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「時の行路」雑感

 小説にはこう書かねばならないというような決まりはない。どう書くのも自由だ。どんな小説もあり得る。
 だが読者には馴染んだ小説への親近感があって、それを外れるものを読まされると、あっちこっちで引っかかって読書が進まなくなってしまう。
 先入観を捨てるべきだ。頭を白紙にして、まず素直に受け入れること。あれこれ考え始めるのは終わりまで読んでからでいい。小説は終わりまで読まねばわからない。
 少なくとも、この小説は労働問題の諸相への知識を拡げてくれる。そういうつもりで読むと素直に読める。

田島 一「時の行路」

「マルクス」はお休みにして、田島一を読んでいる。11月の中国研究集会の講師なので注文していた代表作、「時の行路」上巻がアマゾンから届いた。
 上巻だけで400字詰めにして千枚近い。はじめのうちたいへん読みにくかった。どうしてだろうと思ったら、ぼくのなじんできた小説とかなり違う。だから、小説だと思って読むと違和感がある。小説だと思わずに読むことにしたら、すらすらと読めるようになってきた。
 小説観は人それぞれだから。

「ネップ」聴涛 弘

 社会主義理論学会の「マルクスと21世紀社会」をずっと読んでいる。
 ただし、全部で10章あるなかの1章、2章を保留にして、3章からいま8章まで来た。
 2章がこの本をくださった人の論文なので、最後に落ち着いてじっくり読むつもりだ。
 各章のタイトルを略述すると、3、民族問題、4、成熟社会論、5、インターネット(はるかぜちゃん)、6、原発、7、経済システムのトリアーデ、8、ネップとなっている。
 このうちの8、ネップについて語りたい。

 第八章 ネップ(NEP)、ノップ(NOP)、ネオネップ(NEONEP)
     ――中国のマルクス主義学者・余斌氏の講演を聞いて――
                              聴涛 弘

 話は社会主義理論学会が慶応大学で企画した余斌氏の講演の後、会場から「レーニンのネップをどう思うか」という質問が出て、余斌氏が、「いまの中国はレーニンのネップをはるかに超えて資本主義化している」と答えたというところから始まる。この余斌なる人物が中国の政策にどの程度影響力を持っているのか、いないのかも不明である。聴涛氏の論述も中国問題とは無関係で、ただ話のきっかけとして語ったに過ぎない。(もっとも最後にまた中国の未来を問うところで終わるのだが)。
 この最初の部分でおもしろいのが、中国人はマルクスなど読まなかったが、最近になって資本論が読まれている、それは中国がやっと資本主義の段階に到達したからだ(という趣旨のこと)が余斌氏によって語られたと述べていることだ。余斌氏の著書は「さあ、資本論を読んでみよう」というタイトルで、それを日本語に翻訳した女性が当日通訳したが、「自分もマルクスを初めて読んで、これはいまの中国にとって必読の書だと思った」と述べたという。
 しかし、その話は単なるきっかけで、すぐに百年前に遡る。レーニン、ブハーリン、トロッキー、ジノーヴィエフ、カーメネフ、プレオブラジェンスキー、スターリン等のネップをめぐる争論の経過を述べるが、著者は誰の論が正しいとも言わない。時代の困難さに思いを馳せるのみである。だが、最後にグラムシのスターリン批判を出すことで、現代中国に対してとるべき態度に、何らかの示唆を与えている。
 ぼくは国際共産主義運動も、ロシア革命史も知らないので、たいへん興味深く読んだ。この本で読んできた論述のなかで一番面白かった。
 けれどもぼくがいまここで語りたいのは、彼の論述の内容ではない。なぜ彼の話が面白いのかという、そういう脇道の話なのだ。

1、未来の話ではなく過去の話である。
 未来の話というのはSFとしてしかありえないとぼくは思っている。ぼんやりとした方向性を思い描いたとしても、それはつまり願望や危惧としてである。細かなデザインを描いてしまえば、それはもはやSFである。
 われわれに迫られているのは、いま直面している諸々の問題に対してどういう態度をとるのかということであって、そのとき我々が参考にできるのは過去である。
 ぼくが過去を知らなさすぎるからそう思うのかもしれないが、誰しも過去を充分に知っているわけでもないだろう。過去に関する情報も日進月歩なのだ。

2、誤字、脱字、日本語になっていない言いまわし、がない。
 こんなことは文章を書く上での初歩にしか過ぎないのだが、聴涛弘氏の文章はまともな日本語である。たいへん読みやすい。言い換えれば、この本の他の著者はかなりいい加減な綴り方をしている。揚げ足取りのようだが、出版する以上、こういう基本はおさえるべきだろう。
 ぼくの見たところ、聴涛氏の文章には脱字が2箇所あっただけである。ほかの人はだいたい1ページに何箇所もある。
 その上に意味の取れない言いまわし、日本語になっていない言いまわしが随所にある。聴涛氏には一箇所もない。非常にきれいな日本語だ。

3、話の進め方がうまい。
 話がテンポよく進む。言いすぎてもなく、言い足りなくもない。読者の興味と理解がうまくつながっていく。諸人物の論文の引用が的確で、しつこさがない。

4、性急に結論を出さない。
 時代の困難さをよく理解し、その時代のなかで問題を考える。いまの立場から論断することを避ける。そういう歴史のアンサンブルを踏まえたうえで、いまを考えようとする。

 総じて彼は頭がよい。読んでいて一番感じたのはそのことだ。

 聴涛 弘 83歳。4.17問題の責任を取らされて辞職した聴涛克巳の次男である。

はるかぜちゃん

「社会主義理論学会」という学会がある。ときどき報告会をし、報告集を発行する。去年、本の泉社から「マルクスと21世紀社会」という報告集を出した。立派な装丁の255ページにもおよぶ本で、2000円する。
 執筆者の一人がくださったのだが、歯ごたえのある内容で、なかなか読めない。とりわけ、くださった方がITの専門家で、ITが社会をどう変えるかということを資本論と照らし合わせながら、つまり「価値」論から展開していくという、門外漢のぼくにとってはかなりきつい内容である。
 それでも「まがね」を読んで感想をくださる方なので、義理でも読まねばならないのだが、読みかけて挫折し、ちょっと気分転換に、他の論文をあたってみた。すると、読みやすいのがあった。

 第五章 子どもが安心してインターネットを使える社会としての民権型社会主義
  ――インターネット上の少女タレント・春名風花とその周辺の観察から――
                                  平岡 厚

 春名風花(はるかぜちゃん)という十代の少女タレントが、小学生時分からブログをつづっていて、人気もあるのだが、攻撃もものすごくされている。
 論の前半は、攻撃する人間たちの、いわば心理分析というか、その社会的背景などの分析である。
 特に変わったことは書いていない。日ごろから目にする内容だ。ただ、この論のなかではないが、攻撃されている内容について、それが誹謗中傷に過ぎないということを、先行発表した著述につまびらかにしたと述べている。それを前提にして書いているということが学者らしい。
 専門はまるで違う。杏林大学の生化学者である。理学博士だ。健康に良いという水を分析実験して、根拠がないという報告を出したりしている。超常現象を批判する学会にも籍を置いている。ぼくとほぼ同じ年ごろで、つまり学生運動の経験者だ。
 はるかぜちゃんについてはつい最近朝日新聞でも読んだので興味を引かれたのと、読みやすい内容なので読んだ。書かれていることに異議はない。でも、少し気になった点はある。
 著者が、ネット上の口汚い攻撃者たちを、「変節」した人たちと呼び、この「変節」という単語をしつこく繰り返した点だ。「誰に対しても常に相応の敬意を持って臨むべきだ」という精神を失った人たち、という意味で使っている。
 その言葉がまるで固有名詞のように繰り返されると、違和感が生じてくる。普通名詞(というか動詞だが)を固有名詞のように使用されると、ぼくは常に違和を覚える。

 それが論の後半に来ると、まるで内容が変わってしまう。「子どもが(口汚い攻撃にさらされずに)安心してインターネットを使える社会」とは社会主義社会だ、ということで、その社会の話になってしまう。
 なるほどタイトルを読めばまさにそのために書いているのだ。だが、ぼくはそこから急に読む気が失せてしまった。

 そこに著者が書いているのは、未来社会と、そこに至る経過の設計図である。いささか細かいデザインなのだ。
 そんなものはマルクスだって書かなかった。マルクスがやったのは資本主義の分析だ。そこにいかなる矛盾があり、その解決の担い手がどこに見出されるか、ということだった。未来社会を決定するのは未来の人々である。として、それについては触れなかった。
 わかる筈がないのである。未来社会は空想物語としてしかありえない。必要なのは、いまどういう問題があり、それをどうやってよりよくしていくかということだろう。話が現実を離れて設計図になってしまうと、ぼくは関心を失う。
 空想的社会主義を否定するわけではないのだ。だが、それはもっと現実的なモデルとして、実験的に実践されるところに価値がある。そこから何かを見出せるかもしれないからだ。
 頭のなかだけの空想的社会主義には興味を持てない。

 けれども、論の最後で、著者が、半ばはるかぜちゃんに舞い戻るような形で、学生運動時代の自分自身への反省をも込めて、「敵・味方」に分けてしまいがちのあらゆる思考方法に対して否定している部分は胸に落ちた。
 実際、はるかぜちゃんのブログを読んでみれば、十代とは思えぬ包容力に驚いてしまう。著者もそれに対して素直に脱帽している。

縦書“――”問題

「まがね」60号の編集作業中、今年のたぶん5月か6月頃だったと思うが、Windowsのいつもより長い自動更新があった。そのあと、WORDの変換機能がめちゃくちゃになった。
 もともと徐々に悪くなっていたのだが、このときの自動更新はひどかった。変換候補が極端に限定されてしまった。
 縦書原稿に“――”と打っても(いわゆるダブルダッシュ)、“―”と“―”とが離れたままでつながらない。
 ネットで見ると、MS明朝はつながると書いてあるが、すでに情報が古い。更新される前までは確かにつながっていたが、更新後つながらなくなった。
 Windows10をやめて元に戻す人が大変多い。Windows10はスマホ向けのソフトになってしまい、パソコンでは非常に使い勝手が悪い。それでも戻せないのは、10以前のWindowsはセキュリティサービスを停止するというからだ。
 セキュリティサービスを停止されてはどうなるか不安なので、戻せない。だが本音を言えば、Windowsは更新して欲しくない。使い勝手の良いものをどんどん悪くしていっている。
 Microsoftの技術者はよっぽど意地が悪いのか、それとも頭が悪いのか。

