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森鴎外「阿部一族」

 10年ほど前に、「世間体」に関する本を2冊読んだ。
 1冊は、日本の古い文学から近世の文学までずっとたどって、日本人にとっての世間体の位置を文学を通して象っていこうとする試みであり、この著者の専門がドイツ文学だったかドイツ中世史だったかのが、意外だった。もう1冊は、日本の農村生活をルポして、日本人にとって世間体がいかに重要なものであるかを具体的に見るというところから出発していた。これは終わりまで読めてない。
 どちらも興味深かったのだが、日本の研究だけでは、それが日本に特有な現象なのだと結論付けるには足りないような気がした。著者の論旨に反対だというのではない。むしろ同じような考えを持っていて、それを確認するために読んだのだが、確認しきれないという印象を受けた。
 今回、「阿部一族」を読んで衝撃だったのは、この小説の全ページを、「世間体」が埋め尽くしていたからだ。
 これは、「世間体」に乗っ取られたような小説である。ここには「世間体」以外のものは何もない。日本という国はここまで「世間体」に支配された国だったのか。
 先にあげた著者が「阿部一族」に言及していたかどうかは記憶にない。しかし、いずれにせよ、解説や引用を読むことと、直接読むということは全然違う。自分が何も読めていないということを思い知らされた。
 日本人論として、昔から気になっていた「菊と刀」も結局買ってさえいない。新渡戸稲造の「武士道」は、いま見たら50ページで中断している。
 幕末生まれのキリスト教徒新渡戸の執筆動機は、日本にはキリスト教がないのに、なぜ日本人は道徳的なのかと問われてその解答を武士道に求めたことからだ。カリフォルニアでの病気療養中の38歳、英語で書いて諸国語に翻訳された。日清戦争の直後である。岩波文庫版は矢内原忠雄の日本語訳。これも冒頭しか読んでいないのでこれ以上何も言えないが、いま「阿部一族」を読み終えてみると、「武士道」とは「世間体」のことだったのか、という思いを制しきれない。

 徳川家光の時代である。島原の乱からほど遠からぬ時期。細川忠利が死ぬ。肥後熊本城主である。忠利から特に目を掛けられていた者たちが殉死する。18名に及んだ。
 まずこのことに驚いた。殉死は古墳時代の話だと思っていた。埴輪を身代わりに埋めることで殉死の風習はなくなったのだと思っていた。ぼくの歴史認識たるやその程度のものなのだ。
 ところで、殉死には当の死にゆく人のお許しが必要である。許可なく殉死すれば主命に背くことになる。だが、主君のそば近く仕えた人は殉死のお願いをして当然であると「世間」が考えているので、たとい嫌でもお願いせねばならない。お願いしなければ、主君の死後どういう目にあうかわからない。主君の傍に仕えるということは、主君とともに死ぬということが決定づけられている。
 そこで鴎外は忠利になりかわって、忠利の心の中を書く(これをやられるとぼくなんかは、ああ、古い小説だ、と思ってしまうのだが、実際古い小説なんだから仕方がない)。
 忠利はこう考える。「この忠実な家来に死んでほしくはない。生きてわが子の治世を助けてほしい。だが、自分が死んでしまえば、『世間』がそれを許さないだろう。殉死の許可を与えないということは、この者にとっては残酷な未来を与えることになってしまう」
 忠利がそう考えたかどうかは誰にも分からない。わからないことを作者は書かなくてよいのだが、昔の小説は書くのだ。
 こうして18名は殿の許可をもらって殉死した。その18人の遺族はみな手厚く報いられた。ところが一人、許可をもらえなかった男がいた。阿部弥一右衛門通信、1100石である。早くから忠利のそば近く仕え、島原の乱制圧でも手柄を立て、息子たちともどもそれなりの報奨に与っていた。当然殉死するものと誰もが思い、本人もずっと許可を求め続けた。だが忠利は許可しない。
 なぜ許可しないのか。ここから先はたぶん作者の創作であろうが、ここはよく出来た創作である。
 ただ、作者はここに至るまでに、殉死した18人ひとりひとりについて詳述している。その先祖、出仕に至る経過、石高、後継者、殉死の許可を得るいきさつ、切腹した場所、それにまつわる話、介錯人、じつに事細かで、詳しい。それなりに資料は残っていたのだろう。いま読むと少し煩わしくも感じるのだが、それがあるので、その先は創作部分だろうと思いながらもかなり自然に読んでいける。
 なぜ許可しないのか。
 阿部弥一右衛門は出来過ぎた人間であった。命じられなくても先々へと仕事をこなす。それがみな当を得ている。当を得ているので叱れない。叱れないが、癪である。同輩からは敬して遠ざけられる。誰とも親密になれない。そういう人間で、忠利にとっても煙たい存在であった。で、許可しなかった。と、作者は書いている。たぶん創作だと思うが、そういう不幸な人間はいそうな感じで、納得感がある。
 許可なく殉死すれば主命違背である。死にたいが、許してもらえない。だからやむなく生き残った。
 さて、「世間」はそれを許さない。命が惜しいのだろうと噂する。城中では人々は目を合わせないようにして、陰で噂している。その噂が耳に漏れ聞こえてくる。ついにそれに耐えきれず、「誰が命が惜しいものか、見てみよ」とばかりに、切腹して果てた。息子たちは、内心むしろほっとする。これで「世間」も収まるだろうと考える。
 ところが、「世間」は収まらない。なおも騒ぎ立てる。阿部は主命に背いた。あの切腹は自己勝手な切腹である、と。切腹しなければしないと言って責め、すればしたと言って責める。どうあっても「世間」というやつは批判せねば気が済まないのだ。やがて、殉死者の遺族たちへの対応が決定される。18名の遺族に対しては手厚い報奨がなされた。だが、阿部家へは違った。1100石は当然長男権兵衛が継承すべきだが、大勢いる弟たちに分割された。兄弟を合わせればもらう石高に違いはない。だが、1100石の名門の一族という誉れはなくなってしまう。阿部家の当主権兵衛は、弟たちと同じ小身に過ぎなくなった。
 忠利の一周忌に問題が勃発する。阿部の当主権兵衛は、焼香したあと、小刀を抜いて自分の髷を切り、その場に置いて立ち去ろうとする。ただちに捕縛され、縛り首となる。切腹なら、武士の面目は守られる。縛り首はもっとも侮蔑的な刑罰である。
 阿部一族は本家に結集して立てこもる。子供たちは先に自分たちで殺し、女たちは自殺する。男たちは武装して一矢まみえんと待ち構える。
 ここから先は討伐隊の描写になる。攻め込んだ人々について、また詳しく一人ずつ紹介する。誰が先陣を切り、誰が誰を殺し、誰に殺され、誰は臆病だったとか、その後の報奨まで記している。

 さて、鴎外が書いたとおりを要約したが、じつはかなり異論があるらしい。
 この本の種本は、阿部の隣人だった柄本又七郎の「阿部茶事談」である。そして、松本清張が次のように言っているのだそうだ。
「この本は柄本の本を現代語に翻訳しただけで、森鴎外の考えは少しも入っていない。それなのに国文学者たちは森の思想について云々している」らしい。
「らしい」としか言えない。ネット情報で、確認していないから。
 そしてさらにネットは次のように言う。
 殉死の許可を出すのは、死にゆく主君ではなくて、跡を継いだ主君である。そして、跡を継いだ光尚は「殉死はまかりならん」と言って禁止していた。にもかかわらず19名が殉死したが、阿部も他の18名と同じ日に切腹しており、「命が惜しいらしい」と噂される余地がない。1100石を分割したというが、実際には一時的に末子に分けたが、すぐに元に戻されている。阿部家の長男権兵衛が髷を切って縛り首になったのは事実だが、その原因は小説とは異なるのではないか。
 そこで推測として書かれているのは、島原の乱後、細川家の財政はひっ迫した。それを背景にした藩政上の不満が原因ではないかと。
「阿部茶事談」の著者柄本又七郎は阿部家の隣人で、弥一右衛門の次男弥五兵衛(縛り首になった権兵衛の弟)とは特に親しくしていた。だが、いざ討ち入りのときになると、あらかじめ切っておいた境の柵から一番乗りして、弥五兵衛と槍合わせをして打ち取った。そういう事情のもとで書いている。
 親しく冗談を言い合う仲であったが、追討の主命が下った以上はそれに従う。日ごろどちらがより上手な槍の使い手かと冗談を言い合っていたので、それを試すチャンスである。正々堂々と戦って親友を他人の手に渡さなかった。自分の手で死なせてやり、加えて一番乗りの手柄ともなった。
 と、ここに書いたとおりではないが、そういう趣旨の書き方をしている。そういう手柄話なのだ。だが、松本清張の言うように森鴎外が柄本の文脈を変えていないとすれば、柄本としては阿部一族を悪者としては書きたくなかった。あくまでもその事情に同情する内容で書いたということになろう。相手が引き立つほど自分も引き立つ。正邪の問題ではないのだ。武士の名分の問題なのだ。
 小説が事実と違っているのが、柄本のせいなのか、鴎外のせいなのかはおくとして、ネットが指摘したような大きな違いがあるのだとしたら、「世間体」の問題も少し考えなおさねばならなくなる。
 余談になるが、武士が命を懸けて戦うのは、報奨目当てである。戦国時代には、戦って勝てば、領地が増えた。だが日本中の土地がすでに分けられてしまい、これ以上分けようのない時代に起こった島原の乱では、武士は戦い損である。命を懸けたが、もらえる土地がない。細川家は出費だけかさんで、もらえるものがなく、戦った者たちにやるものがない。
 経済というものは現状維持というわけにはいかない。武士の家には大勢の子供たちがいる。武士の数は増え続けるが、与えるものは増えない。そこでいろんな問題が起きてくる。当然の帰結だろう。阿部一族問題も、そういうことがからんでいるらしい。
 それが事実だとしたら、それはそれでよい。だが、小説は残る。小説が事実と違っていても、そういう小説が書かれたという事実は残る。しかもそれが森鴎外の考えではなく、徳川家光の時代の一人の武士の考えで書かれたのだとしたら、その時代の武士の考え方を反映している。
 ほんとうは「阿部茶事談」を読んで確認すべきだが、とりあえずは、書かれたことが、柄本の考えだろうが鴎外の考えだろうが、やはりそこに日本的なものの考え方が反映されているという事実は残る。

