファン」中村光夫氏による、米騒動概説と、史跡保存運動の顛末である。
 最後の中村光夫文から読み始めるのがよい。米騒動に詳しい人には必要ないかもしれないが、米騒動の概略を知るには格好である。
 1918年、コメは4倍に暴騰した。貧乏人がコメをどの程度食べていたかは不明だが、一般的に言って一日に一人コメ3合を食べる時代である。コメの暴騰はたちまち生活に響く。漁師町魚津はたまたま不漁で現金収入も少なかった。漁師だから田圃も持たない。富山はコメどころだが、銀行がそれを買い占めて船積みする。コメを県外に持ち出すから暴騰する、積み込むな、ということで、漁師のおかみさんたちが積み込みの仲士たちに抱き付いて阻止した。女性に抱き付かれては、荒くれ男どもも気勢をそがれる。積み込みは阻止された。
 それがたちまち全国に広がっていく。
 戦後、有志による史跡保存運動が起こるが、文化庁はなかなかうんと言わない。その運動の経過も面白い。地元の意識がだんだん変わっていくところなど、一読の価値がある。
 これを読んで一応の知識が付いたら、学者先生のインタビューを読もう。歴史研究は日進月歩である。巷の研究会はすでに古いのだ。学者の仕事というのは勤勉な土方労働である。当時の新聞記事を丹念に拾い集め、あらゆる一次資料をあたって、米騒動を全体的、客観的に把握しようとする。
 富山の女一揆と当時の新聞が書き立ててセンセーショナルになったが、実はもっと早くから全国的に労働者の賃上げ要求ストライキや消費者運動として起こっていた。
 発端は第一次世界大戦である。ヨーロッパ全体が長い戦争の時代に突入し、物資が不足する。食料がない。各国が紙幣を大量に増刷して、世界中から物資を買い集める。日本のコメも買いあさった。インフレーションである。コメが売れれば増産すればよいのだが、日本の農業は地主小作農業だ。増産するより高値で売った方が儲かる。かくて国内からコメがなくなる。高騰する。もちろん投機筋が動くので、何倍にも暴騰する。
 中村氏の文では、1918年のシベリア出兵との関係を重視しているが、井本氏によるとそうではない。シベリアへは日本のコメは出ていない。朝鮮から奪いとっていた。ただ、シベリアで戦争やるぞということで投機筋がますます動いた。というのが真相らしい。
 馬場徹氏が書いているのは、堀田善衛の小説に書かれた米騒動で、これは小説を読んでいないので、あまりわからない。シベリア戦争に動員された無学な一兵士が戦地の新聞記事で米騒動のことを知り、いろいろ考えるという内容らしい。自分たちはロシア革命を弾圧するためにシベリアへ来ているが、国内では自分たちの仲間が弾圧されている、と自覚していくという話らしい。
 あまりわからないなりに、最近堀田善衛に方々でお目にかかるので、堀田善衛がずいぶん新鮮に映り始めた。そのうち読んでみよう。
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