「樹宴」次号予告

 原稿は送ったが、現在、編集者に苦労を掛けている。パソコン間の送信で、かなり異同が出た。長い原稿なので、最初気付かなかったが、印刷してみたら、いっぱい出て来た。甘くない。
 理解しにくい、読みにくい内容の原稿なので、煩雑な部分をズバッと削るつもりだったのだが、結局少ししか削れなかった(未練かな)。
 はたして読んでもらえるだろうか、と今から懸念している。400字詰め換算で、142枚である。若気の至りの小説である。

民主文学の変換ミス。

 今日書いた米騒動「民主文学8月号」の128ページ中村光夫氏の文中、「米どころ富山は米価高騰(不作や騰貴が原因)に何度も苦しめられていた」のところ、この箇所の「騰貴」は「投機」の間違いであろう。

米騒動百年

「民主文学9月号」は6篇の短編を掲載していて、8月号を読んだ直後にすべて読んだ。読んだ時にはいずれもよい読後感があった。ところがいま思い出そうとしても思い出せない。町内会のことなど、頭を占める問題が多いことも一因だが、老化による記憶力の減退が進んでいるのは確かだろう。
 しかしまた、短編というのはそういうものかもしれない。プロの小説だって、短編はそんなに記憶に残るものではない。やはり、最低百枚は欲しい。
 で、なんでこんなことを書いているかというと、9月号の感想を書けない言いわけである。
 そのあいだに、後回しになっていた8月号の「米騒動百年」三記事を読んだ。これは印象に残った。「米騒動」のことを初めて読んだからだ。やはり現代日本史を読まねばならない。ぼくは何も知らなさすぎる。
 井本三夫という学者へのインタビューと、馬場徹という人によるところの、堀田善衛「夜の森」を通した米騒動、最後が、定年退職した巷の「米騒動ファン」中村光夫氏による、米騒動概説と、史跡保存運動の顛末である。
 最後の中村光夫文から読み始めるのがよい。米騒動に詳しい人には必要ないかもしれないが、米騒動の概略を知るには格好である。
 1918年、コメは4倍に暴騰した。貧乏人がコメをどの程度食べていたかは不明だが、一般的に言って一日に一人コメ3合を食べる時代である。コメの暴騰はたちまち生活に響く。漁師町魚津はたまたま不漁で現金収入も少なかった。漁師だから田圃も持たない。富山はコメどころだが、銀行がそれを買い占めて船積みする。コメを県外に持ち出すから暴騰する、積み込むな、ということで、漁師のおかみさんたちが積み込みの仲士たちに抱き付いて阻止した。女性に抱き付かれては、荒くれ男どもも気勢をそがれる。積み込みは阻止された。
 それがたちまち全国に広がっていく。
 戦後、有志による史跡保存運動が起こるが、文化庁はなかなかうんと言わない。その運動の経過も面白い。地元の意識がだんだん変わっていくところなど、一読の価値がある。
 これを読んで一応の知識が付いたら、学者先生のインタビューを読もう。歴史研究は日進月歩である。巷の研究会はすでに古いのだ。学者の仕事というのは勤勉な土方労働である。当時の新聞記事を丹念に拾い集め、あらゆる一次資料をあたって、米騒動を全体的、客観的に把握しようとする。
 富山の女一揆と当時の新聞が書き立ててセンセーショナルになったが、実はもっと早くから全国的に労働者の賃上げ要求ストライキや消費者運動として起こっていた。
 発端は第一次世界大戦である。ヨーロッパ全体が長い戦争の時代に突入し、物資が不足する。食料がない。各国が紙幣を大量に増刷して、世界中から物資を買い集める。日本のコメも買いあさった。インフレーションである。コメが売れれば増産すればよいのだが、日本の農業は地主小作農業だ。増産するより高値で売った方が儲かる。かくて国内からコメがなくなる。高騰する。もちろん投機筋が動くので、何倍にも暴騰する。
 中村氏の文では、1918年のシベリア出兵との関係を重視しているが、井本氏によるとそうではない。シベリアへは日本のコメは出ていない。朝鮮から奪いとっていた。ただ、シベリアで戦争やるぞということで投機筋がますます動いた。というのが真相らしい。
 馬場徹氏が書いているのは、堀田善衛の小説に書かれた米騒動で、これは小説を読んでいないので、あまりわからない。シベリア戦争に動員された無学な一兵士が戦地の新聞記事で米騒動のことを知り、いろいろ考えるという内容らしい。自分たちはロシア革命を弾圧するためにシベリアへ来ているが、国内では自分たちの仲間が弾圧されている、と自覚していくという話らしい。
 あまりわからないなりに、最近堀田善衛に方々でお目にかかるので、堀田善衛がずいぶん新鮮に映り始めた。そのうち読んでみよう。

草薙秀一

 5年も前の、草薙秀一作品評に対して、今朝9時に拍手が付いた。そんな埋もれた批評を誰がどこから探し出して読むのだろう。不思議な気もするが、ありがたく、お礼を申し上げる。
 作品にも、拙文にも記憶がなかった。読んで思い出した。それに作者の名前に記憶がある。検索して確かめたら、やはりそうだった。高野悦子を書いた元立命大生だ。
 高野悦子についても、少し本を読むつもりでいたが、出来ずに日々が過ぎ去っていく。
 時間の使い方が下手なのはわかっているが、気分が乗らないと何もできない性分なのだ。齢だけはどんどんとっていくので焦っている。焦るとよけいに何もできない。せいぜい焦らないようにしよう、とする結果、なにもできない。
 ま、少しずつ何かはやっています。

サイレント・テロリスト

 経済の比重が、生産と消費以外のところへ行ってしまっている。本来、経済は消費のためにある。消費のために生産する。それが経済の基本である。だが、もちろんそこで終わるわけではない。消費者の多様な欲望に応えていくためには、生産は日々高度化せねばならず、そのための種々の投資が必要になってくる。
 ここまでが経済にとっての必須である。一言に要約すれば、消費のための生産と、より良い消費のための投資である。
 ところが現在の経済規模は、これらの有効経済からはみ出してしまっている。消費にまったく無関係なところに経済活動の比重が大きく傾いている。
 いわゆるマネー経済である。モノともサービスとも、また、それらをよりよくすることとも無関係な場所で、マネーが勝手にまわっている。
 ここに現代経済の閉塞性があり、それが現代社会を閉塞させている。
 それは富の偏在がもたらした結果だが、富の偏在とは単に不公平という問題なのではない。経済をいびつにしてしまうという問題なのだ。マネーが消費に貢献しない。歴史の示すところでは、この富の偏在は消費を減退させ、生産を行き詰まらせ、労働者の首切りと大不況へと突入していった。
 いま、そうなっていない。経済は消費から大きく離れてしまったが、それでも人々は何とか飢えずに済んでいる。つまり、マネーは相対的に消費活動から離れたが、絶対的には、まだ何とか消費を成り立たせるだけのマネーが動いているのであり、だからいびつではあっても成り立っている。
 物質的には成り立っている。しかし、精神的にはどうか。
 まだ結論を出すには早いが、社会の不活発化と、精神の閉塞状況とは潜在的に常態化しているように思える。それはときには忘れられ、そしてまたときに現れる。

 マルクス主義的な解決に可能性があるように見えない現代社会で、どういう解決方法がありうるのか。
 社会と精神との活発化にとって、経済の活発化が不可欠だとすれば、そのためには二つの方法が考えられ、ひとつはマネーを持たない消費者にマネーをまわすことだ。だが、これはマルクス主義的解決法で、マネーを持たない消費者は権力を持たないので、いままでさんざん努力してはきたが、いつまでたっても成功しそうにない。
 そこで誰の頭にも浮かぶのは、商売人的発想、要するに金持ちに金を使わせればよいのだ。彼らも金を使ってはいるのだが、消費していない。もちろん我々よりは大量に消費しているが、大部分の金は消費とは無関係なところでぐるぐるまわっているだけである。
 これを消費に吐き出させること。金持ちが金を使いたくなる、消費したくなるようなことを考えること。そうすればたちまち経済活動は活発化し、社会も人々の精神も生き生きしてくる。
 ということもじつは誰もが考えるが、考えるだけだ。実現しないのである。

 サイレント・テロリストなる言説がネット空間に現れたのは、こういう社会状況を反映している。
 富の偏在が消費を不活発化させている。このままでは資本主義は成り立たなくなるのではないか。むしろ成り立たなくなってほしいという、恨み節が、極限まで消費を控えて資本主義を潰してやるぞという、もちろん不可能だとわかっているのだが、そういう自殺的な焼けバチな態度を生み出している。
 とはいえ、実際にはただ言ってみるだけだ。負け惜しみに似ている。否、負け惜しみなのだ。
 しかしそういう言説が出て来たということには、注目すべき点があるかもしれない。

増田竹雄 秋元有子

 増田竹雄をネットで当たってみたら、釧路の市会議員だ。86歳だから現役ではなかろうが。人望のある人なのだろう。小説中で、反組合活動で査問に付されながら、分会中が応援してくれて処分を免れる、当時はいろんな人がいたわけだ。
 なお、秋元有子は、参議院議員を3期務めたのち、鹿児島に居を移して、当地の民主文学支部の再興に尽くすという意思を数年前に読んだ記憶がある。その後どうなったか、彼女ももう歳だろうし。

意識下

 人文系の人間にとって、「意識下」と聞けば、「無意識」や「潜在意識」と同義語だと思うし、それ以外には考えようがない。
 もっとも昔からまったく反対の意味でこの言葉を使う人間にたまには出くわしていた。こんな誤用もあるのだなと思う程度だったが、いまやその程度ではなくなってきたらしいのである。
「意識下」という言葉を、「意識して」という意味で使う人が増え、むしろそのほうが多くなってきたらしいのだ。
 意味の逆転は現在では珍しくない。
「やばい」= 「危ない」→「すばらしい」
「鳥肌が立つ」= 「怖い」「気持ち悪い」→「感動的だ」
「超現実的」= 「現実を超えた=非現実的な」→「すごく現実的な」