 ヨーロッパにはキリスト教があるので、ヨーロッパ人にとって道徳の問題とは、神と人との一対一の問題である。ところがキリスト教的な絶対神を持たない日本人にとっては道徳とは「世間体」である、ということは広く言われている。ぼくが読んだ2冊の本が書いていたのもそういうことだ。ただほんとうにそうなのかという確信が持てなかった。「武士道」を読もうとしたのもそのせいである。それが読めていないままなので、すぐには断定しかねるとしても、「阿部一族」を読んだ感想としては、「武士道とは世間体のことだったのか」という思いが強い。
 事実がどうであったかは別にして、この小説の登場人物たちの行動原理は一から十まで「人にどう思われるか」ということなのである。「なにが正義なのか」という思考方法はみじんもない。ただ他人の思惑だけを気にしている。
 われわれも人生の途上で、日常的にそういう言葉を浴びせられてきた。いわく、
「人に笑われるようなことはするな」
「後ろ指を差されるようなことはするな」
「世間に申し訳が立たない」
「世間が許さない」
 太宰治は、「世間が許さない」と言われたときに、「世間とは誰のことか。おまえのことじゃないか。おまえが許さないのじゃないか」と言ったが、「阿部一族」の登場人物たちは、一人として「世間」を疑おうとしない。
 もっとも、ラストに来て全滅覚悟の反攻に立ち上がった阿部一族は「世間」の理不尽さに対して抗議をしているようにも受け取れる。
 おそらく国文学者たちが問題にしたのはその点なのだろう。そこに森鴎外の思想があるのかないのか、松本清張は、ない、と考えたのだろう。
 作品全体のイメージから言えば、森鴎外が「武士道」を批判して書いたと見ることは難しい。むしろ「武士道」そのものを書いた。阿部一族が死を覚悟して戦うのも「武士道」であり、それもまた「世間」がこういう場合に期待することなのだ。結果的に鴎外の書いた「武士道」は「世間体」と同じものだった。そのことに気づいていたかどうか不明だが、少なくともそこに批判の意図は読みとれない。

倉庫の整理

 10年間放置していた倉庫の整理を始めた。整理と言っても全部捨ててしまえばよいのだが、分別の面倒くささに負けて、10年前放棄してしまったのだ。
 燃えるもの、燃えないもの、木材、紙、布、金属、瀬戸物、プラスチック、ガラス、ビンと、最初から分かれているものはいい。いろんな素材が複雑に組み合わさったものをどう分けろというのか。
 というわけで、いつかはやらねばと思いながら10年経った。
 今回どうしてもやらねばならない事情が生まれて、ついに取り掛かった。
 かなり広い倉庫だ。10畳くらいある。両側に奥行きのある棚が二段。その下も中間も上も(つまり三段にわたって)ぎっしりと物が詰まっており、棚と棚との間の床も山盛りである。入口のところまで物で埋まっているので、足を踏み入れることもできない。
 とりあえず、寝室にしていた部屋を二階に移して空けて、そこにものを運び込む。倉庫に空間を作らねば始まらないからだ。
 段ボールをいくつも用意して、分別していく。分別しても出せる曜日はそれぞれ決まっているから、ついに車庫から車を引っ張り出して庭に移動し、車庫をとりあえずのゴミ置き場にする。車庫といっても屋根と三方に壁はあるが、北からの雨風をまともに受ける側には何もない。
 幸い梅雨の晴れ間で、空模様との競争だ。――
 という毎日を送っている。

「阿部一族」

 必要があって、「阿部一族」を読んだ。怠け者なので、森鴎外は「舞姫」だけしか読んでいない。以下しばらく雑談。読み飛ばしてください。
 読んでいないが、「阿部一族」と「山椒大夫」は持っているという記憶があって、本棚を探した。懐中電灯片手に探すが見当たらない。で、アマゾンで注文した。アマゾン注文はいつもコンビニ払いするのだが、かなり間が空いたので、いざコンビニで操作してみると、うまくいかない。何度やり直しても失敗で、よく見ると番号がもう一ついるのだと気付いた。そこで家に帰ってもう一度パソコンをよく見た。なるほどもう一つ番号がある。
 さて注文は成功したが、届く日がはっきりしない。間に合わないかもしれない。で、図書館に行くことにした。坂を延々と降って、次に延々と登る。運動不足気味なので歩いた。図書館だから文学全集くらい当然あると思っていた。
 あまかった。ほとんどの棚がどうでもいいような本で埋まり、全集の棚はひとつだけ。昭和文学全集はあったが、明治はない。端末で検索した。角川文庫と新潮文庫で出てきた。その文庫の棚が低くて、下の方の段はしゃがんでも見えにくい。文庫ごとに分けてない。文庫名のところにワッペンを張っているので、何文庫かわからない。よくよく見るとアイウエオ順だった。新潮の森鴎外が2冊出て来たが、阿部一族はない。角川は結局出てこなかった。
 もう少し歩いて、ツタヤに行った。あった。簡単に見つかった。最初からそうすればよかった。癪なので買わない。家に必ずある筈だという気がしてきた。
 帰宅して、懐中電灯を点けて、一段ずつ、一冊ずつ、念入りに確認していく。あった。角川文庫の森鴎外が3冊出て来た。ただし、1967年が初版の本だから活字が小さい。買ったのも、78年の24版で当然本はすっかり黄ばんでいる。読みにくい。二階の南向きの窓の傍へ椅子を持っていって読んだ。
 ここまでは雑談。

 ここから本論。
 じつは少々衝撃を受けている。――

 この先が長くなっていっこうに終わらないので、ここで切る。とりあえず、近況報告を兼ねた雑談だけ。続きはまた今度。先に書き上げねばならない原稿の締め切りが迫っているので、それが終わってからにする。

堀田善衛

 小説が行き詰まったので、ずっと読めなかった受贈本に取り掛かっている。この間、何冊もいただいたのにまったく読めていない。
 気になっていた堀田善衛が、ふたつの本、二人の著者によって、たまたま取り上げられている。まずそれにかかった。
 田中伸一「敗戦の姿」(私家本「敗戦の姿」所収2019年500円)
 木村陽治「堀田善衛のまなざし(2)」(「零地帯」第3号2019年500円)

 田中伸一のほうは、「クレーン」最新号で途中まで発表したものの完成版である。
「クレーン」では以下の作家を取り上げていた。
 三好十郎、坂口安吾、太宰治、埴谷雄高、
 私家本のほうでは以下の作家が加わる。
 火野葦平、武田泰淳、堀田善衛
「クレーン」で読んで感銘を受け、その旨編集者に書き送ったら、著者に転送してくれて、まもなく著者から私家本が届いた。ここに堀田善衛の名があったので、びっくりしてしまった。今回堀田善衛のところだけ読んだ。
 どの作家に対しても、その作品、生い立ち、評論家たちの批評までかなり豊富に取り上げて、特にそれぞれの作家の「敗戦」に対する向かいあい方を論じている。非常に面白い。一読を薦める。

 木村陽治は、同誌前号の続きである。前号では「広場の孤独」だけを扱っていたが、今回は他の作品に話を進めている。この人は田中伸一同様、堀田のほとんどの作品を読んでいるようで、同じ作品を論じているのだが、同時代からの読者だったらしく、しかも、木村は共産党員、堀田は批判的同伴者という感じなので、同時代において読んだときの若き共産党員としての感じ方とかが入っていて、興味深い。今回読み直した上で書かれている。

