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何度も書くが「モチーフ」

「民主文学」の今年の新人賞の選評で、二人の選者が「モチーフ」という言葉をただ単純に創作動機(もしくは創作衝動)というくらいの意味あいで使っている。
 何度も書くが、この言葉のこういう使い方に対して強い違和感がある。ほかの文芸誌をまったく読んでいないので、ぼくの認識は違うのかもしれないが、ときたま新聞の文芸時評やその他の機会に見ることのある、民主文学以外の作家、評論家の使うこの同じ言葉「モチーフ」が、単純な創作動機(衝動)の意味あいで使われているのを一度も見たことがない。
 彼らはだれでも、「モチーフ」を音楽や美術で使われるのとまったく同じ意味で文学でも使っている。つまり、作品のなかにあって作品の動因となっている素材というふうの意味あいである。テーマに近いが、テーマと微妙に違う。テーマは作者の主観に近似的だが、モチーフはもっと客観的に作品そのものに内在的である。
 民主文学の外の世界では(日本国内に限るが)、この用法はすでに定着していると思われる。それを民主文学の関係者だけが、まったく違う意味で使うことの理由は何なのか。
 動機(衝動)について語りたいのなら、「動機(衝動)」と日本語で書けばいいのだ。すでに別の意味で使われている「モチーフ」をそこに引っ張ってくる理由はない。「モチーフの強さ」だとか「作者の強いモチーフ」だとか言われると、頭のなかがこんぐらかってしまう。

三富建一郎「引き継ぐべきもの」(21年度民主文学新人賞佳作)

 タイトルがよくない。小説のタイトルではない。これではだれも読みたいと思わない。しかし、思わなくても読んでみるべきだ。これはすごい小説である。「民主文学」の誌上でこういう作品にめぐりあえることはめったにない。
 新人賞はかなり前に読んだのだが、面白くなかったので、忙しさもあって、佳作にはなかなか手が伸びなかった。一段落してまず、「バルハシ湖」を読んだ。新人賞よりはずっと良かった。最後に当作品を読み始めて、がぜん引き込まれた。息もつかせず読んだ。
 三組の夫婦が出てくる。語り手ともいうべき位置にいる日本人信二は五十代。そのドイツ人の妻クラウディアの年頃がどこかに書いてあったか、いま思い出せないが、娘、カリンは十一歳だ。シーボルト記念博物館の館長インゴは40代の太鼓腹の男で、信二は長く付き合っている。その家の夕食に招かれた席で、シュパーゲル夫妻を紹介される。シュパーゲル氏はすでに相当な年だが、その二度目の妻は日本人静江で、信二と同年配だ。この静江が、事実上の主人公である。
 この夕食会は少しちぐはぐに始まる。客を迎えたインゴとアナスタジア夫妻はカジュアルな服装で、旅先の信二たちもそうなのだが、シュパーゲル氏は正装で、静江も真珠の耳飾りに胸の開いたイヴニングドレスで現れる。日本通のインゴがシーボルトと日本のかかわりについて弁じたあと、黙って聞いていた静江がいきなり、シーボルト批判を始める。服装は優雅だが、短髪であごのしゃくれた日本女は、赤ワインをぐいぐい飲みながら、皮肉な口調でシーボルトをあざける。そのドイツ語はしっかりしていて、ドイツ語に自信のある信二も、押され気味だ。軽い冗談で受け流そうとしても、静江はそれをまったく無視してしまう。
 全編がこういう調子なのである。<彼は自分の気楽な世界を珍重しており、残酷で無理なものは元々好まなかった>という信二とは対照的に、静江は激しい性分で、場所柄もわきまえずに自説を主張する。<何て我の強い女だ>と辟易しながらも、彼女は信二に強い印象を残す。
 男女差別の問題から始まるが、話はだんだんナチスの犯罪、そして日本の南京における犯罪へと繋がっていく。
 静江によって点けられた火はクラウディアにも伝染して、信二は彼女から、<日本人旅行者はアウシュビッツまで行って一生懸命見学しているけど、あなたたちはどうだったのよ。朝鮮人の強制労働はどうだったのよ。中国の占領地域ではどうだったのよ>と責め立てられる。
 余談だが、福山にもキリスト教会が運営するアンネ・フランク記念館がある。無料だが、訪れる価値のある施設である。そこに、杉原千畝のことは詳しく紹介している。けれども、南京事件のことには一言も触れていない。これはどう見ても片手落ちだろう。ドイツ人の犯罪について語るときに、千畝の功績を紹介しながら、同じ時期に日本人が犯した同じような犯罪に一言も触れていないのだ。
 日本文化にも詳しいドイツ女クラウディアが信二を責めたことにも理があるというべきだろう。
 最後に静江はジョン・ラーベというドイツ人を紹介する。ジーメンス社の南京支店長だった彼はナチス党員でもあったが、南京事件に遭遇して中国人を保護したと言われている人物、いわば南京の千畝である。

 さて、この小説は、その扱っている材料、構成、ストーリー展開、人物の造形と描写、文章力、表現力、そのすべてにおいて、傑出している。とても新人賞程度のレベルではない。すでにプロ級の作品である。
 かろうじて佳作となったが、なぜかくも評価が低いのか。信二の描き方が物足りないという評も読んだ。ではどう描けというのか。信二が静江と一緒になって先鋭な主張をしたり、あるいは分かったような態度をとるなら、作品は台無しである。そんな予定調和的なものを読者は読みたくない。静江が先鋭であればあるほど、信二が普通の日本人であること、我々と同じレベルの人間であること、それによってこの作品は成り立っているのだ。だからこそ、訴える力を持っているのである。
 今回かろうじて、ともかくもこの作品が「民主文学」誌によって日の目を見た。何はともあれさいわいとして、読者諸君にぜひ読んでいただきたい。
 でもタイトルは変えなきゃね。

「民主文学」21年4月号

上村ユタカ「偽物」
 若い世代特集にふさわしい、勢いのある作品群になった。
 この巻頭作はとりわけ注目だ。
 コロナ禍で孤立する大学生を描き出して深みのある作品となっている。
 シュールな作品なのだが、それが生きているのは、日常生活の描写がリアルだからだ。大学生らしく、オンライン授業の模様が丁寧に描き出されている。最初はなんのことはないような生活が次第に異常化していく様子に説得力がある。
 よくわからないと言えば、たしかにあまりわかったとも言えないのだが、不思議な感じを抱かせる作品である。
 すべてが偽物であるような世の中を我々は生きているが、しかし、老女が言うように、「偽物の背後には本物の現実(生きた現実)がある」のだ。
 老女と少女と朗助(ろうじょ)――この語呂遊びにも意味を持たせているのだろう。

松本たき子「ある夫婦の話」
 保育園児のいる共働きの40前後の夫婦。家事育児が自分に偏り、職場でのキャリアが取り残されていくことにいらだちを募らせる妻。不満をぶつけたら、夫が協力的になりすぎて、自分の職場での立場を悪くし、転勤を命じられた。
 女性のもやもやとした気持ちを、言葉でではなく、彼女に寄り添って、彼女の日常のなかで描き出して、読ませる小説である。最後の1頁まではほぼ完ぺきな出来栄え。ところが最後で失敗した。最後の逆転で読者に迫るべき作品なのだから、最後をもっと鮮やかに締めなければならない。この部分をたくさん書きすぎている。もっと簡単に、短く、さらっと書くことで劇的効果を狙う。説明してはならない。そこまででもう読者には十分伝わっているのだから、読者の読解力を信頼して、その想像力にゆだねねばならない。最後にきてもうひとつ別の話(夫の後輩の話)など出してくるのは読者の注意を散漫にさせてしまう。それはいらない。「転勤を命じられた」とだけ一言書けば、読者はわかる。ここを電話でのやりとりにしたのは正解である。だから、なおさら、長いセリフはいらない。おたがい顔の見えない関係のなかで、告げる夫と、受け取る妻の、それぞれの表情が読者にイメージとして伝われば、大成功だ。

細野ひとふみ「コロナ禍前夜」
 うまい作品。徹夜マージャンを実況中継的に描いていきながら、並行して、牧牛業従事者たちの、それぞれの働く姿を、重ね書きするようにして描き出していく。よく出来た映画を観ているように感じた。
 やはり、ぼくは働く姿に惹かれるようだ。生きるということは働くことである以上、これはもっと描かれて当然ではないか。
 文体が素晴らしいのだ。文体は作家の個性だから、それぞれ違って当然だが、この人の文体は特にぼくの好みである。
 ただ1個所、冒頭部分、「直幸でさえ」と書いたすぐ後に、「確かに、手の内は煮詰まっている」と書いてあるので、直幸の手の内と思って読んでしまう。そのあとで圭人が出てくるのだが、「親番」なのが直幸か圭人かわからない。ずっと読んでいけばわかるのだが、とまどって、何度も冒頭を読み直した。読者に読み直しを強いる作戦だとすれば、図にはまったかもしれないが、そういうわけでもないだろう。
 終わりかたがいい。最後の1頁は全体としていいが、とりわけ最後の1行でコロナが始まるところがいい。まさしくコロナは誰にとってもこういう始まりかたをしたのだ。