「意識下」もその一例かと思っていたら、そうでもないらしいのである。
 医学分野では、昔から専門用語として、「意識下」を「意識がある状態で」という意味で使ってきたのだという。
 だから、今では「無意識下」という言葉さえ存在するらしいのだ。一昔前なら、「そんな言葉あるもんか」と笑い飛ばすところだが、もはや笑えなくなった。

 ひとつの言葉をまったく反対の意味で並行して使ってきた。どちらも誤用ではなく、ジャンルの違いによる使い分けなのだという。
 なんとも面倒なものだ。
 結局我々の先祖が日本語では表現しづらいものを漢字という外国語で間に合わせてきた、その結果日本語にはさまざまな不便が生じている(同音異義語の驚異的な多さなど)が、これもその一例なのだろう。
 純粋の日本語で表現するなら、「おもいあり」「おもいなし」とでもなるか、これなら間違えようがない。

増田竹雄「二年目の春」(「民主文学」18年8月号)

「民主文学は、共産党を批判した小説でも載せるか」と訊いてきた人がいて、「過去に4.17に関して党を批判した小説を、民主文学誌上で読んだ記憶がある」と回答した。この作家の名を思い出せないでいたが、ペンネーム秋元有子(本名山中郁子)だったと思う。
 早稲田を出て、電話交換手として労組活動家、党員である。4.17に際し、いかに困難な状況に陥ったかということを書いていた。4.17に関しては党自身が誤りを認めたのではあるが、民主文学掲載作としてはかなり大胆な批判のように感じた記憶がある。30年以上前である。葦牙問題よりも前だ。当時の民主文学には、ほかにも党批判らしきものがときたま載っていたようにも思う。
 山中郁子は74年から共産党の参議院議員で、ぼくが読んだのはたぶん80年代だから、そのときすでに彼女は参議院議員で党の幹部だ。ぼくが記憶しているほどの党批判ではなかったのだろう。当時の現場の困難を率直に書いていたには違いないのだが。
 ぼくは4.17を直接には知らず、ずっと昔の話のように思っていた。だが、実際には64年の4月17日なのだ。その翌年にはぼくも民青に加盟していたが、そんなことは全然知らなかった。3年後、下宿を借りる金がなかったので、京都駅のすぐ南にあった市バスの車庫で泊まり込みの守衛をやった。その時若い運転手が「共産党は労働者を裏切った」と深刻な顔で4.17を語った。それでもぼくにはまだぴんと来なかった。当時のぼくの頭を占めていたのはもっと形而上学的な問題ばかりで、政治や労働問題の実際というのは関心の外だった。

 ところが、偶然というのはあるもので、民主文学に関する質問に回答したあとになって、そのときすでに民主文学の9月号が来ていたのだが、忙しさで読めずにいた8月号を手に取って驚いた。4.17を書いているではないか。

 増田竹雄「二年目の春」
 この人は国鉄の労働者である。この小説がほとんど自伝だとすれば(たぶんそうだ)、少し複雑な経過をたどっている。高等小学校卒で国鉄に入る。ところがいったん整理解雇される。それで働きながら夜学に行く。その一切合切の面倒を見てくれた恩人が、「うちの娘と結婚して家業を継いでくれ」という。ところが本人は国鉄に未練があって、卒業後試験を受けて、国鉄に入る。恩人はよほど彼を気に入っていたらしく、家業はあきらめるが、娘はもらってくれという。娘もその気で、二人は結婚する。
 4.17の64年には二人目の子が妻の腹にいる、すでに30代も半ばだ。車掌で、労組の車掌分会の教宣部長である。共産党員ではない。しかし、親しくしている共産党員に説得されて、スト反対のビラを密かに撒く。
 池田首相と、太田薫の話し合いで、公務員の給料を民間並みに引き上げるという約束で、ストは結局回避される。
 だが、国労本部は、労組分会の執行役員でありながら、指示に背いてスト反対のビラをまいた主人公を査問にかける。「共産党の指示だろう」と追及されるが、「そうではない。自分なりの判断でこのストは中止すべきだと思って行動した。だが軽率な行動だった。反省している」と答える。分会の執行委員たちがかばってくれて、処分を免れる。その後、国労出身の金子満広に手紙を書き、納得できる回答だったので、入党する。
 という筋書きである。4.17の被害者でありながら、その人なりに考えて入党している。たぶん事実そのままである。いわば歴史の証人という感じで、人はさまざま、小泉ではないが、人生いろいろ、世の中は複雑なんだ、という感じを持つ。

 多少情報をあたってみると、4.17は労働組合と共産党との関係に、決定的なダメージを与えた、この事件以後、共産党は労組内で影響力を失った、ということらしい。それはたぶんそうなのだろうが、そうでない人もいたわけだ。

 この問題について、ほとんど知識を持たないながら、ぼくなりに考えることは山ほどある。だが、それはまた次の機会に書いてみよう。

リアリズムとロマンチシズム

 独断的見解だが、文学史とはリアリズムとロマンチシズムとの相克の歴史だと思っている。リアリズム小説が蔓延すれば、それに反発してロマン主義的小説が出てきて、引っ繰り返す。ロマン主義的傾向が鼻につき始めると、またリアリズム小説が頭を出してくる。
「芝居とは現実でもない、夢でもない、現実と夢との中間にあるのが芝居だ」と言ったのは、たぶん「かもめ」に登場するきざな作家だった(記憶違いかもしれない)。
 ぼくは小説というものをそういうものとして考えてきた。小説は現実でもない、夢でもない、その中間にあるのが小説だ。
 福岡伸一が、今日の朝日で、科学は分析し、芸術は総合すると書いている。分析して示されたものは、じつは現実ではない。もう一度それを総合しなければ、現実とはならない。
 さまざまな社会のひずみに対して、それは歴史的現実なのだ、と言うことは間違ってはいない。さまざまな条件のもとに歴史的現実がある。けれども、それに対する素朴な不満、疑問を消去することは、歴史を止めてしまうことにしかなるまい。素朴な不満、素朴な疑問こそが大切なのだ。そういう感受性がなければならないのだ。
 ばらばらのことを書いたようでもあるが、ぼくのなかではすべてつながっている。

「赤い風」その他

 チャンドラーを再読したいと思って探したとき、「かわいい女」はすぐ見つかったが、「長いお別れ」がなかなか見つからず、その前にもう一冊、別のチャンドラーが出て来た。

「赤い風」 創元推理文庫 63年初版 84年33版
      チャンドラー短編全集全4巻のうち1巻 稲葉明雄訳 
 収録作品 「脅迫者は射たない」「赤い風」「金魚」「山には犯罪なし」

 この本のことは全然記憶になかった。今回全部読んでみた。「かわいい女」や「長いお別れ」ほどの切れ味はない。
 付属の年表によると、チャンドラーは1888年生まれ、1933年「脅迫者は射たない」でデビュー(45歳)、1949年「かわいい女」(61歳)、1954年「長いお別れ」(66歳)、1959年、死去(71歳)。
 それ以前にも多少のものは発表していたようだが、実質的なデビューは45歳である。ずいぶん遅い。そして文学史に残る名作2編を書いたのは、61歳と66歳。その5年後には死んでしまった。

 この第1巻には、チャンドラー自身による短い「序」がついている。この「序」が含蓄深い。

「よい場面を生みだすのがよいプロット」(プロットのために場面があるのではない。場面のためにプロットがあるのだ)「場面がプロットに優先する」
「理想的な推理小説とは結末の部分がちぎれていても読みたくなるようなもの」(場面の描写が優れていれば、プロットとは無関係に読みたくなる)
「推理狂は……平面図を欲しがり……」(ここはさすがに耳が痛い。パズルを解くことだけに関心があって、文学を楽しもうとしない)
「私の作品のなかにも、改変するか、すっかり削除してしまいたい部分がある。これは一見やさしいことのようだが、やってみれば、まったく不可能であることがわかる。よい部分を台なしにして、悪い部分にはほとんど何の効果ももたらさないのが関の山だ。そのときの気分、無垢の精神状態、ましてや他のなにものも持たなかったときの動物的な激情などは、二度と取りもどせないものである。小説の技術とか方法とかについて作家が習得するものは、すべて、わずかながら、彼の書かねばならぬという要請や書きたいという欲求を矯めていく。こうして最後には、ありとあらゆる技巧をきわめながら、なにも言いたいことがなくなってしまうのである」

 娯楽小説だからと言って、馬鹿に出来ないことがわかるだろう。ここには文学一般に通用する問題が語られている。

 いまになって英語を勉強しておかなかったことを後悔しているのだが、とりわけ文体というのは語学の問題である。気になっているのは、「かわいい女」と「長いお別れ」の文体の魅力がどこまで翻訳に依拠しているのかということだ。その二作は清水俊二の訳である。知ってのとおり、清水俊二は洋画の字幕を書いていた人だ。字幕というのは特にテクニックがいる。鑑賞者は画面を見ながら瞬時に字幕から意味を読みとらねばならないわけで、いかに要点をつかんで短い日本語にするかという勝負だ。清水俊二の体得したそのテクニックが、ぼくら英語のわからない読者にチャンドラーをより魅力的にしたという側面もあるのではないか。

 ところで、高村 薫の最近の発言が気になっている。
 彼女の作品は「マークスの山」を何十年か前に読んだだけだ。それは推理小説というよりも警察小説で、推理の部分は穴だらけだった記憶がある。注目したところがふたつ。かなりリアリズムに徹しているので、登場する警察関係者の人数が半端じゃない。名前を書いたって読者は覚えきれない。AとBとを区別できない。それでほとんどすべての警官にあだ名をつけたのだ。たとえば、背の低い童顔の上司は「ペコちゃん」である(これが一番印象的でいまも覚えている)。
 もうひとつは、主人公の独身警官が、毎日帰宅するとスニーカーを洗う、という場面である。なるほど一日スニーカーで戸外を歩きまわるのだから、洗わねばならないだろう。なんでもない描写だがこれが強く印象に残った。
 というのは余談だが、高村 薫はミステリー部門から、いわゆる純文学に移った人であるらしい(読んでいないのでわからない)。その最近の発言というのは以下である。
「大衆小説と、純文学との垣根はぐっと低くなった。いまは純文学が大衆小説に近づいている。だが、その区別をどうつけるのかという問いへの答えはなかなかない。あえてひとつあげれば、純文学は文体にこだわる」
 なるほどと思って読んだのだが、レイモンド・チャンドラーの「序」を読めば、文体にこだわるのはあながちいわゆる純文学だけではないぞ、大衆小説でも上質なものはやはり文体にこだわっている、と思わされた。