 いずれにせよ、あの時代の日本の作家たちをこうして熱心に論じている人たちがいる。ぼくは怠け者で何にも読んでいない。そのことを痛恨させられた。それにまた、堀田善衛(彼の作品さえ「広場の孤独」以外読んでいない)という作家にたいへん強く惹かれた。読まねばなるまい。
 

タイムマシン

 13ページ、1万3000字、原稿用紙にして約30枚書いた。それで完結するはずだった。ところが終わらない。これを中編にして、後編は以下次号とするしかない。
 ということで納得できればいいのだが、じつは納得できてない。だらだらととんでもない駄作を書いてしまったという感じがしている。
 途中で2000字くらいはバッサリ捨てた。一度はそれでいいと思った。ところが今度は、ほとんどすべてをバッサリやるべきではないかと思い始めた。途中経過は要らない。この中編はすべて要らない。じかに完結編に入るべきだ、と思い始めてしまったのだ。
 もともとその筈だった。この小説は60枚で終わる筈だったのだ。だらだらと伸ばしたのは、完結編のイメージが浮かばないので、それを探して彷徨っていたのだ。いま、最後の30枚はほぼ頭の中にある。この10日間で書いた30枚を全部捨てても、物語は成り立つような気がする。
 さて、どうするか。
 迷っている。
 迷ったときは捨てなさい、と何人もが言っている。
 だが、迷う。
 いましばらく、原稿を寝かせようと思う。
 苦労して書いたので、何度も読み返した。すると、飽き飽きしてくる。過去にも経験してきたことだ。駄作だ、と思いお蔵入りする。何年も経ってから読み直すと、そうでもないぞ、と思ったりする。
「起承転結」で言えば、今回書いたのは「承」の部分。若干退屈な場面だ。そういう場面は要るのか、要らないのか。
「序破急」で言えば、「承」は要らないとも言える。

 こういうことを考えるのは初めてだ。ぼくは自分の感覚だけを信じて書いてきた。若かったからそれでよかったのだろう。もう、それでは、やれなくなってきている。

ふくやま文学

「文芸同人誌案内」に、「ふくやま文学」の紹介ページが出来ました。27号~31号まで5誌の内容を紹介してくれています。興味のある方はご覧ください。

「ふくやま文学」合評会など

 3月いっぱいで町内会をお役御免になり、まだしばし引継ぎでうろうろしたが、ほぼかたが付いてきた5月、10連休で子供たちと遊んだ後、やっとタイムマシンにとりかかった。……のだが、ふたたび中断、ネット関係の、本来必要なかった面倒な手続きにふりまわされ、あいかわらず行事がいくつかと、ふたたびジャングルとなりつつある庭との戦い、その間、千客万来で、光陰矢のごとく流れた。10日以上が無為に過ぎ去り、月末が近づいている。今日やっと、再開した。
 これから月末まで、毎日必ず1日1ページ(千文字)書く。あと10日で10ページ(1万文字)書けば、なんとか形になるだろう。
 今回はほんとうに苦しんで書いている。いつもなら自然に浮かんでくる言葉をただ写しとっていけばよいのだが、今回は一言一言呻吟している。というのは、まだイメージが描けずにいるのだ。結論は、6年前書き始めたときから頭の中にある。その結末に持っていく道筋が描けない。前篇をもう5,6回は読み直した。それでもそれを書いたときの気持を取り戻すことができない。ぼくにとって小説というのは、ムードだから、そのムードを自己のものにできないと書けないのだ。
 だから、当分はブログを書かない。最近はすでにほとんど書いてないのだが、あえて書かない。ブログを書くと、小説のムードが逃げてしまう。一日の生活をすっかりタイムマシンにしてしまわねばならないのだ。
 で、ちょっと気になっていたことを、今のうちに書いておく。
「ふくやま文学」の合評会が4月14日にあった。毎年楽しいが、今年はものすごく楽しかった。あんまりうきうきしているので、中山先生が「石崎のほんとうに楽しそうな顔を初めて見た」とおっしゃった。
 そうなったのはいろいろ理由があるのだろうが、半分はアルコールのせいだ。毎年ぼくは朝から車で行って、合評会のあと、中山邸での懇親会まで、客たちを運搬する。関東から来て福山駅近辺に宿をとっている人たちが何人もいるからだ。
 だから、飲めない。飲めないと調子が出ないのだ。
 今年は偶然妻が車を使ったので、ぼくには車がなかった(ぼくは数年前車を捨てた)。だから飲めた。これが今年ぼくが元気のよかった理由の半分である。
 来年からはもう車ではいかないぞ。誰か運転手をやってくれ。
 もうひとつは、若い頃書いた「朝」を今回再掲したのだが、これが意外なほど好評だったからだ。半分は誉めてくれるかもしれないが、半分は欠点をあげつらわれるだろう、と覚悟していた。下手をすると全然だめかもしれないとも思っていた。ところがものすごく誉めてくれたので、ぼくは舞い上がった。
 あとは、年に一度とはいえ、常連のメンバーに慣れてもきたし、それに新しいメンバーと新たに知りあえる楽しさもあった。
 メンバーの幅の広さがいい。それぞれが個性的で魅力的だ。
 ということをずっと書きたかったが、忙しさにかまけて書けずに気になっていたのだ。

 もうひとつ、他のこと。
「民主文学新人賞」佳作を含めて3作品、あえて選評を読まずに批評したが、アップしたあと選評を読んでみると、意外だったが、ぼくと似ていた。選者によって多少の違いがあるが、ぼくが感じたようなことはほかの人もだいたい感じたようだ。池戸豊次の才能はみんなが認めている。同時に「鹿を殺す」との類似に疑問を呈している。
 ひとつ、おやと思ったのは、青木陽子で、彼女は最終候補9作品のどれにも不満だったようで、中寛信という人の作品がいいと思ったのに、一次選考11編にさえ残らなかったと残念がっている。選者5人がそれぞれ推薦するというのではないようだ。二人以上が推薦したものを一次選考で通すとかいうようなシステムなのだろうか。
 小説の評価は人それぞれなので、選者による当たり外れは避けられない。
「福ミス」の場合、一次からの選考方法を詳しく紹介している。最終選考までのすべての過程を公開する。応募者を納得させるためには、そういうことも必要かもしれない。

 もうひとつ。
 これも選評のなかで感じたことだが、モチーフというフランス語の使い方がどうもおかしい。単純に翻訳すればモチーフは動機で間違いないのだが、どういう経過を経てのことか不明だが、日本でわざわざフランス語を使ってモチーフと言った場合には、かなり特殊な使い方をされている。単純に動機という意味ではない。
「民主文学」の批評家たちに限って、単に創作衝動という精神的な意味で使う人が多い。
 一般社会では、この言葉はもっと素材に即して使われる。作品を動かしている素材、動因というような意味合いが強い。
 この微妙な違いを理解して欲しいと思うのだが。

鎌倉幕府とは何か

 ぼくは鎌倉幕府の成立を源平の争奪戦という側からは見ない。それはいわば政局報道だ。誰がトップを握るかということには、ほとんど重要性がない。副次的な問題に過ぎない。
 鎌倉政権の成立の重要性は、ここで日本の古代中央集権が崩壊し、地方分権の時代が本格的に始まったということなのだ。
 日本の古代前夜において、他地域をわずかにリードした大和の権力が、朝鮮からの知識・技術を独占し得たことによって、他地域の権力を圧倒し、古代中央集権的権力を造り上げていく、その過程は「古事記」が描いた日本武尊そのものであっただろう。
 競争社会にあっては、一歩リードしたものが覇権を握ることになる。そういう淘汰を経て確立されたのが、大和政権であっただろう。
 その時代に日本を統一する政権が成立したことの意義は大きい。
 中央権力は、全国的な徴税権と徴兵権とを握った。全国のコメと兵員とを国家が掌握した。明治近代国家と比肩しうる体制を造り上げたのだ。
 だが、またそれは、成立の当初から矛盾をはらんでいた。
 国家の派遣する官僚(国司)には、数年の任期しかない。彼らの任務はその数年の間、任地の豪族(郡司階級=前の時代の国造)を掌握し、コメと兵士を中央に送り届けることだが、豪族たちとの関係の上で、さまざまな困難があっただろうことは想像に難くない。
 やがて荘園が全国に広がっていく。中央の貴族・寺社が地方に領地を持ち、私的雇用関係にある管理人を置いて、年貢を徴収する。国家の所有に帰する土地は次第に細っていき、国司は国衙領と称する狭い地域を支配するだけになってしまう。もはやここから国家のための徴税、徴兵はできない。そこは任期の間だけの国司の一時的私有地となり、そこからの収入は国司の収入となる。彼らは受領と呼ばれる。
 中央の財政は、荘園からの上がりに依拠し、有力な荘園主たる摂関家が政務をとることになる。国家の実務をこなしているのは、摂関家の家司(私的被雇用者)であり、受領階級の出身者たちだ。権力の武力も、もはや徴兵による国家武力ではない。受領階級の出身者たちが個人的主従関係によって、それぞれの権力者を守っている。
 大宝律令と呼ばれる整然とした国家機構は、とっくの昔に有名無実と化していたが、しかもなおかつそこに存在したのは、当初とは異なる形であっても、依然として中央集権の国家権力であった。
 つまり、コメは相変らず、京都に独占されていた。それはもはや国家の収入ではなくなっていたが、京都の貴族・寺社の収入であった。
 しかもこれを支えていたのは、受領階級である。地方に根拠を持つ彼らの出身はさまざまながら、いまや地方の管理人としてなくてはならない存在となっていた。京都のコメを保証するのは彼らだった。だが、なんのために? なぜそのコメを自分たちが所有してはならないのか? 
 それが出来なかったのは、彼らを統一する仕組みがなかったからだ。彼らはばらばらだったので、お互い自分の利益を確保するために中央の権力者と個人的に結びついていた。中央の権力者と結びついて、おたがいに牽制しあっていた。
 鎌倉幕府の成立とは何か。
 それは関東武士団の、京都に対する独立宣言である。自分たちのコメは自分たちで所有するということの宣言なのだ。
 源平合戦とは、その表層的な表れに過ぎない。それは物語としてはたいへん面白いが、その物語から歴史を見るわけにはいかない。