秋吉知弘「飛ばない鳥」
 欲張って失敗した作品。この短いなかに、あれもこれも詰め込むのは無理だ。てんでんばらばらになってしまった。冒頭の酒造りの場面がいちばんよかった。それだけを書けばよいのに、ほかの話をいっぱい詰め込んでしまった。そこで、そのひとつひとつの描写がおろそかになって、イメージがふくらまない。

空猫時也「風渡る野に線路は続く」
 これはよかった。去年のこの人の作品には、才能を感じながらも、やはり「飛ばない鳥」のようなばらばら感と、文章のぎこちなさとを指摘せざるをえなかった。
 今回はすっきりしている。気負いのない素直な文章で、ほとんど作為を感じさせずにたんたんとつづる。たぶんありのままを書いているのではないか。ありのままを書いて作品になるなら、なにもわざわざ作らなくていいのだ。ありのままがそのまま作品となっている。いや、作者に上手に騙されているのかもしれないが、これがフィクションだとしたら、それはそれで構わない。いずれにせよ、作品として成功している。
 生きづらい人生を生きてきて、20歳を過ぎてから、発達障害の診断がくだった。いままで接してきたいろんな記事では、病名が付いたことでほっとしたという例が多かったが、この主人公の場合は、それを死刑宣告のように受け取って絶望してしまう。人間の反応はさまざまなのだなと改めて思う。
 後半から、列車の運行にことよせて、次第に回復していく心境を描いていく。ここが効いていた。作品に詩情を持たせることに成功している。
 金子みすゞは引用すべきではなかった。その詩は素晴らしいのだが、それが入ると、作品が作家の手を離れてしまう。自分の文章だけで完結させるべきだ。

WORDのばかやろう

 遅まきながら「民主文学」4月号の感想を書いていたら、何ページか書いた分が、ごっそり消えてしまった。
 WORDはもともと欠陥の多いワープロだったが、勝手に更新が入り、更新するたびにダメになるように思える。当方の操作ミスもあるのだろうが、一度消えてしまうと、なかなか書き直す元気が出ない。
 消えてしまってどこに行きつくかというと、「WORDのサービスは終了したので、なんとかにアップしなさい」と出てくる。で、それをたどると、月額何円払いなさいとなっている。
 これは詐欺なのか? WORDは有料化しようとしているのか? 
 WORDを使って「まがね」を編集しているので、いつか、すべてが消えてしまうのじゃないかと不安になる。

朱戸アオ「リウーを待ちながら」講談社コミックス全3巻2017~2018年

 このタイトルでピンとくる人はカミュのファンだ。もちろん、「ペスト」の主人公医師リウーである。そしてこのタイトルは、(じつは読めてないが)サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」を踏まえているのだろう。
 コロナの直前に、コロナを予言したかのように現れた漫画作品。
 富士の裾野の小さな市に、ペストが襲いかかる。そこからの展開はカミュの「ペスト」をなぞるように進んでいく。随所に「ペスト」の名言が引用されてカミュファンの心に響く。
「ある町を知るのに手頃な一つの方法は、人々がそこでいかに働き、いかに愛し、いかに死ぬかを調べることである」
「彼らは自ら自由であると信じていた」「天災というものがあるかぎり、何びとも決して自由ではありえないのである」
「市民たちは事の成行きに甘んじて歩調を合わせ、自ら適応していった」
「絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである」
「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」
「敗北はずっとしてるわ、そうでしょ? でも、敗北できてるだけいいのかも。戦わなきゃ負けられないものね」これは漫画の主人公のセリフだが、いかにもカミュ的だ。
 市は封鎖され、外に出ることはできない。禁を犯して出ようとする者、それを手引きする組織、絶望のなかからボランティアを名乗り出る者、「ペストは平等だからね。ペストは区別しない。私はペストが大好きだよ」とうそぶく者。すべてカミュの描いた人間たちでもある。
 だが、現実世界では、都市封鎖は実行されなかった。
 1665年、ロンドンを襲ったペストでも、都市封鎖はしていない。金持ちは素早く逃げ出し、感染者が出ると、その家ごと封鎖された。外から鍵を掛けられ、監視人が付いた。あとから逃げ出した人々は、もはやどの町にも入れてもらえなかった。事実上の封鎖だったか。
 この作品では、発生したのが小さな市だったので封鎖が可能だったとも言える。現実のコロナは、どんな対策をとる間もないうちに方々へ拡散してしまった。
 だが、カミュが書かなかったことで現実のコロナには起こったようなことも、この漫画は予言的に書いている。例えば、感染を防ぐために距離をあけて並ぶといったこと、あるいはオンライン授業とか、まさに我々が経験したことだ。それを経験しないうちに書いている。感染地から来た人が、理不尽な攻撃を受けるとか、これはカミュの「ペスト」にはなかったが、デフォーの「ペスト」にあった。我々の現実にもあった。濃厚接触者(いまや日常的に耳にする言葉だ)を自宅に閉じ込めて、食料配達のシステムを作り上げる。現実にはそういうシステムは作られなかった。
 病院が間に合わないので、テント村を作る。たしかカミュの「ペスト」ではサッカースタジアムのようなところに臨時の施設を作らなかったか。中国では短時日で野戦病院のようなものを作り上げた。日本では、1年間の猶予があったのに、何の対策も打たないまま来て、いま医療崩壊を迎えている。漫画にさえ負けている。
 意図的に変えている部分もある。カミュの「ペスト」では腺ペストだったが、この漫画のは肺ペストである。最初、どうもペストの描き方が違うなと思ったら、種類の違うペストだったのだ。専門書をよく読み、専門家からの助言を受けて書いているので、感染経路とか、詳しく説明される。封鎖された市に取り残された少女は、ライン上でクラスメイトからさえばい菌扱いされ、「自分は悪くない。持ち込んだ人が悪い」と発言する。それに対して、中心人物の一人が「そんな単純な話じゃない」と筋道立てて説明する。病原菌はいたるところにいて、人も物も国境を越えて移動している以上、それはむしろ普通のことなのだ、だれを責めることもできない。
 作者がカミュに沿って話を進めているのがわかるので、終わり近くなると、だれが生き残り、だれが死ぬかが予測できるようになり、案の定そのとおりになった。しかし、これはむしろそうなるべき話だったから、納得する。カミュの「ペスト」では副主人公のタルーが死んだのだから、この漫画でも、それにあたる人物が物語のはじめで死を運命づけられている。

 作者については、ネットでもよくわからない。「赤と青」というふざけた名前を名乗るようなセンスの人物なのだろう。

旭爪あかねと拍手

 ぼくのブログに拍手が付くことはまずないのだが、最近毎日か一日おきくらいにひとつずつ拍手がある。それが決まって、「追悼 旭爪あかね」の記事なのだ。ほかの記事にはつかない。この記事だけに13ついた。
 同じ方が毎回くださっているような気もするが、いずれにせよ、旭爪あかねの小説がいかに読者の心に残っているかということなのだろう。
 ちなみに、「拍手」というのはブログの管理人自身が自分で何度でも打つことが出来るのでまったく信用できないのだが、このブログに関しては管理人は一切拍手していません。

薄井雅子「せめぎあう虚実」(「民主文学」21年5月号)

 これはぜひ読んでほしい。アメリカ在住者ならではの、アメリカ問題への複雑で確かな目を感じる。エンゲルスからの引用が面白かった。
「僕のアメリカ人観がまちがっていなければ、その運動の壮大さと同時にまた、彼らがやってのけるあやまりの途方もなさでわれわれみんなをびっくりさせるはずだが、そのあやまりによって彼らは苦労しながらも、最後には明確さを得るだろう」
 当時のヨーロッパ人が新大陸に抱いた複雑な気持ち、ヨーロッパ人の理解を超えたけた外れの出鱈目ぶりへの当惑と、そこになにか期待を持たせずにいないような、純粋でエネルギッシュで斬新な、そういうものをヨーロッパの知性は感じとったのだ。それはいまのアメリカにも言えるのかもしれない。

「民主文学」21年5月号

杉山まさし「遺句稜線」
 自ブログ内を検索すると、この人とはずっと前に少し言葉の行き違いがあったようだ。そのときもぼくは作品をほめているのだが、冒頭の1ページをまるまる要らないと書いたことが上から目線だと言われた。下から目線の批評なんてないだろう。
(ちなみに、その当時にいただいたコメントがすべて消えているが、これはとんでもなく長いコメントを寄せて来る人がいて、コメント欄がわけがわからなくなったので、いったんすべて消去したのである)
 今回作も面白く読んだ。ただし、どういう目線にせよ、不満はある。息子が父親を語る構成なのだが、行きつ戻りつして、小説の各シーンの時と場所とを感じとりにくい。作品をシーンとしてではなく、息子の心象風景として書いている。この息子が、いま、どの時点とどの場所に立っているのかということは、この作者にはたぶんどうでもよいことなのだ。と、割り切って読めば、そういうタイプの小説なのだ、と納得できなくもない。最後のお寺のシーンだけは、臨場感がある。息子と住職との対話の場面だからだ。
 作者が書こうとしているのは、1965年ころに生まれた、戦争を知らない子どもたちよりももうひとまわり下の世代、いわばベトナム戦争さえ知らない世代が、30年代、40年代の戦争の時代の記憶をどう伝承するかという問題なのだろう。記憶の伝承ということだ。そう思って読めば、必然的にあいまいであるしかない記憶と、それに直面しての納得しきれない精神のありようにとって、ふさわしい表現方法とも思えてくる。

