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読書再開

「タイムマシン」後編終了。読み直すたびに直すところが出てくるが、きりがないのでやめる。読むべき本が山をなしている。いまからは読書に切り替える。
 そろそろ「ふくやま文学」の感想も来始めた。ところが当方はまだ一作も読めてないのだ。ほかにも、いただいた本がたくさん。どれも読めてない。たいへん、たいへん。
 ちなみに、後編は「まがね用」の25×20上下2段で19ページ、400字詰めに直すと、44枚だった。

「樹宴」発送

「ふくやま文学」のメンバー宛に封筒に詰め始めたら、あの人もこの人もとなって、あっという間に本がなくなってしまった。ちょっとうかつだったかな。考えてみれば毎年合評会には20人来るのだ。その顔を思い浮かべながらあて名を書いていったら、20冊がなくなるに決まっている。30冊では足らなかった。40冊注文すればよかった。ところが30冊は8千円でできたが、10冊だと4千円かかる。待てよ。版が残っているわけだから、案外安くできるかもしれない。調べてみよう。
 せっせと切手を貼ったが、50円切手があるうちはよかった。5枚貼るだけで済んだ。それがなくなると15円切手が山ほど出てきた。15円切手で250円にしようと思ったら、16枚とあと10円だ。そんなに貼ったら宛名が書けない。記念切手だから、安いのに無駄に大きいのだ。20円切手がどっと出てきて助かった。いっぱい切手を貼った封筒を、毎日いくつも持って行って「確認してください」と言って渡す。自分で噴きだしてしまうが、局員たちは優しい笑顔で「ありがとうございます」と言ってくれた。只働きなのにね。
 しかし、もう限界だ。15円と10円ばかりになってしまった。全部でいくらになるか知らないが、これは来年の年賀状と交換しよう。ぼくは年賀状を書かないが(昔からだ)、妻が少しは書く。何年か使えば、切手もなくなるだろう。

「『異邦人』の読み方」の感想が来た

「樹宴」の大阪在の読者から編集者に感想が届いて、「『異邦人』の読み方」を面白く読んだと書いてくれているそうだ。感激である。これが仲間と集まって書くことの効果なのだろう。一人で出版しても、届ける先は限定されている。一緒に書けば、未知の人に届く。
 正直のところ「樹宴」に何人くらいの読者がいるのだろうと気になっていたが、「樹宴」には「樹宴」の読者層があったのだ。
 編集者から受け取ったのは5部だけだったので、2部手元において、3部だけ、一番読んでほしい人にまず送った。PDFを編集者から送信してもらい、ちょ古っ都製本で30部作った。今日からその発送作業にかかっている。スマートレターで送れば180円だが、父の残した切手が山ほどあり、置いといても仕方ないので、それを使っている。すると250円かかる。70円損なようだが、置いといても一円にもならない切手だから、ただで発送できるだけ得だ。
 切手は一度売ったものだから当然郵便局は買い取らない。交換はできるが手数料を取られる。手数料は回数なので、一度の交換は交換物が多くても少なくとも同額らしいから、大量交換の機会があればすればいい。年賀状などがよく使われるそうだ。金券ショップでは、額面の3割にしかならない。それが相場なんだそうだ。もっともショップはこれを9割で企業に売る。企業は、宅配便や、ダイレクトメールなどで郵便局を使うときに、この9割で買った切手で払う。もちろん、切手として使う分には額面どおり10割である。
 だから我々にしても一番良い方法は、それを切手として使うこと。だが、何万円分もの切手を使うチャンスはそう多くはない。本を送る時こそそのチャンスなのだ。70円損するし、封筒だって一枚10円だから、80円の損、切手を貼る手間が大変だ。貼らなくても持って行って払えばいいのだが、窓口で面倒なことをしたくないので、貼って持っていく。10円の封筒だから、スマートレターと違って本が傷むかもしれないが、仕方がない。すべて貧乏のせいだから我慢する。
 送れば読んでもらえるとは思っていない。ぼくのところにもたくさん送ってくれるが、なかなか読めない。それがわかっているから、読まれなくてもしかたがない。でも送らねば誰も読まないのだから、まず送る。あとはむこうさん次第だ。すぐに読まなくても、何年か先に読んでくれるかもしれない。一人からでも反応が返ってくればうれしい。そう思って、せっせと切手を貼っている。
 ふと思った。切手集めも流行らなくなり、親の残した切手の処置に困った相続人が、ぼくたちみたいにみんなそれを切手として使い始めると、郵便局は大変なことになるかもしれない。その代金はすでに受け取ってしまっているわけだから、ここから先はタダ働きするわけだ。働いても働いても金が入ってこなくなる? 
 一番つまらないのは、外国切手だ。これは一円にもならない。

「タイムマシン」完結編

「タイムマシン」を、誤魔化しだが、なんとかラストまでいった。誤魔化しというのは本当にそうだ。最初の計画ではアクションシーンを作って、そこに疑似恋愛場面を書くつもりだったが、結局できなかった。前編、中編にうまくつながらない。
 前、中、後とつないで読んでみた。一昨年のというか、2013年に書いて一昨年載せた前編は、まあ、なんとか読めないことはないと思う。ところが、去年書いた中編に来て、がっかりした。とんでもなく退屈だ。もともとそんな気はしていたのだが、今回はっきり分かった。でも、今更どうしようもないので、とりあえず、前編、中編につながるように、そして中編ほどには退屈にならないように、とはしたつもりである。
 やはりこういう話は、最初に構想を立てねばだめだ。ぼんやりした構想は頭にあったのだが、中編がうまくいかなくて、うろうろして、どうにもならなくなった。起承転結で言えば、中編で「転」に行かねばならなかった。あそこでアクションを起こすべきだった。
 ということで、もし書き直すことができれば、そういう方向だが、今回はこのまま我慢してもらう。前、中、後をつないで試しに400字詰めに変換してみると、ちょうど百枚だった。長さ的には最適なのだが。
 今から部分修正に入る。構成はもう変えない。
 一言言い訳すると、去年はいろいろと本当に大変だったのだ。

青山次郎「ほうとう」(「民主文学」20年4月号)

 書き出しはよかったのだ。仙洞田作品の書き出しに苦労したあとだったので、こういうふうに、いきなり主人公が動いてくれれば読みやすい、と読みながら勝手にうなずいた。主人公のうきうきしている冒頭を読めば、「はあ、これは希望が絶望にかわる小説だな」というのはすぐわかる。それをわからせるような大げさなうきうきぶりで、コメディタッチの小説なのだと思って読み始めた。
 どこに転がっていくかさっぱりわからない小説というのは読みにくい。こういう方向かなと予感させると読みやすいが、予感どおりだとまた失望するので、その予感を裏切ってくれるのがいちばんいいのだが。
 最初につまずいたのは、54ページ下段<爽やかな気分で景色に目をやっていると、これまでのことが次々と胸の内に甦ってきた>から、55ページ上段<出口のなかった自分の過去の思いにふけっていると、風が強くなってきたようだった。高尾山を経由して下山するため僕は立ち上がった>までの、こういう叙述方法なのだ。その間に34行の過去が挟まれている。
 過去を挟んでも構わない。しかしなぜその過去を、この場所で、富士山を眺めながら、<爽やかな気分で景色に>目をやりながら、<出口のなかった自分の過去の思いにふけ>るような、そんな形で思い出さねばならないのか。34行にもわたって苦しかった過去の思いにふけりながら、なおかつこの人は<爽やかな気分>だったのかどうなのか。
 こういう書き方をときどき見かける。何かをしながら、過去を長々と思い出す。しかも順序だてて思い出す。しかも<爽やかな気分>で<いやなこと>を思い出しもする。この人間の頭のなかは今どうなっているのか。<爽やか>なのか<爽やか>でないのか。
 過去を挟んでもいい。しかし、なぜそれを「思い出し」として書くのか。人の「思い出し」は、かくも順序だっているだろうか。人間の心に浮かぶことというものはもっと切れ切れのものではないのか。
 なぜ、過去をその人物の思いとは関係なしに叙述しないのか。ここは一人称だが、その一人称がわざわざ思い出さなくても、過去のこととして客観的に書くことはできるだろうではないか。
 こういう小説を読むとき、いつも浮かぶ疑問である。