山本 洋「連絡B」(19年度新人賞佳作)

 こういう作品に出合うと、小説というのはほんとうに自由なんだなとつくづく思う。
 昨日も書いたが、独りよがりの批評をあいかわらず書いて来て、ぼくもときたま反省する。
 作者もさまざま、読者もさまざま、小説もさまざま、いたずらにケチをつけることもあるまいと思う。

 思うのだが、一応気になったところには触れておく。
 時の流れがわかりにくい。ベテランの高校国語教師が、校種間交流という制度に興味を持って重度の子の多い養護学校(高校生相当)に転勤してくる。三年間の期限付きで、その三年目である。三年目の春から書き始めて卒業で終わるのだが、随所に二年前の転勤当時のことが挟まる。行ったり来たりするので、ときどき今いつの話をしているんだろうとわからなくなる。
 もうひとつは、全体のことが書けていない。自宅から来る子もいれば、施設から来る子もいるらしいのだが、そうと書いてないので推測するだけである。どのくらいの人数がいるのかもわからない。主人公を含めた三人の教師で同じ子たちを三年間見るようなのだが、これも推測である。担当の子供は数人しかいないようだ、とこれも推測。そのほかに何クラスあるのかもわからない。
 要するに学校のイメージを描きにくい。

 という欠点はあるのだが、にもかかわらず読ませる小説なのだ。ごちゃごちゃと説明しない、言ってみればちょっと乱暴な書きかたがかえっていいのかもしれない。エネルギーがある。たしかに、読者を学校現場に連れて行ってくれる。文学的かと問われると頭をひねるが、これは内容で読者をつかむ小説であり、そしてそれに似合った文体であると言えないこともない。
 ノンフィクション的な要素が強く、こういうものの前では純然たるフィクションが薄っぺらく思えてきたりもする。
 結末近く、主人公の努力でやっと将来の見えてきた子を道連れに母親が心中してしまい、経験の長い校長が、こういう例は珍しくないのだというところ、訴えかけてくるものがある。

池戸豊次「寒晒し」(19年度新人賞佳作)

「鹿を殺す」の池戸豊次である。他の雑誌に書いたものが「図書新聞」で紹介されていたが、「民主文学」に載るのは「鹿を殺す」以来なので、待ちわびていた。
 ところが読み始めると冒頭「鹿を殺す」と同じなのである。「え? 書き直したのか?」と思った。残念な気持ちが走った。「鹿を殺す」は完璧な作品だった。それは余分なものをすべて削ぎとっているからで、こういう作品はときどき、もっと書き加えたいという誘惑を作者に起こさせる。書き加えると、なるほど作品は分かりやすくなる。だが、それにつれて緊張感を失う。
 読んでみると、半ば当たり、半ば杞憂だった。
 全体的には、「鹿を殺す」とは全然別の話である。それでも作者自身の体験に負うところが多いようで、重なる部分はやはりある。だが、書いているのは別のことなので、鹿を殺す場面とご縁さんの言葉はいっそ、ないほうがよかった。そのあとの話の展開が違ってくるので、この二つがいかにも付けたりに見える。あるいはぼくがなまじ前の作品を印象深く記憶しているせいかもしれない。
 これはこれで、いい作品である。
 岐阜県郡上市に近い山奥の話。冬である。寒いが雪は道路にはないようだ。若い水道工事屋夫婦の物語。トラックに積んだパイプを結束していて、仰向きに倒れ、後頭部をコンクリートで激しく打った。気が付いたら車を運転している。その間の記憶がない。
 病院で検査し、一日観察入院となる。その間に主人公の頭によみがえってくる人生のあれこれの場面が描き出される。「鹿を殺す」では妻との出会いが描かれたが、この作品では妻は現在形で十分に活躍し、過去に登場するのは主に若くして逝った母親である。描かれ方から想像して、(「鹿を殺す」と符合するところもあり)ほとんど実体験だろうと思われる。
 その内容もよいのだが、この作者の作品が読者を引き付けるのは、やはりその文体なのだ。
 とりたてて珍しいことを書いたわけではない。人生のつれづれである。それに向かいあう作者の姿勢に独自性がある。

「鹿を殺す」を読み直したくなって、読んだ。4度目である。いいものは何度読んでもいい。おそらくは、何らかのフレーズが読者を引き付ける。それは記憶に残っているのだが、ストーリーの中のそのシーンでもう一度そのフレーズに出合いたいと思って、再読するのだ。
 じつは最初に「鹿を殺す」を読んだとき、なんて下手な小説なんだろうと思った。途中で「おや?」と思うフレーズに出合い、だんだん惹かれてきて、結局そのときだけで3度読んだ。
 いまではなぜ下手だと思ったのか、まったくわからない。おそらくそのときまでぼくの出合った文体と違っていたのだろう。

 いまでもぼくは人の作品を遠慮なくこき下ろしているが、もう一度読んだら、誉め始めるかもしれない。逆のケースもあるかもしれない。
 だからあまり深刻に受けとらないで欲しい。反論が欲しいと思ってぼくは書いている。だが反論は来ない。来るのは、「もう批評するな、何も書くな」という攻撃だけだ。でも、それも過去のことになった。いまはそれさえ来ない。

秋吉知弘「まんまんちゃん」(19年度民主文学新人賞)

1. こなれた文章、よどみなく読める。
2. 大げさなフレーズや持ってまわった言いまわしがない。素直に書いている。日本語の使い方が的確である。
3. それでいて、うつの症状が自然に読みとれる。
4. ストーリーの進展につれて、登場人物を一人ずつ丁寧に描写している。過不足がない。

 と思って、22ページまで読んできたら、23ページでいきなり文調が変わった。(ここはあえて文体と言わず、文調と言わせてもらう)