高橋篤子「ペトトル川」
 この人の作品については、このブログで何回も書いている。それを読み直すとある程度作品を思い出す。思い出してみると、この人は小説づくりの名手だということがわかる。主人公の設定がそのつど異なる。どの主人公が作者の実像に近いのか、まったく判断させない。しかも文章が飾らない、力まない、自然体で、エッセーのようにも読めるから、読者は騙されてしまう。かなりしたたかな書き手だ。
 アイヌ問題に詳しい人だが、今回はそこに朝鮮問題が重なる。その複雑に絡み合った世界を、確かに、したたかに描きあげている。
 この人の「民主文学」連載小説を、読むつもりでいて結局読めなかった。それを心残りにしている。

寺田美智子「深紅のバラ」
 この人は勘弁してもらいたい。部分核停問題を一方の側からだけ書いたのでは小説ではないだろう。現実というものはもっと複雑なはずだ。

河野一郎「夏雲の下で」
 1958年の小学5年生の夏休み。器用な作品ではないが、淡々とした筆で時代の雰囲気を描き出した好編。ぼくと同年配と思われるが、ぼくには少年時代の記憶をたどることは難しい。豊かな思い出を持って育った人たちがうらやましい。

草薙秀一「梁貴子との青春」
 楽しく読んだ。聡明で勝気な在日朝鮮人の女の子と、ちょっとだらしないが、やさしく思慮深い男の子との対比が面白かった。
 この人もぼくとほぼ同年配で、書かれている時代は1960年代後半である。舞台は大阪だが、隣の京都では松山猛がイムジン河と出会うころだ。
 ぼく自身そういう付き合いがあったわけではないが、似た地域の似た年代の話なので、共感するものがあった。
 疑問もある。冒頭とラストに現代が置かれているのだが、これは必要なのか。
 どちらかというと主人公は梁貴子であり、彼女に振り回されている男の子は、添え役的に描かれている。もちろん、「ああ、あんな時代があったな、あんな女の子との思い出があったな」と振り返る場面はあっていい。しかし、それが男の子の現代に強い影響を与えているということを書きたいのなら、もっと違う書き方があるし、この場合、そこまで書いてはいないのだから、むしろ過去を過去として描くことに徹したほうが良かったのではないか。
 特に冒頭のヘイトの場面は、そういうひどい言葉が発せられているということはみんな知っているし、強いて文字にする必要があっただろうか。

「民主文学」新連載 高岡太郎「廻り道」

 なんだか、すごい連載が始まった。連載はだんだん期待外れになることが多いが、今度はそうならないことを祈る。
 製鉄所である。ぼくは製鉄所の地べたをはいずったが、これは天井に行こうとしている人の物語だ。そこから外れていきそうな気配をはらみつつ、次号に続く。たのしみだ。

浅尾大輔

 きのうの朝日新聞、純子ちゃんの記事を読みましたか。
 愛知県の小さい町で町長リコール運動が起こっている。ところが町長派がこれを例の県知事リコール署名偽造事件と結びつけてデマ宣伝しているという記事。その署名集めをしている一人が浅尾大輔なのだそうだ。13年前、「論座」の編集者だった純子ちゃんは、浅尾大輔に吉本隆明をインタビューしてもらった。ときに浅尾大輔37歳、すでに新潮新人賞を受賞している。吉本隆明83歳。その隆明が「無形の蓄積」という言葉を使ったのだという。そして今回浅尾大輔は純子ちゃんに、「これは無形の蓄積ですよ」と言ったという。

追悼 旭爪あかね

 さまざまなことが重なって「民主文学」を読めなかった。まだ4月号が1頁も読めていないが、先に5月号を少し読んだ。
 旭爪あかね追悼号である。1966年生まれ。2020年死去。54歳。
 死の数か月前に発表された絶筆「近況と雑感」、谷本論による作品論、数名の追悼文のほかに、吉開那津子が「世界の色をつかまえに」の成立過程を詳しく書いている。たいへん惹かれる内容なので紹介する。
 旭爪は、この作品の前、1997年、30歳のとき、「冷たい夏」という作品で第2回民主文学新人賞をとっている。そのあと、吉開那津子が担当した創作専科に参加した旭爪あかねは、その最終日に50枚の作品を持って来た。前半だけで中断していて、しかも決して上手ではなかったが、内容が興味深いものだった。そこで吉開は、1ヶ月後もう1回みんなで集まろう、旭爪はそれまでに後半を書きあげて持ってくること、という提案をした。1ヶ月後全員が集まった。旭爪も書きあげて持って来た。それを読んで皆がっかりした。前半の良さが消えていた。吉開は助言を与えた上で、書き直して編集委員に読んでもらうようにすすめた。3か月後、旭爪からの電話で、作品が180枚になってしまい、編集委員から、そんな長いものは載せられないと言われたという。しかも彼女の気持ちでは180枚でもまだ書き足りないのだと。吉開は、長さを気にせず、納得するまで書きなさいと助言した。6ヶ月後、編集長の森与志男が、旭爪が素晴らしい作品を持って来たが、350枚ある。分載したくない。一挙掲載したいと言って常任幹事会の許可を求めた。作品を読んでいない土井大助が賛成したのがきっかけで、掲載が決まった。作品は大反響を呼んだが、疑問や批判もたくさん寄せられた。森与志男によると、文学の批評とは言えないような批判まであった。そこで森の求めに応じて、吉開が40枚の作品論を書いた。旭爪作品を熱烈に支持する内容だったが、これにも共感が寄せられた。
 という経過だったという。
 これはもう、なんとしても「世界の色をつかまえに」を手に入れて読まないわけにはいかない。
 ぼくは「稲の旋律」だけしか読んでいない。中国地区研究集会の講師に彼女を呼んだので、評判になっている「稲の旋律」だけは読んでおかねばと思って買い求めた。内容が素晴らしかったので、周辺にすすめ、妻も娘も娘の夫も読んだ。それで、研究集会冒頭の彼女の講演に、みんな来てくれた。
 倉敷駅での出迎えにぼくが行ったが、顔を知らないので、「民主文学」を持って行って改札で掲げて待った。思いがけない美人だったので驚いた。美人で、やさしい女性だ。少し心遣いしすぎるような印象がちょっと心配させた。
 その前にぼくはブログに「稲の旋律」論を書いており、彼女は、それだけは読んでおけと言われて読んできたと言った。「まがね」のぼくの作品は研究対象ではなかったが、それも読んでくれており、機会をつかまえて感想を言ってくれた。村上春樹から影響を受けたかと聞かれ、じつはこれを書いたのはずっと昔の若いときで、まだ春樹は読んでなかったと答えた。旭爪は、若いときの作品と聞いて安心した、と言って笑った。たぶん、高齢者が書いたにしては作品が若すぎると思ったのだろう。

「まがね」以外の諸山作品

 諸山作品は「まがね」以外では、「民主文学」2004年12月号に、支部誌同人誌推薦作品として転載されたものがひとつある。2003年の「まがね」40号で発表した「遠ざかる灯」である。あまり出来の良くない作品だ。「民主文学」のバックナンバーをチェックしたが、これ1作である。いい作品がいっぱいあるのに、どうでもよいような作品しか載らなかった。
「民主文学」の編集方針として、年に一度の推薦作品以外は支部誌からの転載はしない。未発表のまま直接応募してきたものが対象になる。自信作は支部誌で発表せずに、「民主文学」に送り、支部誌発表分はそこそこのものでごまかすということができればよいが、諸山立はそういうことを潔しとはしなかったのだろう。もちろん年に何作も書ければ両方に提出できるわけだが、ほとんどの作品が量的にも質的にも高いものを、60歳を超えてから書き始めたのだから、そこまではできなかった。「まがね」の発行も、2年に3回というペースだったので、かなり締切りに追われただろう。
 ほかに、岡山県文学選奨というものがあって、2004年に短編部門で「骨の行方」、2006年に中編部門で「水底の街から」が入選している。これはどちらも高く評価できる作品だ。前者は同年の「まがね」41号、後者も同年の44号に掲載されている。未発表作品しか応募できないはずだから、入選が決まってから、「まがね」で発表したのだろう。商業誌の場合、新人賞受賞作の出版権はその社が独占的に握るわけだが、地方の賞にはそういうものはないのだろう。一応、入選作品をまとめたものを出版しているようだが、ほとんど読者はいないだろうから、「まがね」で発表するしかない。
 活字になったもので、いまつかんでいるのは以上がすべてである。たいへん惜しいので、代表作だけでもまとめて出版できたらと思う。

諸山立と出会って

 諸山 立 1939年生まれ。たぶん。今年誕生日が来れば82歳と聞いた。
 本年2021年4月1日 死去。
 ジャズ喫茶アヴェニュー経営者。倉敷の美観地区にある。
 詳しい経歴はまだ聞けていない。
 三宅陽介亡き後、一時期「まがね」の会長を務めた。引き受けるときも渋り、その後もずっと辞めたがっていた。
「まがね」に発表した作品名を列記する。枚数は、字数×行数×2段×ページ数を400で割った概数。内容に関する一言。〇✕は個人的見解。