 ストーリーは予想通りに進んでいく。ただ、コメディタッチではなかった。その意味では予想を裏切ってくれたわけだが、ここは裏切ってくれないほうがよかった。冒頭の大袈裟なうきうきぶりはどう見てもコメディで、そのままそういうタッチで書き続けてくれればよかったのだ。深刻なことを深刻に書いたのではありきたりだ。深刻なことほどユーモアが欲しい。

 コンビニのさまざまな業態をかなり詳しく紹介している。そこは読みごたえがあった。しかし、どちらかといえば、まだ説明だ。ひとつの店でのある一日を具体的に目に見えるように描き出してほしかった。一人一人の店員の描写、来店客も含めて。そこに力を集中してほしかった。
 組合は余分だったように思える。

仙洞田一彦「餓鬼の転職」(「民主文学」20年4月号)

 結果から言えば面白かったのだが、冒頭の数ページは難儀した。仙洞田さん、どうしちゃったの? という感じ、いつもの仙洞田小説の切れがない。ごたごたしている。何度も中断してため息をついた。
 第二章に入ってがぜん面白くなった。ストーリーが動き始めたのだ。
 結論から言うと第一章は全部要らない。第二章から入る。もっと言えば、本屋での出会いから始めてもいい。そこから物語はスタートするのだ。そこまでは物語のための背景説明である。これはストーリーの展開に合わせて、その都度挿入していけばいい。それもこんなに詳しくは要らない。ストーリーに必要なだけでいい。
 いつもの仙洞田小説はそうなのだ。冒頭から話が展開して読者を誘い込むのである。今回に限り、なぜこうなったのか。
 以下推察だが、この小説の少なくとも冒頭部分は、作者の生い立ちをそのまま書いている。すべてが事実なので、作者には書きたいことがたくさんある。ストーリーに必要かどうかなんて考える余地がない。あれも書きたい、これも書きたいと書いてしまった。その結果がこれなのだ。
 人はフィクションを書くとき、ストーリーに必要なことしか書かない。ところがそれも逆に問題なので、ストーリーに必要なことだけだと、いかにも作り話になってしまう。そこで、慣れた作者は必要ないことを適当にいくつか散りばめる。ストーリーには必要ないのだが、それがあることで話が真実っぽくなる。
 ところが本当のこと、とりわけ自分自身のことを書き始めると、まったく逆の現象が起こる。ストーリーとは関係なしに、あれもこれも書きたくなる。それが失敗なのだ。
 自分には大事なことでも、読者にはどうでもいいことはたくさんある。けれども、小説は読者のためだけに書くのではない。自分の書きたいことを書くのでもあるのだから、要するにバランスなのだ。どこかで釣り合いを取らねばならない。
 町工場の描写は冴えていた。あそこはもっと書いてもよかった。文学の集まりには一年通ったわけだから、あそこはちょっと書き足りていない。すっ飛ばしてしまっている。いくつか印象的な場面が欲しかった。特に、そこで魅力的な女の子の登場があればもっとよかった。と願うのはぼくの嗜好かな。
 ラストがいい。「おまえは世間知らずの餓鬼だ」と切り捨てられて、そこでしょぼんとしてしまうのではありきたりだ。「餓鬼だ、餓鬼だとうるせい。餓鬼だって餓鬼なりに苦しんでいるんだ」と開き直って、反発している。社会的にどうこうの問題ではなく、ここに前に進もうとする一人の若者の、その個人の活力を見る。ここで読者は励まされる。読後感はとてもよかった。

「時の行路」映画化完成

 きのうの朝日新聞です。「ひと」欄。映画監督、神山征二郎の記事。「時の行路」の映画完成。「民主文学」の現会長 田島一の小説の映画化。
 監督は途中で入院し、撮影は他の監督が担当して、編集段階で復帰。
 たしか、新聞連載時に挿絵を描いた中西繁が中心になって進めていたと思う。募金で集めた製作費はぎりぎりで、手術、入院となっても延期はできなかった。
 一昨年、山口県で民主文学の中国地区研究集会をやったとき、田島一に来てもらったので、映画製作の実行委員会のメンバーが来て話をした。マツダを派遣切りされて裁判闘争をした人たちも来て話をした。
 ハードカバーの三分冊で原作も読んだので、どういう映画になったか興味はある。仮名「ハケン」と聞いていたが、原作どおりになったようだ。
 ただ、この時世で、映画館に行けない。悪いときにぶつかった。

加藤典洋と上野地上ホーム

 7歳になる直前、十日町から福山に引っ越したときの記憶で、立ち寄った東京駅のホームで線路が行きどまりになっているのが記憶に残ったと、いつかこのブログに書いた。
 今朝の朝日新聞で、原武史の記事を読んで、じつは東京駅ではなく上野駅だったのだと知った。東京駅にはそういうホームはない。上野駅には高架ホームと地上ホームがあって、高架ホームは通過式だが、地上ホームの13番線から17番線が頭端式になっているのだそうだ。頭端式というのが、線路が行き止まりなっているホームの名称なのだという。
 ぼくはてっきり東京駅と思っていたので、一昨年(いや、もっと前かな。もう年度の記憶ができなくなった)東京駅をうろついたときに見かけなかったので、もうなくなったのだと思っていた。ところがどっこい上野駅にいまでもあるのだ。
 ヨーロッパの鉄道駅では珍しくない。方々でそういう駅で延々と待たされた記憶がある。ヨ-ロッパの列車は時刻通りに来ない。どのホームに停まるかも直前にならねばわからない。各地から来る列車の到着順序がわかるようになるまで、ホームを決定できないのだ。
 そのホームがつまり頭端式で、駅に入ると、すべての線路がこちらを向いて行き止まりになっている。もちろん大きい駅だけの話だが。電光掲示板に目を凝らし、アナウンスに耳を澄まして(これはぼくではなくて娘だが)ひたすら待つ。
 原武史の記事は、加藤典洋が中学校の修学旅行で山形から来たときの話だ。加藤典洋も去年だか一昨年だか亡くなった。ぼくはこの人の書いたものを読んだことがなかったが、太宰治賞の選評で短い文章だが、はじめて読んで、印象に残った。ぼくとほとんど同時代の人だ。いっとき朝日の文芸時評を担当していたらしいのだが、そのころぼくは文学から遠いところにいた。
 うかうかしていたあいだに、どんどん、ぼくらの時代が過ぎ去ってしまった。

中村文則と「ペスト」

 妻が「異邦人」を再読し、さらに「ペスト」を読み始めた。「ペスト」もうちに二冊あるので、妻も読んだはずだと思うのだが、読んでないと言い張って読んでいる。コロナ騒動と偶然重なったので、怖い怖いと言いながら読んでいる。ぼくも「ペスト」と「シジフォスの神話」は読み直したいと思っているのだが、「まがね」の原稿に集中したいので、読書は控えている。頭のなかに、いくつもの世界を同時に持つことができない。
 だから、新聞小説くらいしか読まない。その中村文則の連載が、いま、ペストになってきた。ペスト騒ぎのなかに魔女狩りが進行する。魔女というが、女性ばかりではない。ここでは老人がペストを招いた魔女だとして処刑される。その老人は物見遊山気分で集まってきた見物人たちを呪いながら、勝利の笑いを発して焼き殺される。まさしくこれはムルソーの処刑場面の再現なのだ。
「異邦人」の三度目のブームが来てもおかしくない時になってきたような気がする。

「民主文学」4月号

 匿名の方から、「民主文学」4月号の感想をコメントでもらいました。承認したので、クリックしたら読めます。ぼくのほうは、「まがね」の原稿に一生懸命で、まだ、矢嶋さんの小説だけしか読めていません。あしからず。

矢嶋直武「ノッティンガムの少女」(「民主文学」20年4月号)