 舞台は大阪西成の療養型病院。老人を対象にした施設のようだ。主人公は一年前からそこで介護的業務に従事している40歳近い男性。アルバイトである。うつの症状が長く続いていて、心身に限界がある。数年前に結婚し、もうすぐ2歳になる子供がいる。
 前半の10ページは、職場、保育園、家庭のあいだを動きまわりながら、対人関係の劣等感をかかえて、自分に対しても他人に対しても極度に緊張し苛立つ主人公、とりわけ、音に対して苛立つ場面など、さりげない書きかたでありながら、秀逸なものを感じさせた。特に音の使い方は、ラストで音がなごやかに変わることも含めて、うまい。
 ところが23ページで登場した人物が作品の雰囲気をがらりと変えてしまう。
 橋本功、80歳。食堂の入口に60歳の看護師長が毎日違う花を生ける花瓶の横で、<いつも同じ場所でこの時間に><車椅子に乗って新聞を広げている> 極端に無口で何を聞かれても<忘れたな>としか言わない。(17~18ページ)
 こうして前半部分ですでに登場した無口で目立たない橋本さんなのだが、23ページ以後、突然おしゃべりに変身する。独演である。ここから主人公が交替する感じ。
 その内容は子供のときの長崎での被爆体験、そこで祖母を見殺しにするしかなかった記憶である。
 その陳述は十分読ませる力を持っているのだが、話の展開が唐突だ。22ページまでの10ページにわたる前半部分で<私>を通して展開されてきた小説世界が、いきなり違う世界へ飛んでいく感じである。その10ページは<私>によって綴られていきながら、抑制された筆使いで、<私>の姿が客観的に読者に伝わってきて、高い文学性を感じさせた。
 ところが、23ページから、まず橋本の長広舌、そのあと、橋本と<私>の対話、そして家庭生活の描写(ここはすぐれている)を混ぜながらの妻との対話、橋本の死、看護師長との対話と続く。
 ここでふたつの疑問が浮かぶ。
1. <私>の<うつ>は、結局この小説の主要モチーフではなかったのか。後半でそれがすっかり消滅してしまうので、はぐらかされたような感じがしてしまう。前半と後半とのバランスがとれていない。二つに分断されている。
2. 橋本の演説はなぜ唐突だと感じるか。
① たしかに作者は伏線を張ってはいる。次の部分がそうである。
 <患者は高齢者ばかりなので、認知症の症状で出来事の記憶をなくしてしまう人はいる。しかしそうした場合、行為そのものの記憶がなく「知らない」や「そんなことしてない」と答えることが多いが、橋本さんの場合は明らかに答えを拒否しているように感じられた>(18ページ)
 ここで読者は橋本さんについてある程度は身構える。だがあれほどの独壇場を予想はできない。
 もちろん作者はしばしば読者を上手にだます。上手にだまされると読者もなるほどと思う。しかしこの場合はたぶん成功していない。拙いだましかただ。
 というのは上記引用部分が、単に言葉だからだ。<私>の受けた印象を書いたに過ぎない。<私>をそう感じさせた橋本の態度をこそ描写せねばならなかった。そのようにして読者にヒントを与えつつ、<私>自体はむしろだまされたままでいるのが、いっそう小説的であろう。
 <答えを拒否しているように感じられた> なぜ感じたのか。
 つまり、橋本を<私>の言葉で説明するのではなく、読者の目の前に描き出さねばならなかった。後半で主人公を演じる人物なのだから、もっとちゃんと描いておくべきだった。
② 橋本の演説を聴く人々が描かれていない。
 橋本のセリフが宙に浮いている。その場所には、老人たちがおり、看護士や介護士がおり、そして<私>がいる。
 これはひとつのシーンなのだ。その場にいる人々は橋本の演説を聴くために集まっているのではない。場違いな場で橋本が唐突にしゃべり始め、当然戸惑いがある。人々のその反応を書けていない。聴衆が唐突だと感じている表情を書けていないから、読者が彼らになりかわって唐突だと感じてしまうのである。聴衆の表情が書けていれば、橋本の演説がいかに唐突であっても読者は納得する。
 映画なら、カメラが演説者から聴衆のほうに移動して、その表情を写しとるところである。映像がないのだから、それを文章で書かねばならない。
③ ラストで<私>の家庭で夫婦がこのテーマを語り合う場面は、ありきたりだ。この夫婦でなければ語りあえない内容とはなっていない。

 いいものをいっぱい持っている作品である。前半は特に文学的だし、家庭生活の描写など、全編通してとてもいい。<私>が不慣れな家事と育児にてんてこまいする姿、食事の準備なども念入りに書かれていて、生活感を充分に出している。こういう部分を手抜きしないのがほんとうの作家だ。
 ただちょっと、子供の描き方である。よい場面もたくさんあるのだが、二歳にならない子のおしゃべりがなんとなくそれらしくない。もちろん、歩いたり、しゃべったりには個人差が激しい。しかし、その個人差も含めて、読者を納得させる描き方がいるのではないか。

山形暁子「軍艦島へ」(「民主文学」19年5月号)

 前項(「難文問題」5月5日)を書いてしまったので、責任上も、しまいまで読んだ。
 結果としては、納得した。興味深い作品だ。
【広島・長崎の被爆者総数が約七十万人で、そのうち朝鮮人が七万人、つまり十人に一人が朝鮮人であり、爆死者は六人に一人、四万人もの朝鮮人の命が奪われていたこと、しかも、生存した被爆者約三万人のうち約二万三千人が、戦後になって帰郷したが、海外での居住を理由に、日本の被爆者援護法の適用はおろか、まともな治療さえ受けられずにきている】(86ページ)
 少しわかりにくい文章だが、たぶん被爆者全体のうちの爆死者が六人に一人、即ち約十二万人であるのに対して、朝鮮人は七万人のうち四万人もが死んでしまい、生き残ったのは三万人だけであった、という意味なのだろう。つまり爆死者十二万人の三分の一が朝鮮人だったことになる。
 にわかには信じ難い数字で、文章の解釈を間違えているのかもしれないのだが、このとおりだとすると驚くべきことだ。
 いま、事実確認する時間的余裕がぼくにはない。だが、これは近いうち確認してみる必要性を感じさせる。
 ここが一番ショックな部分。

 あと、実際に訪れた軍艦島の様子。
 および世界遺産になった経過。
【軍艦島と言えば、誰もが高層建築の廃墟を連想されると思います。ですが、ユネスコへ提出する推薦書には一九一〇年までのものという下限があるそうですので、大正、昭和に建てられた建物がほとんどの廃墟は登録対象にはなっていないのです】(83ページ)
【そうよ。認めたくはないのよ。だってね、日本が軍艦島などを最初に登録申請しようとしていたのは、「九州・山口の近代化産業遺産群」だったのを、岩手県と静岡県を加えて、「明治日本の産業革命遺産」と変えたのも、強制労働を隠微するためだった、と言われているくらいだからね】
【一九一〇年という下限が付けられていたこともね】
【それでさっきね、一九一〇年が元号でいうとどうなるのかアイパッドで調べてみたら、何と明治四十三年だと分かったの。明治って四十五年まであるのに何でと思って、さらに「朝鮮の歴史」で検索してみたのね。そうしたら、何と出て来たと思う?】
【一九一〇年は、日本が朝鮮を植民地化した年だったってこと?】
【そう正解よ】
【これならば、韓国から強制労働の責任を追及されても、「時代が違う」の一言で躱せる】(88~89ページ)
 ここだけを読んでもピンと来ないかもしれないが、小説の流れの中で読むと、とても納得のできる会話である。
 もちろん軍艦島でも大勢の朝鮮人が死んでおり、それが広島・長崎とつながる。
(用語で一箇所疑問。「隠微する」と動詞で使われている。ふつう「隠微な」というふうに形容詞として使われ、「隠れている微細なもの」という意味合いだが、ここでは、「隠す」という他動詞的な用法で使われている。こういう用法があるのだろうか)

 この小説は民主文学の支部長である主人公(三人称高齢女性)と、少し若い男性事務局長との心理的もつれから書き始める。軍艦島に到着するまでが長いのだ。その部分が「のだった小説」で、「のだった」「のだった」とどこまでも続いていく。過去に読者を連れていかない。作者だけが回想する。しかしいったん軍艦島に向けて動き出すと、アットタイムになり、やはり小説が生き生きしてくる。
 すると逆に、冒頭部分は何のためにあるのか、いきなり軍艦島上陸から書けばいいだろう、と思ってしまう。
 ところが、さにあらず、最後に始めと終わりとがぴったり重なる仕掛けになっている。それは読んでのお楽しみ。
 疑問箇所はいくつもあるが、全体としては読ませる作品。

 だが、前項であげた「難文問題」や「のだった」の連続や、こういうところがはじめにあると、読者が挫折するのではないかと心配する。

難文問題

 一日目は、羽田空港へ七時十五分に集合した「Iで演劇に親しむ会」の十二人の仲間たちとともに、こんどの旅の第一目的である東京にアトリエを持つD劇団の公演に客演として招かれたS劇場のコーちゃんこと河野佐和子の応援を兼ねた観劇と、その公演に携わった劇団員たちとの交流にあてられていた。

 一度読んだだけでこの文章が理解できた人、いますか?

文は人なり

 いたたたた。久しぶりにエストリルのクリスマスローズを開いたら、ビュフォンを引いて、「文は人なり」と言われてしまった。5月5日付だから(違うかもしれないけれど)ぼくの5月4日付への回答にぴったりだ。
「タイムマシンの文体が出てこない」と嘆いたら、「文は人なり。ひたすら自己研鑽に励め」と言われてしまった。おっしゃるとおりです。ただいま、励んでおります。木沼さんからもコメントでだいぶ激励をもらったし、毎日、少しずつ書き始めました。
 若いころは3日もあれば60枚くらいは書き飛ばしたけれど、いまはそうはいかない。1行書いては2行消し、行ったり来たりしながら書いている。

「民主文学」19年5月号

柴垣文子「森の記憶」
 この人の作品とはどうも相性が悪い。でも連載はそのときに読まないと結局読めないので、読んでいくことにする。そのうち合ってくるかもしれない。

田本真啓「キングゴリラ」
 この人の第一作がとても良かったので、期待して読むのだが、二作目はダメだったし、この作品もピンとこない。今回は特に言葉の使用法でしっくりこないところが目に付いた。
 二作目はそれでも実験作かなと思わせたが、今回作は基本的な文章作法に疑問を感じた。
 しかし、第一作のようなものが書ける作者なのだ。今後に期待する。