 諸山 立全作品 13作
01年 37号「長い列」91枚 敗戦時の朝鮮北部からの逃走劇 ◎
02年 38号「間貸し」52枚 子どもの目から見たスパイもの 〇
03年 39号「賑やかな水槽」38枚 現代コンビニ風景 ✕
03年 40号「遠ざかる灯」25枚 同窓会 ✕
04年 41号「骨の行方」41枚 町内会と戦争の記憶 〇
04年 42号「果肉」42枚 市税課と女 〇
05年 43号「胡瓜」36枚 少年時代 ✕
06年 44号「水底の街から」83枚 市税課と飲み屋と女 〇
07年 45号「あたたかい飯」33枚 中学生 〇
07年 46号「穴に落ちた男」56枚 痴漢でっちあげ事件 △
08年 47号「過去からの手紙」42枚 平凡 ✕
09年 48号「父の墓」42枚 後半に読み応え △
10年 50号「ボディ&ソウル」47枚 ジャズ喫茶経営者の面目躍如 ◎

 ✕はやや平凡な作品。△は面白いところもあるのだが、少し不満が残る作品。〇は問題なく面白い作品。◎は必読作品。
 以上と思っていたら、もう1作出てきた。
1967年発行「倉敷民文」創刊号「後任」49枚 著者28歳
 合併後、市役所の出張所となったかつての町役場に転任した若い吏員の、出合ったできごと。 
 少し雑なところもあるが、構成力、表現力、人物の造形力、いずれをとっても、すでにれっきとした書き手である。
 以上14作品の掲載誌は10年前に諸山氏と出会ったとき、彼から提供された。その折にすべて読んでいるが、今回すべて再読した。これ以外に作品があるかどうかは知らない。
 一応この範囲で考えると、28歳でそれなりの処女作をものにした諸山立は34年間の沈黙を破って、62歳から堰を切ったように書き始め、いずれも読みごたえのある13作品を書き上げた10年後、71歳で執筆をやめ、以後10年、「あとひとつだけは必ず書く」と言い残したまま世を去った。
 どの作品も、内容といい筆致といい、若々しさのたぎるものばかりで、これが60代での仕事かと驚かされる。
 ひとつひとつ取り上げて紹介したいが、今度ということにしよう。
 残念なのは、作品集を出版していないことだ。同人誌で書く作家は、何作か書くとまとめて何冊か出すものだが、この人はそういうことをしていない。「まがね」のバックナンバーにも在庫がないので、このままでは人に読んでもらえない。惜しい気がする。

 作品にははっきりフィクションとわかるものもあれば、体験に取材したもの、モデルの実在するもの、人から聞いた話、などがかなり混じっていて、それを分けることが困難だ。文学としては別に必要のないことだろうが、いまになってみると、そういう創作裏話のようなものをなぜ聞いておかなかったのだろうと悔やまれてならない。
 作品や、聞いた話などからの推測を交えて、ざっと経歴をたどってみる。

「長い列」では、主人公の少年とその母親が朝鮮北部から脱走してくるのは、敗戦の1年後である。平壌からかなり離れたところにある製鉄所で、父親はそこの技師か何かで、すでに病死している。社宅にいるのは日本人の技師ばかり、朝鮮人の女の子が家事手伝いに通ってくる。朝鮮人の優秀な青年たちが別棟にいて、一般工員は奴隷部屋のようなひどいところに押し込められている。敗戦後住まいを交換されて、はじめてその差別に気が付く。もとから地下組織があったらしく、いっときの混乱はすぐおさめられて、製鉄所は操業を続ける。だが、進駐してきたソ連軍の兵士たちは粗暴で危険だ。
 ひそかに計画を練って集団で脱走を開始する。38度線を越えて米軍支配下に入れば安全だ。
 歴史的事実にどこまで忠実かも不明だが、作者の体験だろう。7歳くらいのときの経験なので、あいまいな記憶を関係者からの取材で補っているのだろう。
「間貸し」では、母子は祖父の残した町場の家に住んでいる。倉敷水島にいたと、本人から聞いた。母の働きだけでは生活できないので、部屋を貸している。そこに公安が偽って借家人として入りこみ、道路の向かいの家を監視しているという話なのだが、どこからがフィクションなのかがわからない。いずれにせよ、生活そのものは事実だろう。
「胡瓜」には、山間部にある母の長兄の家で貧しい暮らしを送る母子が、町場の次兄と妹を無心に訪れ、冷遇されて帰る道で空腹に耐えかね胡瓜を盗む話が出てくるが、これはおそらくフィクションだろうという気がする。前後の現代シーンともども、諸山らしくない雑なところが目立つ。
「あたたかい飯」では、主人公は中学生だ。ここにはかなり体験も入っていそうな気がする。きょう食べるコメがなくて、少年は「腹減った、腹減った」と繰り返す。ぼくの妻は「可哀そうに」としきりと同情していた。
 しかし、おそらくそれが作者の中学時代のすべてではない。ちょっとした体験を引き延ばして書いている。作者から聞いたところでは、中学時代少し不良がかっていた彼は、担任の女教師の借家に入り浸っていた。そこには日本文学全集がそろっていて、彼女が部屋を開放したのだ。諸山少年は、そこで日本文学を読破した。これがのちに小説を書き始めるもととなった。ところが、そこに出入りする少年たちはやがて酒やたばこをやるようになり、女教師は怒って部屋を封鎖した。こういう話を彼は書いていない。「腹減った」の中学生とかなりイメージが違う。
 商業高校を卒業すると、市役所に勤める。「後任」「果肉」「水底の街で」はその体験から生まれた。後年の2作では税務課勤務である。脇役を務める人物たちが生き生きしている。モデルもいたのだろうが、読書体験のたまものでもあろう。登場人物たち、とりわけ脇役が魅力的なのだ。描写に手を抜かない。ストーリーだけでも面白いのだが、ストーリーに引きずられていない。書き急がない。丹念に描写する。
 市役所勤務の青年時代は、組合の活動家でもあったようだ。だが、そういう作品は残していない。「後任」や、「穴に落ちた男」で脇役に登場するだけだ。「間貸し」にも一人登場するが。
 いつからジャズ喫茶に転じたのか、ぼくは知らない。レコードが高価で、自分で買うよりも喫茶店に通って聴いたほうが安上がりという時代だったので成り立ったという。本人から聞いた話では、姉がクラシックが好きで、その影響からクラシックを聴くようになり、それがいつしかジャズに転じたということらしい。
 けれども、彼の小説に姉は一度も姿を見せない。ぼくの聞き間違いだったのか、それとも実際に姉がいたのだとしたら、彼の小説には相当なフィクション部分が多いということになろう。
「骨の行方」には長じて町内の役員をやるようになった経験が生かされている。
「ボディ&ソウル」は唯一のジャズ小説だ。

 ぼくが諸山立を知ったのは10年前である。定年退職して福山に転居してからだ。20数年間離れていた「まがね」に復帰してみると、そこにジャズ喫茶の経営者がいた。しかもこの男がすごい小説を書く。なぜもっと早く戻らなかったのだろうと後悔した。
 ぼくは耳も悪いし、音楽とは無縁に生きてきたが、ジャズは聴いていて飽きなかった。ジャズ喫茶の雰囲気も好きだったので、京都時代はよく通った。岡山県に越してきてからも、岡山市内、倉敷市内でジャズ喫茶を探し、何軒か行った。だが元町通りにアヴェニューを見つけたときは、すでにそういう気持ちから遠ざかっていた。それにジャズ喫茶のアングラ的な雰囲気が好きだったので、元町のアヴェニューはなんだか普通の店のような外観で、ぼくを惹きつけなかった。
 この元町通りというのは、倉敷駅からまっすぐ延びる通りなのだが、当時は細い道で、並行して走るアーケード通りのほうが人通りが多かったと思う。どちらも、美観地区と呼ばれる観光地区へと続く道だ。そこは、グレコの受胎告知などをそろえた大原美術館の周囲に、倉敷川をはさんで今も生きる倉造りの街並みが人々を引き寄せている場所である。
 車時代になって、駅舎が立て替えられるとともに、元町通りは拡幅された。以前よりはずっと広くなったが、車社会の進展には追い付けず、いまとなってはあいかわらず細い通りにしか見えない。けれども人通りはアーケード街を離れてこちらに来るようになった。アーケード街が寂れていく時代だ。観光客はみなこちらを通る。土産物屋もこちらに移ってきた。
 しかし、アヴェニューは、この工事をきっかけにどこかへ消えてしまった。アヴェニューにはいつか一度入ろうと思っていたら、なくなってしまったな、と思っていた。ところがなくなったのではない。移転したのだ。美観地区の裏側、やはり倉造りの家が並んでいて、いま観光客もわりと足を延ばすが、当時は人影まばらだったあたりに引越した。その建物はむかし共産党の地区委員会があった建物で、ぼくも一時は出入りしていた。しかしなにぶん古い街なかだから駐車場が確保できない。たぶんそれで地区委員会は引越したのだろう。
 以上が諸山立との出会い。