 みなさんに、ぜひ読んでいただきたい作品。小説としても素晴らしい(ラストに多少構成上の難あり)が、演劇授業という耳慣れないものについて的確な知識を与えてくれる。
 部活動としての演劇ではない。授業としての演劇なのだ。世界中の学校でやっているのに、日本ではほとんど皆無に近いのだそうだ。
 作者は日本の高校でそういうことを始めたパイオニアである。作品はフィクションだが、演劇授業に関することは実体験に基づいている。
 主人公は国語の教師だったが、演劇授業の非常勤講師が高齢でやめた後、ピンチヒッターとして、国語との掛け持ちで受け持つ。演劇はもともと好きだったが、授業と部活動との違いを知らなかった。部活動のつもりでやってしまって、生徒の関心を喚び起こすことができずに挫折を繰り返す。台本を作り、セリフを覚えさせようとするが、生徒は乗ってこない。それは部活動としての演劇=シアターであった。授業はシアターではない。ドラマでなければならない。台本は作らない。すべて即興で、生徒がしゃべりたいようにしゃべらせる。すると生徒が生き生きしてくる。
 苦心惨憺の末に自分で見出した方法、だが、イギリスの演劇授業に関する専門の本を読むと、自分で編み出したことと同じことが書いてあった。
 作者がそういうことをやってきた人だということは聞いていたが、具体的にその内容について知ったのは初めてで、強い関心を持たされた。日本の学校に欠けているのはこれではないか。これは高校と言わず、小学校からやるべきことだ。不毛な道徳教育なんかよりずっと役に立つだろう。

「ふくやま文学」32号

 小説13名13作。
 その他、詩、随想、児童文学、ショートショート等。
 総員20名以上が書いている。
 上製。188ページ。定価500円+送料。
 まだ読めていないが、書き手の多さだけでも期待できそうである。
 石崎は「夜」27枚。(旧作の再掲)

 注文先 〒721-0971福山市蔵王町3197-3 大河内喜美子

「氏(うじ)」と「氏(し)」

 コメントにいただいた氏(うじ)と氏(し)との違いという意味が今朝起きがけにやっとひらめいた。余談だが、ぼくは朝の目覚めるか目覚めないかのゆめうつつのときにアイディアがひらめくことが多い。今回も突然やってきた。思えばうかつなことだった。
 ファミリーネームとしての「氏」と、敬称としての「氏」の違いだ。
「姓」「氏」「苗字」「家」というのは、その言葉の発祥の経過や歴史的変遷は別にして、現代ではすべてファミリーネームを意味する言葉として使われている。ところがこのなかで、「氏」だけが敬称としても流用されている。
 Aさん、Bさんと呼ぶようにして、A氏、B氏と使う。A姓、A苗字と呼ぶことはない。A家という使い方はあるが、これは個人を呼ぶのではなく、ファミリーを意味する。
 A氏、B氏は、Aどの、Aさま、Aさん、Aちゃん、Aくんと同じ使い方をする。ただし、そこにも使い分けがあって、「氏」はふつう、会話では使わない。また二人称としては使わない。どこで使うかというと、新聞、雑誌、書物、つまり紙の上、もしくはテレビニュースなど、要するに三人称として使う。
「どの」はほとんど使わない。「さま」「さん」「ちゃん」「くん」は相手によって使い分ける。序列がある。
 ミスターの翻訳として「氏」が使われたが、翻訳でも三人称のときしか使われていない。ミスターは相手に呼びかけるときにも使うが、翻訳では、そのときには「さん」になる。
 日本の時代劇では、「うじ」が相手を呼ぶとき(二人称)で使われるのを見る(西郷うじ、坂本うじ)が、(フィクションなのかもしれないが)実際に使われたのかも知れない。幕末に近いころ、さむらい間で、身分の上下のない同輩を呼ぶときに使ったのではないか。根拠はないが、あまり古くから使われていたようには思えない。明治の翻訳者が、これを流用したのだろう。
 ミスターの翻訳としての「氏」が、女性にも使われることの違和感がまずあった。欧米では今どうなっているのだろうか。ミセス、ミスの使い分けは否定されて、ミズと呼ばれているとか過去に聞いたことがあった。ミスターはすでに女性にも使われているのだろうか。
 それとの関連で、(翻訳としてではなく)日本言語史のなかでの「氏」が気になったのである。「氏」は女性には使われなかったという思い込みがあった。だが歴史的経過からいうとそれは誤りで、女性に使われなかったのは苗字で、氏はむしろ女性にこそ使われたのである。この「苗字」もまた歴史的変遷を経ており、その言葉の発生は中世だろうと思うのだが、江戸時代にはもっと一般的にファミリーネームとして使われたのではないかというイメージがある。(でも、よく知らない。江戸時代、庶民は苗字を許されなかったわけだし、でも隠れ苗字があったという話もあるし、江戸時代のことはまったく知らないのだ)

ウィルス

 ウィルスが厄介なことになった。ウィルスが厄介なのは、目に見えないからだ。そのうえこちらに知識がないので、よけいにどうしてよいのかわからない。
 電車のつり革に触るなとか、手を洗えとかいうが、だいたいウイルスというものはどういう環境でどの程度生きるものなのか。生きるという言い方もおかしいのかもしれない。ウイルスには遺伝子だけがあって、細胞膜を持たないというから、生命ではないのかもしれない。それが他人の細胞に入り込むと活動を開始するわけだが、この不活性状態から活性化へと転じる前の状態、つまり不活性の状態で、活性化への可能性を、どういう環境ならどういう時間維持できるのかということである。
 例えば、毎朝配達される新聞は無数の人々が素手で触ってから家庭に届けられる。新聞は消毒できない。われわれはそれを朝食のテーブルに持ち込み、素手でページをめくりながら、その同じ素手で食パンや果物やチーズをつまんで食べている。これははたして危険なのか、そうでないのか。そんなこともわからないのだ。
 アメリカでは今シーズンのインフルエンザの死者がすでに1万人を超えたという。まだシーズンが続いているのでわからないが、これはむしろ少ないほうなので、去年のシーズンには3万人、その前は6万人が死んだのだという。どこまで正確な情報かわからないのだが、あまり騒がない。否、まったく騒がない。これは既知のウィルスでワクチンもあるから怖くないのか。コロナが未知だから怖いのか。
 株が暴落している。昔なら株を持ってない我々は高みの見物だった。いまはそうはいかない。政府が年金基金で株を買ってしまった。これが暴落すれば、年金を払えなくなる。我々の生活は成り立たなくなるのだ。
 そもそも株はばくちである。年金基金でばくちをやっていいはずがない。もはや他人ごとではないのである。