文芸同人誌案内

 本ブログのリンク欄トップに置いている「文芸同人誌案内」をご覧ください。
 60号の紹介と、あわせて、記事内容の変更をやってもらいました。
「ま行」もしくは「中国地方」から「まがね」が出て来ます。矢印をクリックしてみてください。「まがね」の紹介記事が出て来ます。
 定価と掲載料が変更されています。

「クレーン」39号(前橋文学伝習所)

 39号と、それへの批評を載せた「クレーン通信」と、一応目を通したので、感想を書く。ただし、多くの作品と多くの批評を読んで頭が混乱しているので、印象批評程度だが、勘弁願いたい。

 松澤 道「チャッコーナ・アルモーニカ(前編)」

 最後に読み、また初めて読む作者だったこともあって、これが一番印象に残った。もちろん「姉ちゃん」のセリフが独りよがりで、それも小学生の子に対してのこの長広舌は(内容も含めて)考えられない、という、糟屋さん、和田さんの指摘はそのとおりである。
 だが、このセリフは作者のセリフではなく、登場人物のセリフで、しかもまだ前編で、このあと、これを作者がどう料理するのか、というのは続きを読んでみなければわからない。
 期待外れに終わるかもしれないが、ぼくとしては大いに期待を持たされた。とてつもなく突飛な構想である。料理の仕方によっては面白くなりそう。
 ただし、これだけ風呂敷を広げてしまうと、前編と同じ長さの後編だけでは不完全燃焼に終わりそうで、せめて中編、後編と欲しい。
 作者自身、糟屋作品評のなかで安岡章太郎を引用して、自分には安岡のような表現力がないと嘆いていた。自作の欠点をかなりわかって書いているような向きがあって、よけいに期待を持たされる。

 もろひろし「空中楼閣(5)」

 第1回からの「クレーン」を作者からもらっているが、まだ読めていない。読んだのはおそらく前回と今回とふたつだけだと思う。(ひょっとしたらその前のひとつも読んだかもしれない)。全体的な感想は全部読んでから改めて書く。
 今回で最終回で、とうとう主人公は死んでしまった。死んでしまったら終わるしかない。
 何人かの感想を読ませてもらったが、意外と評価が低すぎる感じがした。ぼく自身はたいへん引き付けられて読んだ。
 心を病むとはどういう状態なのか、ということに強い関心がある。そばにいる人から見て書いたものは、結局外見にすぎず、心のなかが表現されない。一方、病んでいる当人の書いたものを、少し読んだことがある。読んだが、ぼくの知りたいことが書けていない。病んだときの当人の主観をそのまま描写して欲しいのに、なんだかクッションを置いてしまう。
 もろ作品は、当人に成り代わって当人の主観を書く。もちろんそれがほんとうに当人の主観だったかどうかはわからない。作者の推察に過ぎない。ほんとうにどうだったのかは、当人が亡くなった以上誰にもわからないし、たぶん生きていても本人にもわからないのではないか。
 けれども我々はこれを読んで、ほんとうにそうだったかもしれない、少なくとも真実からそんなに隔たってはいないだろう、という読後感を持つ。病む人の心に一歩近づくことができたような気がする。
 病む人の心というのは、雲をつかむようなものなのだ。それは合理性の彼方にあるので、理屈では理解できない。だからやはり文学的な接近法がいるのだと思う。
 少なくともひとつの症例を描き出すことには成功したのではないか。

 もうひとつ思うのは、「うつ」とひとことで言っても、その症状は一人一人違うのだろうということだ。
 今回、たまたま病者が、エホバの証人(作中ではヤーフェになっている)の信者であった。そこでそのことに特有の問題が加わって、問題を一層複雑にさせている。
 オウムの問題でも思うが、宗教問題というのは取り扱いのことさら難しい問題である。宗教批判というのはやりにくい。信仰の自由との兼ね合いが出てくる。だが、宗教に対する哲学的批判というのは、欠くべからざるものである。それは信仰の自由の問題とは切り離して、やっていくべきものだ。

 作品に戻る。最終回というのは聞いていたので、当然主人公は死ぬだろう。主人公の死をどう描くのだろう、ということに関心があった。
 そして今回の描き方は満点だったと思う。そこに雅夫は登場しない。いっとき荒れ狂って強制入院させられた千恵子は、心の平静を取り戻して退院し、二人は仲直りし、付き合い始めた頃のことを語り合う。前兆はひとつだけ、「唇が、なんか、紫っぽい」 翌日雅夫は泊りがけで出張に出る。そのあと千恵子の容体が急変する。同じ信者の愛子が来てくれて計った体温は33度しかない。救急車が来て乗せられるなかで千恵子の意識は遠くなっていく。「ああ、楽園へ行ける」
 それで終わりである。誰かの評のなかで、「作者はハッピーエンドにしてしまった」と書いていたが、こんなハッピーエンドはない。ここはこの上なく悲痛な場面であって、この上ない悲劇によって幕を閉じるのだ。それ以外になかった。
 病者への対応としてどこまで適切だったのか不適切だったのか、という批判はありうるだろう。しかし現実は思い通り、理屈通りにはいかない。狂った妻と日々対峙する夫にも自分の生活があり、現実生活を成り立たせるための職業の苦労がある。夫も神ならぬ人である。感情もある。そういう現実生活のなかでの苦闘を、声高に訴えてはいないが、読者には伝わった。でも作品の主眼はそこにあるのではない。
 千恵子の心を文章の上に再現すること。作者が試みたのはそのことなのだ。

 わだしんいちろう「天皇制廃止を訴える」

 というタイトルの小説なのである。面白いことは面白いのだが、結局よくわからない。

 田中伸一「最後の西部劇」

 映画評である。クリント・イーストウッドを論じている。ずいぶんたくさんの映画を観ている。それがそのままアメリカ文明評ともなっている。ぼくもイーストウッドは好きなので、楽しく読んだ。見ていない映画がいっぱいあって刺激になった。

 山川 暁「天皇と人権」 
 水丘曜一「国家と権力」

 天皇制について二人の論者がそれぞれの角度から論じていて、ぼくの知らなかったこともたくさんあって参考になった。
 しかし、ぼくが考えるに、天皇制の問題は複雑だ。もっともっと、いろんな角度からの意見を聞きたかった。天皇制特集と聞いて求めたクレーンであったが、少しもの足りなかった。浅尾程司さんが、当時の実情を素朴に書いていたが、そういうものももっとあってよかったのではないか。

 それはそれとして、山川さんの文章の誤字脱字の多さは際立っている。この人の名はよそでも目にしたことがあるし、著書をたくさん出している有名人らしい。松本清張の生原稿が誤字脱字のオンパレードで、秘書だか編集者だとかが修正していたというのは有名な話らしいが、高名な著者というものはそういうふうにやっているものなのか。それがたまたま今回の掲載誌が同人雑誌だったので、編集者が著者に遠慮して生原稿に手を触れなかった、ということなのだろうか。

 糟屋和美「花祭りのあと」

 小説というよりもエッセー的だが、ファミリー・ヒストリーとしても興味深いし、安岡章太郎の紹介にもなっていて、ぼくは安岡を知らないので面白く読んだ。

 和田伸一郎「三島由紀夫事件」

 これについては、松澤 道さんの批評中に書かれている事件への解釈に同感した。
 松澤さんの文章を次のような趣旨として受け取った。
「三島由紀夫には自殺願望があり、そこまでの事件は自殺するための舞台設定に過ぎなかった」
 ぼくは三島をほとんど読んでいないのだが、以前から、これと同じようなことを感じていた。ただし、「自殺願望」というよりも、「切腹願望」ではないかというのがぼくの解釈である。
 一度切腹を経験してみたい。しかし切腹は一度したら二度とできない。そこで人生終わりである。でも経験したい。齢とって体力、気力が衰えたらもうできない。やるなら今しかない。もちろんためらう気持ちがある。そこで一度始めたら後戻りのできないことをやって、自分を追い込んでいく。「ここがロドスだ。ここで跳べ」 ラスコーリニコフがさまざまな偶然を捉えて、ためらう気持ちを打ち消し、殺人計画の方へと自分を追い込んでいったのと、ちょうど同じように。

 以上です。
 ところで、和田さんへの手紙には書いたが、カギカッコの扱いと、「原因」の「因」がすべて「員」になっていること、この二つは著者の責任ではなくて、印刷所のパソコンの問題としか考えられない。善処されたし。

「小説書くひと=読むひと・ネット」に評が載っていると聞いて検索しましたが、2013年の34号評までしか出て来ません。
 どうすれば出ますか。教えてください。

「ふくやま文学30号」「樹宴14号」「まがね60号」

 同人誌広告が中断しているので、ここに記す。
「ふくやま文学30号」に、30数年前に書いた「祈り」
「樹宴14号」に、「スプーン一杯のふしあわせ」の最終回
「まがね60号」に、久しぶりの新作「タイムマシン」
 ご希望の方はメールフォームにご連絡を。
 Eメールがしばらく不調だったが、回復した。

まがね60号

 事務局に「まがね」が届き、一冊送ってくれた。特に大きな問題はなさそうなので、ほっとしている。細かいミスはあるかもしれない。それは今後指摘してくれるだろう。
 気になるのが2点。
 表紙が少し厚すぎる。もっと柔らかい表紙でよさそうな気がする。自分の手で触ってみて選ぶのではないので、そこが電子取引の印刷屋を利用する際のネックだ。いろいろ試してみるしかない。
 字が大きすぎる気がする。11ptを使ったのだが、10.5でよかったのではないかと思っている。読み始めると気にならないし、老眼の身には有難いのだが、ページを開いてパッと見たときに、なんだか余白がなくて字ばかりが詰まっている感じがして、うわあ、読むのがたいへんそう、読みたくない、という気持ちにさせやしないかという不安がある。
 余白というものは大事なのだ、とつくづく思う。見た目もそうだし、小説の内容も、詰まりすぎていたら読む気がしない。どこかに遊びが必要だ。
 あと、散文詩の体裁はどうだったか。もっと、それらしくまとめることができなかったか。詩はそれこそ見た目なので、編集者にもデザイン感覚が必要なようだ。
 もうひとつ、戯曲が気になっている。上下二段でよかったのか、一段にするべきじゃなかったか、などと考えている。
 最後にもうひとつ、欄外に小さく入れるタイトル(業界言葉でどう呼ぶのか知らないのだが)、これが本文と同じ11ptで、大きすぎたなと思う。