白武留康「和解」
 書きなれない人の作品でぎこちないのだが、それを吹き飛ばして読ませる力がある。作者、82歳、元中学教師。70年ころの田舎の中学校を書いている。保守的な農村地帯と、労働運動に湧く炭鉱地帯とが隣り合っているような町。教師たちも賃上げを求めてストライキを打つが、農村地帯の生徒の親たちは冷ややかな目で見ている。
 主人公の父親は上の息子二人を戦争で殺されている。大学まで出した末息子が戦争を批判するのが耐えられない。息子たちが犬死だったとは絶対に思いたくない。主人公は若さの至りで単純に反発する。父の後を継いで百姓をしている兄が、二人の間を上手に収める。
 こういう人物配置が、フィクションかノンフィクションか不明だが、小説の作り方としても巧みである。
 時代の空気、さらにその土地の空気をよく表現していると思う。
 こういう作品に出合えることが、「民主文学」を読む楽しみなのだ。

タイムマシンが書けない

 そろそろ「タイムマシン」の後編にかからねばと思い、どう書いたか思い出すために、前編を読み直した。そこで躓いた。前編と同じ文体を再現できそうにない。
「ふくやま文学」のメンバーに送ったときに、一人から、「いままでと作風が違う」と言われたが、そのときは「そうかな」という感じだった。しかし、いま、彼女の言がつくづく思い当たる。たしかに、これはぼくの文体ではない。いま、同じ文体が書けそうにない。
 これはつまり、内容以前の問題だ。内容も、じつはどう書くかさっぱりわかっていない。書き始めたらペン先から物語が生まれてくるのがぼくの方法なので、書き始めさえしたら、なんとかなるかもしれないと思っていた。
 ところが前編の文体を取り戻せないとなると、書き始めることもできない。前編と後編とで文体がガラッと変わったのではぶちこわしだ。だいたいそれでは話が進まない。別の物語になってしまう。というか、そもそも物語が成り立たない。
 あれを書いたころ何を読んでいただろう、と思い返している。そのとき読んでいる本の影響をどうしても受けるからだ。それがわかれば、それをもう一度読んでみるという手があるかもしれない。
 書いたのは2013年である。それは分かっている。作中に「2013年から来た」と書いてある。ジャストタイムのその年にしたと覚えている。
 2009年の9月いっぱいで退職し、その暮れに単身福山に来た。リーマンショックの直後だった。そのころ人に出した手紙の草稿がパソコンに残っていて、「湯浅誠、雨宮処凛、ドストエフスキーを読んでいる」と書いてある。
 一年後の2010年の秋から、「民主文学」に復帰した。数年は雑誌の隅々まで読んでいた。「盗難」と「ノロ鍋始末記」とを書いた。
 2011年に津波と原発の崩壊が来た。原子に関する本を何冊か読んだ。
「まがね」の掲載料が負担になり始め、「民主文学」にも載せてくれそうにないので、人に読んでもらう方法として、ブログを始めた。ところがじきに気づいた。ブログで人が読むのはブログ向きの話だけだ。
 その頃からすでに書けなくなっていて、30年前に書いたものばかり再発表してごまかした。「タイムマシン前編」は例外的に書けた。「盗難」「ノロ鍋始末記」「タイムマシン」だけが新作で、あとはすべて30年前の作品だ。「三郎」も「平井真」も「スプーン」も「失われた夜」もほぼそんなところだ。あっと「コスモス」は新作だった。だが、これは駄作だ。これも書き直したいが、できるかどうかわからない。
 それで、結局何を読んでいただろう。13年のころというのは、シールズのころだろうか。高橋源一郎を読んでいたころか。あとは雑誌を読むのが忙しくて、まともな本が読めなかったかもしれない。「福ミス」の入賞作品を片端から読んだのはいつだったか。どうも思い出せない。

「タイムマシン」はもちろんウエルズだが、文体が誰の影響なのか、わからない。ウエルズを読み直してみるか。いずれにせよ、少し文学的なものを読み直す必要がある。

「ふくやま文学」合評会

 この日曜日(14日)が合評会です。「ふくやま文学」を読まれた方は感想をください。一部の作品でも結構です。参考にしたい。
 このブログへのコメントでも、メール添付でもどちらでもどうぞ。

4月1日

 月曜日のこと、ぼくはめったにテレビのスイッチに触ることがないが、老化現象著しく、大阪の選挙が終わったと思い込んで、結果を知ろうとスイッチを入れた。
 とたんに、お祭り騒ぎが飛び込んできてびっくりした。きょうこの問題に無関心なのは日本中でおまえだけだ、と思わせるような騒ぎである。もちろんそんなことはない。話題作りがメディアの飯の種だから、騒いでいる人だけを写しているので、無関心な人は写さない。のだが、それでも平成のときと違ってかなり盛り上がっているのは事実だろう。
 ぼくだってイベントは大好きだから、人々が喜んで騒ぎ立てるのに異議を申し立てるつもりはない。酒飲みがなんにでもこじつけて酒を飲むのと一緒で、イベントというのは意味のないことに意味をこじつけてでも楽しむ。そもそも文化とはそういうもので、それが人間生活を豊かにしているのだから、それでいいのだ。
 節分と巻きずし、バレンタインとチョコレート、ハロウィーンのバカ騒ぎ、金儲けの仕掛けづくりに忙しい商売人たちと、話題が欲しいメディアと、楽しみたい我々と、合意の下でイベントを作り上げてきたのだ。
 ただ、今回のイベントは少し違う。国家権力が背後にいる。商売人とメディアと一般人と、三者だけの騒ぎなら目くじら立てない。だがそこに国家権力が加わると、やはり嫌な感じがする。こんなにもやすやすと人々は国家の宣伝に乗ってしまうということを見せつけられている。

 万葉集はぼくも好きだ。たいして読んでいないが、岩波新書の北山茂夫「万葉の時代」は愛読書だった。中西進先生も好きだ。いつも楽しみに読んでいる。だからケチをつけるつもりはない。令は命令の令で、命令に従う人々の姿形の整っている様から、「よい」という意味に転化したという経過があっても、漢字とはさまざまな経過から生まれて、さまざまに使われてきたのだから、それはそれでよい。
 もとは中国古典だ、といわれても、そもそも漢字は中国語だから仕方がない。元号も中国の真似だし、一世一元の制も真似だ。すべて中国に何百年も何千年も遅れて真似ている。でも明治に入ってヨーロッパ語から漢字への翻訳は日本人がやり、それを中国人も使っていると安倍君が言ったのもほんとうだ。文化はおたがいに影響しあう。なんの問題もない。
 中国をいやだと言うなら、漢字を使うのをやめたらいいだろう。ひらがなで元号を作ればいい。ひらがなももとは漢字だが、漢字には意味があるが、ひらがなにはない。これは日本人が自由に使える文字だ。たとえば「あきらか元年」だとか「きよらか元年」だとかする。
 ここまで徹底すれば、ほめてやる。

 秘密の保持に徹することで、人々の関心を盛り上げた。うまい作戦だった。意味のないものに意味を与えた。
 だが、問題がある。それは元号が単に文化ではないということだ。つまり元号法というものがある。法律なのだ。法律が秘密裏に運用されるということは問題だ。これが法律ではなく、国家と関係ないところで作られるなら、それは純粋に文化だ。だがいまの元号はそうではない。
 元号が国会を経ずに内閣で決定されたことを問題視する投書が新聞に載った。当然だろう。法に関する権限は国会が持っている。たしかに法の運用は内閣の権限だが、どこまでが国会で、どこからが内閣かは、微妙な問題だ。それを判断するのは司法の役割だが、日本の司法はあまりそういう役には立っていない。

 しかし、よりによってエイプリルフールにやるかねえ、まあ、エイプリルフールもイベントに過ぎないが。

「文芸同人誌案内」復活

 笹本さんありがとう。「文芸同人誌案内」が復活しました。当ブログのリンクから入れます。

ヤフージオシティーズ

 先日、高原さんのホームページが消えるという連絡があって、そんなことがあるのかと驚いていたら、「文芸同人誌案内」が消えてしまった。ヤフージオシティーズというサービスが終了したのだそうだ。筑波にいる甥のホームページも消えた。
 いまのところブログ関係はどこも無事のようだが、いつどうなるかわからない。必要なものはコピーしておくべきだろう。
 ネット世界に疎いので、事情は分からないが、むかし、携帯電話が無料提供されていたころがあった。むろん通話料で元はとっていたのだが、携帯を普及する手段でもあったわけだ。普及し始めると、もちろん有料になった。ネット上のもろもろのサービスも、だんだん有料化されてくるのかもしれない。
 ところで、「文芸同人誌案内」はどこかに無事引越ししたのだろうか。それとも打ち切りになったのか。ご存知の方教えてください。