姓、氏、苗字

 姓、氏、苗字は「たんめん老人」もいま書いているし、コメントでも疑問が来たが、時代変遷が大きい。姓は元は八色の姓で、じつは八色になる前もあって、臣、連で始まっていた。その臣、連の頭に、真人、朝臣、宿祢などが乗っかったので、臣、連などが下のほうになってしまい、やがて消えた。真人は天皇家から派生した氏族、その下が朝臣、宿祢だったが、平安時代に入るころには、真人も宿祢も消えて、みんな朝臣になった。事実上、姓はなくなった。そして姓と氏とが混用されるようになったと思う。源平藤橘を四姓と呼んだり、臣籍降下で氏を賜うのを、賜姓と言ったり(たんめん老人がこれは賜氏と呼ぶべきではないかと言っている)、姓氏家系大辞典(これは現代の辞典だが)などという用例にみるとおり、ごく早い時期に、姓と氏とは同じ意味になったと思う。もともとは、姓というのはその家の家格を表す。明治になってヨーロッパの真似をして戦争に負けるまでのたった70年間だけ、公候伯子男という爵位を作ったりしたが、あれの古代型が姓である。その姓が朝臣以外使われなくなったので、事実上単に貴族への一般的な敬称の意味だけになった。
 氏は、もちろん源平藤橘以外にもたくさんある。清原とか、紀とか、阿倍とか、だが、京都朝廷は源平藤橘が圧倒的に多かった。そこでその住んでいる街路名をとってあだ名で呼ぶ。このあだ名が家名となる。
 地方豪族はじつは源平藤橘ではない。中央集権国家なので、もともとは確かに中央貴族が国司として地方に赴任し、土着したから、平将門などは確かに平なのだろう。だが、義朝、頼朝がほんとうに源氏かどうか疑わしいという新聞記事も子供のころ読んだ記憶がある。まして北条が平だとか、新田、足利が源だとかというのはほとんどでっち上げである。彼らの系譜などわからない。勝手にそう名乗っただけだ。そう名乗る一方で、やはりその居住地があだ名となる。都市生活者ではなく、地方の地主だから、その土地の名前になる。これが苗字で、どの田んぼの持ち主かという意味だろう。栄えた一族は兄弟がそれぞれ別の土地の持ち主になるから、一人ずつ苗字が違う。親子でも違ったりする。しかし時代を経ると、次第に一家、一族の苗字は継承されるようになり、やがてそれが氏と呼ばれる。いつ、どの時代というよりも、もともと氏と苗字もかなり混用されていたのだろうと思う。
 法律でこれこれと決めたわけではなく、慣習的に使われてきた言葉だから、もともとあいまいなのだ。ぼく自身は、「苗字」にあまりなじみがなかったので、北条、足利が氏で、源平藤橘が姓なのだと錯覚していたわけだ。姓、氏、苗字という使い分けも、細川氏がわかりやすく説明しているだけで、そんなにきちんとしたものではないだろう。
 近代に入って、ミスター、ミセスを翻訳する必要から、氏と夫人が利用された。もっとも夫人は古代中国からあって、日本古代にもあった。帝王の妻の順位の一つだった。これを、ミスター、ミセスの翻訳として使うことが百年間で定着したので、いまになって、氏は男でも女でも氏なのだ、と言われるとなかなか慣れることができないという話。
 そこへぼくの場合、氏と姓に関する誤解があり、氏(源平藤橘)を姓、苗字(北条、足利)を氏と思い込んでいたので、歴史的に女性が苗字では呼ばれず、氏で呼ばれる(これが正解)のを、氏で呼ばれず、姓で呼ばれる(まちがい)のだと勘違いしていたので、余計に、氏が女性の呼称になることに抵抗感があったのだ。だがもともと、漢字文化圏では氏は男女共用だったようだ。漢字文化圏には(日本を含めて)男女を区別する言葉はもともとないのだ。これを切り離したのは翻訳文化だった。苗字が男に対してだけ使われたのは、その時代の要請である。それが田んぼの持ち主を意味するからだ。たぶん江戸時代には、すでにこの用法も変わっていただろう。
 という話である。ぼく自身の誤解が絡んでいるので、話がやたらややこしくなっている。
「氏」という言葉の歴史的変遷と、それへのぼくの誤認識について語りたかった。
 だから、古代―中世―近世―近代―現代という経過が必要だった。このうち近世(ほぼ江戸時代)が省略されているので、話がぴょんと飛んでいる。(じつは江戸時代のことは何も知らないのだ)

「まがね」原稿開始

 茨木のり子は自分のやっていることを吹聴しない人だったようで、朝鮮語を勉強していることを誰も知らないうちに、韓国の詩人の詩を翻訳、出版するところまでいっていたという話だ。
 けれども、ぼくは彼女と違って怠け者なので、宣言しないと何もしないので、ここに表明しておく。「まがね」62号の原稿にやっととりかかった。「タイムマシン」の完結編30枚を、3月じゅうに書き上げる予定。なんだ、一日一枚じゃないかというが、まさしくそうなのだが、そうやって自分を励まさないと、もう何も書けない年齢になっているのだ。
 ただし、一日一枚とはいかない。今回意識して消しゴムで書いてみようと思う。これ、安部公房が言ったのだ。50年前からそれは知っていたが、今回初めてほんとうにそういう気持ちでなければ書けないと思った。
「まがね」に復帰して、はや10年になる。ところがまともな作品は一作も発表できていない。書評か、エッセーか、さもなければ旧作でお茶を濁してきた。新作の現場物を二つ書いたが、これは二つとも失敗作だった。30年以上のブランクで、小説づくりの勘が衰えていた。
「タイムマシン」は2013年に書きかけて止まっていた。一昨年、編集を担当することになったのでともかく何も出さないというわけにはいかないので、「前篇」ということにして出した。去年は後編を書くつもりだった。ところがさまざまな問題をかかえていたうえに、いざ取り掛かってみると、まったく筆が進まない。一文字も書けずに弱ってしまった。
 ぼくの小説作法はこうだ。さまざまなラストがもともと頭にある。こういうラスト場面を書いてみたいなというのがあるのだ。そこへある日出来事が降ってくる。まったく頭で創り上げることもあるが、実際の出来事にヒントを得ることが多い。だが、それだけではまだ書けない。配役が決まらねばならない。書きたい人間のモデルももともと頭にある。ぼくは長い人生のわりに交流範囲は狭かったが、それでもいつか書いてみたいと思わせる人間は何人もいる。その人間たちがぼくのストーリーにピタリとはまってくると、書けそうになってくる。もっとも、現実の人間そのままではない。幾人かを切ったり張ったりする。だがまだ書けない。人物たちの名前が決まる必要がある。これが案外重要なのだ。名前のイメージがぴったりしないと書き出せない。そして最後に、書き出しの一言が出てこなければならない。これが最後の関門である。まず最初の一言がいる。
 最初の一言が出てきたら、あとは半分筆任せである。だが、若いころと違って、いまは筆任せだけでは書けなくなった。否、筆任せだけでは、冗漫になり、うまくいかない。コントロールが要る。でも基本は筆任せなのだ。筆任せとは何かというと、その小説の文体が決まってしまったので、それに従って書いていくということだ。そうすれば人物たちはそれぞれ文体に乗って動いてくれるし、ストーリーは彼らが勝手に運んでくれる。
 というはずだったのだ。いざ書こうとする前までは、そういう思惑だったのだ。ところが一文字も書けない。なぜ書けないかというと、5年間放置していた作品なので、しかもかなりいつもと違う文体なので、その文体が戻ってこないのだ。ぼくは文体でものを書く人間だから、文体が戻ってこないと一文字も書けない。書けないとストーリーが始まらない。結末は頭にあるが、ストーリーは頭にはないのだ。それはぼくの場合、書くことによって生まれてくる。だから書かねば生まれない。だが、文体が戻らねば書けない。ということなのだ。
 そこで、ぼくは前篇を何度も何度も読みなおした。読み直して書きながら文体を取り戻していった。そういう手順を踏んだので、後篇にする予定が狂ってきた。物語が前に進まなくなった。序破急にするつもりだったのを、起承転結に変える必要が生じた。つまり、「破」や「転」の前に、「承」を入れる必要が出てきた。そこで、去年の号は「中篇」になった。
 しかもたいへん評判悪かった。それはそうだろう。もともと一年に一回しか出ない雑誌に、連載物を書いて、前回の話を覚えておけと言うほうが無理だ。そのうえストーリーが前に進まないのだから退屈してしまう。
 それでも、去年だってやはり消しゴムで書いたのだ。ほんとうはもっとずっとたくさん書いたのである。自分で読んでも退屈だと思ったから、たくさん消しゴムで消したのだ。ぼくなりに苦労はしたのである。
 と、またしても退屈な文章を並べてしまったが、さて、今年である。3月じゅうに書き上げる。というのは去年自分の作品にいつまでもかかったせいで、編集担当でありながら、他の作家の作品に目を通すことができなかった。校正ができなかった。フリーパスしてしまった。おかげでかなり誤字脱字が出た。今年は厳密にやる。校正を著者任せにはしない。編集者として責任をとる。そのために、自分の作品は3月じゅうに終わらせる。
 それも、去年に増して消しゴムで書くつもり。というのは、今年も、昨日、前篇中篇読み通してみたが、やはり去年と一緒で文体が浮かんでこないのだ。いっときかなり絶望し、途方に暮れた。書けないじゃないか、どうしよう。そのとき安部公房の言葉がよみがえったのだ。そういう方法がある。まず何でもいいからともかく書く。たくさん書く。なんでも書いてよいなら、いくらでも書けるはずだ。書くだけならいくらでも書ける男である。そしてあとから消しゴムで消していく。何か残れば、それが作品になるはずだ。
 だから、最低60枚は書く。一日2枚書く。そして半分を消しゴムで消す。
 さて、はじまり、はじまり。