 いろいろ問題はあるが、もっとひどいことを恐れていたので、まあ、一安心です。
 22日の例会で受け取るが、車が使えないので、リュックに30冊入れて、電車で帰る。以前もやったことがあるので、大丈夫でしょう。
 読者の方には、そのあと郵送にかかります。

 全然知らなかったのだが、広島・岡山両県の豪雨災害で、道路も鉄路も寸断され、大変だったようで、一部回復したが、未回復のところも多い。
 幸い、岡山―福山間はこの14日に回復した。三原まで、18日に回復の予定。そこから先は何カ月かかるか見通しが立たない。福塩線も、芸備線も、呉線も、伯備線も、みんな駄目だ。
 遠距離通学の子供たちが困っている。山陽線沿線は、新幹線が無事だったので、定期券を持っていれば、新幹線を無料で使える。これが不幸中の幸いだった。

オウム事件から

 恥ずかしながら歴史の知識に欠けていて、日本古代史だけは何冊か読んだことがあったが、それも半世紀も前のことだ。現代史も、ベトナム戦争以前のことはほとんど知らない。第二次大戦以前の日本など、ぼくにとっては江戸時代のようなものだ。
 そんな状態だが、最近なんとなく気にかかることがあった。
 第二次大戦敗北前に少年少女だった人たちが、ほとんど例外なく、自分は軍国少年、軍国少女だった、と告白することだ。
 ぼく自身は辛うじて敗戦後の生まれで、ここに決定的な断絶があるように感じた。あまりにも例外なく軍国少年、軍国少女なので、「そうなのか。子供をだますということはそんなにも簡単なことだったんだ」と、にわかに納得してしまった。
 考えてみればそうかもしれない。人間が持って生まれた本能は、ただ動物として生きるのに必要なことだけで、それ以上のことは全部生れてから学ぶのだ。嘘を教えられても判断する方法がない。信じこんで当たり前なのだ。
 大人はどうだったのだろう。軍国少年少女たちの口から聞くのは、敗戦後大人たちがコロッと反対のことを言い始めた、大人は信用できないと思い軽蔑した、ということなのだ。
 だが、軽蔑するには当たらない。大人は子供たちのように心の底から嘘を信じてなどいなかった。ただ長いものに逆らうとやばいので、賢くふるまって嘘を信じているふりをしただけだ。というか、そもそもそれが嘘かほんとうかなど、彼らの人生には何の関係もなかった。そんなことは生きていく上で、考慮に値することではなかった。それが正しいと言われればそうですかと言えばいいし、じつは反対のことが正しかったのだと言われればそれもそうですかと言えばいい。
 大人は何も信じない。信じる必要がない。生きていければいいのだ。
 だが、子供は違う。生きていく上で必要なことをまだ何も知らないから、教えられたことを信じるしかない。これは決定的な違いだ。
 だから敗戦後の変わり身は大人たちの方が早かった(らしい)。
 とはいえ、大人たちも大戦前の教育から完全に自由だったわけではない。子供たちのように無邪気に神国日本を信じることはできなかっただろうが、信じているようにふるまわねばならなかったのだから、ふるまっているうちには自分で自分をだますようにもなる。どこまで信じていたか、どこまで疑っていたかは微妙な問題だ。
 そして信じていたにせよ、疑っていたにせよ、多くの大人が子供たちに嘘を教え、嘘を信じ込ませ、人を殺させ、また自殺させた。それが現実であった。
 こういうことが気になっていたときに、オウムの元幹部たちの死刑執行があった。
 オウム事件はぼくの子供たちから少しだけ上の世代が引き起こした事件だ。下手をすれば子供たちが巻き込まれていたかもしれない事件である。だから無論関心はあったが、知識はほとんどない。麻原本人に対してはまったく興味がなく、麻原に騙された人たちに関心があった。なぜ騙されるんだろう、と考えていた。
 それが今回、軍国少年、軍国少女たちとぴったり符合した。ちょうどそういうことを考えていたときだったので、これはまったく同じ構図じゃないかと、つくづく得心したのだ。
 なぜ騙されるのか。なぜあんなくだらない嘘を信じることができたのか。――だが、70年以前には、日本中が嘘を信じていたではないか。子供たちは本気で信じていたし、大人たちはどこまで本気か知らないが、少なくとも信じているようにふるまっていた。それもオウムに劣らない、下らない嘘だ。あんな嘘をなぜ信じることができたのかと首をひねるような嘘だ。70年以前には日本中がオウム信者だったのだ。
 オウムは少しも不思議な事件ではない。たしかにオウムに騙されたのは子供たちではない。もう少し上の世代だ。しかしいずれ未熟な若者たちだ。人生経験の少なすぎる年代だ。インテリの卵ばかりだったから、社会的により未成熟だったかもしれない。
 だが、誰が彼らを馬鹿に出来るのか。70年以前天皇制政府の馬鹿々々しい嘘を信じ、もしくは信じるふりをして、それを子どもたちに教え込んだのも、我々の祖先なのだ。
 同じ構図じゃないか。
 そんなことを考え、文章化したいと思っていたら、高橋源一郎に先を越された。今日の朝日新聞に、ぼくがここに書いたのと同じことを書いている。
 だからぼくは書く必要がなかったのだが、後出しジャンケンみたいだが、まあ、書いてみた。朝日新聞をご覧ください。

チャンドラーと心の声

 チャンドラーは、場所を書き、人物を書き、行動を書き、セリフを書き、表情を書き、しぐさを書く。では、心のなかは一切書かないのか、というとそうではない。これはわりと誤解されているのじゃないか。チャンドラーも心のなかを書く。ただし書きかたが自然主義の小説とはまったく違う。
 自然主義の作家たちは登場人物と作家とを混同してしまう。登場人物の心のなかを、地の文に直してしまう。それは人間のほんとうの心のなかとはなっていない。作家が書き換えた心のなかに過ぎない。
 チャンドラーは例えば次のように書く。

 エンシノ街のうしろの丘の茂みからは、燈火がもれていた。映画スタアの屋敷だ。何が映画スタアだ。ばかばかしい。ベッドの数を重ねた強者じゃないか。待て、マーロウ。今夜はどうかしているぞ。
(4行略)なぜ、みんな、ここで食事をするのであろう。家庭で食べればいいではないか。君と同じことさ。食いもの屋を牛耳っている親分に、うまい汁を吸われているんだ。また、始まったな。今夜はどうかしているぞ。マーロウ。
(7行略)百貨店のようなカリフォルニア。なんでもあるが、ことごとく、くだらない。また、始まった。今夜はどうかしているぞ。マーロウ。
(11行略)負けるべきでないものが負けるということだけだ。そんなことが、私の仕事なのだろうか。いったい、私の仕事は、どういうことなのであろう。私にはわかっているのであろうか。いや、そんな話はもう止そう。今夜はどうかしているぞ。マーロウ。今夜だけではない。いつでも、どうかしているじゃないか。
(4行略)待ちたまえ。映画界にも、いい人間がいるんだぜ。君の態度はまちがっているぞ、マーロウ。今夜はどうかしているんだ。

 2ページにわたって、フィリップ・マーロウの独白である。誰に対してしゃべっているわけでもない。心の声である。「今夜はどうかしているぞ、マーロウ」と5回繰り返している。マーロウという人物が心のなかでぼやいている言葉を、そのまま文字にしている。
 人間の心のなかとは実はこのようなものであるはずだ。脈絡のない言葉の連なり、繰り返し、行きつ戻りつ。作家は人物の心の声を忠実に写し取るだけである。

 こういうものを読んでしまうと、漱石の「こころ」など、ばかばかしくて読めなくなってしまう。人間の心はあのような整理された言葉にはできない。もちろん、あれは手紙だから、他人あての作られた文章にならざるを得ない。だが、それを読まされるのは、手紙の宛先人ではなくて、小説の読者なのだ。読者に宛ててああいう文章を書いてはならない。書き換えられた「こころ」を提供すべきではない。

 漱石は自然主義の作家から通俗作家呼ばわりされる作家だが、それでも自然主義の作家たちと共通した欠点を持っている。

 ちなみに、これは「かわいい女」からの引用である。



「長いお別れ」 2

 午前中で用事が一段落したので、きのうの続きを書く。
「長いお別れ」はたぶんこういうストーリーという、ぼんやりした記憶があったのだ。ところがそれは別の小説だった。いま思うと、たぶんフレドリック・ブラウンだ。フレッド・ブラウンは高校時代から好きで何冊か読んだが、いずれもSFだった。ところが一冊だけミステリーがあったのだ。題名を忘れて、きのう、あれから本棚を探したが見つからなかった。たぶん文庫の一冊本という記憶があったので、題名がわからなくても探せると思ったのだが。
 「長いお別れ」は、読んでいて、あ、結末はこうだという記憶がよみがえった。だが、途中の話をまったく覚えていない。
 ストーリーを忘れてしまっても、読後感のさわやかさだけが残っているのは、その文体のせいなのだ。日本の小説だけしか、あるいはせいぜい世界の古典文学しか知らない読者は、びっくりするだろう。文体の切れ味がすごく良い。自然主義文学の正反対だと言えば、だいたいわかるだろうか。
 明治以来の日本自然主義文学がどうにもたまらないのは、登場人物の心理をああでもない、こうでもないと、ぐだぐだと書きすぎるからだ。
 チャンドラーは一切書かない。書かなくても読者にはわかる。書かれている以上に分かる。主人公の心理も、他の登場人物の心理も。
 チャンドラーが書くのは、行動、言葉、表情、しぐさだ。つまり外から見てわかるものだ。それを書くことで人物たちの心のなかを読者に想像させる。
 チャンドラー作品は、ぼくに言わせれば推理小説ではない。探偵小説だ。どこが違うかというと、探偵の知り得たすべての事実を読者に公開していない。新しい事実が次々探偵の口から出てくる。これはフェアではない。全てが読者にあらかじめ晒されていなければ、読者は推理できない。探偵の後を追っていくことしかできない。だからこれは推理小説ではなく、探偵小説なのである。探偵の個性で読ませる小説なのだ。
 そういうように割り切れば、別に不満はない。新しい事実が次々出てきて、どんでん返しの繰り返しである。読者は油断ができない。これが真実だったのかと思った瞬間には覆されている。
 たとえばごく簡単な一例だが、最後の場面だ。