「ふくやま文学」31号発行

 発行 2019年3月1日
 内容
 小説
 「暗い谷へ」糟屋和美
 「穴蔵生活」岩田典子
 「シンチャオ」わだしんいちろう
 「空に躊躇う月」荻野 央
 「音のない花火」花岡順子
 「夏至」落合トア子
 「白い風船」もろ ひろし
 「午前2時の魚」瀬崎峰永
 「再会」白石宏平
 「遠い海鳴り」河内きみ子
 「朝」石崎 徹
 「母の箪笥」岡野初枝
 「Fall into the sky」高橋 朋
 「尋ね人」中山茅集子

 その他、詩、児童文学、随筆など

 福山市蔵王町3197-3
 大河内喜美子
 定価500円

 たぶん送料が要ります。電話番号の記載がないので、住所までお問い合わせください。

「樹宴」16号発行

発行 2019年2月28日
内容
「ちぎれ雲」大丘 忍
「林檎と涙」木沼駿一郎
「花屋さん」池田忠昌
「サンフランシスコに暮らして」池田忠昌
「つまらない話」石崎 徹
「綿毛(第2回)」守屋陀舟

 傑作ぞろいです。
 ご注文は以下まで。

 東京都葛飾区水元311-14-1204 深井方
 樹宴文学同人会
 TEL 03-3600-2162

 定価が書いてないので、お電話ください。

大浦ふみ子「こん畜生」(「民主文学」19年4月号)

 ぼくの小説観が変わったのか、それとも作者の書きかたが変わったのか。
 好きな作家なのに、今回作はとても読みにくかった。
 この作家の作品評をこのブログに3回書いている。
 11年8月「佐世保へ」
 17年3月「谷間にて」
 18年3月「燠火」
 最初と二回目の間が空いているが、たまたまぼくが読んでなかっただけで、たぶんその間も発表しているだろう。
 いずれも好評している。ストーリーはすでに忘れているが、よい作品だったという印象は残っている。
 だのに、今回作は何度も引っかかって、すらすらと読めなかった。
 以前の作品を読み直していないので、今回作とどこが違うのか、あるいは違わないのかというのはわからない。
 今回作の読みにくかった理由を書く。

 最初に言っておくが、ともかく最後まで読んだ結果、その内容には興味を引かれた。三菱長崎造船の労働者の半世紀にわたる労働と闘いの記録である。
 それを女性作家が書いている。登場人物たちはほとんど男ばかりだ。女性作家がここまで書けたということは評価したい。

 だが、そのせいかもしれない、あるいはそう思って読むからなのかもしれないのだが、現場の臨場感が感じられない。男臭さが欠けている。
 回想文なのだ。現在と過去とを行きつ戻りつしつつ書いていく。田島一の「時の行路」によく似ている。そしてぼくが感じる読みにくさも、その点なのだ。
 回想が必ずしも悪いわけではない。だが、「いまから過去に帰るぞ」と最初に宣言してどっぷり過去を書いてくれたら、いっそすっきりしただろうと思う。つまり過去を過去形ではなく、現在形で書く。読者を過去に連れていく。直接話法で過去を書く。読者と過去とを対面させる。ぼくが欲しいのはそういうものなのだ。ぼくの目の前でドラマが展開してほしいのだ。
 だが、作者が使っているのは、「時の行路」でおなじみになったあの方法、主人公が何かしながら過去を思い出し、しばらく経つと現在に戻る。戻ったかと思うとまた過去に帰る。
 <がくんと船が揺れ我に返ると>
 我に返ってもかまわないが、2行もせずにまた過去にもどる。せわしなくて、目の前に絵を描けない。ぼくは絵を描きながら小説を読むので、こういうことはたいへん困るのだ。
 もちろんそういうやり方で効果を上げる小説もある。わざと読者をめまいさせていくような、めくるめく物語だ。これは高等テクニックである。特殊な技法であって、ふつうの小説に使うような方法ではない。簡単に成功するような方法ではないのだ。
 ぼくの眼から見ると、この作品の場合極めて安易にとられているように見えるこの手法は、アマチュア作家によく見受けるような気もするが、ひょっとすると日本の小説の歴史のなかに、もともとある手法なのだろうか。ぼくは日本の小説をほとんど読んでいないので、これは誰かに教わりたい。
 物語は1965年から始まる。三菱長崎造船の労働組合を会社が分裂させて御用組合を作る。ほとんどの労働者がそちらに流れていくなかで、第一組合で戦い抜いた人々の物語である。人々と書いたが、じつはここで書かれているのは二人だけだ。この二人がどちらも主人公なのだが、その片方の視点で書く。視点人物から見られているほうの人物はかなりよく書けている。こちらが主人公としてもよい。そのわりに、視点人物のほうがあまり書けていない。
 中途半端になった。この短い作品で半世紀を書こうとしたら、主人公は一人にすべきだった。二人を書くのなら、時代を絞るべきだった。長い時間帯の中で二人の人物を書こうとするので、結局文章が説明口調になってしまい、描写が存在しない。シーンがないのだ。読者が立ちどまってつくづく感じとれるようなシーンがない。
 通俗的なセリフが目立つ。<あんないい人が><泣いている場合か>
 もちろん労働者だから、通俗的なセリフしかしゃべれないが、それが生のまま小説に出てきては困るのだ。いや、いっそ生らしく書いてくれればそれも一興なのだが、なんとなく小説的に書かれては困るのだ。そこに現場の血と汗とが感じられるような形でしゃべらせてほしい。
 南城氏の「いっぽ」は文章は下手だったが、現場の雰囲気には間違いがなかった。労働者の肉体が感じとれた。大浦さんの文章は整っているが、実在感がない。
 長い闘いなのに、二人だけだ。他の人の顏が見えない。いや、二人を書くにさえ不足する枚数なのだからそれ以上書けないが、なんだか二人だけで闘っているように見える。やはり二人を書こうとしたことが無理だったのだろう。どちらか一人に絞れば、かえってその周りの人も登場しやすかったのではないか。
 二人を書いているので、<彼>と出てきても、とっさにはどちらの彼か判断しかねる。視点人物が視点人物になりきれていないのだろう。
 時間の経過がほとんどわからない。50年間がどういうふうに流れていったのか、そこがいちばん大切なところだと思うのだが、時間がごちゃごちゃになっている。
 組合分裂問題、不当労働行為、差別、労働者の対応、御用組合員への働きかけ、合唱団、演劇グループ、腰痛による病休、そしてじん肺、最後に軍艦問題と、あまりにも問題が山積みすぎて、これでは無理だ。千枚くらい書かねば書けない内容だ。短編はもっと問題を絞らねば。