 出会って、たちまち意気投合した。いや、ぼくのほうが勝手にそう思っただけで、諸山氏のほうではそうではなかったかもしれない。
 京都を離れて以来、話題を共有できる友がいなかった。何年間かときどき訪ねてきてくれた友人たちは、どういうわけかみんな早死にしてしまった。
 ぼくはすでに福山に転居していたが、妻がまだ水島にいたので、月に一度岡山で開かれる「まがね」の例会日は、ぼくはたぶん前夜から水島に泊まったのだと思う。諸山立を送り迎えするのが月例となった。はじめのうち、三宅陽介と三人だったが、彼が老人ホームに入り、出席が難しくなってからは、我々だけだった。
 諸山立はおしゃべりだ。車の行き帰りのあいだじゅう、ずっとしゃべり続ける。口をはさむいとまを与えない。ずっと一人で喋り続ける。じつにいろいろなことを聞かされた気がするが、いまとなっては、ここにすでに書いたこと以外にはあまり思い出せない。そして考えてみると、いまになっていちばん知りたいこと、彼の生きてきた具体的な日々のことや、それと小説とのかかわりの細部にわたる話について、結局ぼくはなにひとつ訊いてみようとはしなかったのだ。
 まだ電車で通っていたころは、倉敷駅で降りると飲み屋に向かった。三宅陽介が一緒だった。飲み屋に入ると、先客がいた。農学博士だそうで、いまでは名前を思い出せない。誘い合わせたわけでもないのに何度か一緒になった。ベトナムに調査に行ったとき、雨降りで何日も調査に出れない。その日々をベトナム人たちと何をして過ごしたのだったか、面白い話をしてくれたのだが、いまでは話の内容を忘れてしまった。この博士は焼酎の一升瓶を手元において、それを手酌でコップに注いではぐいぐい空ける。新しかった瓶があっという間に半分に減っていた。
 三宅陽介、諸山立、農学博士の3名は、このあたりの飲み屋街では、3馬鹿大将で通っているのだと自慢していた。
 馴染みの店をいくつも持っていて、どこも安い店だと言って、方々へ連れて行ってくれた。ぼくはすでに定年退職者だが、じつは初めての経験なのだ。ぼくには学生時代も、働き始めてからも、こういう付き合いをした経験がない。そういうことに初めて気づいた。
 飲むとぼくも雄弁になる。耳が悪いので声が大きくなる。諸山立は、年上でもあるので、なんでも遠慮せずに言うことのできる相手だった。そういう相手が長年いなかったのだ。ぼくの関心に、ついてきてくれる人がいなかった。もっとも、諸山立がすべてのことに関心を示したわけでもない。それでも彼は聴いてくれた。それだけで、ぼくはずいぶん救われた。
 彼が体調を崩して以来、ぼくは遠慮した。会いたいといつも思っていたが、彼の健康を損ねてはいけないと思って我慢した。もっと会えばよかった。

 10年経ったのだ、と驚いている。10年と言えば、小学校入学した子が高校2年生だ。小学校卒業した子は大学を卒業している。自分自身の少年時代をふりかえれば、それは永遠とも言える長い長い年月だった。貧しい人間関係しか持たなかったぼくでも、それなりにさまざまな出会いはあったし、ストーリーもあった。
 ところがどうだ。いまでは10年は一瞬だ。瞬く暇もなかった。出会いと言えるほどの出会いも、ストーリーと言えるほどのストーリーもなく、いつの間にか日々は過ぎていった。
 そして人々はもっと深く知り合えたかもしれない可能性に、永遠に蓋をして去って行く。残された者はただ茫然と立ちすくむのみだ。

諸山 立

「まがね」掲載の諸山作品を読み直している。ぼくが持っているのは2001年の37号からで、たぶんそれが最初だと思うが、確認する必要がある。
 20年前、諸山立は60歳くらいだった。その頃から書き始めたと聞いた覚えがある。10年前にすべて読んでいるが、今回読み直し始めて、あらためて、そのうまさに舌を巻いている。多少文章に雑なところもあるが、ほとんどプロの作品と言って通用する。同人誌の世界でうずもれるような人ではなかった。
 エンタメふうのところがあって、面白いので読みだしたらやめられない。シーンと言い、人物と言い、描写が生きている。目の前で劇が演じられているようだ。
「まがね」でしか読めないというのが残念だ。同人誌で書く人達は何作か書くとまとめて自費出版することが多いが、この人はたぶんそういうことをしていない。データが残っていればいまからでも出版できるのだが。

訃報

「まがね」の元会長、諸山立が亡くなった。
 予期していなかったので、言葉がない。

宇佐見りんから

 今期芥川賞受賞作、宇佐見りん「推し、燃ゆ」について、主人公のキャラクターと文体とがマッチしていないという指摘があった。
 たしかに、この主人公は学校でもバイト先でも家庭でもダメな女の子で、それなのに主人公の一人称の文体がしっかりしすぎている。これだけ自分で分かっていれば解決できそうなものだ、と感じさせられるところはある。
 しかし、よく見れば、主人公の書いているブログの文体がそもそもしっかりしているし、自分の好きなアイドルに関しては徹底的に調査研究し、統計をとり、予測も立て、それをファン層に向かって確かな文章で発信している。そのブログは多くの再生回数を稼いでいる。無能な女の子ではないのである。人間の能力が極端に偏ることはありうるわけで、個人的には気にせずに読んだ。
 ここでは、この作品を離れて、もっと一般的に、フィクションのなかのキャラクターの統一と破綻について考えてみたい。
 最近、BSの映画を観ることが多くて、そのせいで時間が足りなくて困るのだが、いままでの人生でほとんど映画を観ていないので、仕方がないのだ。
 ヒッチコックのシリーズをしばらくやっていたが、そのあと、チャップリンに移った。チャップリンはだいたい観た記憶があったが、その面白さ、技術的な高さ、鋭い批評性、人間を見る目の暖かさなどに改めて感じ入った。
 そのなかで、「独裁者」である。最後の場面、ユダヤ人の散髪屋が演説するところ。非常に感動的な場面なのだが、まるで散髪屋のキャラクターではない、ここはチャップリンその人として演説している。
 でありながら、違和感がない。映画の必然の流れとして鑑賞できる。このとき思ったのは、ああ、フィクションというものはこういうことが可能になるのだ、ということだ。
 カミュの「異邦人」についても言えるだろう。
 死刑になったはずのムルソーは、いつ、この文章を書いたのか。と問えば矛盾だらけである。白井浩司は新潮文庫の改訂版のあとがきで、法廷でムルソーの注意を引いた若い新聞記者が書いたのだ、という仮説を立てている。この新聞記者がカミュその人であるのは明らかだし、白井浩司のように読ませる意図があっただろうとも言える。
 それはそれとして、と言うか、それとしてさえも、やはりここにはフィクションの持つ矛盾がある。これはむしろフィクションの不可避的な矛盾であり、だからこそそれはフィクションなのだと言えないか。
 矛盾のないものを書こうとすれば、ほんとうのことをありのままに書いたらいいのだ。フィクションで書くということは、ありのままでは表現できないものを表現しようとして書くのだから、どこかに必ずある種の破綻を含んでいる。
 それは「異邦人」の構造自体についても言えることだろう。ずっと他人事を語るようにして語ってきたムルソーが、最後の最後になっていきなり自分の怒りをぶちまける。ここで、「異邦人」の文体はある意味破綻している。ここはカミュその人が語っているかのようだ。「独裁者」のラストシーンと非常によく似ている。
 完全な小説というものはない。小説がつくりごとである限りにおいて、どこかが必ず破綻している。それこそがむしろ、小説を書く意味だと言えないだろうか。

近況

 記事のない日が続いていますが、元気です。忙しくて書く時間がない。そのうちまた戻ってきます。

「ふくやま文学」33号内容紹介

瀬崎峰永「山の王」
 昨年度九州芸術祭文学賞をトップ二人で争い、惜しくも二位となった作者。一位は「文学界」に掲載された。52歳。
 今回作は、ヘミングウェイの「五万ドル」か「敗れざる者」を思わせるような、諦めない男の物語。迫真の出来栄えである。

もろ ひろし「真冬の雷鳴」
 おそらくこの人としては初めての近未来SF。しかもコロナ収束直後の物語。いまとなっては日本経済のお荷物でしかない団塊世代の抹殺計画。富裕層がこういう方法で抹殺されるとしたら、われわれ一般市民はどんなふうに消滅させられるのだろうと背筋の凍る話。それを淡々と描写していく。

わだしんいちろう「妻との散歩」
 最近少し遊び半分な作品が多かったように思うが、これは久しぶりに、短いが心に迫ってきた。

河内きみ子「スニーカーの中の……」
 少し話がまとまらなかったが、女性はたいへん苦労して生きているなと感じさせられた。

荻野 央「夕顔の賦」
 なんとも表現し難い感性の世界を豊かに濃密に描き出す作者。詩的な作品。

白石宏平「投稿者」
 ストーリーテラーだ。さまざまな話を上手に作りうまくまとめる名手。逆に現実にあった話を書くと書きすぎてしまうのだが。

花岡順子「すき間・トリップ」
 エロスを書かせると、この人の右に出る者はいない。

畑本 千「新しい生活?」
 お料理レシピのわきまえない名人が、世間の無知さかげんに、今日もやはり怒ってますね。

中山茅集子「仔執りの鬼」
 敗戦と絵とセパード(シェパード?)。三つのモチーフが、それぞれ強烈に主張するので、それをひとつの作品としてまとめあげるところに少し困難があったように思う。戦後75年という年代設定が、はたしてこの内容にうまく合致しているかどうか。