 私はうなずいた。「わざわざ来ていただいてすみませんでしたね、マイオラノスさん。ランディによろしくいってください」
「お礼には及びません」
「それから、こんど機会があったら、すじ道の通った話をする人間をよこしてもらいたいと伝えて下さい」
「何ですって?」言葉はおだやかだったが、語気は冷たかった。「私の話を信じないのですか」
「あんたたちはすぐ名誉にかけてといいたがるが、名誉が泥棒のかくれみのになることもあるんですぜ。怒っちゃいけない。おちついて、ぼくの話を聞きたまえ」

 といった具合だ。これは会話文のテクニックとしてもうまい。次の言葉が読者に予想できるような会話は退屈だ。常に読者を裏切るのでなければ、読む価値がない。

 しかし今回読んでいて、気付いたのは、チャンドラーの文章が意外と丁寧だということだ。簡潔だという先入観がある。たしかに簡潔なのだが、必要な描写は省いていない。新しい場所が出てくれば、その場所を短くだがちゃんと描写する。新しい人物が出てくれば同様だ。服装、背格好、顔、しゃべり方。
 そして会話はたしかに多いのだが、ときどき地の文をはさんで、話し手の表情や身振りを書く。これが意外と大事なのだ。素人はこれを書かないので、会話が宙に浮いてしまう。
 あと、もうひとつ。

 家に帰って、シャワーを浴び、ひげを剃り、服を着かえると、やっときれいなからだになった気がした。朝飯をつくって食べ、、食器を洗い、台所と裏のポーチを掃除してから、パイプにタバコをつめた。

 食器を洗い、掃除する。生活感にあふれているではないか。こういう生活感的描写が方々にある。
 もともと、探偵小説だから非現実的な物語だ。登場人物がみんな金持ちで、金持ちの世界の話だ。そうでなければ探偵を雇うことはできない。探偵だけが貧乏人で、それが金持ちの世界を歩きまわって、彼らと互角以上に渡り合うところが読ませどころなのだ。その探偵が、自宅に帰れば、食器も洗うし、掃除もする。そういう何気ない描写が、作品に現実感を持たせている。

 さてそこで、中山茅集子はこれを読んで、なぜ救われたのだろう?
 それは本人に聞いてみるしかないが、ぼくが想像するのは次のことだ。
 まずその突き放したような文体。じめじめしていない。乾いている。作家は文体によっておのれの思想を表明する、と常々ぼくは考えているが、このチャンドラーの文体がまず何よりも彼女の心にぴったり来たのではないか。
 しかもそれはがさつさではない。細やかさが秘められている。秘められていると感じさせる文体なのだ。
 そしてその文体がそのままフィリップ・マーロウの生き方となっている。
 ストーリーだけを追えば、通俗小説に過ぎないが、この文体を産み出し、その文体によって一つの人物像を作り出したことで、チャンドラーはたしかにある文学的業績を残したのである。

長いお別れ

「樹宴」14号発送のメールが来た。明日には届くだろう。22日が「まがね」の例会で、60号を受けとることになる。読者向けには、それを待って、2冊一緒に発送する。
「樹宴」は木沼氏の送信してくれたPDFによる注文だったから、すでに何度も経験しており心配ない。
「まがね」は初めての編集作業で、しかも途中でWORDの故障、メールの不通、印刷機の沈黙と、立て続けにトラブルが発生したので、少し不安だ。しかも最初から300部、一気に発注している。一部だけ試験発注したかったが、時間的余裕がなかった。

「樹宴」向けには、「スプーン一杯」が連載4回で完結したので、次は「失われた夜」を書き直そうと思っている。かなり思い切ってばっさりやる。ばっさりやって、さて何が残るだろう。8月末で締切を切られた。もうかからねば間に合わない。

 来年の「ふくやま文学」には、「朝」を出そうかと思っている。30年前の古い作品で申し訳ないのだが、いまの世相でどこまで通用するか、見てみたい。

「まがね」には久しぶりに新作を出した。もっとも書いたのは数年前だ。それも第1章だけ、30枚くらい。じつは続きが書けるという自信はない。ぼんやりした考えはあるのだが、具体的な構想はない。書き始めたらイメージが浮かんでくるのではないかと期待しているのだが……

 何か月か前に「かわいい女」(チエホフではない、チャンドラーだ)を再読したが、この数日、「長いお別れ」を再読していた。前書は30年前、後書は20年前に読んだが、どちらもスト―リーを憶えてなかった。「かわいい女」はだから気になっていたのだが、「長いお別れ」を再読したのには別の理由がある。
「クレーン」が天皇制を特集していたので気になって注文し、届いたので、ぼつぼつ読み始めている。そこに、「ふくやま文学」の中山茅集子が、天皇制とは関係なく、「酒の話」を書いていた。
 40代半ばで夫中山一郎が病気になって絵が描けなくなり、たちまち生活も不安だし、精神的に苦しい時代だった。いまから45年前の話だ(たぶん)。そのときに読んだのが、ヘミングウェイの「海流のなかの島々」とチャンドラーの「長いお別れ」で、この2作品に彼女は救われたのだという。
 そこに酒が出てくるのだが、前書ではダイキリであり、後書ではギムレットだそうだ。ぼくはどちらも飲んだことがないので、それはよいとして。――ヘミングウェイは若い時に文庫で出ていたものは全部読んだ。ところが「海流のなかの島々」は出たのが遅かった。ヘミングウェイを一通り読み終わって何年かしたあとで本屋で目にし、毎回、迷った挙句、この次買おうとして、とうとう買いも読みもしないままできた本だ。
 それでも、ヘミングウェイに救われるというなら、話はわかる。ぼく自身そうだったからだ。しかし、チャンドラーは、たしかに魅力的な作家だが、それに救われたとはどう救われたのだろうと気になった。
 しかも中山さんは、村上春樹の新訳まで読んでいる。そして、清水俊二の旧訳の方が、フィリップ・マーロウが魅力的だったと書いている。そこで気になった。とは言え今回村上春樹までは読めず、読んだのは清水俊二だけだ。
 読んで、ほかの小説と内容を混同していたと気づいた。

 続きは今度書く。今日はもう眠らねば。明日も忙しい。

「零地帯」第2号(民主文学東京東部支部) その1

木村陽治「堀田善衛のまなざし」

 これについてはすでに書いた。「広場の孤独」の適切な紹介に誘引されて、ぼく自身再読することになり、その小説のすごさを再認識した。中央公論版の「日本の文学」で読んだのだが、解説を担当した村松剛が、この小説の登場はほとんど事件であったと書いている。日本のマルクス主義文学者もこういう作品を書かなきゃならないのではないかと本多秋五が言ったとか。一方で、宇野浩二は、「うまい工合いに、いまの時世にむくような事を書き、それにふさわしい理屈も述べているが、ウスッペラで、作り事が、作り事になって、真実の感じがしない、読者の心にせまるものがほとんどない」と酷評したとも紹介している。村松自身、たしかにストーリーや人物設定にあいまいなところがある、と書いている。
 この、村松、本多、宇野の名前くらいは記憶にあるが、どういう傾向の人なのか、文学事情に疎いぼくはまったく知らないわけだが、まあ、小説というものは読む人次第ということなのだろう。
 ぼくに言わせると、作り事を書くのが小説だから、作り事だと言われてもどうしようもない。正宗白鳥は夏目漱石を文章のうまい通俗小説と言ったそうだから、明治以来の日本の伝統的自然主義文学の立場から言えば、ストーリーのあるのは通俗小説というくくりになるのかもしれない。
 主人公木垣は、通信社の記者ハワード・ハントと、新聞社が退けてから、羽田、川崎、横浜と移動することになるのだが、作者としては朝鮮戦争の最前線の中に主人公を置きたくて、そういう設定をしたのだろうが、小説の中では読者を納得させるだけの理由づけをちゃんとやっている。その理由づけに必要だったのが、ハントであり、あるいは張国寿だった。横浜に着いてしまうと彼らはもはや必要なく、ティルビッツ男爵が登場する。これは木垣にとっては偶然の再会だったのだが、男爵のほうではそう思っていない。木垣の妻京子はアルゼンチンへと出国する工作のためにすでに男爵と会っており、必要な経費の相談もしている。そういうことを木垣も知らず、読者も知らないままに話は進んでいく。男爵は木垣をタクシーに押し込んだ際に、木垣の胸ポケットに何かを入れた。それは百ドル札13枚、千三百ドル、50年当時の交換レートで、52万円、同じく50年当時の貨幣価値で言えば、たぶん平均的勤め人の年収くらいに相当するのではないか。
 小説の後半は、この金は何なのかというもやもやを抱いたまま展開する。新聞社に帰っての徹夜の明けた朝、妻と幼子の待つ貧しい貸間に戻ってきて、妻の話に謎が解ける。と同時に木垣はこの大金を火にくべてしまう。木垣と妻とが札束を火から出したり入れたりする過程で二人とも手に火傷を負う。
 そしてそこから物語は半日飛ぶのである。夜になって、夫婦がセックスを終わった後、御国と立川が窓をたたく。彼らはレッド・パージで新聞社を追われたのだ。木垣は二人を部屋へ招じ入れる。京子が高級ウイスキーを饗ずる。二人が帰った後、京子は男爵と会って顛末を話してきたと打ち明ける。男爵は売春をほのめかすが、京子はそれを断り、千三百ドルの代りに、ウイスキー1本をもらって帰ってきたのである。
 つまり、男爵と京子の関係は木垣も読者も知らないままに物語の背後で進んでおり、詳細は不明なままに、読者の想像力に任されていて、ただその結果としての木垣や妻の行動だけが叙述される。
 ストーリーが通俗的だと言われてしまえばそれまでだ。その通俗性をオブラートに包んで、なんだか聞いたふうな議論を散らばしてごまかしている、と宇野浩二は受け取ったのだろう。
 だが、全国の若い知性がこの小説に沸き立った。アメリカの支配下にある敗戦国日本の知識青年たちの、やりきれないもやもやをこの小説が表現していたからだろう。