「民主文学」19年1月号~

「民主文学」の評をずっと書いてない。読めてないこともあるが、少しは読んでいる。書く暇がないのだ。
 1月号は例会で取り上げたこともあって全部読んだ。能島、仙洞田はそのときに確か書いた。
 櫂悦子も面白く読んだ。「謝辞」と全然違う作風で、こんなものも書くのだと興味深かった。
 散髪屋の老婦人と、その亡夫の幼馴染である鍛冶屋のおやじ、そのそれぞれの労働と会話がうまく調和していた。ただ話が最後に息子のことに収束していくのに、相手の女性がうまく書けているわりに、息子の存在感が乏しいのが気になった。
 それと「日本人離れした」というと普通、脚が長くて彫りの深い西洋人ぽさを誉める形容として使うが、ここはコンプレックスとして使っていて、違和感があった。
 横田昌則も面白く読んだはずなのに内容が思い出せず、いまめくってみて、多少思い出した。部下の怠慢を責めていた筈なのに、責められるべきは自分だったのだと気づく、その逆転劇がなかなか小説的だった。そういう小説的仕組みでもって、介護現場だかの深刻な人手不足を訴えている。
 出来のいい作品なのになぜ記憶に残らなかったのだろう、と思案している。(単にぼくの老化現象かもしれない)。
 同様のことは、かなれ佳織にも言える。この人の作品もいまめくってみてけっこうおもしろく読んだはずだと、思い出した。なのにすでに内容を忘れていた。読み手のがわに、老化現象もあれば、身辺にもいろんなことがありすぎて、読書の記憶がすぐに吹っ飛んでいく。
 桐野 遼「ときどき、不可解」
 これも内容の細かいところは忘れたけれど、ただ印象は強かった。女性の視点で夫を書いている。再婚どうしだ。民商の活動家だ。中高年再婚して20年経ったが、夫は過去を語らない。あなたの過去を知りたいと妻のほうから言いだして、夫が捨ててきた北海道へ二人で訪ねる。そこで夫の過去に少し触れる。それ以上立ち入ったことは書かない。そして夫の意味不明の言動に触れるつど、妻は「ときどき、不可解」とつぶやく。それは不可解なものを許している言葉なのだ。
 2月号の鶴岡征雄、50年前の青春記だが、小説としての面白さが十分にあった。青春はどの時代でもいい。変に理屈っぽくせず、型にもはめず、ひとつの個別の青春として書いているから、それがかえって時代を浮かびあがらせる。
 秋月礼子「樹々のそよぎ」
 これがたいへん印象的だった。内容はほとんど忘れても、強い印象を受けた作品はその印象は残る。
 精神を病んでいる人たちの話で、登場人物たちはすでにそんなに若くない。だが若さを感じさせる。爽やかさがある。語り口が独特なのだ。短い作品だが、さらに短い幾つものシーンをつなぎ合わせたような感じ。その行間から人生への愛おしさが立ち昇ってくる。
 なかむらみのるは書き出しの文章に問題があり、終わりまで読んだはずだが、印象が残っていない。
 3月号。
 巻頭作で躓いた。
 いま、いろんな仕事を抱えていて、すっと心に入ってこないものはなかなか読む気になれない、というこちらがわの都合もあるのだが、2、3ページで挫折した。
 ぼくに言わせるとこれは小説の文章ではない。説明文だ。視点のないのがよろしくない。視点というものが常に必要だとはぼくは思わないが、作品によっては視点が欲しいと思わせてしまうものもある。
 事実とは何だろう。事実は平板なものだ。事実には何もない。これを意味づけるのは人間である。熱いと言い、冷たいと言っても、そう感じるのは人間であって、人間がいなければ熱いも冷たいもない。事実は主観を要求する。誰のまなざしのもとにとらえられた世界なのか。誰が見ても同じ世界、同じ事実というものは存在しないのだ。
 ぼくは文体とはそういうものだと思う。
 それがなければ小説ではない。
 というわけで3月号は読む気がしなかったのだが、(巻頭にどれを持ってくるかは重要だ。巻頭が悪いとその先を読む気がしない)、ふと、野里征彦の名前を見つけて食指が動いた。とやかく言ってみても、ファンというのはそういうものなのだろう。
 野里征彦「静かなる酔っ払い」
 書き出しからすっと読者を入らせる。うまい書き出しだ。アマチュアは書き出しで肩肘張る。慣れた人は何気なく書き出す。ように見えるが、その何気ない書き出しを生み出すのが才能なのだ。
 途中何度か躓いた。
 車のなかで兄弟が亡父を語る場面。最初のうちはいいのだが、露骨に安倍内閣批判が始まると、これが父親の語る場面の同時中継ならいいが、兄の口から思い出として語られると、安っぽくなってしまう。
 その後、偲ぶ会でさまざまな人が父を語る。これはどうもちょっとという感じがしたが、どれも短く、繰り返しにはなっていないので、まあ、読ませた。最後の一行でうまく締めた。
「おれたちは親父の意思を少しは受け継いでいると言えるのだろうか」
「……」
 この兄の沈黙がいい。
 「こつなぎ物語」以来の野里ファンなので、点が甘くなったかもしれない。

出演俳優が罪を犯したら

 出演俳優が罪を犯したので、NHKがその映像を見れなくしたそうだ。これ、日本の話? ソ連か中国のことかと思った。

小泉提案のネット投票

 小泉二世が、妊娠・出産で登院できない女性議員に代理投票の機会を与えようと提案して批判され、今度はネット投票できるようにしようと提案している。
 この提案は慎重に審議したほうがよい。
 民主主義は形式を大切にする心によって保たれる。形式なんかどうでもよいではないか、大事なのは内容だ、とする考え方は民主主義にとって危険である。
 うろ覚えだが、イギリス映画に面白いのがあった。イギリスにもやはりアフリカ人を奴隷にできる時代があって、これの禁止のために立ち上がった議員がいた。その若い議員の提案に強硬に反対する保守の大物議員がいた。若い議員は、大物議員が大好きなダービーを見に行って議会を欠席するに違いない日をねらって議案を提出し、まんまと通してしまう。策略を知った大物は激怒するが取り返しがつかない。(細部をだいぶ間違えているかもしれない)。
 無理をしなくてもいずれは通せる多数派がこんな小細工を弄すれば疑問だが、少数派が背に腹替えられず知恵を絞るのは必ずしも責めらるべきとも言い切れないだろう。
 議員本人が議会に集まってそこで採決するというのは形式に過ぎないが、形式を大事にする精神をすべての人が共有することで、少数意見が多数意見を覆した。
 この形式を時代遅れだとして、代理やネット投票を認める、その動機はうなずけるが、形式を破壊する場合には、そのことで思いもよらないことが起きるかもしれない、という予測はしておく必要がある。
 新しい酒は新しい革袋に入れろというが、古い革袋が存在することにはそれなりの必然性がある。

太宰治再読

 最近機会があって太宰治を読み直した。といっても短編集を一冊だけだが。
 太宰治を読んだのは15歳になる直前だったから、ほぼ60年ぶりである。
 中学3年の新学年の初夏に、ふと手にしたのがどの作品だったのか、もう覚えていない。たちまち虜になって本屋に通い、角川文庫の太宰治は全部買った。こだわるたちだったので、いったん角川を買い始めると、ほかの文庫をぼくの本棚に紛れさせるのが嫌で見向きもしなかったから、角川以外は知らない。
 全部読んでしまうと、学校の図書室にある太宰治を片端から借り出して読んだ。夏休みに入っても、まだ図書室に通ったような記憶があるが、図書室は夏休み中もときどき開いて貸し出していたのだろうか。
 夏休み中にほとんど全部読んだ。ただ、「右大臣実朝」と「新ハムレット」だけ読み残し、ずっとそれが気になりながら、結局60年間読まないままできた。
 二学期からは「アルト・ハイデルベルグ」や「若きウェルテルの悩み」を読んでいた。
 ところがそれ以後、太宰治を読み直した記憶がない。もともとどんなに気に入った本も二度とは読まない習慣だった。一度読めば細部まで覚えていた。
 だが、60年経つと、すべてはおぼろげだ。
 今回読んだのは、やはり角川文庫で、「女生徒」である。女性の一人称作品ばかり14作を収録している。
 どれもタイトルに記憶があったが、内容は忘れていた。読み返して思い出した。
 文章のうまさはいま読んでも感じる。どの短編も読み始めると止まらない。リズム感がよいので読んでしまう。だが、もちろん少年の日の圧倒的な共感はいまは遠い。あの頃はどれを読んでも自分のことが書かれていると感じた。「女生徒」は特にそうだった。教師も、「これを読んだ人はみな自分のことが書かれていると感じる」と言った。そのとおりだと当時は思った。いまでは、どこでそう感じたのだろうと首をひねる。
 今回最も面白かったのは、「十二月八日」である。
 もちろん真珠湾奇襲の日だ。
 百年後の人のために、この日を一切の嘘を排してありのままに書くと断って、自らの妻の一人称で、夫(自分)や夫の友人、娘、近所のひとたちの何気ない一日を書き綴っている。もちろん事実そのままではないが、その日の庶民の表情をそれなりに写し取っていると思う。
 最近ルポルタージュに関心が向いているが、小説の形でも、時代の表情を描けるのだと感じた。
 建前と本音が錯綜する庶民の複雑な心情がありのままに写し取られている。

 もう一点、追加。
 巻末の経歴で敗戦から三年で死んでいるのを知った。39歳で死んだことは知っていたが、敗戦からわずか三年とは思わなかった。

コメントの字数制限

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 かつてメチャクチャ長くて読みにくいコメントをくださる方がいたので、やむを得ず制限したら、500文字になってしまいました。500文字では何も書けないので解除します。2000文字くらいはいいですよ。原稿用紙5枚です。それを超えるものはメール添付でもらいたいが、メールフォームからでは添付機能がないかもしれない。メールフォームで連絡をもらえれば、折り返し、メールします。

「幽霊」へのコメント BY ぼたこ

 先日、「幽霊」を読ませて頂き、拍手が精一杯だった者です。 
 さて、「幽霊」についてですが、物語の中には、平坦で、切れ目のない、湿度を持った時間の流れと、ぼんやりとした空気を感じます。それは、私の想像する主人公の「私」がそう感じさせているのかもしれません。「私」は異郷で暮らし、祖母の葬儀に間に合わなかった。長く会っていなかったので、逝ってしまった実感がない。だけど、それは事実だ。かと言って、「私」は自分が生きているという実感もない。「死」があることも知っているけれど、まだそれは、ぼんやりとしている。そして、自分が生きていることも、自分の未来もぼんやりとしている……そんな「私」の若さ、危うさがあるからではないかと思います。私自身、若い時の「過去」はずっと昔で、「未来」はずっと先で、すべてがぼんやりしていたと感じるのです。ましてや「死」は不思議な感覚で、自分が死ぬことなど想像できずにいました。
 そして、時間の流れ方、早さは変わっていくものだと、だから、自分の中の時計を時々のぞいてみようと思うのです。「私」が眠る前に見たゴッホの絵は、何だったのですか。まとまりのないコメントお許しください。

「幽霊」へのコメントありがとう。

 うれしいコメントなのに、昔の記事についていて目立たないので、本文に移したいのだけど、いいですか。承認いただけたら移します。コメントからでも、メールからでもいいです。
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