「ふくやま文学」33号 その他

「ふくやま文学」33号が発行された。
 172ページ。上製。
 名前の見えない人もいるようだが、レギュラーメンバーはほぼそろっている。
「まがね」のメンバー分は確保したので、例会に持参する。
 それ以外で、読んでくださる方は下記まで。

 〒721-0971 福山市蔵王町3197-3 大河内喜美子
 定価 500円

 なお「クレーン」42号も発行されている。
「ふくやま文学」の姉妹誌で、書き手が一部ダブっている。
 中山茅集子 わだしんいちろう 糟屋和美 落合トア子

 〒371-0035 前橋市岩神町3-15-10 わだしんいちろう
 TEL 027-235-3999
 定価 800円(送料込1000円)
 112ページ

「樹宴」20号をやっと読み終えた。
 350ページは読みごたえがあった。内容的にも、形式的にもバラエティがあって、飽きさせない。
 大丘忍の医者としての体験を踏まえた作品はいつも読ませる。今回1950年代の共産党分裂当時の京大における学生運動を背景に1作品。
 守屋陀舟は鎌倉時代の農山村に生きる地侍たちと一人の少女が怪奇現象に遭遇する話。雰囲気作りがじつにうまくてプロのレベル。この人は、イギリスの女流作家ダフネ・モーリアのファンで、それをペンネームにしている。ダフネ・モーリアは、ヒッチコックの「レベッカ」「鳥」の原作者である。リンク「夢見猫のひとり風信」を参照。
 今回初登場の由布木秀の作品は最初話があちこち行って戸惑うが、終わりに行くほど引き込まれる。才能を感じさせる作品。163枚。
 石崎徹作品は退屈かもしれないが、我慢して付き合ってください。製鉄所の下請労働者たちを書いた。ぼくとしては書いておかねばならなかった作品。120枚。
 

ランニングタイトル(欄外標題)

 WINDOWSの大規模更新があったあと、WORDのスタイルが変わってしまって違和感がある。そのうえ、ランニングタイトルが半角でしか打てなくなった。解決策を得ようとしたら、WORDのサービスは終了した、なんとかに切り替えなさいと出てくる。切り替えようとしたら、月額いくらと書いてある。有料化するつもりなのだ。
 とんでもないので、工夫した。よそで横書きの小さい文字で打っておいて、それをコピーして貼り付けた。そうすればできた。
 今回は解決したが、これはいままで無料だったものを徐々に有料化していこうという流れなのだろうか。もちろん今までだって無料ではなかったのだ。パソコンの代金のなかに、そこに搭載されているソフトの代金が含まれていたわけで、WORDだろうとなんだろうと我々は金を払って買っていたのだ。
 しかし、いまや、ソフトメーカーはそれ以上に金をふんだくろうとし始めたように思える。
 これ、ぼくの無知による誤解なのか?

「樹宴」20号発行

「樹宴」20号発行
 11名の著者による、350ページの大部となりました。
 10冊入手しておりますが、「まがね」のメンバーも増えたので、そこに配ると残部がありません。読んでやろうと思われる方は、直接発行元へのご注文をお願いします。
 今回小生は、「コンビナート・ラプソディ」として、製鉄所の下請労働者群像を書いております。登場人物24名、四百字詰換算120枚です。
 他の人の作品はまだ少ししか読めていませんが、読んだ限りでは、多方面にわたる充実した内容です。多くの方に手にとっていただけたら嬉しく思います。

 発行元
  住所 〒125-0032 東京都葛飾区水元3-1-14-204 深井方
  名前 樹宴文学同人会
  TEL 03-3600-2162

 なお、定価送料の記載がありませんので、直接お問い合わせください。

【エッセー「すずめ」が思い出させてくれたことと私の勝手な想像】 一読者

 そう言えば、我が家でも昔、家の軒下に落ちてきたすずめと何日か暮らしたことがあった。
 母は、インコのヒナ用の餌をお湯でふやかし、細いストローですずめに与えていた。母はすずめに餌をあげる時、真剣な顔をして、毎回ツーツーとヒナに呼びかけるように鳥の鳴きまねをしていた。
 私たち姉弟は、いつもそんな母を取り囲むようにしてすずめを見ていた。
 すずめはまだ小さくて、体毛が薄く、地肌が透けて見えていた。体はぐにゃぐにゃに柔らかく、頼りなく儚かった。けれど、恐る恐る手の中に包み込むと、その小さな体は驚くほど熱かった。「生きているんだ!」と思うと急に怖くなったのを覚えている。
 結局、すずめはあまり餌を食べず、数日後には死んでしまった。父は「すずめは野鳥じゃから、人間からの餌は食べんのじゃ。」と言った。家にあった動物図鑑を調べてみると、野鳥は警戒心が強く、人間にはあまり懐かないと書いてあった。
「すずめ」を読んで思い出した家族との記憶だ。私は少しの間その記憶の中で過ごした。

「柱時計の上をねぐらにする」「鉛筆の芯の動きに合わせてコツコツやる」。すずめと少年は通じ合い、「ふたり」は同じように「子供の季節」を生きていたのだろう。
 そして、少年とすずめの「重なり合った季節」は、少年にとっては「一瞬」であり、すずめにとっては「生き切る」時間だったのだろう。
「小学生の日々はめまぐるしく、すずめのことだけ覚えてはいられない。」「ある日、動きが緩慢になり、そしてある朝目覚めると死んでいた。」これらの一節に時は過ぎ、少年は少しずつ大人になっていき、すずめは生き切ったこと、そして少年の「子供の季節」の終わりが近づいていることが感じとれる。
 私は、自分の記憶がどういうものかよく分からないと思うことがある。
 私は勝手に想像してみた。
 少年(筆者)はなぜ、すずめと暮らしていた期間を全く覚えていないのだろう。すずめとの些細な出来事は記憶しているのに。すずめがお母さんの手の中で死んだこと、アパートの裏にお墓を作ったことは覚えているのに。 
 私の勝手な想像は続く。
 少年はいつからか、いつもそばにいる兄弟のように、すずめもずっと一緒にいるんだと無意識に思うようになっていたのかもしれない。おそらく、自分とすずめの生きるスピードが違うことなど想像もできなかっただろう。少年にはそんな想像は必要なかったのだ。なぜなら、少年がまだ少年だったから。
 途切れることのない新しい毎日、限りない時間。彼はすずめと「少年の世界」にいたのだ。
 やがて彼にとって、すずめとの暮らしは、とりたてて気にかけることのない日常になっていたのだろう。だから、どれだけの間すずめと過ごしたのか覚えていないのではないか。つまり、幸せだったのだ。
 けれど、すずめはある朝目覚めると死んでいた。少年のすずめとの平穏な日々は突然終わってしまったのだ。それは少年の記憶の中に鮮明に残ったに違いない。そして少年は無意識に時間には限りがあることを知るのだ。
 記憶とは不思議だ。私はしばしば、急に昔のことを思い出す。あの時母があー言ったなとか、あの日吹いていた風の頬にあたる感触とか、思い出すのはいつも何かの出来事というかたまりではなく、些細な記憶のかけらだ。そして、きまってしばらくの間、その記憶のかけらに弄ばれる。幸福感に満たされたり、悲しみが蘇ったり、感情を支配されたりすることがある。そして、些細な記憶を辿るたび、もう戻れないことを知らされる。人の記憶は、些細なかけらから出来ているのかもしれない。少なくとも、私の記憶はそのようだ。
 私はその記憶のかけらを愛しながら、嫌いながら、限りある日々を生きている。

野里征彦「ジュラシック・パーク」(「民主文学」21年3月号)

 作者自身が主人公であることがはっきりしている小説で、でありながら主人公の名前は西野である。「作者自身が登場しながら、わざわざ名前を変えるのはなぜか」とつい最近書いたばかりだが、この小説に関しては、そういう疑問を持たなかった。そしてなぜ持たないのだろうと考えながら読んだ。
 主人公は西野でも野里でもどちらでもよいという気がした。つまり、西野が作者であろうとなかろうとこの小説には何の影響もないと思えたのだ。
 そうは思えなかった他の作品との比較において書かねば納得してもらえないだろうが、いま、そこまでこの問題に立ち入る気はない。
 つまり、面白く読んだ、満足したということを書いておきたいだけなのである。先日の連載小説よりもずっと良かった。あの小説も1回目は期待させたのだが、飛び飛びで読んだせいなのか、結局あまりピンとこなかった。今回作はただ身近なことを何の気負いも企みもなくエッセー風に書いているだけなのだが、ひとつにはたいへんユーモアがあったし、そのユーモアが人間の本質に迫っているようなところがあって、読ませた。軽い話だが、心にすとんと落ちる。よくよく考えると、巧まないように見せてじつはこっそりと巧んでいる小説なのだ。

 小林作品については勘弁させてもらう。途中でついていけなくなった。あくまでぼくの個人的な趣向の問題に過ぎない。

 百合子特集だが、彼女の作品については、そのうち読むことがあれば述べるとしよう。いまはあまり関心を持てる作家ではない。

大浦ふみ子「かたりべ」(「民主文学」21年3月号)