 木村さんによる紹介文から話が離れてしまった。「広場の孤独」を紹介した後、木村さんはいくつか個人的な感想を述べていて、それも興味深い。
 氏がこの小説を読んだ20歳の時とは1956年で、その年、氏は共産党に入党し、10月には砂川闘争に赴いた。ところがその直後、ソ連はハンガリーに侵攻し、ナジ首相を連れ帰って処刑してしまう。共産党はこれは反革命への鎮圧だ、CIAの陰謀だったのだと宣伝するが、氏にはどうしてもそうだとは思えない。「しまった、共産党に入るのじゃなかった」と思ったそうだ。
 このとき氏は堀田善衛の「砂川からブダペストまで」という評論を読み、砂川の闘いもハンガリーの闘いも同じことだという指摘にうなずいたのだという。のちに共産党はハンガリー事件への判断の誤りを認めた。また68年のプラハの春に際しては、最初からソ連を批判する立場をとった。
 共産党の東京都議会議員を勤めたバリバリの党員の木村さんにもそういう若い時代があったと正直に語ってもらうとなんだかうれしい。
 私事だが、ハンガリーのときはぼくはまだ子供で何も知らなかったが、プラハのときはすでに学問に見切りをつけ、アルバイト先で知り合った年下の浪人生たちと、同人雑誌を始めていた。彼らと銭湯に入り裸で交わした会話が忘れられない。
 一人が、アカハタは何故プラハのことを書かないのかと息巻いた。ぼくはどう答えてよいか少し戸惑った。そのときもう一人が、アカハタは一般紙じゃなくて政党の機関紙だから党内の意見をまとめなければ書けないだろう、と言ったのだ。正解だった。ソ連を批判する見解はまもなく発表された。
 ぼくは党員じゃなかったし、誰も党員ではなく、むしろ口を開けば党の悪口を言いあっていたが、それでもアカハタがどう書くかということはみんな気にしていた。

 この「堀田善衛のまなざし」については数行書いて終わるつもりでいたら、書き始めたら止まらなくなった。「零地帯」2号はほかにも面白い作品が多いので、いったん切って続きとする。

「零地帯」第2号 その2

田中克人「穂を摘む鷹」

「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の若泉敬である。もっとも主人公は敬ではなく、敬の身近にいたとする、おそらく架空の人物で、フィクションなのだろうと思う。
 京都の左翼学生の間では、若泉敬は高名な悪人だった。アメリカ帰りの政治学者で、京都産大教授、その創立に尽力した。京都の大学がみな左傾化したので、右翼の楔を打ち込むためだと言われた。若泉はCIAのスパイであるという噂だった。
 とはいうもののぼく自身は日本政治の実際にそんなに興味があったわけではないので、それ以上には何も知らなかった。
 72年の沖縄返還に際し「核抜き本土並み返還」と宣伝される裏で、非常時核持ち込みの密約が結ばれていたという話はいつのころからか耳にしていたが、佐藤首相の密使として外務省も抜きにしてこの交渉に当たっていたのが、まだ40そこそこの若泉敬で、1994年「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」という書物にすべてを暴露し、1996年、青酸カリで自殺した、ということをぼくが知ったのは、かなり後のことだ。「へえ~、あの若泉が……」と、たいして知っていたわけでもないのに複雑な思いがした。
 田中克人による小説は、河原岳男という新聞記者が主人公だ。沖縄特派員から帰って来て早々、元官邸キャップの先輩記者に呼ばれて、赤坂の一流料亭で若泉敬(作中では敬太郎)を紹介される。沖縄の人々の実情が知りたいという。河原は自分の見聞きしてきたことを熱心に話して、若泉から人物を信頼される。極秘の交渉をしていることも打ち明けられて、何度か会合を持つ。だが、交渉の内容を語ることはなかった。72年5月沖縄は返還された。
 10数年後というから80年代の後半か、密約の噂が立ち始めていた。河原は若泉とは無関係に、自分の知り得た情報の分析から、密約はあったという論文をペンネームで発表する。発表した雑誌に圧力がかかる。著者名を明かすことを社長の松田が拒否すると、広告が減り始める。電通(作中では電博)から広告を出せないという通知が来る。雑誌社存亡の危機だ。松田が電通を訪ねると、電通取締役大森岩男は松田に対して暗に、著者名を明かせと示唆する。
 翌日電通の使いが来て、「昨夜神保町のバーでご一緒だった方ですね、うなずいていただければすべて終わります」という。松田はうなずく。昨夜河原と会った時、名前を明かしてもよいと河原から言われていたのだ。
 広告はすぐに元に戻った。河原は現場記者から編集担当に格上げした。というのは名目で、事実上仕事はなくなった。内職原稿や講演依頼で懐は潤った。
 河原にとっては、圧力をかけてきた電通専務が大森岩男であったことがショックだった。大森は中学高校時代の親友であり、大森の父親は気骨のジャーナリストで、河原がその道に進むきっかけを与えてくれた人だった。
 1996年、河原と大森はあるきっかけで出会うことになる。そこで大森は意外なことを打ち明ける。
「雑誌社の松田を尾行はさせたが、店の名前だけ確認させてすぐに帰らせた。相手が誰だか知る必要はなかった。自分にはわかっていた」
 そしてそれは、
「論文の著者をその文脈の癖から当てることができないかと考えて何度も読んだ。その結果気づいた。あの論文のロジックは親父のロジックだ。そしてそれを受け継いだのは、河原、おまえだ」
「おまえは執筆者が俺だと気づいてどうしたのだ」
「政府関係者に真顔でこう言った『彼は消しました』とね。その男は真っ蒼になって帰っていったよ」
 そうしておいて、大森は新聞社に圧力をかけて、河原を現場から外させたのだ。
 その話の後、大森が置いていった新聞を河原が何気なく見ると、若泉の自殺が報じられていた。その写真には大森が涙を落したらしい跡があった。

 じつに突拍子もないミステリーで、良質のエンタメと言ってもよい。もちろんフィクションだろうが、もしかしたらあったかもしれないと思わせるものがある。
 日米間を何度も往復して、佐藤栄作とキッシンジャーの間をつなぐという程の人物が、沖縄の情報を一新聞記者から得ようとしたというのはちょっと現実性に欠ける気がするが、外務省にも秘密の仕事、首相本人以外誰も知らないという任務であれば、極端に孤独な立場だったとも思われ、後に真剣に悩んで、沖縄県民にお詫びするという遺書を残して死んだという誠実な人物なのだから、ひょっとするとあり得たかもしれないと思わせるものがあるではないか。
 作者は河原に、若泉は誠実な男だったが、「その純粋な大和魂に少し不安を感じていた。政治とは絶対に両立しない純粋な思想を持った学者だと思った」と言わせている。
 自殺という解決方法に対する作者の批判でもあろう。

「零地帯」第2号 その3

橘あおい「宮本百合子とフローレンス・ナイチンゲール」

 これも興味深く読んだ。ナイチンゲールについては何の知識も持っていなかったから。
 著者は戦前の修身教科書がナイチンゲールをどう描いたかから語り始める。幼少期のナイチンゲールが、足を折って安楽死させられそうになっている犬を見て、牧師をつれてきて安楽死を止めさせ、副木を当てて応急措置したという話を、修身教科書は、ナイチンゲールの心の優しさとして取り上げ、一方で天皇のために死ねという教育勅語を暗唱させながら、「生き物を憐れめ」とぬけぬけと書いている、と橘さんは批判し、それに対して宮本百合子が、検閲の厳しい時代に同じ話をどう書いたかを紹介している。
 百合子は、「犬をかわいそうと思うのは子供なら当たり前で、特別なことではない。この話が実話だとして面白いのはむしろ次のことである。単にかわいそうと思っただけではなく、安楽死を止めさせるために牧師をつれてきたこと。副木を当てて手当てしたこと。つまり彼女の実際的な行動力と判断力をこそ評価すべきである」として、そういった素質は上流階級の生まれという恵まれた育ちのなかで育まれたものであろう、というところまで見ている。
 著者はこれをすぐれた観点として記しているが、ぼくもそう思う。
 少し先走ったが、橘さんはまず看護婦制度の歴史から見ていく。基本的に看護婦とは赤十字看護婦として組織される従軍看護婦である。召集令状が来れば戦地に赴かねばならない。元は低い身分の女性しかならなかった看護婦にナイチンゲールは自ら志願し、クリミア戦争で活躍した。このことが看護婦の地位を高めるとともに、犠牲的精神が押し付けられ、軍隊制度の中に組み込まれていくもとともなった。
 次いで著者はリットン・ストレイチーのナイチンゲール評伝を取り上げる。ストレイチーはナイチンゲールに関する世評を頭から否定したらしいのだが、残念ながら、この引用部分が、校正ミスなのか、単語や文章が抜け落ちているらしく、意味不明である。
 この意味不明部分におそらく関連して、著者が最後に取り上げるのは、10年前にやっと明らかになったという、クリミア戦争時にナイチンゲールが赴任したトルコのスクタリ病院での現実である。
 じつは野ざらしにされた負傷兵や、他の病院に送られた負傷兵よりも、スクタリ病院の負傷兵のほうが死亡率が高かった、という調査結果が握りつぶされていた。ナイチンゲール当人はこの調査結果に衝撃を受けてその原因が病院の衛生環境にあったことを突き止め公表を望んだが、スクタリの神話を守りたい人々によって阻止されたのだという。
 いずれにせよ、ナイチンゲールはその後も病原菌とのたたかいよりも、公衆衛生を重視する方向で貢献した。それをどう評価するかという点では、百合子による評伝に対して著者は別の考えを持っているようである。
 後半、ナイチンゲールから離れてしまっているのが残念である。もともとナイチンゲールと宮本百合子を並べて書くのが著者の目論見だったようだが、むしろナイチンゲールに絞って、もう少し整理して書いたら、もっとよかったと思う。

「零地帯」第2号 その4

たなかもとじ「やまあいの雪」

 身近に、娘を若くして失った女性が二人いる。どちらも書く人で、永年書いているのだが、娘のことは書かない。書けないのだと言う。思いが溢れてとても小説にはできないのだろう。
 たなかさんもやはり若くして失った息子さんに強い思いを抱きながら、氏の場合は、二人と違って、その思いを書いてきた。
 そういう経験のないぼくには、その心中を察することは難しい。何十年前だったか、ぼくの母が、「私より先に死なないでよ」と言ったことがあった。どういう話からそうなったのか記憶にないが、両親との間にほとんど会話のないままだったぼくに対する母の言葉として印象に残った(もっとも、母はいつも一方的にいろいろとしゃべっていたか――)。
 自分が親になり、いくらか年取ってくると、この母の言葉を身に染みてほんとうだと思うようになった。子に先立たれたくはない。これはヒトという一匹の動物としての本能なのだろう。