「執権」に追加、そして保守について

 もうひとつだけ「執権」に追加。
 姓(かばね)、氏(うじ)、苗字の件。
 細川氏が「基本知識」として書いたことはぼくにとって全部常識であったと書いたが、姓、氏、苗字については以前このブログで間違ったことを書いていた。
 源平藤橘は四姓であるというのが頭にあって、でも一方に八色の姓(真人、朝臣、宿祢等々)があるので変だなとは思ったのだが、源平藤橘は姓であると書いた。これは間違い。姓はあくまでも八色の姓。ただ後世ほとんどの姓が使われなくなって、朝臣だけが残った。源平藤橘が氏なのだ。そして北条、足利などは苗字である。以前このブログに、源平藤橘が姓で、北条、足利が氏と書いたのは間違い。
 同じ氏が何系統もできるので、それぞれ居住地で呼ばれるようになる。京都貴族の場合、街路名から、近衛家、九条家、岩倉家など、家(け)と呼ばれる。苗字というのは、武士の居住地を意味する。親子兄弟で苗字が異なる。北条義時の子は、朝時が名越、重時が極楽寺、実泰は金沢である。重時の子は、赤橋長時、常葉時茂、塩田義政、普恩寺業時という具合。
 氏が男の呼称であると書いたのは間違いで、苗字が男の呼称である。北条は苗字である。名越も極楽寺も金沢も赤橋も常葉も塩田も普恩寺も、みんな苗字だ。女性は氏で呼ばれる。したがって政子は平政子だ。源頼朝と結婚しても平政子である。
 夫婦別姓でまだもめているが、夫婦同姓が日本の伝統というのは間違い。これはヨーロッパの伝統であって、日本は明治になってヨーロッパの真似をして民法を作ったときに、夫婦同姓にしたのだ。まだ百数十年にしかならない。
 氏が男の呼称であるという感覚がぼくのなかにも頑固にあって、女性を氏と呼ぶことに違和感があるが、これもじつは西洋文脈の翻訳から生じたことなのだ。ミスターを氏、ミセスを夫人と翻訳したので、それが百年間で定着してしまった。男女を区別するのはヨーロッパの伝統で、日本には存在しない。彼と彼女も、HEとSHEの翻訳に過ぎず、それ以前は男も女も彼だったのだ。
 ということで、基本認識は変わらないが、姓、氏、苗字のとらえ方を間違っていた。とりわけ氏については大きな誤認があった。今回、「執権」を読んでようやくはっきりした。
 でも、やっぱり女性を氏とは呼びたくないね。一度身に付いたことはなかなか変えられない。だから保守的な感覚というものもよくわかるのだ。伝統は30年で作られるという。子供時代に覚えたことが、その人にとっての伝統なのだ。

「執権」の改善点

 この本に注文を付けるとしたら、ふたつだけ。
 ひとつは系図だ。たくさん系図があって便利なのだが、それぞれバラバラに関連個所に置いている。他のページから見たいと思ったときに不便である。全部まとめて、最初か最後のページに置けば便利だと思う。系図どうしを参照することもできるし。
 あと、年表が欲しかった。簡単でいいから、系図と同じ場所に付けてくれればよかった。

「執権」補足と「樹宴」について

「執権」を買い求めたのは、たんめん老人のブログが紹介しているのを読んで面白そうだと思ったからで、期待にかなった。本の内容についてはたんめん老人のブログがかなり詳しく紹介しているので、それを読んでいただきたい。
 義時については今回初めて彼の存在の面白さに出会った。終始時政の陰にいて「何もしない」ことが自然とその存在感を高めていき、最後に時政を排して決然と立ち、承久の乱に立ち向かう。細川氏による面白い解釈だ。
 時宗については、少しイメージが変わった。もっとも、前に読んだ本の内容は記憶が薄れている。細川氏は時宗の暴力的な面を強調する。
 7代将軍惟康親王が、じつは臣籍降下して源氏となっており、正二位右大将に任官している、親王宣下は京都に帰ってからで、源氏から親王になった珍しい例だというのは今回初めて知った。
 当時の日本全体の力関係の在り方、鎌倉幕府というものの性格についてかなり具体的なイメージを持つことができる。
 この本で面白かったのは、細川氏が、「基本知識だが」と断って、とりわけ律令制度下における位階と官職についてわかりやすく説明していることだ。ぼくにとってはほとんど専門といってよい分野で、中学生の時から常識だったことばかりなのだが、なるほど今の人向けに書こうとしたらここまで親切に書かねばならないのだなということが分かって面白かった。要領よくわかりやすく説明している。知っていることばかりだが、別に邪魔にはならない。かえってなんだか微笑ましい。
 何も知らない人でも楽しく読んで知識のつく本である。
 おりしも来たばかりの「樹宴」18号を開くと、守屋陀舟が鎌倉初期の半農半武士階級の日常生活を豊富な時代考証のもとに描き出している。「執権」を読んだばかりだったので、タイムリーだった。
 守屋作品だから、例によって日常だけでは終わらない、徐々に怪奇と幻想の世界に入っていくのだが、時代考証に基づく日常生活の描写がしっかりしているので、作品が生きてくる。ただし、締め切りに追われて最後まで書けなかったらしく、そこが残念。
 ちなみに、今回の「樹宴」のうち、大丘忍作品は、老人医療に関するかなり深刻な問題提起。現役の医師からの提起である。
 木沼作品は、著者の若いころの秀作、大都会の片隅に生きる貧しく孤独な青春の息遣いを感じさせる作品。
 石崎は「異邦人論」である。

細川重男「執権」 講談社学術文庫 2019年

 数十年ぶりに歴史書を手にした。もともとは文学よりも歴史のほうが好きだったのだが、途中で道がねじれてしまった。70年ころに、一般向きの歴史解説書を多少読んだが、古代史が中心で、頼朝の勝利のあたりで止まってしまった。その後いつ頃だったか、蒙古襲来との関係で、時宗については少し読んだ。そのあと何も読まなかった。
 久しぶりに読むと、やはり自分は歴史が好きなのだということを思い出した。著者は62年生まれ、たいへん愉快な人である。面白く読ませる。笑いながら読む感じ。
 義時と時宗を中心に、執権政治とは何であるかということを追及している。
 その前段に政子の話があり、頼朝との夫婦喧嘩の顛末(権力者夫婦の喧嘩はただでは済まない)、そして承久の乱にさいしての政子のアジテーションを受けて、たった20騎で鎌倉を出発した泰時の軍が京都になだれ込んだ時には19万騎にふくれあがり、天皇を退位させて、元天皇3名まで雁首並べて島流しにしてしまった。
 痛快なるかな。時代はすでに移っていたのだ。京都にはその自覚がなかった。
 しかし、関東の田舎で一から始めた政権構築は決して順調にはいかない。
 著者は現存する不満足な資料をたたき台に、時代の生身の姿を浮かび上がらせようとする。もちろん一般向きの本なので、検証が厳密ではない。我々でも読めるように端折っているから、ちょっと簡単に断言しすぎじゃないか、と思わせるところも多々ある。そこはしかたがない。これ以上学問的に書かれたら、とても読めなくなってしまう。
 こういう本が我々にはちょうど良い。少なくとも、空想力だけででっち上げた全部嘘の歴史小説ではない。学問的仮説というのはあくまでも仮説だが、それでもやはり学問的仮説なのであって、小説家のウソとは違う。
 永年、時間を無駄にしてきたことを今になって後悔するが、楽しみを老後に残しておいたのだと思って、今後少しずつ読んでいくとしよう。
 と、言っても、もう「まがね」62号にとりかからねばならない。どんどん時間が無くなっている。