 朝鮮人被爆者を中心人物にして、たまたま親しくなった青年英語教師が、資料を読み解いて彼の背景に迫っていく物語。
 実際には作者自身が、相当な資料を渉猟して得た知識と、当事者たちとのかかわりのなかで得たものとが材料になっているのだろう。資料部分にも読み応えがあり、一方では、当事者の一筋縄ではいかない複雑な心理的問題と、それと相対する日本人青年との相克に、解決の難しい複雑な現実をも突きつけられる。これは我々のどうしても知っておかねばならない問題なのだ。
 ひとつ疑問。年齢がしっくりこない。柳永守は14歳で日本に連れてこられて、軍艦島の炭鉱で働かされた後、三ヶ月で三菱造船に移され、そこで原爆を落とされる。1945年、16歳である。もし2020年が小説の現代時間だとしたら、75年経っており、91歳になっている。ところが息子がおり、英語教師英司と同い年だという。英司は25歳であることを柳に言っている。66歳でも子供を作れないわけではないが、これは何年か前の話と考えたほうがよさそうだ。英司の祖父は、80を超えたのを機会に老人ホームに入ったが、すぐにそこを飛び出して自宅に戻ったという人物で、いま何歳とは書いていない。少年のころから三菱造船で働き、原爆のときは出征していて出合わなかったというのだから、1945年には20歳をいくつか超えていたのだろう。つまり柳より数歳年上である。2020年には95歳くらいにはなっている。おそらく10年くらい時計を巻き戻せば、祖父85歳、柳80歳となって、柳の25歳の息子は、柳が55歳のときの息子ということになり、それなら何とか納得できそうだ。また85歳の祖父に、25歳の孫がいても不思議ではない。
 話に関係ないだろうというかもしれないが、いくらフィクションでもリアリティは必要で、それが欠けては話全体が怪しくなってしまう。つまり、同じ年頃の柳と祖父との間で、一方には25歳の息子がおり、もう一方には25歳の孫がいるというのが、読んでいて引っかかるところで、一言説明があってもよかったのではないかと思ったのだ。
 この小説の時間が、2010年か、2020年かということも、小説にとってどうでもいいことではないだろう。日韓関係にも、その国民感情にも、時間的経過がある。

小説修業

 しばらくブログを書かないつもりだった。頭のなかが、小説を書くように準備されていない、と強く感じたからだ。雑文書きに馴れてしまって、雑文用の頭になってしまっているので、当分離れなければと感じた。
 で、何日間かは小説に取り掛かってみた。1日1枚書けば、1ヶ月で30枚、3ヶ月で百枚だ、簡単だ、と思ったが、すぐに挫折した。挫折して雑文に戻ってしまった。
 いまつくづく感じているのは、小説を書くのは絵を描くのと一緒だということ。
 むかし、ヘルマン・ヘッセが「詩人になるかさもなくば何者にもなりたくない」と心しながら、「音楽家のためには音楽学校、画家のためには美術学校があるのに、詩人のための学校がない」と嘆いた。ヘッセは詩も書いたが、小説で名を成したので、ここで「詩」と言っているのは「小説」のことだととってもいい。
 たしかに小説家には修業の場がない。大学には文学部があるが、あれは小説を研究する学問であって、小説を書く修業の場ではない。小説家は独学で修業するしかない。
 そのせいもあって、ややもすると、小説には修業が必要ないかのように、うっかり思い込んでしまう傾向がある。だが、結局小説は論文ではないし、芸術なのだから、絵や音楽と同じこと。思いついたら書けるというものではない。やはり修業が必要なのだ。
 その修業は、たぶん絵を描くのと同じことだ。デッサンとスケッチ。まずここから始め、これを徹底的にやらなければ、小説なんて書けるものではないのである。
 体験を書いた小説がなぜリアルかと言えば、デッサンとスケッチとがひとりでに備わっているからだ。フィクションを作り上げようとしたら、そういう基本から始めなければならない。
 ということに遅まきながら、いまごろ気づいたのである。文章修業ではない。文章修業も必要だが、文章が上手なら小説を書けるわけではない。雑文は書けても小説は書けない。小説はデッサンとスケッチだ。
 で、やってみた。構想を考えずに、とりあえず。デッサンとスケッチに取り掛かった。デッサンとスケッチだから、人物なり、シーンなりを、それきりで短く書けばいいのだ。いくつか書いた。ところがじきにそれを繋げたくなって、繋げてしまった。で、結局構想にぶつかった。先を急ぎすぎたのだ。
 ふりだしに戻ろう。デッサンとスケッチだ。そこから先へは行かないことだ。構想なしに、切れ切れの人物像とシーンとを書き溜めていく。それがたくさん溜まれば、きっとそのうち何かの構想がひらめく。のだと信じてやり直そう。
 何かを始めるには遅すぎる年齢だが、ずっと小説とは無縁の人生を生きてきたのだから、やむを得ない。いつまで生きられるという保証はまったくないが、さりとて明日死ぬと決まっているわけでもない。だからともかくやってみる。ブログはできるだけ書かない。でも我慢できなくなれば少し書く。ストレス発散だから。

ロビンソン・クルーソー

ダニエル・デフォー「ロビンソン・クルーソー」鈴木恵訳 新潮文庫 2019年
久米穣訳 ジョルジョ・スカラート絵 講談社 国際児童版 世界の名作3 1982年

 この本は夜眠る前にだけ読んで、昼間は違う本を読むつもりだったが、だんだん何も進まなくなったので、半分くらいから昼間も読んでようやく読み上げた。
 文庫本で500ページ、子供のときの記憶とはまるで違う。主人公は27年間を無人島で生きる。そこに到達するまでがかなり長いし、無人島では20年くらいは一人きりだ。フライデーが登場するのは終わりのほうになってからである。ロビンソン・クルーソーと言えば、オウムとフライデーと、木に刻みを入れてカレンダーにする、その3つが印象的だったが、実際はそんなことは話のなかのほんの一部に過ぎない。
 衣食住の工夫が大部分である。じつに詳しい。体験がないのになぜこんなにリアルに書けるのだろうと思ったら、モデルがいた。
 児童版の解説に書いてあった。この本はたまたまうちにあった。妻がむかし買ったらしい。40年も前の本なのに、2000円もする。A4版の固い表紙の箱入りの上製で、すべてのページがオールカラーの絵入りである。文章はわずかなのであっという間に読んだが、わずかでありながら、原作に書いてある内容を一応すべて網羅している。それでいて子供に分かりやすく、面白く書いている。なかなかすぐれものである。
 その解説にモデルを紹介していた。スコットランド生まれのアレキサンダー・セルカークという青年が船長に反抗して無人島に置き去りにされ、4年4か月後に救出された。記者たちが詰めかけて取材し、詳しく報じた。1771年と書いてあるが、1717年の間違いだろう。デフォーはすでに57歳だったが、激しい興味を示して小説に書き上げ、1719年に発表した。という経過のようだ。
 原住民をみな人食い人種であるかのように書いているのは偏見だろう。人食いがあったかどうか知らないが、あったとすれば、そこにはそれなりの事情がある。デフォー自身書いているが、スペイン人が現地人を虐殺した。野蛮人は現地人であるよりも、むしろヨーロッパ人のほうである。勝手に人の土地に入ってきて殺しまくるのと、自分たちの土地に入りこんできた得体の知れぬ者たちに用心するのとでは事情が異なる。
 だが、まあ、そこは時代的限界として、そのわりには的確な考察も多い。
 ロビンソンは人食いの現場を目撃して、気分が悪くなり、奴らを皆殺しせずにはおくものかと、いっとき考えるが、やがて冷静になって、彼らは彼らの風習に従って生きているだけだ、自分に危害を加えようとするなら戦わねばならないが、そうではないのだから、自分には関係のないことだ、それを勝手にこちらから殺しに行くのでは、自分のほうが罪びとだ、そんなことは許されない。と考え直すのである。
 でも、その心は揺れている。ロビンソンは確固たる考えで生きているのではない。常に心のなかは揺れている。物語のヒーローではなくて、悩める現代人なのだ。
 一人きりであったときには孤独に苦しみ、生きている意味を探し求め、後半になって原住民の姿がちらつき始めると、身の危険におびえる。生き抜くための衣食住の仕事は勤勉にたゆまずやり抜きながら、心のなかは平静ではない。デフォーはロビンソンを内と外と両側から描く。
 フライデーを原住民の人食いの対象から救出したのは、決して人道的動機だけではない。召使を手に入れれば、孤独からも救われるし、何かと便利だし、それに島から脱出する手段も見つかるかもしれない、という打算もあった。
 フライデーにはまず英語を教える。その過程でロビンソンが気づいたのは、これは決してヨーロッパ人と比べて劣っている人間ではない。むしろ我々より優れた能力を持っている。それなのに文明の違いが、彼らに野蛮な生き方をさせている。ということだった。この上さらに文明の違いは優劣ではないというところまで気づけばもっとよかったが、それは時代的制約で、ヨーロッパ人の視野の狭さとして勘弁しよう。
 ロビンソンはフライデーにキリスト教を教える。この本一巻がじつはキリスト教の伝道書でもある。ロビンソン自身は非宗教的人間であったが、孤独のなかで生き抜いていく支えとしてキリスト教に目覚めていく。フライデーに対しては、ヨーロッパ人の習俗を学ばせるためにキリスト教を教える。
 ところがそこにじつに面白い展開がある。デフォーがキリスト教徒でありながらもやはり現代人で、合理的な懐疑精神を持っていたことが読みとれる。
 フライデーは率直に疑問を口にする。
「神が全能であるなら、なぜ、とっくに悪魔を殺してしまわなかったのか」
 ロビンソンはどう答えていいかわからない。フライデーは頭がいいのだ。そしてそこで立ち止まって考えるロビンソンも合理的な頭の持ち主である。彼はフライデーの疑問を的確な疑問であると判断し、自分自身その答えを探し求める。こうして、生徒が教師になり、教師が生徒になる。いままでいい加減にしかキリスト教を理解していなかったことに気付き、ロビンソン自身、より深く信仰について考えることになる。
 デフォーの宗教的立場はプロテスタントで清教徒である。イギリス国教会やローマカトリックに対しては批判的だ。カトリック司祭の異端裁判に付されるくらいなら食人種に食われるほうがましだと、ロビンソンに言わせたりする。
 だが、「ペスト」の記述でもそうだったが、宗教には寛容である。ペストのあいだ、清教徒と国教会とが協力しあったのに、ペストが収まってくるとまた対立し始めたと言って嘆いている。
 プロテスタントに改宗したフライデーと、ローマカトリックのスペイン人と、現地宗教のフライデーの父親と、3つの宗教がいっとき島のなかで共存することになったのを、ロビンソンは島の支配者として信仰の自由を認める立場をとる。
 新潮文庫にはもともと「ロビンソン漂流記」があったようだが、鈴木恵による新訳版は2019年に出たばかりである。その直後にデフォーブームが始まったことを思えば、タイムリーだった。原文は古い英語であり、しかもかなり思いつき的な文脈で、話があっちこっち行き来して読みにくいものらしい。それを、原文の雰囲気を壊さないように、しかも読みやすいものに訳した。読みやすく、面白く、17世紀から18世紀にかけてのイギリス人とその社会とを知る絶好の本である。