 しかしながら自ら経験のない身で、重い体験を持った人の作品を論評するというのは難しい。難しいが、たなかもとじはもはやアマチュアというよりもそれなりの文学業績を持った人なので、このさい、率直に書かせてもらおうと思う。

 何を書こうとするのか、ということなのだ。故人を書くのか。その場合にも二つのケースがあるだろう。現実のその人を書く場合、それから、まったくのフィクションとして作り上げる場合。前者の場合は、作らずに、生きてきたその人をありのままに書き上げる作業になるだろう。読者もそういうものとして受け取るところに、その作品の価値があるだろう。後者の場合は、作者が何を表現したくてフィクションを創り上げたのか、ということが問われることになるだろう。
 だが、たぶん、いままで読ませてもらった限りで(あるいは読み落としたものもあるかもしれないが)、たなかもとじは故人を書こうとしているのではない。子を若くして亡くした親の思いを書こうとしている。
 そういうことになると、やはり経験のない者として、どういうふうに書けるのだろうかということがはっきりつかめない。
 ただ、ぼくも友達は大勢失くしてきた。若いころ親しく付き合った友達のほとんどがどういうわけか皆ごく若いままに亡くなってしまった。そういう彼らへのぼくの思いというのは、どういうものであるのか。と考えてみると、それは生きていた彼らの、その時々の身振り、表情、言葉なのだ。そういうものがときたま心に浮かび上がってきて、やるせない気持ちや、もっとちゃんと付き合っておけばよかったという悔いになったりする。
 何よりも一番に心に浮かぶのは顔である。顔、という、つまり肉体なのだ。肉体という具体なのだ。
 たとえば「風立ちぬ」にしても、「野菊の墓」にしても、「智恵子抄」にしても、そこに描かれるのは、やはり亡くなった人の生きているときの姿である。そういう具体である。対象の具体である。自らの思いの対象の具体である。そういうものとして以外に人間の思いというものは存在するだろうか? 思いとは常に何かに対する思いではないのか。

 しかし、子を失うということは、まったく意味が違うのだろうとは思う。
 ではあるのだが、ぼくがここで言いたいのは、たなかさんの今回の作品から、必ずしも思いが読み取りきれないということである。思いを表現する方法として、やはり具体的に思いの対象が書かれることが必要ではないか、というとりあえずのぼくの考えと、そのほかにどういう方法があるだろうかという模索として、ここに提起したい。
 私見を言わせてもらえば、住職の言葉で締めくくる形になったのはちがうのじゃないか。言葉で締めくくれば理屈になる。人の心は理屈では解決できないし、まして他人の理屈では解決できない。本人が心のなかでどう扱っていくかの問題だろうから。それは全面的に主体的な問題なのだ。

「零地帯」第2号 その5

紫野咲 葦女「秀男の宝物」

 中学生の男の子が東京から名古屋まで自転車で旅する話である。箱根がいちばんの難所らしい。登りは押していく。頂上へ来てあとは楽だぞと思った途端パンクして、今度は抑えながら下りなければならない。たいへん苦労して、人の情けに助けられながら敢行する。
 こういう話は行路の具体的な描写が命だが、ペンネームからいって作者は女性だろうと思うのに、隅々までペンが行き届いている。息子さんの経験を聞き書きしたのだろうか。

木沼駿一郎「悪夢」

「悪夢」の二番目の話「携帯電話」が面白かった。最後から3行目「夢だったのだ」は要らなかった。夢なのか何なのかわからないままに終わらせたほうがよかった。木沼さんの作品には珍しく非常にまとまりがいい。携帯電話について妙な理屈をこねまわす、得体のしれない男、エンジニアか、哲学者かと思えばマジシャンのようでもあり、悪魔っぽくもある。この人物の理屈が決して俗に流れていない、けっこう聞かせるし、めちゃくちゃなんだが存在感がある。切れ味の鋭い好短編である。

 木沼ワールドは大都会の片隅に生きる勤め人たちのなんてことない生活の描写が主体で、そこに魅力があるのだが、この作品は異色である。こういうものも書けるのかと感心した。
 しかし、どちらにせよ、木沼さんは短編で勝負すべきだと思う。面白い話を豊富に持っている。ところがそれを脈絡なくつないで中編にしてしまう。ひとつひとつ独立の短編として書くべきだ。すぐれた短編1本には長編1本と対等な価値がある。

坂井実三「二つの小さな物語」

 よどみない文章、書きなれている。過去にどういうものを書いてきた作家か知らないが、老いて、何を書いてよいかわからなくなった。それをそのまま正直に書いている。途中まで面白かったのだが、最後痴漢冤罪の話になってしまって、ありふれた話なので、興を欠いた。
 主人公のキャラが定まらないことを嘆いている。嘆いている人物は三人称で、主人公は一人称なのだ。これは工夫なのだろうが、成功したとは言い難い。登場人物のキャラをどう作り上げていくかというのは書くものにとっては付いてまわる問題である。もっとこの問題を突き詰めてみてほしかった。
 若い時は誰しも「これを書かなきゃ生きていけない」という切羽詰まった気持でものを書く。ところが60になり70になり、可もなく、不可はたくさんあったが、結局なんてことなく生きてこれた。「これを書かなきゃ生きていけない」なんていうテーマはもうない。
 で? どうするのだ?

 ぼくも作者と同じ気持ちなので、この作品はよくわかります。

 残りの作品にもそれぞれ興味を引く点はありましたが、今回は割愛させてください。
 以上、「零地帯」第2号評、終わりです。

谷本 論「社会主義リアリズムとは何だったのか」

 この論述が手塚英孝賞をとったことは、ぼくには多少衝撃だった。手塚英孝についてもその名を冠した賞についても何も知らないが、たぶん民主文学会がこの論述を公認したということだろうと思ったからである。
 最初にこの論述が出たときも驚いたのだが、ひとつの論として載ったということなのだろうと思った。だが、今回、それはひとつの論から公けの論になったような気がする。
 周囲の反応を知ろうとして力が抜けたのだが、若い人は「そもそも社会主義リアリズムって何?」という感じで、その言葉自体が初耳なのだ。周辺では古い人が引退してしまって、残っているのは一人だけなのだが、その人も理論問題には最初から興味がない。
 そういうことだったのかーーそんなものにこだわっていたのはほんの一部の人間だったのか。
 ぼくにしても、その言葉の意味について特に考えてみたことはない。70年ころの共産党関係で文学に関心のある人たちのあいだで、なんとなく交わされた言葉で、ぼくはむしろ無視していた。ぼくは政治的には共産党に関心を持っていたが、文学としては、彼らの論には興味を持てなかった。ぼくは全然違うところで小説を書いていた。
 民主文学に参加したのも、別にその会の文学論に賛同したからではない。たまたまその会が身近にあったからだ。そしてむしろ、民主文学的なものに反発するような形で書いてきた。
 反発したということは、無視できなかったということなのだろう。だから、「社会主義リアリズム」は、なんとなく気になるイズムだったのだ。
 今回、谷本論はこれを「単にスターリンの独裁のための手段であり、およそ論とも呼べない論である」と切って捨てた。見事だった。衝撃が走るだろうとぼくは思った。
 だが、どこにも衝撃はない。それどころか、あっさり公認されてしまった。すでにそこまで人々の意識が来ていたということなのか。というか、最初からそんなものをありがたがっていたのはほんの一部の人たちで、他の人々は最初から無関心だったということなのかもしれない。

「樹宴」14号、目取真俊

 メールが何とか機能し始めたようなので、「樹宴」14号を発注した。7月11日に届く。ところが今が5月だと勘違いしていて、ずいぶん先だなと思ったら、何のことはないすでに6月19日である。
 一ヶ月も間違ったのは初めてだ。人の名前は次々忘れるし、日本語が出てこないことが頻繁にある。これがいちばんいらいらする。
「こういうことを表現する言葉があった」と思うのにそれが出てこない。その言葉が出てこないあいだ、「こういうこと」というのがどういうことなのか、あいまいではっきりしない。考えるほどわからなくなり、その言葉が出てこないので、書きかけた文章が先に進まない。しまいに諦めて中断する。そして生活する。すると何かのはずみでふとその「ことば」が出てくる。「ことば」が出てくると、自分が何を言いたかったのかということがやっとわかる。
 目取真俊「水滴」「風音」「オキナワン・ブック・レビュー」三作読んだ。「まがね」の来月例会課題作である。「民主文学」6月号で、尾西康充が取り上げたことがきっかけになった。尾西氏の評中、一箇所ミスがある。「風音」の主人公の名前を、「当山清裕」としている。「清裕」は「水滴」の登場人物の名前である。「風音」のほうは「清吉」が正しい。
 尾西氏の評はずいぶん学者的だなと思ったら、やはり学者だった。国文学の教授である。さまざまな目取真評を引用して、それに対置する形で自説を述べる。いろんな人が目取真俊を論じているので驚いた。ぼくはこの作家を知らなかった。ネットで見ると、どこかの教授が目取真をぜひ英訳してもらいたいと思って、シカゴ大学での日本文学研究者の集まりに本を持参したら、そこに集まった人々はとっくに目取真を知っていて、すでに翻訳にかかっているのだそうだ。
 作品はたいへん面白い。面白いし、考えさせられる。これもいま読まれるべき作品群だ。ただし、「オキナワン・ブック・レビュー」は、ネットではこれが最高傑作という評もあったが、ぼくのセンスには少し合わない。「水滴」と「風音」がいい。
 書く立場から言うと、やはり叙述が具体的で、細部の描写が丁寧だ。素人作家の悪い所はストーリーを書くのに一生懸命で、場面場面の描写、人物の描写がおろそかになるということだろう。骨だけを書いて肉も皮膚も書かないのだ。読ませる作品というのは、肉と皮膚とをしっかり書いている。あと、ストーリーを一本だけにしない。一本のストーリーから派生してもう一つストーリーが出てくる。これによって作品が複合的になり、単調さから救われる。登場人物も複合的になり、書かれている事柄も複合的になる。
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