「クレーン」41号

「クレーン」41号発行。
 今号は中山茅集子(ふくやま文学元会長)特集。
 12名による中山諸作品評。ならびに編集者和田伸一郎によるインタビュー。インタビューが面白い。
 中山茅集子の知られざる人生と文学の遍歴。
 樺太から札幌、三原、府中。敗戦と特攻兵の生き残りたちから花開いたビンゴルネッサンス、画家中山一郎との出会い。中央公論新人賞のころ、そして身近に接した井上光晴の人となりまで。

 注文先
 〒371-0035 前橋市岩神町3-15-10わだしんいちろう方 前橋文学伝習所事務局
 TEL 027-235-3999
 定価800円(送料込み千円)

「樹宴」18号

「樹宴」18号発行
 内容
  大丘 忍  「地獄病棟」       23ページ
  木沼駿一郎「ふうせん」        12ページ
  石崎 徹  「『異邦人』の読み方」 35ページ
  木沼駿一郎「日記帳から」       2ページ
  守屋陀舟  「迫川変事」       52ページ

 届いたばかりでまだ読めていないが、それぞれ長さも手ごろで面白そうな内容である。
 5冊来たので、手元に2冊残して、3冊はとりあえず3人に送る。早速ちょ古っ都製本に30部増刷を依頼した。送料込み8千円。来月中には来るので、いつもの人には送る予定です。
 その他ご希望の方は、以下までお問い合わせください。定価送料等記載がないので、それも含めて。

 〒125-0032 葛飾区水元3-1-14-204 深井方 樹宴文学同人会 TEL 03-3600-2162

自分の「異邦人論」に見つけた欠陥

「異邦人論」が本にならないうちから、すでに批判のコメントが寄せられている。承認したのでクリックしたら読める。ブログ上で論争してもあまり意味がないので、反論はしない。批判は遠慮なく寄せていただきたい。よほどおかしなもの、長すぎるもの以外は無条件で承認する。評価は読者にゆだねる。
 すでに、自分自身、いくつか欠陥を見つけてしまった。先日書いたムルソーへの共感の是非に焦点をあてて書くべきだったということもそうだが、他にも二つ大きな問題があった。ひとつはぼくの誤読と言ってもよいところを一か所見つけたところ、もうひとつは、最後に一番大事なテーマに言及しないままになっていることである。だが、それらについて、いまはあえて触れない。すでに編集者の手に渡り、何回か校正し終わっており、今更変更できない。だから、ここで余計なことを書いても言い訳になってしまう。
 今回、30部増刷して、読んでくださる方に送るつもりでいる。どれだけの方が読んでくださるか分からないが、少しでも批判をもらえたらうれしい。今回書き損なった点については、そののちに何らかの形で表明しよう。

野川 環「マイホーム」(「民主文学」20年3月号)

 まずは、傑作と言ってよいのではなかろうか。日本語の使い方にかなり難点があるのだが、構成はうまい。人物もよく書けている。ストーリーを急ぎすぎずに、ひとつひとつ丹念に描写している。読者を飽きさせない。現代社会の闇の部分をうまくつかみだした。
 欲を言えば、これだけではまだありきたりなので、もうひとつ突き抜けてほしかった。でも、ひとまず成功だ。
 問題は日本語力である。言葉による表現なのだから、言葉を磨くことが第一歩だろう。
 <室内の暖気がどっと廊下に流れた。冬の匂いと家の匂い>
 感覚の問題だ。冬の匂いを強調するのなら、<廊下の寒気が一気に入り込んできた>でなければ、読者はついていけない。そのあと、<もう霧散していた> ここでのこの漢語の使用は前後の文章になじまない。<すぐに消えた>でよい。
 <季節は春に向かって進んでいた。現実は、日々寒くなるばかりだった>
<暦の上の季節>ならわかる。だが、<季節>はいつも暦の上だけなのではない。<現実の季節>は(日々寒くなるばかりなのだから)少しも春に向かっていないのだ。<季節は足踏みしていた>というべきところだろう。
 <よく買い物をした八百屋は若い店主が威勢の良い声をあげていた>ここは確かに段落替えはしているが、前段に続いて過去の話だと思って読んでしまう(どちらも過去形だから)。しかし実際には現在の話だ。<あの頃、よく買い物をした八百屋の若い店主が、いまも威勢の良い声をあげている>
 こういう部分が目に付く。でも、以前の作品よりはずっと良くなっている。

「民主文学」20年3月号

秋元いずみ「マア君とクマ」
 今月号は、「若い世代特集」と銘打っている。この人も若いのだろうが、「民主文学」誌上ではもはやベテランだろう。
 書きなれた筆致で、少年の心の闇の部分を、読者には隠したままで引っ張っていき、最後に謎を解き明かす推理小説的手法をうまく使っている。心温まる一篇。日常生活的な細やかな表現は女性作家の得意とするところだ。わかっているようで、じつは何もわかっていない若い女教師への皮肉がよく効いている。母さんそっくりの説教口調をする小学5年生の姉というのもうまい。叔父のみっちゃんは少しできすぎだが、こういう人物が一人はいないとストーリーがまとまらないので、やむを得ない。
 欠陥といえば、不注意ミスがいくつか見当たるところ。
 三人称の「優太」が一か所「僕」になっている。
「要件」はこの場合「用件」のほうが適当ではないか。
<先生の動作がいつもよりゆっくり感じる> てにおはの問題。主語述語がおかしくないか。
<以前何色だったか分からないくらい>⇒<もとは何色だったか> まちがいではないが、引っかかる。

渡部唯生「声と鼓動」
 こじんまりした日常生活的小説だけでは「民主文学」の名が泣くので、こういう作家は必要だ。去年の「支部誌同人誌推薦作品特集」の優秀作獲得作家の受賞第一作である。
 あの作品については、前半はつまらなかったが、後半教会の秘密が明かされるところは読みごたえがあったと書いた。話を作ることのできる人だと思った。それなりに描写もできていた。
 しかし、今回は失敗している。
 小説にはもちろんどんな書き方もありうるが、読者を納得させなければだめだろう。型破りの小説を書こうとしたら、それなりの覚悟がいる。そうでなければ、一応は文学の伝統のなかで仕事をするのが無難だ。
 小説はとりあえず物語である。物語というものは、描写を要求する。場所と人物とが描写されねば成り立たない。観念の羅列では物語が成立しない。
 政治を書きたいという意欲は認める。それは必要なことだ。いま、「民主文学」にさえ欠けていることだ。だが、頭のなかの政治ではだめなのだ。人間の生きた生活から出てくる政治でなければ意味がない。
 このなかでどうにか光っているのは、80歳の老ブルース歌手と、フィリピン人との混血少年だ。この二人は存在感があった。このふたりを中心に据えてストーリーを構築すべきだっただろう。球とあかりはその他大勢でいい。短い小説なのだから、主役が多すぎてはいけない。
 現実の政治がテーマになっている。だとしたら、背景となる現実をもっと丁寧に書かねばならない。
 球は24歳(40ページ)、原発事故のとき16歳(42ページ)だった。3.11があったのは2011年だから、この小説の現在は、現実の現在、2019年である。だから、<香港でも、連日、大規模なデモ>(34ページ)というのはそのとおり。しかし、<国会前はふたたび、数万人の市民たちに包囲されていた>(51ページ)は、現在のこととして正しいのか?
 ぼくは田舎にいるので東京のことはわからないが、ここに書かれている風景は、吉良よし子や、シールズの奥田愛基が登場した時代を思わせる。たった数年前のことではあるのだが、その時代の大衆的盛り上がりはいまはない。と思うのだが、ぼくの認識不足か?(もちろん、その頃も香港には今と異なる雨傘革命があったわけだが)
 この作家は1978年生まれである。現在42歳。その青春時代といえば、2000年ころだろう。その前、作家が10代だった1990年代は、天安門から、ソ連の崩壊、湾岸戦争、阪神淡路の地震、オウム事件と続く。2000年代に入ると9.11からアフガン、イラクへのアメリカの一方的開戦、そして2011年、3.11と吉良よし子、シールズ、奥田愛基の登場と、そして2019年、いまは一時的撤退か?
 時代の流れがどんどん早くなっており、小説を書くほうも実際大変なのだ。変化する社会の流れと、そのなかでの普遍的なものをどうつかむか、作家も格闘せねばならない。
 この作品では、作者の生きてきた20年から30年の間の出来事がごちゃ混ぜになって2019年のこととして描かれているような印象を受ける。
 ストーリーは作っていい。人物も作っていい。作るのが小説だ。だが時代背景を作ってはならない。それは歴史の捏造になる。いまは、たった数年で社会の雰囲気ががらりと変わるのだ。
 いま歴史を勝手に捻じ曲げる小説家たちと対峙せねばならないときに、対峙する側の歴史認識がいい加減であってはならない。いい加減な歴史認識からはいかなる普遍も生まれては来ない。
 この作家の意欲は大いに買う。政治は書かねばならない。だが、もう少し身辺から始めてはどうだろうか。
 描写に意を用いてほしい。臨場感が大事なのだ。国会前デモを書くなら、読者をその現場に連れて行ってほしい。読者を置いてけぼりにして作者だけが行ってもダメなのだ。小説とは臨場感だ。臨場感とは描写だ。