株式

 近頃、身近な人が意外にみな株を持っていると知った。それで納得のいくことがあった。株価維持政策という、これ以上金を必要としない人たちに無限に金をばらまくような政策になぜ不平が出てこないのか、不思議だったのだ。なるほど庶民が株主なのだ。それで謎が解けた。それは微々たる金額ではあるが、だから余計に金持ちたち以上に深刻なのである。庶民の持っている株式は、値下がりしても痛くないような株式ではない。老後の生活の担保であり、安心の保証なのだ。だから値下がりしては困るのである。だから、アベノミクスを心から支持している。
 株価が庶民に影響してくることが3つある。
 一つは厚生年金基金で株を買ってしまったことだ。株価が下がれば、年金が減額される。老後の生活が成り立たなくなる。
 二つ目は、いま書いた庶民の持つささやかな株である。ささやかだから余計に深刻である。
 そして三つ目は、株が下がれば金利が上がるということだ。
 これがいちばん深刻かもしれない。住宅ローンを固定金利にしていればいいが、低金利が続くと見て変動金利にした人は、いっぺんにローンの返却にゆきづまる。住宅を手放さねばならなくなるかもしれない。住宅不況が来る。建設労働者たちが失業する。
 株というものは、持っていても何のメリットもない代物である。株主優遇制度などあるが、たかが知れている。配当はわずかな額だ。というのは実勢価格が額面の何倍にもなってしまっているからで、何割配当というのは額面に対するものだから購入価格に対する割合はぐっと小さくなってしまう。それでもゼロ金利が続いているので、それよりは、いくらかでもましかもしれないが。
 株を所有するのは値上がりを期待するからで、値上がりしなければ持っている意味がない。それでもゼロ金利だから、預金しても意味がないのだから、下がらなければ株を持っておこうかということになる。
 そしてアベノミクスが続くあいだは下がらない。しかしいつまでこれを続けることが可能なのか。厚生年金基金と日銀とが株式に投入する金額は毎年膨れ上がっている。そのことでかろうじて株価を維持している。投入すればするほど、翌年はもっと投入しなければ維持できない。雪だるまのように、どんどん膨れていく。止まることができない。止まれば、株価は必ず下がる。いったん下がり始めればこれを止めることはできない。
 株式というのはバーチャルな富である。架空の富であり、コンピューターの数字上の富であって、実在しない。売ることのできない富であり、ただ持っているだけの無意味な富だ。売れば暴落して、コンピューター上の数字も魔法のように消えてしまう。
 いま3万円まで上がってきたが、4万円直前まで上がったのは、30年前である。そこから暴落して1万円まで行った。30年かかってようやく3万円まで来た。どこまで行くのか。
 我々は地獄に向かって突き進んでいるのではないのか。
 スチーブンソンの「瓶の小鬼」を読んでほしい。文庫の短編集に収録されている。

「ドリームガールズ」2006年

 圧倒的に黒人ばかりで、白人がほとんど登場しない映画。60年代に実在した女性歌手グループがモデル。
 じつは俳優たちの顔の見分けがつかなくて、ストーリーがよく把握できなかった。ジェニファー・ハドソンが主役と思っていたら、ビヨンセが主役だったのだそうだ。ジェニファーの歌唱力が圧倒的で、存在感がものすごく、主役を食ったと言われ、助演女優賞を獲得した。オーディションで選ばれるまでは無名だった。
 黒人ラジオ局と白人ラジオ局があったというのも驚いた。黒人ラジオ局でいくらヒットを飛ばしても、白人の世界では無名であり、曲が平然と盗まれてしまう。白人の世界に食い込まねば生き残れない。そこで白人が好むように曲をアレンジする。
 ストーリーが把握できないままに、引き込まれて見続けたのは、同じ曲が、歌い方によってこうも違う曲に変貌するのかという驚きからだ。白人向けにはおしとやかに歌い、我慢しきれずに彼らの本音が出ると、圧倒的な歌唱力で心の底まで響いてくるように歌う。
「この世界の片隅で」で「寂しくてやりきれない」を聞いたときにも、曲というものは歌い方でこんなにも変わるのかと驚いたが、今回はそれ以上だった。
 音楽の世界とはまったく無縁に生きてきた。人生の貴重なものをひとつ味わいそこなったという悔しさはあるが、それゆえにいまそれに気づけたというのも人生の味わいかなと思う。

心の性

「心の性」と言われていることについて、それを語るには多少でも関連本を読まなくてはと思って控えてきたが、なかなか読めず、いつまでも引っかかるので、とりあえず疑問を述べてみる。無知による初歩的な疑問かもしれない。ご指摘をいただきたい。
 要するに、生物学的な心と、社会的学習による心とがちゃんと区別できているのだろうかという疑問である。
 生物として、遺伝情報が人間の心をなにがしか支配して、そこに肉体的だけではない精神的な性差が、なにがしかありうるのだろうとは思う。
 だが、人間には第二の本能と呼ばれるものがある。生まれたときに備わっていたもの以上に、生まれてのちの生育過程で社会的学習によって身に着けたものが大きく影響する。
 男の心、女の心と人々が言うもののうち、いったいどれだけがほんとうに生物学的な心なのか。ぼくが思うのはほとんどが学習によるものではないかということである。
 ピンクの服を着たがらずにブルーの服を着たがる、スカートを嫌って、ズボンをはきたがる、髪を伸ばしたがらず短髪を好む、だからこの子は体は女だが、心は男だ。
 そういう馬鹿なことを言う人はもう少数派かもしれないが、心の性と言われているものの実態はほとんどその手のものなのではないか。
 そのうえでさらに疑問に思うのは、こういう社会の目が、個人の心に逆照射して、そこにゆがんだ性自認が生まれてはいないかということだ。「おまえは女らしくない。男みたいだ」と言われることで、「自分の心は男かもしれない」と考え始める、ということはありえないだろうか。
 白状してしまえば、「心の性」という考え方自体に疑問を持っている。そんなものがあるのか。男だろうが、女だろうが心のなかはさまざまで、これが男で、これは女だというものなどない。ただ社会がそれを決めつけるので、個人がそれに惑わされる。
 もちろん、ホルモンバランスというものがあるらしいから、ある程度の生物学的心の性差というものはあるのだろう。男が女に惹きつけられ、女が男に惹きつけられる。でも、そんなもの例外はいっぱいあるし、どこまでがホルモンか、どこからが学習か、とても区別できるは思えない。
 社会の目が人間を強制し、人間を苦しめている。体の性と心の性とが食い違うという自認自体が社会的強制ではないかという疑問がある。すべてがそうだとは言わないが、社会の目から受ける勘違いによる自認も多くはないかというのが、ここに提出しようとする疑問なのである。

東 喜啓「米寿の帰島」(「民主文学」21年2月号)

 小説としては全体に未熟さを否めないが、問題提起に耳を傾けるべきものがある。
 奄美の島民の薩摩藩への武装抵抗も、ベトナム人のフランス、アメリカとの戦いも、そのときにはやむを得ざる戦いだったとしても、現時点で無条件に賞賛すべきものとばかりは言いかねるのではないか、という提起である。
 作品のなかでは、それぞれ別の人間から別の機会に言われた言葉として、「私」のそれまでの常識に対して、ガツンと一発食わせるような形で発せられ、「私」は考え込む。これは貴重な思考提案だと思う。なにごとにしろ、これはこうだと決めつけることはできない。さまざまな角度から、複雑な側面を解きほぐしていく必要がある。
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