 3月号にはもう一作あるが、まだ読めていないので、また今度。

谷川俊太郎選「茨木のり子詩集」岩波文庫 2014年

 駄目なことの一切を
 時代のせいにはするな
 わずかに光る尊厳の放棄

 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ

 この詩のこの部分を目にした人は多いだろう。いろんなところで引用されている。記憶に残る詩だ。同時に、ちょっと生意気な詩だな、と感じなかっただろうか。ところが詩の全体を読むと、こうだ。

自分の感受性くらい
 ばさばさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて

 気難かしくなってきたのを
 友人のせいにはするな
 しなやかさを失ったのはどちらなのか

 苛立つのを
 近親のせいにはするな
 なにもかも下手だったのはわたくし

 初心消えかかるのを
 暮しのせいにはするな
 そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 駄目なことの一切を
 時代のせいにはするな
 わずかに光る尊厳の放棄

 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ

 どうだろう。人を叱っているのではなかった。自分を叱っている。自分に対して、ばかものよ、と言っているのだ。
 だから、(そのことを知って読むと)、だから余計に、こちらの心に突き刺さる。
 茨木のり子のたぶん膨大な量にのぼるだろう詩のなかから、谷川俊太郎が選び出した詩集である。
 もう一篇、だれでも目にしたことのある詩。

わたしが 一番きれいだったとき
 わたしが一番きれいだったとき
 街々はがらがら崩れていって
 とんでもないところから
 青空なんかが見えたりした

 わたしが一番きれいだったとき
 まわりの人達が沢山死んだ
 工場で 海で 名もない島で
 わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった

 わたしが一番きれいだったとき
 だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
 男たちは挙手の礼しか知らなくて
 きれいな眼差だけを残し皆発っていった

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしの頭はからっぽで
 わたしの心はかたくなで
 手足ばかりが栗色に光った

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしの国は戦争で負けた
 そんな馬鹿なことってあるものか
 ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

 わたしが一番きれいだったとき
 ラジオからはジャズが溢れた
 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
 わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしはとてもふしあわせ
 わたしはとてもとんちんかん
 わたしはめっぽうさびしかった

 だから決めた できれば長生きすることに
 年とってから凄く美しい絵を描いた
 フランスのルオー爺さんのように
               ね

 この詩については谷川俊太郎が、遠慮の要らない関係の茨木のり子に次のように批評したそうだ。5連、6連と終連は要らないと。茨木は不満そうな顔をした。
 どちらの言いたいこともわかる。詩の完成度から言えば、明らかに谷川が正しい。5、6と終連とは余計だ。特に終連は絶対に要らない。だが、茨木にとっては、この詩を客観的に見ることはできない。ここに居るのは茨木のり子という個人であり、その主体の訴えなのだから、すべての連が必要なのだ。
 久しぶりに詩集を手にした。若いころはランボーとかブレヒトとかに熱中した。谷川俊太郎もその少年時代の詩は素晴らしかった。そののち詩から遠ざかった。
 茨木のり子のここに引用した2篇の断片をしばしば目にするので、たしか詩集を持っていたと思って探した。そういう記憶があったのだが、探したが出てこなかった。それで買ってきた。たぶん、初めて読むのだ。
 読んで、まいってしまった。こんな女性がいたのだ。それも知らずに生きてこれたなんてありえない。ほとんど彼女に恋をしてしまいそうだ。
 彼女の詩には感傷がない。自己憐憫がない。すっくと立っている。それでいて、すべてを注意深く視ている。奥深く視ている。借り物がない。すべてが彼女のものだ。
「りゅうりぇんれんの物語」など、びっくりした。38ページも続くのである。それでいて少しも退屈させない。しまいまで息もつかせず読まされてしまう。
 早くに逝った夫への、詩人の死後出版されたラブレター的な詩はまた違った味わいでいい。違うといっても、やはり茨木のり子だ。言葉だけではない、本物のラブレターである。てれくさいからと、生前は公開しなかったそうだ。
 全体に、ユーモアの感覚が豊かだ。なにを唄ってもユーモアを忘れない。決して切迫しない。余裕がある。
 そういうものをひとつ。

大学を出た奥さん
 大学を出たお嬢さん
 田舎の旧家にお嫁に行った
 長男坊があまりすてきで
 留学試験はついにあきらめ
           ピイピイ

 大学を出た奥さん
 智識はぴかぴかのステンレス
 赤ん坊のおしめ取り替えながら
 ジュネを語る 塩の小壺に学名を貼る
                ピイピイ

 大学を出たあねさま
 お正月には泣きべそをかく
 村中総出でワッと来られ 朱塗りのお膳だ
 とっくりだ お燗だ サカナだ
             ピイピイ

 大学を出たかかさま
 麦畑のなかを自転車で行く
 だいぶ貫禄ついたのう
 村会議員にどうだろうか 悪くないぞ
                ピイピイ

空猫時也 追加

 年代が少しずれている感じがする。リーマンショック直後に高校入学となっている。リーマンショックは2008年だから、12年前の話だ。高校入学は15歳だから、2020年現在の主人公は27歳となり、作者より5歳若い。若いのはいいのだが、20代半ばでロシア語講座に通い始めてその数年後の現在が27歳では計算が合わない。

空猫時也「光射す海域へ」(「民主文学」20年3月号)

 88年生まれ、32歳。
 また一人、個性的な新人が現れた。
 もっとも、語っている内容にそぐわない生硬な単語や言いまわしが多く、こなれた文章ではない。ぎこちない。素人っぽい。
 でも逆に、それが個性だともとれる。
 流暢な日本語を駆使した文章がすぐに忘れ去られ、ごつごつした一見不器用な文章が印象に残ったりする。
 結局、書いている内容に個性を感じさせるものがあるのだ。
 とはいえ、そこにもぎこちなさはあって、いわばモザイクなのだ。語っているパート相互の整合性がとれていない。
 現在から始まる。ロシア語の翻訳を少しずつだが生業としている。
 そこから幼児期に戻る。恐竜と飛行機に強い関心と記憶力を示し、自閉的なこだわりを持っていた。
 小学生のころにはまだ感じなかったが、中学生になって、自分のコミュニケーション能力に悩むようになった。高校に入ると居場所を失った。
 無謀な高所からの飛び降りで両足の踵を粉砕骨折し、8カ月の入院中に卒業となり、精神も病み始めた。
 というところから、再度小学生時代に戻るのである。
 虫好きのボーイッシュな少女凪子と過ごした思い出深い日々、だが、彼女は卒業すると東京の中高一貫校へ行ってしまい、その交友は終わった。
 次が中学校。三年かけてノート6冊に長編漫画を描き上げた。これがクラスで人気を呼び、いつも男女の生徒が集まるようになった。なかでも秀才の竜一が強い関心を寄せ、親しく付き合った。この竜一は農業を目指していたのに、自衛隊へ行ってしまった。
 というところまで読むと、こちらの頭のなかがこんぐらかってしまう。
1、初めの記述では中学時代はすでに自分のコミュニケーション能力の不足に悩んでいる。ところがあとの記述ではクラスの人気者である。これではまったく整合性がとれない。
2、飛び降り、骨折、入院、高校卒業、心の病、という話の進行のなかで小学生時代と中学生時代の二つの話が語られるので、それはそういうなかにあって思い出しているという、そのときの心の動きとして受け取られ、そういう事件のさなかの精神風景と取ってしまう。つまり、18歳そこそこの主人公が思い出しているのだと受け取る。だから、自衛隊に行ったと書いてあると、この秀才は大学にも行かずに自衛隊に入ったのかと思ってしまう。ところがよく読むとどうも違うようなのだ。防衛大学校を卒業してエリートとして自衛隊に行ったのだ(たぶん)。ということは、この思い出話を思い出しているのは、18歳の「わたし」ではない。
 読者は常に作品の現在を作中人物とともに歩いているのである。骨折、入院、卒業、心の病、思い出とくれば、まだ20歳にならない「わたし」が思い出している姿を頭に描く。つまり「わたし」が思い出している現在地(作中人物である「わたし」がいま立っている時間的な場所)は、高校卒業間近というイメージでとらえる。ところがそうではなかったのだ。「わたし」はすでに卒業から数年後にいて、その地点に立って思い出しているのだ。とすれば、その時間的経過を示唆する表現が必要だっただろう。9ページの表現では、時間的経過がよくわからない。
 ちなみに9ページ下段3行目、<その痛みはわたしを萎えさせて、呼吸することすら難儀であることだった>主義述語の関係が成立していない。<その痛みはわたしを萎えさせて、呼吸することすら難儀にさせた
 こういう箇所がほかにもかなり目立つ。

 そこから先はスムーズに運ぶ。
 20代半ばに、やさしく賢明な両親の勧めで、ロシア語講座に通い始め、50代のウクライナ人女性講師の(ロシア女性に対して持つ先入観とは違った)まるで「妖精」のような笑顔に溶かされてロシア語をマスターし、ユーラシア協会の非常勤スタッフとして翻訳にも従事するようになる。
 ひとつひとつの話はとてもいいのだ。ただモザイクなのだ。整合性がとれていない。それが荒削りの魅力かもしれないが、今後の課題ではあるだろう。

ライトノベルとふたたびスージーアウトサイダーについて

 50年前、庄司薫の「赤頭巾ちゃんシリーズ」は一通り読んだ。いま思えばライトノベルのハシリだったのかなとも思える。その当時の高校生の話し言葉を使った小説だ。
 つまりそれまでの日本文学にはない文体だった。でも、少しの抵抗もなく受け入れた。若かったからだろうか。
 いやいや、そんなことじゃない。ライトノベルと赤頭巾ちゃんとは次元が違う。赤頭巾ちゃんは文学だし、ライトノベルは到底文学ではない。と、どうしても感じてしまうのだが、ライトノベルの愛読者たちはどう感じているのだろうか。
 エンタメだってそうなのだ。ミステリーだって、横溝正史や、東野圭吾、アガサ・クリスティ、一連の翻訳物、その他その他、ちゃんと小説として読めるものと、やはりライトノベル風のとても読みにくいものとある。ライトノベルというのは人物描写も情景描写もしない。ストーリーだけを追っかけていく。読者が頭の中に絵を描けない。だから、つまらない。退屈で読む気がしない。それにオリジナリティに欠けるし。書いていることが平凡なのだ。
 今回、スージーのアウトサイダーを読んでいて、女の子が男の子の世界をよくこれだけ書いたな、という感想が一方にありながら、やはり女性の作品だとも感じさせられたのである。男の子たちの心のなかを、ああでもないこうでもないとやたら書き綴るのだ。男の子はたぶんこういう書き方はしない。
 それはあだち充を読んでもそうだろう。恋愛を描きながら、少女漫画の描き方と明らかに違う。ことこまかに書かずに、読者に想像させるように書く。そういうところが我々にはぴったりくる。心のなかをあんまり書かれると嘘っぽくなってしまう。心のなかというものは、そう簡単に言葉にできるものではないのだ。それよりも、外から見えるものをもっと丁寧に書き込んでほしいのだ。
 これはつまり、ライトノベルの女流作家に感じるところなのだ。
 けれども、スージーのアウトサイダーで、おや、と思わせたところもあった。それは、けんかの相手側の女の子や男の子が主張を始めて、それまで一方的だった話が複層的になり、しかもそれなりに筋の通った相手側の主張に対して、14歳の男の子がかえって強く反発する、一筋縄でいかない人間の心というものを作者が描いてみせたことだ。このあたりは、女子高校生の作品としては上出来だった。
 オクラホマの地方都市の話である。65年といえば、ベトナム戦争と、公民権闘争の時代だが、そういう話題は出てこない。ニューヨークやロサンジェルスではないのだ。
 上流家庭の子供たちと、貧乏人の子供たちとの間にはっきり垣根があり、それぞれに不良グループがある。グリースとソックスだ。この両者間のけんか沙汰が絶えず、ついに殺人事件までにいってしまう。「ウエストサイド」や「理由なき反抗」に似たところがありながらも、枠組みがまるで異なる。それなりに興味深い話である。最初から最後まで14歳の少年のしゃべくりで、最後に、これが少年の書いた作文だったのだとあかされる。そこはしゃれた終わり方だ。女の子が書きながら、登場人物がほとんど男の子ばかりだというのも、なかなかかもしれない。
 67年にこの作品が出ると、たちまち中学生高校生(アメリカは中高一貫だが)の間で必読書となり、青春小説の流れを変えてしまったそうだ。
 コッポラの映画はあまりパッとしなかったようだが、83年、すでに33歳に成長した作家が、看護婦役で出ているらしい。トム・クルーズも端役で出ているようだ。

スージー・ヒントン「THE OUTSIDERS」集英社コバルト文庫 1983年

 原題は複数形だが、邦訳はアウトサイダー。なので、読んでみた。
 1965年、15歳の女子高校生が書き始め、2年後に出版された。1983年にコッポラが映画化。同年邦訳が出た。訳者中田耕治はこのとき55歳。聞いたこともないようなスラングをやたらと使って翻訳している。14歳の不良少年のしゃべくり小説。
 正直言って読みにくく、文庫本1冊に何日もかかった。日本でいうところのライトノベルである。
 なぜ読みにくいか。読んで味わうような文章ではないからだ。だから引き付けられて読んでいくということにならない。退屈してしまう。
 だが、後半、ストーリーが展開し始め、登場人物が多少複雑な陰影を持ち始め、その相互関係に複雑さが出てくると、いくらか文学的になり、読むスピードが上がった。半分くらいからあっという間に読んだ。そこへたどり着くまでが長かった。
 本の読みやすさ、読みにくさというものについて、少し発見したような気がする。単純なものが読みやすいのではない。単純なもの、平凡なもの、オリジナリティに欠けるものは、退屈してしまって、読み進む元気が出ない。何よりもオリジナリティが要る。人間や物事の理解がありふれていないこと、作者の独自のものの見方がそこにあること、それが読者を引き付けて、むしろ読みやすくする。
 ということを、読み終わったいま感じているのだが、読みながら悩んでいたのは、文体の問題だ。
 一般に、我々にとってライトノベルは大変読みにくい。その文体が我々を引き寄せてくれないからだ。退屈するからだ。
 すると、どういうことになるのだろう。「異邦人」をつまらないと言った人々は、必ずしも本を読まない人々ではない。むしろ日本の伝統的な小説を読んできている人々であり、そういう小説とあまりにも文章が違っているので、馴染めないのだ。
 馴染めないものはつまらない、ということなら、「異邦人」を読んで面白いと感じない人たちと、ライトノベルを面白いと感じないぼくと、同じことではないのか。違うとしたらどこだろう。
 違うと思うのだが、どこが違うとはっきり言えなくて、もやもやしている。
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